2017年4月16日日曜日

2017 年 4 月、東京で (In Tokyo, April 2017)

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上:東京・北の丸公園で。下:千鳥ヶ淵の桜。この日は七分咲き。どちらも、4 月 5 日撮影。
Upper: Kitanomaru Park, Tokyo. Lower: Cherry blossoms in Chidori-ga-fuchi Moat. Blossoms were open about 70% on that day. Both the photos were taken on April 5.

 金沢菫台高校第 5 期生関東在住者の同窓会が、昨 2017 年 4 月まで毎年東京で開催され、一旦終了となった。しかし、昨年は、さまざまな理由で出席できなかった者が多かったことや、夫君の介護で長年出席できなかった女性(S・T さん)が夫君の他界で出席可能な条件が整ったこともあって、金沢のおいしい料理をつつきながら懇親をしたいと、今年も開催された。場所は銀座 1 丁目の「Dining Gallery 銀座の金沢」

 私は前日の 4 月 4 日に上京し、宿泊する学士会館で、夕方から大時代の友人 M・Y、A・M 両君と歓談した。A・M 君はわれわれの恩師の先代、荒勝文策教授の業績を本にまとめることになった経緯や、準備中の原稿について話してくれた。われわれの学生時代の実験や旧友たちの話も出て、楽しいひと時だった。

 高校同窓会当日は、北の丸公園や千鳥ヶ淵緑道を散策してから会場へ向かった。散策中に、方角を勘違いしたりして、学士会館を出てから会場へ行くための地下鉄に乗るまで、久しぶりに履いた先の細い革靴で、1時間半も歩いた。地下鉄を降りてからも、会場のあるビルを探すのに、南北へ少しばかり行き過ぎを繰り返し、結構歩きいたが、到着は幹事君に次いで 2 番目だった。出席予定の女性 2 名が健康上の緊急事態でドタキャンとなり、7 名の参加(うち女性 2 名)だったが、参加者たちはみな大変元気で、賑やかに語り合った。明年以降も、同じ会場で「昼食会」として続けようということになった。

 6 日の午前中、大連嶺前小学校の同期生、H・O 君が学士会館へ会いに来てくれた。喫茶室でミルクティーを飲みながら小一時間の会話を楽しんだ。彼は、嶺前同期会で何年も前に伊豆へ旅行した頃と変わりないほど、私が元気そうだといってくれた。彼が関わって昨年 12 月に横浜で開催された『マチュピチュの出会いと古代アンデス展』について、彼の知人が『さきたま新聞』に書いた記事のコピーを貰った。ノンフィクション作家である O 君の「私はこんどの裏方としての仕事こそ我がライフワークだったのだと思い返したのである」という言葉などが引用されている。

 追記:例年このブログサイトに掲載しているわが家の庭や近隣の公園の春の植物の写真は、今年はフェイスブックに掲載した。下記のリンク先をご覧いただければ幸いである。

2017年3月30日木曜日

わが標本木のサクラも開花 (My Cherry Specimen Tree Also Has Bloomed)

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 大阪での最高気温が 19.5 度と高くなったきょう、大阪や和歌山でサクラの開花が発表された。堺市西区の日部神社境内にある私の個人的標本木でも、上掲の写真の通り、開花が見られた。しかし、付近の公園では、まだ、1、2 日後の開花になりそうな気配だった。

2017年3月28日火曜日

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from December 9, 2016 to February 23, 2017 -2-)

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上:石光寺の寒ボケ、下:石光寺の寒咲アヤメ。2017 年 3 月 13 日、日帰りバス旅行で撮影。
Upper, Japanese quince blossoms in Sekko-ji garden; lower, Winter irises in Sekko-ji garden;
taken during one-day trip by bus on March, 2017.

