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2016年9月14日水曜日

新聞記者の取材を受ける (Interviewed by a Newspaper Reporter)

[The text of this post is in Japanese only.]

 さる 8 月 17 日、私のブログ記事「旧友への手紙 2」のコメント欄に、読売新聞の山田記者から書き込みがあった。戦前の小学校での級長について記事を書いているので話を聞きたいという内容である。そのブログ記事には、手紙の相手の旧友や私が小学校(当時は国民学校)で級長をした思い出が書いてあったのである。書き込みには記者のメールアドレスを記してあったので、すぐに、「古いことで、あまり多くの記憶はないが、それでもよろしければ」として、電話番号を知らせるメールを送った。その日の夕方、早速電話での取材があった(山田記者は、たまたま、私が卒業した金沢の小学校の後輩であり、取材以外のことでも話をした)。

 出来上がった記事は 2016 年 9 月 7 日付け読売新聞(教育面)に「学校:モノ・風景——学級委員」(山田睦子記者)として掲載され、記者から掲載紙が 2 部送られて来た。私からの取材は記事の冒頭に、次の通りにまとめられていた。
 「全校朝礼で整列する時、クラスの先頭に立って列の乱れを注意したり、運動会の行進で列の先頭を歩いたりしました」
 大阪府立大学名誉教授の多幡達夫さん(81)は戦時中、石川県七尾市の国民学校に通っていた 1 〜 3 年時、担任の教師に指名され、級長を務めた。「冬は腕章、夏はシャツのポケットにつける布の級長章が支給されました。子どもながらに誇らしい気持ちでした」と思い起こす。
 最後の「誇らしい気持ち」のところは、自ら進んで述べたものではなく、記者の誘導的な質問に対して、「そういう気持ちがないではなかった」という意味の返事をしたつもりだったが…。記事には、冬服に「く」の字型の印のある腕章をつけた級長君のイラストも付いている。私のブログ記事には「腕章」と書いていたが、私が貰ったのは、正確には、腕に巻く腕章でなく、服の腕の部分に縫い付ける記章である。その記章の色や形について、黄土色の生地の上に3本の赤い「へ」の字型(山型)を重ねたもの、というような説明をしたつもりだったが、電話ではうまく伝わらなかったようだ。新聞社などからの電話取材はいままでにも何回か受けたが、電話でのインタビューに、思いや事実を正確に伝えることの難しさを改めて感じた。

 なお、「学級委員」の記事には、私からの取材に続いて、同じく級長についての、広島大学名誉教授の言葉がある。次いで、戦後は級長制がなくなり、子供同士の選挙で選ぶ学級委員などに変わったこと、さらに近年は、特定の子どもがリーダーを務める状況が少なくなっていることが述べられている。


旧帝國陸軍の階級肩章―兵長
By Alex Tora [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons.

 私が冬服用に貰った級長の記章には旧陸軍の階級章のような雰囲気があったことから、『ウィキペディア』の「軍服(大日本帝国陸軍)」のページを調べてみた。すると、「伍長勤務上等兵は上等兵肩章と合わせて臂章を付す」という説明付きで、上掲の記章の図があった。この記章の中に黄土色の山型の筋を 2 本入れて赤い部分を 3 等分すると、まさに、私の貰った級長章になる。読売紙の記事の始めにあるように「運動会の行進で列の先頭を歩いた」時にも、黄土色の「国民服」姿で号令台の上に立つ校長の前を通る時、「頭(かしら)右! 敬礼!」という軍隊式の号令をかけて、クラスの一同に校長への敬礼をさせたのだった。あのような軍国主義教育を決して再現させてはならない。

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