2014年10月29日水曜日

J・M 君へ:返信への返信、そして漱石の『門』のこと (To J.M: Reply to Your Reply and about Sōseki's Mon)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ギンモクセイ。堺市が高石市へ少し入り込んでいる道路で、2014年10月25日撮影。
Sweet Osmanthus; taken on the road of Sakai City that penetrates a little
into Takaishi City, on October 25, 2014.

J・M 君へ:返信への返信、そして漱石の『門』のこと

October 18, 2014

M 君

 「貴君が反対意見を述べられたとしても、[彼は]結局は思い通りにことを運ばれたでしょう」にいたる、ご感想「●KJ 君」、まことに適切です。

 「●貴下宿」の二つの話題のご記憶には驚きました。話した当人は全く覚えていませんでしたので。光速を超えて飛行(実際には不可能)しながら過去を見るという想像を、私は中学時代に知り、そういう作文——超光速ロケットで地球から遠ざかりながら、戦国時代の武将の戦いをかいま見る——を書いたことがありました。学校においてではなく、自分で雑誌風のものを作って、その中に書いたと思います。群論の話は、大学 3 年生のときに、試験を受けて単位を取る気まではないながら、有名教授・秋月康夫先生の講義を数学教室へ聞きに行ったことにふれたものでしょう。同先生の講義でいま覚えているのは、参考書として先生が鈴木道夫氏との共著になる『高等代数学 I』(岩波全書)を挙げて、「鈴木道夫は私の娘婿です」といわれたことぐらいです。

 「●阪急ファン来訪」——KS 君もクライマックス・シリーズ first stage でのオリックス敗退は、きわめて残念に思われたことでしょう。貴君は彼と、西宮、西京極、神戸グリーン・スタジアムまで付き合われたとのこと、道理で、阪急の歴代選手の名を記憶されているのですね。私も機会があれば、KS 君にお目にかかりたいものです。

 […中略…]

 先般、『学士會会報』(誌名には、この通り、2 種の「会」の字が使われています)2014 年 9 月号に掲載の、山折哲雄氏著「『門』の内と外」というエッセイに、わが国の文学作品には「男女の三角関係を描く作品が極端に少ない」とあるのを読み、興味を引かれました。氏は、「例外中の例外ともいうべき作品」として『源氏物語』にふれ、「[その]作者によって発見されたはずの世界が、それ以後受けつがれたような形跡がまったくみられない」と述べています。そして、「ようやく近代になってから、このテーマに重い腰をあげてとりくもうとしたのが、わずかに夏目漱石だった」として、『それから』と『門』における人間関係の分析に入っています。

 分析の結果は、『それから』では、「三角関係の輪郭がしだいにぼやけて」、「気がつくと、三千代と代助の二極の関係だけがひそかにつづけられている」というものです。山折氏は『門』についても、「『それから』の場合とおなじように、いつのまにか宗助と御米という二極の関係、すなわち対の関係へとすりかわっている」とみて、さらに、「最後の場面で主人公の宗助が自分一人で鎌倉の寺に行って参禅しようと思う」ことから、「対の関係のなかからさえも、唯一のこされた大切な相手の項を差し引こうとしていたのではないだろうか」と述べています。

 西洋の文学における三角関係の記述は、確かにもっと強烈です。たとえば、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、スタンダールの『赤と黒』、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』など。それでもやはり、三角関係の頂点の人物がみな同じ強度の印象を与えることはない(上記 3 作におけるカレーニン氏やレナール氏やアルベルトの印象は薄い)ことを見れば、漱石が三角関係を取り上げながらも二極の関係に移行しているというのは、必ずしも漱石の作品の弱点ではないのではないかという気が、私にはします。

 私は『門』をテレビ・ドラマで見ましたが、原作はまだ読んでいなかったので、このたび読みました。インターネット検索をしてみると、『門』のテレビドラマは、TBS系「金曜ドラマ」第 1 期第 3 シリーズとして、『わが愛』の題名で、1973 年に放映されたと分りました。出演は加藤剛、星由里子ら。加藤剛が出演していたことは覚えていましたが、その他はほとんど忘れていました。

