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2019年11月30日土曜日

6 年ぶりに「五色浜の子守歌」 ("Goshikihama Lullaby" for the First Time in Six Years)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ツワブキの花。堺市・鳳公園で、2019 年 11 月 23 日撮影。
Flowers of leopard plant; taken on November 23, 2019 at Ōtori Park, Sakai.

6 年ぶりに「五色浜の子守歌」

 私は最近、近辺で開催される歌声喫茶形式の催しに参加することを楽しみの一つにしている。その催しで使われている歌集には、私の小さい頃に母が歌ってっくれた「五色浜の子守歌」は載っていないが、別の子守歌をリクェストする時のコメント欄で、この子守歌に触れてみたいと思った。まず、その子守歌の歌詞をここに記しておく(以前この歌について書いた記事[注 1]では、子守歌の題名を「五色の子守歌」としていたが、「五色」を「五色浜」に、また、歌詞 3 行目の「波にもまれて」となっていたところを「波にゆられて」に修正した。いずれも、下記のビデオに合わせたものである)。
  五色浜の子守歌
ねんねころころ浜の石
ころころころんでどこへゆく
波にゆられて淡路島
かよう千鳥の浜へゆく
わたしもゆきたい夢の島
夢の島には五色浜
珠よりきれいな白い石
星よりきれいな青い石
なけば千鳥がとんでゆく
なかずにゆきましょ夢の島
 リクェスト時のコメントを書く参考までに、この子守歌についての新しい情報があればと思い、インターネット検索をすると、「平成 27 年度淡路島民族芸能フェスティバル」で、合唱団「五色サルビア・エコー」が「五色浜の子守歌・雨・里の秋」の 3 曲を歌ったビデオが YouTube に掲載されているのが見つかった([注 2]、下に埋め込みもしておく。なお、[注 3]のリンク先に上記フェスティバルの全演奏が集められていて、その中の 11 番がこれと同じビデオである)。


合唱を聞いてみると、私の母が歌ってくれたのとは多少メロディーに違いがあるような気がして、母が「変曲」して歌っていたのか、時代と共に変遷したのか、などと思った。

  『八十代万歳!』というブログの著者(ブログでのニックネームは hisako-baaba)が、私と同様に、この歌を母君から聞いて育ったということを書いておられた[注 4]のを 2006 年に読んでいた(その後、2013 年に hisako-baaba さんとの交流を持った。これらの詳細は[注 1]のリンク先後半に記載)ので、その方の感想を聞きたいと思い、同ブログをまた訪れてみた。hisako-baaba さんは目下、夫君が認知症で大変なようだが、ブログは相変わらず精力的に書き続けておられた。

 私は『八十代万歳!』の最新記事のコメント欄に、YouTube 上の「五色浜の子守歌」を聞いてみると、多少違和感を持ったということを書き込んで来て、hisako-baaba さんの答えを楽しみにしていたのだが、その間に彼女の以前の記事[注 4]を再読すると、次のようにあった。
母はこの詞を江戸子守唄の節で歌ってくれました。後にこの詞に曲が付いていたことを知りましたが、流行らなかったので一度聴いた位では覚えられませんでした。
hisako-baaba さんは「五色の子守歌」の原曲を覚えてはおられないのだから、私は彼女にとって回答不能な質問(はっきりとした質問の形にはしなかったが)を書いて来たことになる。

 それでも、hisako-baaba さんは YouTube にある合唱を聞いて、翌々日のブログ記事[注 5](下掲のイメージも同記事にリンクしてある)に次のように書いて下さった。


