2012年2月29日水曜日

『真実一路』 (Shinjistu-Ichiro)


Abstract: Past Sunday, I watched on TV the 1954 Japanese film Shinjitsu-Ichiro (Path of Sincerity) directed by Yūzō Kawashima. Chikage Awashima, who died recently, starred in this film as the woman who lived a life dedicated to her own sincere thought. The original of the film is the novel of the same title written by Yūzō Yamamoto. On a wall of my study hung a tanzaku (see the above photo) which bears the word "shinjitsu-ichiro" written by Ryōichi Kuroda, the former governor of Osaka Prefecture, and I love this word. (The main text is given in Japanese only.)

 先日亡くなった昭和を代表する名女優、淡島千景 (1924–2012) の主演作の一つ『真実一路』(川島雄三監督、1954年)が、さる2月26日、NHK BS プレミアム・チャネルで放映された。原作は山本有三 (1887–1974) の同名の小説である。私は書斎に、憲法学者で元大阪府知事の黒田了一 (1911–2002) の筆による「真実一路」の短冊(写真参照)を飾っており、この言葉を好んでいる。それにもかかわらず、小説『真実一路』については知らなくて、同じ山本有三の小説『路傍の石』と混同したのか、あるいは似た類いの小説と想像したのか、主人公は少年で、彼が成長していく話だろうと思っていた。

 実際はそうではなく、亡くなった恋人の子供を身ごもったまま、世間体のために別の男性と結婚した後、子ども2人を捨てて愛人と暮らす守川むつ子(淡島が演じる)が中心人物であり、その生き方が「真実一路」なのである。二人目の子で、まだ小学生の義夫も末尾の運動会の場面において「真実一路」の生き方を示しはするが…。些細なことだが、義夫を悩ませた運動会でのクラスメートとの「作戦」がどういうものなのか、映画からは理解出来なかった。

2012年2月27日月曜日

『にあんちゃん』 (Nian-chan)


『今村昌平 DVD Collection にあんちゃん』
(ジェネオン エンタテインメント, 2004) のイメージ。
Cover of "Shōhei Imamura's Collected Works on DVD: Nianchan"
via amazon.co.jp.

Abstract: The other day, I watched on TV the 1959 Japanese film "Nian-chan (My Second Elder Brother)" directed by Shōhei Imamura. The film depicts the moving story of four children of a family who lost their parents and lived in harsh conditions of the coal-mine town hit by recession. The original was written as a diary by the youngest of the children, Sueko Yasumoto, in her elementary school days and published from Kōbunsha to become a bestseller. I have found a few Web pages that tells about her book and recent life. (Main text is given in Japanese only.)

 さる2月23日、NHK BS プレミアム・チャネルで、今村昌平監督の映画『にあんちゃん』(1959年)を見た。1950年代、不況が襲う炭坑の町で両親を失った喜一、良子、高一、末子の兄弟姉妹が、助け合いながら生き抜いていく姿を描いた作品である。原作は安本末子が小学生のときにつづった日記で、光文社から1958年に発行されてベストセラーになり、NHK ラジオの連続ドラマにもなったという(「にあんちゃん」は末子から見て2番目の兄、高一の呼び名である)。私が題名だけながら知っていたのは、そのようなことがあったからだろう。この映画は、苦しい生活状況を描きながらも、その中で力強く生きる子どもたちに明るい未来を思わせるところがあり、続編を見たい気持ちを起こさせる。

 そこで、『にあんちゃん』のその後が何か分からないだろうかと、インターネット検索をしたところ、次のウェブページが見つかった。

  1. 安本末子「にあんちゃん」, 千年書房・九州の100冊, 西日本新聞 (2007年04月01日) [安本末子さんの近況を含む略歴も記載].
  2. にあんちゃん; 「にあんちゃん」に寄せて, 唐津市立入野小学校ウェブサイト [『にあんちゃん』の本と関連資料等の紹介. 入野小学校は安本さんの母校].
  3. 「にあんちゃん」その後:長女・玲子さんの大鶴訪問, ブログ『つぶやき館』(2010年10月15日) [玲子さんは末子さんの長女. 大鶴は末子さん兄弟姉妹が育った旧炭坑の町].

