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2013年9月9日月曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


タマスダレ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Fairy lily. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3

 本シリーズの第 2 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第二章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見た。今回も、「非人情」の言葉を作中で検索しながら、第三章以下での関わりを見て行きたい。

 第三章で、主人公は静かな宿に泊まり、不思議な一夜を経験する。その途中で、「非人情」を目指しながらも修行が足りないという思いが、次のように述べられている。
どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。

 第四章では、主人公が翌日目覚めて宿の造作を観察する場面で、「非人情」が出て来る。
家は随分広いが、[…]。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。〆た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉(た)てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。

 次に「非人情」が登場するのは、章が少し飛んで、第九章なので、途中の章の概要を記しておく必要があるだろう。第四章で、髪を銀杏返しに結った「ただの女とは違う」宿の若い奥さん(ヒロインの那美)が登場し、主人公と語り合う。第五章で、主人公は床屋へ出かけ、そこの親方から那美についての情報を仕入れる。

 第六章で主人公は、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している」という境地になっていて、その境地を絵に出来ないかという考察をする。「非人情」の語は使われていないものの、ここは「非人情」の芸術論であり、少し詳しく見ておく必要がある。(つづく)

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