2009年8月31日月曜日

湯川をモデルにした小説 3 (The Novel Modeled on Yukawa 3)

 『山頂の椅子』の著者、澤野久雄について記した『ウィキペディア』のページの「湯川秀樹夫妻との確執」の項には、二つの文献 [1, 2] が引用してある。しかし、湯川会のM氏がこれらの文献にあたってみたところ、『山頂の椅子』が雑誌『新潮』に掲載された直後の記事 [1] からの引用はなく、すべて [2] からの引用だそうだ。M氏は [1] の掲載誌を古書店で入手したとのことで、そのコピーを送って貰った。[1] の冒頭に記されている『山頂の椅子』への湯川のコメントは次の通りである。

 「ぼくは読んでないんだよ。だけど家内は読んだらしく、知り合いからもいろいろいわれてね。その話やと、ひどいことになているらしいね。
 そりゃ、小説家はフィクション考えられるのが仕事やから、仕方ないと思ってますよ。しかし世間じゃどうも、あの小説は、ぼくがモデルだと思われているらしいし……とにかく大いに迷惑やな」

 記事の終わりのほうにも湯川のコメントが記されている。「小説家は違う世界の人間やと思っている」「世間の人が、あの小説を読んだからといって、[ぼくを]軽蔑することはないやろ」との感想のあと、スミ夫人もモデルにされているととれることへの質問に対して、次のように述べている。

 「あの小説は、ぼくより家内のほうがひどく書かれているらしいね。だけど、ぼくらは、たいへん仲よくしていますよ。ただ、ぼくのことは割合知られているが、家内のことは比較的知られていないから気の毒や思う。小説の家内と実際の家内は非常に違う。とにかく、大いに迷惑やけど、忘れるよりしょうがないね」

 以上の発言を見る限り、『ウィキペディア』にある「湯川を激怒させた」との表現はあてはまらないように思われる。[1] は「スミ夫人はきわめて冷静である」として、夫人の感想も次の通り伝えている。

 「ある方から『雑誌にでているから』といわれまして読んだんですよ。ウチのこととはあまりに違いますから、別にどうということはございません。
 秀樹さんの成績のことでも、澤野さんはよくなかったといわれたんですが、調べたら成績はよかったわけですし*……。とにかく、全然違うんですよ。ノーベル賞になったのだって、アメリカに五年間いたときのことですから**、私たち問題にしておりませんのですよ」
 引用者注:
* 澤野が『旅人』の執筆協力をしていたときの、湯川夫妻との意見の相違を指す。これに似た記述が『山頂の椅子』にもある。
** 『山頂の椅子』の主人公がZ賞受賞を知らされるのは、京都の大学においてとなっており、在米中にノーベル賞受賞を知らされた湯川の場合と異なることを指す。

 このように、湯川夫妻は、小説は事実とは異なるという意味の、当然の受け止め方をした上で、湯川自身は「大いに迷惑」という言葉を繰り返している。これならば、私の『山頂の椅子』読後感とあまり異なってはいなくて、うなずけるのである。[1] の最後には、作者・澤野の弁が記されている。

 「書き出しの短いセンテンス、あれが作品のテーマの要約です。ぼくは、ああいう特殊な立場に置かれた——決して自ら欲してでなく——突然置かれた人間を書きたかった。その人間がどう変っていくか、というプロセスに興味をもった。
 ……(中略)……
 ぼくの書きたかったことは、繰り返しますが、すぐれた人間が特定の場所に置かれたことによって、だんだん孤独になっていく、その過程の悲しさです。だから、主人公に愛情と同情をもっているんだな。湯川さんのことをいえば、湯川さんは天堂のような人では全くない——」

 主人公・天堂と湯川が作者自身のいう通り全く異なるのであれば、天堂に対して、湯川に似た環境設定をする必要はむしろなかったのである。それにもかかわらず、そういう設定をしたことによって、作者の意図が歪めて受け止められさえすることになったといえよう。[1] には、当時の朝日新聞の文芸時評欄に大岡昇平が、「現代文学の中の実話的傾向を示す作品である。……(中略)…… 読者の興味はどうしても実在の著名な人物に赴かざるを得ない。そういう興味に繋がって読ませる小説である」と記したことが報じられている。澤野の意図が「書き出しの短いセンテンス」で言い尽くされているとすれば、それを効果的に表現するための環境設定において、彼は安易過ぎる手法を選んだのであり、その結果、湯川に「大いに迷惑」といわせることになった、と私は言いたい。

 なおM氏は、文献 [2] の本を図書館で見たが、全文は10数ページもあり、記事の内容も大したものでないと判断して、コピーしなかったそうである。それでも私は、自分の目で見ておきたいと思い、堺市立図書館へ借り出しの予約をした。それが届けば、この続きを書くことになるかも知れないが、ここでひとまず筆をおく。

文献

  1. 「小説『山頂の椅子』と湯川博士の憂鬱」,『サンデー毎日』1967年4月16日号, p. 22–25.
  2. 本田靖春,『現代家系論』p. 105–106 (文藝春秋社, 1973).

