2014年8月31日日曜日

「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」 ("Negation of Humanism, Respect for Humanism")

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サルスベリ。2014 年 8 月 15 日撮影。
Crape myrtle, taken on August 15, 2014.

「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」

 先般、『自由と自治・進歩と革新をめざす堺市民の会だより』第 45 号への原稿を依頼された。400 字以内で何を書いてもよいということだった。会の趣旨から考えて、昨年 7 月 20 日付けの本欄にいくつかの短文をまとめて「改憲論に抗して思う」の題名で載せた中の「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」を選び、これを短縮して送った。掲載紙(2014 年 8 月 19 日発行)が送られて来たのを見ると、依頼されたのは、第 1 面下部の「鬼太鼓」と題する、朝日紙の「天声人語」相当の欄の原稿だったのだ。400 字に短縮するには、いささか苦労したが、うまく 1 段に収まっている。以下に「鬼太鼓」欄掲載の文を転載する。昨年本ブログに掲載した文と比較して読んで貰えば、文の短縮法の参考にもなろうか。



 私の高校1年のある日の日記(1951 年)に、「『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』、何と知的で整然とした解答だろう」とある。『』内は、社会科の宿題「明治憲法と日本国憲法の比較」への優秀解答として先生が紹介したもので、それを書いたのは、学年のマドンナ的存在の女生徒、S 子だった。

 何年か前の高校同期会の折に、私は「湯川秀樹を研究する市民の会」や、地域の「9 条の会」に関わっていることを話した。「9 条の会」といったとき、驚きの声を発した男性たちがいた。そのとき、すかさず、「湯川博士も憲法9条を大切と思ったでしょう」と助太刀してくれたのも、S 子だった。確かに、湯川秀樹は 1965 年に「日本国憲法と世界平和」というエッセイを書き、憲法前文の平和に関わる文と第 9 条を讃えている。

 自民党の改憲草案は明治憲法を彷彿させ、まさに、「ヒューマニズムの否定」である。そういう憲法改悪は、断じて阻止するほかない。

2014年8月16日土曜日

J・M 君へ:最近の読書のこと (To J. M: On My Recent Reading)

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今夏は平均気温が低いせいか、毎年 8 月終り頃に開花するタマスダレが、
わが家の庭で、もう花開いた。2014 年 8 月 15 日撮影。
The white rain lily, which bloom near the end of August each year, has blossomed already in my yard this summer, probably because the average temperature has been low.
The photo was taken on August 15, 2014.

J・M 君へ:最近の読書のこと

2014 年 8 月 3 日

M 君

 昨日のメールの続きとして、読書のことなどを書きます。

 貴君は聖書を精読しておられるとのことですが、私は聖書(和英とも)を持っていながら、ときおり部分的に眺めるだけです。

 春頃に、作家の高橋源一郎氏が金沢を紹介するテレビ番組に出ていて、井上靖の『北の海』に触れていました。その作品を読みたいと思ってアマゾン書店の紹介を見ると、主人公は柔道に一生懸命になる少年で、かなりの長編小説、そして、金沢が舞台になっているのはその一部分だけのようだったので、読むほどでもないかと思いました。ところが、4 月下旬のある日、娘たちが結婚するときに残して行った文庫本の中にその作品があるのを見つけて、2 週間ほどで読みました。

 『北の海』には、金沢が舞台の話が結構長く続いていました。柔道のことは皆目知らない私ですが、自分も異なる形でながら通りすぎた青春時代が、こと細かに描かれているせいか、退屈しないで読めました。『北の海』という題名は、主人公・洪作が四高柔道部の連中と金石から内灘までの海岸を歩きながら眺めた荒々しい日本海の風景から来ています。内灘には、私の従兄が住んでいるので、大学生時代から就職して間もない頃にかけて、よくそこに泊まって、海岸へ甲羅干しに出かけたものです。

 終盤に、主人公の洪作が中学の先生夫妻、友人たち、そして淡い気持を抱いたトンカツ料理屋の娘・れい子に見送られて、第四高等学校受験の勉強のため、両親の住む台湾へ向かって沼津を出発する場面があります。そこを読んだときには、私が就職して金沢を離れた日が思い合わされました。場所は違いますが、そのとき、何人も見送ってくれた人たちがいたからです。

