2022年12月17日土曜日

失礼な言葉「勇気を与えたい」(Rude Japanese phrase "yuki o ataetai")

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失礼です。

 近年、スポーツ選手たちがよく使っている「(自分が活躍することによって、皆さんに)勇気を与えたい」という言葉が気になる。子供たちを前にしての発言ならばよいが、災害などにあった一般の人々をも対象にしている場合が多い。文献 [1] の「与える」の説明には
自分の物を他人に渡し、その人のものとする。やる。▽現在では上の者が恩恵的な意味で授ける場合に使う。
とある。最近、「〜してあげる」という言葉が「上から目線」だと感じる人が増えているようだが(これについては別途記事にしてみたい)、「与えたい」こそは「上から目線」なのである。「勇気を差し上げたい」とでも言って貰いたい。

 なお、文献 [2] に「与える」の使い方について、『デジタル大辞泉』(小学館)を引用しての親切な説明がある。


 文献
  1. 西尾実ほか編、岩波国語辞典第5版 (1994)
  2. 井上明美、第32回「感動を与える」、Web日本語:日本語マナーの歳時記 (2013) [https://www.web-nihongo.com/j_manner/jm_p032/]
(2022年12月17日一部追記)

2022年12月16日金曜日

過剰な「させていただく」(Excessive Japanese expression "sasete itadaku")

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誰に使役されているつもりなのか

 「〜させていただく」という言葉は、相手からの依頼、許可、厚意、恩恵などがあって「〜する」場合の丁寧表現としては妥当である(文献 [1])。そういう条件下でない場合に使うのは、いかにも過剰な表現であるが、最近、あまりにもよく耳にする。「させる」は使役の助動詞である。自発的に行なっていることについて、「〜させていただいております」というのを聞くと、「誰に使役されているつもりなのか。日本国憲法が主権在民主義の憲法であることをお忘れか」と問いかけたくなる。謙譲が行き過ぎれば、卑屈となる。過剰な「〜させていただいております」を使う人たちには、「卑屈」の意味も分かるまいから、文献 [2] からその意味を引用しておく。「自分をいやしめて服従・妥協しようとする、いくじのない態度」である。

 文献
  1. 井上明美、第10回「させていただきます」1、Web日本語:日本語マナーの歳時記 (2011) [https://www.web-nihongo.com/j_manner/jm_p010/]
  2. 西尾実ほか編、岩波国語辞典第5版 (1994)

2022年12月15日木曜日

「〜になります」の間違った使い方 (Wrong usage of the Japanese phrase "... ni narimasu")

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「これがコーヒーに成るのですか。じゃ、今は何なのですか。」

 「〜です」の丁寧な表現のつもりで「〜になります」という言い方が始まって久しい。私の幼友達だった故・Aさんは、高校の国語の先生だった。十数年前に会った時、次のような話をしていた。
 最近、喫茶店でコーヒーを注文すると、持って来た店員が「コーヒーになります」と言うので、わたしは、「これがコーヒーに成るのですか。じゃ、今は何なのですか」と言ってやるの。すると、店員はキョトンとしてるよ。
丁寧言葉のつもりでの「〜になります」は、この例のように、飲食店やコンビニのアルバイト店員が使い始めたらしく、バイト敬語とも呼ばれているそうだ。しかし、最近はテレビを見ていると、大学の教官でさえも使っているから驚く。文献 [1] を読んで学んで貰いたい。


 文献
  1. 「になります」は敬語ではない! 正しい用法を例文で解説、記事ブログ (2020) [https://記事作成代行.jp/ninarimasu/]

2022年12月14日水曜日

嫌いな言葉「スピード感を持って」(The phrase I dislike, "with a sense of speed")

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必ずしも迅速に行うことにはならない。

 「スピード感を持って」という言葉は、すでに安倍元首相・菅前首相の時代から、首相をはじめとする政治家たちの発言によく使われるとして批判されて来ている [1, 2]。しかしながら、政治家たちは今なお盛んにこの言葉を使っている。「感をもって」では、必ずしも実際に迅速に行うことにはならない。それをもって、迅速に進まなかったことの言い訳にしようという魂胆があるかのようである。また、カタカナ語を使うことが格好よいとでも思っているかのようである。政治家たるものは、「迅速に進めます」と、簡潔・正確な日本語でその決意をいい切るべきである。

 文献
  1. 道浦俊彦「スピード感をもって」、読売テレビ 道浦俊彦TIME (2020) [https://www.ytv.co.jp/michiura_time/contents/202004/5on9aksin1r4q5ra.html]
  2. 青沼陽一郎『「スピード感をもって」とは? 国語力疑わしい菅首相』、JBpress (2021) [https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64286]

2022年12月10日土曜日

「~づらい」と「~にくい」 (Japanese words, "... zurai" and "... nikui")

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『広辞苑』第七版の「づらい」の項のある部分。

 最近テレビを見ていると、「~づらい」という言い方がしょっちゅう出てくる。似た意味での「~にくい」を聞くことは滅多にない。これは最近著しくなった傾向のように思われる。私は1935年生まれで、自分では「~づらい」を使ったことがない。濁音にラ行の音が続く「~づらい」は、日本語の中ではよくない意味を持つ、あまり美しくない言葉(同類に「ずるい」、「だらしない」、「焦らす」など)に属するような気がして、「聞きづらい」と言いたくなる。これは新しい傾向に「慣れにくい」高齢者のひがみだろうか。

 また、「~づらい」は感情に関わる形容詞「辛い」から来ている(上掲のイメージ参照)ので、感情を持たない主語に対して使うのは奇妙に思われる。例えば、「これこれの事態は起こりづらい」というような使い方である。

 さらに、客観的な情勢があって「~することが困難である」場合に、「~しづらい」と言えば、その情勢を作り出した政治なり社会的状況なりが免罪されて、問題が単に個人的に「~することが困難な気がしている」ことに矮小化されてしまう恐れがある。したがって、こういう場合に、私は「~づらい」を絶対に使いたくない。

 論じれば長くなるが、表記の二つの表現について書いたものは、すでにインターネット上に多数ある。その中の3編のみを、読者のご参考までに以下に引用して、終わりとする。以後「~づらい ~にくい」で検索すれば、この記事も末席に仲間入りすることになろうか。なお、文頭に掲げたイメージにある『広辞苑』第七版の「づらい」の項は、残念ながら「~づらい」と「~にくい」の意味の異同を考える参考には、あまりならない。


2022年12月14日最終改稿