2012年12月29日土曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:18. 光速はなぜ一定なの? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 18. Why Is the Speed of light Constant?)


Read in English.

1931年のアルバート・アインシュタイン。By Doris Ulmann [Public domain],
via Wikimedia Commons.

 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、光速はなぜ変化しないの? というもの。テッドがこの質問を受けたのは、ちょうど、昨秋から今春にかけて話題になった、ニュートリノが光速を破るという実験結果の最初の報道がなされたときだったので、これについてもふれた。注として、その結果があとで訂正されたことや、テッドはかつて、自分が完遂したばかりのと同じ実験についての、誤った結果を先がけて一流誌『フィジカル・レビュー』に発表され、それが誤りであることを最初に指摘した論文を書いた経験があり、ニュートリノ実験の最初の結果についても、いずれ誤りが分かるだろうと思って驚かなかったことを述べる。[本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年12月27日木曜日

庭に直植えのネリネ (Nerine sarniensis Directly Planted in Our Yard)


 このところ毎年、わが家の冬の庭に温かい色彩を与えてくれている直植えのネリネが、今年も咲いた。ツボミはまだ全部開花していない。しかし、明日から何日か悪天候になりそうなので、きょう写真を撮った。

These years the Nerine sarniensis directly planted in our yard shows warm colors in winter. It also began to bloom this year. Not all the buds have opened yet. However, I took a picture of it today because it seems to be of unfavorable weather for a few days from tomorrow according to the weather forecast.

2012年12月26日水曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:17. ゴールデン・フィジックスって何? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 17. What is golden physics?)


Read in English.

カール・セーガンの著書『科学と悪霊を語る』は、「妥当な科学と考えられるアイデアと、疑似科学と考えられるアイデアとを区別する助けとなる方法について説明している。」— 英語版『ウィキペディア』、"The Demon-Haunted World" のページ (November 12, 2012 at 02:36) による。
写真は私の本棚にある同書の原書版。

 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、ゴールデン・フィジックスって何? というもの。テッドはこの言葉を聞いたことがなく、何に関係しているかを問い返した。アーロンの回答にあったゴールデン・フィジックスの提唱者は、インターネットで調べたところ、疑似科学者と分かり、そういうものに首を突っ込まないように注意した。
 [本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年12月24日月曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:16. タイムトラベルのパラドックスとは? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 16. What Is the Paradox about Time Travel?)


Read in English.

チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』の口絵、ジョン・リーチによる手ぬりの
エッチング「フェッジウィッグ氏の舞踏会」。[Public domain], via Wikimedia Commons.
『クリスマス・キャロル』は、主人公のスクルージが過去、現在、未来のクリスマス
を訪れるので、両方向タイムトラベルの最初の記述と見られている。

 [概要 (Abstract in Japanese)]このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、タイムトラベルについてのパラドックスとは? というもの。テッドは「親殺しのパラドックス(祖父のパラドックス)」について述べ、アーロンからの再質問にも答える。
 [本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年12月21日金曜日

2012年11月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of November 2012)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2012 年 11 月分への感想を 2012 年 12 月 19 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。




1. 16 歳の少年が私に相対論などを質問:14. 宇宙の膨張、重力、相対性理論、ダークエネルギーの間の関係

 このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、なぜ宇宙は膨張しているの? 重力はどうなっているの? 相対性理論との関係は? 膨張はダークエネルギーのせいなの? というもの。

 筆者は今回で 14 回と回をかさねたアーロン少年の鋭くて難しい一連の「相対性理論など物理学に関する質問」に、調査し関連した事実も加えて、親切丁寧に適切な回答をしています。回答集(英文)はブログサイト IDEA & ISAAC Femto Essays の Label Physics Q and A の項に収録されています。引用文献を読みながらこれらを読むと、先進的な物理や宇宙物理の状況が概念的に把握できる優れた読み物になっています。以下に今回の回答の要点を紹介します。

 質問のうち、「なぜ宇宙は膨張しているの?」については、「多分宇宙が始まる原因となったビグバンの初期条件によるものと考えられています」と答えています。「重力はどうなっているの?」と「膨張はダークエネルギーのせいなの?」については、「1998 年に天文学者の二つのチームが Ia 型超新星の観測に基づいて、宇宙の膨張は加速していることを提唱しました。この発見の功績によって、米国のソール・パールムッターとアダム・リース、オ-ストラリアのブライアン・シュミットには 2011 年のノーベル物理学賞を授与されました。この発見以前には、物理学者は重力が宇宙の膨張速度を遅らせると信じていました。宇宙の膨張が加速されることを説明するために、重力に相反する力を生じさせているダークエネルギーというふしぎなものが提唱され、それが最も受け入れられた理論になっています。このように、ダークエネルギーは、加速膨張発見後に現れた概念なのです」という回答です。

 「相対性理論との関係は?」については、次のように説明しています。「これより先に発見された宇宙の膨張と相対性理論との関係には、面白い歴史があります。アインシュタインが一般相対性理論を仕上げた時、この理論が静的な解を与えないので(当時宇宙は静的であるというのが通説でした)、静的な解を得るための方法として、方程式に宇宙定数を取り入れました。ところが、ロシアの数学者アレキサンダー・フリードマンは、アインシュタインのこの取り扱いには誤りがあり、もとの一般相対性理論の式は、膨張の場合を含む、時間とともに変化する宇宙をも予測することを見出しました。そして、1920年代後半に、エドウィン・ハッブルの観測によって、宇宙の膨張が実際に観測されたのです。アインシュタインはガモフに、宇宙定数の導入は「私の生涯の最大の失敗」だと語ったそうです。ところが最近、宇宙の加速膨張を説明するダークエネルギーの根源の一つとして考えられているものは、この宇宙定数であり、もう一つはスケーラー場というものです。アインシュタインの最大の失敗が現代の宇宙論の中心概念になってきたのです。」