 『北の海』より先に、『加藤周一最終講義』を買って読みました。続いて、18 年も前に買って第一巻の始めを少し読んだだけにしてあった『加藤周一講演集』(全二巻)を読みました。第一巻は政治の話が多かったですが、第二巻は日本の文学、美術、文化の話でした。それを読んでいると、彼の主著の一つ『日本文学史序説 上・下』を読みたくなって、購入しました。そして、7 年前に買って、これも少しだけしか読んでなかった、同じく加藤周一の『日本文化における時間と空間』を読了してから、『日本文学史序説 』に移り、目下それを読み続けています。文学を広い意味にとらえて書かれていて、文化・思想史ともいえる重厚な内容です。

 私が加藤周一の著作を好むようになったのは、彼が朝日紙に毎月一回書いていた評論を読み、その文体のよさに加えて、政治観にも大いに同感出来たところからです。残念ながら、2008 年に 89 歳で亡くなりましたが、現代の著作家の中では最も尊敬出来る人の一人と思っています。それでも、『日本文化における…』中の加藤氏の日本語文法解釈には、少しばかり異論を持ったので、それについてブログ記事を書きました。

 上記のような日本語の本の他に、英語で書かれた物理学関係の本も併読しています。いま読んでいるのは、Jim Baggott というサイエンスライターの "Farewell to Reality: How Modern Physics Has Betrayed the Search for Scientific Truth" です。Part I は "The Authorized Version" と題して、すでに正しいとされた物理学の説について解説してあります。かなり難しいことを易しい言葉で巧みに説明していることに感心するくらいで、私としては新しく知るところが少ないです。しかし、これから読む Part II は "The Grand Delusion" と題して、近年提唱されている諸理論の問題点を批判的な観点で紹介しているようで、面白そうだと思います。

 話変わって、わが家では先月 13、14 日に金沢へ墓参に行ってきました。梅雨明け前でしたが好天に恵まれ、長女も同伴したので、ついでに金沢市内の見物もしました(ブログ記事参照)。長町の武家屋敷跡へも行きましたが、高校時代にお邪魔したことのある貴君の家がどの辺りだったか、全く思い出せませんでした。次のメールででも地図で教えていただければ幸いです。

 ではまた。

 T・T

 (注:実際に送ったメールに対して、省略・追加などの編集を行なった。)

2014年8月12日火曜日

日本物理学会誌への投稿「鏡の謎について」に対するエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comment on My Contribution to Butsuri, "On Mirror Puzzle")

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わが家の庭に次つぎに咲くハマユウの花。2014 年 8 月 6 日撮影。
Crnum flowers bloom one after another in my yard. The photo was taken August 6, 2014.

日本物理学会誌への投稿「鏡の謎について」に対するエム・ワイ君の感想

 前のブログ記事で紹介した私の日本物理学会誌への投稿「鏡の謎について」に対して、M・Y 君から感想を貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



 これを機会に吉村浩一著『鏡の中の左利き』の巻末に貴君の書かれた「一物理屋のコメント」を再読しながら報文「鏡の謎について」を読みました。

 「一枚の平面鏡に非対称な物体を映すとき、物体と鏡像に、それぞれの固有座標系を適用すれば、物体と鏡像の間で、非対称性の特徴が逆になる」という「謎」に対する貴君の答えは、数学・物理学を勉強した人なら、なるほどと感心し、理解することが出来ましょう。「プラトン以来、若い日の朝永やファインマンの考察を経てなお、近年まで正解が出なかったが、哲学と呼ぶほどのものではない」という問題について、学界で重ねられている論争の様子がよくまとめられています。

