2017年12月8日金曜日

京丹後へのバス旅行 -5- (Bus Trip to Kyōtango -5-)

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旧川嶋酒造の酒蔵。
Sake cellar of old Kawashima Brewing Company.


井筒屋旅館。
Izutsuya Inn.


天神橋の欄干の模様。
Design of Tenjin Bridge railing.


旧加悦町役場庁舎。
Old Kaya Town Hall.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 旧尾藤家住宅の少し北、右手に、旧川嶋酒造の酒蔵が残っている(1 枚目の写真)。酒造という生業と生活空間を組み合わせた昭和初期の建築として注目されているという。写真右上に見えるのは、換気・煙または蒸気出しなどのための「越屋根」で、普通は屋根の上の簡略な小屋根だが、この酒蔵ではガラス窓入りで部屋風の立派な造りになっている。

 街道をさらに北上すると、左手に井筒屋旅館がある(2 枚目の写真)。明治 23 年(1890)創業の老舗旅館で、建物は昭和 8 年(1933)に再建された。玄関は堂々とした構えになっており、昔ながらの街道の雰囲気を残し、今も営業している。井筒屋旅館の近くを流れる小川に昭和 9 年(1934)に架けられた天神橋があり、その欄干には、今の若い旅行者たちが喜びそうな模様がある(3 枚目の写真)。45 度傾斜したハート型の集まりと見られるものである。

 街道の最北端には、道の西側に旧加悦町役場庁舎が残る。丹後大震災後の昭和 4 年(1929)に完成したもので、甲子園球場を設計した、当時大林組設計部長の今林彦太郎が設計を担当したそうだ。私たちはここへ最後に到達したが、現在は「ちりめん街道案内・休憩所」として使用されており、個人的に観光するには、ここを出発点とするのが便利だろう。

 語り部の説明を聞きながら、同行の旅行客の見学の邪魔にならないように、また、同旅行客が写真中に大きくは入らないようにしながらの写真撮影で、被写体に対して絶好のアングルで狙えなかった場合が多かった。しかし、「ちりめん街道観光マップ」と照らし合わせてみると、大部分の観光ポイントをなんとか撮影できていた。帰途のバスは交通渋滞に会って、予定よりも 30 分ほど遅れて大阪に到着したが、充実した旅だった。なお、「ちりめん街道」の各観光スポットの説明には、同街道ウェブサイトにある記述を参考にした。(完)

2017年12月7日木曜日

京丹後へのバス旅行 -4- (Bus Trip to Kyōtango -4-)

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下村家住宅の機屋窓(はたやまど)。
Weaver window of Simomura house.


ちりめん街道内の記念撮影スポットとして知られている場所。
The place known as a spot for taking a commemorative photo of the crape street.


実相寺。
Jissōji Temple.


旧尾藤家住宅。
Former Bitō house.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 吉祥寺の北の四つ角を西へ入ると、北側に、文化元年(1804)に建てられた街道筋で最も古い建物、下村家住宅がある。「機屋窓(はたやまど)」と呼ばれる格子付き中敷居窓がある(1 枚目の写真)。かつて、機屋は外から見えないよう、かつ外からの明かりがしっかりと取れるように設計されていて(写真の窓下の、斜め手前に突き出している板に注意)、機屋窓はその設計の名残である。

 この辺りは、ちりめん街道内の記念撮影スポットとして知られている(2 枚目の写真)。写真の右手に写っているのは、下村家住宅の続きで、その向こうの、私たちバス旅行客の一つの班が前で説明を聞いている土壁の建物は、下村家の一画に加悦郵便局舎として明治 20 年(1887)に建てられたものである。その電信事業は、価格の動きが激しい生糸相場の情報をいち早く知る手段として、多いに活用されたという。

 2 枚目の写真の奥、街道が右折して北上する角に、加悦谷で唯一の日蓮宗寺院、実相寺が風格ある石垣と山門を備えて建つ(3 枚目の写真)。北上する街道の左手に、江戸時代末期文久 3 年(1863)に建築された丹後ちりめん商家、旧尾藤家住宅がある(4 枚目の写真)。関西北部の大型農家を基本として、丹後ちりめん商家と昭和初期の洋風住宅建築の要素が付加されている貴重な建造物で、京都府指定有形文化財になっている。(つづく)

2017年12月6日水曜日

京丹後へのバス旅行 -3- (Bus Trip to Kyōtango -3-)

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「手米屋小右衛門(てごめやこえもん)」の本家・杉本家住宅。
The house of Sugimotos, the head family of "Tegomeyakoemon".


「縮緬発祥之地」の石碑。
Monument of "The birth place of crepe".


西山工場。
Nishiyama factory.


宝厳寺。
Hōgan-ji Temple.


天満神社。
Tenman Shrine.


吉祥寺。
Kisshōji Temple.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 旧伊藤医院診療所の南隣には、丹後ちりめんの始祖「手米屋小右衛門(てごめやこえもん)」の本家・杉本家住宅があり(1 枚目の写真)、その正面には「縮緬発祥之地」の石碑が立っている(2 枚目の写真)。その南角を奥へ入ると、西山工場があり、第 1 工場から第 2 工場へ二階の廊下でつないでいた痕跡が見られる(3 枚目の写真)。

 向きを北へ変えて進むと、左手に宝厳寺(4 枚目の写真)、天満神社(5 枚目の写真)、吉祥寺(6 枚目の写真)とつづく。毎年春に行われる加悦谷祭では、天満神社参道の 137 段の石段を、大みこしを担いで登る人たちの勇壮な姿が見られるという。(つづく)

2017年12月5日火曜日

京丹後へのバス旅行 -2- (Bus Trip to Kyōtango -2-)

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旧加悦鉄道駅舎。
Former Kaya-railway station.


