岩波書店の宣伝誌『図書』に、多摩美術大学の平出隆氏が「遊歩のグラフィスム」というエッセイを連載している。11 月号の「一冊きり 一通きり」と題する文では、プリニウスのことば「一行なしに一日なし」から始めて、氏の「毎日、必ず、唯一通の便りを書かなければならない」あるいは「毎日、必ず、唯一通の便りしか書いてはいけない」計画を紹介している。この計画は、氏が今年から年賀状を廃して取り組むことにしたものだそうであり、この季節にふさわしい話題である。
平出氏は、その取り組みについて、
それはよいとして、平出氏がその文の初めの方において、
私はこれまで、格言はより一般的内容のものであり、箴言は禁止的内容を主とするもののように思っていた。そこで、『広辞苑』と『新明解国語辞典』にあたってみる。
広辞苑:
「いましめ」の一つの意味は、「禁止すること。禁制」(『広辞苑』)であるから、箴言のみに「いましめ」の語を出している『新明解国語辞典』の説明は、私の理解に一致する。他方、『広辞苑』の説明では、「箴言」の方に「格言・教訓・道徳訓を含む」という幅広さがあり、これは私の理解の逆を行くものである。
格言には日常よくお目にかかるが、これが箴言だ、というものには、あまりお目にかからない。『新明解国語辞典』の(2)で述べられている、箴言が格言の漢語的表現ということからすれば、現代において箴言ということばの登場機会が減っていて不思議ではない。しかし、同辞典の【箴言】(1)と【格言】のニュアンスの違いが実在しながら、なお箴言にあまりお目にかからないとすれば、平出氏のいう「流通に耐える」ものと、そうでないものという相違が、あたっているのかも知れない。
コメント(最初の掲載サイトから転載)J 11/26/2004 10:30
わたしも、旧約聖書の箴言をイメージしていました。確かに、口をついて出る言葉は、一般的には少ないですね。
話は、それますが「目には目を歯には歯を」は、よく使われていますね。しかも間違った意味で。
Y 11/26/2004 11:37
こんにちは。一日一通の手紙はよいし、私もそういう形で人を大切にしているつもりですが、「格言」というものには興味がないんですね。そういうのにとびついて自分の道にするほど、甘い人生を生きていないというか、私は今はずっと、本が読めない状態(病状)ですが、今まで読んできた本は、学術書も大いに含めて参考にしていて、人にわかりやすく伝えもしますが、一番頼っている、信頼しているのは自分自身の人間性、自分の体験から得てきた言葉(経験知)ですから。
ですから、「格言」が「流通に耐える」というのも、ひどく一般的な話で、私には当てはまらないなー、と傍観しますね。なんとなく、この「格言」という、到底到達できていないココに飛びつきなさい的な言葉に引っかかるんですね、率直に言って。私なら、重要な言葉、文章は、どの文献のどこからでも、自分の力で見つけてきます、流通なんか待っていないで。「箴言」は、旧約聖書等でのいましめの言葉のことを言っているのでしょうから、それはいいんじゃないでしょうか。
本当の生きる指針になる言葉は、もっと地味に誠実に、人間が人間に対して書く言葉として、この世界のいろんなところで綴られていると思いますよ。短いからいいってものではないです。
Ted 11/26/2004 16:41
J さん、Y さん、
コメントありがとう。皆さん、旧約聖書をよくご存知ですね。私は「創世記」ぐらいしか読んでいない、この方面の不勉強者で、「箴言」の語を見ても、旧約聖書を思い浮かべられませんでした。
格言についても、常識として知っておこうか、という程度の関心で、自分の好きな格言があるわけではありません。Y さんのいわれる「重要な言葉、文章は、どの文献のどこからでも、自分の力で見つけてきます」に同感です。岩波書店から 2002 年に、岩波文庫に出典を持つ『世界名言集』が出版され、何かのときにあれば便利かと思って買いはしましたが、自分に本当に役立つ名言集は、自分が読んだ本の中で共感したことばをノートに書き留めて作るべきだと思っています。若いときにはそのようなノートを作っていました。最近は科学に関する英書を多く読むので、人生にかかわる名言には、あまり出会いません。
平出氏は、その取り組みについて、
方々に散っていくだろう私の便りは、一通ずつを拾いなおしていけば私の生きた時間の連続的な形象となる。と記している。賀状に代えてこのような便りをしたためるのは、魅力あることではあるが、デジタル人間になった私には、到底真似ができそうにない。
それはよいとして、平出氏がその文の初めの方において、
