2018年12月31日月曜日

校閲さん、しっかりして! (Proofreaders, Be Careful!)

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『図書』誌 2018 年 12 月号と 2019 年 1 月号の表紙。
Covers of the December 2018 and January 2019 issues of the magazine Tosho.

 岩波書店が発行する月刊 PR 誌『図書』を私は長年愛読している。しかし、その連続する二つの号で、1ヵ所ずつだが、拙い日本語に出会った。各号の記事を全部読んでいるのではないが、このようなまずさに気づいたのは初めての経験である。

 気づいた 1ヵ所目の拙い日本語は、2018 年 12 月号 64 ページの「こぼればなし」と名付けられた編集後記の冒頭にあった次の文である。
年の瀬の慌ただしさのなかで本誌を手にとられていらっしゃる方も多いかと思います。
「とられていらっしゃる」は二重敬語という種類の、敬語の誤用である。

 2ヵ所目の拙い日本語は、2019 年 1 月号 6 ページから始まる磯田道史氏の記事「『伊丹十三選集』刊行に寄せて」中、9 ページ中段から下段にかけての次の文である。
やはり、伊丹さんの好奇心が的を得たところに向かっており、聞き手として非凡なのであろう。
「的を得た」は、しがちな間違いで、「的を射た」が正しい。

 これらが誤植でないとすれば、原文を書いた本人にも責任は当然あるが、校閲段階で容易に発見できるような間違いでもある。『校閲ガール』というシリーズ小説があり、それが 2016 年にテレビドラマ化して放映されたのを見た。校閲とはなかなか大変な仕事のようだが、それだけにやりがいもあろう。校閲の徹底ぶりはその出版社の品格にさえ関わる。「岩波の校閲さん、しっかりして!」といいたい。

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2018年12月24日月曜日

穴蔵生活で越年となる (Life Like Living in a Cellar Continues to the Next Year)

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台風 21 号によるわが家の被害。
Damage to my house by typhoon Jebi.

台風 21 号の被害を受けて

 さる 9 月 4 日の台風 21 号で、わが家も若干の被害を受けた。翌日すぐに、わが家を建てた建設会社(名の知れた一流企業だが、仮に A 社としておく)へ修理の依頼をした。その日は A 社の定休日だったので、東京の同社コールセンターへ連絡したのである。そのようにした場合、普通の修理要請では地域担当の支店から翌日すぐに連絡があったものだが、今回はそれがなかったので、支店にコールセンターへの依頼が伝わっていることを確認する電話をして、修理依頼が混み合っているならば応急措置に来るようにとも頼んでおいた。

隣家の調査ついでに

 9 月 15 日、わが家がたまたま留守にしていた間に、同じ A 社の建てた隣家へ同社から台風被害の調査に来て、隣家の屋根や敷地内からわが家の被害状況も撮影して行ったと、隣家の奥さんから聞いた。あらかじめ連絡もしないで調査に来たとは不手際なことだと思っていたが、最近隣家の奥さんからもう少し詳しく聞いたところでは、隣へ調査に来た人たちはわが家の調査は予定には入れていなかったが、奥さんがわが家も同じ A 社の建築によるもので被害を受けていると話したので、急きょ撮影して行ったのだそうだ。

「物干し用テラス」を「カーポート」と

 隣家へ調査に来た当日の晩だったか、A 社支店から電話があり、隣家からの撮影で調査終了の扱いにしてよいかと尋ねられた。それは、あくまでも初期調査(屋根その他それぞれ専門の業者を詳細調査に差し向けるための前段階の調査)の終了という意味だと思い、OK しておいた。その電話で支店の人は、物干し用テラスの損傷について、「カーポートに穴が空いていますね」といった。物干し用テラスとカーポートでは大違いである。「カーポートでなく物干し用テラスです」と訂正しておいた。そして、外構に属する物干し用テラスの修理費見積もりには、実際、10 月 19 日になってからだったが、詳細調査に来たのである。ただし、その詳細調査が約 1 ヵ月後になるという予告電話が、外構担当の子会社から 9 月 18 日にあった折にも「カーポート」というので、再度訂正しなければならなかった。支店では顧客の指摘による修正をしていなかったのである。

詳細調査なしで見積りへ

 建物本体の詳細調査を待ちわびて過ごしているうちに、 12 月も半ばとなった 15 日、「見積書をお送りします。ただし、なお 1 週間ほどかかります」という旨の電話連絡があった。物干し用テラスをカーポートと見誤ったような調査で見積書作成を進めていることに驚いたが、届いた見積書に不備があれば指摘して調査し直しを求めようと思いながら、何日かを過ごした。しかし、20 日になっても見積書は届かなかったので、あらかじめ分かる不備があれば、早く指摘した方がよいと考え直し、A 社から届いていた「台風災害に関するご相談・補修対応についてのお見舞いとお詫び」というハガキに記載のある支店内災害復興センターへ電話した。ところが、当日同センターは臨時休業中であった。仕方なく同支店の一般補修相談窓口へ電話してみた。そこで調べてもらうと、案の定、樋から雨水を下へ流す垂直の管の 1 本の損傷の写真はないということだった。そういう不完全な見積書では役に立たないから、詳細調査に至急来るようにと要請した。