杉本家住宅。
Sugimoto family house.


旧伊藤医院診療所。
Former Ito clinic.


旧伊藤医院診療所玄関のレリーフ。
Relief at the entrance of former Ito clinic.

 「和久傳の森」の次に訪れたのは、「ちりめん街道」である(以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい)。京都府北部・与謝野町加悦にあるこの街道は、江戸から明治・大正・昭和初期にかけて、高級織物「丹後ちりめん」が隆盛を極めた場所である。2005 年に重要伝統建造物群保存地区に指定され、ちりめん産業によって町を近代化した建物の多くが、現在も住宅として利用されながら残っている。

 私たちは 3 班に分かれて、それぞれ語り部の案内を聞きながら散策した。出発点には、今は丹後観光の玄関口として、その案内役をしている旧加悦鉄道駅舎がある(1 枚目の写真)。そこから少し南下したあと、西へ進むと、まず、明治中期に建てられた杉本家住宅(上之町)がある。防火壁の役割を果たす「うだつ」が見られる家として、街道唯一のものだそうだ(2 枚目の写真。撮影アングルが不適当で、右端にうだつの一部しか写っていない。人物は私たち 2 班の案内をして貰った語り部さん)。

 さらに南下すると、大正 6(1917)年頃に建てられ、この地域初の西洋医学の診療所として貢献した旧伊藤医院診療所がある(3 枚目の写真)。玄関上部に漆喰で造られたレリーフがあるのが特徴である。このレリーフは加悦の左官職人・萬吉が、神戸の洋館建築で修業した後に施工したと伝えられ、古代ギリシャ・ローマ建築の神殿などに見られる柱頭飾りやレリーフを範にした洋風意匠となっている(4 枚目の写真)。(つづく)

2017年12月4日月曜日

京丹後へのバス旅行 -1- (Bus Trip to Kyōtango -1-)

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「和久傳の森」の一部。
Part of Wakuden-no-Mori wood.


「森の中の家 安野光雅館」。
Mitsumasa An-no Museum.


工房レストラン wakuden MORI。
Studio and Restaurant.


工房レストラン内のテーブル。
A table in the restaurant.

 12 月 2 日(土)、妻と早朝に家を出て、「京丹後『和久傳の森』と ちりめん街道」と称する、日帰りバス旅行に参加した。行きのバスの走行中に一時雨が降ったが、到着後はずっと好天気に恵まれた。

 「和久傳の森」は京都の料亭「和久傳」が、安野光雅氏の絵画を展示する「森の中の家 安野光雅館」と工房レストランを、多くの植樹をした森の中に建てたもので、今年の6月に開いたばかりである。森は、植物生態学者・宮脇昭氏の指導で、2007 年から手がけられ、56 種類の木々 3 万本が育っているという。

 安野光雅館は、安藤忠雄氏が自然の光や風を取り込んで、独特かつシンプルな設計をした小規模なもので、期間ごとに入れ替えて展示する形式になっている。9 月 20 日から 12 月 21 日までは、『洛中洛外』の絵 58 点が展示されている。少数ながら見応えがあり、工房レストラン wakuden MORI(モーリ、桑の木のイタリア語にちなんでいるという)での食事後に再見学出来たのもよかった。

 食事は丹後や和久傳の森でとれた食材を使った、ヘルシーで美味なものだった。午後 1 時半に再びバスに乗り、ちりめん街道へ向かった。(つづく)

2017年11月13日月曜日

K・F 氏へ:私の論文集第 1 巻 (To K. F.: My Collected Works Volume 1)

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堺市八田荘公園の秋色。2017 年 11 月 10 日撮影。
Autumnal scenery of Hattasō Park, Sakai, taken on November 10, 2017.

K・F 氏へ:私の論文集第1巻

2017 年 11 月 5 日

K・F 様

 先日の電話では、先のメールに書き忘れた ResearchGate (RG) の最近の問題についてお話ししたいと思い、ややこしいことを述べて、失礼しました。文にまとめると以下のようなことです。

 先般、私がこれまで RG サイトに置いてきた post-print(大抵の出版社がインターネット上での掲載を許可している、発表論文の最終デジタル原稿。われわれが論文を投稿した時代は、ほとんどデジタル投稿ではなかったので、別刷りをスキャンして、逆にデジタル原稿を作っています)のうち、Elsevier に著作権のあるもの(かつての North Holland、Pergamon、Academic Press などが Elsevier に吸収され、私の論文の大部分の著作権は Elsevier にあることになりました)が全て非公開の private file(掲載者自身しか見ることができない形)に変更されていました。

 不思議に思っていたところ、間もなく Nature 誌のオンラインニュースで、Elsevier が RG 社を著作権侵害で訴える準備をしているということを知りました。RG サイトには、Elsevier を始めほとんどの出版社が掲載を禁じている published version をそのまま載せている人たちが極めて多かったからと思われます(現今の digital reprint を使えば、published version の掲載には手間が全くかかりません)。

 私が置いている post-print は、公開しても大丈夫なはずなので、private file から公開の形に自分でいったん戻しましたが、考えてみると、コメントなどを付けている点で、post-print の掲載規定には反しています。そこで、それらをまた private file に戻しました。しかし、private file のままにしておくことや、コメントを消去してしまうことは惜しいので、この際、コメントを付けた体裁での掲載が可能な、自分のデジタル論文集にまとめようと思い立ちました(post-print の掲載さえも許可していない雑誌もあるので、いずれそういうものを作るつもりでした)。