現代の日本語でいう「格言」と「箴言」とでは、微妙な、そして決定的なニュアンスのちがいがあるように思える。として述べている両者のちがいについて、私は納得できない思いがした。氏は、格言には「メッセージの性質が濃く保たれており、明快な意味は流通に耐える」のに対して、箴言は「飛躍をふくんでいて、説明不能の言切りにこそ、その本質的な魅力がひそむ」とする。
私はこれまで、格言はより一般的内容のものであり、箴言は禁止的内容を主とするもののように思っていた。そこで、『広辞苑』と『新明解国語辞典』にあたってみる。
広辞苑:
【格言】深い経験を踏まえ、簡潔に表現したいましめの言葉。金言。箴言。新明解国語辞典:
【箴言】(1)いましめとなる短い句。格言。(2)旧約聖書中の一書。格言・教訓・道徳訓を多く含む。ソロモンの箴言。
【格言】人間の生き方を端的に言い表した個人の言葉。「時は金なり」など。これらの説明からは、「ソロモンの」につくのは箴言であり、格言ではないこと、また、単に箴言といって「ソロモンの箴言」を意味することがある、ということは分かる。しかし、『広辞苑』では、格言と箴言にニュアンスのちがいがあるとは受け取れない。
【箴言】(1)いましめの言葉。「ソロモンの——」(2)「格言・金言」の意の漢語的表現。
「いましめ」の一つの意味は、「禁止すること。禁制」(『広辞苑』)であるから、箴言のみに「いましめ」の語を出している『新明解国語辞典』の説明は、私の理解に一致する。他方、『広辞苑』の説明では、「箴言」の方に「格言・教訓・道徳訓を含む」という幅広さがあり、これは私の理解の逆を行くものである。
格言には日常よくお目にかかるが、これが箴言だ、というものには、あまりお目にかからない。『新明解国語辞典』の(2)で述べられている、箴言が格言の漢語的表現ということからすれば、現代において箴言ということばの登場機会が減っていて不思議ではない。しかし、同辞典の【箴言】(1)と【格言】のニュアンスの違いが実在しながら、なお箴言にあまりお目にかからないとすれば、平出氏のいう「流通に耐える」ものと、そうでないものという相違が、あたっているのかも知れない。
コメント(最初の掲載サイトから転載)J 11/26/2004 10:30
わたしも、旧約聖書の箴言をイメージしていました。確かに、口をついて出る言葉は、一般的には少ないですね。
話は、それますが「目には目を歯には歯を」は、よく使われていますね。しかも間違った意味で。
Y 11/26/2004 11:37
こんにちは。一日一通の手紙はよいし、私もそういう形で人を大切にしているつもりですが、「格言」というものには興味がないんですね。そういうのにとびついて自分の道にするほど、甘い人生を生きていないというか、私は今はずっと、本が読めない状態(病状)ですが、今まで読んできた本は、学術書も大いに含めて参考にしていて、人にわかりやすく伝えもしますが、一番頼っている、信頼しているのは自分自身の人間性、自分の体験から得てきた言葉(経験知)ですから。
ですから、「格言」が「流通に耐える」というのも、ひどく一般的な話で、私には当てはまらないなー、と傍観しますね。なんとなく、この「格言」という、到底到達できていないココに飛びつきなさい的な言葉に引っかかるんですね、率直に言って。私なら、重要な言葉、文章は、どの文献のどこからでも、自分の力で見つけてきます、流通なんか待っていないで。「箴言」は、旧約聖書等でのいましめの言葉のことを言っているのでしょうから、それはいいんじゃないでしょうか。
本当の生きる指針になる言葉は、もっと地味に誠実に、人間が人間に対して書く言葉として、この世界のいろんなところで綴られていると思いますよ。短いからいいってものではないです。
Ted 11/26/2004 16:41
J さん、Y さん、
コメントありがとう。皆さん、旧約聖書をよくご存知ですね。私は「創世記」ぐらいしか読んでいない、この方面の不勉強者で、「箴言」の語を見ても、旧約聖書を思い浮かべられませんでした。
格言についても、常識として知っておこうか、という程度の関心で、自分の好きな格言があるわけではありません。Y さんのいわれる「重要な言葉、文章は、どの文献のどこからでも、自分の力で見つけてきます」に同感です。岩波書店から 2002 年に、岩波文庫に出典を持つ『世界名言集』が出版され、何かのときにあれば便利かと思って買いはしましたが、自分に本当に役立つ名言集は、自分が読んだ本の中で共感したことばをノートに書き留めて作るべきだと思っています。若いときにはそのようなノートを作っていました。最近は科学に関する英書を多く読むので、人生にかかわる名言には、あまり出会いません。
0 件のコメント:
コメントを投稿