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上から、玉泉園の西庭、織部型隠れ切支丹灯籠(全体を十字架に見立て、下部に聖母マリア像が刻まれている)、筒胴(ずんどう)型飾り手水鉢、水芭蕉群生地。
Views of Gyokusen-en Garden, Kanazawa, and its ornaments.
金沢での 2 日目には、ホテルで午前 10 時半頃までゆっくりしてから、金沢駅東口を出発する「兼六園シャトル」を利用した。このバスの料金は、土・日・祝日は半額で、当日は幸い、たまたま土曜日だった。7 番目の停留所「兼六園下・金沢城(観光物産館前)」で下車し、観光物産館で土産物を物色した後、兼六坂を隔てて兼六園と並ぶ玉泉園へ向かう。同園に隣接する「かなざわ玉泉邸」での昼食を予約していたので、入園料は不要である。
玉泉園は、加賀前田藩の重臣・脇田家の庭園として、約 100 年を費やして完成したという。その名は、加賀藩二代藩主夫人「玉泉院」に由来し、幻の様式とされる「玉澗(ぎょくかん)流」 の築庭による、由緒正しい金沢の名勝である。
上掲の写真は、いずれも玉泉園の入り口近くで撮ったもので、次回以降にも掲載する写真の場所の、園内での位置は、ウェブページ「玉泉園の見どころ」の最下部にある地図で知ることができる。その地図内の番号または地図の右にある名称をクリックすると、写真と詳細説明を見ることもできる(番号 4 は、地図のすぐ上に写真があるので、リンクが張られていない。同一ページ内でもリンクする手はあるのだが、ウェブページ作成者は、その必要がないと思ったのだろう)。ただし、それらの写真を見て貰うと、私の写真の拙さがバレることになる。(つづく)
玉泉園は、加賀前田藩の重臣・脇田家の庭園として、約 100 年を費やして完成したという。その名は、加賀藩二代藩主夫人「玉泉院」に由来し、幻の様式とされる「玉澗(ぎょくかん)流」 の築庭による、由緒正しい金沢の名勝である。
上掲の写真は、いずれも玉泉園の入り口近くで撮ったもので、次回以降にも掲載する写真の場所の、園内での位置は、ウェブページ「玉泉園の見どころ」の最下部にある地図で知ることができる。その地図内の番号または地図の右にある名称をクリックすると、写真と詳細説明を見ることもできる(番号 4 は、地図のすぐ上に写真があるので、リンクが張られていない。同一ページ内でもリンクする手はあるのだが、ウェブページ作成者は、その必要がないと思ったのだろう)。ただし、それらの写真を見て貰うと、私の写真の拙さがバレることになる。(つづく)
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