 以上のような次第で、まず、修士課程時代の論文 5 編を第 1 巻としてまとめましたので、添付します。論文 1、2、4 に付けたやや長めの「歴史的」コメントは、貴殿にもご興味があろうかと思います。ご笑覧いただければ幸いです。

 余談ですが、今年のノーベル文学賞を得た Kazuo Ishiguro の "The Remains of the Day" を中学時代からの友人が原書で読むといってきたので、私も負けずにと思って注文していたのが、昨日届きました(注文時点では品切れでした)。到着したペーパーバックの表紙には、"Winner of the Nobel Prize in Literature" と、ちゃっかり印刷されています。読みやい英文です。

 T・T


 引用時の注:ここに掲載するに当たって、若干の修正をした。なお、私の論文集第 1 巻はこちらからダウンロード出来る。
 Kazuo Ishiguro のことだが、私は以前からその名を知っていたので、彼のノーベル賞受賞が発表された時、かつてテキスト(概ねペンギン社のペーパーバック)を買うまでして熱心に聞いていた NHK のラジオ番組『原書で読む世界の文学』で、彼の作品が取り上げられたことがあったのだったかと思った。そこで、本棚をあちらこちら探してみた(それらのテキストはパソコン上の蔵書リストに入れてないが、まだ処分もしていない)。しかし、彼の本は見つからなかった。思い当たるのは、オンラインのニューヨーク・タイムズの書評を時々読んでいるので、彼のどの本かの書評が載った時に、日本名の作家が取り上げられた珍しさで、その書評を詳しく読んだのではなかったか、ということである。

2017年10月29日日曜日

K・F 氏へ:最近の読書のことなど (To Mr. K. F.: About My Recent Reading etc.)

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最近読んだ本(詳しくは本文参照)。
Books I read in the past year. (As for "The Strangest Man", I read the last pages, which I had left unread since seven years ago. As for "It Must Be Beautiful", I'm still continuing to read it.)

K・F 様

 お手紙と京都科学カフェの興味深いレジュメ「真空の相転移—超高温・高密度の世界で起こること—」をお送りいただき、ありがとうございました。

 私は相変わらず、物理系の科学啓蒙書の類を英書で読んでいます。この 1 年ほどの間に読んだ本は次の通りです。
  • Neil Turok, "The Universe Within: From Quantum to Cosmos"
  • Pedro G. Ferreira, "The Perfect Theory: A Century of Geniuses and the Battle over General Relativity"
  • Graham Farmelo, "The Strangest Man: The Hidden Life of Paul Dirac, Quantum Genius"(何年も前に途中まで読んであったものの続きを読みました)
  • Carlo Rovelli, "Reality Is Not What It Seems: The Journey to Quantum Gravity"
  • Lee Smolin, "Time Reborn: From the Crisis in Physics to the Future of the Universe"
  • Michio Kaku, "Physics of the Impossible: A Scientific Exploration into the World of Phasers, Force Fields, Teleportation, and Time Travel"
  • Graham Farmelo, ed. "It Must Be Beautiful: Great Equations of Modern Science"(続読中)
ご興味のある本があればお送りします。(アマゾンで書名を検索すると、専門家や読者たちの批評をご覧になれます。)

 貴殿は思い立って力学を勉強していらっしゃるとのことですが、私も 2、3 年前に Leonard Susskind and George Harbovsky, "The Theoretical Minimum: What You Need to Know to Start Doing Physics" という本で、力学を少し学びました。100 ページ目ぐらいに Lagrangian が出てくる、モダンで読みやすい本です。しかし、誤植等が結構多くあることに気づいたからだったでしょうか、本文全 211 ページのうちの、141 ページで中断したままです(数式の正誤表はインターネット上に掲載されていますが、言語表現の間違いについての修正は載っていないようです)。

 4 月初めに東京で高校同期関東在住者会があり、上京したついでに、宿泊した学士会館へ M・Y 君と A・M 君に来て貰い、歓談しました。A・M 君は『荒勝文策と原子核研究の夜明け』(仮題)という本を執筆中ということです。M・Y 君はいまも、私のブログへの感想をメールで送り続けてくれています(最近は新しい記事を書く頻度が全く減ったのですが)。

 [...省略(私の白内障手術に関する記述)...]ウォーキングは 5000 ないし 6000 歩程度、天気のよい日にだけ続けています。

 さる 19 日から明 24 日まで、美交会展が北野田の堺市立東文化会館で開催されており、水彩画を 1 点だけ出品しています。ブログにそのイメージを掲載しましたので、次のURLでご覧頂ければ幸いです。
  https://ideaisaac2.blogspot.jp/2017/09/my-watercolor-jizo-dake-mt-hoo.html

 不順な気候のもと、くれぐれもご自愛下さい。

 T・T


 引用時の注:K・F 氏は大学院の 1 年後輩で、元職場の同僚でもあるが、年齢は私より 3 歳ほど上である。氏からの手紙は郵便で届き、この返信はメールで 2017 年 10 月 23 日に送った。引用に当たって、若干の補足・修正をしたところがある。

2017年10月18日水曜日

ショウキズイセン (Golden Spider Lily)

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わが家の植木鉢に咲いたショウキズイセン。2017 年 10 月 11 日撮影。
Flowers of olden spider lily in the flower pot of my house; taken on October 11, 2017.

