2015年8月31日月曜日

『親子展』(2015.9.10〜13)出品の私の水彩画 -1- (My Watercolors in "Father–Daughter Exhibition," September 10–13, 2015 -1-)


初夏:カトリック芦屋教会(2003年)
Early Smmer: Catholic Church of Ashiya (2003)


盛夏:京都市美術館(2003年)
Midsummer: Kyoto Municipal Museum of Art (2003)


レンガ造り:大阪市中央公会堂(2004年)
Brick Building: Osaka Central Public Hall (2004)

 来る 9 月 10 日から大阪・上本町西の「ギャラリー風雅」で、長女と私は『親子展』を開催する(詳細はこちら参照)。そこに出品する私の水彩画のイメージを、数回に分けて本ブログに掲載する。

My elder daughter and I are going to have Father–Daughter Exhibition in "Gallery Fūga," Uehonmachinishi, Osaka from September 10 to 13, 2015 (see here for details). Images of my watercolors to be there are shown in a series of posts.

(つづく)
(To be continued)

2015年8月15日土曜日

「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉 ("Blessed Are Peacemakers," and Akiko Yosano's Words)

[The main text of this post is in Japanese only.]


タカサゴフヨウ(高砂芙蓉)。ヤノネボンテンカ(矢の根梵天花)とも呼ばれる。
2015 年 8 月 14 日撮影。
Pink pavonia; taken in my yard on August 14, 2015.

「平和を求める人たちは幸いです」、そして与謝野晶子の言葉

 友人 A 氏からの暑中見舞い葉書には、毎年『聖書』の一節が毛筆で記されている。先般届いた今年の葉書には、「マタイ 5 章 9 節」の「平和を求める人たちは幸いです。その人たちは『神の子』と呼ばれるからです」の言葉があった。A 氏にはこのところ何年も会う機会がないが、彼がいまこの言葉を選んだのは、保守的な考えの持ち主のように見える彼も「戦争法案」には懸念を持っているからだろうと想像している。

 さる 7 月 25 日から 30 日まで、堺市のサンスクエア堺ギャラリーで、『戦後 70 年 平和をつなぐパネル展・堺〜戦争をふりかえる〜』が開催された。私は 481 人の賛同人の一人として、ささやかな賛同金を納めながらも、パネル展を見に行く機会を得なかった。しかし、昨日、同展実行委員会から礼状と会場で配布したパンフレットが送られてきて、その内容がよく分かった。

 上記のパンフレットの最終ページには、歌人・与謝野晶子(1878–1942)が 1918 年 3 月 17 日付け『横浜貿易新報』紙に書いた「何故の出兵か」という文の抜粋が掲載されている。それを以下に、さらに抜粋してみる。
 日本人の上に今や一つの大問題が起っております。[…]それは西比利亜(シベリア)へ日本の大兵を出すか出さないかという問題です。[…]

 さて我国は何のために出兵するのでしょうか。秘密主義の軍閥政府は出兵についてまだ今日まで一言も口外しませんから、私たちは[…]想像する外ありませんが[…]

 しかし私たち国民は決してこのような「積極的自衛策」の口実に幻惑されてはなりません。[…]独逸(ドイツ)が[…]その武力を割いて西比利亜に及ぼし、兼ねて日本を脅威しようとは想像されません。我国の参戦程度を手温(ぬる)しとする英仏は、種々の注文を出して日本を戦争の災禍の中心に引き入れたいために、独逸勢力の東漸を法外に誇大するでしょうが、日本人はそれを軽信してはならないと思います。

 […]戦費のために再び莫大の外債を負い、戦後にわたって今に幾倍する国内の生活難を劇成するならば、積極的自衛策どころか、かえって国民を自滅の危殆(きたい)に陥らしめる結果となるでしょう。

 以上は紙数の制限のために甚だ簡略な説明になりましたが、この理由から私は出兵に対してあくまでも反対しようと思っております。
 「簡略な説明」に対して抜粋を重ねても、晶子の炯眼が十分に伝わるであろう。そして、シベリア出兵(注参照)前夜の状況が、いまの「戦争法案」国会提出の事態に酷似していることにも注目しなければならない。いくつかの言葉を書き換えれば、晶子の文はそのまま「戦争法案」反対に適用できる。敗戦から満 70 年、わが国の外交政策を武力に頼る方向に逆戻りさせてはならない。

 注:対ソ干渉戦争、1918–1922。ソビエト政権と、反革命勢力および革命に干渉するため出兵したイギリス・フランス・アメリカ・日本などとの間の戦争。日本は 10 億円(当時)の金を使い、7 万 3 千の兵を出し、3 万 5 千人の死傷・病疫者を出して、対ソ干渉諸国の中で最もみじめな形で撤兵—敗戦—した(加藤文三ほか『日本歴史 中 改訂版』新日本出版社、新書版、1978)。しかし、軍国主義時代の学校では、この敗戦について教えられることがなかった。

2015年8月11日火曜日

『水彩画とキルト 親子展』のお知らせ ("Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition")

[The main text of this post is in Japanese only.]



上:『水彩画とキルト 親子展』案内状の表面の一部。下:同案内状の裏面。
Upper, part of the front side of the post card to tell about our "Watercolors and Patchwork Quilts: Father–Daughter Exhibition"; lower, the back side of the same post card.