応急措置も強く要請

 21 日の受付け時間早々に改めて災害復興センターへ電話し、前日に一般補修相談窓口へ伝えた要請に加えて、対応のないままに過ぎている応急措置にも至急来るように要請した。その時に聞き忘れたことがあったので、再度電話し、二つの要請についても繰り返し伝えた。二度目に出た窓口担当者からは、その日のうちに調査担当者から返事するとの回答があった。しばらくしてから 3 度目の電話をして、最初の窓口担当者を呼び出してもらい、先には調査が終わらなければ応急措置はできないといっていたが、A 社としては見積書作成を進めていたのだから、応急措置はすぐにもできるはずで、遅れてしまっている応急措置に即刻来るようにと要求した。このようにして、ようやく 23 日に、詳細調査と遅すぎる応急措置を合わせて行うための、災害復興センター担当社員と下請けの専門家の合計 4 名の来訪があった。

集まりの予約をキャンセルまでして

 この日を逃しては、また何日待たされることになるか分からないので、私は「田辺うたごえ喫茶」の予約をキャンセルして対応したのだった。この催しは、直近の日にキャンセルした場合、次回参加時にキャンセルした回の参加費も合わせて払わなければならないので、23 日に来訪した災害復興センター担当社員に、「今日はキャンセル料の必要な集まりをキャンセルしてまで待っていたことを覚えておいて下さい」と告げておいた。

忙しいからこそ丁寧に

 A 社では約 2000 件の災害復興要請を受けていると聞くが、それだけ多いからこそ、各件に丁寧な対応をしないと、わが家の場合のように、かえって手間がかかってしまうことを肝に銘ずべきである。居住者不在中の隣家からの撮影で詳細調査に替えるなどは、もってのほかである。

わが家の被害状況

 わが家本体の被害は、1. 屋根のスレートの破損 7 ヵ所、2. 雨樋(南側の横と縦の管)の破損、3. 雨戸 1 枚の凹み、4. 壁に何ヵ所かの小さな傷、である。1 についてはシートを掛ける必要があるほどの破損はなく、下地の防水シートが雨漏りは防いでいるということで、応急措置は釘の抜けた穴を塞ぐ程度で済んだ。2 については、雨降り時に穴からまとまって大量に漏れ落ちる水が物干し用テラスの屋根や空調室外機を叩き、あたかも豪雨のような騒音を発して近所迷惑だったが、専門家はテーピングなどで簡単に応急措置をしてくれた。空調室外機は風雨にさらされる仕様になっているとはいえ、大量の雨水が直接当たったのでは故障する可能性があるだろうと、要保冷品が送られてきた大きめの発泡スチロール箱があったのを利用して落下水を受けていた。しかし、それも一夜の雨程度ですぐに一杯になり、雨降り後に毎回空にするのが一苦労だった。

穴蔵生活が続く

 3 の雨戸は、私が 1 日の大半を過ごす書斎のもので、しかも、開ける時に最初に動かすべき 1 枚が動かなくなったのだから、台風以後雨戸を開けられない状態のまま、あたかも穴蔵生活のような日々が続いている。昼間も天井の蛍光灯の点灯が必要であり、南側なので、例年は天気がよければ冬でも午後は暖房は不要なのだが、今年は日差しが遮られたままで、そうは行かない。応急措置として凹んだ雨戸を外してもらおうかとも思ったが、最近は激しい風雨の日もよくあり、雨戸が一部分ない状態にするのは不安で、そのままにしておいてもらった。穴蔵生活での越年となる。


 (2018 年 12 月 26 日、一部修正)。

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2018年12月20日木曜日

「オジマンディアス」の岩波訳と拙訳を比較する (Comparison of Japanese Translations of "Ozymandias" by a Specialist and Me)

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文献 3『対訳 シェリー詩集――イギリス詩人選(9)』。
Side-by-Side Translations of Shelley’s Poems (Ref. 3).

はじめに

 先に The Intellectual Devotional(文献 1)でパーシー・ビッシュ・シェリー作の詩「オジマンディアス」を読み、インターネット上にあった和訳(文献 2)の誤りなどに気づき、自ら訳してみたことを記した(こちら)。先日、大阪・梅田に用事があって出かけたついでに、紀伊国屋書店で『対訳 シェリー詩集――イギリス詩人選(9)』(文献 3)を見つけて買ってきた。その中にも「オジマンディアス」の和訳があるからである。文献 3 の前書きによると、訳については「様々な先行文献を参照した」とあって、編者自身の訳と言ってよいかどうか分からないので、ここでは文献 3 の出版社の名をとり、「岩波訳」としておく。

 まず、先に掲載した原詩と拙訳、そして岩波訳を記し、そのあとで岩波訳と拙訳の比較を試みる。二つの和訳の相違はそれほど大きなものではなく、比較の論はかなり細かい話になる。しかし、詩人は言葉をよく選ぶものであろうから、その作品を訳すには細心の注意が必要であろう。