 先日、植木鉢にヒガンバナ状の黄色い花が、葉を伴わない何本もの茎からたくさん咲いているのに気づいた。そういう植物を植えてあったことを全く忘れていた。園芸用のノートを取り出してみると、「ショウキズイセン(別名・黄色リコリス、ヒガンバナ科)」というものの球根を一昨年夏頃に植えたことが分かった。パソコン上の写真をたどってみると、その年の 10 月 1 日に茎が 1 本だけ伸びて花を咲かせている写真があるが、昨年は咲かなかったのか、撮っていない。

2017年10月8日日曜日

奈良への日帰りバス旅行 -3- (One-Day Bus Trip to Nara -3-)

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奈良豆比古神社。
Naratsuhiko-jinja Shrine.


奈良豆比古神社のクスノキの巨樹(奈良県指定天然記念物)。
Giant camphor tree of Naratsuhiko-jinja Shrine (a Natural Monument designated by Nara Prefecture).


旧奈良少年刑務所正門。
The main gate of former Nara Juvenile Prison.


旧奈良少年刑務所本館。
Main building of former Nara Juvenile Prison.

 般若寺の見学後、30 名の一行は 3 班に分かれ、それぞれ一人のボランティアガイドの案内で「奈良きたまち」の散策に赴く。まず、奈良豆比古神社(ならづひこじんじゃ)を訪れた(1 枚目の写真)。ここは、光仁天皇の父・施基皇子(志貴皇子)を祀る古社で、10 月 8 日に奉納される伝統芸能・翁舞が有名であることから歌舞音曲の司神とされている。ちょうど翁舞の奉納を 4 日後に控えて、境内ではその舞台の準備が始められていた。本殿裏に自生するクスノキ(樹齢 1000 年余、樹高約 30 m)は、奈良県の天然記念物に指定されている(2 枚目の写真)。

 ほかに、次の箇所も見て歩いた。鹿せんべいの製造元・武田商店、明治 16 年創業の植村牧場、2020 年をめどにホテル等の複合施設を開業する計画という奈良少年刑務所跡(3、4 枚目の写真)、鎌倉時代に造られたハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設・北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんこ)、歌人・会津八一が「ならざかの いしのほとけの おとがひに こさめながるる はるはきにけり」と詠っている夕日地蔵。

 天候に恵まれたよい旅で、バスが天王寺へ帰着したのは午後 4 時 15 分頃という早い時間だった。帰宅すると、歩数計は 1 万 2 千歩を示していた。(完)

2017年10月7日土曜日

奈良への日帰りバス旅行 -2- (One-Day Bus Trip to Nara -2-)

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般若寺境内のコスモスの花と本堂。
Cosmos flowers and main hall of Hannya-ji temple.


般若寺境内のコスモスの花と観音石仏。
Cosmos flowers and stone Buddhist image in the precincts of Hannya-ji.


般若寺の十三重石塔(重要文化財)。
Thirteen-storey pagoda (Important Cultural Property) of Hannya-ji.


般若寺の楼門(国宝)。
Two-story gate (National Treasure) of Hannya-ji.

 バスの一行は、奈良市中心部の「ホテルアジール・奈良」で「奈良のちゃんこ・はっけよい鍋御膳」の」昼食をとり、午後、奈良市北東部にある般若寺を訪れる。ここは、コスモス寺の名で知られ、コスモスの花がちょうど美しく咲いていた(1、2 枚目の写真)。

 1 枚目の写真の奥に見える本堂は、戦国時代に旧金堂が焼けたあと、寛文 7 年(1667 年)に再建されたもので、奈良県指定文化財である。本堂の南正面には、鎌倉時代の建長 5 年(1253年)頃に造られた、高さ 12.6 メートルの十三重石塔が、日本の代表的な石塔の一つとして存在する(重要文化財指定、3 枚目の写真)。

 入母屋造・本瓦葺きの楼門(2 階建て門、4 枚目の写真)も、鎌倉時代(13 世紀後半)に建立された、楼門遺構として日本最古の作例で、国宝になっている。境内のあちらこちらや楼門の下には、水彩でスケッチをしているグループが散らばっていた。(つづく)

2017年10月6日金曜日

奈良への日帰りバス旅行 -1- (One-Day Bus Trip to Nara -1-)

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上の 2 枚とも、ホトトギス属の花。白毫寺の境内で。
Both the above photos show flowers of toad lilies; taken in the precincts of Byakugō-ji.


シュウメイギク。白毫寺の境内で。
Japanese anemone; also taken in the precincts of Byakugō-ji.


白毫寺の境内から見た奈良市街。
Nara city viewed from Byakugō-ji Temple.

 さる 10 月 4 日(水)、「関西花の寺 25 カ所 花めぐり第 7 回:大和花寺と奈良きたまち散歩」と銘打った、トラベル日本社の日帰りバス旅行に妻と参加した。8 時 30 分に私たちを乗せて天王寺を出発したバスは、 9 時に梅田でも集客し、まず、奈良市の南東部にある白毫寺(びゃくごうじ)へ向かう。

 白毫寺は春のゴシキツバキと秋のハギで名高いが、時期が遅かったのか、そもそも近年はあまりよく咲かないのか、100 段あまりの石段に沿って咲き乱れるはずのハギの花は、少ししか見られなかった。代わりに、境内に咲いているホトトギスとシュウメイギクの写真を撮って来た(1、2 枚目の写真)。この寺は、春日山の南に連なる高円山の山麓にあって、境内からは、奈良市街が一望できることでも知られている(3 枚目の写真)。

