2015年1月30日金曜日

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 4 (M.Y's Comments on My Blog Posts until January 1, 2015 -4-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


サザンカ。2014年12月30日撮影。
Sasanqua; taken on December 30, 2014.

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 4

 M・Y 君から貰った "Ted's Coffeehouse 2" 2015 年 1 月 1 日までの記事への感想の続きを紹介する。



3. A・M 君へのメール

(1) A・M 君へ:湯川博士と原子力のことなど
2014 年 12 月 4 日
A・M 君
 先日は学士会館までお越しいただき、楽しくまた有益な時間を持つことが出来、ありがとうございました。帰阪後すぐにお礼を書こうと思いながら、パソコンを使うと肩や首が痛む状態が続いていたため、サボっていて、大変遅くなりました。
 あの時、B さんから湯川博士と原子力の関係について尋ねられたということを伺いましたが、私のブログ記事 「原発計画に関する湯川博士の言葉 1〜3」を見つけていただいたでしょうか。[以下略]

 M 君は、第 2 次大戦下の京都帝大における原子核研究と占領軍による捜査について、『原子核研究』誌に次の通り発表しています。
  • (I) 原子核の実験的研究の軌跡, Vol. 55, No. 1, September 2010
  • (II) サイクロトロンの破壊, Vol. 55, No. 2, March 2011
  • (III) 原爆研究の記録―その1, Vol. 57, No. 1, September 2012
  • (IV) 同上―その2, Vol. 57, No. 2, March 2013

 (I) では、次のように書き起こしています。
「これまで第 2 次世界大戦中の日本における原子核研究に関しては、主として理研の研究を中心に調査が進められて来たが、京都帝大における原子核研究の情況や原爆研究の実施は資料不足の為に十分調査したとは言い難い状態にあった。近年、米国の国立公文書図書館などに保管されている大戦直後の占領軍やペンタゴンの機密書類が公開され、日本でも当時の荒勝文策教授、木村毅一助教授の日誌やメモが発見されて、その全容が少しずつ明らかにされて来た。更に米国国会図書館で植村吉明、清水栄両講師の書いた大戦前後の実験ノートが発見され、京都帝大における第 2 世界大戦以前の原子核研究の実態が明るみに出た。これを機に本稿ではこれらの資料を基にして大戦中の研究、更に占領軍による京都帝大捜査の実像に迫りたい。」

 (IV) では、「大戦中に世界の原子核理論の研究者の多くが原爆研究に全力で取り組む中で、湯川が原爆の研究よりも中間子論の研究に力を注いでいたことは、事実のようである。とはいえ、京大の荒勝、湯川はもとより、研究室の多くの研究者が原爆研究に関与したことは看過できない事実であり、彼らの『科学至上主義』を現代においてどのように捉えるべきかについてはあらためて論ずることが必要だろう」と、締めくくっています。これらの調査報告は、M 君が精魂をこめて事実を掘り起こした貴重な資料です。

 B さんから湯川博士と原子力の関係について尋ねられたという件にも関連するでしょうが、M 君はかねがね、湯川博士が原子力委員長を辞任された理由は、わが国が原子力発電所を海外から導入する事態が切迫したときに、研究により自主開発をすべきだという博士の主張に相容れなかったためといわれているが、その真相はどうだったのだろうかと疑問に思っていたようです。昭和 30 (1955) 年に制定された原子力基本法は、第 2 条において、「原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする」としていました。

 湯川博士はその後、世界の平和、原子核兵器の廃絶問題に取り組まれましたが、辞任当時、原子力政策についてどのように見通されていたかなど、M 君へ提供された資料は彼のこれらの疑問に対して参考になるものと思います。M 君から貰った本年の年賀状に、奥様と昨年 10 月、北京盧溝橋で撮影された写真があり、「科学者の原罪と科学の行方について考えさせられます」とのメッセージがありました。(つづく)

2015年1月29日木曜日

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 3 (M.Y's Comments on My Blog Posts until January 1, 2015 -3-)

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「これは食べられるかな?」2014 年 12 月 28 日撮影。
"Is this eatable?"; taken on December 28, 2014.