 これらのウェブサイトからは、ご兄姉のその後のことは分からないが、少なくとも末子さんが立派に成長されたことを知り得て、たいへん嬉しく思った。

2012年2月25日土曜日

ウメが咲く (Plum Blossom Are Blooming)


 昨日、当地は晴天で、3月下旬並みの暖かさだった。私の鈴の宮公園へのウォーキング・コース脇にある小梅林(私の勝手な命名である)では紅梅が咲いていた(1枚目の写真)。

 ウォーキングのついでに、先日掲載した太く黒い謎の曲線の写った写真の現場を観察した。曲線の原因の推定は当たっていたことが確認出来た。2枚目の写真は、先日掲載の写真よりも少し右へ寄って、手前でも歩道の段差が見える位置でカメラを低く構えて撮影したものである。その結果、前回の写真ではほぼ同じ太さで続いていた黒い曲線は、今回の写真では先細りの形になっている(ほぼ同じ時刻でも太陽の位置が変っていることも関係しているかもしれない)。歩道の左側フェンスの上部にある棒の影が重なっていたという可能性は3枚目の写真で否定出来る。

Yesterday, we had a bright weather here. It was so warm like late March. Plum blossoms were blooming (see the top photo) in the "small plum garden" (I call it so) at the side of my walking route to Suzunomiya Park.

During my walking, I made detailed observation of the location of the photo I posted the other day, in which a mysterious black curve had been seen. The cause of the curve I had supposed was confirmed to be correct. The middle photo was taken at the position a little more to the right and lower than the photo previously posted, in order to show the side face of the sidewalk even at the portion nearest to my camera. As a result, the black curve is now seen to be narrower at farther distances (the difference in the positions of the sun might also have affected to this result). The possibility that the black curve was made by the overlapping of the shadows of the top bars of the fence at the left of the sidewalk can be excluded by the bottom photo.

2012年2月23日木曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:12. 暗黒エネルギーがあるとなれば相対性理論はどうなるの? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 12. If Dark Energy Is Real, What Will Happen to the Relativity Theory?)


【Read in English.】

宇宙の中で暗黒エネルギー、暗黒物質、「普通の」物質が占める割合の推定図。
By PeteSF at en.wikipedia [Public domain], via Wikimedia Commons.

 【概要 (Abstract in Japanese)】このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、暗黒エネルギーが本当にあるということになっても相対性理論は安泰だろうか? というもの。
 【本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年2月21日火曜日

16歳の少年が私に相対論などを質問:11. ニュートンの運動方程式はどうやって証明するの? (Boy of Age 16 Asks Me about Relativity, etc. 11. How Do We Prove a=F/m?)


【Read in English.】

ニュートンの第1、2法則をラテン語で記した1687年発行の
『プリンキピア・マセマティカ』。
Source: http://www.loc.gov/exhibits/world/images/s123.jpg
[Public domain], via Wikimedia Commons.

 【概要 (Abstract in Japanese)】このシリーズでは、16歳の少年アーロン(仮名)からの、相対性理論など物理学に関する質問と、筆者テッド(仮名)の回答を紹介している。今回の質問は、ニュートンの運動方程式(第2法則)はどのようにして証明するのか、というもの。
 【本文(やさしい英文)へ (To main text in English)

2012年2月19日日曜日

2012年1月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of January 2012)

[In Japanese only]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2012年1月分への感想を2012年2月18日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。




1. 美しい日本語

 最近、「非常に〜である」という意味で「〜すぎる」といったり、「〜という得難い経験が出来る」という意味で「〜してしまえる」といったりすることが流行しているようだ。タレントか誰かがテレビでこのような表現を使い始めると、それがすぐに全国に普及し、誰もが使うようになる。
 昨日午後7時からのNHK・Eテレ「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート2012」という真面目な番組の中で、上記のような表現が二つとも使われていたのには唖然とした。…略…
 他方、昨日の朝日紙で久しぶりに、たいへん美しい日本語にも出会った。それは「震災わすれないために」と題した文化欄中の「叙事詩となって蘇る」という文で、ニューヨーク生まれのドナルド・キーン氏の筆になるものだから、皮肉である。

 私もこのニューイヤーコンサートを聴きました。招待された解説者の前に映されたテロップに「シュトラウスに詳しすぎる」とあったのは憶えていましたが、「〜してしまえる」については録画で確認しました。これは司会したアナウンサーがいった「市庁舎舞踏会で初めて公開されたものが、このコンサートで聞けてしまう」という言葉のことです。この「美しい日本語」は年頭のメッセージに相応しく、印象に残りました。

2.『評伝 野上弥生子』の2書評を比べる

 先般、野上弥生子に関連する文を書いたが、それに先だって、この作家の評伝に対する2編の書評を読んだ。1編は朝日紙に掲載されたもので、もう1編は赤旗紙に掲載されたものである。私は両書評から評伝自体についてかなり異なる印象を受けたので、ここにそれらの比較を述べてみたい。

という筆者の論評を興味深く読みました。筆者の指摘通り赤旗紙の方が揺れのない視点に立っていて、広く深い洞察の見られる書評でありましよう。私はずっと前に野上弥生子の『秀吉と利休』を読み、二人の巨人の劇的な葛藤、丹念な描写、独創的で格調高い歴史小説に大いに感銘を受け、続けて『真知子』を読みました。若干見方が異なる両書評を念頭に置いてこの評伝を読み、偉大な女流作家の生き方と人柄について知りたいと思います。