 白毫寺を去る際に、振り返って石段から山門に至る眺めを写真に撮ろうとしたが、参加者の多くが私たちの後から降りてくるところだったので、撮影をあきらめた。したがって、この寺の訪問では、寺らしい写真を 1 枚も撮らないで終わった。(つづく)

2017年10月2日月曜日

伊藤千尋さんへのインタビュー記事「守りたい9条:私たちには世界に誇る憲法がある」


 「『9条加憲』をどう見るのか、『改憲』が実現すると社会はどう変化するのか。世界からみた9条の価値について聞きました」として、全日本民医連の雑誌『いつでも元気』2017 年 10 月号が、国際ジャーナリスト・元朝日新聞記者・「九条の会」世話人の伊藤千尋さんへのインタビュー記事を掲載しました。

 伊藤さんは、「9条は日本人だけのものじゃない、世界の人のためのものです。だから世界のあちこちで『9条っていいな』と思われているのです。日本人には9条の大切さや、この憲法は世界があこがれる憲法なんだということを、もっと知ってほしいと思います」などと語っています。全文はこちらに掲載されていますので、ぜひお読みください。

 (本ブログ記事は、筆者が作成している別のブログ「平和の浜辺:福泉・鳳地域『憲法9条の会』」からの転載です。)

2017年10月1日日曜日

網戸の外側にとまったチョウ (The Butterfly Staying outside the Window Screen)

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Top, picture taken with the sky in the babckground; middle, with the the house next door as the background; bottom, with forced flash.

 前の記事に続いて、また、チョウの話になる。先日、書斎の窓の網戸の外側にアゲハチョウがとまっていたので、写真を撮った。最初は背景に隣の家が写らないよう、見上げる姿勢でカメラを構え、背景を空にして撮ったところ、いかにも逆光写真という結果になった(上掲の 1 番上のイメージ)。次に、隣家が入るのを構わずに撮ると、チョウの姿はかなり明るく撮れた(二つ目のイメージ)。そこでさらに、カメラを強制フラッシュのモードにしてもう一度撮ると、羽の模様は最も綺麗に出たが、網戸の網が白く目立ち、チョウの姿を邪魔しているような写真になった(3 番目のイメージ)。

 チョウの姿勢では、最初のものが羽をピンと張っていて最もよく、2、3番目の写真の時は、羽を尾部の方へ垂らした、いわばだらしない姿だった。どの写真も一長一短ありである。もっと撮ってみたかったが、3番目の写真を撮って間もなく、チョウは飛び立ってしまった。——ということで、この件について記事を書くならば、いま書いた通りの説明をして、3 枚の写真をまとめて載せるしかないと判断した。

2017年9月28日木曜日

このチョウの名は? (What Is the Name of This Butterfly?)





 一昨日、わが家に咲いたヒガンバナの写真を撮ろうとしたところ、珍しいチョウがとまっていた(上掲の写真)。しかし、その名が分からない。お分かりの方があれば、教えいただければ幸いである。

The day before yesterday, I tried to take a picture of the flowers of red spider lily that bloomed at my home. Then, I found a butterfly of a rare kind on one of the flowers (see the image above). I do not know its name. I should be glad if you could tell me the name.

 追記(2017 年 10 月 1 日):一読者の方から、下記のリンクを示して、「ツマグロヒョウモンというチョウのようです」と教えていただいた(コメント欄参照)。
  "ナンでも図鑑(無料) > 動物科一覧 > タテハチョウ科 > ツマグロヒョウモン > ツマグロヒョウモン(メス)"
漢字では、「褄黒豹紋」と書く。羽は、端が黒く、ヒョウのような模様を持っている、というところから名付けられたのだろう。

 Note added on October 1, 2017: A reader told me that this might be Argynnis hyperbius (the Indian fritillary) (see here).

2017年9月27日水曜日

2017 年 6 月 19 日〜9 月 11 日分記事への M・Y 君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts from June 19 to September 11, 2017)

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わが家に咲いたヒガンバナ。2017 年 9 月 25 日撮影。開花は 3 日前の、ちょうど秋分の日だった。
Flowers of red spider lily at my home; taken on September 25, 2017. They began to open three days before, just on Autumnal Equinox Day. (The popular Japanese name of this plant is higanbana, which literally means "Equinox flower".)

2017 年 6 月 19 日〜9 月 11 日分記事への M・Y 君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2017 年 9 月 24 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. 高校時代の日記から

 筆者が卒業した高校の同窓会は「金商菫台同窓会」と名付けられています。その関西支部は約 10 年前に解散の危機に陥りましたが、再建して、今年、再建 10 周年を迎えました。これを機に記念の冊子を発行することになり、「母校・友そして故郷 懐かしき想い出」という範疇での寄稿が全会員に求められました。筆者は、「高校時代の思い出を書こうとしたが、卒業から 63 年も経ったいま、何らかの思い出を活写することは難しいと気づいた」として、高校時代の日記から、2 年生の初めの数日分をまとめて寄稿文にし、それがこの記事として掲載されています。よい選択だったと思います。

 1952 年 4 月 14 日(月)、17 日(木)、21 日(月)、22 日(火)の 4 日間について書かれ、歴史の先生の講義の話し癖、国語甲は秀才の 2 君も集まる最も優秀なレッスン・クラスであること、校長の英語講義のこと、解析 II の時間に秀才君の一人との間で前週来問題となっていた整数の 4 乗和を求める式に違いが生じた原因を調べる内職をしたこと、規則違反があって再実施となったホームルームの選挙管理委員選挙に、やはり筆者が選ばれてしまったこと[次段落末の「筆者注」参照]、放課後の新聞クラブの会合で編集長に選ばれ、しっかりやらなければという意気込みを持ったこと、などが書かれています。文章と一緒に掲載された物理のレッスン・クラスによる変電所見学の写真も、当時の高校生たちの様子を残すよい記念となるものです。