 上記の「一物理屋のコメント」の一節「数学者の示唆(1):滝沢の教科書」には、次のように記されています(本報文にある、朝日新聞の記者が読者からの質問に対して最近まとめた「鏡の謎」への答えに関係するとものと思われますが)[注 1]。
[…]多摩市の主婦[…]が 20 年前に滝沢精二の大学生向け代数教科書に出会って、目からウロコが落ちるような気がしたとして引用していた[…]その答えは、滝沢の「一次変換」の章中、「ベクトル空間の向き」という節の一つの問題に対する解答として,巻末にのっている。問題は、「鉛直に立てられた鏡に向かうと、左右が逆になっていることはよく知られている。では、なぜ上下は逆にならないか」となっている。[…]答えを滝沢の本から直接引用する。
 鏡に映る時、実は左右も上下もそのままで、ただ前後だけが変わる。ところがわれわれの日常用語では前後を指定して初めて左右が定義されるもので、前後を逆にすれば、左右は逆になるとみなされている。これに反して上下の定義は前後の指定に関係しない。
 滝沢の答えは 3 軸決定の順を踏まえたものかと想像されるが、文面には、上下の決定を優先することが現れていない。[…]われわれが Tabata–Okuda の報文を書くにあたって、滝沢の説明から最もよいヒントを得たのであり、[…]
この意味からも私は、(幾何光学、立体幾何学の知識を持つ)数学・物理学を勉強した人なら理解できるだろうと感じた次第です。報文には、「[Psychonomic Bull. に投稿した論文の]私たちの答えは決定的なものといってよいと考えられる」と述べられています(投稿以来議論が交わされたようですが)。心理学者たちの中からも賛同者が出ていることは、大きな成果ですね。
物理学者・小亀氏も「鏡の謎」について論文を発表した。同氏は観測に二つの座標系を用いることは許されないとしている。
と記されています。これはどういうことでしょうか[注 2]。このことを意識してか[注 3]、貴君は結びに、
アインシュタインは、16 歳のときに光を追って光速で飛ぶ想像をしたことが、後に特殊相対論の構築に役立った」と述べており、異なる座標間の観測の比較は、許されないことではなく、逆に、重要な理解をもたらす操作なのである。
と断言しています。
いにしえの世に「鏡の謎」を出題した人物は、左右の概念の把握における人々の弱みを巧みについて、現代人をも翻弄したといえよう。
は名言であり、FS 小説の結びのようでもあります。

引用者の注

  1. 「鏡の謎について」中に記した 2006 年の朝日紙の記事は、「一物理屋のコメント」で紹介した 1985 年の朝日紙の記事とは全く無関係に書かれたもので、前者の記事を書いた記者は、いかにも不勉強と思われます。その記事は、「取材協力=東京都・杉並区立科学館・渡辺昇館長、東京大・滝川洋二客員教授」となっていますが、小亀説だけを知って書かれたかのように、同説そっくりです。すなわち、「鏡が逆転するのは前後だけ」というものです。これは、鏡に対して正面を向いている人の座標系を実物と鏡像の共有座標系とした見方にのみこだわって、「鏡の謎」の本質を理解することなく、その謎は「質問が間違っている」とするものです。私はこの記事を見てすぐに、朝日新聞大阪本社へ電話し、記事が一説にかたよっていることと、私たちが別の答えをアメリカの心理学誌に投稿し、掲載されたことを伝えました。電話に出た人は、いずれお考えを聞かせてほしいというような返事をしたと思いますが、その後連絡はありませんでした。
  2. 小亀説は、注 1 に述べたように、実物とその鏡像を比較するとき、鏡に対して正面を向いている人の座標系だけで左右をいうべきであるとするものなので、実物と鏡像のそれぞれに固有座標系をあてはめて比較するということは許されない、というのです。これは、たとえば、物体 A に対する B の相対運動を記述したいとき、A には A の座標系を、B には B の座標系を使ったのでは話にならない、という考えからきているかと思います。しかし、二つの座標系同士の関係を見れば、A に対する B の相対運動は分りますし、また、相対運動の記述と形態(特に上下・前後・左右に関わる形態)の記述は話が異なると思います。
  3. 「意識して」というより、一つの反論として書きました。「会員の声」欄の字数制限のため、言葉足らずのところがあったかも知れません。

2014年8月11日月曜日

「鏡の謎について」("On Mirror Puzzle")

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わが家の庭のランタナ。2014 年 7 月 19 日撮影。
Lantna flowers in my yard, taken on July 19, 2014.

「鏡の謎について」

 先般、M. Y. 君に『日本物理学会誌』Vol. 62, p. 213 (2007)(「会員の声」欄)掲載の私の投稿「鏡の謎について」のコピーを送ったところ、それに対する感想文を貰った。その感想文を紹介するに先立って、私の投稿文をここに掲載する(『日本物理学会誌』に掲載されたままの PDF 版はこちらからダウンロードできる)。


鏡の謎について

 国府田氏は本欄の「鏡の謎:物理学と哲学の関係について」という文(文献 1)において,「物理学に文理を超えた総合知を求める機運」の高まりを望んでいる.私はこれに大いに賛同する.ただ,「なぜ鏡は左右を逆に映すのか.上下はそのままなのに」という「鏡の謎」は,プラトン以来(文献 2),若い日の朝永(文献 3)やファインマン(文献 4)の考察を経てなお,近年まで正解が出なかったものであるが,哲学と呼ぶほどの問題ではない.そうはいっても,私と共著者・奥田(ともに物理学会会員)は,この「謎」についてアメリカの認知心理学誌に論文(文献 5)を寄せ,国府田氏の望む機運のささやかな一端を担ったので,そこに記した「謎」の答えをこの機会に紹介したい.