 そのドラマの解説に「友を裏切って駆け落ちした男女二人のささやかな生活と心のさびしさを描く」とあるのを見て、確かに、ささやかな暮らしと夫婦愛が印象的なドラマになっていたとは思いましたが、「友を裏切って駆け落ち」という三角関係部分の記憶は全くありませんでした。逆に、テレビドラマでわずかに記憶に残る、宗助が妻・御米を「足弱さん」と呼ぶ場面に、原作では出会わず、キツネにつままれた感じがしました。「足弱さん」は、原作にない脚色だったのでしょうか(他のドラマと勘違いしているとは思えませんが)。

 朝日紙に目下連載中の『三四郎』の昨 17 日分、第十二回「二の四」、大学の池のほとりで美穪子を初めて見る場面は、高校の国語の教科書にあった懐かしい部分です。貴君の高校とは教科書が違っていたでしょうか。

 爽快な秋晴れの日々です。貴君は戸外活動をお楽しみでしょうか。

 T・T

2014年10月7日火曜日

J・M 君へ:KJ 君の大恋愛 (To J. M: KJ's Passionate Love Affair)

[The main text of this post is in Japanese only.]


バラ。2014 年 9 月 22 日、堺市・中の池公園で撮影。
Rose; taken in Nakanoike Park, Sakai on September 22, 2014.

2014 年 9 月 28 日

M 君

 昨日の昼食時、先にも書きました、近年恒例の R・M 君らとの菫台高校ミニ同期会があり、KJ 君を含めて 5 人が集まりました。会場は、これも恒例になった堂島の「魚匠・銀平」という店。そこからほど近いセルフサービスのコーヒー店で二次会をしている時、テレビに御岳山噴火のニュースが映りました。御岳山は百名山の一つで、妻も 2 年前に登っています。今日午後 2 時現在では、登山客らの心肺停止が 30 数人にもなったそうですね。

 KJ 君と私は集合場所へ行く前に先に落ち合いました。彼は、奥さん(M 子さん)が要介護 1 の認定を受けることになったことを話し、「私の口からいうのも何だが、頭のよい人だったのに、昔のことは覚えていても、少し前に話したことも覚えていなくて…」といっていました。彼と M 子さんの大恋愛のことは、貴君に伝たことがあったでしょうか。婚約時代の彼らに私が初めて会ったのは、私が修士課程 2 年の夏休み前のことでした。帰省後、MS 君に M 子さんの印象を話したところ、「君自身のことをいっているようだ」といわれました。字が綺麗で静かな話し方をするなどなどの美点を述べたためだったでしょう。

 [中略]

 私は 10 月にはいくつもの予定が入りましたので、貴君とともに KJ 君に会う機会は 11 月にでも持てれば嬉しいと思っています。(昨日 KJ 君に、貴君とメールでやり取りした話の一部を伝えました。)

 T・T


2014 年 10 月 1 日

M 君

 KJ 君の大恋愛については、私が母へ送った手紙に、彼自身の手紙を引用しながら詳しく報告しています。それらの私の手紙を、最初に使っていたブログサイト『エコー!』で記事にしたのですが、そのプロバイダーのシステムが事故を起こし、ブログは消滅しました。幸い、各記事の控えはパソコン上においてあったので、一部、目下使っているブログサイトへ過去の日付けで再現しました。しかし、母への手紙を掲載した 2006 年頃の記事は、まだ再現出来ていません。そこで、パソコン上の控えから、KJ 君の大恋愛関係の部分を抜き出して集めることによって、貴君に伝えることにします(KJ 君に無断で悪いですが、50 年以上も昔のことですから、事後にでも快諾を貰えることと思います)。

 文中、「MT 君」とあるのは、貴君のことです。貴君に私の下宿へ遊びに来て貰った折に、KJ 君がもう婚約したと話したようです。貴君のご来訪は主題には直接関係ありませんが、KJ 君の婚約時期の間接的証拠として、以下の引用に含めます。また、最後の引用は、私の小説「夏空に輝く星」に対する M 子さんの感想が中心の話ですが、そこには KJ 君と M 子さんの親密さや彼女の頭のよさが現れていると思い、含めるものです。その中に出て来る「SN 君」とは、紫中 1 年と菫台高校で KJ 君や私と一緒だった友人(中学は 2 年から野田中)のことです。