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2

3. J. M. W. ターナーの作品 140 余点など:Artsy サイト

 "Artsy" の職員は、J. M. W. ターナーの作品について有力な検索エンジンでサーベイしたことと思いますが、連絡が来るきっかけとなった貴ブログ記事には、内容をよく表した美しい写真と簡潔明解な英文もあるので、その職員の容易に知ることとなったと思います。また同職員は、貴ブログがターナーのページへのリンクを設けて、アクセスを広げられたことを感謝することでしょう。紹介されているターナーのページは、なかなか見ごえがありました。"Artsy" の「美術収集と教育」への筆者の協力を評価します。

4. 漱石「夢十夜」の読み続・漱石「夢十夜」の読み続々・漱石「夢十夜」の読み

 筆者は 3 回にわたり、漱石の「夢十夜」につて独自の見解を述べています。初回の冒頭で、
 岩波書店の広告誌『図書』2 月号に、夏目房之介と近藤ようこの対談が載っている。近藤が漱石の「夢十夜」をもとにした漫画『夢十夜』を岩波書店から出版した機会に、「多様な読みの可能性へ」と題して語り合っているのだ。この対談を読むと、《 確かに「夢十夜」は多様な読みを可能にする作品だ。私の読みは彼ら二人の読みとは異なるぞ 》と思われて来た。[…中略…]また、対談記事の二人と読みが大きく異なるのは、第一夜の話だけのようにも思われた。そこで、ここでは第一夜だけを取り上げることにする。
と述べる。そして、近藤と房之介の対話の中で、筆者と読みが異なる第 1 点として、「すごく西洋的な話」だということについて、筆者は他の九夜との調和からいっても、最初の場面には畳の部屋がふさわしく、第一夜全体として和風の話だと思う、と読みます。

 次に、「私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である」として、近藤が「一面に黒目と書いてあって」といっているのに対し、筆者は、
しかし原作では、「一面に黒目」や「白目がない」という通りの言葉はなく、「大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった」とある。私は、房之介が匂わせている通り、「ただ一面に真黒」は美人を表す「黒目がち」の誇張的な表現と取りたい。
と述べています。また、
房之介は続いて、「一番変なのは、[男が『私の顔が見えるかい』と聞いたのに対し]女が『[見えるかいって、そら、]そこに、写ってるじゃありませんか』と言うところです」と述べている。
ことを取り上げています。筆者はこれに関して、
女のいう「そこに、写ってるじゃありませんか」を筋の通った言葉と取るのは、やはり無理なようだ。謎や矛盾の多いのが夢というものであろう。
と自説を述べ、続編の議論へつなぎます。

 続編では、次のような指摘がなされています。
 「夢十夜」の言葉を検索してみると、『ぶっくらぼ』というサイトの「夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文」と題する記事に「『第一夜』問題と解説」という章があり、いくつかの問題と、それに対する答えが書いてあった。
 その 2 番目に、
 Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
 A.自分の瞳。
というのがある。この記事では、「女」と、彼女に相対している男を意味する「自分」を使い分けているので、この「自分」は、<ほら、そこに …>といった女自身という意味でなく、文中に「自分」とある男のことを指していることになる。男が女に尋ねたのは彼の顔が見えるかということである。この答えでは、その問いに対して、男の顔が男自身の瞳に映っているじゃないですか、と答えたことになり、私としては合点がいかない。女の言葉自体が、私の先の記事でも述べたように、謎めいているにもかかわらず、それについて一つの答えを求める問題を作るのもどうかと思われる。
 そもそも、しばしば多義的な解釈を可能にする文学作品を取り上げて、一義的な答えを求める質問を作ること自体に問題があるだろう。
これに関連して、1948 年度から 54 年度まで、大学進学希望者に対して、全国一斉の進学適性検査というものが行われたという歴史的なことが述べられているのは興味深いことです。補足しますと、私立大学は入試に進学適性検査の結果は利用されませんでした。国立大学では、足切りに利用され、かつ入学試験の点数にも加えられました。例えば学科試験 1000 点に対して進学適性検査が 100 点くらいの割合で。

 最終的には続々編において、筆者が 20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』に書かれている、「そこに、写ってるじゃありませんか」についての段落を引用し、
内なる女と外なる女を考えることによって、「そこ」という代名詞が生きてくるのである。
と結んでいます。私も吉田氏の解釈を、なるほどと思いました。(完)

2017年3月26日日曜日

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from December 9, 2016 to February 23, 2017 -1-)

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上:観心寺の梅、下:賀名生梅林。2017 年 3 月 13 日、日帰りバス旅行で撮影。
Upper, plum blossoms of Kanshin-ji; lower, Anō plum forest; taken on March, 2017,
during one-day trip by bus.