2. 山陽方面への旅 1~4

 11 月 20 日から 22 日まで、妻と山陽方面への旅に出かけた。広島県竹原市と山口県光市にある「かんぽの宿」の温泉に入って休養するのが主目的である。[…]三原城跡(本格的な水軍の城)を見物した。[…]城は、海に浮かぶような姿をしていたところから、「浮城」と呼ばれた。いまは、石垣と堀だけが昔をしのばせている。

 […]竹原市重要伝統的建造物群保存地区を見物して過ごす。白壁の土蔵、虫籠窓(むしこまど)、いろいろな意匠をこらした竹原格子などを持つ家々が、いまも暮らしの場となっている。

 […]ローカル線の旅で楽しいことの一つは、各駅の駅名表示板で次駅の平仮名表記を見て、その漢字表記を考えることである。これがかなり難しくて、次駅でしばしば予想外の漢字に出会うのが面白い。[…]沿線の山々の紅葉も満喫し、改めて日本は美しい国だと思った旅だった。しかし、美しい国といえば、来月の総選挙を控えて、沢田研二・作詞「我が窮状」の冒頭、「麗しの国日本に生まれ 誇りも感じているが/忌まわしい時代に遡るのは 賢明じゃない」が、しみじみと感じられる時期でもある。

 休養するのが主目的であるというゆとりの旅を、地図と写真を見ながら、私も楽しむことができました。写真に撮った竹原の宿の部屋の窓から見た、付近の湯坂温泉郷の中にある田園風景と、同じく光の宿から眺めた瀬戸内海の風景とを、写真より少し右に向けたアングルで眺めたスケッチは、作者の心象と描写技術を示す例として興味深く拝見しました。

2012年12月19日水曜日

圧縮ファイルが開けない (Some Compressed Files Do Not Open)


白花のサザンカ。12月17日、ウォーキング途中の小学校の塀の上に見かけて撮影。
(本文と無関係。)
A white flower of the Christmas camellia, seen over the fence of an elementary school on my way of walking exercise, on December 17. (Unrelated to the main text.)

 Mac 用の圧縮ソフト StuffIt で圧縮してあったいくつかのファイルが開けなくなった。原因は、それらの中へ、同ソフトの新バージョンで追加のファイルを入れたせいらしい。一部のファイルは、バックアップ・ディスクから、追加前のものを取り戻した。しかし、残り二つ(目下分かっているところで)のファイルについては、バックアップ・ディスクにあるものがすでに追加のあとのもので、開けない。幸い、それらの中身は、もうほとんど不要なものなのだが、こういうことが起こるとは、しゃくである。開くための何かよい手が分かる可能性もあるかと思い、ファイル名のあとに "dead" の語を追加して、ハードディスク上に残してある。

I was unable to open some files that had been compressed with the StuffIt program for Mac. The probable reason for this is that I had put additional files into them by a new version of the same program. A few of those compressed files before addition have been recovered from a backup disk. However, two files (as far as I have noticed up to now) cannot be recovered, because the oldest corresponding files on the backup disk were already the files after addition. Fortunately, their contents are almost useless now, but I feel sad about this happening. Thinking that I may learn an appropriate way to open them some day, I keep those files on the hard disk by adding the word "dead" after the file name.

2012年12月17日月曜日

冬に笑う (Laughing in Winter)


 写真は、12 月 13 日と 14 日にウォーキング途中で撮影したサザンカの花。わが家の庭にも一本のサザンカの木があるが、上部が枯れて、今年は花を咲かせない。

 昨日の衆院選で多数当選した自民党は笑っているだろうが、私は政治の冬の到来を思い、その党の、暗い戦争の時代に対して何の反省もない、歴史に大逆行する恐ろしい改憲草案をあざ笑わざるを得ない。

The photos above were taken on my way of walking exercise on December 13 and 14, and show flowers of the Christmas camellia. In our yard, there is also a tree of the Christmas camellia, but its upper branches withered, not blooming this year.

The Liberal Democratic Party of Japan won in the Lower House elections yesterday, and they may be laughing. I regard this as the arrival of winter in politics and cannot but cynically laughing their terrible draft to amend the constitution, which has been made without any reflection of the dark days of war and runs extremely counter to the history.

日本語で読んでいる方へのお知らせ (Notice for readers in Japanese) 最近の私の政治や平和に関するブログ記事は、おおむね『福泉・鳳地域「憲法9条の会」』の方で書いています。

2012年12月15日土曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:15. ひも理論とは? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 15. What is String Theory?)


Read in English.

物質のいろいろなレベルでの拡大図。1. 巨視的レベル。2. 分子レベル。
3. 原子レベル—陽子、中性子、電子。4. 亜原子レベル—電子。
5. 亜原子レベル—クォーク。6. ひも(ストリング)レベル。
[By MissMJ (CC-BY-3.0), via Wikimedia Commons.]

 【概要 (Abstract in Japanese)】このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、ひも理論とは何? 式がたくさん出て来るようだが、どうすれば理解出来る? というもの。
 【本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年12月14日金曜日

赤い実、白い実、… (Red Fruits, White Fruits, ...)


 一枚目の写真は、クロガネモチ(黒鉄黐)の実。二枚目は、美しく紅葉していた葉が全部落ちてしまって、白い実が目立つようになったナンキンハゼの木。どちらも 12 月 6 日撮影。三枚目は、竹林のすぐ外側に、竹に負けないくらい高く伸びたカキの木の上部にまだ残っていた実。12 月 12 日撮影。

 数年前に赤い実について書いたとき、物理学科のささやかな卒業パーティで、♪赤い鳥、小鳥、 なぜなぜ赤い。赤い実をたべた。…♪を歌った M さんのことを思い出したが、今回もふと思い出した。物理学科同期生中の紅一点だった彼女が、会社へ就職したあとの消息を全く知らない。

The top photo shows fruits of round leaf holly. The middle photo shows a Chinese tallow tree, whose beautiful leaves of autumn colors have totally fallen down and whose white fruits are now quite noticeable. These photos were taken on December 6. The bottom photo shows fruits of Japanese persimmon, which were still remaining high up on a tree just outside a bamboo grove. The tree was so tall as to compete with bamboos. This picture was taken on December 12.