2009年8月30日日曜日

湯川をモデルにした小説 2 (The Novel Modeled on Yukawa 2)

 大阪市立科学館でいまも例会を継続している「湯川秀樹を研究する市民の会(湯川会)」が、2006年4月に正式発足する前の同年2月の会合で、私は「Amazon.co.jp での和書 "湯川秀樹" 検索結果」をプリントしたものを配布して説明した。検索結果は湯川の著書、湯川の編さん・監修書、湯川に関する本を含んでいた。しかし、湯川をモデルにしたといわれた本には湯川の名は出て来ないので、含まれておらず、私は口頭でそのような本もかつて出版されたことをつけ加えた。しかし、その題名も著者名も覚えていなかったのである。

 翌2007年3月に湯川会の研究成果を発表するシンポジウムが開催された。その中で、「ノーベル賞の受賞とその反応」と題する発表をしたU氏が、「湯川をモデルにした小説『山頂の椅子』も書かれた」ということにふれた。それを聞いたあと、私はインターネットの古書店で『山頂の椅子』を探してはみたが、なおも買う気にはならなかった。ところが、先に述べたように、『山頂の椅子』の著者、澤野久雄が『旅人』の代筆者あるいは協力者だったと最近知って、ようやく『山頂の椅子』を読んでみる気になり、古書店で買い求めた。

 主人公・天堂幸之助(「京都の大学」の物理教室教授)は、10年前に発表した核融合の研究成果によって、国際的に最も権威ある賞とされるフランスのZ賞を、戦後間もなくわが国で初めて受賞する。小説はその授賞連絡のあった日の記述から始まり、その賞の重さゆえに、天堂は自分と、家族を含めた周囲の人びととの間に垣根が出来たように感じ、山頂の椅子に縛りつけられているような思いをも抱くにいたる過程をつづっている。天堂とその妻の生い立ちや家族は、湯川夫妻のそれらによく似てはいるが、天堂の心の動きや実際の行動は、すべて作者の創作である。末尾に近く、天堂の伝記作家が原稿の初めの部分を天童家へ持参して、夫妻と意見の対立するところがある。この部分だけは、澤野自身の『旅人』への協力中の出来事をモデルにしていると思われる。

 作者の意図は作品の冒頭に次の通り記されている。

 不意に落ちかかってきた幸運が、その人の一生をくるわしてしまうという事例は、二十世紀の後半に属する今日でも、決してすくないことではない。……(中略)…… こういう現象が、必ずしも無知蒙昧の徒の上にだけ起るのではないというところに、いわば人間の喜劇は展開するのである。

 澤野はこのような例として、Z賞受賞者の「くるわされた」喜劇的人生を創造したのである。湯川にもノーベル賞受賞後に、多数の講演・原稿依頼が殺到した煩雑さに加えて、いくらかの孤独感・苦悩がおそったかも知れないが、澤野はそれを大いに誇張した形で、架空の人物・天堂を通して描いたのであり、これはあくまでも虚構の話と見るべきである。——読後このように思ったことからすれば、『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページに、澤野が「モデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた」とあるのは、いささか合点がいかない。私の受け止め方は、私がモデル当人でないことや、当時の湯川(60歳)よりもかなり年をとっていることによるのだろうか。——(つづく)

2009年8月29日土曜日

湯川をモデルにした小説 1 (The Novel Modeled on Yukawa 1)

 湯川秀樹の半生の自伝『旅人』には代筆者(あるいは協力者)がいたということを、私は先日まで知らなかった。角川文庫版の同書 (1960) の「あと書き」には、澤野久雄が朝日新聞社員として協力したことが記され、感謝されているという [1]。しかし、私が読んだのは、朝日新聞に連載されたものと、『湯川秀樹自選集5』(1971) に収められたものであり、それらには「あと書き」はなかった。最近になって代筆者のことを知ったのは、フリー百科事典『ウィキペディア』の「湯川秀樹」のページ [2] によってである。同ページの「関連項目」中に、次の記述がある。

 澤野久雄 - 湯川の自伝『旅人』の代筆者。その内容を巡って湯川夫妻と対立し、1967年にモデル小説『山頂の椅子』を書いて湯川を激怒させた。

 そこで、同事典の「澤野久雄」のページ [3] を見ると、次のように書かれていた。

 ・湯川秀樹夫妻との確執
 澤野は朝日新聞社学芸部の記者を務めていた頃、湯川秀樹の自伝『旅人』を同紙に代筆連載したことがある。このとき、少年時代の秀樹を神童として描くか否かを巡って湯川夫妻と澤野の間に激しい対立が発生した。……(中略)…… このとき夫妻に対して鬱屈するものを感じた澤野は、10年の沈黙の後、1967年4月に『山頂の椅子』を『新潮』に発表した。……(以下略)……

 『山頂の椅子』は『新潮』に発表されたのと同じ1967年の8月に単行本 [4] として発行された。私はその本が発行されて間もなく、京大の近くの書店で手に取ってみた記憶がある。しかし、当時のマスメディアには「湯川博士がモデルととれる物理学者の主人公は、妻の尻に敷かれている人物として描かれている」というような評があったので、そういう本は読みたくないと思い、買わないで書棚に戻したのだった。いまとなっては、どういう描きかたであれ、湯川をモデルにした著作であれば読んでおけばよかったと思う。

 書店で『山頂の椅子』を手に取ってみたのは、学生時代のことだったかと思っていたのだが、1967年の出版と知って、それは、就職後の研究を学位論文にまとめて提出したあと、公聴会で論文内容の説明をした日だったと思い出した。真夏の暑い日のことだった。(つづく)

文献

  1. 小沼通二, 「晩年の湯川先生」, 桑原武夫, 井上健, 小沼通二編『湯川秀樹』(日本放送出版協会, 1984) p. 318.
  2. 「湯川秀樹」, ウィキペディア日本語版 [2009年7月26日 (日) 14:52].
  3. 「澤野久雄」, ibid. [2009年6月29日 (月) 14:31].
  4. 澤野久雄, 『山頂の椅子』(新潮社, 1967).