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2017 年 3 月 10 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. K 君へ 0同 1同 2

 「K君へ 2」のブログ記事への注には、「K 君は中学時代からの親友である。彼は神戸の高校に就職して間もなく同僚の先生と大恋愛に陥り結ばれた。その奥さんは、彼自身が臆することなくいうように「頭のよい人」だったが、3 年前頃から、認知症になっている」と、K 君の奥様のことが書かれています。また、「K君へ 0」のブログ記事への注には、「K 君は近年聴力が衰えてきていたが、今年の 2 月に頭部の帯状疱疹を患ってから、一層聞こえにくくなり、補聴器をつけていても、右耳はほとんど聞こえないという。そこで、手紙や葉書で連絡することが多くなった」と、K君のことが書かれています。これらの 3 通の書簡には、障害を生じている K 君ご夫妻を思いやる筆者の優しさが随所に覗われます。「K君へ 0」の冒頭にある「往復書簡形式の小説を読ませていただいてる気分」という M・M さんの感想の通り、筆者の文章力とあいまって、興味深い書簡となっています。

 「K君へ 2」には、下記のように最近の筆者の日常について、高齢を感じさせない悠々自適の生活が伺われる記述があり、興味深く拝読しました。
先日お目にかかった折に、私の日課をお訪ねでしたが、話せば長くなるので、お答えしませんでした。「机に向かってばかりか」とのご想像は、概ね当たっています。机といっても、パソコン机に向かっている時間が多いです。[…中略…]、内容は多岐にわたり、これも書けば長くなるので、またの機会にでもします。
 他には、読書[…中略…]、ウォーキング、庭仕事、体操、そして、特にお知らせしたいのは、夕食前の約30分間ないし1時間、歌を歌っていることです。
 最近私が歌好きになり、昔小・中学校で習ったような歌を歌っていることは、先年 M 君たちと会った折でしたか、貴君にちょっと話しましたね。声楽家・ソプラノ歌手・鮫島有美子の歌声が気に入り、彼女のCD『日本のうたベスト』、『ゴンドラの唄〜日本叙情歌集』、『ゆりかごの歌〜童謡・唱歌集』など(他にも何枚か持っています)に合わせて、1日に10曲あるいはそれ以上歌っています。
 奥様は古いことをよくご記憶だそうですから、貴君も童謡などを奥様と一緒に歌われたらよいのではないかと思い、このことをお伝えする次第です(私は妻と一緒にではなく、書斎で一人で歌っていますが)。

2. 2017 年始めのごあいさつ
新年おめでとうございます
  鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ
  ——渡邊白泉
 俳人・白泉(1913~1969)の代表作は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。このような状況を再び招かないよう、いま、私たちは政治をしっかり見据えなければなりません。
 皆様のご健康とご幸福をお祈りします
 北朝鮮が「在日米軍攻撃用の訓練」をし、3 月 6 日に弾道ミサイル 4 発を日本海に向けて発射したことが報道されました。「在日米軍攻撃用の訓練」をしていたという事実は、米軍が察知していたとしても、一般には公表できないことかも知れません。このような事態はまさに「戦争が廊下の奥に立つてゐた」に類することです。突然のことで驚きました。[引用者の注:私は北朝鮮の訓練よりも、安倍政権が戦争をする国作りへと突っ走っていることこそが要注意だと思います。](つづく)

2017年2月23日木曜日

続々・漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams: Continued Again)

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近藤ようこ・漫画、夏目漱石・原作『夢十夜』。
Ten Nights' Dreams comicized by Kondo Yoko, originally written by Natsume Soseki.

 このシリーズの初回と続編で、ともに「夢十夜」の第一夜の女が、男の顔が見えるかとの問いに対して、「そこに、写ってるじゃありませんか」と謎めいた答えをしたことを取り上げた。今日ふと、主として読んでしまった本を収めてある本箱をのぞいてみて、20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』(1994、青土社)に目がとまった。何が書いてあったか全く覚えていないが、「夢十夜」の第一夜の女についても書いてあったに違いないと思って、開いてみた。案の定、第 1 章、第 1 節「神秘的な老人とアニマの美女たち」に、神話の女神を思わせる女性として(吉田氏は神話学が専門である)、真っ先に、第一夜の女について書いてある。