 私たちの論文は,「鏡の謎」に対する心理学者・高野氏の多重プロセス説(文献 6, 7)という複雑な答えへの反論として投稿したもので,同様の反論がニュージーランドの心理学者 Corballis からも先に寄せられていた(文献 8)が,厳しい査読を経て,両論文は同時掲載となった(これらの反論に対する高野氏の再反論は不採用だった).また,イギリスの心理学者 McManus も,やや遅れて独立に,私たちのものと同じ答えを著書(文献 9)に記している(ただし,その答えに続いて,高野氏の分類では「回転説」に入るファインマンの説明を肯定的に引用しているのは矛盾している).以来,私たちの答えに対する有効な反論は出ていない(終りの 2 節に付加的説明を記す).こうした状況から,私たちの答えは決定的なものといってよいと考えられる.

 「鏡の謎」で「鏡は左右を逆に映す」というのは,例えば,私が右手を上げた姿を鏡に映すとき,その鏡像を鏡の向こう側にいる別の人物と見れば,鏡に対する私の向きがどうであっても,「向こう側の人物」は左手を上げていると見なされることを指す.これを,もっと正確かつ一般的に述べれば,「1 枚の平面鏡に非対称な物体を映すとき,物体と鏡像に,それぞれの固有座標系を適用(これを『固有座標系の個別使用』と呼ぶ)すれば,物体と鏡像の間で,左右非対称性の特徴が逆になる」ということである.ここで,物体の固有座標系とは,物体に基準をおいた「上」「前」の二つの向きに加えて,「右」の向きを,右・前・上の向きが右手座標系の x・y・z 軸の正の向きにそれぞれ対応するように定めた座標系である.鏡像の固有座標系も,これと同じ構造のもの(その鏡映でなく)である.

 さて,幾何光学は,平面鏡による像が,もとの物体の鏡面に垂直な向きを逆にしたもであると教える.また,立体幾何学は,非対称な物体を任意の一つの方向について逆にすれば,もとの物体に対して,右の手のひらに対する左の手のひらのような関係にある「対掌体(enantiomorph)」の生じることを教える.この二つの知見を合わせれば,物体とその鏡像は互いに対掌体で,上下・前後・左右のどの軸に沿って逆になったものと見てもよいことになる.それにもかかわらず,物体と鏡像に対して固有座標系の個別使用をすると左右が逆と観察される原因は,左右軸の定義段階での性格にある.

 すなわち,物体に固有の上下・前後は物体の外部的特徴によって決まるのに対し,左右は上下・前後が決まった後で,それらに関連づけて決まる(上下・前後軸のうちの 1 または 2 軸が決められない物体には,左右も決められない).例えば人体の場合,固有の下→上・後→前の向きは足→頭・背→腹の向きとして,まず決まり,鏡像においても同じ決め方がなされる.したがって,これらの方向の非対称性の特徴は逆になりようがない.そこで,対掌体同士で非対称性が逆になっている方向は,最後に決まる左右軸に,いわば押しつけられるのである.――以上が「鏡の謎」の答えである.なお,2 次元の形象である文字の鏡映による左右逆転も,文字とそれが書かれている媒体を合わせて考えれば,一般の物体の場合と全く同様に説明できる.

 高野氏はこの答えに納得していないが,氏はその後[注 1],多重プロセス説を上下・前後・左右の逆転・非逆転という,鏡像に対するさまざまな認知を説明する,いわば「拡張された鏡の問題」に当てはめており(文献 10),その思考は本来の「謎」の解明から外れ,「謎」自体への彼の答えは複雑なままである.拡張された問題については,「謎」への私たちの答えに立脚した,心理学者・吉村氏の説(文献 11)もあり,私はこちらを支持する[注 2].