2009年8月28日金曜日

シコンノボタン (Princess Flower)

 シコンノボタン(紫紺野牡丹): 学名 Tibouchina urvilleana、ノボタン科ティボウキナ属(和名シコンノボタン属)の常緑低木。別名スパイダーフラワー。中南米原産の常緑低木。庭木、鉢植えとして親しまれる。葉は対生で楕円。産毛でおおわれ、ビロードのような手触りがする。本来は常緑だが、日本では冬に落葉することが多い。花は五弁で、紫色の大輪花。オシベが長く飛び出しているのが特徴。一日花だが、花つきがよく、毎日多くの花を次つぎに咲かせる。花期は夏と秋だが、温度さえあれば冬でもわずかながら咲きつづける。南国原産にしては耐寒性がある(以上、 [1] )。写真は2009年8月16日、わが家の庭で。

文献

  1. 「シコンノボタン」, ウィキペディア日本語版 [2008年12月17日 (水) 16:35].

2009年8月27日木曜日

アサガオ (Morning Glory)

 アサガオ(朝顔、牽牛花、蕣): 学名 Ipomoea nil、ヒルガオ科サツマイモ属の一年性植物。つる性。日本で最も発達した園芸植物。古典園芸植物のひとつでもある。葉は広三尖形で細毛を有する。真夏に開花し、花は大きく開いた円錐形で、おしべ5、めしべ1を有する。季語は秋(以上、 [1] )。写真は2009年8月14日、わが家の庭で。

文献

  1. 「アサガオ」, ウィキペディア日本語版 [2009年8月10日 (月) 08:16].

2009年8月26日水曜日

幌尻岳の花々 (Flowers at Mt. Horoshiri)

 幌尻岳北カール付近に咲き乱れる花々。左からエゾウサギギク、チングルマ、エゾシオガマ、ウメバチソウなど(これらの花の個々の写真は、先に掲載した)。2009年8月7日、妻が撮影。(幌尻岳の花シリーズは今回で完了)

2009年8月25日火曜日

ナガバキタアザミ (Chinese Yarrow)

 ナガバキタアザミ(長葉北薊): 学名 Saussurea riederi Herder subsp. yezoensis (Maximovicz) Kitamura、キク科。日本では、北海道、本州の早池峰山(はやちねさん)、外国ではロシア極東部に分布 [1]。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。花のまだ開いていない、つぼみ状態である。これによく似た花として、ウスユキトウヒレン(別名タカネキタアザミ)というのがある。

文献

  1. Saussurea riederi subsp. yezoensis, Prof. Summer's Web Garden: Japanese Wild Flowers.

ボルト選手の200メートル走新記録と限界値 (Bolt's New Record of 200-m Sprint and the Limit)

 [概要]ウサイン・ボルト選手がさる8月20日にベルリンで出した200メートル走新記録19.19秒を考慮に入れて、過去の世界記録への関数当てはめから、同競技の記録の限界値を関数あてはめによって推定してみた。本文(英文)へ

2009年8月24日月曜日

100m走の曲線当てはめがテレビ番組に (My Curve Fit to 100-m Sprint Records Appeared on TV)

 さる21日午後、毎日放送(MBSテレビ)から電話で、ボルト選手の100m走世界新記録に関する私のブログ記事 [1] について取材を受けた。同テレビ局では取材結果を、翌日22日(土曜日)午前9時25分からの、関西ローカルの情報番組『せやねん!』中のスポーツコーナーで放映した。「せやねん」とは関西弁で「そうですよ」という意味である。

 上掲の写真は、その番組の中で、アナウンサーが私の記事のグラフを引用して、100m走の世界記録はどこまで伸びるかの予測を説明しているところである。私の曲線当てはめは、その方法では予測が困難なことを明らかにした結果となり、それによる予測値(9.09秒)自体は±0.49秒という大きな誤差を伴っていて、全く当てにならないのだが…。

 なお、『サンケイスポーツ』、『スポーツ報知』の両紙も、ボルト選手の新記録についての私のコメントを載せた(オンライン版は [2, 3])。

 追記:『週刊朝日』[4] にも私のコメントが掲載された。

文献

  1. Bolt's World Record Changes Empirical Prediction Again, IDEA & ISAAC: Femto-Essays (2009年8月18日).
  2. 今村忠【甘口辛口】欄, イザ ニュース (2009年8月18日).
  3. 9秒45限界説撤回、さらに速くなる…大阪府立大・多幡名誉教授, スポーツ報知 (2009年8月18日).
  4. 田中裕康, ボルト9秒58「神速」の秘密, 週刊朝日 Vol. 114, No. 40, p. 127 (2009年9月4日発行; 8月25日発売).

2009年8月23日日曜日

エゾツツジ (Kamtchatka Rhododendron)

 エゾツツジ(蝦夷躑躅): 学名 Therorhodion camtschaticum 、エゾツツジ属またはツツジ属の落葉低木。ツツジ属に分類される場合は、Rhododendron camtschaticum の学名となる。アジア北東部とアラスカ、日本では本州北部(早池峰山・岩手山・秋田駒ヶ岳)と北海道の高山に分布する。高山の過酷な環境のため、高さ 10〜30 cm 程度にしかならないが、れっきとした樹木である。葉は 3 cm 前後で、縁に繊毛がある。7、8月頃、枝先に直径 3〜4 cm の紅紫色の花を1〜3個咲かせる。花冠は5裂し、上弁には暗褐色の斑点がある。花柄にも、細かい毛がある [1] 。花言葉は「摂生」「愛の喜び」「情熱」[2]。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. エゾツツジ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月1日 (水) 09:47].
  2. 上川町の花と木, 北海道の花と木.