 ここに、「そこに、写ってるじゃありませんか」について吉田氏が感想を述べている段落を引用する。第一夜中の「自分」を吉田氏は「漱石」と書いている。
 漱石が「私の顔が見えるかい」と一心に聞くと、美女は「見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか」と言って、にっこり笑って見せる。そのことからこの美女が、じつは漱石の内部にある存在であることが、明らかになる。なぜなら彼女は、漱石の内から外に投射された自分の臨終の姿を眺め、その外の自分の眸に映る映像をはっきり見ている。そしてそれをまるで教えさとすような口調で、漱石に優しく指摘してやっているからだ。つまりこの美女は、漱石の心の深層の無意識内にあって、今やまさに生けるがごとき艶麗さを保ったまま、死んで埋没しようとしている、理想の女性像であり、ユング派の分析心理学の用語を借りれば、彼のアニマにほかならないと思えるのだ。
なるほど。答えているのは漱石の内部にいる女で、その女が、漱石の外部に投射された女自身の姿の中にある眸を意味して、「そこ」といっているという解釈である。参った! 内なる女と外(といっても、これも漱石の心の中であることに変わりはない)なる女を考えることによって、「そこ」という代名詞が生きてくるのである。

 内なる女は言葉を発するが、姿がなく、外なる女には姿だけがあって、言葉を発しないのかも知れない。そうすると、吉田氏の「投射」という言葉は、いささか不適切なようにも思えるが、姿のないものに姿を想像する過程と解釈すればよいだろう。

2017年2月16日木曜日

J.M.W. ターナーの作品 140 余点など:Artsy サイト (J.M.W. Turner's Works more than 140, etc.: Artsy Site)


J.M.W. ターナーのウェブページ
Web page of J.M.W. Turner.

 私が神戸市立博物館のターナー展を見たときのブログ記事を掲載していた関係で、美術の収集と教育のためのリソース "Artsy" の職員からメールが届いた。「インターネット接続を持つすべての人が世界中のすべてのアートにアクセスできるようにする」という Artsy の使命や、シアトル美術館が J.M.W. ターナー の作品を含む「自然を見る:ポール・G・アレン・ファミリー・コレクションの風景画」というページを提供することになったことや、ターナーのページが、彼の略歴、140 余点の作品、独占記事、ターナー展のリストなどを掲載していることが記されていた。そして、ターナーのページへのリンクを設けて、アクセスを広げて貰えればありがたい、とあった(原文は下記の英文記事の下部に引用してある)。アクセスしてみると、なかなか見ごたえのあるページだったので、ここに紹介する次第である。

I got the e-mail message quoted below. In response to the request written in this e-mail message, I am pleased to introduce the page of J.M.W. Turner included in the Artsy Web site.

Hi - my name is Alonzo, and I work at Artsy. While researching J.M.W. Turner, I found your page: https://ideaisaac2.blogspot.com/2014_02_01_archive.html.

I am reaching out to certain website and blog owners that publish content in line with our mission to make all the world’s art accessible to anyone. We hope to continue promoting arts education and accessibility with your help.

The Seattle Art Museum is scheduled to exhibit "Seeing Nature: Landscape Masterworks from the Paul G. Allen Family Collection"page, which features J.M.W. Turner. As such, we would like to take the opportunity to now promote him work. Our hope is that the timing of this outreach will effectively support both the Museum and J.M.W. Turner.

Our J.M.W. Turner page provides visitors with Turner's bio, over 140 of him works, exclusive articles, and up-to-date Turner exhibition listings. The page also includes related artists and categories, allowing viewers to discover art beyond our Turner page. We would love to be included as an additional resource for your visitors via a link on your page. We believe that by spreading access we can provide a new, empowering way for approaching art. If you are able to add a link to our J.M.W. Turner page, please let me know. Thanks in advance for your consideration!

Best,
Alonzo

"I don't paint so that people will understand me, I paint to show what a particular scene looks like." --J.M.W. Turner

2017年2月9日木曜日

続・漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams: Continued)

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「夢十夜」が含まれる新書サイズ『夏目漱石全集 第十六巻』(岩波書店、1956)。
Natsume Soseki 's Complete Works Vol. 16 (Iwanami, 1956), in which the work Ten Nights' Dreams is included.

