ページ

2013年2月26日火曜日

写真の個展を見に行く (Solo-Exhibition of Photos)


 上掲の案内ハガキを貰っていたので、初日のきょうの午後、妻と見に出かけた。場所は、わが家の近くのバス停から「光明池駅行き」という、早口言葉まがいのバスで終点まで行き、10分足らず歩いたところの、「文化喫茶 結(ゆい)」と称する喫茶店である。この店は、こちらにも紹介されているように、定年退職した夫妻が、人びとの結びつきの場、そしてまた、高齢化しつつある泉北ニュータウンの憩いの場にと、2006 年に開店し、コンサート、講演会、寄席、展覧会など地域の人が気軽に参加できるいろいろなイベントを開催しているところである。

 写真展は無料だが、コーヒーまたは紅茶(300 円)を注文する必要がある。今回の写真展「四季の情景」の出品者・上田孝さんは、私が地域9条の会で、署名・宣伝行動を共にしている仲間の一人である。春から冬までの各季節に応じた花や生き物や風景の美しい写真が 12 枚あり、繰り返し見て見飽きなかった。異色だったのは、ビルの解体工事場の休日の風景。内部がむき出しになった建物の手前に、コンクリート壁のかけらが多数、あらわになった鉄筋にぶら下がっている。工事期間中の仮の真っ白な塀が写真の下部を横に走っていて、その前を行く二つの小さい人影が美しさをかもし出している。

 英文記事の下の三枚の写真は、光明池駅への帰りに通った新桧尾公園沿いの道で撮った光景で、見たばかりの写真展同様に、安らぎを感じさせる雰囲気だった。


I got an invitation card for a solo-exhibition of photos as shown above. So, my wife and I went to see it in the afternoon of yesterday, i.e., on the first day of the exhibition. The place of the exhibition is a coffee shop called "Culture Coffee Shop Yui." The shop is less than ten minutes' walk from Komyoike Station of Semboku Kosoku Line (the bus destined to this station is called "Komyoike'eki-yuki" in Japanese, a word like a tongue twister). An elderly couple opened the shop in 2006 to make it a place of communication as well as a place of rest in Semboku New Town, where the average age of people were becoming pretty high. There they hold various events such as concerts, lectures, vaudeville, and exhibitions, all of which local people can feel free to join.

The photo exhibition is free of charge, but you need to order a cup of coffee or tea (¥300). The presenter, Mr. Takashi Ueda, of the exhibition of this time, "Scenes of Four Seasons," is one of my comrades for the activity of local Article 9 association. There were twelve pieces of work showing flowers, creatures and landscapes, each typically showing one of four seasons, and I did not get tired to see them repeatedly. One unique photo shows a view, on a holiday, of the demolition site of a building. In front of the building that exposes its interior, many fragments of walls are hanging on steel wires that reinforced concrete walls. A white temporary fence to be used during the demolition work runs from left to right near the bottom of the picture, and two persons going along the fence are seen like little dolls, effectively giving beauty to the work.

Three photos below show the scenery around the way that we took in returning to Komyoike Station. The road is along Shin-Hino'o Park, and made us feel relaxed, similarly to the photo exhibition we had just seen.

2013年2月23日土曜日

白梅、紅梅 (White and Pink Plum Blossoms)


 写真は、ウォーキング・コース脇の白梅と紅梅。2013 年 2 月 22 日撮影。白梅はほぼ満開だが、紅梅の方は、まだツボミが多い。といっても、これは白梅と紅梅一般に通じる話ではない。同じような白梅や紅梅でも、咲く時期は品種によって、ずれているだろうから。

Photos above, taken on February 22, 2013, show white and pink plum blossoms at the side of my way for walking exercise. While white blossoms are almost in full bloom, there are still a lot of buds on the tree of pink blossoms. This may not be said generally for white and pink blossoms because even trees with like colors of blossoms would come into full bloom on different days depending on the variety.

