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2018年12月12日水曜日

お悔やみ状を 2 通書く (Wrote Two Letters of Condolence)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭のネリネ。2018 年 12 月 12 日撮影。
Flowers of spider lily in our yard; taken on December 12, 2018.

お悔やみ状を 2 通書く

 お悔やみ状中の亡くなった方がたの思い出を記した部分は、私の目に映り心に残ってきたものという意味で、私の人生の一断面でもある。以下は、きょう発送したお悔やみ状からの引用である。

 T・S 君宛
 ご母堂様には高校生時代に大桑町のお宅でお目にかかって以来つい十年余り前まで、お会いして常に優しく接していただき、友人たちの母上方の中で最も印象深いお方でございました。105 歳と申しますと、石川県では数少ないほどのご高齢でいらっしゃったのではないでしょうか。

 S・K 君夫人宛
 S 君とは、私が石引小学校へ 5 年生の 3 学期に転校してから、6 年生の時と合わせて、1 年あまり同じクラスでした。県下で一、二を争った野球部の名捕手として、ホームベースの後ろから大声で内・外野手を元気づけておられた姿が、いまでも目に浮かびます。中学・高校も同じながら、クラスが一緒になったことはありませんでしたが、長身を生かしてバスケットボール部でご活躍された様子を頼もしく拝見しておりました。ごく近年まで、石引小 6 年生のクラス担任・荒間先生を囲む同窓会のお世話をされ、その会場では、いつも巧みに場を盛り上げて下さっていました。

 お悔やみ状には書かなかった S・K 君の思い出を付け加えておきたい。私が大連から引き揚げてきて、金沢の石引小学校(現・小立野小学校の一つの前身)で彼と同じクラスになった時、彼はすでに「マツ」というあだ名で呼ばれていた。名前に「松」がついているのでもなく、どうして「マツ」なのか不思議だったが、ある時一人の級友が次のように教えてくれた。

 S・K 君は、金沢の近くの松任(まっとう)という地の名物であるあんころ餅が大好きで、級友たちと松任へ行った折に、それを買ってたくさん食べた(かつては北陸線の松任駅において、駅弁スタイルで売っていたので、それを買ったものと思われる)。そこで、「松任のあんころ餅」を縮めた「マツ」が彼のあだ名になったのだと。そういえば、彼はまれに「あんころ」とも呼ばれていたが、彼の旧姓は「あ」で始まっていたので、こちらはそれほど不思議にも思わなかった。二つのあだ名は同じ由来のものだったのである。ちなみに、あんころ餅の老舗「圓八(えんぱち)」の「あんころ餅」昔話がこちらにある。

 上の引用文中にある荒間先生は一昨年亡くなられた。そのことを私は昨年になって知り、S・K 君に電話してお葬式の様子などを聞いた。それが彼と話した最後となった。その電話では、足腰が痛んで歩けないといってはいたが、声はまだ元気そうだったのに、彼の最期は意外に早く、この 12 月に訪れた。

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