When I wrote about red fruits several years ago, I reminded myself of Ms. M, who had sung the song "Akaitori kotori" ("Red bird, little bird"; the lyric includes the words that are translated as "Why are you red? Because I ate red fruits") at a small party to celebrate our own graduation from Department of Physics. I now remember her again. She was the only female among the classmates of the department, and I do not know anything about her after her getting a job in a company.

2012年12月12日水曜日

モミジがまだ美しい (Leaves of Japanese Maple Are Still Beautiful)


 今週はかなり寒い日が続いている。しかし、ウォーキングの途中では、まだイロハモミジの葉の美しい色を見ることが出来る。

It is pretty cold from the beginning of this week. However, leaves of Japanese maple are still showing beautiful colors on my way of walking exercise.

2012年12月11日火曜日

トルストイと数学 (Leo Tolstoy and Mathematics)


Read in English.


『新潮世界文学 16:トルストイ 1』のカバー。

 先般来、『新潮世界文学 16』(1972) に収まっているトルストイの自伝的小説『幼年時代』、『少年時代』、『青年時代』を読んでいる。『青年時代』の前半に、主人公「わたし」が大学の数学科を受験し合格した話がある。

 入学試験は、受験生が一人ずつ、教授の持っている複数枚の問題カードから一枚を抜き取り、教授の前で答えるという方法で行なわれる。数学の教授は二人坐っていて、他の一人の受験生と主人公が同時に呼ばれ、二人はこっそりカードを取り替える。主人公が最初に抜き取ったのは苦手の「組み合わせ論」だったが、交換して得たのは、試験前にやってみたばかりの「ニュートンの二項定理」で、あざやかに答えることが出来た、とある。

 これを読むと、トルストイは数学科で学んだのかと驚くが、実際には、彼はカザン大学で法律と東洋原語を学び始めて中退している(文献 1) 。『青年時代』が自伝的であっても、主人公が数学科へ入ったのは創作なのだ。

 私は高校で「組み合わせ論」や「二項定理」を習ったが、後者はニュートンのものでなく、基本的なものである。それは、二項式 x + y のべき乗 (x + y)n の展開を表す公式のことで、べき n は正整数である。「ニュートンの二項定理」は、べきを実数の範囲に拡張したもので、二項定理はさらに複素数まで拡張出来る(文献 2)。

 一般の二項定理を私が学んだのは大学生になってからのはずである。したがって、大学入試にニュートンの二項定理を出題するのは難し過ぎるように思われる。また、正整数べきの二項定理の準備として習う組み合わせ論よりもニュートンの二項定理をやさしいと主人公が思うのもいささか妙である。以上のことから、入試の数学問題の部分も、トルストイがどこかで見聞した数学用語を利用した創作のように思うのだが、いかがだろうか。

文 献

  1. "Leo Tolstoy," Wikipedia: The Free Encyclopedia (December 8, 2012 at 19:10).
  2. "Binomial theorem," Wikipedia: The Free Encyclopedia (November 25, 2012 at 04:39).

2012年12月10日月曜日

ネリネ (Nerine sarniensis)


 わが家の庭のゲラニウムの葉の間から、ネリネの茎が毎年冬に伸び出て花を咲かせるが、球根が増える様子はない。そこで二年ほど前にまた、球根をいくつか買って植木鉢に入れた。その中の一つがいま初めて花を咲かせている(12 月 4 日撮影)。ゲラニウムの間から咲くほうは、ツボミが出来始めたところだが、花弁が濃いピンク色の、もう少し華やかな花になる(こちらに昨年の写真)。

Among the leaves of the cranesbills in our yard, a stem of Nerine sarniensis comes out every winter to show flowers, but the number of bulbs does not seem to increase. Two years or so ago, we bought some bulbs of this plant again and put them in flowerpots. One of them is now flowering for the first time (the photo was taken on December 4). The stem among the cranesbills just has begun to have buds, which will grow into a little more showy flowers with dark pink petals (the photo of last year is posted here).

2012年12月8日土曜日

去り行く紅葉を惜しむ 2 (Watching the Last Autumn Colors -2-)


 2012 年 12 月 6 日、堺市・鈴の宮公園と鈴の宮団地で撮影。(完)
Taken in Suzunomiya Park and Suzunomiya Housing Complex, Sakai, on December 6, 2012. (End)

2012年12月7日金曜日

2012年12月6日木曜日

理論物理学者の分類、とくに湯川と朝永について (Classifications of Theoretical Physicists, Especially of Yukawa and Tomonaga)


Read in English.

 [概要 (Abstract in Japanese)]亀淵廸氏が『図書』誌 2012 年 12 月号に「グラムシの言葉と湯川・朝永・坂田」と題するエッセイを書いている。氏は「知ることから分かることへ、感じることへ、そしてその逆、感じることから分かることへ、知ることへ——の移りゆき」という A・グラムシの言葉にある「感じる」「分かる」「知る」を理論物理学における三つの段階に当てはめ、それらを I「実務家」、II「理論家」、III「自然哲学者」の段階と名づける。次いで、日本における素粒子論の開拓者、湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一を I、II、III の型に分類することを試みている。ここでは、この分類について紹介するとともに、これを南部陽一郎氏が提唱した 2 種類の分類方法による湯川と朝永についての分類結果と比較する。[本文(英文)へ]

2012年12月4日火曜日

コダチダリア (Bell Tree Dahlia)


 コダチダリア[木立(こだち)ダリア](キク科)。皇帝ダリアとも呼ばれる。2012 年 11 月 25 日、堺市・八田荘公園(上の写真)と近隣(下の写真)で撮影。この花を初めて見たのは昨年のことで、秋も深まっている時に、大きなピンクの花を見て、夢のような心地がしたのだった(昨年の写真の方が美しく撮れている。今年は撮影時期が遅かった)。一旦覚えると、不思議なもので、列車の窓から遠方に咲いているのにも気づく。

Bell tree dahlia; botanical name, Dahlia imperialis; family, Asteraceae. Photos were taken in Hattasō Park, Sakai, (upper) and in the neighborhood of my house (lower), on November 25, 2012. When I saw this plant for the first time last year, I felt like being in the dream because it had such large, pink flowers as were quite rare in late autumn. (Photos I took at that time were better than the ones above. I was late to find the flowers of this plant on my way of walking this year.) It happens that I often notice flowers of this plant even in the distance from the window of the train after having once known it.