hisako-baaba さんの今回の記事
多幡達夫さんからこの曲が YouTube にあったとお知らせを頂きました。聞いてみたらなかなかおしゃれな曲でした。
母は歌詞を読んだだけで、曲を知らなかったため、江戸子守唄の節で歌っていたのです。ですからオリジナルの曲は今まで聞いたことがありませんでした。
[…]
しかし、江戸子守唄の曲で歌ってもぴったり合う歌詞なのです。
そうして私の耳に残っているのは、我が家オリジナルの江戸子守唄版なのです。
やはり母の声で聞いた五色浜の子守唄を、大事にしたいと思います。
いつの日か曽孫に歌ってあげたいな。
 これを読み、私は次のようなコメントを書いて来た。
hisako 様のご母堂様が「五色浜の子守歌」を江戸子守歌の節で歌っていらっしゃったことは以前の記事にも書いていらっしゃいましたが、私が一昨日のコメントを書きました時には、そのことをすっかり忘れていました。そのため、「五色サルビア・エコー」版が昔歌われていたのとは変わってはいないだろうかという、hisako 様には不可能なお答えを期待してしまったのでした。それにしても、オリジナルあるいはそれに極めて近い形で、初めてお聞きいただけたのは幸いでした。江戸子守歌版を曽孫様に歌って上げられる日の近いことを祈っております。
 hisako-baaba さんは、その次の日の記事[注 6]にも、以下のように書いておられた。
昨日の子守唄の記事をラジオで語りたくなって急遽まとめていたら発する FM に行くのが遅くなりました。
「子守唄の思い出」を語って三重県の「だんだらぼっち」と鹿児島の「千亀女」と中国の「優しい子供と山の神」を収録しました。
hisako-baaba さんは地域(お住まいは埼玉県)の FM ラジオ局で、語りや民話の収録もしておられるというご活躍ぶりなのである。

 その後、注 1 の記事で触れた朝日新聞への投稿記事[注 7]に掲載されていた楽譜(投稿者の親友の娘さんで、かつ音大出身の方の採譜による)を見ながら YouTube の合唱を聞いてみたところ、ほぼその楽譜通りのように思われ、私の記憶が間違っていたらしい、という結論に達した。

 なおも「五色浜の子守歌」で検索をすると、大阪・北区の居酒屋「グラナダ」のギター演奏者の一人のレパートリーの中に、この子守歌が入っていた[注 8]。


 [注]
  1. T. Tabata, 五色の子守歌, ブログ Ted's Coffeehouse 2 (2013).
  2. 11. 五色浜の子守歌・雨・里の秋, ウェブサイト YouTube (2019).
  3. ウェブページ 淡路島民族芸能フェスティバル:平成 27 年度淡路島民族芸能フェスティバル (2015).
  4. hisako-baaba, 私だけの子守唄, ブログ『八十代万歳!』(2006).
  5. hisako-baaba, 父の子守と 母の子守唄, ブログ『八十代万歳!』(2019).
  6. hisako-baaba, 発する FM で語りました___夫を見舞ったら、拘束と大きいオムツになっていました。, ブログ『八十代万歳!』(2019).
  7. 荒谷富子, 心に残る母の子守歌:どなたかルーツ教えて, 『朝日新聞』(1990.5.9).
  8. ウェブページ ギター生演奏の店・スペイン風居酒屋 グラナダ (最終更新 2019)>演奏者紹介>なかのかつき>レパートリー 一覧 3.

 [追記]歌詞の終わりから 4 行目の先頭が「花」となっていたのを、いずれブログ記事に書く予定の新しい資料によって、「珠」に訂正した。(2019 年 12 月 18 日)

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2019年11月25日月曜日

N・T 氏へのメール -8-:またまた真木君のことなど (Email Messages to N. T. -8-: Further about Kazumi Maki, etc.)

[The main text of this post is in Japanese only.]


イロハモミジの紅葉。2019 年 11 月 21 日、堺・鳳公園で撮影。
Autumn leaves of Japanese maple; taken at Ōtori Park, Sakai, on November 21, 2019.

N・T 氏へのメール -8-:またまた真木君のことなど

2019 年 10 月 14 日
N・T さん

 お宅やその周辺では台風 19 号の影響がなかったとのこと、幸いでした。今日はお誕生日ですか。おめでとうございます。

 真木夫人が学部生として学んだのは旧大阪女子大の生活理学科ですが、大学院は他の大学の方へ進まれたのかもしれません。専門が低温物理学ではなかったとは、初めて知りました。ということは、私の「思い違い」の件は貴殿にはお話してなかったようですね。