2013年2月22日金曜日

能『井筒』 (Noh Play Izutsu)


 竹西寛子さんの随筆集(文献 1)を読んでいたところ、「世阿弥」と題する文があり、そこには世阿弥作の『井筒』(物語の粗筋などが文献 2 にある)をたいそう褒めてあった。私がこれまでにライブで見た能は、多分これ一つである。伯母(母の兄嫁)が能の師範を取得した記念の舞台に母と招かれ(妻は子育てに忙しく、留守番をしていた)、京都・観世会館で 1970 年 11 月 1 日に見て、なかなか感動したと覚えている。能の中でも格別よい作品を鑑賞させて貰ったのだということが、いま竹西さんの随筆で分った。

 上掲の写真は、そのときに私が撮った拙い出来のものである。伯母がシテを舞い、趣味で鼓をしていた伯父が、舞台向って左の方で鼓を打っている(いずれも、いまは故人)。シテは、前段では里の女(実は紀有常の娘の霊、一枚目の写真)で、後段では有常の娘の夫・在原業平の形見の衣装姿(二枚目の写真)である。

 これらの写真を貼ったアルバムのページには、前段に出て来る短歌「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 生いしけりしな 妹見ざるまに」をローマ字綴りで記し、私の英訳と思えるものも記してある(英文記事中の訳詩を参照されたい)。いま文献 2 を見ると、「昔あなたと遊んでいた幼い日に、井筒と背比べした私の背丈はずっと高くなりましたよ。あなたと会わずに過ごしているうちに」という口語訳がある。こ訳と比べると、訳詩には、意味の少し異なるところがある。訳詩が私のものであれば、伯父が予め書き送ってくれた『井筒』の概要に基づいているかと思うが、昨年まで所在の分っていたその概要書が、残念ながら、いま見当たらない。

文 献
  1. 竹西寛子, 「あはれ」から「もののあはれ」へ (岩波, 2012).
  2. 「井筒 (能)」, ウィキペディア:フリー百科事典 [2012年8月23日 (木) 03:16].

Reading Hiroko Takenishi's collected essays (Ref. 1), I have found a piece entitled "Zeami," in which she highly praises Zeami's work Izutsu. Probably, I have watched only a single live Noh play until now, and it is Izutsu. My mother and I were invited by my aunt-in-law to the performance in memory of her getting the Noh teacher license, held at Kanze Kaikan, Kyoto, on November 1, 1970 (my wife were busy taking care of our little daughters and stayed home). I was quite impressed by that Noh play, and now Takenishi's essay has proved that my impression was a proper one.

Photos above are my poor shots on that occasion. My aunt-in-law played shite (the main role), and my uncle played tsuzumi (Japanese drum) at the left of the stage (both of them now deceased). Shite is a village woman (in fact, the spirit of Ki no Aritsune's daughter) in Part 1 of the play (upper photo) and is in the dress of her husband, Ariwara no Narihira, in Part 2 (lower photo).

Next to these photos in an album of mine, I wrote a tanka "Tsutsu izutsu izutsu ni kakeshi maro ga take oishikerishi na imo mizaruma ni," which appeared in Part 1. There I also wrote an English version of this poem (probably translated by me), "Long ago / I played with you / by the well / putting sleeves on it. / I have now grown taller / while not seeing you." Now, I see the following literal translation of the tanka in Ref. 2: "The wooden frame [of the well]... I was shorter than the frame [when we last compared our heights], but I have outgrown it in your absence." Comparing with this translation, I find that the above English poem includes a little different meaning. Provided that I had made it, the English poem might have been based on the outline of Izutsu my uncle had written and sent me before the day of the performance. I knew where I put the document of the outline until last year but, regrettably, do not find it now.

References
  1. Hiroko Takenishi, 'Aware' kara 'Mono no aware' e (Iwanami, 2012). In Japanese.
  2. Izutsu, Wikipedia: The Free Encyclopedia (April 9, 2012, at 16:59).

