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2018年11月30日金曜日

太宰治の太平洋戦争開戦時の短編 (Osamu Dazai's Nobellas at the Beginning of the Pacific War)

[The main text of this post is in Japanese only.]


秋色に染まった堺市・八田荘公園。2018 年 11 月 18 日撮影。
Hattashō Park, Sakai, filled with autumn colors; taken on November 18, 2018.

太宰治の太平洋戦争開戦時の短編

 先の記事に太宰治著『ろまん燈籠』を買って読んだ理由を記した。今回は、その本に収められている「ろまん燈籠」以外の短編、特にその中の 2 編について感想を述べる。

 「ろまん燈籠」以外の短編は全部で 15 編収められている。平均約 15 ページの、ごく短いものばかりで、就寝前あるいは気分転換のひとときに 1 編ずつ読むのに誠に格好の作品たちである。内容も深く考えないで楽しめる。しかし、「新郎」以下の 10 編は太平洋戦争中の作品であり、それを思うと、私には気軽には読めなかった。

 中でも、「新郎」と次の「十二月八日」は、まさにわが国が太平洋戦争を始めた日のことを主題にしている。前者[「(昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。)」という後書きがある]は、その日の夫の、後者はその日の妻の、心情をつづった形を取っている。間もなく、その日から 77 年目の日を迎えようとしている。わが国が狂った一歩を決定的に歩みだしたその日を、この作家はどのように見ていたのだろうか。

 太宰のこれらの短編をいま私たちが読むと、戦争への抵抗がいかにも弱く感じられる。しかし、表現の自由が抑圧されていた時代の作品であることに留意しなければならない。太宰は「新郎」の冒頭に、「一日一日をたっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。...」と聖書の言葉を引き、末尾に「ああ、このごろ私は毎日、新郎(はなむこ)の心で生きている」と記す。主人公の「私」は太宰自身のような作家である。

 巻末の奥野健男の解説によれば、この作品は日本が滅亡の道を選んだことを太宰が「深層意識的に認識していた」と推察させるという。そう思ってこの作品の上記の言葉を読み返すと、「深層意識」よりももっとはっきり認識した上で、最大限に可能な抵抗の文を記したとさえ受け取ることができる。

 短編「十二月八日」は、小説家の妻である「私」が「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう」として、筆をとる形で展開する。「私」は早朝、開戦を伝えるラジオの放送を聞き、朝食時に夫に向かって「日本は、本当に大丈夫でしょうか」と尋ねる。ここに太宰は自分の気持ちを表した上で、「私」をすぐに戦争への協力者に仕立てて行く。

 表面的に読めば、これは戦争賛美作品のようである。しかし、「私」の態度はいかにも浮ついたものに戯画化されて描かれている。そして、泰然としている夫は、終わり近くで「お前たちには、信仰心が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ」と、「私」の姿勢を批判するような言葉を投げかけている。奥野の解説には、花田清輝らが戦後『日本抵抗文学選』(発行は 1955 年)に「十二月八日」を選んだとある。

 いま、わが国を 77 年前に似た狂った道へ導こうとしている政治家が、平和憲法を変えるために躍起になっている。私たちは表現の自由を駆使して、これに力強く対抗しなければならない。

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