 後日の追記:本記事の内容を論文、リポート等の参考にされる方は、必ず本記事を参考文献として引用して下さい。書き方は次の例を参考にして、論文等の体裁に合わせて下さい。
多幡達夫「『オジマンディアス』の岩波訳と拙訳を比較する 」、ブログ "Ted's Coffeehouse 2"(2018年)https://ideaisaac2.blogspot.com/2018/12/comparison-of-japanese-translations-of.html。
 特に学生諸君へ:本記事は英文学が専門の先生方の目にも入っていますので、無断引用があれば、盗用として厳しく減点されることに留意して下さい。


原詩と二つの和訳

 原詩は次の通り(文献 4)。


 拙訳は次の通り。
私は古代に栄えた地から来た旅人に出会った。
その人は言った:胴のない二本の巨大な石の脚が
砂漠に立っている。その近く、砂の上に、
半ばうもれて、砕けた顔があり、その渋面、
しわ寄った唇、そして冷酷に威圧する嘲笑は、
告げている、その彫り師がこうした情感をよく読み取ったことを
その情感はいまも生き延びている、この命のないものに刻まれ、
それを写し彫った手と、それを生んだ心を超えて。
そして台座には、次の言葉がある。
「わが名はオジマンディアス、諸王中の王、
わが業を見よ、汝ら力強い者よ、そして絶望せよ!」
傍には何も残っていない。この巨大な残骸の
断片の周りには、限りなくむなしく
寂しく平坦な砂地が遥か遠くまで広がっている。

 注:13 行目の「むなしく」は、先に掲載した時に「がらんとして」だったが、『広辞苑』(第七版)によれば「がらん」は「一定の空間に何もなく、広くて空虚なさま」(下線は筆者)であり、前にある「限りなく」という空間の形容と合わないので修正した。

 岩波文庫訳(文献 3)は次の通り。
古(いにしえ)の国から来た旅人に会った
彼は言った——「二本の巨大な胴を失った石の脚
沙漠に立ち……その近くに、沙(すな)に
半ば埋(う)もれ崩れた顔が転がり、その渋面
皺(しわ)の寄った唇、冷酷な命令に歪(ゆが)んだ微笑
工人その情念を巧みに読んだことを告げ
表情は今なお生き生きと、命なきものに刻まれながら
その面持(おももち)を嘲笑(わら)い写した匠(たくみ)の手、
   それを養った心臓より生き存(なが)らえて
そして台座には銘が見える。
我が名はオジマンディアス、〈王〉の〈王〉
我が偉勲を見よ、汝ら強き諸侯よ、そして絶望せよ!
他は跡形なし。その巨大な〈遺骸〉の
廃址の周りには、極みなく、草木なく
寂寞たる平らかな沙、渺茫と広がるのみ。」——

訳の比較:前半部

 1 行目、岩波訳では日本語らしく原詩の "I" を省略しているが、拙訳では原詩が英語であることを尊重して、"I" の訳「私は」を入れた。"a traveller from antique land" は岩波訳にある通り、「古(いにしえ)の国から来た旅人」であるが、この表現では、過去から時間を超えやって来た旅人をも想像しかねない。ただし、旅人が語った以下の内容を読めば、その地の現在を見て来た人と分かる。そこで、拙訳では文献 5 の「いにしえに栄えた地から来た旅人」に倣って、「古代に栄えた地から来た旅人」とした。

 2 行目、関係代名詞 "Who" は、岩波訳の「彼は」を誰でも思いがちだろうが、性別が明らかでない who を男性とみなすのは偏見になると考え、拙訳では「その人は」とした。旅人が述べた言葉の引用を示す岩波訳のホリゾンタルバー(——)と始まりのかぎ括弧(そして14 行目の末尾にある終わりのかぎ括弧とホリゾンタルバー)は、同じ目的の記号の重複である(原詩の引用において、岩波の本には「—“ 」と、重複式で始まり、「 ” 」だけで終わる非対称な形をとっている。これは、例えば、文献 6 に見られる表記である。なお、岩波訳 3 行目の「......」も文献 6 に見られるものである)。他方、拙訳のコロンでは引用の終わりが不明瞭だが、上掲の原詩(文献 4)の形を尊重した。

 同じく 2 行目、"Two vast and trunkless legs of stone" を「二本の巨大な胴を失った石の脚」とした岩波訳では、「脚」に至って初めて、「二本の」、「巨大な」、「胴を失った」のいずれもが「脚」を形容していると分かる。「巨大な胴」とつながっていると思われないように、原詩の "and" を生かして、「二本の巨大で胴を失った石の脚」とする方がよいと思われる。拙訳では形容関係を分かりやすくするため、あえて語順を変え、「胴のない二本の巨大な石の脚」とした。