2013年2月19日火曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:21. 時間は実際に存在する? 時間とは何? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 21. Does time really exist? What is time?)

Read in English.

同時の相対性:事象 B は、緑色の時空座標では事象 A と同時であるが、青色の時空座標では先に起こっており、赤色の時空座標では後に起こっている。
The original PNG file of the figure was created by Army1987; Acdx converted it to SVG. (GFDL or CC-BY-SA-3.0), via Wikimedia Commons.
 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、時間は実際に存在する? 時間とは何? というもの。アーロンが最初に尋ねた質問は意味が分かりにくかったが、問い直して、こういう質問と分った。回答では、最近、時空が基本的な物理量でないという理論を作る試みのあることにも触れる。[本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2013年2月17日日曜日

2013年1月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of January 2013)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 1 月分への感想を 2013 年 2 月 16 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 映画『レ・ミゼラブル』
 一昨日、妻と…中略…2012 年のイギリスのミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を見に行った。たまたま昨日、フェイスブックの友人が韓国の The Hankyoreh 紙の日本語版オンライ記事「レ・ミゼラブル熱病に罹った韓国社会…:興行成功の秘訣は 'ヒューマニズム'」を紹介して、「ご覧になって感動を覚えられた方、どこに共感されましたか?」との質問を記していた。

 The Hankyoreh 紙の記事は、韓国人が『レ・ミゼラブル』に熱狂する理由について、歴史・文学・音楽の各専門家の意見を聞いている。…中略…私も The Hankyoreh 紙が紹介している三つの因子のいずれによっても、見てよかったという印象を受けたが、最も関心を持ったのは歴史であった。『レ・ミゼラブル』といえば、子ども向けに書き直されたものを幼い頃に読み、冒頭のエピソードが記憶にあっただけである。そして、フランス革命の後になお貧困と不平等が広がっていたことや、それをヴィクトル・ユーゴーが『レ・ミゼラブル』の中で取り上げていたことを、不勉強にして知らなかったので、目を開かされた思いをしたのである。フェイスブックの友人の問いには、次のように答えた。
 私は昨日、『レ・ミゼラブル』を見たところです。チェ教授は1848年の「6月蜂起」…中略…に触れていますが、『レ・ミゼラブル』で描写されているのは、これに似た1832年の June Rebellion です。どちらも、1830年の、いわゆるフランス革命後に、民衆の不満がつのる状況がくり返されていたことを示すものですが…。June Rebellion も政府によって弾圧されてしまいますが、最終の場面で、いずれは民衆が勝利するという希望を抱かせるような歌と映像が続いたことに私は共感しました。
 日本の多くの人の関心も、[イ・ヒョンシク名誉教授が指摘し、記事の題名にも取り上げられているように、]許しや愛といったヒューマニズムに向うかと思います。私のように革命[に関わる歴史]に注目するのは、少数派ではないでしょうか。」
 上記のように述べられている映画『レ・ミゼラブル』の論評を興味深く拝見しました。私は高校時代に映画レ・ミゼラブルを見ました。昔のことで、これを見たときには強く印象に残りましたが、今では記憶が薄れていますので、インターネットで確認しました。やはり映画レ・ミゼラブル三部作(一部ジャン・バルジャン、二部コゼットの恋、三部青年マリウス。1933年、フランス映画)とありました。それから30年後に5分冊からなる文庫本を買い読み始めましたが、その長さと登場人物の多さと関係の複雑さ、物語の詳しさに根負けして最後まで読んでいませんでした。これを機会に飛ばし読みしました。

 ユーゴーはレ・ミゼラブル第四部第一章「歴史」の数ページで「1831 年と 1832 年という、7 月革命に直結する 2 年間は、歴史上最も特異な、最もきわだった時期である。…中略…このめざましい時期は、かなり限定されており、現在ではその主要な輪郭をとらえることができる。これからそれをやってみることにしよう。…中略…7 月革命が過ぎて二十ヶ月しかたたないうちに、せっぱつまった威嚇的な姿で、1832 年がはじまった」(佐藤朔訳 新潮文庫から引用)と語り、せっぱつまった威嚇的状況にいたる歴史的事実や主要人物の評価について熱意をもって自説を展開したのです。

