2005年5月18日水曜日

わが恩師の一人がユネスコの記念メダルに



 写真は「ブラック・ティ」という名のバラ。2005年5月15日、
堺市浜寺公園の「ばら庭園」で。

 昨5月17日メディアは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が故湯川秀樹博士の生誕百年である2007年を前に、博士をたたえる「ユネスコ・メダル」を作製し、博士の母校京都大学でスミ夫人(95)に手渡したことを報道した [1-4](ユネスコの文書は [5])。メダルは、夫人が選んだ湯川博士の写真をもとに、ユネスコ親善大使の平山郁夫・東京芸大学長が肖像をデザインしたもので、銀と銅の2種類があるとのことである。ユネスコは物理学者のアインシュタイン、画家のピカソら世界的な功績があった人物や、世界遺産のメダルを作製している。生前、日本委員を務めるなど、ユネスコの活動にも貢献した湯川博士は、日本人として初のユネスコ・メダル登場となった。

 中間子の存在を予言した理論物理学上の功績によって、湯川博士が日本人で初めてのノーベル賞を受賞したのは1949年、私が中学2年生のときだった。私は理論物理学こそ専攻しなかったが、物理学の道を歩むことになったのは、博士のノーベル賞受賞が刺激となっている。私の父は戦前の中等学校の数学教員だった(敗戦前年の1944年に死去)ので、博士のノーベル賞受賞がなければ、私は父と同じ道を歩んでいたであろう。大学も湯川博士に習うことのできるところを選んだのだった。3回生の後期に待望の湯川先生の量子力学の講義を聞くことができた(試験のとき、一つの問題で計算間違いをしたのがたたり、成績は芳しくなかったが)。亡き恩師の一人が、ユネスコの記念メダルの形としても、その優れた功績をたたえられたことは、まことに喜ばしい。


  1. 故湯川博士たたえメダル ユネスコが夫人に贈呈(共同通信)(gooニュース).[その後リンク切れ]

  2. 湯川秀樹博士の肖像、ユネスコメダルに 日本人初 (asahi.com) (メダルの写真入り).[その後リンク切れ]

  3. 故湯川秀樹博士たたえメダル ユネスコ スミ夫人に贈呈 (京都新聞) (湯川博士の銅像の前でメダルを受け取るスミ夫人の写真入り).[その後リンク切れ]

  4. 故湯川博士たたえメダル ユネスコが夫人に贈呈 (Kolnet) (メダルを手にするスミ夫人の写真入り).[その後リンク切れ]

  5. Hideki Yukawa (1907-1981) (UNESCO.ORG) (英文、メダル両面の写真入り).

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 05/18/2005
 ユネスコメダルになるのは日本人初とのことですネ。喜ばしいニュースですね。
 ところで Ted さんのお父さんは旧制中の先生でしたか。とすると親族の方にも教師がおられたり、祖父の代からの教育家系だったりされるのではないですか?

Ted 05/18/2005
 父は農家のあとを継ぐことを嫌って、田舎から金沢へ出て来たのです。母方の祖父は旧満州・奉天の小学校々長や大連の「満人」女学校の校長などを勤めた教育家。母は結婚前に小学校教員、引揚げ後に盲ろう学校教員を勤めました。(父は女学校での教育実習のときに母を見初めたとか。)他に、父方の従姉に小学校教員だったのが一人います。

四方館 05/18/2005
 母上のご実家が。私の小学校の恩師も、その父上、そして恩師のお子さんもと、父子三代が教員をしていると聞いたことがあります。明治の小学校令以後、教育家系がどのような階層の人たちに担われてきたか、些か関心のわく問題です。

Ted 05/18/2005
 父母が就職した頃の任命証書には、氏名の上あるいは肩に平民(父)、士族(母)などと書いてありました。

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