3.「進むことができる」の信号色

 「進むことができる」を示す信号は普通「青信号」と呼ばれているが、本当は緑色だとも聞く(「青信号」の英語は green light であるとも)。実際には何色かがふと気になった。普段は細部まで注意して見ることのない信号灯を注意深く見ると、この辺りでは、旧式の電球使用のもの(カバーが着色してある)と、LED(発光ダイオード)使用の新しいもの(光源に色がある)が混在している。

と筆者は、電球式歩行者用、電球式車両用、LED 式歩行者用、LED 式車両用の各信号機が「進むことができる」を点灯しているときに撮影した写真を示し、

電灯式歩行者用のものが、最も緑色がかっている気がするが、おおむね「青」といっても支障のないような色である。

と述べている。また、交通信号の色については、国際照明委員会 (CIE) が赤・緑・黄の3色としていること、わが国では、道路交通法施行令第2条に基づき、第2次世界大戦直後に、当初の緑から青信号に変更したこと、色覚障害(赤緑色覚異常)に配慮する観点からは、青に近い色がよい、など、交通信号の現状をよく観察、調査し、解説した興味深い記事です。

 その直後、朝日紙で色覚障害者でも認識出来る信号機が開発されたことが報道されました。その新聞は既に廃棄していたので、インターネットで確かめると、毎日紙の2月7日夕刊に類似の記事(開発された信号機の写真入り)を見つけました。――黄色と赤色を識別しずらい色覚異常の人も見やすいユニバーサル信号機が、東京都港区の芝郵便局前(色覚異常の専門外来がある東京慈恵会医大付属病院の近く)の交差点に試験設置される。九州産産業大の落合教授(環境デザイン)が世界ではじめて開発した。全日本交通安全協会が約一ヵ月間、実用化に向け、利用者の声を聞く――とあります。筆者の解説記事掲載のタイミングのよさに感心しました。*

* Ted の注:タイミングがよいというより、偶然の一致です。

2012年2月17日金曜日

影と陰の一体曲線 (The Single Curve Made of the Shadow and the Shade)


 1枚目の写真は、1月31日のウォーキングの折に右手の赤い屋根が青空によく映えている様子に見とれて撮ったものである。掲載に当たってはトリミングを施すつもりだったが、左手に、撮影時に気づかなかった太くて黒い曲線が意外にも写っていた。それが面白いので、トリミングをしないまま掲載した。歩道と車道との間の柵には、そのような曲線状の影を作るような太い横桟はない。曲線の左右での柵の影のずれから、歩道・車道間の段差によるものと思われるが、手前では、段差の側面は見えていないはずで、段差の影のみが黒線を形作っているだろう。他方、道路が右へカーブし始める辺りから前方では、側面(それ自身の陰の中にある)も見えているはずである。つまり、黒い曲線は、前方へ行くに従って影が陰を取り込んで一体となったものと思われる。

 2枚目の写真は、1月30日に撮ったもので、これも影が面白い。午後のまだ早い時間だったが、冬の陽は木々の影を長く映して、道に美しい模様を作っている。

On the occasion of walking exercise on January 31, I was fascinated by the red roof shining well under the blue sky and took the upper photo. Trying to crop it for posting here, I found, on its left, a thick, black curve, of which I had been unaware when shooting. The origin of the curve was a little mysterious, so that I am posting the photo without trimming. The fence between the sidewalk and the roadway does not have such a thick horizontal bar that would make such a shadow. From the mismatch of the shadow of the fence at the left and the right of the curve, it seems that the curve was made by the difference of the heights between the sidewalk and the roadway. Portion of the black curve nearer to my camera must be made only of the shadow of the side face, because the side face itself is unseeable from that position. On the other hand, portion of the black curve further than that, where the road turns gradually to the right, should consist of both the side face, in its own shade, and its shadow. Namely, the black curve is considered to be the shadow that captures more of the shade as it goes further.

The lower photo, taken on January 30 in Tsukuno-minami housing complex, also shows intriguing shadows. Though it was still early in the afternoon, the sun of winter was projecting long shadows of trees on the road to make a pretty pattern.