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 3

 M・Y 君から貰った "Ted's Coffeehouse 2" 2015 年 1 月 1 日までの記事への感想の続きを紹介する。



2. K・F 氏へのメール

(2) K・F 氏へ:アメリカ旅行報告への返信
2014 年 11 月 2 日
K・F 様
 アメリカ旅行の詳しいお土産話[注(引用ブログ記事中の注)1]を書き送っていただき、ありがとうございました。「ちょっと大変な旅行」を奥様とご一緒に無事にこなされたとは、お二人とも、すこぶるお元気ですね。そしてまた、F さんは帯磁率を比較する装置を自作して持参されたとのこと、すばらしいです。
 10 月 9 日に東京学士会館で持った M・Y 君、A・M 君とのミニ同窓会は、なかなか有益でした。夕食前と夕食中の合計約 4 時間、楽しく語り合いました。M 君が、木村先生の偉大さがいまになって分かってきたということを、最も多く話しました。
 引用の途中ですが、A・M 君の話の内容は、彼から私への便りでも、具体的に以下のように述べられていたことを記しておきます。
「荒勝研究室の戦前、戦中の世界的な業績としてはつぎのことが挙げられのではないかと思っています。
  • 世界で二番目に台北大学でコックロフト加速器を完成し、人工的核反応を行った (1934)。(現在台湾大学にこの施設が博物館として保存されています)
  • 熱中性子によるウラン 235 の核分裂の際に放出される中性子の数が平均 2.6~2.7 個であることを発見した (1939、1945)。これは戦前、戦中の測定値としては最も精度が高いデータであった。
  • 中性子をウランに当てた時、中性子を放出しない中性子吸収反応の存在を初めて発見した (1945)。
これらの研究はいずれも木村先生が中心になって行われたものです。私達が存じ上げている 50 代の木村先生のイメージからは一寸想像出来ないような大活躍をしておられたことをあらためて知り、不明を恥じています。」

 以下、「K・F 氏へ:アメリカ旅行報告への返信」からの引用の続きです。
 お勧めした ResearchGate について宿題にしてくださいとのこと、承知しました。いろいろなことに興味を持ち続けておられるのは、すてきなことだと思います。若さを保つ秘訣でもありましょう。機会があれば、ゆっくりお目にかかりたいものです。
 錦秋の候、ますますお元気でお過ごしください。
 T・T
 P. S. 私が何年か前に Quora というウェブ上の質問サイトで鏡像の左右逆転について答えた文が、"Huffington Post" というアメリカの新聞の科学記事のウェブページに、10 月 30 日付けで引用されました(こちら)。Quora では、利用者がよいと思った回答に対して票を投じることができるようになっています。その投票では、必ずしも正解でなくても、一般の人たちにとって分かりやすい、あるいは、面白いと思われる答に票が集まるので、私の答は目下 1、2 位に大きく離されて、16 回答中、4 位程度でしかないのです。それにもかかわらず選んでくれた編集者は目が肥えていると思います。

 引用時の注
  1. F 氏からのメールには、アメリカの旅はヨセミテ公園から始まり、そこではエル・キャピタンと名付けられている高さ約千メートルの花崗岩の一枚岩を見ることを楽しみにしていたことや、その岩の直下に立ってハンマーで叩き、岩肌に触ってみたかったが、その機会はなかったことなどが書かれていた。そのメールをもらった少し後で、たまたま、私はテレビでヨセミテ公園を紹介する番組を見て、エル・キャピタンの名にも出会った。
 この F さんのアメリカ旅行土産話に対する返信は、簡単なものながら、地球科学を勉強した F さんが、かねてからの好奇心を満たし、すこぶる元気に大自然にふれた有意義な旅をしたことをよく伝えています。また、筆者に勧められた ResearchGate の利用を F さんが宿題にして下さいとの返事に対して、「いろいろなことに興味を持ち続けておられるのは、すてきなことだと思います。若さを保つ秘訣でもありましょう」と念を押していることを微笑ましく思いました[引用者の注:念を押したつもりではなく、F さんが他の種々なことに興味を持っていて、ResearchGate の利用に、すぐには手がつけられない様子に感嘆したものです]。

 Quora というウェブ上の質問サイトで鏡像の左右逆転について答えた文(Quora への投稿は 2011 年 1 月。その内容は、筆者が本ブログの 2014 年 8 月 11 日付け記事「鏡の謎について」で解説しています)が、"Huffington Post" というアメリカの新聞の科学記事のウェブページに、10 月 30 日付けで引用されたとのこと。投稿してから引用されるまで、2 年 10 ヵ月を経ていますが、筆者の説明が米国の科学担当記者には明解だったことの証となるでしょう。おめでとうございます。