2012年12月2日日曜日

わが家のイロハモミジ、12年版 (Japanese Maple in Our Yard, 2012)


 わが家のイロハモミジは、近くの公園などのものより紅葉が遅れていたが、いま見頃である。写真は昨日、二階から撮影した。昨年と比べても遅かったかと思ったが、そうではなく、昨年は 12 月13 日のブログ記事に見頃と書いていた。

The Japanese maple tree in our yard has been slower to develop autumn colors than those in nearby parks and has become at its best now. The photo above was taken at the second floor of our house yesterday. I thought that the best time had come also later compared with last year, but it was wrong. Last year, I wrote about its best colors in the blog post of December 13.

2012年11月30日金曜日

ナンキンハゼ (Chinese Tallow Tree)


 ナンキンハゼ(トウダイグサ科)は秋になると、球形の実を黒熟させ、果皮はやがて先端から裂けて、蝋状物質で覆われた3個の種子が現れる。紅葉した葉が散り落ちてしまう頃には、白い種子ばかりが、よく目立つ姿でどの枝にもついているようになる。鳥類が蝋状物質を食べて種子を分散させるのに好都合な姿なのである。写真は2011年11月24日、ウォーキング途中で、一本の大きなナンキンハゼの木の、種子の現れ方の異なる段階の小枝を選んで撮った。

In autumn, spherical fruits ripen black on the Chinese tallow tree (Euphorbiaceae family). Then, the peel is torn from the tip, finally to make three seeds, covered with a waxy substance, appear. By the time when all the leaves in autumn colors are lost, the tree shows conspicuously white seeds only, on all branches. Such an appearance is beneficial for this plant because birds find the seeds easily and disperse a lot of them after eating waxy substance. Photos above, taken during my walking exercise on November 24, 2011, show the different stages of the appearance of seeds displayed by different twigs of a single, large Chinese tallow tree.

2012年11月28日水曜日

ツメレンゲ:わが家で過去最大の花茎たち (The Largest Ever Scapes of Orostachys japonicus in Our Yard)


 写真はわが家の庭(プランター上)で咲いているツメレンゲ(ベンケイソウ科)の花。花茎がこれだけ大きく伸びたのは初めてのことである。一枚目の写真の左のもので、土から花茎上部までが 25 cm、右のものは 27 cm あった(2012 年 11 月 13 日の撮影時)。二枚目の写真は、花々がもっと成長した 11 月 25 日に、一枚目の写真では右に写っている花茎の根元付近を撮影した。

Photos above show flowers of Orostachys japonicus (Crassulaceae family) in our yard. These are the tallest scapes of this plant I have ever seen. When I took the upper photo (November 13, 2012), the scape at left was 25 cm tall, and one at right was 27 cm tall. The lower photo was taken on November 25 when flowers had grown further, and shows the lowest part of the scape at right of the upper picture.

2012年11月27日火曜日

算数の問題作り、作問 (Problem-Posing in Math)


[Abstract] The evening edition of Asahi-shimbun dated November 16, 2012, carried an article entitled "Pleasure of making problems." Using its outline as an introduction, I quote three problems I made in the math lesson, in the sixth grade of the elementary school. Those are problems to apply the use of fractions and a problem related to the calculation of circular areas. (Main text is given in Japanese only.)

 さる 11 月 16 日付け朝日紙夕刊の「窓:論説委員室から」欄に「問題を作る楽しみ」という文があった(執筆者は各務滋氏)。私が小学 6 年生のときに作った算数の問題を残してあったので、それを近日中に紹介しようと思っていた矢先、これはありがたい文である。私の問題を書く導入として、その文の紹介から始めよう。

 各務氏はまず、映画にもなった冲方丁(うぶかたとう)氏の小説『天地明察』に登場する算額について述べている。算額とは、江戸時代の日本で、額や絵馬に数学の問題や解法を記し、神社や仏閣に奉納したものである。青山学院大の坪田耕三・特認教授は、小学校の先生をしていた頃、算額を算数の授業に生かしたそうである。次いで「窓」欄は、「作問」という授業方法は明治期からあったが、一人ひとりの作った問題を読んで評価するのが大変で、次第に減っていったことや、いまの小学校の学習指導要領にも「算数的活動」があり、教科書の例題を応用して新しい問題を作る活動がその一つであることを述べている。そして、「聴くだけの授業よりも算数が好きになれそうだ」との感想を記している。

 私が小学 6 年生だったのは、敗戦後間もない 1947〜48 年である。当時の学習指導要領に作問があったかどうかは知らないが、少なくとも私たちの担任の A 先生は、問題作りをさせた。私はそれを大いに楽しんだ児童であった。私が算数の「問題作成帳」から書き抜いて残していた問題は、「分数応用雑題」という部類のもの 10 問と、「円の問題」1 問である。前者の第 9、10 問と、後者の問題、そして、それらに対する解答を以下に引用する(このような問題に慣れていないと、説明の言葉のない解答を見ても、式の意味を理解するのにやや時間を要するだろう)。円の問題は、自分で考えたにしては出来過ぎているような気もする。当時私は、母が知人から貰って来てくれた旧制中学入学試験準備用の算数問題集を楽しんでいたので、その中にあった問題を参考にしたのかもしれない。