 低温物理学というのも思い違いだったとすると、真木君が結婚したことについて書いて来た便りにはどう書いてあったのだろうかと、その便りを探しましたが、見当たりませんでした。真木君の没後間もなくに書いた日本語のブログ記事を見ると(https://ideaisaac2.blogspot.com/search/label/Maki に真木君の名が出る記事、計 8 件がまとまって出ます)、その時にも探して見つからなかったとあります。その記事を見ていて、真木君が髄膜炎にかかったのが 3 年の時と先日書いたのは間違いで、4 年の時だったと気づきましたので、ここに訂正します(英文ブログ上の追悼記事でも、最初に同じ間違いをしていたことが、8 件中の最も古い記事の下部にある注に書いてあります。その時の訂正後も、私の頭の中では修正されていなかったのです。老化現象ですね)。真木夫人を別の人と思い違った話は次回にでも書くことにします。[注 1]

 貴殿の先日のメールに金沢(あるいは石川県)出身の学者名を並べてありましたが、南部陽一郎が金沢あるいは石川県出身という話は聞いたことがありませんでした。そこで、『ウィキペディア』の南部のページを開いてみると、東京生まれで福井市育ちと分かりました。福井県は石川県の隣で、仙台にお住まいの方には、区別がつき難いかも知れません。私が九州出身の人の県名までを覚え難い(たとえ県名が記憶にあっても、地図上での場所が思い浮かび難い)ことと同様かと思います。

 では、素敵なお誕生日パーティーをお楽しみ下さい。

 T・T


2019 年 10 月 15 日
N・T さん

 本日のメールありがとうございました。それに対して返信を書き、送信したところ、メールソフトが珍しくフリーズ状態になり、仕方なくマックを再起動すると、返信が失われてしまいました。今から明日の趣味的な集まりの予習的なことをしますので、本日のメールへの返信は、後日改めてお送りします。

 T・T

 [注]

  1. 次回で分かるように、一連のメール交換は N・T 氏の仕事の関係で急に打ち切ることになり、「真木夫人を別の人と思い違った話」を書くことはこのシリーズでは実現出来なかった。

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2019年11月19日火曜日

N・T 氏へのメール -7-:さらに真木君のことなど (Email Messages to N. T. -7-: More about Kazumi Maki, etc.)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に咲いたサザンカの花。2019 年 11 月 8 日撮影。
A sasanqua flower in my yard; taken on November 8, 2019.

N・T 氏へのメール -7-:さらに真木君のことなど

2019 年 10 月 12 日
N・T さん

 台風19号は国内の各地に大きな被害をもたらしましたが、貴殿のお宅やその周辺はいかがでしたか。お見舞い申し上げます。当地は暴風圏の予報円の端に入ってはいましたが、雨戸を閉めて過ごしていたところ、強風もほとんど感じられない程度でした。

 私の記憶力に驚いていただきましたが、大切なことの記憶が怪しくなっていることを、現役時代から退職後 10 年ほどの計 26 年間続けていた原研の委託調査の仕事の終わり頃に気づいた次第です。個人的なつまらない経験ばかりを多く覚えているようです。真木君の学生時代の発症についてお話ししたことも忘れていました。彼が病気をしたのは 3 年生[注 1]の夏休み後のことで、療養は長期にわたり、翌年春から 3 年生をやり直したため、彼の卒業は私の 1 年あとになりました。病気は髄膜炎(旧名称では脳膜炎)だったと聞きました。髄膜炎といえば、その種類にもよるのでしょうが、言語障害や知能障害などの後遺症を生じる場合もあるようです。しかし、彼の場合、幸い後遺症はなかったばかりか、その後の彼の活躍ぶりからは、発症のため頭がますます冴えたかのように見えたので、「髄膜炎で一層賢くなったようだ」という話を私が作った次第です。

 真木君の奥様は私の妻と同じ大阪女子大(貴殿が東北大へ戻られた後、大阪府立大に統合されました)の出身でした(妻の方が先輩)。真木君が結婚したばかりの時は、彼女も東北大で低温物理学をやっているということを聞いただけだったので、私は別のそれらしい人と勘違いをしたのでした[注 2]。その話を真木君が亡くなった直後のメールに書かなかったでしょうか。もしも、まだお話してなかったならば、早とちりの恥ずかしい話ですが、次回にでも書きます。