 参考までに筆者の上記「鏡の謎について」から、答えの部分を以下に抜粋にします。
[…] 「鏡の謎」は,プラトン以来,若い日の朝永やファインマンの考察を経てなお,近年まで正解が出なかったものであるが,哲学と呼ぶほどの問題ではない.[…]
 「鏡の謎」で「鏡は左右を逆に映す」というのは,[…]「1 枚の平面鏡に非対称な物体を映すとき,物体と鏡像に,それぞれの固有座標系を適用(これを『固有座標系の個別使用』と呼ぶ)すれば,物体と鏡像の間で,左右非対称性の特徴が逆になる」ということである.ここで,物体の固有座標系とは,物体に基準をおいた「上」「前」の二つの向きに加えて,「右」の向きを,右・前・上の向きが右手座標系の x・y・z 軸の正の向きにそれぞれ対応するように定めた座標系である.鏡像の固有座標系も,これと同じ構造のもの(その鏡映でなく)である.[…]
 […]物体に固有の上下・前後は物体の外部的特徴によって決まるのに対し,左右は上下・前後が決まった後で,それらに関連づけて決まる(上下・前後軸のうちの 1 または 2 軸が決められない物体には,左右も決められない).例えば人体の場合,固有の下→上・後→前の向きは足→頭・背→腹の向きとして,まず決まり,鏡像においても同じ決め方がなされる.したがって,これらの方向の非対称性の特徴は逆になりようがない.そこで,対掌体同士で非対称性が逆になっている方向は,最後に決まる左右軸に,いわば押しつけられるのである.――以上が「鏡の謎」の答えである.なお,2 次元の形象である文字の鏡映による左右逆転も,文字とそれが書かれている媒体を合わせて考えれば,一般の物体の場合と全く同様に説明できる.
 この物理的説明による答えは、大学の教養課程の「代数と幾何学」の知識がある人なら容易に理解可能です。

 紹介した記事は、F さんの「ちょっと大変な旅行」を奥様とご一緒に無事にこなされたことに加え、ResearchGate の利用や Quora というウェブ上の質問サイトで鏡像の左右逆転について答えた文がアメリカの新聞の科学記事のウエブに引用されたことも取り上げられ、読者の興味をそそるものとなっています。(つづく)

2015年1月27日火曜日

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts until January 1, 2015 -2-)

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わが家の植木鉢に咲いたロウバイの花。2015 年 1 月 27 日撮影。
Flowers of wintersweet blooming on a flowerpot in my yard; taken on January 27, 2015.

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 2

 M・Y 君から貰った "Ted's Coffeehouse 2" 2015 年 1 月 1 日までの記事への感想の続きを紹介する。



2.K・F 氏へのメール

 K・F 氏が昨年 10 月に出かけた、米国に西海岸のヨセミテ公園への旅について、出発直前と帰国後の報告に対する筆者のメールが掲載されています。

(1) K・F 氏へ:心がぐらつく
2014 年 10 月 2 日
K・F 様
 10 月 1 日付けメール、ありがとうございました。
 ResearchGate[ブログ記事にした際の注:研究者の交流のためのウエブサイト]は登録して、後は放っておいて、気の向くときに眺めるだけでもよいので、ひるまないで参加されることをお勧めします。無理にとはいいませんが。
 秋田大学の地球科学コース受講やアメリカ西部海岸への旅行など、お元気なご活躍ぶりに感服しています。アメリカの土産話を期待しています。
 私は、今月 10 日に東京で、大連にいたときの小学校の同窓会総会(一同が高齢化し、今回が最終回)が開催されますので、前日に上京します。その夕方、逗子市から Y 君、我孫子市から M 君が来てくれて、木村研のミニ同窓会を持つ予定です。
「Y 君」とは私のことで、M 君と F さんは、私たちが実験原子核物理学講座・木村研の修士過程 2 年になったとき、同研究室に入って来ました[引用者の注:F さんも男性で、Y 君と私の 1 年後輩ですが、教職を経験した後に大学院へ入ってきたため、年齢は上であり、一同が大学院修了後には「さん」づけで呼んでいます]。1 年間同じ研究室で研究や勉強をした仲で、F さんの近況にふれて懐かしく読ませて貰いました。
 F さんは anthropic cosmological principle(人間原理)が提唱されたばかりの頃、それに興味を持っておられましたね。私は、その考えはコペルニクス以来の宇宙観・物理観に反すると思っていました。 最近、science writer の Jim Baggott が著した "Farewell to Reality: How Modern Physics Has Betrayed the Search for Scientific Truth" という本を読みました。Baggott はその本において、multiverse、anthropic cosmological principle、super-symmetric particles などの現代の宇宙物理学・物理学の理論には観測的、実験的根拠がない、もしくは原理的に得られない、として、それらの説を "fairy-tale physics" と呼んでいます。これを読んで、私はわが意を得たりと思いました。
 しかし、続いて、John Brockman 編の "The Universe" という本を読み始めたところ、"fairy-tale physics" は、必ずしもそう呼ばれるべきものではないのではないか、と心がぐらついています。この本には 20 名近くの著名な宇宙物理学者、物理学者たちが最近の理論を分かりやすい言葉で述べていて、super-string theory で無数の解の存在が予想されることは、multiverse や anthropic cosmological principle につながる、といわれると、なるほどと思わされるのです。
 では、ご旅行の無事を祈っています。
 T・T
 F さんが「人間原理」の提唱されたばかりの頃からそれに興味を持っていたのに対し、筆者はそれに疑問を感じていたのです。しかし、筆者は最近の読書から、この原理は正しいのかもしれないと、心がぐらついていることを告白しています。このメールのタイトルが「心がぐらつく」であり、筆者は、F 氏の好奇心と秋田大学の地学コース受講が動機になっていると思われる旅へのはなむけに、F 氏の先見の明を讃えたように思われます。このような筆者の読書による旺盛な探究意欲には感心させられます。(つづく)