 4 行目、"sneer of cold command" の "command" を岩波訳は普通名詞の「命令」と解釈しているが、冠詞がついていないところを見ると、"control" と同義の抽象名詞と見るのがよいと思われる。そこで、拙訳は "of" 以下を「冷酷な制御の」つまり「冷酷に威圧する(ような)」という形容句と考えた。"sneer" は「冷笑」という意味だが、これを使うと「冷」が重なるためか、岩波訳では「微笑」としたが、結果的に「冷酷」を半ば打ち消している。拙訳では「嘲笑」を使い、そうなることを避けた。

 6 行目、"sculptor" を岩波訳は「工人」とした。『広辞苑』(第七版)によれば、工人とは「中国で、労働者のこと」と説明されており、これでは "sculptor" の意味が出ない。拙訳の「彫り師」は、文献 2 の「彫師たち」を参考にしたが、原詩では単数形であり、誤りを正して使った。

 同じく 6 行目、"passions" を岩波訳は「情念」とし、拙訳は「情感」とした。Random House English–Japanese Dictionary に "passion" の複数形用法の訳語として「情感」が「感情」と並んで記されていて、この両者はほとんど同義であり、内容的には熱い心から冷たい心まで、いずれにも当てはまる中立的な言葉である。他方「情念」は、『岩波国語辞典』(第五版)の説明が「心にわき、つきまとう感じと思い」と分かりやすく述べているように、感情を表す言葉としては、ねばねばした、あるいは熱いものを連想させる傾きがある。したがって、「情念」はこの彫像の顔の冷酷さとはいささか相いれないように思われる。

 7 行目、"Which" は前行の "passions" を受けており、8 行目の "them"、そして同行目末尾に省略されている目的語も "passions" である(文献 7 の Note 6)。岩波訳は前二者を「表情は」、「その面持(おももち)を」と表現を変えているが、拙訳では「その情感は」と、これを受けた「それを」を使い、「情感」という解釈で通した。この相違が "the heart that fed" の訳の相違につながる。岩波訳では「[その面持を]養った心臓」となり、拙訳では「[その情感を]を生んだ心」となる。なお、岩波訳では 8 行目の "mocked" に「imitated と derided と二つの意味がかけてある」(同訳の脚注)として、「嘲笑(わら)い写した」と二つの動詞を使って訳している。私はそこまでは気づかなかった。「戯画」という言葉があるが、「戯彫刻」あるいは「戯刻」という成語があれば、「戯刻した」と一つの動詞で表せるのだが。

訳の比較:後半部

 10 行目、"king of kings" は岩波の本や文献 6 の原詩の表記では "King of Kings" と大文字で始まっており、岩波訳の「〈王〉」の山かっこはこれに対応させたものであろう(同じ山かっこの使用が 13 行目に原詩の同上表記に大文字で "Wreck" と始まっている語の訳にも見られる)。拙訳では "of kings" に複数形が使われていることを尊重した。なお、岩波訳では台座の銘が 10、11 行目の 2 行であることが分かりにくい。

 12 行目、"Nothing beside" について、岩波訳は beside が Nothing を形容していると捉えたが、拙訳では文献 7 の Note 12 に シェリーの原稿に "No thing remains beside." となっている、とあるのを参考にした。

 12 行目の岩波訳にある「草木なく」について言えば、草木のないのは確かに "bare" であるが、"bare" は草木がないだけに限らないであろう。この懸念を避けるには「草木もなく」とする手もあろうが、「草木」という具体的な名詞がいったん提示されると、砂漠にありそうなわずかの草木が脳裏に浮かび、「なく」と否定されても、残像のように脳裏に残って、完全には消し難いという欠点がある。拙訳の「むなしく」は、オジマンディアス像の残骸以外には草木はおろか何の跡形もないことを簡潔に表している。

むすび

 以上、岩波訳と拙訳を比較して、拙訳に多くの点で長所があることを述べた。英文学者でもない私であるが、理系研究者として論文を書く際の一つの重要な心構えに、自分の考えが正しいはずという根拠があれば、たとえ従来の考えと異なっていても、それを気後れすることなく述べるべきだということがあるのを実践したまでである。

文 献
  1. D. S. Kidder and N. D. Oppenheim, The Intellectual Devotional: Revive Your Mind, Complete Your Education, and Roam Confidently with the Cultured Class (Rodale, New York, 2006).
  2. 壺齋散人(引地博信)「オジマンディアス OZYMANDIAS」
    https://poetry.hix05.com/Shelley/shelley02.ozymandias.html)。
    「『オジマンディアス』とは、古代エジプト王ラムセス 2 世のこと【タイトルの意味】」
    http://breakingbadfan.jp/trivia/cranston-ozymandias/)にも引用されている。
    後日の追記:ただし、上記の壺齋散人氏による文献は原詩の句読点を全く無視しているなどの欠点があり、参考にされないことを望む。この点については、2020 年 10 月 27 日付けの匿名さんのコメントでご指摘いただいた。
  3. アルヴィ宮本なほ子編『対訳 シェリー詩集――イギリス詩人選(9)』(岩波文庫、2013)。
  4. Percy Bysshe Shelley, "Ozymandias" in Miscellaneous and Posthumous Poems of Percy Bysshe Shelley (W. Benbow, London, 1826) p. 100
    (https://play.google.com/books/reader?id=MZY9AAAAYAAJ&printsec=frontcover&output=reader&hl=en&pg=GBS.PA100).
  5. 岡村眞紀子訳「オジマンディアス」、武田雅子「英詩入門―いろいろな詩の技法―」
    https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20181116195723.pdf?id=ART0009622599)中に引用。
  6. "Ozymandias By Percy Bysshe Shelley", Source: Shelley’s Poetry and Prose (1977). Poetry Foundation (https://www.poetryfoundation.org/poems/46565/ozymandias).
  7. "Ozymandias" (http://rpo.library.utoronto.ca/poems/ozymandias), in Representative Poetry Online.