 そして、第十章 1832 年 6 月 5 日 で民衆の蜂起を小説に登場させ、2 節「問題の本質」で「暴動と反乱があり、それは二つの怒りである。ときには反乱は復活である。1832 年の運動は、急激に爆発し、悲壮に消滅したが、そこには多くの偉大さがあり、それを暴動としかみとめない人びとでも、尊敬の気持なしにはそれについて語れないほどである。…中略…物語に入る前に、最後にもう一言だけ言っておきたい。次に物語る事実は、歴史家が時間と余白がないので、ときどきおろそかにする、劇的な生きた現実に属するものである。けれども私は、そこにこそ人間の生命と鼓動と戦慄があると主張したい。細かな事実はいわば大事件の枝葉であり、歴史の遠いところで見えなくなっている。…中略…本当の事柄を描こう。1832 年 6 月 5 日と 6 日の一面だけを、その一挿話だけを、たしかに最も知られていないことだけを、示したいと思う。そしてあの民衆の恐ろしい冒険の真の姿を、読者が垣間見るようにしたいと思う」(同上から引用)と述べています。

 筆者は「私のように革命[に関わる歴史]に注目するのは、少数派ではないでしょうか」と述べていますが、革命に関わる歴史に注目することは、まさにユーゴーの意図したところでしょう。また、筆者のこの気持は、憲法9条の会での若々しさと情熱を注いだ積極的な活動に結びついているものと思われます。

 このミュージカル映画『レ・ミゼラブル』は世界 43 ヵ国、21 ヵ国語で上演され、各国の劇場観客動員数記録を塗り替えるとともに、27 年間という驚異的ロングランと 6 千万人を超える動員数を達成した伝説の大ヒット舞台ミュージカルの映画版だということです。ご夫妻で素晴らしいミュージカルを楽しまれたことと思います。

2. 冬には冬の美1~9

 「この時季にウォーキングの道すがら見つける花といえば、サザンカぐらいのもので、ブログに掲載できるような写真を撮る機会に恵まれない。しかし、冬には冬なりの美もあろうかと、相変わらずカメラ持参でウォーキングに出かけている。そのような気持で撮った写真を、少し古いものから順次紹介することにする」として掲載された、年暮れの日暮れ時の空(第 1 回)、雲間から射し出る太陽光線「レンブラント光」(第 3 回)、薄明の三日月と薄明光線「天使のはしご」(第 7 回)、小雪ちらつく朝まだ明けぬ西空の満月(第 9 回)などの気象現象や、鈴の宮公園の冬景色(第 2 回)、新緑、紅葉のころは色美しいというウォーキングの経路中の八田荘公園の枝ばかりで透けて見える冬の美しい風景(第 5 回)、同じく経路中の何度も写真をとってみたい鈴の宮公園団地内の小径(第 6 回)などの風景に冬なりの美しさを見いだされ、写真をまとめられていることに、ゆとりある生活を感じます。

2013年2月15日金曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:20. ナルトをご存知? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 20. Have You Heard about Naruto?)

Read in English.

日本の漫画『NARUTO—ナルト—』第 1 巻の表紙。
 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、ナルトをご存知ですか? というもの。テッドは、鳴門の渦潮ならば知っているが、アーロンがいっているのは多分これではないだろうと思い、「相対論には関係がないが」といいながら、岸本斉史による日本の漫画作品『NARUTO—ナルト—』についての『ウィキペディア』ページからの引用をする。…[本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2013年2月13日水曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:19. 自然界の全ての力は光と同じ速さで伝わるの? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 19. Do all the forces in nature travel at the same speed as that of light?)

Read in English.