 婚約時代の KJ 君と M 子さんに私が初めて会った、修士課程 2 年の夏休み帰省前頃の記録がありませんが、それまでに KJ 君が決心し、私も意見を聞かれて賛成した通り、M 子さんは最初の婚約者との約束を破棄して、KJ 君と婚約したのです。1960 年の春休み早々に彼らは結婚式を挙げ、私も披露宴に招かれて出席しました。以下、母への手紙からの抜粋です。

×     ×     ×

 KJ 君から最近 2 回も封書での便りがありました。某女子大を昨年出て彼の学校へ就職してきた人が、「実にすばらしい」人で、「早速お近づきになっ」て、一緒に帰ったり、「お茶を飲みに行っ」たりしているそうです。しかし、「この先生にはちゃんと婚約者があっ」て、「私はみのらぬ恋ゆえ実に実に悲しいです」と。彼女の婚約者は(…略…)。「雨がまるで私の心を読み取ったかのように寂しく降っています…。近いうちにぜひ来たまえ。テレビもあることだから」とも。
(1959 年 5 月 21 日——修士課程 2 年生のとき——)

 最近の KJ 君の手紙から。
 「きょうは少々冷静に考えて下さい。〈冷静にならなければならないのは彼の方です。〉
 「私のために…ここまで書けば分かると思いますが…実は某女子大出身の同僚の先生・M. I さんとのことなのです。(…中略…)。4月以来、ほとんどといっていいくらい毎日一緒に帰ります。たとえば、火曜日は(…中略…)。土曜日、まず、一緒に元町、三の宮へ行き、ドンクに入り、それから須磨浦へ行った。そして、ステレオコンサートを聞き、また三の宮へ出た。非常に疲れて、家まで送るのが辛かったので、タクシーに乗って貰うために、お金を彼女に渡したが、彼女はそれを拒み、『そんなんだったら、家まで送って』と私の手を強く握りしめていた。それでは送ろうとしたとき、同僚の先生にその熱い場面を見られた。また、生徒たちも私たちのことはよく知っている…。
 「(…中略…)。いろいろと話し合った。なぜこうも気が合うのか? もしも私が彼女にとって価値のない男性であれば、彼女は婚約している身だから、こうはならなかっただろう。しかし、彼女も迷っている。私の心は決まっている。
 「このように全く気の合う女性は初めてなのだ。私は好きで好きでたまらない。どうしても彼女を自分のものにしたいのです。(…中略…)。ともあれ、君の意見を聞かせてくれ給え。」
 すぐに返事を送りましたが、母さんならば、どんな意見を述べるでしょうか。
(1959 年 6 月 x 日)

 母さんの KJ 君に対する感想は、ぼくのと大体同じでした。KJ 君はその後何ともいって来ませんが、某女子大出身の先生とはどうなったのやら。
(1959 年 6 月 22 日)

 24 日の秋分の日には、前日に会社に電話して、MT 君に遊びに来て貰いました。晴天ならば、一緒にどこかへ行くつもりで、午前 10 時過ぎに下宿へ来て貰う約束をしたのですが、あいにく雨でした。それでも、昼食を挟んで前後 4 時間余り、いろいろ楽しく話し合いました。
 湯川研究室の修士課程を今春終えた MR さんという人が彼の会社へ就職してきたそうです。MR さんはゆっくりと話す人で、「ぼくの、ような、つぶしの、きかない、にんげんが、こういう、ところへ、きても、なにも、することが、ないね」などといっているとか。MT 君自身は経理関係の仕事をしているそうです。ぼくも、夏休みの旅行の話、実験の珍談、KJ 君のニュース等々を話し、話題はつきませんでした。MT 君は「奥さんのある自分というものが、まだピンと来ない」といっていました。
(1959 年 9 月末頃)