ホーキング博士に自由勲章 (Howking Received the Presidential Medal of Freedom)

 [概要]さる8月12日、アメリカのオバマ大統領は、民間人に与えられる最高の栄誉である「自由勲章」を今年度の受賞者たちに手渡した。その中には国際的に著名なイギリスの理論物理学者スチーブン・ホーキング博士もいた。本文(英文)へ

2009年8月22日土曜日

エゾノハクサンイチゲ (White Anemone)

 エゾノハクサンイチゲ(蝦夷白山一華): 学名 Anemone narcissiflora var. sachalinensis、キンポウゲ科。花期は6月から8月上旬。草丈 15~40 cm 程度。和名は北海道産のハクサンイチゲの意で、「ハクサン」は石川県の白山に因む。高山の草地に生える多年草。花は散形状に2~6個つく。白色の花弁のように見えるのは萼片で、5~6枚ある([1] から抜粋)。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. エゾノハクサンイチゲ, 花ママと花パパの野の花・山の花 北海道.

2009年8月21日金曜日

ムシトリスミレ (California Butterwort)

 ムシトリスミレ(虫取菫): 学名 Pinguicula macroceras、タヌキモ科ムシトリスミレ属の食虫植物の一種。スミレに似た花をつける。北海道から四国にかけての高山(亜高山帯)の岩の上などに生える [1] 。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. ムシトリスミレ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月3日 (金) 10:49].

2009年8月20日木曜日

チシマギキョウ (Superba Bellflower)

 チシマギキョウ(千島桔梗): 学名 Campanula chamissonis、キキョウ科ホタルブクロ属の多年草。北海道から本州中部地方の高山帯の岩場や砂礫地に分布する。花期は7、8月。花の色は青紫色、大きさは 4 cm ほどで縁に白い毛が生えている [1] 。花言葉は「静かなひと」[2]。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. チシマギキョウ, ウィキペディア日本語版 [2008年12月6日 (土) 16:53].
  2. 山に咲く【タ行】, 花の写真館.

2009年8月19日水曜日

ボルト選手の百メートル走新記録と限界値 (Bolt's New Record of 100-m Sprint and the Limit)

 [概要]ウサイン・ボルト選手がさる8月16日にベルリンで出した百メートル走新記録9.58秒は、過去の世界記録への関数当てはめから推定した限界値を大幅に下方修正する影響を持つものである。本文(英文)へ

ウメバチソウ (Marsh Grass of Parnassus)

 ウメバチソウ(梅鉢草): 学名 Parnassia palustris、ユキノシタ科ウメバチソウ属の多年草。花が梅の花を思わせる。花期は8~10月で2cmほどの白色の花を咲かせる。日本では北海道~九州に分布する。世界的には東アジア北部・樺太・千島・台湾から知られる。「梅鉢」とは、紋所(家紋)のひとつで、菅原道真や前田利家の家紋として有名 [1] 。花言葉は「いじらしさ」[2]。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. ウメバチソウ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月1日 (水) 11:29].
  2. ウメバチソウ, 花言葉事典.

2009年8月18日火曜日

ムカゴトラノオ (Alpine Bistort)

 ムカゴトラノオ(零余子虎の尾): 学名 Bistorta vivipara、英名は表記のもののほかに、alpine knotweed、serpent grass とも [1]。タデ科(Polygonaceae)イブキトラノオ属。亜高山~高山帯の草地などに生える、高さ10~60 cm の多年草。細い穂状の花序に、白色または淡紅色の、長さ3 mm くらいの花をつける。花序の下の方にはムカゴ(球芽)ができる[2] 。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. Photo: Bistorta vivipara, Henriette's Herbal Homepage.
  2. ムカゴトラノオ(零余子虎の尾), ペンション馬鈴薯 高山植物図鑑.

2009年8月17日月曜日

チングルマ (Aleutian Avens)

 チングルマ: 学名 Geum pentapetalum、バラ科ダイコンソウ属の落葉小低木の高山植物。一般にダイコンソウ属に分類されるが、チングルマ属(Sieversia)に分類する説もあり、確定していない。北海道から中部地方に分布する。高山の雪渓周辺の草地や砂礫地に生える。高さは 10 cm 程度。名前にはふつう稚児車(ちごくるま)があてられる。実の形が子供の風車(かざぐるま)に見えたことによる。立山ではチゴノマイ(稚児の舞)と呼んだという。伸びた果実の毛が、稚児の乱れ髪のようであることが、こちらの語源 (以上 [1]、[2]) 。花言葉は「可憐」[3]。写真は果実の毛が伸びた状態のチングルマ。2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. チングルマ, ウィキペディア日本語版 [2009年6月30日 (火) 08:52].
  2. 湯浅浩史・文, 矢野勇, 平野隆久, 茂木透・写真, 愛蔵版・花おりおり その三 (朝日新聞社, 2004).
  3. 花言葉7月, グローブス フラワーデザインスタジオ.

2009年8月16日日曜日

シロバナチシマフウロ (Woolly Geranium)

 シロバナノチシマフウロ: 学名 Geranium erianthum DC. f. leucanthum Takeda、フウロソウ科フウロソウ属。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

M.Y. 君からの感想(2009年7月分)

 M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年7月分への感想を8月15日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。

×     ×     ×

 7月には毎日の花の便りに、随筆「言葉と政治」、「京大と台湾大の加速器」、「日本の科学の明暗」、「ファインマンの漫画的手法」、"HAYABUSA: Back to the Earth" や映画評「愛を読む人」、旅の記録「高岡と氷見へ」が織り込まれています。暑さの中、これだけの内容の記事を書き続けられることに、充実した日々の生活の様子が感じられます。

