きょう撮影したムクゲの花(記事に無関係)。
13 年前に私が朝日紙への投稿で関わり、 2008 年に旧 Ted's Coffeehouse ブログサイトの記事にもしていた子守歌の題名が、このほど「五色の子守歌」と判明した。その経緯はあとで述べることにして、まず、ウェブ上では消滅してしまった上記の記事を引用する。(角ガッコ内は引用に当たっての追加。)
この記事を掲載した年の 7 月になって、私は同じ子守歌について『七十代万歳!』(現『八十代万歳!』)というブログサイトに、同じ歌についての記事「私だけの子守唄」(2006 年 2 月 15 日付け)を見つけ、コメントを記した。そのブログの著者・中谷久子さんが、私の一昨日のブログ記事のコメント欄に、「古い記事に、コメントを頂いていましたのに、昨日まで気付かなかったことを、記事に書きましたら、お仲間がこちらのブログを教えてくださいました。遅まきながら、5 年前のコメントにお礼申し上げます」と書いて下さった。
中谷さんのブログサイトを訪れてみると、「5 年前に見落としたコメントが——五色の子守唄」という記事があった。中谷さんは、この記事の中で、2006 年の記事への c ちゃんさんという方からのコメントで子守歌の題名が分ったと書いておられた次第である。
c ちゃんさんのコメンによれば、彼女は淡路島の生まれで、以前所属していたコーラスグループで五色の子守歌を歌っていたということである。コメントを書いた前日にも淡路島の五色浜へ行って来て、ブログにこの子守歌の歌詞を書いた縁で、中谷さんの「私だけの子守唄」の記事に気づいたそうだ。
そういえば、歌詞には「淡路島」と「五色浜」の地名がちゃんと詠み込まれている。歌詞をうろ覚えだった私には、「夢の島」という言葉の印象が強くて、架空の海岸が詠まれているように思っていた。
なお、淡路島テレビジョンの「菜の花コンサート」というウェブページ(2010 年 3 月 30 日付け。後日の注:その後リンク切れ)に、五色地域の人たちが所属するコーラスグループ「五色サルビアエコー」が、結成のきっかけとして 1990 年に 90 年ぶりに復活した子守唄、「五色浜の子守唄」を、この「菜の花コンサート」でも歌ったということが書いてあるのを見つけた。
後日の追記:上記「菜の花コンサート」ページの日付け中、年を「2000 年」と誤記していたので訂正した。
ある子守歌
2008年3月12日
以前朝日新聞に、子守歌のルーツを知りたいという、ある婦人[尾道市在住、当時54歳]の投稿があり、それに対して私が、その歌は私の母もよく歌ってくれたという投稿をした。先日、それらの記事の切り抜きを見つけた(1990年5月9、18日、6月1日づけ)。子守歌の歌詞は次の通り。
ねんねころころ浜の石
ころころころんでどこへゆく
波にもまれて淡路島
かよう千鳥の浜へゆく
わたしもゆきたい夢の島
夢の島には五色浜
花よりきれいな白い石
星よりきれいな青い石
なけば千鳥がとんでゆく
なかずにゆきましょ夢の島
投稿者の婦人がこれを歌って、知人に採譜して貰ったという譜面も印刷されていて、母が歌ってくれたのもその通りだったと思った。曲には、歌詞の下4、3両行のところで急に早いテンポになるハイカラさがある。
私自身は歌詞はうろ覚えだったが、兄が小学校3年生で死亡したあとの、私が3、4歳の頃にも、寝床で聞かされたと記憶している。その頃の私は、風邪などでよく寝込んでいたので、夜の就寝前だけでなく、昼間でも、お話の本(国内外の童話を集めた読み聞かせ用の分厚い本が家にあった。小学校へ入る前には、それを自分で読んで楽しんでいた)を読んで貰うとか、歌を歌って貰うことをせがんだのだろう。
この子守歌と一緒によく聞かされたのは、「わたしが女王様になったなら」で始まるオペラ風の歌だった。その歌には台詞も入っていて、何人かの女性がどのように優雅な暮らしをしたいかを歌ったあと、最後の一人が、周囲の人びとに幸せを与えながら、つましい暮らしをしたいと歌う趣向になっていたように覚えている。
私の投稿は、記憶の中で子守歌とこの歌とが不可分のものになっていることを、ルーツ探しの参考になればと思って記したもので、「ルーツが早く明らかになることを祈ります」と結んでいる。
私の投稿と同時に他の2編が掲載されていた。その一つは、母上の生年が私の母と同じ明治35年である婦人からのもので、母上より3歳年下の叔母が亡くなる前に、病院で付き添っていた夜中に歌って聞かせたところ、叔母がそれは『婦人の友』の懸賞歌だったと話してくれたと記している。もう一つは、当時80歳(明治40年生まれ、[海南市在住])の男性の投稿で、小学校で習い、忘れることのできない歌の一つ、と述べている。
最初の投稿者からの礼状が、2週間後に掲載された。その中で、私の書いた「わたしが女王様になったなら」の歌を、子守歌の替え歌と誤解されているのが気になった。
この記事を掲載した年の 7 月になって、私は同じ子守歌について『七十代万歳!』(現『八十代万歳!』)というブログサイトに、同じ歌についての記事「私だけの子守唄」(2006 年 2 月 15 日付け)を見つけ、コメントを記した。そのブログの著者・中谷久子さんが、私の一昨日のブログ記事のコメント欄に、「古い記事に、コメントを頂いていましたのに、昨日まで気付かなかったことを、記事に書きましたら、お仲間がこちらのブログを教えてくださいました。遅まきながら、5 年前のコメントにお礼申し上げます」と書いて下さった。
中谷さんのブログサイトを訪れてみると、「5 年前に見落としたコメントが——五色の子守唄」という記事があった。中谷さんは、この記事の中で、2006 年の記事への c ちゃんさんという方からのコメントで子守歌の題名が分ったと書いておられた次第である。
c ちゃんさんのコメンによれば、彼女は淡路島の生まれで、以前所属していたコーラスグループで五色の子守歌を歌っていたということである。コメントを書いた前日にも淡路島の五色浜へ行って来て、ブログにこの子守歌の歌詞を書いた縁で、中谷さんの「私だけの子守唄」の記事に気づいたそうだ。
そういえば、歌詞には「淡路島」と「五色浜」の地名がちゃんと詠み込まれている。歌詞をうろ覚えだった私には、「夢の島」という言葉の印象が強くて、架空の海岸が詠まれているように思っていた。
なお、淡路島テレビジョンの「菜の花コンサート」というウェブページ(2010 年 3 月 30 日付け。後日の注:その後リンク切れ)に、五色地域の人たちが所属するコーラスグループ「五色サルビアエコー」が、結成のきっかけとして 1990 年に 90 年ぶりに復活した子守唄、「五色浜の子守唄」を、この「菜の花コンサート」でも歌ったということが書いてあるのを見つけた。
後日の追記:上記「菜の花コンサート」ページの日付け中、年を「2000 年」と誤記していたので訂正した。
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