分数応用問題

[9]紙を甲と乙に分けるのに、甲には全体の 5/8 をやった。残りを乙とすると、甲は乙の分より 5 枚多いという。初め何枚あったか。

[10]ある人がお金を 57 円もらって本を買い、その 1/3 を使った。残りの 3/19 で鉛筆を買った。あとでまた、いくらかお金をもらった。それは初めもっていたお金の 2/3 にあたる。鉛筆を買った残りと、あとでもらったのと合わせていくらもっているか。



円の問題

 上の図で、斜線の部分の面積は 865.07 cm2 である。黒い部分の面積を求めよ。[円周率は 3.14 として計算する。]

解答

[分数応用問題 9]
5/8 − 3/8 = 2/8
5 ÷ 2/8 = 5 × 8/2 = 20
答 20 枚

[分数応用問題 10]
57 × (1 − 1/3) × (1 − 3/19) = 32
32 + 57 × 2/3 = 70
答 70 円

[円の問題]
(10 ÷ 2)2 × 3.14 = 78.5
865.27 × 2 + 78.5 = 1808.64
1808.64 ÷ 3.14 = 576
1808.64 ÷ 4 = 452.16
576 − 452.16 = 123.84
答 123.84 cm2

2012年11月26日月曜日

山陽方面への旅 4 (Trip to San'yo Region -4-)


 一枚目のイメージは、11 月 21 日朝、かんぽの宿竹原の部屋から見た田園風景のスケッチ。二枚目のイメージは、11 月 22 日朝、かんぽの宿光の部屋からのスケッチ。室積湾を隔てて、室積半島が見える。

 ローカル線の旅で楽しいことの一つは、各駅の駅名表示板で次駅の平仮名表記を見て、その漢字表記を考えることである。これがかなり難しくて、次駅でしばしば予想外の漢字に出会うのが面白い。今回難しかった駅名は、呉線の「あきさいざき」「おおのり」「あと」、山陽本線広島・岩国間の「くば」「わき」、岩国・徳山間の「ふじゅう」「つづ」「こうじろ」「たぶせ」「くだまつ」など。

 沿線の山々の紅葉も満喫し、改めて日本は美しい国だと思った旅だった。しかし、美しい国といえば、来月の総選挙を控えて、沢田研二・作詞「我が窮状」の冒頭、「麗しの国日本に生まれ 誇りも感じているが/忌まわしい時代に遡るのは 賢明じゃない」が、しみじみと感じられる時期でもある。(完)

The upper image shows my sketch, made in the morning of Novembere 21, of the countryside landscape seen from the room of Kampo Hotel Takehara. The lower image shows my sketch, made in the morning of Novembere 22, of the view from the room of Kampo Hotel Hikari. Murozumi peninsula is seen beyond Murozumi Bay.

One of fun things on a trip by local lines is to guess the expression in Chinese characters of the name of the next station from the hiragana representation given on the sign board of the station. This is rather difficult, and we often find unexpected kanji when we arrive at the next station. Difficult examples we encountered in this trip are as follows: Akisaizaki, Oonori and Ato of Kure Line; Kuba and Waki between Hiroshima and Iwakuni of Sanyo Line; Fjuu, Tsuzu, Kōjiro, Tabuse and Kudamatsu between Iwakuni and Tokuyama of Sanyo Line.

We enjoyed autumn colors of the mountains along the route as well and thought again and again that Japan was a beautiful country. Speaking of a beautiful country, however, I think of the general election to be held next month and feel keenly the importance of the following words at the beginning of Kenji Sawada's song Waga Kyūjō (Our Plight) (Kyūjō is a pun with Article 9 of the Japanese Constitution that renounces war): I feel pride for the fact that I was born in the beautiful country of Japan. / However, it would not be wise to go back to the horrid days [of wars]." (End)

2012年11月25日日曜日

山陽方面への旅 3 (Trip to San'yo Region -3-)


 一枚目の写真は、11 月 21 日朝、かんぽの宿竹原の部屋の窓から見た付近の田園風景。ここは竹原市内を流れる賀茂川の上流にある湯坂温泉郷の中である。

 二枚目の写真は、同日午後、かんぽの宿光の部屋の窓から眺めた瀬戸内海の風景。右端に湾を隔てて見えるのは、室積半島。その先端に手前へ象鼻ヶ岬(ぞうびがさき)が突き出ている。一、二枚目の写真はどちらも、もう少し右へカメラを向けた方が構図としてはよくなるのだが、そのアングルでの眺めは明日掲載予定のスケッチでご覧いただくことにする。

 11 月 22 日は、まず宿の車で 9:20 に竹原駅へ向う。10:16 発の呉線の列車に乗り、広で乗り継ぎ、広島に 12:17 着。広島発 12:33 の山陽本線の列車で、13:24 岩国着。岩国発 13:47 の列車で、14:42 光着。宿からの迎えのマイクロバスで、15:20 宿に向う。——というように、移動ばかりの一日だった。

 三枚目の写真は、22 日朝、帰途の JR 山陽本線光駅の 2 番ホームに立って、5 番ホームの方を撮ったもの。この駅では、駅舎に一番近いのが 2 番ホームで、3、4番ホームがなく、隣は 5 番ホームである。過去には 1 から 6 番ホームまでが存在したが、新幹線の普及で山陽本線に急行や特急の列車が走らなくなり、駅が縮小されたようである。そういう状況だから、名前に「本線」とついても、いま、そこを走る列車で旅するのは、ローカル線の旅に等しい。ローカル線の旅の楽しみの一つについても、明日記すことにしよう。

The top photo, taken in the morning of November 21, shows the countryside landscape viewed from the window of the room of Kampo Hotel Takehara. This hotel is located in Yusaka Hot Spa in the upstream of the Kamo River, which flows through Takehara city.