 物理学者・小亀氏も「鏡の謎」について論文(文献 12)を発表した.同氏は観測に二つの座標系を用いることは許されないとして(文献 13),従来の諸説を批判している.朝日新聞の記者が読者からの質問に対して最近まとめた「鏡の謎」への答え(文献 14)も,小亀説と同じ立場を取っており,紙上の回答者である架空の人物「藤原先生」に,「ものを観察するとき,途中で自分の『見る位置』を変えてはダメ」「一カ所に立って川を見れば水が流れていくのがわかるけど,水と一緒に走り出したら,止まって見えちゃうでしょ」といわせている.しかし,アインシュタインは,16 歳のときに光を追って光速で飛ぶ想像をしたことが,後に特殊相対論の構築に役立ったと述べており(文献 15),異なる座標系間の観測の比較は,許されないことでなく,逆に,重要な理解をもたらす操作なのである.いにしえの世に「鏡の謎」を出題した人物は,左右概念の把握における人々の弱さを巧みに突いて、現代人をも翻弄したといえよう.

文 献
  1. 国府田隆夫:日本物理学会誌 62 (2007) 60.
  2. R. Gregory: Mirrors in Mind (W. H. Freeman, 1997) p. 88.
  3. 朝永振一郎:『鏡の中の世界』(みすず書房, 1965) p. 130.
  4. J. Gleick: Genius (Pantheon, 1992) p. 331.
  5. T. Tabata and S. Okuda: Psychonomic Bull. Rev. 7 (2000) 170.
  6. 高野陽太郎:『鏡の中のミステリー』(岩波書店, 1997).
  7. Y. Takano: Psychonomic Bull. Rev. 5 (1998) 37.
  8. M. C. Corballis: Psychonomic Bull. Rev. 7 (2000) 163.
  9. C. McManus: Right Hand, Left Hand (Weidenfeld & Nicolson, 2002) pp. 307-312.
  10. Y. Takano and A. Tanaka: J. Exp. Psychol. (in press).[注 3]
  11. 吉村浩一:『鏡の中の左利き』(ナカニシヤ, 2004).
  12. 小亀淳:認知科学 12 (2005) 319.
  13. 小亀淳:日本認知科学会公開シンポジウム「なぜ鏡の中では左右が反対に見えるのか?」(2006年11月23日, 東京) での発言.
  14. 武居克明:朝日新聞,「Do 科学」欄 (2006年12月17日).
  15. A. Einstein: Autobiographical Notes, in P. A. Schilpp ed.: Albert Einstein: Philosopher-Scientist, 3rd Edition, Vol. 1 (Open Court, 1969) p. 53.

 (ブログへの転載にあたって記す)
  1. 「氏はその後」と書いたが,正しくは,高野氏は文献 6, 7 の段階から「拡張された鏡の問題」を扱っていたというべきである.高野氏はさらにその後,次の論文を発表し,文献 7 における欠点の一つとして文献 5 が指摘した点への回答を述べている.Y. Takano: Phil. Psychol. http://dx.doi.org/10.1080/09515089.2013.819279 (2013).しかし,高野氏はその回答が複雑なものであることを自ら論文中で認めており,そういう複雑さを内含するする説は,プトレマイオスの天文学における「従円と周転円」モデルを思わせるものといわなければならない.そのモデルを含む天動説は,地動説に取って代わられる運命となった.なお,「オッカムのカミソリ」の言葉で表される、より単純な説がよいとする考えについては,次の文献によくまとめられている.Alan Baker, "Simplicity", The Stanford Encyclopedia of Philosophy, Edward N. Zalta, ed. (Fall 2013 Edition).
  2. 吉村氏と私は,この投稿後間もなく,文献 11 に基づいて「拡張された鏡の問題」への答えを書いた共著論文を発表した.H. Yoshimura and T. Tabata: Perception 36, 1049 (2007).
  3. その後分った書誌情報は次の通り.J. Exp. Psychol. 60, 1555 (2007).

2014年8月10日日曜日

2014年6月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of June 2014)

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わが家の庭のカンナ。2014 年 8 月 8 日撮影。
Canna in omy yard, taken on August 8, 2014.

2014年6月分記事へのエム・ワイ君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2014 年 6 月分への感想を 2014 年 8 月 2 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(6 月の記事は、感想を貰った 1 編だけだった。)