 花の便りは、自宅の花やウォーキング途中で見たものなど20数回にもおよび、写真を見、説明を読んで楽しんでいます。庭に咲く宿根性の花は、去年は咲かなかったが今年は咲いたなど、喜びといたわりの気持ちが伝わってきます。二色ムクゲについて、170,000枚のグーグル・イメージ中から、10ページあるいはそれ以上見て、ようやくこの花と同じような配色のものにいきあたり、かなり珍しい種類だと判定しています。

 「言葉と政治」では、詩人ビナードさんが「言葉がむしばまれたとき、それを立て直すのも詩人の仕事だ」と述べていることを紹介し、現在意味がすり替えられている言葉の例が挙げられています。それらの言葉に対するビナードさんの真実をつく説明は、言い得て妙だと感心しました。

 「高岡と氷見へ」(1から3まで続く)には、奥様との恒例の金沢での墓参の翌日、親戚の人たちと旧交を温めた旅を記してあり、心に響くものでした。5年前に氷見の漁港の写真を撮って絵にしたものと、今回も大きく変わらない同じ場所で撮った写真が掲載されています。高岡の国宝・瑞龍寺、富山新港の海王丸パーク(同船2世は、横浜開港150周年に記念行事に参加し、7月末日には横浜大桟橋で日本丸と共に満帆の雄姿を披露しました)、氷見の祇園祭りの紹介も随所に入っています。

 "HAYABUSA: Back to the Earth" は小惑星探査衛星が地球を出発して、同惑星に到着し、岩石を採集して地球への帰り道をたどるまで(明年6月帰還予定)の感動的な約40分の映画とのこと。『愛を読む人』は前半でミヒャエルが朗読するエピソードのあらましを筆者は知っていたような気がすると思い(この辺は『アラバマ物語』の場合に似ています)、それはともかく、この作品に潜んでいる重いテーマは、ナチスによるホロコーストの歴史を後世に正しく伝える重要性を訴えていることであるとし、「わが国においても、太平洋戦争の歴史を歪めて教えられるようなことがあってはならない」と警告しています。

 「京大と台湾大の加速器」には、戦後、GHQが廃棄した、京大に建設中だったサイクロトロンの「再建の物語」が書かれています。日本が原子爆弾を作ることがないようにと、核物理研究の芽を根絶するために廃棄したものと思われます。原子爆弾製造計画では、ウランのうち核分裂をするU-235を分離する方法としてサイクロトロンを用いた電磁分離法(後述のローレンスが中心になった)、ガス拡散分離法、遠心分離法などが同時並行的に開発され、U-235の分離が行われました。結局ものになったのはガス拡散分離法で、サイクロトロンは原子爆弾製造には実用的ではありませんでした。破壊することが研究の芽を絶やす象徴として利用されたのでしょう。

 終戦当時、私たちは国民学校の4年生でしたが、11月頃から、教科書中の戦争に関した用語、写真や記述を、クラスを挙げて探し出し墨で塗りつぶす作業が行われました。靖国神社はいうまでもありませんでした。修身と国語教科書はほとんどが墨で塗られ、教科書の用をなさなくなりました。5年か6年の国語の教科書の中には「佐久間艇長の遺書」(瀬戸内海で訓練中の潜水艦が浮上できなくなった時、艇長が書き残した遺書)がありました。姉が音読していたのをよく聞き憶えていました。水村美苗氏が最近の著書の中で、この遺書を優れた文章だと褒め称えていました。内容の如何は問わず、これらも塗り潰されたことでしょう。サイクロトロンの廃棄と機を一にする教育の場での象徴的な儀式でした。

 木村毅一著『アトムのひとりごと』に「昭和25年にローレンスが日本を訪れて、日本も原子核研究を始めてはどうか、サイクロトロンを再建するならば充分な協力を惜しまないと言ったので再建を考えた」とあります。その後アイゼンハワー米大統領の国連総会における「原子力を平和のために利用することの勧告(atom for peace)」があり、わが国の原子核研究や原子力の平和利用が促進され、今日の隆盛を見るに至り、「日本の科学の明暗」へと続くことになります。

2009年8月15日土曜日

チシマチドリ

 チシマチドリ(千島千鳥): ラン科。ハクサンチドリ(白山千鳥、Dactylorhiza aristata、ラン科ハクサンチドリ属) [1] によく似ているが、同じものか、いくらか異なるのか。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. ハクサンチドリ, ウィキペディア日本語版 [2009年5月18日 (月) 15:38].

2009年8月14日金曜日

エゾシオガマ (Pedicularis yezoensis)

 エゾシオガマ(蝦夷塩釜): 学名 Pedicularis yezoensis、ゴマノハグサ科シオガマギク属の多年草。高山植物。新しいAPG植物分類体系では、シオガマギク属ハマウツボ科に分類されている。茎は根ぎわで分枝し、直立して高さは 20〜50 cm になる。花期は8〜9月で、黄白色で唇形の横向きにねじれた花が、葉腋の下段から上段に咲いていく。本州の中部地方以北、北海道に分布し、高山の草地に自生する(以上 [1] )。花言葉は「幸せを招く」[2]。写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. エゾシオガマ, ウィキペディア日本語版 [2009年8月10日 (月) 09:57].
  2. 八方尾根の花 II, 野草風薫.