The middle photo, taken in the afternoon of the same day, shows the scenery of the Seto Inland Sea as seen from the window of the room of Kampo Hotel Hikari. At right, Murozumi peninsula is seen beyond the bay. From the left end of the peninsula, a smaller peninsula, Zōbigasaki, protrudes toward the camera. Both these photos might have gotten a better composition if the camera had been directed a little to the right. However, you will find such views in my sketches to be posted tomorrow.

At 9:20, November 22, we went to Takehara station by the car of the hotel. Then, we took the train of Kure Line, which started at 10:16. We changed the train at Hiro, arriving at Hiroshima at 12:17. The next trains we took were those of Sanyo Line. One of them started Hiroshima at 12:33 to arrive at Iwakuni at 13:24; and the other started Iwakuni at 13:47 to arrive at Hikari at 14:42. A microbus of the hotel came to the Hikari station at 15:20 to drive us to the hotel. Thus, we spent almost all the daytime just for transportation.

The bottom photo was taken at platform 2 of the JR Hikari station of Sanyo Line and shows platform 5 of the station. This station has platforms 2 and 5 only. In the past, there were six platforms in all, but the size of the station was reduced, probably because of the fact that express and limited express trains of this line were abolished by the spread of the Sanyo Shinkansen. So, in spite of the presence of the word "main" in the Japanese name of this line, the trip by the use of the trains of Sanyo Line is now like the trip by a local line. Tomorrow I will also write about one of entertaining things in the trip by local lines.

2012年11月24日土曜日

山陽方面への旅 2 (Trip to San'yo Region -2-)


 11 月 20 日 14:43 に JR 呉線竹原駅へ到着。かんぽの宿からの迎えの車は、16:00 に道の駅・竹原の前で待つ約束だったので、それまでの時間を竹原市重要伝統的建造物群保存地区を見物して過ごす。白壁の土蔵、虫籠窓(むしこまど、漆喰の塗屋造りと呼ばれる町家建築の二階部分に、縦に格子状に開口部を設けた固定窓)、いろいろな意匠をこらした竹原格子などを持つ家々が、いまも暮らしの場となっている(上掲の写真)。

We arrived at Takehara Station of JR Kure Line at 14:43, November 20. We had an appointment to meet a car from Kampo Hotel, in front of Takehara Roadside Station at 16:00. So, we spent time by visiting Takehara Important Preservation District of Historic Buildings. Even today, people live in this town filled with storehouses of white walls, fine-lattice windows and Takehara grids of different designs (see photos above).

2012年11月23日金曜日

山陽方面への旅 1 (Trip to San'yo Region -1-)


 11 月 20 日から 22 日まで、妻と山陽方面への旅に出かけた。広島県竹原市と山口県光市にある「かんぽの宿」の温泉に入って休養するのが主目的である。10:39 新大阪発の「こだま」で 12:48 に三原で下車。呉線 14:06 発に乗車するまでの間に、三原城跡を見物した。

 ウェブサイトにある広島県内の 200以上の城の訪問記中のこの城の記事の冒頭には、「数ある城跡の中でも三原城ほど交通の便のよいところは見当たらない」とある。JR 駅構内の北側に、ドアを開けるとすぐ登り階段の始まるところがあり、その階段が天守台跡(1 枚目の写真)に通じている。そもそも、明治時代に山陽本線を敷設した際に、城跡の一部を壊してそこに駅舎を作ったのだから、「交通の便」というほどのこともなく、接しているのである。

 小早川隆景が 1580 年代に本格的な水軍の城として整備し、櫓の数は 32、城門は 14 あり、天守閣は存在しなかったが、天守台は日本一の大きさだったと伝えられている。城は、海に浮かぶような姿をしていたところから、「浮城」と呼ばれた。いまは、石垣と堀だけが昔をしのばせている(2 枚目の写真)。

 携行した広島方面の旅行案内書(昭文社、1998)中の三原の地図には、駅の北側を東へ 400 m ばかり行ったところの、和久原川に掛かる橋の辺りに「古い街並」と記してある。そこまで歩いてみたが、一軒の大きな屋敷の古風な塀はあった(3 枚目の写真、左手)が、古い街並といえるような風景は残っていなかった。14 年も前の案内書に頼るのが間違っていたようだ。

From November 20 to 22, my wife and I went on a trip towards Sanyo region. Our primary objective was to have a rest in hot springs of Kampo hotels in Takehara, Hiroshima Prefecture, and Hikari, Yamaguchi Prefecture. We took Kodama super-express from Shin-Osaka at 10:39 and arrived at Mihara at 12:48 am. Before the departure of the KUre line train at 14:06, we went to see the ruins of Mihara Castle.

The Web article that introduces this castle among more than 200 castles in Hiroshima Prefecture writes at the beginning as follows: There are many ruins of castles, but none is more convenient to transportation than Mihara Castle." When one opens a door at the north side of the building of the JR Mihara station, there is the staircase that leads to ruins of the castle (the first photo). At the time of laying the railway of the San'yo line in Meiji Period, the station was built there to occupy part of the ruins. So, the station is directly connected to the ruins without the need of any means of transportation other than climbing the stairs.

Takakage Kobayakawa completed the Mihara Castle as a full-fledged naval castle in the 1580s. It is said that the castle had 32 turrets, 14 gates and the largest base area of the keep among the castles in Japan. From such a view of the castle as floating on the sea, the castle was called "Ukishiro" (Floating Castle). Presently, only stone walls and moats are redolent of the old days (the second photo).

The map of Mihara in the guidebook of HIroshima Prefecture (Shōbunsha, 1998) had a mark to indicate "a street lined with historic houses" near the bridge over the Wakuhara River just 400 m east from the north side of the Mihara station. So, we walked up there. Though there were old-fashioned fences of a single large house (at the left of the third photo), we did not find such a thing like "a street lined with historic houses." Relying on a book of 14 years ago seemed to have been wrong.