 きょう 9 日は漱石の生誕 150 周年にあたるそうだ。『朝日新聞』の「天声人語」欄には、東京の二松学舎大学でアンドロイドの夏目漱石先生に会ったところ、低い声で『夢十夜』と『吾輩は猫である』の一節を読み上げてくれた、という話が書いてある。『しんぶん赤旗』の「潮流」欄には、漱石が亡くなる直前まで書いていた作品『明暗』に、主人公が購入した「比較的大きな洋書」である「経済学の独逸(ドイツ)書」が出てくるが、これは『資本論』ではないかという仮説を東北大学名誉教授・故服部文男さんが立てていたという話がある。漱石ファンの私としても何か書かないわけにはいかない。

 先の記事「漱石『夢十夜』の読み」を掲載した翌々日、『朝日新聞』で「グーグルが日本語版の検索結果を表示する基準を変更した」という記事を読んだ。そこで、「夢十夜」の言葉を検索してみると、私の先日のブログ記事が、その変更の好影響を受けたのかどうかは分からないが、2 番目か 3 番目に出た。そこで、さらに「夢十夜 第一夜」を検索してみた。その結果には、いろいろ興味深い記事が見つかったが、私が論じたのと同じ箇所を論じたものは、少なくともヒットの上部には見当たらなかった。ただ、『ぶっくらぼ』というサイトの「夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文」と題する記事に「『第一夜』問題と解説」という章があり、いくつかの問題と、それに対する答えが書いてあった。

 その 2 番目に、
Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
A.自分の瞳。
というのがある。この記事では、「女」と、彼女に相対している男を意味する「自分」を使い分けているので、この「自分」は、<ほら、そこに …>といった女自身という意味でなく、文中に「自分」とある男のことを指していることになる。男が女に尋ねたのは彼の顔が見えるかということである。この答えでは、その問いに対して、男の顔が男自身の瞳に映っているじゃないですか、と答えたことになり、私としては合点がいかない。女の言葉自体が、私の先の記事でも述べたように、謎めいているにもかかわらず、それについて一つの答えを求める問題を作るのもどうかと思われる。

 そもそも、しばしば多義的な解釈を可能にする文学作品を取り上げて、一義的な答えを求める質問を作ること自体に問題があるだろう。意味が一義的であるべき法律の条文でさえ、解釈が別れる場合がある。暗示や感覚を大切にする文学では、なおさらのことである。(ただし、安倍政権が憲法 9 条についての従来の内閣の解釈を変えて、集団的自衛権行使を容認したのは、解釈が別れる場合に当たらない。これはあくまでも、解釈のねじ曲げである。)

 私が高校生の頃、正確には 1948 年度から 54 年度まで、大学進学希望者に対して、全国一斉の進学適性検査というものが行われた(こちら参照)。制度としては、今の大学入試センター試験に似ているが、内容的には、予備学習を必要としないで、主に思考力・判断力を要する問題が、理系と文系に分けて出題された。その検査に慣れるための模擬検査が、私の高校でも、業者の作成した問題を使って、たびたび行われた。文系の問題では、文学作品の一部が示されていて、それについてのいくつかの質問があったりした。

 それらの質問の中には、上記の「第一夜」の問題と同様、一義的な解釈を選択肢から選ぶ質問もあった。そういう問いに対して、私は初めのうちしばしば、「問題作成者はこの選択肢で迷わそうという魂胆かもしれないが、これを選ぶのは安易な考えだ」などと思って、自分の気に入る別の選択肢を採り、不正解になった。そこで以後は、私自身の解釈を抑えて、虚心に答えを選ぶことにしたところ、模擬検査の結果は俄然よくなったのだった(文末の注参照)。

 話が、つい古い思い出にそれてしまったが、要は、漱石の生誕 150 周年に当たって、「夢十夜」の、そして、優れた文学作品の解釈には、前回紹介した『図書』誌の対談の題名にもあった通り、多様性があり得ることを強調したい、ということである。


 注:しかし、本番の検査では、文系の問題はやけに難しく、私は理系の点がよかったにもかかわらず、合計点が 100 点満点中の 70 点に届かなかった。県下の最高得点者というのが、私の住んでいた市の隣の市の高校にいて、彼は私と同じ大学の同じ学部・同じ学科に進んだ。彼自らが遠慮がちに私に聞かせてくれた点数も 80 点弱だったと思う。

2017年2月5日日曜日

漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams)

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近藤ようこ・漫画、夏目漱石・原作『夢十夜』。
Ten Nights' Dreams comicized by Kondo Yoko, originally written by Natsume Soseki.