2015年1月25日日曜日

細かい思考 (Careful Thinking in Dream)

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夏目漱石著『夢十夜』の古書。
An old book of Natsume Soseki's Yume Juya (Ten Nights' Dreams).

 上司の O 氏が「研究所の建て替えに当たって、必要な設備を考えてくれ。図書館や時間…」という。私は、〈図書館はいいが、時間とは…。開館時間を考えることは、設備を考えることにはならないだろう。あっ、O 氏は附置館といったのか。古い装置等がたまってきたから、博物館的な陳列をする付属の建物が必要だ〉と考える。〈しかし、研究所の建て替えは私の在職中に完成するだろうか。私は今、五十…。いや、今は 2015 年だから、1935 年生まれの私は 80 歳!〉

 ——ここで目が覚めた。朝方の夢だった。「80 歳」ということばが、われながらいかにも高齢に響き、驚いて目覚めたのである。現実の満 80 歳までには、あと 2 カ月半余りである。それでも、目覚めているときには、それほど高齢という意識はないのだが…。

 古いテクニカル・リポートの PDF ファイルを作ったりしていたせいで見た夢だろう。先日 PDF ファイルにした大放研技報 No. 3 は、上司だった故 O 氏が福井大へ転職してのち、還暦を迎えた折に、献辞を書き込んで作ったものだった。それにしても、「時間」と聞こえたのが「附置館」だろうとか、年齢の計算をするなど、夢の中にしては細かい思考をしたものである。

 夢といえば、夏目漱石の「夢十夜」は、高校生時代に読んで、好んだ作品の一つである。そして、大学院生になったばかりの時、再び、この作品に出会った。研究室で私に割り当てられた、どっしりとした机の引き出しに、文庫本サイズに近い(文庫本と比べると、縦が 1 cm 長く、横が 1 cm 短いので、一見、新書版のような感じである)古本の『夢十夜』が入っていたのだ。一代あるいは何代か前にその机を使った人が残していったのだろう。

 下宿へ持ち帰って少しずつ読み、私ほど漱石好きの後輩がこの机を使うことはなかろうという理由付けをして、修士課程修了時に、そのまま記念として、ありがたく頂戴してきた。表紙の次の白紙ページには、なんとか舟という姓の蔵書印があり、裏表紙の内部には「大阪 道頓堀東 昭和書院」(古書店だろう)の貼り紙、そして、その内側のページには「拾圓」の判が押してある。発行は大正 4 (1915) 年、東京日本橋・春陽堂で、発行時の値段は「六拾六銭」。「文鳥」、「夢十夜」、「永日小品」の三作が収められていて、全200ページ。

 これは、私が持っている最も古い本である。目次と本文第 1 ページの間のところで分裂してしまい、そのままになっている。背部も、ところどころ剥がれ落ちたり、めくれたりしており、裏表紙には何カ所も水分がにじんだような跡がある。この機会に、分裂、めくれなどの部分をのりで修理しておこうと思う。

2015年1月13日火曜日

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts until January 1, 2015 -1-)

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冬空に天使のはしご。2014 年 12 月 28 日、ウォーキング途中で撮影。
Angel's ladders in winter sky; taken on December 28, 2014, in the course of my walking exercise.