2012年11月19日月曜日

2012年10月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of October 2012)

[This post is in Japanese only.]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2012 年 10 月分への感想を 2012 年 11 月 18 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。




1. 漱石著『吾輩は猫である』中の「首縊りの力学」

 漱石の諷刺小説『吾輩は猫である』に出てくる「首縊(くく)りの力学」を覚えている人は多いだろう。この挿話は、比較的早く全十話中の第三話に出てくる。水島寒月が理学協会で演説する予定の話であり、迷亭が寒月に「吾輩」の住む珍野苦沙弥の家で稽古のために語らせた形で、演説内容が紹介されている。この話の材料となった論文が、サミュエル・ホートンの「力学的、生理学的な観点から見た絞首刑について」である。

と始まるこの随筆を興味深く拝読しました。早速、『吾輩は猫である』全十話中の第三話までを再読してみました。世相を背景にし、本当らしい創作話をして人を煙に巻くことを楽しむ美学者・迷亭先生を介して、漱石と寒月のモデル寺田寅彦との関係を巧みに諷刺しています。漱石の小説は、中学 1 年の国語教科書で「坊ちゃん」、2 年で「吾輩は猫である」、3 年で「二百十日」が取り上げられていました。中学の授業で勉強して、これらの小説の面白さが分かりました。以下に「首縊りの力学」に焦点を当て、関係個所をまとめてみました。

 我輩が主人の家に住み着いて初めての元旦(前年に旅順が落ちた)に寒月が来訪し、「一昨夜合奏会をやり、ヴァイオリン三挺とピアノの伴奏でなかなか面白かつた。二人は女性で」というと、主人はその女性について知りたがるが、「なに二人ともさる所の令嬢ですよ、ご存知の方じゃありません」とよそよそしい返事をした。

 その四五日後、迷亭と寒月が相次いでやってくる。迷亭が不思議な体験について語る。暮の二十八日に静岡の母から手紙がきた。年寄りが子供をさとす内容がこんこんと書かれ、「お前なんぞは実に幸せ者だ、若い人達は大変な苦労をしてお国のために働いているのに、節季師走でもお正月のように気楽に遊んでいる」と書き、小学校時代の朋友で戦死したり負傷したりした人の名前が列挙してあり、一番しまいに、「私も取る年に候えば初春のお雑煮を祝い候も今度限りかと…」と書かれていた。六尺以上もある長い手紙に十行内外の返事を書き、夜郵便に入れながら散歩に出掛けた。…

 暮、戦死、老衰、無常迅速などという奴が頭の中をぐるぐる駆けめぐる。いつの間にか「首懸(くびかけ)の松」の真下にいる。…見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。…主人はまたやられたと思いながら何も言わず空也餅を頬張って口をもごもご云わしている。寒月は「不思議な事で一寸有りそうにも思われませんが、私などは自分で矢張り似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑う気になれません」と、迷亭と同日同刻位に起つたからなおさら不思議という出来事について語る。

 その日は向島の知人の家で忘年会兼合奏会があり、十五六人の令嬢や令夫人が集まつて盛会であった。寒月がもう帰ろうかと思っている頃、某博士の夫人から「○○子さんの病気をご承知ですか」と聞かれた。彼も驚いて詳しく様子を聞くと、彼が会った両三日前のその晩から急に発熱して、色々なうわごとを絶え間なく口走る。そのなかに彼の名前が時々出て来る。…「とかくあの婦人が急にそんな病気になったことを考えると、実に飛花落葉の感慨で胸が一杯になって、元気がにわかに滅入つて仕舞いまして、ただ蹌々(そうとう)として蹌々という形で吾妻橋へきかかったのです。…」と不思議な経験話は続く。

 その後しばらくして、日曜日上天気の日に例の如く迷亭が案内も乞わず、ずかずかと上ってきて話こむ。途中主人は「じきに帰るから猫でもからかっていて呉れ給え」と風然と出て行く。夫人がお茶をいれにきて主人についての逸話を語る。迷亭に道楽について聞かれ「無闇に読みもしない本ばかり買いましてね。勝手に丸善へ行つちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮には月々のが溜まつて大変困りました」「あんなに本を買つてやたらに詰め込むものだから人から少しは学者だとか何とか云われるんですよ。この間ある文学雑誌を見たら苦沙弥君の評が出ていましたよ…苦沙弥君は月並みではない」と月並の議論になるが、細君は納得し兼ねた風情に見える。

 やがて主人も帰り、そこへ寒月が立派なフロック、洗濯し立てのカラーを聳やかして「稽古ですから、遠慮なくご批評を願います」と前置きして、いよいよ本日演説する「首縊りの力学」のおさらいを始める。…演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用に論及する筈でいたが、迷亭がむやみに風来坊のような珍語を挟むのと、主人が時々遠慮なくあくびをするので、ついにやめて帰つてしまった。

 二三日は事も無く過ぎたが、ある日の午後二時頃また迷亭先生は例の如く空々として偶然童子の如く舞い込んで来た。そこへ面識のなかった近所に住む実業家金田氏の夫人が、「娘が付き合っている寒月さんのことを知りたい」と訪ねてきた。主人達はのらりくらりと話をはぐらかしていたが、夫人が某博士の夫人に頼んで寒月さんの気を引いて見たことが誘引となった、忘年会兼演奏会の後の吾妻橋の出来事を話すと、両人は申し合わせた如く「ハヽヽヽ」と笑い崩れ、「あれがお嬢さんですか、こりやいゝ、寒月君はお嬢さんを恋(おも)っているに相違ないね…もう隠したって仕様がないから自白しようじゃないか」と迷亭はいう。「ウフン」と主人は云つたままである。…

 「寒月さんは理学士だそうですが、全体どんな事を専門にしているのでございます」「大学院で地球磁気の研究をやっています」「それを勉強すると博士になれますか」「近頃でもその地球の――何かの研究しているんでございましょうか」「二、三日前は首縊りの力学という研究の結果を理学協会で演説しました」「首縊りだなんて、よっぽど変人ですね。そんな首縊りや何かやってたんじゃ、とても博士なんかになれますまいね」「何かお宅に手紙かなんぞ当人の書いたものでもございますならちょっと拝見したいもんでございますが」「葉書なら沢山あります、ご覧なさい」と三四十枚持ってくる。「そんなに沢山拝見しないでも――その内の二三枚だけ…」。