 岩波書店の広告誌『図書』2月号に、夏目房之介と近藤ようこの対談が載っている。近藤が漱石の「夢十夜」をもとにした漫画『夢十夜』を岩波書店から出版した機会に、「多様な読みの可能性へ」と題して語り合っているのだ。この対談を読むと、《 確かに「夢十夜」は多様な読みを可能にする作品だ。私の読みは彼ら二人の読みとは異なるぞ 》と思われて来た。その相違を詳しく書くには、近藤の漫画も見ておく必要があろうかと、早速購入した。広告誌は、その役割をよく果たしたのである。

 漫画が届くとすぐに、「夢十夜」の原作と漫画を併読したが、私には、絵のない原作で読む方が味わい深いように思われた。これは、近藤の漫画がよくないということではなく、イメージが押し付けられる形になる漫画と、いやでも想像がふくらむ文学との相違であろう。また、対談記事の二人と読みが大きく異なるのは、第一夜の話だけのようにも思われた。そこで、ここでは第一夜だけを取り上げることにする。

 房之介は対談において、「漱石のあらゆる作品の中で、第一夜ほどロマンティックなものはないですよ。[...]第一夜は人気がある」と語っている。これは、いささか誇張のようにも思われるが、さほど異論はない。

 近藤が最初の場面を病院の一室として描いたのに対し、房之介は「畳の部屋に女が寝ていて、縁から男が庭に出るというイメージを持っていた」と述べる。すると近藤は、男が庭へ出てからの場面から「すごく西洋的な話」だと思ったといい、房之介は「言われてみればその通り」と答える。しかし、第一夜冒頭の原文には、「腕組をして枕元に坐(すわ)っている」とあり、病院のベッドから少し離れた横の位置で男が椅子にかけているという漫画の場面は、私にはどうしても思い浮かばない。さらに、女が死ぬと、男は「それから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘っ」ている。病院ではそうはいかないだろう(漫画では、「それから庭へ下りて」の文は省略され、男は病院の広い庭らしいところへ足を運んでいる)。庭へ出てからの小道具が西洋的であるとはいえ、他の九夜との調和からいっても、最初の場面には畳の部屋がふさわしく、第一夜全体として和風の話だと思う。

 次に私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である。房之介は近藤の漫画について、「印象に残ったのは死にゆく女の瞳です。真っ黒にしたのはなぜ?」と問いかける。近藤は「流し読みをしている時には気づかなっくて、いざ絵にしようと思ったら一面に黒目と書いてあって」といい、房之介は「僕も前から気になっていたんです、白目がないという表現が。黒目がちということの文学的表現なのかどうかがわからない」と答えている。しかし原作では、「一面に黒目」や「白目がない」という通りの言葉はなく、「大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった」とある。私は、房之介が匂わせている通り、「ただ一面に真黒」は美人を表す「黒目がち」の誇張的な表現と取りたい。

 原作では、「その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる」と続く。『大辞泉』を基にしたインターネットの『goo 辞書』によれば、「ひとみ」とは「目の虹彩、あるいは虹彩と瞳孔 (どうこう) のこと。黒目」である。周囲に白目が全くないという設定であれば、白目の存在を意識したような「真黒な眸」という表現は出て来なくて、「真黒な眼」とでもなるだろう(漫画では、白目の部分も黒くしてあるが、完全な「一面に真黒」ではなく、男の姿などが映っている様子を白抜きで表す工夫がなされている)。

 虹彩と瞳孔が出て来たついでにいえば、死ぬと瞳孔が開くといわれる。詳しくいえば、瞳孔の周囲でカメラのシャッターのような役をしている虹彩(多くの日本人では褐色の部分)が形作る穴である瞳孔が広がり、そこから覗く水晶体の露出部分が広くなるのである。漱石は「ただ一面に真黒」によって、女の死が極めて近いことをも表現したのかもしれない。私のこの読みは、科学的過ぎるだろうか。だが、物理学者・寺田寅彦を門下生とした漱石は、その影響でしばしば科学力を発揮している。