加藤周一の日本語文法解釈

 「加藤周一は『日本文化における時間と空間』において、過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴を説明するため、夏目漱石の文を引用し、その特徴が日本語の時制にも現れていることを述べている」ということを主題としています[Ted の注 1 参照]。そして、上記の本の 54~59 ページに書かれた漱石、鴎外、他の引用例を再配列し、二つの文献をも援用して解説し、論評したものです。文学に造詣深く、語学にも堪能な筆者が楽しみながら考察されたものと思いながら、興味深く拝読しました。以下に加藤の論旨と筆者の見解を対比させ、コメントします。
 ——Ted の注 1:貴君が冒頭の「」内で紹介されたことは、実は私の文の主題ではなく、「主題に関わる箇所での加藤の大筋の主張」です。私がこの記事で取り上げている箇所での加藤の記述は、漱石がフランス語の半過去・単純過去に似た使い分けをした原因の追及に話がしばらくそれています。私はそのような、それた細部での考察を問題にする、ということを、まず明言しなかったので、主題が分かりにくかったと思います。貴君のご感想の末尾には「一冊の本の一部の論旨に対して」とありますので、冒頭の紹介のずれにもかかわらず、主題をよく理解して貰えたようでもありますが。——
 筆者はまず、次のことを紹介します。
 [加藤は]具体的には、漱石が過去の出来事を記していながら、多かれ少なかれ持続する現象(フランス語の半過去の使用対象)には現在形を、過去の特定の時点で起こった出来事(フランス語の単純過去形の使用対象)には過去形を使っていることを指摘している。そして加藤は「しかしフランス語から漱石が深い直接の影響を受けたとは考えにくい」としているのである。
そして、筆者は「漱石によるこのような述部の用法の源はどこにあるかについての答を保留している」と指摘しています。私は、加藤はここでは文脈上、フランス語から漱石が深い直接の影響を受けてはいないことを説明したかったのではなかろうかと考えます[Ted の注 2 参照]。
 ——Ted の注 2:私が「加藤は[…]答を保留している」と書いたのは、推定的な指摘ではありません。加藤自身が「しかしフランス語から[…]影響を受けたとは考えにくい」に続いて、「私はさしあたり問題の答を保留するほかはない」と書いているのです。したがって、加藤は、貴君のいわれるように「フランス語から漱石が深い直接の影響を受けてはいないことを説明したかった」だけでなく、それを説明した上で、なお、彼自身の心の中に問題が残ることを述べているのです。しかし、加藤の大筋の論旨では、貴君が考えられたように、漱石の文体はフランス語から影響を受けたようでありながらも、そうではなく、日本文化の特徴である「過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない」形式に従っているということを主張しているのは確かです。「答を保留するほかはない」のあと、加藤は改行して、「われわれの当面の課題は、過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴を仮定すれば、その特徴は日本語の時制にもあらわれ、[…]日本文学の文体にも反映しているということの確認である」と、本筋へ戻しています。「Ted の注 1」で述べた通り私の文の主題が分かりにくかったことと、「答を保留するほかはない」という加藤の言葉をそのまま引用しなかったため、貴君が異論的な感想を持たれることになったと思います。——
 次いで、
 ところで、私たちは英文法で、進行形に出来る動詞と出来ない動詞として、状態動詞 (stative verb) と動作動詞 (dynamic verb) という区別を習う。漱石が過去のことでありながら現在形を使った述部と過去形を使った述部の間には、状態動詞と動作動詞の相違に対応する相違がある。
と、筆者は述べています。そして、加藤が引用している漱石の『夢十夜』の一節の具体例を示し、「加藤はフランス語に堪能なあまり、日本語にも時制の適用について状態動詞と動作動詞に相当する区別が古来あるとか、あるいは、少なくとも明治時代にはあったという可能性を考えることなく、漱石の場合にどういう外国語の影響があったのだろうかという考察に突き進んでしまったようであると」と論じています。私は、加藤が、漱石が影響をうけたのはフランス語ではないと上述し、ここではどういう外国語の影響があったのだろうかと考察し、やはり日本文化の特徴ではなかろうかということを裏付けたのではなかろうかと考えました[Ted の注 3 参照]。
 ——Ted の注 3:ここでも、「Ted の注 2」の後半の「しかし、加藤の大筋の論旨では」以下と同じことがあてはまります。加藤の大筋の展開は、貴君の考えられた通りで、私はここでは、加藤の細部の考察での「答を保留するほかはない」とした点への検討を続けているのです。——
 筆者はさらに、次のことを紹介しています。
 加藤は漱石の『夢十夜』からの引用をする前に、森鴎外の『寒山拾得』からの一節も引用している(…加藤の書中、この引用のあるページの記述を省略…)。(…引用例の記述を省略…)加藤はこの過去(または完了)、現在、現在、過去(または完了)という並び方について、日本語の文法が許す過去の出来事への現在形の使用を鴎外が利用し、単調さを破る工夫をした、と解釈している。
これについても筆者は、次の通り、独自の見解を述べています。
しかし、この場合も、現在形の述部は二つとも状態を表し、過去(または完了)形の述部は二つとも動作を表しており、漱石の場合と同じ使い分けになっている。鴎外が単調さを破る工夫をしたとすれば、単に活用形を変えたのではなく、叙述の内容の配置に工夫をしたと見ることが出来るのではないだろうか。
 筆者は次の点も取り上げています。
 また、加藤は鴎外と漱石の文を引用するよりも先に、『源氏物語』、『平家物語』、そして上田秋成の『雨月物語』からの引用文を使って、「過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法」が、「厳密な時制を要求しない日本語の文法が前提条件であった」と論じている(…加藤の書中の関連ページの記述を省略…)。そして、このことは『雨月物語』のフランス語への訳文と比較すればあきらかになるだろう、としている。
これに対して、筆者は、
過去の出来事に臨場感を与える表現として現在形を使用する「歴史的現在」は、各国語で用いられているようであり、加藤の論は、いささか強引であるように思われる。ただ、フランス語ならば半過去形を用いる過去の出来事に対して、日本語では抵抗なく現在形を用いることが出来るという時制の緩やかさが、「過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴」の一例である、という加藤の主張には間違いがないであろう。
と述べて、結びとしいます。