「弱い力」によって、中性子が陽子にベータ崩壊する様子を表す
ファインマン・ダイアグラム。
By Joel Holdsworth (Joelholdsworth) [Public domain], via Wikimedia Commons.

 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、自然界の全ての力は光と同じ速さで伝わるの? というもの。[本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2013年2月11日月曜日

漱石著『それから』中の白百合の品種 (Varieties of White Lilies in Soseki's And Then)

わが家の植木鉢に咲いたテッポウユリ。2009 年 6 月 1 日撮影。
Easter lily (Lilium longiflorum) that bloomed in a flowerpot in my home.
Taken June 1, 2009.

ヤマユリ(写真の出典は英文説明の通り)。
Lilium auratum. By KENPEI (KENPEI's photo) [GFDL, CC-BY-SA-3.0
or CC-BY-SA-2.1-jp], via Wikimedia Commons.

[Abstract] In the journal Tosho, No. 766, p. 20 (2012), the botanist Hirokazu Tsukaya writes an essay about the varieties of white lilies that appear in Soseki's novel And Then. In his graduate student days, Tsukaya proposed that those lilies should be Lilium auratum. In his new essay, however, he revises his earlier proposal and insists that the lilies in Chapter 10 should be Lilium longiflorum and that those in Chapter 14 should be Lilium auratum. Further, he also proposes the possibility that the lilies described as brought by the main character Daisuke to the heroine Michiyo and as remained in her memory when she bought the lilies in Chapter 10 might have been differently recognized by Michiyo and Daisuke as Lilium longiflorum and Lilium auratum, respectively, to symbolize the difference in feeling between the two persons. Having been stimulated by this essay, I read And Then. As for his additional proposal, I do not agree with Tsukaya, because the emotional affair between Daisuke and MIchiyo seems to have happened on the agreement of the two. (Main text is given in Japanese only.) Reading of And Then made me notice that the novella The Star Shining in the Summer Sky I wrote in my senior high school days was much affected by Soseki's style of writing.

 『図書』誌 2012 年 12 月号に、夏目漱石の小説『それから』のクライマックスに登場する「白百合」の品種について考察したエッセイがあった(文献 1)。著者は、植物学者の塚谷裕一(つかや ひろかず)氏である。氏は大学院生のときに、それ以前のテッポウユリ説をくつがえすヤマユリ説を発表し(文献 2)、それが岩波書店の漱石全集(1994 年版)などの注でも採用されて来たという。氏が主張したポイントは、その強い香りが『それから』の白百合が持つべき最大の特徴だということであった。しかしながら、季節の点で、氏はヤマユリ説発表当初から気になっていたので、今回のエッセイで再考することになったものである。

 再検証は、小説中の季節に関わる描写や時間経過、白百合についての描写などを引き合いに出して、詳しく述べられている。ここではその紹介を省くが、「白百合」は、実は第十章と第十四章に、合わせて二回登場している。再検証の結果、登場する「白百合」は、二つの種からなると認めることになったということで、以下のようにまとめられている。
第十章の白百合は、予兆をはらみつつも、まだ純潔を保った状態を示す純白のテッポウユリ。そして第十四章は、明白に純潔の破棄の意思を示すヤマユリ。季節の進行に伴って、ごく自然に「白百合」がその姿を変え、別の種に移り変わるところに、この象徴のポイントがある。
 塚谷氏は最後に、残った謎の指摘をしている。それは主人公・代助が学生時代にヒロイン・三千代を訪問した折に、彼が買って持参したことが三千代の記憶にあったとして登場する百合についてである(『それから』の中では「長い百合」と記されている)。三千代はこの記憶に基づいて、第十章で白百合を買って来たのである。塚谷氏は、「三千代の記憶を重視すれば、これもテッポウユリだったということになるが、代助の選択という観点からすれば、それはヤマユリだったことになる」とし、「あるいは深読みのしすぎかもしれないが」としながらも、「代助はヤマユリを白百合と見ていて、一方、三千代はテッポウユリを白百合と見ているとしたら? そしてそのすれ違いが、一貫して二人の間にあった・あり続けている、としたら」ということを、検討の余地ありと提起している。