 さて、先のメールを書いたときに書こうと思っていた思い出話に移ります。真木君は学部生時代(少なくとも 1、2 年生の時)に京大合唱団に所属していました。私の高校の 2 年先輩で京大工学部に入学後、休学して私と同期になった古谷洋一郎氏も合唱団に入っていました。1 年生の夏休みに、古谷氏の努力で、合唱団の金沢での公演が実施され、私はその公演を聞きに行きました。公演終了後、合唱団にいた真木君始め数人の理学部同期生と語らいながら、私は会場から金沢駅までの約 4 km の夜道を歩いて、彼らを送りました。当時、金沢には市電が走っていましたが(現在はバスに代わっています)、彼らは乗らないで歩くと言ったのです。駅へ着くと金沢から東方面(少なくとも当時は、東京方面へ行くこちらが「下り」と呼ばれていました)へ行く最終列車は出た後で、長野県と埼玉県へ帰省する同期生は「どうしよう」と言い合っていたので、わが家に泊まって貰うことにしました。真木君にも泊まって欲しかったのですが、彼は上り列車がまだあったので帰って行きました。

 上記の古谷洋一郎氏は、父君が金沢大の物理学教授で、洋一郎氏を介して父君の持っておられた Whittaker 著 A Treatise on the Analytical Dynamics of Particles & Rigid Bodies という立派な教科書を 2 年生の間に借りていたことがありました(その後、ペーパーバックで出ていることを知り、懐かしく思って買いましたが、買ってからは読んでいません)。彼は 2 年生の時に私の下宿へ来て話していて、「極低温物理とはどういうものでしょうか」と言い、私が首を傾げていると、「ごーく低温の物理なのでしょうね」などと言っていました(丁重な話し方をする人でした)ので、その後、低温物理学分野へ進んだような気がして、貴殿に彼のことをご存知かお尋ねしたいと思ったのでした。しかし、念のためインターネット検索してみると、彼の名が出て来ました。専門はプラズマ物理学で、ソルボンヌ大教授、岡山大教授(これらの経歴は既知のことです)を経て、同大名誉教授になり、2012 年に 79 歳で亡くなったと分かりました。彼が早くにフランスへ渡ったのは、学部生時代に京大の近くの日仏会館でフランス語を学んでいたことを生かしたのです。——貴殿には関係のない話が長くなりましたが、真木君の思い出を書いたお陰で、お世話になった先輩のその後が分かり、感謝する次第です。

 亡くなったといえば、先日の貴殿のメールにあったシュリーファーは、6 月に 88 歳で亡くなったのですね。Nature 誌の Obituary 欄で一昨日知りました。

 ではまた。

 T・T

 [注]
  1. 実は 4 年生(関西では「4 回生」のようにいうが、ここでは全国的に分かりやすいように「回生」の代わりに「年生」を使っている)の時だった。N・T 氏に対しては、次のメールで訂正した。
  2. N・T 氏からの次のメールで、真木夫人の専門は、低温物理学ではなく、「光、誘電物性」だったと思う、と知らされた。真木君と同じ低温物理学と思ったのは、私の思い込みで、その思い込みが、「別のそれらしい人と勘違い」したことにつながったのだった。

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2019年11月12日火曜日

赤穂への旅 (The Trip to Akō)

[The main text of this post is in Japanese only.]


宿の窓からスケッチした瀬戸内海の眺め。
View of the Seto Inland Sea sketched from the hotel window.

 さる 11 月 5 日、妻と私は赤穂への旅をした。今年 6 月から「かんぽの宿 赤穂」では、宿泊客向けに週 2 回、JR 大阪駅前からの直行バスを運行しているので、往復ともそのバスを利用した。宿の窓からは瀬戸内海が眺められ、翌朝は海面からの日の出も見ることができた。朝食後、スケッチをし(上掲の写真)、宿の近辺の散策もした。

