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昨17日、京都市美術館で開催中の展覧会に友人の絵が出品されているのを見に行った。円や渦巻く曲線が人の心をどこかへ優しくいざなうような抽象画2点で、題名は「DAIREN−虚空−(A)−2009」、「DAIREN−虚空−(B)−2009」である。郷里・大連への思いをこめて描き続けて10余年、本展覧会への出品はこれで最後にするそうだ。
美術館を出たあと、南禅寺から哲学の道へと散策した。さらに、京大理学部横の、昔下宿していた辺りを眺め、百万遍まで歩いた。哲学の道は、哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことから、この名がついたといわれている。「思索の小径」と呼ばれていたものが、いつしか、この名で呼ばれるようになり、1972年には正式な名称になたというから、それより10年以上前になる私の学生時代には、どちらの名だっただろうか。桜や紅葉の季節には多くの観光客で賑わうらしいが、いまの季節には人通りも少なく、心地よく歩ける。
南禅寺側から哲学の道に入るとすぐ、左手に1枚目の写真の光景が広がる。屋根が見えている寺は、光雲寺だろう。哲学の道に沿って続く水路(2枚目の写真)は普通、単に「疎水」と呼ばれているが、詳しくは「琵琶湖疎水分線」ということになるようだ。疎水分線は銀閣寺町で哲学の道を出はずれたのち、白川疎水通りに沿って北進している。その脇にも散策によい道が続く(3枚目の写真)。
かつて下宿していた辺りは、家々も建て変わり、当時の面影はとぼしい。下宿時代には滅多に入ってみることのなかった百万遍智恩寺の境内でも写真を撮ってきた(4枚目)。
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