 私はこのエッセイに刺激されて、新書判・漱石全集の一冊(岩波、第 7 刷 1979 年;第 1 刷は 1956 年)として蔵書中にありながら未読だった『それから』を読んだ。そして、代助と三千代の精神的な純潔の破棄は、二人の思いが一致してのことであり、白百合の認識の「すれ違い」に象徴的な意味があるのでは、との塚谷氏の説は、必ずしも妥当でないように思った。

 私は、高校 2 年生のときの創作『夏空に輝く星』で、冒頭近くに「道が前方へ延びている。稔の絵の中にも延びている。…中略…向こうにレンガ塀が続き、その手前に茶店がある。稔の絵はその通り写し出している。そこから池の方へ二人連れが歩いて行くが、それは描いてない」という文を書いたとき、漱石の文体を意識的に真似したのだった。このたび、『それから』を読んでみると、その他のところ、たとえば、主人公の思索や心理描写が長く続くところなどでも、当時漱石の作品を愛読した影響がはなはだ大きかったようだと思った。その創作中には、主人公が拾ったヒロインの手帳に、漱石の「倫敦塔」、「カーライル博物館」、「幻影の盾」、「一夜」、「趣味の遺伝」、「坊ちゃん」、「二百十日」、「野分」などについての感想が書いてあった、ということを自分の読書経験から書き込んだのだから、影響が大きかったのは無理もない。

文 献

  1. 塚谷裕一, 白百合再考, 図書 No. 766, p. 20 (2012).
  2. 塚谷裕一, 漱石『それから』の白くない白百合, UP 1998 年 11 月号.

2013年2月9日土曜日

菜の花と月 (Rapeseed and Moon)


 一枚目の写真の菜の花(アブラナ)は、近くの小学校門前の花壇に咲いていたものである(2013 年 2 月 7 日撮影)。菜の花と月といえば、与謝蕪村の句「菜の花や月は東に日は西に」を思い出される方も多いだろうが、二枚目の月の写真は、2 月 5 日に南の空の残月と朝焼けの雲を撮ったもので、東の空に登った月ではない。

 文献 1 に「蕪村の句が詠まれた日付は当時の暦で 3 月 23 日である。当時の暦で二十三日の月というと、ほぼ下弦の半月で、その月の出の時刻は真夜中になり、この句はその日の眼前の風景を詠んだものではない」という主旨の説明がある。そして、「蕪村がこの句を実際にみた情景を思い出して詠んだとすれば、実際にこの情景を目にした日は、グレゴリオ暦の日付で、1774 年 4 月 20~25 日頃」との推定も記されている。

文献 (Reference)
  1. 日刊☆こよみのページ】アーカイブ, 2009/04/09 号

The flowers of rapeseed in the upper photo, taken on February 7, 2013, were blooming in the flower bed in front of the gate of the nearby elementary school. Speaking of the rapeseed and the moon, many people may recall the famous haiku by Yosa Buson, "Nanohana ya / tsuki wa higashi ni / hi wa nishi ni (Flowers of rape / the moon in the east / the sun in the west)." However, the moon in the lower photo, taken on February 5, is not the one rising in the eastern sky, but the one present in the southern sky together with the clouds of the morning glow.

In Ref. 1 above, we see an account like this (in Japanese): "The date when the above haiku was made by Buson was March 23 of the lunar calendar. On the 23rd day of this calendar, we see the waning, half moon rising in the midnight. Thus, it cannot be considered that Buson made this haiku by looking at the real-time scenery." There is also the following estimation: "Provided that Buson had made this haiku by recollecting the real scenery, he should have seen it from the 20th to 25th of April, 1774, in the Gregorian calendar."