 来る 9 月 10 日(木)から 13 日(日)まで、大阪・上本町西のギャラリー風雅において、私と長女の親子展を開催する運びとなりました。詳細は上掲の葉書イメージをクリック・拡大してご覧下さい。ご興味のある方はご来場いただければ幸いです。私は 9 月 11 日と 13 日に在廊の予定です。

2015年8月6日木曜日

政池君の調査が朝日紙記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」に (Masaike's survey was reported in The Asahi Shimbun Article "Scientists Mining New Trove of Information on Japan’s Wartime A-Bomb Program")

[The main text of this post is in Japanese only.]


朝日紙・大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事の一部。
Part of the article appeared in The Asahi Shimbun.

 大学研究室の同窓生で友人の政池明君(京都大学名誉教授、高エネルギー物理学)は、かねてから核開発の歴史について調査しているが、このほど、ウラン 235 の遠心分離装置開発に関する資料を、清水栄・京大名誉教授の遺品のノート中に見つけたことが報道された。『朝日新聞』大阪版 8 月 4 日付け夕刊記事(上掲の写真)、『朝日新聞デジタル』8 月 5 日付け記事「湯川博士の手帳、何語る:原爆研究史に向き合う学者たち」(見出しは異なるが、内容は前記夕刊記事と同じ)、同英語版記事、『産経ニュース』7 月 26 日付け記事「戦中日本、原爆研究の新図面:京大でウラン濃縮装置、「完成 昭和 20 年 8 月 19 日」と記載」などである。

 政池君は朝日紙記者の取材に対して、「真理を探求すべき科学者が、原爆開発にどうかかわったのか知りたい。すべての科学者は、自分の研究がどう使われるのか真剣に考える必要がある」と語っている。

 『朝日新聞デジタル』の記事は、「湯川博士の手帳」を見出しに取り上げているが、こちらは記事の後半に述べられている、小沼通二・慶応大名誉教授(素粒子論)による調査のことで、「最近も湯川博士の自宅で三十数冊の手帳が見つかった」ことが報じられている。

 私は先日「藤岡の原子液滴模型からアインシュタイン・荒勝関係まで」(下記の修正後の題名の和訳)という記事を英語版のブログサイトに載せた折に、政池君にそれを知らせたところ、彼から忠告の電話を貰ったばかりである。彼も以前、その記事に登場するアメリカのフリー・ジャーナリストから接触を受けたが、日本でも原爆研究が行われていたことを喧伝して、アメリカの原爆投下をあくまでも正当化しようとする修正派歴史家の一人と思われるので注意するようにとのことだった。いわれてみれば、そのジャーナリストと私のやりとりの間にもそうした危険性が確かにうかがわれたので、政池君の忠告を尊重して、その記事の一部を削除するなどの修正をした。

 なお、政池君の今回の調査結果の記事を検索している間に、彼の「戦時下の日独の原子核研究」と題する講演(NPO 法人「知的人材ネットワークあいんしゅたいん」主催「サロン・ド・科学の探索」第 2 回、2015 年 1 月 25 日)のスライドが、こちらから、文末の「政池資料」をクリックしてダウンロード出来ることを知った。スライドは三千代夫人との共著になっている。

2015年8月2日日曜日

午睡の友 (Friend of Afternoon Naps)

[The main text of this post is in Japanese only.]


昼寝中のパンダの子ども。2015 年 7 月 7 日、白浜のアドベンチャーワールドで。
Child panda taking a nap. The picture was taken in Adventure World in Shirahama on July 7, 2015.

 暑い日が続く。このところ、岩波の『図書』誌 8 月号を友として午睡をした。

 同誌に翻訳家・石井登志子が書いている「リンドグレーンの生涯」は、児童文学作家という肩書きからは想像しがたい、アストリッド・リンドグレーンの一生を教えてくれた。18 歳で未婚の母となったこと、原発反対、子供への暴力の禁止、女性の権利、人口問題、動物愛護などについて積極的に意見を発表したこと、彼女の主張で法律が変えられたことも幾度もあったこと、など。

 作家・髙村薫が連載しているエッセイ「作家的覚書」の今月号記事「真面目に生きる」も、なかなかよかった。「健康のためにほぼ毎日馬に乗る」と始まる。作家の日常の話かと思って読み進むと、「私のような還暦を過ぎた独身者には、集団的自衛権の行使も[…中略…]、影響は限られているが、代わりに直接の影響がある自衛隊員[…中略…]の不安に思いを馳せ、[…中略…]政治への真剣な怒りを募らせる。これが真面目に生きるということだ」として、「戦争法案」に対する鋭い批判を展開している。

 作家・高橋源一郎の「見える戦争と見えない戦争(下)」では、引用されているスーザン・ソンタグの言葉、「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだ、ということである」が気に入った。科学上の論争でも注意すべきことだ。

 地球科学者・諏訪兼位(すわ かねのり)の文、「時代を超える『学生に与ふる書』」の末尾には「[…]六九年ぶりに『学生に与ふる書』を読み、今なお色褪せていないことに二度目の驚きを覚えた。戦争中に書かれた書だが、今、ぜひ再読されたい」とある。(一度目の驚きは、諏訪が旧制高校時代に、同書の著者・天野貞祐の共訳書『プロレゴーメナ』の岩波文庫版を読み、いくつかの誤植を見つけて岩波書店に葉書を出したのに対し、天野から丁重な礼状が来たことである。)引用した末尾の一節がなくても、『学生に与ふる書』を一読したいと思わせるエッセイである。