 これを読みながら、中学よりかなりレベルが高くなった高校に入学し、これから頑張ろうと意気込んだ高校 1 年の爽やかな 4 月の当時を懐かしく思い出しました。
 筆者注:Y・M 君の文では「筆者が再選されたこと」になっていましたが、日記原文の「またも、ぼくが選ばれてしまい」のニュアンスを生かすため、「やはり筆者が選ばれてしまったこと」に直しました。日記に「選ばれてしまい」と書いたのには、次の理由がありました。選挙管理委員の任期は 1 年間で、これに選ばれると、その学年での前期・後期とも、生徒会議員に選ばれる可能性がなくなるので、ありがたくなかったことを表したかったのです。ただし、隣のホームルームでは、中学時代の彼の生徒会活動の経験から見て、生徒会長になる能力が十分にある男生徒 N 君が選挙管理委員に選ばれていたのを、後期の選挙の際にリコールでやめさせ、生徒会議員に選び直し、実際に生徒会長を務めて貰ったという、珍しい例がその年に発生しました。この陰には、生徒会から支出されるクラブ援助費増額を望むスポーツ系諸クラブから、N 君の属するホームルームへ、スポーツ系クラブに理解の深い彼をぜひ議員・会長にという、強い働きかけがあったのです。

2. 金沢での墓参 2017 -1-〜-4-

 長女ご夫妻とのお盆の金沢墓参の旅について書かれています。ご先祖を祀る年中行事はよい習慣ですね。奥様の先祖代々の墓のある野田山、筆者の両親の墓のある寺町の寺、そして最後に筆者の母方の先祖の墓 2 基のある野町の寺と、一日でお参りするのは夏の暑さの中お疲れだったでしょう。翌日静かな雰囲気のレストラン「かなざわ玉泉邸」を訪れて、その庭園・玉泉園を観賞し、日本海でとれた魚介類や加賀野菜などの新鮮な材料を使った郷里の料理も存分に楽しまれたとのこと、2 日間の優雅で有意義な旅でしたね。

 庭園の数々の写真や記事での紹介は、玉泉園を初めて知る私も興味深く拝見しました。筆者が高校時代の日記中で "Vicky" というニックネームをつけていた S・T さんに、さる 4 月の同窓会で彼女の小学生時代について尋ねると、彼女は、医師だった父君が彼女の小学校 2 年生の春に亡くなり、先祖から伝わっていた玉泉園を母君が経済的な事情で手放したことや、高校生になってもこの思い出のために春は悲しい季節だったことを聞かせてくれたとのこと。しんみり心に残る話です。

3. ディオプトリー

 「私は近年、強度近視に老眼が加わり、読書用、屋内用、外出用の 3 種類の近眼鏡を使い分けていたが、白内障手術後、屋内ではほとんどメガネが不要になった。しかし、外出にはメガネがあった方がよい。そこで、[…]眼科医でメガネの処方箋を作って貰った。両眼とも "−1.75 D" とある。いままで何度もメガネを作り替えながら、度数の意味を調べたことがなかったが、インターネット検索を使うと、容易に理解出来た」と書き出されています。

 メガネの度数の単位・ディオプトリーの定義や、白内障手術で近焦点の眼内レンズを入れた場合、室内でも使用できるメガネとして、視力検査から決まるディオプトリー値よりやや緩めの度数のものが最適であることについて具体的な説明があり、役に立つ情報が提供されています。大きな専門店でメガネを購入すると、一定の期間中、使用して不具合を感じれば交換可能になっているようで、この点でもここに書かれた知識は参考になるものと思われます。

4. 水彩画『鳳凰山・地蔵岳』

 このページを開いた時、素晴らしい絵が目に飛び込んで来ました。岩肌の輝き、木々の緑、白い斜面と、色彩も鮮やかです。文章を読んでいくと、「来たる 2017 年 10 月 20 日(木)から 24 日(火)まで、堺市東区北野田の東文化会館で開催される『第31回・美交会展』に出品する予定の水彩画を、9 月 9 日に完成した」とありました。内田良平氏が撮影した『観音岳から望む 8 月の地蔵岳』(『週刊 日本百名山』No. 05の表紙写真)、鳳凰山についての三つの参考文献、奥様の登山時の観察などを丹念に参照・考察し、また名前の由来も調べ、同山を絵に描くための包括的な概念を構成されたことと思われます。『第31回・美交会展』の盛会をお祈りします。

 奥様が知人・友人へ送る賀状の挿絵にするため、奥様の登った山々の中から、今年の干支である酉(とり)に関係のある名の山として鳳凰山を選び、筆者が同様な絵を先にペンと色鉛筆で描かれていましたが(こちら参照)、今回の絵は格段に丁寧になっていると思いました。

 地蔵岳の賽ノ河原についてインターネットで見てみますと、広い白い大地に風化されていない多くの地蔵が点在しており、こんな高所に運んだ苦労は大きかっただろうと、昔の信仰登山の敬虔な祈りに思いを馳せました。

2017年9月11日月曜日

水彩画『鳳凰山・地蔵岳』 (My Watercolor "Jizō-dake, Mt. Hōō")