2013年2月7日木曜日

ウォーキング途中の不思議 (Wonder Spot on My Way of Walking Exercise)


 私のウォーキング・コースの途中に、一軒の緑青色の屋根の家が見えるところがある。普通はその家のかなり手前で、右へ折れる道(上の一枚目の写真、右手)を取り、家には近づかない。一、二度は、その家の直ぐ前からゆるやかに右折する道をたどったこともあるが、その家がどういう家かをよく見なかった(上の二枚目の写真は、一枚目の写真で右側に写っている歩道を少し先へ進んで撮ったもの)。

 ところが先月の初め、その家の屋根の右端に十字架のあることに、ふと気づいた(英文の下の一枚目の写真)。しゃれた民家だと思っていたが、実は教会だったのである。どうしてそれまで十字架に気づかなかったのか不思議なようだが、上の一、二枚目の写真から分るように、横断歩道標識や電柱や木の枝の陰になっている場合が多かったのである。近くから、もっと教会らしい姿を撮影しようと思ったが、太い電線が何本も邪魔していて、それらを避けると、一番下の写真のような姿しか撮れなかった。(写真は 2013 年 1 月 4、11、13 日に撮影。)

 「たくましく、やさしく、誇りある日本を取り戻します」という道路標識に隠された似而非十字架に、私たちは気づかなければならない。すなわち、上記の言葉を公約に掲げる政党の改憲草案の、空恐ろしいまでの復古調に。


In one of the courses of my walking exercise, there is a place where I see a house with the bluish green roof. There, I usually turn to the right (see the road at the right of the first photo above) without going to the vicinity of that house. Once or twice, I took the road that went to the front of the house and turned slowly to the right, but did not pay much attention to the house (the second photo above was taken a little ahead of the sidewalk seen at the right of the first photo).

However, at the beginning of last month, I happened to notice that there was a cross at the right end of the roof of the house (see the first picture below). What I thought to be a modern residence was actually a church. It may be a little puzzling why I was unaware of the cross for a long time, but the above two photos clearly shows the reason for this. The cross was mostly hidden from view by a crosswalk sign, utility poles or branches of trees. I wanted to take a photo of the church in its proper appearance at its vicinity, but thick electric wires prevented me from getting a satisfying shot. The best one I took is given at the bottom of this post. (The photos were taken on January 4, 11 and 13, 2013.)

We should be aware of fraudulent crosses hidden behind the road sign such as this: "We will restore gentle, strong and respectable Japan," namely, the dreadfulness of the ridiculously anachronistic draft amendment to the constitution made by the political party that holds the above words in its manifesto.

2013年2月5日火曜日

キダチアロエ (Krantz Aloe)


 キダチアロエ(木立ち蘆薈、アロエ科)。2013年2月3日、石津川のほとりで撮影。このところ毎冬、ここに咲くキダチアロエの花を撮影しているが、この冬は花が見頃になるのが遅かったようだ。

 わが家の庭の奥にもこの植物があり、花は咲かないが増えて来たので、小さな一株を陽当たりのよい前庭に移植しておいた。すると、わが家の庭を手入れに来る植木屋さんから、そこに植えたのでは増え過ぎて、他の植物の生長によくないから、植木鉢に植えた方がよいとの助言を受けた。改めて庭の奥を見ると、確かに大変な勢いで増えていたことが分り、前庭に移植したものと合わせて、多くの株を抜き取った。

Krantz aloe; botanical name, Aloe arborescens; family, Aloaceae. The photo was taken on February 3, 2013, at the side of Ishizu River. These years, I have been taking photos of flowers of this plant here every winter. It seems that the flowers were slow to become their best this winter.

This plant has considerably extended its root at the back of my yard, though it has never bloomed yet. So, I took a small part of the root and transplanted it at the sunny front of the yard. Then, the gardener who takes care of my yard advised me that I should put it in a flowerpot because it would grow too extensively to impede the growth of other plants. Looking at the back of my yard again, I found that this plant was certainly growing at a great pace. Thus, I removed much of its root as well as the one transplanted at the front of the yard.