 先日、KJ 君から手紙が来て、九州へ修学旅行に行って来たとのことでした。M 子さんが彼の本箱から菫台高校の雑誌『新樹』を見つけ出して、ぼくの小説を読み、彼らの交換日記帳にその感想を書いていたと、学会の帰途神戸へ寄ったとき彼が話してくれたので、彼に後でその内容を知らせてくれるように頼んでおきました。それについても、次のように書いてきました。
 「『文全体として、表現や物の形容にしつこさがあり、何となくゴツゴツした生硬さが感じられますが、内容の進展に頭のよさがうかがわれます。また、全体から受ける感じは、適確さそのものですね。登場人物中のあなたはすぐ分かりました[KJ 君が作中のどの人物のモデルになっているかということ]。SN さんも。[夏休み中に SN 君が KJ 君のところへ来て、M 子さんも一緒に会ったらしい。](…中略…)。よいお友だちに恵まれた高校生活を過ごされたあなたは大変幸せだと思います。』彼女は以上のように述べています。」
 ぼくは以下の感想を送りました。
 「M 子さんのご感想を知らせてくれてありがとう。(…中略…)。文章の生硬さと形容の執拗な点をまず批判しておられることは、この評者の感受性の鋭さをうかがわせるものである、と私からご批評に対する批評を呈したい。ところで、君が写し送ってくれた文章の後半は、私の作品そのものに対する直接の批評ではない。その文章が述べられた場所にふさわしく、それは、あの作品の登場人物の一人のモデルとして、あの中に呼吸している過去の君を、あの中でやさしくまさぐってみたことに関する彼女の感想である。そこまでわざわざ写してくれて、ご馳走様!」
(1959 年 11 月 16 日)

×     ×     ×

 KJ 君の件は以上です。

 きょうから朝日紙で漱石の『三四郎』の連載が始まりましたが、私はそれをよそ目に、『門』を読んでいます。その理由や、他の書きたいことについては、また日を改めて。

 T・T

2014年10月3日金曜日

K・F 氏へ:心がぐらつく (To K. F: My Mind Has Been Shaken)

[The main text of this post is in Japanese only.]


Farewell to Reality written by Jim Baggott and The Universe edited by John Brockman.

2014 年 10 月 2 日

K・F 様

 10月1日付けメール、ありがとうございました。

 ResearchGate[注:リンク先は同インターネット・サービスのの私のプロフィル・ページ]は登録して、後は放っておいて、気の向くときに眺めるだけでもよいので、ひるまないで参加されることをお勧めします。無理にとはいいませんが。

 秋田大学の地球科学コース受講やアメリカ西部海岸への旅行など、お元気なご活躍ぶりに感服しています。アメリカの土産話を期待しています。

 私は、今月 10 日に東京で、大連にいたときの小学校の同窓会総会(一同が高齢化し、今回が最終回)が開催されますので、前日に上京します。その夕方、逗子市から Y 君、我孫子市から M 君が来てくれて、木村研のミニ同窓会を持つ予定です。

 F さんは anthropic cosmological principle(人間原理)が提唱されたばかりの頃、それに興味を持っておられましたね。私は、その考えはコペルニクス以来の宇宙観・物理観に反すると思っていました。 最近、science writer の Jim Baggott が著した "Farewell to Reality: How Modern Physics Has Betrayed the Search for Scientific Truth" (Pegasus, 2013, paperbound) という本を読みました。Baggott はその本において、multiverse、anthropic cosmological principle、super-symmetric particles などの現代の宇宙物理学・物理学の理論には観測的、実験的根拠がない、もしくは原理的に得られない、として、それらの説を "fairy-tale physics" と呼んでいます。これを読んで、私はわが意を得たりと思いました。

 しかし、続いて、John Brockman 編の "The Universe" (Harper Perennial, 2014, paperbound) という本を読み始めたところ、"fairy-tale physics" は、必ずしもそう呼ばれるべきものではないのではないか、と心がぐらついています。この本には 20 名近くの著名な宇宙物理学者、物理学者たちが最近の理論を分りやすい言葉で述べていて、super-string theory で無数の解の存在が予想されることは、multiverse や anthropic cosmological principle につながる、といわれると、なるほどと思わされるのです。

 では、ご旅行の無事を祈っています。

 T・T