昨日の湯川会例会後の 2 次会で、私が故真木和美君のことにふれたとき、同会顧問の斎藤さんが、日本物理学会誌2月号に彼の追悼文 [1] が載っていたといってくれた。私は最近の同誌の追悼記事を毎号チェックしていたのだが、2 月号は 2008 年ノーベル物理学賞についての特別企画 [2] が掲載されていたので、それに気を取られて見落としていた。
追悼文には、著者・高山一氏(東大名誉教授)が博士課程 1 年のときに東北大学真木研究室へ内地留学した経験を記したところがあり、そこに真木君の真骨頂がよく表されている。高山氏が調べる問題について少し計算が進んだところで報告に行くと、真木君はしばらく考えてから黒板で計算を始める。高山氏はそれを写し取るのだが、理解するのに一両日を要することが何度もあったという。また、真木君の発表論文の、実験研究者も含む共著者数が 100 名を大きく越えていることも、彼の「たぐいまれな能力」を示すものとして述べられている。文には、晩年の真木君のおだやかな笑顔の写真が添えられている。
後日の追記:私は不勉強で知らなかったが、かつての私の勤務先、大阪府立大学において 2009 年 1 月 21、22 の両日、「異方的超伝導と渦糸物理~真木和美先生をしのんで~」と題する講演会が、日本物理学会大阪支部と大阪府立大学ナノ科学・材料研究センターの共催で行われた。
追悼文には、著者・高山一氏(東大名誉教授)が博士課程 1 年のときに東北大学真木研究室へ内地留学した経験を記したところがあり、そこに真木君の真骨頂がよく表されている。高山氏が調べる問題について少し計算が進んだところで報告に行くと、真木君はしばらく考えてから黒板で計算を始める。高山氏はそれを写し取るのだが、理解するのに一両日を要することが何度もあったという。また、真木君の発表論文の、実験研究者も含む共著者数が 100 名を大きく越えていることも、彼の「たぐいまれな能力」を示すものとして述べられている。文には、晩年の真木君のおだやかな笑顔の写真が添えられている。
- 高山一, 真木和美先生を偲んで, 日本物理学会誌 Vol. 64, p. 135 (2009).
- 菅原寛孝ほか, 特別企画「南部陽一郎、小林誠、益川敏英 3 博士ノーベル物理学賞受賞記念」ibid. p. 73 (2009).
後日の追記:私は不勉強で知らなかったが、かつての私の勤務先、大阪府立大学において 2009 年 1 月 21、22 の両日、「異方的超伝導と渦糸物理~真木和美先生をしのんで~」と題する講演会が、日本物理学会大阪支部と大阪府立大学ナノ科学・材料研究センターの共催で行われた。