2013年2月3日日曜日

スイセン (Narcissus)


 写真は、わが家の庭に咲いたスイセン。
Narcissus という学名は、ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスに由来する。神話によると、ナルキッソスは、その美しさにさまざまな相手から言い寄られたものの、高慢にはねつけ恨みを買った。ついには、そんな彼への呪いを聞き入れた復讐の女神ネメシスにより、水鏡に映った自分自身に恋してしまった。水面の中の像は、ナルキッソスの想いに決して応えることはなく、彼はそのまま憔悴して死ぬ。そして、その体は水辺でうつむきがちに咲くスイセンに変わった。だからこそスイセンは水辺であたかも自分の姿を覗き込むかのように咲くのである。——「スイセン属」、ウィキペディア:フリー百科事典[2012年12月26日 (水) 20:10](一部不要と思われる語句を削除した)。

ニンペたちは焚屍堆を用意して彼の死体を焼きたいと思いましたけれども、何処にも、死体が見つかりませんでした。ただ彼が水に落ちたところに、白い笹縁を取り廻らした内紫の花がありましたから、その花にナルキッソス、すなわち水仙という名をつけて、その人の記念といたしました。——ブルフィンチ作、野上弥生子訳『ギリシア・ローマ神話』上、p. 134(岩波文庫、1953)。
 同じ『ウィキペディア』でも、記述は日本語版と英語版で異なる。また、同じ『ギリシア・ローマ神話』でも、著者によって、例えば、ナルキッソスの死体の記述が異なる。(下記の英文参照。)

The photo above shows flowers of narcissus in my yard.
The derivation of the Latin narcissus (from the ancient Greek νάρκισσος) is unknown. It may be a loanword from another language. It is frequently linked to the Greek myth of Narcissus, who became so obsessed with his own reflection that as he knelt and gazed into a pool of water, he fell into the water and drowned. In some variations, he died of starvation and thirst. In both versions, the narcissus plant sprang from where he died. However, there is no evidence for this popular derivation, and the person's name may have come from the flower's name. Pliny wrote that the plant was named for its narcotic properties (ναρκάω narkao, "I grow numb" in Greek). Again, this explanation lacks any real proof and is largely discredited. — "Narcissus (plant)," Wikipedia: The free encyclopedia (30 January 2013 at 01:41).

[...] but the gods of Olympus gazed compassionately down upon the beautiful corpse, and changed it into a flower bearing the youth's name, which has ever since flourished beside quiet pools, wherein its pale image is clearly reflected. — H. A. Guerber, "The Myths of Greece and Rome," (Dover, 1993) p. 98.

2013年2月1日金曜日

ソシンロウバイ (Wintersweet)


 1 枚目の写真は、わが家の植木鉢に咲いたソシンロウバイ(素心蝋梅)の花。2013年 1 月 23 日撮影。ロウバイの基本種は、花の中心部が暗紫色だということだ。ウォーキング・コース途中の一軒の家の前庭に、やや大きなロウバイの木があるので、その花を見上げて中を覗いてみた。しかし、それも花全体が黄色のソシンロウバイだった(2 枚目の写真、1 月 30 日撮影)。

日本語で読んでいる方へのお知らせ (Notice for readers in Japanese) 昨年 11 月に、"Ted's Archives" というブログ・サイトも設けました。目下、旧 Ted's Coffeehouse サイトに連載していた、友人 Sam(仮名)との高校時代の交換日記の残りを連載しています。本サイトと合わせてご愛読いただければ幸いです。


The upper photo, taken on January 23, 2013, shows the blossoms of wintersweet (Chimonanthus praecox f. concolor) that bloomed in a flowerpot of my home. We hear that the central part of the blossom of the basic species of wintersweet is dark purple, and I saw a pretty tall wintersweet tree in the front yard of a house on my way of walking exercise. So, I looked up the inside of the blossoms of that tree and found that those blossoms were also Chimonanthus praecox f. concolor with a yellow central portion (the lower photo, taken January 30).