 房之介は上に引用した「黒目がちということの文学的表現なのかどうかがわからない」に続いて、「一番変なのは、[男が『私の顔が見えるかい』と聞いたのに対し]女が『[見えるかいって、そら、]そこに、写ってるじゃありませんか』と言うところです」と述べている。近藤はそれに対して、「自分の目に映っているのに……」と応じる。確かに像が結ばれているのは女の目の中である。しかし、その像を作る光線の元をたどれば、「そこ」にいる男に行き着く。女の言葉を「そこの、あなたからの光線が私の目に入って像を結んでますから、あなたが見えてるとおわかりになるじゃありませんか」を簡略化した文学的表現と取れば、科学性さえ感じられる。ただし、男が女の水晶体上に見得るのは自分の虚像であって、女が網膜上の実像をその奥の神経細胞で認識できているかどうかまではわからない。女のいう「そこに、写ってるじゃありませんか」を筋の通った言葉と取るのは、やはり無理なようだ。謎や矛盾の多いのが夢というものであろう。

2017年1月14日土曜日

2016 年 8 月 28 日から 9 月 14 日までの記事への M・Y 君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 17 to August 10, 2016)

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かんぽの宿有馬からの眺め。2017 年 1 月 12 日描く。
The view from Kampo Hotel Arima. The sketch was made on January 12, 2017.

2016 年 8 月 28 日から 9 月 14 日までの記事への M・Y 君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2016 年 12 月 9 日付けで貰った。長いので、一部割愛して紹介する。(文中、「筆者」とあるのは、感想の対象であるブログ記事の筆者、T・T を意味する。)



1. 新聞記者の取材を受ける
 さる 8 月 17 日、私のブログ記事「旧友への手紙 2」のコメント欄に、読売新聞の山田記者から書き込みがあった。戦前の小学校での級長について記事を書いているので話を聞きたいという内容である。そのブログ記事には、手紙の相手の旧友や私が小学校(当時は国民学校)で級長をした思い出が書いてあったのである。[…]出来上がった記事は 2016 年 9 月 7 日付け読売新聞(教育面)に「学校:モノ・風景——学級委員」(山田睦子記者)として掲載され、記者から掲載紙が 2 部送られて来た。
このように始まり、筆者の国民学校 1~3 年時(1942 年~1944 年度)の級長経験について新聞記者から取材された話が述べてられています。筆者は「内容は電話ではうまく伝わらなかったようだ。新聞社などからの電話取材はいままでにも何回か受けたが、電話でのインタビューに、思いや事実を正確に伝えることの難しさを改めて感じた」と記しています。私も図書館でこの新聞記事を読みました。級長の「腕章」のイラストの間違いは記者の誤りですが、新聞記事はよくまとめられており、興味深いものでした。私はその当時、中国の上海にいましたが、1944 年 9 月、3 年生の一学期が終わった時に日本に引き揚げてきました(上海当時と引揚げ後のことは、本ブログ 2015 年 3 月 13 日付け「兄の半ズボン」のコメントで書きました。そのコメントはこちら)。

 私は 1、2 年生時に級長がいたことは記憶していません。3 年生になると男女組から男子だけの組になり、級長はいました。私たちは、ことある毎に先生から「内地(日本のことを内地といっていた)の生徒は立派である」といわれてきました。筆者は、読売紙の記事の始めにあるように「運動会の行進で列の先頭を歩いた」時にも、黄土色の「国民服」姿で号令台の上に立つ校長の前を通る時、「頭(かしら)右! 敬礼!」という軍隊式の号令をかけて、クラスの一同に校長への敬礼をさせたのだった、と級長の経験の一端を述べています。このことも上海の先生が褒めていた内地の生徒の立派さだっただろうと感じました。