 一冊の本の一部の論旨に対して、読者が対話するような形で、巧妙にブログにまとめたこの一例を読み、著者と読者との間の敬意ある親近性を感じ、感銘を受けました[Ted の注 4 参照]。
 ——Ted の注 4:「著者と読者との間の敬意ある親近性」とは、よく書いて下さったと思います。この記事では加藤に反論していますが、私は加藤の著作の大の愛読者なのですから。——

2014年8月9日土曜日

追悼:岡部茂博士 [Obituary: Shigeru Okabe (1923–2013)]

[English version of this post is given at http://bit.ly/1oksz9I.]


1961年の岡部博士。
Shigeru Okabe in 1961.

 私の最初の職場の上司として、長年親切で適切なご指導をいただいた岡部茂博士が、昨年他界され、さる 6 月 25 日に、当時の仲間たちとともに「岡部先生を偲ぶ会」を旧・大阪府立放射線中央研究所(現・大阪府立大学・地域連携研究機構・放射線研究センター)の講堂で開催しました。ご遺族の岡部夫人と 2 人の令嬢も加えて約 20 名が集まり、記念すべき催しとなりました。当日、私が担当して述べた岡部博士の経歴紹介に若干の補足をして以下に掲載し、重ねて哀悼の意を表します(経歴紹介文の作成に当たっては、K・K 氏が作成した「偲ぶ会」案内状も参考にしました)。

 なお、上掲の写真は 1961 年 5 月 5 日に開催された荒勝・木村研究室同窓会の集合写真から作成しました。また、本記事英語版中の写真は、同年 4 月 7 日の昼休みに、岡部博士以下、私を含む数名が職場を抜け出して、近くへ花見に行った折の写真から作成したものです。



 岡部茂さんは、1923 年に鹿児島市でお生まれになり、旧制第七高等学校を経て、京都大学理学部に入学されました。物理学科において、太平洋戦争中と終戦直後の何かと不自由な中、荒勝文策教授のもとで原子核実験物理学を専攻し、1946 年に京都大学を卒業されました。そして、1949 年には、鳥取大学助教授になられました。鳥取大学では、世界有数のラドン含有量を誇る三朝温泉が近いという地の利を生かして、自然放射能の研究を手がけられました。中でも、岡部さんの大気中のラドン濃度の変化による地震予知の研究(文献 1)は、世界に先駆けた研究として、国際的に知られています。

 岡部さんは 1949 年に、創立早々の大阪府立放射線中央研究所に第 1 部放射線源課長として着任し、電子ライナックの設置・維持・管理の傍ら、同装置を利用して、電子線諸元の監視方法、電子の物質透過、光核反応、水和電子の性質などなどの幅広い研究を指導・推進されました。この間、6 年度にわたり連続して科学技術庁所管の「原子力平和利用研究費補助金」を獲得されたことは、岡部さんが研究を立案・推進する高い能力の持ち主だったことを証明するものです。研究や一般業務の推進に当たっては、放射線源課の各メンバーを適材適所に割り当てるとともに、各メンバーの学位取得や所外への栄転などにも配慮するなど、部下に対する面倒見のよさも示されました。