 スケッチには携行に便利な、「ウインザー&ニュートン コットマン・ハーフパン 12色スケッチャーズポケットボックス」という絵具と、ステッドラー ウォーターブラシ(スポイト式に水を軸に吸い込んでおくもの)という絵筆を使ってみた(スケッチブックの用紙は、hot press 細目、F0)。先端の尖ったウォーターブラシ中筆 1 本では空や海を塗るのに不便を感じた。着彩が薄めだったせいか、写真はスケッチの実物と同じ色合いにはなっていない(特に空の部分)。海の中程の 3 カ所に横たわっているのは、牡蠣の養殖場であろう。

 旅行中の写真 6 枚を Facebook にまとめて掲載した。下掲のイメージをクリックすると、拡大版を 1 枚ずつご覧になれる。


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2019年11月3日日曜日

N・T 氏へのメール -6-:G. H. ハーディの本、真木君の思い出など (Email Messages to N. T. -6-: G. H. Hardy's Book, Memories about Kazumi Maki, etc.)

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今年は秋に入っても高温の日々が続いたせいか、キンモクセイの開花が例年よりかなり遅かった。写真はわが家のキンモクセイの花。2019 年 10 月 22 日撮影。
This year, the high temperature days continued even at the beginning of fall, and the blooming of fragrant olive was much later than usual. The photo shows the flowers of fragrant olive in my yard,
taken on October 22, 2019.

N・T 氏へのメール -6-:G. H. ハーディの本、真木君の思い出など

2019 年 10 月 9 日
N・T さん

 G. H. Hardy の A Mathematician's Apology には 1967 年版以降に Snow の Foreword がついているようです。先生のはもっと古い版ですか。Dyson の引用している Hardy の言葉[注 1]はどれかの章のトップにありそうだと思い(「あったはず」と思えるほどには内容を記憶していなくて、読了した本ながら、こういう表現になります)、パラパラと見て行くと、第 10 章のトップでした。

 貴殿は私のウェブサイトに掲載していたエッセイ "Surely You're Joking, Mr. Tabata!" (新しい URL: http://ideaisaac.web.fc2.com/joking01.html#sec2。異動先 http://ideaisaac.web.fc2.com の全体はなお未整理です)をご覧になって、東北大へ招いていただいた折に、その末尾の描写が良かった旨を言って下さいました。そのエッセイ中で Hardy の本に触れていました。エッセイに書いた同窓会に参加するための新幹線の車中で一部を読み、会場へ行くと、高 1 で習った数学の女性の先生が来ておられました。ちょうど良いと思って、読んだばかりの 2 の平方根が無理数である証明にまつわる話をしようとしたら、「難しい話、せんといてたい!」と言われたのでした(「せんといてたい」は「しないで下さい」の金沢弁)。

 L 氏がアメリカでテニュアを取得したとは良かったですね。彼の夫人のことは初めて聞きましたが、ひょっとすると先端研の建物の中で一度ぐらい姿を拝見していたかもしれません。ナターシャという名は『戦争と平和』のヒロインと同じですね。学生君の "ai rabu yu!" には笑わされました[注 2]。

 真木君の思い出の追加を書こうと思いましたが、長くなりそうなので、次の機会にします。 T・T


2019 年 10 月 10 日
N・T さん

 "Surely …" に書いてある同窓会「すみれ会」は、高校全体の関東在住者向けの会で、最近私が参加しているのは同期生だけのものです。私の出身高校の名は「菫台」と書いて「きんだい」と読みます。戦後 10 年間存在しただけで(私は中程の第 5 期生)、その後、金沢商業高校に転換されました。戦前の中等学校時代にも金沢商業学校だったのです。「金商・菫台同窓会」という、縦に長いつながりの会も別にあります。

 一つ先にいただいたメールに関してですが、貴殿や真木君の研究対象にも電子の輸送問題というのがあったのですか。私の専門は 1930 年代頃に発行された Handbuch der Physik 中の一つの巻にある一つの章の題名、"Passage of fast electrons through matter" で表されるもので(私の場合の fast electrons は、その章ではまだほとんど述べられていなかった、運動エネルギーが MeV 領域のもの)、最近ではもっぱら Monte Carlo simulation で解決されている問題です。しかし、かつては実験、あるいは transport equation を解くという理論的方法で扱われたので、同じく「輸送問題」の一種ということになります。