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2018年12月18日火曜日

2018 年 12 月の「みんなで歌う音楽会」 ("Concert to Sing Together" in December 2018)

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「みんなで歌う音楽会」のチラシから。
From a flyer of "Concert to Sing Together".

 岸和田での「みんなで歌う音楽会」2018 年 12 月分は、さる16日(日)に開催された。私よりいくらか年長かと思われる女性が初参加していたが、面白い発言をしてよく笑う常連の女性がお休みで、参加者はやはり 10 名だった。

 私は前半と後半に各 4 曲をリクェストした。後半のリクェストは後回しになっていたが、時間を少しオーバーして結局全部採用された。「寒い朝」で始まり、「今日の日はさようなら」で終わり、どちらも私のリクェスト曲という形になった。古い歌では、母が歌っていたので覚えた「箱根八里」をリクェストした。これら以外の私のリクェスト曲は下記の通り。
  • 白い想い出
  • 雪の降る街を
  • トロイカ
  • 夜明けのうた
  • 波浮の港

 他の参加者のリクェスト曲「ペチカ」を歌うときに、主催者の喜多さんが、どこかの会場でロシアから来日して滞在している若い女性の参加があり、ペチカについて教えてもらったこと、それは多機能エネルギー源とでも呼ぶべきようなものであること、「トロイカ」はロシアではもう古い歌で、彼女はそれを知らなかったこと、などを話されたのが面白かった。

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2018年12月14日金曜日

もう一つのみんなで歌う催し (Another Series of Events to Sing Together)

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2018 年 10、11 月分「田辺うたごえ喫茶」の会場風景。田辺寄席ニュース『寄合酒』Nos. 752、754 から転載。どちらにも筆者が小さく写っている。
Snapshots of "Tanabe Utagoe Cafe"; reproduced from The Tanabe Yose Newsletter Nos. 752 and 754.

 先に岸和田での「みんなで歌う音楽会」に参加していることを書いた(こちら)。実は、さる 10 月から、もう一つのみんなで歌う催しに参加している。その催しは「田辺うたごえ喫茶」という名称で、大阪市阿倍野区の桃ヶ池公園市民活動センターで毎月 1 回開催されている。200 名近く入る会場が毎回ほとんど満席で、会員制ながら、次回の参加をあらかじめ予約しておく必要がある。

 同じセンターで開催されている田辺寄席のニュース『寄合酒』の中に、この催しの前回のリクェスト曲一覧、リクェストカードにあったコメント一覧、会場風景写真多数、「今月の歌」のプリントの縮小版、参加者の感想、今後の日程などがプリントされて、毎月送られてくる。私は 11 月に 2 回目の参加をした後、参加者に毎回配られる感想送付用ハガキに、参加することになった経緯を記して送っておいた。それが 12 月 6 日発行の『寄合酒』No. 754 に掲載されたので、ここに引用する[注 1]
 ピアノの喜多氏が岸和田で主催されている「うたごえ」の会で、氏の 10 月分活動リストをもらいました。その中に「桃ヶ池センター」があり、岸和田の会と同様のものと思って来てみたところ、主催者は別、参加者が大勢で、驚きました。間違えての参加から、こちらへの参加も決めた私は、「旅の夜風」以前に生まれた一人です。どうぞよろしくお願いします。

 「旅の夜風」は作詞・西條八十、作曲・万城目正で昭和 13 (1938)年にできた、♪ 花も嵐も踏み越えて/行くが男の生きる途 ♪ と始まる歌で、11 月の会でリクェストされた曲の一つである。これを歌う前に司会者兼歌のリーダーが、「この歌ができた時にすでに生まれていた人はいますか」と尋ねて、私を含む数名が手を挙げたことから、投稿者が高齢であることの表現に利用した。投稿には、投稿者の大まかな住所と氏名(希望によって、姓名、姓のみ、または頭文字)が記される。堺市でも旧市内の南端から参加している私は、遠くからの参加者だろうと思っていたが、もっと南の泉大津市や岸和田市からの参加者もいると知った。

