2013年9月11日水曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -4-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ランタナ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Lantana. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4

 本シリーズの第 3 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第四章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見るとともに、第九章までの粗筋をたどり始めた。そして第六章には、「非人情」の語は使われていないものの、「非人情」の芸術論が展開されており、少し詳しく見ておく必要があると述べた。

 第一章で「非人情」の語が初登場したときには、「淵明、王維の詩境」をその手本に挙げていたが、第六章では、主人公が専門とする絵画から考察が始まり、三種類の絵が述べられる。第一種は、「ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として」描いたもので、「感じはなくても物さえあれば出来る」。第二種は、「[人事風光]をわが審美眼に漉過して」描いたもので、「物と感じと両立すれば出来る」。そして、第三種は、主人公がいま描きたいと思っている種類の絵で、「あるものはただ心持ちで」、この心持ちを「具体を藉(か)りて、人の合点するように髣髴(ほうふつ)せしめ」ようとするものである。

 「心持ちを絵にする」といえば、「非人情」の正反対のようであるが、この分類の前に述べられている主人公の心持ちのあり方が「非人情」なのである。すなわち、「わが、唐木(からき)の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡の状態」、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞(おそれ)を含んではおらぬ」という境地である。

 主人公にとって、この境地を絵として実現することは難しく、「こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である」、「多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう」と考える。これは抽象絵画を指しているかのようである。

 『草枕』の発表されたのは 1906 年であり、狭義の抽象絵画はカンディンスキーによって、1910 年代前半に始められたとされ、また、広義には、ピカソのキュビスムから始まったと見られ、その出発点は、1907 年秋に描き上げられた『アビニヨンの娘たち』である。これを考えると、ここには漱石の芸術に対する炯眼ぶりが現れているといえそうである。ただし、主人公が「何らの手段かで」と考えたのは、次のパラグラフを見ると、絵画以外の手段と分り、炯眼ぶりといっても、抽象絵画出現の予想までには至っていなくて、「抽象的な興趣を画にしようとする」欲求の段階にとどまっている。(つづく)

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