 上のパラグラフを書いていて、ふと、以前先生から「Bethe の論文を引用してありましたね」と言われたことを思い出しました。私の論文別刷りをいくつか差し上げていたようです。その Bethe の論文は、M. E. Rose および L. P. Smith と共著の "The multiple scattering of electrons"(1938)で、他の著者たちが、その後、より正確に扱った multiple scattering の理論よりも広範囲(厚い物質層を含む)の、diffusion に至る話もあって、私には興味深い論文です。なお、Bethe が Segré の編集した Experimental Nuclear Physics の Vol. 2, Part II に J. Ashkin と共著した "Passage of radiations through matter"(特にその "Section 2. Penetration of beta-rays through matter")は、私の仕事にとって最重要な教科書の一つでした。

 さて、以下に真木君の思い出の追加を書きます。学生時代の彼はいつも朝早く登校して前の方の席に陣取り、必ず何か本を広げて読んでいました。試験前に級友同士が分からないところを尋ね合って準備している時、彼はいつも回答役でした。また、休み時間に級友たちが輪になって雑談している折に、彼はよく、話題から連想した言葉を高い声でパッと挟み、自分でも楽しそうに笑っていました。

 いつも教え役だった彼に、私が一つだけ尋ねられた記憶があります。それは 2 年生の夏休みに交換した手紙の中ででした。夏休み前に習っていた代数学のテキスト中にあった「合い続く 3 つの整数の積が 6 の倍数であることを証明せよ」という問題が分からないということでした。私は意外に思い、「合い続く 3 つの整数の中には、2 の倍数と 3 の倍数が必ず含まれる。したがって、その積は 2 および 3 のそれぞれの倍数である。2 と 3 は互いに素であるから、問題の積は 2 と 3 の積である 6 の倍数である」という解答案を知らせました。真木君はそれで納得したようでしたが、のちになって、私の案は説明であって、証明になってはいないのではないかと、ちょっと気になりました。しかし、合い続く 3 つの整数をいくつかの場合に分けて、それぞれ、より小さい一つの整数を使って表し、順次検討して行くという、証明らしい方法はとても面倒に思われます。真木君はそういう方法を試みようとして、困っていたのかも知れません。

 真木君についての思い出をもう一つ書こうとしたら、先生が名前をご存知かどうかをお尋ねしたい別の人のことを一緒に思い出しました。すでにかなり長くなりましたので、次回にします。

 T・T

 [注]
  1. N・T 氏のメールに、Dyson の著書 Maker of Patterns の題名が Hardy の次の言葉から来ていることが書いてあった。
    A mathematician, like a painter or a poet, is a maker of patterns. If his patterns are more permanent than theirs, it is because they are made with ideas.
  2. N・T 氏のメールに、L 氏を彼の研究室の助教授として招いて間もなく、L 氏夫妻の歓迎会をした時のことが記してあった。学生一人ひとりに自己紹介をさせると、ある学生は、"ai ..., ai ..., ai ....」と言いながら次の言葉が出て来ず、あげくの果てに、L 夫人に向かって,"ai rabu yu!" と言ったそうである。

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2019年11月1日金曜日

N・T 氏へのメール -5-:英書のことなど (Email Messages to N. T. -5-: About Books Written in English, etc.)

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わが家の庭のシュウメイギクの花の数がまたまた増えた。2019 年 10 月 20 日撮影。
More and more flowers of Japanese anemone bloomed in my yard; taken on October 20, 2019.

N・T 氏へのメール -5-:英書のことなど

2019 年 10 月 5 日
N・T さん

 「物理学書の英語,英語の物理学書」中の疑問提示について、肯定的なお返事をいただき、ありがとうございました。

 K 先生に電話した話から、無口な私ながら、Freeman Dyson の Disturbing the Universe という本が面白かったことや「"Dirac" とは何の単位かご存知ですか」などということを貴殿にお話したことを思い出しました("Dirac" の話は自分の無口ゆえの話題でした)。

 Dyson の本はその後出た
   Infinite in All Directions (1988)
   Imagined World (The Jerusalem-Harvard Lectures) (1997)
   The Scientist as Rebel (2006)
なども読み、どれも学ばされることが多かったですが、最初に読んだ Disturbing … が最も面白かったような気がしています。歳を取るとともに感激する気持ちが衰えるからでしょうか。