 私が初参加の時は予約なしで行ったのだが、たまたま空きができていたようで、幸いにも入れてもらえた。この「うたごえ喫茶」に入会(入会金は不要)すると、これまでに出された歌集(A4 版 各20 ページ前後)8 冊と「歌集総目次」をもらえる。1 回の参加費は 1000 円で、飲み物とつまみ付きである。 この催しは 2013 年 4 月に 30 年ぶりに復活してから目下 6 年目で、11 月の会は「復活・第 67 回」であった。この時、参加者数がのべ 1 万人を超え、1 万人目に当たった女性に感謝状と 1 年間無料招待券が贈られた。

 NHK テレビで紹介されたことがあり、その後参加者が急増したと聞く。『産経ニュース』にも取り上げられている(「 『歌声喫茶』多様化で脚光 "70 代の青春" 輝き放つ」、2017 年 8 月 23 日付け)。なお、ニュース『寄合酒』に場を貸しているような「田辺寄席」の方が、旧「田辺うたごえ喫茶」から 44 年前に生まれたものだそうである。


 
  1. プリントされたバージョンでは、3 カ所ほど原稿に手が加えられていた。それらの変更は事実と異なるようなものだったので、ここでは原稿通りに戻して引用する。

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2018年12月12日水曜日

お悔やみ状を 2 通書く (Wrote Two Letters of Condolence)

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わが家の庭のネリネ。2018 年 12 月 12 日撮影。
Flowers of spider lily in our yard; taken on December 12, 2018.

お悔やみ状を 2 通書く

 お悔やみ状中の亡くなった方がたの思い出を記した部分は、私の目に映り心に残ってきたものという意味で、私の人生の一断面でもある。以下は、きょう発送したお悔やみ状からの引用である。

 T・S 君宛
 ご母堂様には高校生時代に大桑町のお宅でお目にかかって以来つい十年余り前まで、お会いして常に優しく接していただき、友人たちの母上方の中で最も印象深いお方でございました。105 歳と申しますと、石川県では数少ないほどのご高齢でいらっしゃったのではないでしょうか。

 S・K 君夫人宛
 S 君とは、私が石引小学校へ 5 年生の 3 学期に転校してから、6 年生の時と合わせて、1 年あまり同じクラスでした。県下で一、二を争った野球部の名捕手として、ホームベースの後ろから大声で内・外野手を元気づけておられた姿が、いまでも目に浮かびます。中学・高校も同じながら、クラスが一緒になったことはありませんでしたが、長身を生かしてバスケットボール部でご活躍された様子を頼もしく拝見しておりました。ごく近年まで、石引小 6 年生のクラス担任・荒間先生を囲む同窓会のお世話をされ、その会場では、いつも巧みに場を盛り上げて下さっていました。

 お悔やみ状には書かなかった S・K 君の思い出を付け加えておきたい。私が大連から引き揚げてきて、金沢の石引小学校(現・小立野小学校の一つの前身)で彼と同じクラスになった時、彼はすでに「マツ」というあだ名で呼ばれていた。名前に「松」がついているのでもなく、どうして「マツ」なのか不思議だったが、ある時一人の級友が次のように教えてくれた。

 S・K 君は、金沢の近くの松任(まっとう)という地の名物であるあんころ餅が大好きで、級友たちと松任へ行った折に、それを買ってたくさん食べた(かつては北陸線の松任駅において、駅弁スタイルで売っていたので、それを買ったものと思われる)。そこで、「松任のあんころ餅」を縮めた「マツ」が彼のあだ名になったのだと。そういえば、彼はまれに「あんころ」とも呼ばれていたが、彼の旧姓は「あ」で始まっていたので、こちらはそれほど不思議にも思わなかった。二つのあだ名は同じ由来のものだったのである。ちなみに、あんころ餅の老舗「圓八(えんぱち)」の「あんころ餅」昔話がこちらにある。

 上の引用文中にある荒間先生は一昨年亡くなられた。そのことを私は昨年になって知り、S・K 君に電話してお葬式の様子などを聞いた。それが彼と話した最後となった。その電話では、足腰が痛んで歩けないといってはいたが、声はまだ元気そうだったのに、彼の最期は意外に早く、この 12 月に訪れた。

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2018年12月6日木曜日

ツイッターでの再会、そのファインマンとの関係 (Reunion via Twitter and Its Relationship with Feynman)

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私がロブに送った手紙の封筒と同封した「トゥヴァ友の会」のニュース紙。
The envelope of a letter I sent to Rob and the newsletter of "Friends of Tuva Japan" enclosed in it.