 引き揚げて内地の国民学校に編入し、必ずしも上海の生徒が劣っているとは限らないことが分かってきました。たとえば、上海では冬でも服装は半ズボンに脛までの靴下履き、オーバーは着ない。これは厳しいきまりだと感じていました。大陸性気候で厳冬時には、日中は暖かくなりますが、朝の登校時は吐く息が白く、霜が降り、寒くて厳しい通学でした。虚弱体質の人はどうしていたのでしょうか。内地では外套を着用していました。また、冬にはほとんどの人は下駄履きでしたが、冬以外は裸足で通学していたことには驚きました。校舎入り口には足洗い場があり、そこで足を洗って校舎に入ります。学科の進み具合は上海の方が進んでいて、半月程はダブって習いました。当時は転校しても新参ものに対するいじめはなかったようです。

 内地では縦の関係が強いことを感じました。朝は町内(○○丁目の最小単位)会の小学生の「早起き会」、夜は「火の用心回り」がありました。「火の用心回り」は夜 8 頃、夕食を済ませて出かけます。町内の暗い夜道を「1 銭(しぇん)2 銭(しぇん)と釣り銭貯めて、米機貫く弾(たま)作ろう、カチカチ(拍子木の音)」と元気な声を出しながら、灯りのない夜道を一周します。何か他にも標語が 2、3 ありましたが、忘れてしまいました。これを休むと、翌日、学校の昼の廊下掃除の時、高等科(義務教育ではなく、中学校に進学しないが入学の余裕のある男子が 2 年間在籍)の生徒に仕置きをされます。そんなに酷いものではないですが、皆の前でやられるので、不名誉に感じていました。転校した学校の生活を中心に考えますと、内地の生徒が手本になるように立派だとは、必ずしもいえないように思っていました。[引用者の注:以下 2 段落割愛]

2. 私はネコである
 私はシャムネコである。名前はミーコという。多幡家の次女が小学生の時、彼女の友だちのところから貰われてきて、一家に可愛がられ、17年の生涯をそこで全うした。現在は遺影となって、多幡家の居間を飾っている。遺影は、多幡夫人の小学校同級生が経営していた店で、写真から絵画風に加工を施して貰ったもので、白い額に納まっている。小柄ながら気の強かった私は、一度多幡夫人の腕に噛み付いた。その跡がいまも私のいた記念として鮮やかに残っている。
以上の簡単な文章ながら、「追記」とあわせて読むと、この記事の執筆動機なども分り、簡潔な読み物となっています。絵画風に加工した猫の写真も大変よく出来ていて、愛猫の遺影に相応しい記念でしょう。

 私は最近、銀座三越で『生誕 130 年 藤田嗣治の子供たち展』と題した小展示会を鑑賞しました。藤田嗣治のいろいろな画風の絵と、多くの「小さな職人」の絵と、猫の絵も数点ありました。会場には小さなテーブルがあり、その上にフランス版の『小さな職人たち(原題:しがない職業と少ない稼ぎ Petits Métiers et Gagne-Petit)』や『藤田嗣治画文集 猫の本』が展示されていました。後者の画文集には、もちろん猫の絵が中心となっていますが、その他の絵も多くあり、ところどころにご本人の絵に関する思いが書かれていました。猫との出会いについては、「盛り場から夜遅くパリの石だたみを歩いての帰りみち、フト足にからみつく猫があって、不憫に思って家に連れて来て飼ったのが 1 匹から 2 匹、2 匹から 3 匹となり、(中略)ひどく温柔(おとなしや)かな一面、あべこべに猛々しいところがあり、二通りの性格に描けるので面白いと思いました」というようなことが書かれていました。

 NHK の『世界猫歩き』の岩合光昭さんは、「ネコは人間とともに世界に広まった。だからその土地のネコはその土地の人間に似る」といっています。猫と人間の関りには長い歴史があり、非常に多様で奥深いものです。

2017年1月1日日曜日

2017年始めのごあいさつ (Greetings for the New Year of 2017)

[The text of this post is in Japanese only.]


日本百名山の一つ、鳳凰山。妻の年賀状用に、私が「週刊 日本百名山 No. 5」
(朝日新聞社、2001)の表紙写真を参考にして描いた。

新年おめでとうございます
たちにカンナは見えぬかもしれぬ
              ——渡邊白泉
 俳人・白泉(1913~1969)の代表作は「戦争が廊下の奥に立つてゐた」。このような状況を再び招かないよう、いま、私たちは政治をしっかり見据えなければなりません。

 皆様のご健康とご幸福をお祈りします。