2009年8月13日木曜日

エゾウサギギク、ミヤマアズマギク(Arnica unalaschcensis and Another Flower)

 エゾウサギギク(蝦夷兎菊)[写真中の黄色の花]: 学名 Arnica unalaschcensis、キク科。花期は7月中旬~8月、草丈 10~30 cm 程度。高山のやや湿った草地に生える多年草。和名は、葉の様子をウサギの耳に見立てたことに由来する(以上 [1] )。

 ミヤマアズマギク(深山東菊)[写真中の薄紫色の花]:学名 Erigeron thunbergii subsp. glabratus)、北海道から中部地方の高山帯の乾いた礫地や草地に生える高山植物で、アズマギクの亜種。花期は、7~8月。茎の先端に直径 3 cm ほどの頭花を1つ咲かせる。花の中心は黄色、周りの花弁は薄紫をしている(以上 [2] )。花言葉は「感謝」「誠実」[3]。

 写真は2009年8月7日、妻が幌尻岳北カール付近で撮影。

文献

  1. 花ママと花パパの野の花・山の花 北海道.
  2. ミヤマアズマギク, ウィキペディア日本語版 [2008年5月18日 (日) 17:21].
  3. 山に咲く【マ行】, 花の写真館.

2009年8月12日水曜日

災害続き (Successive Disasters)

堺市・鈴の宮公園の夏景色(記事には無関係)

 さる9日、兵庫、岡山、徳島の各県で台風9号の影響による豪雨被害が発生したのに続き、昨11日には、駿河湾を震源とする大きな地震があり、静岡県の中西部と伊豆半島で最大震度6弱が観測された。震源は東海地震の想定震源域だったが、気象庁は東海地震に結びつくものではないと判断している。しかし、予想されている東海地震への警鐘と考えて、注意し続けることが肝要であろう。

 被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。

2009年8月11日火曜日

真夏のウォーキング (Walking in Midsummer)

近くの大型商業施設

 この夏は雨天が多いが、晴れた日の日課にしているウォーキングは、当地の真夏にはいささか苦行である。しかし、近年近くにできた大型商業施設まで行き、その1階から3階までの各階の通路をそれぞれ2周ぐらいして帰れば、あまり暑い思いをしないで目的の歩数を達成できる。この夏もこの手のウォーキングを、すでに何回か実施した。ただ、まったく買い物もしないで商業施設内をたびたび歩き回るのは、いささか気が引ける。

 ところが、最近、NHK TV で、ドバイでは、このところ住民が大挙して大型ショッピングモール内をウォーキングするようになっているという話があった。ドバイはアラブ首長国連邦の一つで、その首都もドバイという名である。夏季には気温が50度を超えることもあり、しばしば100%の湿度を観測することもあるそうだ [1]。ショッピングモール内の店では、ウォーキングの人たちを迷惑がることなく、賑わいになるとして、ありがたがっているという。日本の商業施設もそうであるとすれば、私も気兼ねなく大型商業施設内をウォーキングできるというものである。

  1. ドバイ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月18日 (土) 07:06].

2009年8月10日月曜日

夕焼け雲 (Clouds with Evening Glow)

 雨天や曇天の多い夏である。さる7日、2階の書斎の窓から久しぶりに夕焼け雲を見た。その一部が人の顔のように見えたので、写真を撮り、その部分を拡大した。ひげを生やした男が画面の右上を向いて微笑んでいるように見えないだろうか。2本の太い横線は隣家への引き込み線である。翌8日は、晴れて暑い日となった。

2009年8月9日日曜日

9日は9条宣伝の日 (Ninth for Article 9)

 福泉・鳳地域憲法9条の会が毎月9日に行っている宣伝・署名活動が、残念ながら雨天のため中止になった。マイク宣伝で使う予定だった文の一部をここに記す。

*     *     *

 さる6月、「海賊対処法」が国会で成立しました。この法律は、ソマリア沖での「海賊対策」を口実に、海上自衛隊の派兵と武器使用を強化し、また、防衛大臣の権限を拡大し、さらに、自衛隊の海外派兵に国会の事前承認を不要とまでするものです。

 詩人のアーサー・ビナードさんは、これをずばりと批判する言葉を述べています。それは、「海賊対処法」とは日本国憲法の生き血を抜いて形骸化する法律になりかねないもの、という言葉です。

 軍隊の派遣が海賊問題の解決に効果がないことが、現場の事実で示されているにもかかわらず、憲法9条を持つ日本が、なぜ、軍事的対応を進めるのでしょうか。政府と与党には、これによって、自衛隊の海外での武器使用に国民を慣れさせ、その先で、海外派兵恒久法を作ろうという魂胆があるのです。

 海外派兵恒久法とは、「海賊対処法」をさらに進めて、自衛隊の派遣に、目的や武器使用への制限もはずし、アメリカ政府の要求に従って、自衛隊をアメリカ軍とともに海外で戦える軍隊にすることを、憲法改悪に先だって実現しようとする、いわば憲法ねじ曲げの手法です。

 また、政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」はさる4日、防衛計画大綱の改訂に向けた報告書をまとめて首相に提出しました。その報告書は、米国に向かう北朝鮮ミサイルの迎撃を可能にすることや、「敵基地攻撃」の方策も必要であることなどを述べ、「これまでの防衛政策から一歩踏み出す」ことを強く打ち出しています。

 このような一連の動きは、憲法9条を無視して、国民を戦争にまきこむ道をまっしぐらに進もうとするものであり、派兵や武装強化のための軍事費によって、福祉は圧迫され、昨今の著しい経済不況の中で、一般国民の生活を、いっそう苦しめるだけのものです。

 きょう9日は、長崎に原爆が落とされて64年目にあたります。さる6日は広島に原爆が落とされた日でした。爆心地から遠く離れた場所で原爆の影響を受けた人々が、いまもなお原爆症認定も受けられないで苦しんでいます。戦争とは、多くの国民を悲惨な目に合わせるものです。