 ロブ・ウェイドとは、かつてメールを何回か交換した。その後、彼の名をツイッターで見つけて、フォローしておいたのも、もう何年も前のことである。しかし、彼はツイッターを当時あまり使っていなかったようで、フォローバックがなかった。最近になってようやくフォローバックがあって、むしろ驚いた。彼はツイッターのダイレクト・メールを使って、私が以前彼に送った手紙をまだ持っているといって、その写真(上掲)を送ってくれた。航空便を送ったことは全く覚えていなかった。その頃から、もう 20 数年も経ったのである。

 ロブとのメール交換の主な内容は、ラルフ・レイトン著 Tuva or Bust!: Richard Feynman's Last Journey(大貫昌子による和訳書の題名は『ファインマンさん最後の冒険』)の題名の由来を教えてもらったことである。それは 1990 年代半ばで、ノーベル賞物理学者リチャード・ファインマンの没後まだ 7、8 年だった。この本は、ファインマンが一市民としてトゥヴァという国を訪れてみたいと、レイトンとともに画策する話を記したものである。

 レイトンはこれにちなんで、ファインマンとトゥヴァのファン・クラブ "Friends of Tuva" を立ち上げていた。大阪在住の若い女性・法貴亜古さんがその日本版「トゥヴァ友の会」を作り、私もその一メンバーだった。そして、私は「トゥヴァ友の会」のニュース紙『のるかそるか通信』に、ファインマンについてのエッセイを連載していた。ロブが書き送ってくれた "Tuva or Bust!" の由来は、和訳してそのエッセイの中で紹介した。私がロブに送った手紙は『のるかそるか通信』のそのエッセイを掲載した号を同封したものだったのである。

 私自身は長らく保存してあった『のるかそるか通信』を 2、3 年前に処分してしまったが、同紙に寄稿していた 2 シリーズのエッセイ『ファインマンさんと私の無関係な関係』『いつでもどこでもファインマンさん』はホームページに掲載してあり、その英語版を 2009 年に作った自費出版書 Passage through Spacetime に収めた。したがって、この本には、ロブの "Tuva or Bust!" の由来を説明した原文が載っているのである。今回、彼の住所を聞いて(以前のヴァージニア州からワシントン州へ変わっていた)、ようやくその本を彼に贈ることができた。

 私がロブを知った経緯をここに書こうとしたが、思い出せなくて、パソコン上にある過去のメールをたどろうとしてみた。しかし、それはなかなか手間がかかりそうである。ロブの文を紹介したエッセイに手がかりはないかと、『いつでもどこでもファインマンさん』を見ると、そこに次のように簡潔に記してあった。
 […]Friends of Tuva のホームページへのアクセス方法を試みようとして、うまく行かなかったおかげで、"The Tuvan Hillbillys site" と称するページの作者 Robert M. Wade 氏(愛称 Robb)と email で話し合う間柄となった。『ファインマンさんと私の無関係な関係』の冒頭の一章の英訳を送った相手の一人は彼である。
これによれば、写真にある手紙の前にも、私は彼に手紙を送っていたようである。このあとに、ロブがトゥヴァやファインマンに興味を持った経過を含む、当時の彼のプロフィールも書いてある。
 Robb は 1990 年から 1992 年までモスクワに住み、アメリカ大使館付きの塗装家として働いていた。そこで一緒に働いていたアメリカ人の親友の一人が、モスクワへ来る前に彼の友人から Tuva or Bust! の本をもらい、ロシアに住んでいる間にぜひそこを訪れるべきだといわれて来たという。Robb もそれを借りて読み、すぐにトゥヴァにとりつかれた。
 Robb の友人は著者の Ralph Leighton に手紙を書き、トゥヴァに住む婦人 Rada Chakir の電話番号を教えてもらった。彼女の助けで、Robb とその友人がモスクワからトゥヴァへの困難な旅程をこなしてキジルに着いたとき、幸運にも第 2 回国際ホーメイ・シンポジウムが進行中で、Rada が最終公演のチケットを手配してくれた。彼らは伝統的な相撲の競技や、美しい自然の光景も見物した。
 この旅行でパラダイスを見た Robb は、それからの人生が変わってしまった。アメリカへ帰ってから大学へ戻り、ロシア語で学士号をとり、"Animal Imagery in the Tuvan Shamanic Healing" のテーマで修士論文を書いた。ファインマンさんに関する興味は Tuva or Bust! から始まったのだが、その後ファインマンさんの他の本も読み、金庫破りの話をとくに好んでいるとのことである。

 当時、ロブは修士課程を終えたばかりで独身だったと思われるが、まもなく結婚して息子をもうけたようである。来年、息子が 21 歳になるのを記念して日本へ旅行に来るという。大阪へ寄るならぜひ会いたいと書き送った。

 たまたま昨日、ファインマンについてのニューヨーク・タイムズ紙の記事が目にとまった["Rough Drafts of Richard Feynman’s Ideas Head to Auction(リチャード・ファインマンのアイデアの下書きがオークションに)"]。 この記事の著者 Kenneth Chang は「ファインマンは賢明だったが、完ぺきではなかった。オークションにかけられる論文の下書きを見ると、このことが明らかになる」と書いている。オークション主催者による関連 Web ページは "History of Science & Technology, Including the Nobel Prize and Papers of Richard P. Feynman"