 岡部さんは 1973 年に、放射線中央研究所第 1 部長に昇任されました。その後間もなく、研究所の組織が課制から研究グループ制に移行し、施設や装置の運転・維持・管理には別途、作業班を設けるという大きな変革があり、また、大阪府議会から大阪府に役立つ研究を求められるという状況もある中で、優れた研究管理能力を発揮されました。他方、研究面では、応用物理学会誌や原子力学会誌に総説・解説論文を多く寄稿され、応用物理学会放射線分科会の大御所として、会の発展に尽力もされました。

 部長職定年後の 1981 年、岡部さんは福井大学工学部に教授として赴任されました。福井大学では教育の傍ら、自然放射能の研究に戻られ、ここでも地の利を生かした雪の中のラドンの研究などをされるとともに、学外のラドン研究委員会やエキソ電子研究委員会などでも活躍されました。

 岡部さんは 1989 年に、福井大学を定年退官されました。同時に、ご自宅にラドン科学研究所を設置して、精力的に研究を継続されました。1993 年には、学生時代から趣味として描いて来られたスケッチを集めて、「折々のスケッチ画集」と題する立派な画集を出版されました。岡部さんはグルメ趣味を持っておられたことでも、よく知られています。以上のように、数々の素晴らしい業績を残して、岡部さんは 2013 年 6 月 30 日に、89 歳で永眠されました。

 (2014 年 8 月 16 日、一部追加修正)

文 献
  1. S. Okabe, Time variation of the atmospheric radon-content near the ground surface with relation to some geophysical phenomena. Memoirs of the College of Science, University of Kyoto, Series A, Vol. XXVIII, No. 2, Article 1, pp. 99–115 (1956).[Google Scholar によれば、2914 年 8 月 9 日現在、この論文は 39 編の論文に引用されたということです。]

2014年8月7日木曜日

エム・ワイ君への暑中見舞い (Summer Greeting to M. Y.)

[The main text of this post is in Japanese only.]


(和文写真説明は本文参照。以下の写真も同じ。)
Seisonkaku, a large Japanese villa in the city of Kanazawa, built in 1863 by Maeda Nariyasu, 13th daimyo of the Kaga Clan, as a retirement home for his mother Shinryu-in.


Part of one of the works of the exhibition "Leandro Erlich −The Ordinary?" at 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa. Thie work uses a large half-transparent mirror, and a visitor sitting in front of the mirror is seen as though she is playing one of music instruments beyond the mirror.


The main gate of Oyama Shrine, a Shinto shrine in Kanazawa.


Samurai mansions preserved in Nagamachi Street, Kanazawa.

2014年7月29日

M・Y 君

 暑中お見舞い申し上げます。

 わが家では、さる 14、15 日に金沢へ墓参に行ってきました。梅雨明け前でしたが好天に恵まれ、長女も同伴したので、ついでに金沢市内の見物もしました。見物先は以下の通りです。

  • 前田家 12 代奥方の御殿として江戸時代末期に造営された成巽閣(せいそんかく):1 枚目の写真。
  • 金沢 21 世紀美術館:同館常設の作品『スイミング・プール』の作者、レアンドロ・エルリッヒによる『ありきたりの?』展が開催中(撮影可の展示)。鏡や半透明鏡面を利用した、不思議を感じさせる大型造形作品が各小部屋、大部屋を占めていました。半透明の鏡面を使った部屋は、鏡の向こう側にピアノ、バイオリン、チェロ、コントラバスが配置されれていて、こちら側には演奏者用の椅子があり、そこに腰かけて演奏の手つきをすると、鏡にはあたかも演奏しているような姿が映るという仕掛け。2 枚目の写真は、長女がピアノ用の椅子に座り、笑いながら演奏しているふりをしている鏡像。光の加減もあって、上半身はおぼろげにしか写りませんでした。
  • 前田利家を祀る尾山神社:3 枚目の写真はその山門。
  • 長町武家屋敷跡:4 枚目の写真。

 私の肩はほとんど痛まなくなってきましたので、9条のブログをやや頻繁に書いたり、長らく放置していたホームページの手直しをしたりし始めています。さる27日付けで掲載した "Ted's Coffeehouse 2" の記事の「T・K君」というのは、"Ted's Archives" に連載した高校時代の日記に、Jack のニックネームで登場する友人です。この夏は、2年あまり描かなかった水彩画にも取り組みたいと思っていますが、どうなることやら…。

 酷暑の折、くれぐれもご自愛下さい。

 T・T