 アメリカのオバマ大統領は、さる4月、プラハで行った演説で、「核兵器を使用した唯一の核保有国であるアメリカには、核兵器のない世界の実現に向けて行動すべき道義的責任がある」と述べました。歴代政権が、広島・長崎への原爆投下を正当化し続けてきたアメリカでさえ、このように平和へ向けて国の政策を変えようとしているときに、日本がもしも憲法を平和に反する方向に変えて、海外で戦争をする国になるならば、それは歴史の歯車を逆転させる、まことに愚かな行為といわなければなりません。

*     *     *

 参考:8月6日、秋葉・広島市長が読み上げた「平和宣言」に以下の一節があった。引用文中の「日本国憲法」は、ここでは当然、同憲法の9条を中心とした平和理念を指すものである。

 …それにこたえて私たちには、オバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があります。この点を強調するため、世界の多数派である私たち自身を『オバマジョリティー』と呼び、力を合せて2020年までに核兵器の廃絶を実現しようと世界に呼びかけます。その思いは、世界的評価がますます高まる日本国憲法に凝縮されています。

2009年8月8日土曜日

ワンコインコンサート (One-Coin Concert)

 きょう大阪市の最高気温36.3度。堺もそれくらいあっただろう。午後2時から近くの堺市立西文化会館ウェスティホールで「夏♪夏♪夏!ウェスティ・ワンコインコンサート—クラシックからスクリーンミュージックまで—」という催しがあり、聞きに行った。会費は500円玉一つなので、「ワンコインコンサート」と名づけられている。片道約20分の往復が大変な暑さだった。

 コンサートの出演者は、シズエ & オサム・ショパンスキ・オガタ という夫妻と、賛助出演の小片ルミ(夫妻の娘)。ピアノとヴォーカルのほかに、「みんなで歌おう」「楽しい動物あてゲーム」など、会場の全員が参加する番組もあり、子ども連れの客も大勢だった。

 「みんなで歌おう」の「《となりのトトロ》より さんぽ」という歌は知らなかったが、中田喜直作曲の「夏の思い出」は私も知っている歌で、大きな声で(日ごろ声が小さいといわれる私にしては大きい、という程度であるが)歌った。しかし、客席から聞こえていたのはほとんど女性の声ばかりで、オサム・ショパンスキ・オガタ氏の講評は「いいソプラノでした」であった。

 オガタ夫妻はこの辺りの住人のようで、インターネット [1] で見ると、お茶コン・サンデーと称して、2カ月に一度、第4日曜日に会費1500円でお茶・菓子つきの気軽なコンサートを開いている。時折参加してみたいものだ。

  1. “響太”と“響華”≪シズエ&オサム・ショパンスキ・オガタ≫のホームページ.

2009年8月7日金曜日

ツバキの果実 (Fruit of Camellia)

 ツバキ(椿): ツバキ科ツバキ属の植物の総称。狭義には、ヤブツバキ(藪椿、あるいは単にツバキとも。学名 Camellia japonica)を指す。椿油は、種子(実)を絞った油で、用途の広さは和製オリーブオイルとも言える。高級食用油、整髪料として使われるほか、古くは灯りなどの燃料油としてもよく使われた。(以上、 [1] を参考にした)。花言葉は「理想の愛」「謙遜」(赤)「控えめな愛」「気取らない美しさ」(白)申し分のない愛らしさ」「理想的な愛情」「冷ややかな美しさ」[2]。写真は2009年8月2日、近くの「中の池公園」で。

文献

  1. ツバキ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月21日 (火) 02:53].
  2. ツバキ, 花言葉事典.

2009年8月6日木曜日

カタバミ (Creeping Woodsorrel)

 カタバミ(片喰、酢漿草): 学名 Oxalis corniculata L. 、シノニム Xanthoxalis corniculata (L.) Small、カタバミ科の多年草。地下に球根を持ち、さらにその下に大根の様な根を下ろす。また、匍匐茎をよく伸ばし、地表に広がる。このため、繁殖が早く、しかも根が深いので駆除に困る雑草である。花言葉は「輝く心」。(以上、文献 [1] から抜粋。)英名は表題のものの他に、Procumbent Yellow-sorrel、Sleeping Beauty というのもある [2]。後者はよ過ぎる名前のようだ。

 写真は2009年7月31日、近くの笠池公園で撮影。このような花が咲くと可憐に思い、わが家の庭にも少し残しておいたりするのだが、そのうち、いたるところに葉が顔を出して茂り始め、あわてて取り除く。

文献

  1. カタバミ, ウィキペディア日本語版 [2009年4月20日 (月) 13:29].
  2. Oxalis corniculata, Wikipedia (2 July 2009 at 17:33).

2009年8月5日水曜日

シロタエヒマワリ (Silverleaf Sunflower)

 シロタエヒマワリ(白妙向日葵): 学名 Helianthus argophyllus、キク科。銀葉ひまわりの別名がある。原産は北アメリカ。葉に白っぽい細かな毛が付いていてビロードのように見える。花は小型でたくさん付く。(以上、いくつかのウェブサイトからの情報を総合した)。ヒマワリの花言葉は「あこがれ」「私の目はあなただけを見つめる」「崇拝」「熱愛」「光輝」「愛慕」「いつわりの富」「にせ金貨」[1]。写真は2009年7月31日、近くの「中の池公園」で撮影。

文献

  1. ヒマワリ, 花言葉事典.