 単位 "Dirac" については、2010 年に G. Farmelo の The Strangest Man: The Hidden Life of Paul Dirac, Quantum Genius (Faber and Faber, London, 2009) を読み始めた頃に英語のブログ記事を書きました。
  https://ideaisaacjoking.blogspot.com/2010/01/unit-dirac.html
読み返してみると、その冒頭に上記の、かつて貴殿(one of my colleagues かつ a competent physicist としてあります)に質問したことが書いてありました。ご笑覧いただければ幸いです。

 私は 1935 年生まれなので、高校生になったのは 68.5 年前の 1951 年 4 月、約 70 年前はよい近似です(先生は何年のお生まれで、何年まで府大にいらっしゃったのでしたか)。駄弁、妄想も歓迎です。楽しみにしています。

 T・T


2019 年 10 月 7 日
N・T さん

 貴殿は私と一回りと 1 歳お若いのですね(これでご年齢を覚えやすくなりました)。貴殿が仙台へ戻られたのは私の定年退職の 1 年前だったのですね。私の名誉教授辞令も山田知事の名です。彼が事件を起こしたのは、その後まもなくの 2 期目の知事選においてでした(いつのことか忘れていたので、『ウィキペディア』で確認しました)。

 From Eros to Gaia をご紹介したのでしたか。Dyson の本は先のメールに書きました以外にも、
 The Sun, the Genome, and the Internet: Tools of Scientific Revolutions (1999)
  The Scientist As Rebel (2006)
 A Many-Colored Glass: Reflections on the Place of Life in the Universe (2010)
 Dreams of Earth and Sky (2015)
も読んでいました。Makers of Patterns はまだ入手もしていませんが、面白そうですね。ハーディといえば、名著の一つと言われている A Mathematician's Apology を以前に読みました。(短いものです。本文の 1/3 強にも上る C. P. Snow の Foreword がついています。)

 Farmelo による Dirac の伝記は分厚過ぎますね。ノーベル賞受賞あたりの話までくると、もう結構という気にさせられます。私は読んでいる途中でいくつもの間違い(主に文献リスト中の誤記など)を見つけて、ツイッター経由で著者に伝えました。そのうちに彼からメールが来て、近く 2nd printing を出すので、もう他に間違いはないだろうかと尋ねられました。まだ読了できていませんでしたが、その後見つけた少数の間違いを伝えたか、もうありませんと答えたか忘れました。実は、その後さらに読み続けると、なお 2、3 の間違いに気づきましたが、もう遅いだろうと思い、知らせませんでした。彼はノースウェスタン大学の理論物理学教授をやめて科学関係のノンフィクション作家になった人です。近くスチーブン・ホーキングの伝記も出版する予定だと、彼の Facebook ページで知りました。

 シュリーファーといえば、バーディーン賞を受賞した私の同期生・真木君が先生の先生でしたね。彼を府大へ講義に招いて下さって、夕食を共にしたのも良い思い出となりました。私は彼と年賀状あるいはクリスマスカードをずっと交換していましたが、卒業後彼に会ったのは、彼が東北大教授になって間もない年の春の物理学会が阪大で開催された折(1968 年だと思います)と、府大へ来てくれた時の 2 度だけでした(カナダへの出張の帰途、アメリカで彼のところへ寄りたいと思いましたが、その頃あいにくヨーロッパへ出かけているという返事だったと思います)。私は大放研での研究による論文博士の取得が 1967 年で、その論文を Phys. Rev. に発表したので、彼はそれをちらりと見てくれていたようです。阪大でひょっこり出会った時、彼は「Phys. Rev. に載っていましたね。中性子の輸送問題でしたか」というようなことを言いました。実は、その論文が扱ったのは電子の後方散乱の実験でしたが、電子が原子核との散乱を繰り返して物質への入射時の方向性をほとんど失った状態を指す "diffusion" の語がアブストラクト中にあったため、中性子の輸送問題を連想したのでしょう。

 先のメールに書き忘れましたが、私も最所フミの『日英語表現辞典』の方だけを、昨年末に買って、時折眺めています。

 では、いずれまた。

 T・T

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