 迷亭先生は「これなら面白いでしょう」と一枚の絵葉書を出す。「あらいやだ、狸だよ。…」「その文句を読んでご覧なさい」と主人は笑いながらいう。「旧暦の歳の夜(としのよ)、山の狸が園遊会をやって盛んに舞踏します。その歌にいわく、来いさ、としの夜で、御山婦美(おやまふみ)も来まいぞ。スッポコポンノポン」「何ですこりゃ、人を馬鹿にしているじゃ御座いませんか」と不平のていである。…「これははなはだ失礼をいたしました。どうか私の参った事は寒月さんへは内々に願います」と。

 見送りにでた両人が席へ帰ると、奥の部屋で細君がこらえ切れなかつたと見えてクツクツと笑う声がきこえる。迷亭は大きな声を出して「奥さん奥さん、月並の標本が来ましたぜ。月並もあの位になるとなかなかふるつていますなぁ。さあ遠慮はいらぬから、ぞんぶんお笑いなさい」。


2. 秋の歌声喫茶 IN ウェスティ

 ウェスティでのこのグループによる歌声喫茶に私が参加するのは 3 回目である。開会前に私は四つのリクェスト曲を、会場で貸し出される 2 冊の歌集から選んで提出した。「原爆を許すまじ」、「カチューシャ」、「里の秋」、「四季の歌」である。時節柄「里の秋」は採用になったのだったか、…中略…「原爆を許すまじ」が前回に続いて採用にならなかったことは残念に思った。今回は歌集の他に、永六輔・作詞、いずみたく・作曲の「ともだち」(いま、石巻で被災したクミコが歌っている)と岩井俊二・作詞、菅野よう子・作曲の「花は咲く」(NHK の東日本大震災被災地復興応援テーマソング)のプリントが配られていて、参加者一同はこれらの歌も、被災地復興の速やかな達成の願いを込めて歌った。

と書かれています。唱歌を普段から愛唱され、このような道場で合唱を楽しまれることに、健康で若々しく陽気な筆者の一面を感じます。「原爆を許すまじ」は歌い継がれるとよい歌と思いますが、もう過去のものになりましたか。「花は咲く」は NHK 放送で、色々なタレントが次々と各様に歌う場面を放映していますので、私にも馴染み深い歌になりました。

3. 映画『チャイナ・シンドローム』の社会性

 さる 10 月 16 日、NHK BS プレミアムで放映された 1979 年のアメリカ映画『チャイナ・シンドローム』を見た。…中略…この映画が公開された 1979 年 3 月 16 日からわずか 12 日後に、ペンシルベニア州のスリスリーマイル島原子力発電所で、映画が予測したかのように、本当の原子力事故が起きた。…中略…

 原発事故取材に対するテレビ局上層部からの放映阻止、原子力規制委員会の不十分な調査、炉操作主任の事故原因把握に対する発電所上層部からの隠匿工作、などなど、これらはまさに日本の原子力村の体質をえぐり出している。また、原子炉増設に対する住民の反対集会の中で、原子力発電が使用済み核燃料の処分対策の出来ていない不完全な技術であることが指摘される場面も描かれている。そして、この映画の公開から 32 年マイナス 5 日後に福島第一原子力発電所の事故が発生した。…中略…アカデミー各賞はノミネーションにとどまった。この映画に賞を出すことについて、アメリカの原子力業界に対する遠慮があったのではないだろうか。

 なお、原発に関わる問題を扱った映画には、1983 年のアメリカ映画『シルクウッド』(原子力関連企業のカー・マギー社の核燃料製造プラントで行われていた安全規則違反と不正行為をめぐるスキャンダルを含む)もある。…中略…こちらはアカデミー 5 賞を獲得している。

と、映画の広い意味での社会性を指摘しています。原発再稼働や将来のエネルギー計画が問題になっているいま、一見の価値がありそうです。

4. 戦後間もない頃の「商店調べ」敗戦直後の小6国語教科書

 前者は1947 年、小学 6 年の時の社会科の授業活動の一環で、当時はこのように社会に出て調査することが重要視されていました。この調査結果を見ると、当時の町の様子がたいへんよく分析・記述されており、感心ました。新仮名遣いと旧仮名遣いの混乱も敗戦直後の多くの変革の一面を表しています。

 後者については、軍国教科書からやっと新しい国語教科書(5 年生のときは、製本された教科書が作られていなかった)ができ、内容も新鮮であり興味深いものであったことが、この記録によっても思い出されます。

2012年11月18日日曜日

秋色、津久野南団地とその付近 2 (Autumn Leaves in and around Tsukuno-minami Housing Complex -2-)


 写真は、堺市西区・津久野南団地とその付近で 2012 年 11 月 16 日撮影。(完)

Photos above were taken in and around Tsukuno-minami Housing Complex, Nishi-ku, Sakai, on November 16, 2012. (End)

2012年11月17日土曜日

秋色、津久野南団地とその付近 1 (Autumn Leaves in and around Tsukuno-minami Housing Complex -1-)


 写真は、堺市西区・津久野南団地とその付近で 2012 年 11 月 16 日撮影。(つづく)

Photos above were taken in and around Tsukuno-minami Housing Complex, Nishi-ku, Sakai, on November 16, 2012. (To be continued)

2012年11月16日金曜日

秋色、鈴の宮公園からの帰り道 (Autumn Leaves on My Way back from Suzunomiya Park)


 写真は、鈴の宮公園(堺市中区)までウォーキングに行った帰途(途中まで往路とは別の道)で 2012 年 11 月 13 日撮影。

Photos above were taken on my way back from Suzunomiya Park, Naka-ku, Sakai, on November 13, 2012. I walked on roads some of which, nearer to the park, were different from those to go there.