2009年8月4日火曜日

梅雨明け (End of Rainy Season)

夏空とサルスベリ

 昨8月3日、近畿地方と東海地方で梅雨明したとみられるとの発表が、気象庁からようやく出た。梅雨明けを特定できなかった1993年は別として、どちらも統計を取り始めた1951年以降では最も遅いという。ここ近畿地方では、平年よりも15日遅かった。同地方で8月に入ってから梅雨明したのは、2003年の8月1日という記録以来のことで、わずか2回を数えるだけである。このところ、豪雨や竜巻による災害が続いた。そして、この記録的に遅い梅雨明け。人間の自然破壊に対する、自然の怒りのせいでなければよいのだが。

2009年8月3日月曜日

チョウセンアサガオ (Metel)

 チョウセンアサガオ(朝鮮朝顔): 学名 Datura metel、ナス科の植物。 園芸用にはダチュラの名で広く流通しているほか、マンダラゲ(曼陀羅華)、キチガイナスビの異名もある。 原産地は南アジア。日本へは、江戸時代・明治時代に薬用植物としてもたらされたとされる。一年草。 草丈は 1 m ほどで茎はよく枝分かれする。大型で卵型の葉を持ち、夏に 10~15 cm ほどの、ろうと状の白い花が咲く。外来種として帰化・野生化したものが見られる。(以上、 [1] による)。花言葉は「愛敬」「偽りの魅力」「変装」[2]。写真は2009年7月31日、ウォーキング途中で撮影。

文献

  1. チョウセンアサガオ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月21日 (火) 15:55].
  2. チョウセンアサガオ, 花言葉・Floword.

2009年8月2日日曜日

アブラゼミ (Large Brown Cicada)

 アブラゼミ(油蟬、鳴蜩): 学名 Graptopsaltria nigrofuscata、カメムシ目(半翅目)・ヨコバイ亜目(同翅亜目)・セミ科に分類されるセミの一種。褐色の不透明な翅をもつ大型のセミ(以上、 [1] から)。

 写真は2009年7月31日、堺市・鈴の宮公園で。毎年この公園では8月初め頃から、クマゼミを追ってアブラゼミの数が次第に増えて来る。しかし、鳴き声では、クマゼミのけたたましさに圧倒され、存在感が薄い。

文献

  1. アブラゼミ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月5日 (日) 18:50].

2009年8月1日土曜日

オクラ (Okra)

 オクラ(秋葵、Okra): 学名 Abelmoschus esculentus、アオイ科トロロアオイ属の植物、和名をアメリカネリと言い、ほかに陸蓮根(おかれんこん)の異名もある。英名 okra の語源はガーナで話されるトウィ語 (Twi) の nkrama から。短期間で 50〜2 m ほどに生長し、15〜30 cm の大きさの掌状の葉をつけ、黄色に中央が赤色のトロロアオイによく似た花をつける。開花は夜から早朝にかけてで、昼にはしぼんでしまう。開花後、長さ 5〜30 cm の先の尖った形の五稜の果実をつけ、表面に短毛が生えており、熟すと木質化する(以上、 [1] から)。花言葉は「恋によって身が細る」[2]。写真は2009年7月31日、わが家の庭で。

文献

  1. オクラ, ウィキペディア日本語版 [2009年6月23日 (火) 01:52].
  2. オクラ, 花言葉事典.

『アマルフィ』(Amalfi: Film)

 さる7月29日、真保裕一の書き下ろし原作 [1]、西谷弘監督によるサスペンス映画『アマルフィ:女神の報酬』[2] を見た。「全編世界遺産、全編イタリアロケ」の広告文が、見たいと思わせたのである。

 イタリアでのG8外務大臣会合を前に、テロ予告を受け、外交官・黒田(織田裕二)がローマに到着する。その直後、日本人少女の誘拐事件が発生し、事件の通訳を担当することになった黒田は、事件に巻き込まれて行く…。

 背景には政府高官が海外援助に失敗した結果を隠蔽するため、失敗に抗議する現地人たちを抹殺する事件をも起こし、すべてを闇に葬ってきていた、という重厚な筋書きもあり、ロケシーンの見応えと相まって、十分楽しめる作品であった。

 本人役として登場するソプラノ・ディーヴァ、サラ・ブライトマン (Sarah Brightman) の歌 ("Time to Say Goodbye") は、聞いたことがあるような気がしたが、彼女は北京オリンピックの開会式で歌っていたのである。

 "Time to Say Goodbye" は、この英語題名からは別れの歌のように思われるが、原題の「コン・テ・パルティロ (Con Te Partirò)」はイタリア語で「君とともに旅立とう」という意味で、旅立ちの歌であり、結婚式で歌われることも多いという [3]。

 ちなみに、アマルフィ (Amalfi) とは、イタリア共和国カンパニア州のコムーネ(都市)で、人口5,421人。ソレント半島の南東、サレルノ湾に面するアマルフィ海岸の中心地であり、観光の拠点。周囲を断崖絶壁の海岸に囲まれ、小湾の奥に位置する小規模な浜に作られた港から、断崖上に向かって形成されている街である。アマルフィ海岸は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている [4]。

 映画のチラシには、ギリシア神話の英雄ヘラクレスは愛する妖精の死を悲しみ、彼女を永遠のものとするために、世界で最も美しい場所に亡がらを埋めて、アマルフィの町を作ったとの伝説が記されている。ウェブサイト [5] にも同じ伝説が簡潔に延べられているが、そのあとに、事実は紀元前5世紀にローマ人たちがこの町を作ったということである、と書いてある([6] も参照されたい)。

文献

  1. 真保 裕一, アマルフィ (扶桑社, 2009).
  2. アマルフィ 女神の報酬 公式サイト.
  3. コン・テ・パルティロ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月8日 (水) 17:16].
  4. アマルフィ, ウィキペディア日本語版 [2009年7月13日 (月) 23:54].
  5. Top Sights in Sorrento and the Amalfi Coast, Travels with Friends.
  6. Amalfi Coast, Unesco World Heritage Sites in Italy.