 また、今年の 5 月 11、12 日にはファインマンの生誕 100 年を記念して、Caltech と PMA が盛大な記念行事 "Feynman 100" を行った(リンク先で講演のビデオなどを見ることができる)。Paul Halpern が Nature に掲載した "Richard Feynman at 100"、Melinda Baldwin の "Feynman the joker"、Tony Hey の "A Hundred Years of Richard Feynman"、Rob Lea の "Richard Feynman: the genius of simplicity"、Royal Holloway University of London の "Celebrating 100 years from the birth of Richard Feynman in Tuva" などの生誕 100 年記念記事もインターネット上で読める。American Association of Physics Teachers は "Celebrating Richard P. Feynman's 100th Birthday on May 11, 2018" と題するウェブページに同会の発行する雑誌に掲載されたファインマンの論文やファインマンの研究成果を紹介した他の研究者の論文を集めている。——ファインマンの話題を探し始めると、その仕事は尽きることがない。

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2018年12月3日月曜日

ソーニャ・カトーが加藤周一を記す (Sonja Kato-Mailath-Pokorny Wrote about Shuichi Kato)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のイロハモミジ。2018 年 12 月 2 日撮影。
Japanese maple in our yard; taken on December 2, 2018.

ソーニャ・カトーが加藤周一を記す

 『図書』誌 2018 年 12 月号に「夕陽妄語 Närrische Gedanken am Abend」と題する文がある。文頭に
 加藤周一。世界中の多くの人々にとって彼は先生であり模範であった。私にとってもそうであったが、
とある。これは全く同感である。「夕陽妄語」とは加藤が朝日新聞夕刊に月 1 回連載していた評論的エッセイの題名で、私はそこから学ぶことが多く、新聞で読んだあと、単行本で出版されたのを必ず買ってまた読んだ。読み終えて不要になった本を少しずつ処分している昨今であるが、『夕陽妄語』全 8 巻はいまも書棚にある(その後、朝日選書ちくま文庫としても出版された)。

 その次を読んで驚いた。
しかし何よりもまず自分の父であった。
とあるのだ。

 初めに注意して見なかった著者の名を改めて見ると、「ソーニャ・カトー」となっている。彼女は最初の章「ウィーンでの始まり」において、ウィーンで生まれた自分が生後数週間の時、周一とその妻・ヒルダに養子として引き取られたことを記している。彼女はヒルダとともにウィーンに住んで成長し、日本語ができないという。

 「おや?」と思って、ふたたび著者名のところを見ると、横に「翻訳・高次 裕」とある。訳者はドイツ文学・思想の研究者であることが文末の括弧書きから分かる。原文はドイツ語だったのである。その題名も "Närrische Gedanken am Abend" というドイツ語だったのを、訳者はあえてそのまま残したと思われる。このドイツ語を逐語的に直訳すると、「夕べの奇矯な意見」となる。まさに「夕陽妄語」であり、ソーニャは周一から彼のエッセイの題名をドイツ語で聞いていたのだろう。

 私が特に紹介したいのはソーニャの文の第 3 章「ホモ・ポリティクス——政治の人カトー」に記されている加藤周一の「九条の会」への関わりである。少し長い引用をしておきたい。
 [...]「九条の会」は、憲法第九条を含む憲法を守りたい、そして世界平和の模範でありたいという意識を持った日本人たちへのアピールであった。[...]
 平和を訴える者として、父は文章を書いたり、催しに参加したり、政治集会で講演したりした。この問題ほど父が政治的な活動に関わったことは、彼の人生において他に無かったと思う。特定の政党や特定の政治家のためということではなく、ひとえに平和を守ることこそが、父の目から見て本当に価値のあることだったのだ。
 今、行く先の不明瞭な政治的状況がある。[...]
 平和活動は、流行りでないように見える。[...]父の没後 10 年、そして 2019 年の生誕 100 年の前年にして、この困った状況である。父と同様の精神でもって平和活動を続ける人がいるだろうか。私はそうした人物の登場を待ち侘びている。

 私は「九条の会」を地域や職場で支える 7500 を超える会の一つ「福泉・鳳地域『憲法9条の会』」の活動に参加してきた。これにも加藤周一の影響があった。私自身の高齢化のため、同会代表の役をさる 3 月末に辞任したが、代わって代表になってもらえるより若い人がまだ見つからなくて、「代表代行」を務めている。まさに私も、加藤周一と同様の精神で平和活動を続ける、地域の若い人の登場を待ちわびているところである。

 上の引用文にあるソーニャの危惧は、彼女が 3 年前に立命館大学と共同でウィーンに創設したという「ソーニャ&加藤周一・若手研究者育成プログラム」の活動から生まれたものと思われるが、日本の情勢の把握がまことに的確で、久しぶりに加藤周一の「夕陽妄語」を読む思いがした。

 ソーニャの本文中には特に説明がないが、「孫のマティアス=シュウイチをあやす父」という説明書きのある小さな写真が掲載されている(まだ生まれて間もない孫は母・ソーニャに抱かれている)。そこに写っている周一は、ソーニャが文末で述べている通り、「知識に溢れ、[...]愛に溢れ、好奇心に溢れ、そして平和への献身に溢れた人」の優しく理知的な顔をしている。なお、ソーニャは 2016 年 5 月 7 日、立命館大学における「加藤周一文庫」創設を記念した講演会に来日し、父親の思い出を語っている(毎日新聞の記事)。

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