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 来たる 2017 年 10 月 20 日(木)から 24 日(火)まで、堺市東区北野田の東文化会館で開催される『第31回・美交会展』(主催・堺の文化をすすめる市民の会)に出品する予定の水彩画を、9 月 9 日に完成した。ホルベイン不透明水彩絵具とホルベイン紙 F6 を使用し、文献 1 の表紙にある写真を参考にして描いた。文献 1 の目次の上部に同じ写真を小さく添えて記してある説明によれば、その写真は、内田良平氏が撮影した『観音岳から望む 8 月の地蔵岳』である。小さな写真と表紙の写真を比べると、後者は元の写真の下部を 2 割近くカットしてあると分かる。表紙の写真を私が参考にするにあたって、さらに左右を(左を少し多めに)カットした。

 同様な水彩画を昨年 12 月に、妻が知人・友人へ送る賀状の挿絵にするため、妻の登った山々から、今年の干支である酉(とり)に関係のある名の山として、上記の写真を選び、私が透明水彩絵の具で F4 紙に描きかけた。しかし、途中まで進めた着彩が気に入らず、透明水彩では修正もままならず、その時の目的としては、F1 サイズのスケッチブックにペンと色鉛筆で急きょ簡潔に描いたものを用いた(元日のブログ記事に掲載)。したがって、画具が全て異なるながら、同じ写真から、失敗作を含めて 3 度描いたことになる。

 鳳凰山は、地蔵岳・観音岳・薬師岳の 3 山の総称で、鳳凰三山とも称される。地蔵岳(2,764 m)の山頂部にはオベリスク・地蔵仏と呼ばれる巨大な岩塔があり、これが「鳥のくちばしに見立てられる」というのが、鳳凰山の名の由来の一説であるが(文献 2)、他にもさまざまな説があるそうだ(文献 3)。深田久弥は、「地蔵仏は高さ約十八メートル、極めて印象的なオベリスクで、甲府盆地からでもよく注意すると認めることができる。それは鳳凰山のシンボルのように立っている。その巨石に初めて攀じ登ったのはウォルター・ウェストンで、明治三十七年(一九〇四年)の夏であった」(文献 4)と記している。

 地蔵仏の姿は、「二個の巨石が相抱くように突っ立っている」(文献 4)という様子である。ただし、二個からなることは、この絵の横方向に相当する位置から見ないと分からない。参考にした写真では、樹木のない中央部分の傾斜がもう少し黄色味を帯びているが、絵では、妻が登った印象として「白っぽかった」ということを強調するため、黄色味を抑えた。白っぽいのは、風化花崗岩の砂礫で覆われているからだそうで(特に絵の左端に見える「賽ノ河原」と名付けられた部分)、1814 年に編纂された『甲斐国志』にも「砂白くして海浜の景色あり」と描写されているという(文献 3)。賽ノ河原には「昔の信仰登山者のおいて行った小さな石の地蔵が、壊れた形で散らばって」(文献 4)いる。画中、賽ノ河原の奥に多くの小さい点々で表したのがそれである。

 なお、中央部分の傾斜の黄色味を抑えて描いたのには、もう一つ理由がある。私はさる 4 月の半ば過ぎと 5 月初めの 2 回に分けて、左右の目の白内障手術をした。その結果、本来あるべき色感を取り戻したのだが、白内障が進んでいた頃と比べれば、風景が青白く見える印象を受けた。その感懐を、際立てて絵に残しておきたい思いもあったのである。過去 2 年間に描いた水彩の風景画[『自然エネルギー』(オランダ・キンデルダイクの風車)と『自鳴琴の館』(京都嵐山オルゴール博物館)]をいま見ると、必要以上に黄色が強調されているように思われる。ペンと色鉛筆描きの『鳳凰山』中の賽ノ河原も、黄色が強すぎた。

 文献
  1. 『週刊 日本百名山』No. 05(朝日新聞社、2001)。
  2. 「鳳凰山」、『ウィキペディア』https://ja.wikipedia.org/wiki/鳳凰山[2017 年 4 月 24 日 (月) 09:06]。
  3. 深田久弥『日本百名山』中「鳳凰山」の項。文献 1 の p. 3 に朝日文庫版(1990)から、同項の全文が転載されている。
  4. 三宅修「明るい稜線と大展望の魅力」、文献 1 の p. 6。
 (2017 年 9 月 16 日、一部加筆・修正)

2017年8月15日火曜日

ディオプトリー (Diopter)

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ハマユウの花。わが家の庭で、2017 年 7 月 16 日撮影。
Flower of spider lily; taken on July 16, 2017 in my yard.

ディオプトリー

 私は近年、強度近視に老眼が加わり、読書用、屋内用、外出用の 3 種類の近眼鏡を使い分けていたが、白内障手術後、屋内ではほとんどメガネが不要になった。しかし、外出にはメガネがあった方がよい。そこで、さる 8 月 9 日に眼科医でメガネの処方箋を作って貰った。両眼とも "−1.75 D" とある。いままで何度もメガネを作り替えながら、度数の意味を調べたことがなかったが、インターネット検索を使うと、容易に理解出来た。

 D は、昔高校の物理で習ったディオプトリー(米語表記 diopter、独語表記 Dioptrie)という単位を表している(単位の名称を習ったということは、その意味も習ったのだろうが、覚えていなかったということになる)。その単位のつく数値は、焦点距離(メートル単位)の逆数で、マイナスは「眼前」を意味し、近視の場合にはマイナスになる(レンズの種類としては凹レンズ)。1.75 の逆数は 0.571で、 "−1.75 D" は裸眼の焦点が眼前 57.1 cm の場合に適合するレンズの度数ということである。

