2014年9月5日金曜日

J・M 君へ:ウォッチャンのこと (To J. M: About "Watchan")

[The main text of this post is in Japanese only.]


「かんぽの宿岐阜羽島」の部屋からの風景。2014 年 8 月 29 日描く。
View from the room of Kampo Hotel Gifuhashima, drawn on August 29, 2014.

J・M 君へ:ウォッチャンのこと

2014 年 8 月 26 日

M 君

 本日の興味深いメール拝受。

 昨晩ふと、岐阜羽島の「かんぽの宿」に一泊して津市の三重県立美術館で開催中の中澤弘光展などを見に行こうと思い立ちました。幸い、宿はまだ空室があり、予約できました。列車の時間等を調べていたところ、貴君へ十分な返信を書く時間がなくなりました。明日も地域の9条の会の世話人会議や旅の準備などあって、書けないかと思いますので、旅から帰ってから、ゆっくり書くことにします。

 では。

 T・T


2014 年 8 月 27 日

M 君

 昨夜も夜中に目覚めて、貴君のメールにあった中学 2 年生のときの新聞部の集合写真のことを思い出し、思い出が次々に広がりました(昔のことの記憶がよすぎるのも善し悪しです)。そのごく一部を、とりあえず書きます。

 上記写真中の女生徒は、1年上の M・Y さんと1年下の Y・K さんだけだったと思います。M さんは小立野の美容院の娘さんです。私たちと同期に H・S 君(石引小の遊撃手、紫中でも野球部にいたと思います)というのがいて、彼の家は、その美容院の隣の時計屋でした。それで、 H 君は Y さんから「ウォッチャン」と親しく呼ばれていると、U 君が冷やかしていました(U、S 両君と私は小学校 6 年のときも、中学 2 年のときも同じクラスでした)。

 当時はなぜ S 君が「ウォッチャン」なのか気にしていませんでしたが(「坊ちゃん」の訛りだろうぐらいに思っていたようです。小学校以来の友人仲間が彼を呼ぶあだ名は「ナベ」でした。野球を始めたばかりの頃、鍋を逆さにしたような野球帽を被っていたということからついたあだ名だそうです)、昨夜ふと、時計屋は watch を扱っていて、そこの坊ちゃんだから「ウォッチャン」になったのだろう、Y さんがつけたのならば、彼女はなかなかの wit の持ち主だったのだ、と思いました。

 ウォッチャンは北陸放送のカメラマンになり、われわれがまだ 40 代のときの石引小の同級会の折には、アメリカ出張での見聞などを鋭い観察を交えて話してくれました。それで、石引小の男子同級生中では、いまや私と最も話の合う人物になったと思っていました(女子同級生も加えると、もっと話の合う人がいます。貴君宛にまだ書いたことがなかったようでしたら、また別の機会にでも)。しかし、ウォッチャンは早く病死してしまったそうで、これもまことに残念なことです。

 Y・K さん関連の男性のことも思い出しましたが、次回にします。

 ではしばらく、ごきげんよう。

 T・T

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