2012年10月15日月曜日

上京 2 (Going to Tokyo -2-)

[Abstract] The reunion of Dalian Reizen Elementary School was held in the Garden Tower building (the high building at the right in the first photo below) of the Hotel New Otani. Number of participants was a little more than 180. Two sheets of papers on which Tadachika Matsumoto's illustrations related to Dalian had been printed were given to the participants (part of the illustrations about our school is reproduced in the second photo below). All of us sang together some songs related to Northeast China as well as the song of our school "Reizen March." (Main text is given in Japanese only.)


 大連嶺前小学校同窓会第 17 回総会が開催されたのは、ホテルニューオータニの鳳凰の間である。同ホテルの建物は、ザ・メイン、ガーデンタワー、ガーデンコートと三つに別れていて、鳳凰の間はガーデンタワー(上の写真の中央の建物)の 5 階にある。受付を済ませたあと、その階の廊下から出られる屋上日本庭園を歩いてみたが、間もなく小雨が降り出し、写真は撮らなかった。

 総会は、1936 年卒から 52 年卒[注]までの 180 余名の参加者が 26 の円形テーブルについて、正午から始まる。私たち 48 年卒は、私を入れて 12 名(うち女子 5 名)が参加した。もう 1 名 M・H 君の名がプログラムの出席者名簿欄にあるものの、出席回答後に亡くなったそうだ。血液透析療法を続けながらも、毎回元気に参加していたのに、残念なことである。

注:同窓会では昭和の年が使用されているが、ここでは西暦に換算した。引き揚げ開始を前にした 46 年秋に廃校となったので、実際に卒業した同窓生は 46 年卒までで、その後の「卒」は「卒業予定」を意味する。


 参加者には会のプログラムのほか、49 年卒・松本忠親氏作成の「好朋友:大連版」(カット集)と「大連市電唱歌:老虎灘街道篇」(絵入り)の 2 枚の刷り物(いずれも A3 サイズ)も配布された。上掲のイメージは、「大連市電唱歌」中の母校に関わる絵をコピーしたものである。

 会の後半にはアトラクションがあり、その一番目は、どこかの大学の OB からなる合唱団の出演。プログラムに「情熱的なバンドネオンの響きにのせて、焼け跡で胸ときめいたあの歌と青春の日々をアゲイン」とある中の「アゲイン」が合唱団名か。

 アトラクションの二番目では、36 年卒 E・N さんのピアノに合わせて、プログラムの最終ページに刷られている「懐かしの満州唱歌・他」を全員で歌った。その部分の司会を務めた女性(副会長で 45 年卒の Y・S さんか)は、一つの歌の一番毎に歌のリーダーを求めてマイクを持ち歩いた。「(満州育ちの)わたしたち」、「こな雪」、「ペチカ」、「たかあしをどり」と歌い進んで、「待ちぼうけ」に移るとき、私の右隣にいた M・K 君が勢いよく手を挙げた。それで、その歌の二番のマイクは私へ回って来た。メロディーをよく知っている歌でよかった。そのプログラムの最後の歌は「今日の日はさようなら」。私の知らなかった歌だが、皆について歌えば歌える。

 次のプログラムは、これも全員による嶺前行進歌斉唱。その歌詞は冒頭部分が上掲のイラストにあるように、「春巒(らん)山の彩霞(あやがすみ)/平和の里に棚引けば」で始まる。二番の歌詞に「浴の人」という言葉がある。老虎灘付近の海で泳いでいる人を表しているが、「浴」を「ゆあみ」と読める卒業生が少ないのか、あるいは、「ゆあみ」といえば温泉に入るようで変だと、ふと思うのか、そこだけ全体の声が小さくなった。

 閉会のことばのあと、卒業年次毎に舞台上で記念写真を撮ってから散会した。48 年卒の有志 7 名は箱根への一泊旅行に向ったが、私は不参加。

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