2015 年 1 月 1 日までの記事へのエム・ワイ君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2015 年 1 月 1 日までの記事への感想を 2015 年 1 月 12 日付けで貰った。同君の了承を得て紹介するが、長いので何回かに分けることにする。



1. 未年

 この記事の冒頭には、ジェームズ・ティソの『グッド•シェパード』の絵が引用されていて、下記の説明があります。
この絵は、マタイによる福音書 (18:12–14) とルカによる福音書 (15:3–7) にある次の物語を描いたものである。1 匹の迷子になった羊のため、羊飼いは 99 匹の群れを残して探しに行き、失った羊を見つけて、それを肩にかつぎ、歓喜して帰って来た。
私は、キリスト教系の幼稚園に通い、米国帰りの白髪の園長先生から聖書物語を色いろと聞かされ、「この一匹の迷子になった羊」の話もよく憶えています。当時はまだ太平洋戦争が始まっていませんでしたが、キリスト教は歓迎されない宗教でした。新島襄の話なども色いろ記憶に残っています。『グッド•シェパード』には、聖書の意味するところが、雄々しく、よく描けています。

 記事「未年」の本文は年賀の挨拶で、次の文を引き、「自然や平和を駆逐するような政治はまっぴらです」としています。
 私は演説を傾聴していた。[…略…]
「[…略…]私が大蔵大臣になればですよ。この化学工業を盛んにしているから、濠洲だろうが、何処だろうが 羊 なんか一頭もいなくなっている……」
 私はもうその先を聞いていられなくなった。
——串田孫一『博物誌 I』(1971)
これはよい引用で、まさに「自然や平和を駆逐するような政治」を風刺しています。昨年 9 月 18 日に逝去した経済学者、宇沢博文・東大名誉教授が、人類が平和に暮らし自然環境を守る経済のあるべき姿について説いていたことを最近知りました。(つづく)

2015年1月12日月曜日

32年前の技報作成のための技法 (Technique of Making a Technical Report 32 Years Ago)


大阪府立放射線中央研究所技報 No. 3(1983)の表紙。印刷屋が作成。
Cover of Radiation Center of Osaka Prefecture Technical Report No. 3 (1983), made by a printer's office.


同上技報の本文第1ページ。
The first page of the above report.

Abstract: At the time when we made Radiation Center of Osaka Prefecture Technical Report No. 3 (1983), there was no commercial word processing program. In writing the manuscript, we used a hand-made program, produced by a researcher in the same division of our institute by the use of the computer language Basic. Digital files of the manuscript were stored on cassette tapes. Printing was made by a combination of a machine called "Mypewriter" and an IBM electric typewriter. [The main text of this post is in Japanese only.]

 32年前に大阪府立放射線中央研究所技報 No. 3 として発行したリポート約 100 ページ(作成したコンピュータープログラムも載せているので、文章はこのうちの約半分)を、スキャンして PDF ファイルとし、ResearchGate サイトに先日載せた(こちら)。このリポートを作った頃は、デスクトップ型パソコン(DOS 型機)はあったが、市販のワープロソフトはまだなく、パソコンは名前通り、もっぱら計算に使っていた。

 それでも、同じ部門の研究者がベーシックというコンピュータ言語で簡単なワープロソフトを作れることを学んで自作したものがあったので、それを使わせて貰い、大助かりだった。文章ファイルの保存にはカセットテープを、出力は、IBM の電動タイプライターの上にパソコンからの信号を受けてキーを叩くマイプライターという装置を乗せて行うという、煩雑な仕掛けを使って作成したリポートだった。

 したがって、2 枚目のイメージから見て取れるように、文章は端揃えをしてあるものの、単語間をところどころ 2 スペースにするという、原始的な方法によっている。また、同ページ下部の左端インデントしてある部分は、やや長い脚註だが、本文と同じサイズの文字を使っている。

2015年1月1日木曜日

未年 (Sheep Year)

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ジェームズ・ティソの『グッド·シェパード』[パブリックドメイン]、ウィキメディア・コモンズによる。この絵は、マタイによる福音書 (18:12–14) とルカによる福音書 (15:3–7) にある次の物語を描いたものである。1 匹の迷子になった羊のため、羊飼いは 99 匹の群れを残して探しに行き、失った羊を見つけて、それを肩にかつぎ、歓喜して帰って来た。
James Tissot's The Good Shepherd, [Public domain], via Wikimedia Commons. This picture depicts the following story in the Gospels of Matthew (18:12–14) and Luke (15:3–7): A shepherd leaves his flock of ninety-nine sheep to find the one lost sheep and comes back with it on his shoulders, rejoicing.

 新年おめでとうございます。
 私は演説を傾聴していた。[…略…]
「[…略…]私が大蔵大臣になればですよ。この化学工業を盛んにしているから、濠洲だろうが、何処だろうが なんか一頭もいなくなっている……」
 私はもうその先を聞いていられなくなった。
——串田孫一『博物誌 I』(1971)
 自然や平和を駆逐するような政治はまっぴらです。

 皆様のご健康とご幸福をお祈りします。