 看護師の最初の測定では、多分 −2.00 D だったのだ(度数は通常 0.25 刻み)。これだと白内障手術で入れて貰った眼内レンズの焦点距離 50.0 cm とよく一致する。しかし、医者は「…75…も調べてみなさい。屋内でも使えるように」というような指示を看護師にしていた("…" の部分はよく聞き取れなかった)。

 視力検査表の、最初の時より上の段までしか見えないレンズで再測定してくれたあと、看護師は「一番よく見えるので処方箋を書きましょうか」といった。私は、それでは医者の指示が活かされないように思い、「お医者さんは何とおっしゃったのですか」と看護師に尋ねた。すると彼女は、片目ずつで 1.0、0.9、0.8 の視力が出ているレンズを左右に入れたテスト用メガネを並べて、「念のため、度数の低い場合の検査もしました。片目で 0.9 でも、両目で見ると 1.0 のところまで見えるはずです。0.9 あるいは 0.8 ずつのでもよいかも知れません。どれにしますか」といった。

 そして、視力検査表の、普通は一カ所ずつ点灯するランプを、1.0 に対応する段の全てに点灯して見せてくれた。なるほど、0.9 ずつのレンズでも、両目で見ると、その段のすべての輪(「ランドルト環」というそうだ)の切れ目がほぼ見えている。そこで、0.9 ので処方箋を書いて貰った。これがちょうど、医者のいった "…75…"、いま思えば −1.75 D に対応していたのだ。私は看護師に対して、最初に「外出用のメガネを作りたい」といったので、彼女は医者の「屋内でも使えるように」という言葉を重視しないで、検査表が一番よく見えるのでよいと思ったのだろう。

 しかし、家の中でテレビを 2 メートルあまり離れたところから見る時や、自分の描いた水彩画を離れた場所から眺めて印象を確かめる時には、メガネの必要を感じている。これらの場合の対象物は、5 メートル離れて見る視力検査表よりは近くにあるので、弱めの度数のレンズでむしろよく見えるはずである(白内障手術で私が入れて貰った固定焦点の眼内レンズは、肉眼のように調節が効かない)。したがって、−2.00 D よりも −1.75 D を選んでよかったと思う。

2017年7月25日火曜日

金沢での墓参 2017 -4- (Graves Visit in Kanazawa, 2017 -4-)

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上から、東滝(上に立つのは朝鮮型灯籠)、庭園上段の池[灑雪亭(さいせつてい)露地付近]、灑雪亭茶室(金沢市内に現存する最も古い茶室)、レストラン「かなざわ玉泉邸」入口。
Views of Gyokusen-en Garden, Kanazawa, the inside of Sai-setsu-tei tearoom (the 3rd picture), and the endtrance to the restaurant Gyokusentei (bottom).

 ところで、私の高校同期生に、多くの男子生徒の憧れの的で、学業も飛び切り優秀な女生徒がいた。私は高校時代の日記中で彼女に Vicky のニックネームを与え、彼女の試験結果が私より優っていた悔しさや、彼女が国語の朗読中に自らの読み違えがおかしくて笑いが止まらなくなったことや、彼女が珍しく遅刻して教室に飛び込み「のびたー」といったことなどまでを、つぶさに記していた。

 さる 4 月に開催された同期会の席上、私はその Vicky こと S・T さんに彼女の小学生時代について尋ねた。すると彼女は、医師だった父君が彼女の小学校 2 年生の春に亡くなり、経済的な事情で、先祖から伝わっていた玉泉園を母君が手放したこと、そして、高校生になってもこの思い出のために春は悲しい季節だったことを、参加者一同に聞かせてくれた。

 なお、1971 年に公開となる以前から、私はこの庭園の名を知っていたように思う。私と一緒に大連から引き揚げた伯母が、兼六坂沿いにあって玉泉園が見下ろせるほどの近くだった家を一時借りて住んでいたせいだろうか。

 今回も含めて 3 回にわたって紹介した写真のほかにも何枚かの庭園の写真を撮った後、静かな雰囲気のレストラン「かなざわ玉泉邸」へ入った。日本海でとれた魚介類や加賀野菜などの新鮮な材料を使った料理が次々に運ばれて来て、郷里の味を存分に楽しんだ。(完)


[2017 年 7 月 29 日修正(玉泉園の継承に関連して推定で記した部分が間違いと分かり、削除した。)]

2017年7月24日月曜日

金沢での墓参 2017 -3- (Graves Visit in Kanazawa, 2017 -3-)

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上から、玉泉園・本庭の中心部(主庭池付近)、寒雲亭茶室(写)、寒雲亭露地付近、東庭。
Views of Gyokusen-en Garden, Kanazawa, and Kan-un-tei tearoom (replica) (the 2nd picture).

 玉泉園は、総面積約 2,370 平方メートル(約 720 坪)で、兼六園(11 万 7 千平方メートル)よりはるかに小規模ながら、それよりも 120 年近く古いという歴史を誇っている。崖地を利用した上下 2 段式の池泉回遊式庭園で、本庭、西庭、東庭の 3 庭からなる。

 前回述べた「玉澗流」という庭園の特色は、
  1. 築山を二つ設けてある、
  2. 築山の間に滝を組んである、
  3. 滝の上部に石橋(通天橋)を組んである、
  4. 石橋の上部は洞窟式になっている、
という点にあり、玉泉園はこの 4 特色を全て備えているそうだ(注)。滝の写真は次回に登場する。(つづく)

 注:以上の記述は、「かなざわ玉泉邸」発行のリーフレット『石川県指定名勝 玉泉園』を主に参考にした。