2012年2月15日水曜日

不整合の整合 (Consistency of Being Inconsistent)


 2012年2月14日付けの朝日紙に、同紙のデジタル版を広告するページがあり、そこに「就活」こと就職活動を応援する特集が充実したとして、「就活メーク」を動画で習得できることを紹介している(上掲のイメージ上部)。他方、同日同紙の「天声人語」欄(上掲のイメージ下部)は、漱石の『草枕』から「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」という一節を引いて、就職活動での没個性化を嘆き、「同調圧力に抵抗力のある人は頼もしい」と述べている。

 これらの二つの記事は、一つの新聞の内容としては相矛盾している。しかし、没個性化を応援する動き*と、没個性化を嘆く論とが互いに自由に表現されているのは、社内が没個性化していない証拠と見れば、その状況は天声人語子の主張と合致している。一見不整合なところに整合性がある興味深い例である。

 ちなみに私は、大学院の指導教授が建設に尽力し所長を兼務することになったばかりの研究機関に推薦の形で就職したので、「就活」を必要としなかった(いまほど盛んな「就活」をする時代でもなかったが)。もしも、私が「就活」をしたとすれば、個性を出したほうだろうか、どうだろうか。


*「就活メーク」の記事中には、就活メークの分かっていない学生のメークについて「自分らしさが出ない人も多い」という箇所があり、就活メークのすすめは必ずしも没個性化のすすめとはならないとの見地で書かれているようだ。しかし、上掲のイメージ中、中央のメークがよくて、下のメークがよくないとするのは、没個性化であろう。


The Asahi Shimbun dated 14 February, 2012, carried a page advertising the digital edition of the newspaper. There, it is described that feature articles to help shukatsu (job hunting) have been much developed and that you can learn by a video how to make yourself up for shukatsu (upper part of the above image). On the other hand, the Vox Populi, Vox Dei column of the newspaper of the same day (lower part of the above image) quotes the following passage from Soseki's novel Kusamakura: "Civilization uses all the means to develop individuality and next uses every method to eliminate individuality." Then the writer laments the loss of individuality in job hunting by saying, "Those who are resistant to the pressure on individuality is reliable."

These two articles are inconsistent as the contents of a single newspaper. However, we can regard this as the free appearance of both the intention to help job hunting and the lamenting of the trend of job hunting. Here is the respect of individuality in the company of The Asahi Shimbun and is consistent to the insistence of the writer of Vox Populi, Vox Dei. This is a fascinating example of the case that inconsistency at first glance is, in fact, consistency.

By the way, I did not need shukatsu. This is because I got a job, by recommendation, at the research institute that was just established by the commitment of my teacher at the graduate course, who served concurrently as the director of the institute. (It was not even the period when job hunting as hard as now was necessary.) Would I have showed off individuality, if I had needed shukatsu?

2012年2月13日月曜日

『クロイツェル・ソナタ』(The Kreutzer Sonata)


トルストイの作品に刺激されて R・F・X・プリネが1901年に描いた
「クロイツェル・ソナタ」
Tolstoy's novella inspired the 1901 painting Kreutzer Sonata
by René François Xavier Prinet
[Public domain], via Wikimedia Commons.

Abstract: I reread Leo Tolstoy's novella The Kreutzer Sonata. It was early days of my becoming a first-grade student of a senior high school that I read this work for the first time, and I did not remember Tolstoy's message presented in the work through Pozdnyshev's talk. I first thought that this forgetting was due to my difficulty at that time to understand the message. However, I finally noticed that it was possibly due to my disagreement to the idea that totally denied sensual love. Anyway, the tragedy told near the end of the novella is extremely impressive, and this can be said to be one of the best literary works about the tragedy caused by jealousy, together with William Shakespeare's The Tragedy of Othello, the Moor of Venice. My memory about the first listening to Beethoven's Kreutzer Sonata (Sonata No. 9 in A Major for piano and violin, Op. 47) is also described. (Main text is given in Japanese only.)

 レフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』を読んだついでに、高校一年の初め頃に呼んだ記憶のある『クロイツェル・ソナタ』(1899) も読んだ(『新潮世界文学』版 [1] による)。この作品の題名は、作中の一場面にベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番が出て来ることによる。『岩波文庫解説総目録』[2] には、この短編小説について、次の通りに紹介してある。

嫉妬にかられて妻を殺害した男の告白という凄惨な小説。殺人事件にまで発展した嫉妬心が、夫の心の中でどのように展開していったかをトルストイは克明・非情に描き出している。その間、恋愛・結婚・生殖など、すべて性問題に関する社会の堕落を痛烈に批判し、最後に絶対的童貞の理想を高唱する。


 この作品は「わたし」が汽車で乗り合わせた紳士ポズドヌイシェフが車中で語る形で展開している。そして、上記解説中の「恋愛・結婚・生殖など…高唱する」のも、ポズドヌイシェフの言葉として述べられているが、解説 [3] には、「説教家トルストイの意見が生のまま披瀝されている感がある」とある。実際、1890年に発行された『クロイツェル・ソナタへのエピローグ』中には、トルストイが『クロイツェル・ソナタ』で意図しているメッセージを明かして、「肉体的愛は人類の価値ある目標の追求の妨げになる」旨を述べている [4]。

 同じ文献 [4] には、1908年、トルストイの生誕80年にあたっての国際的祝祭の折に、イギリスの作家ギルバート・ケイス・チェスタートンがトルストイのこの考えは「人間であることを嫌うもの」と批判したことが述べられている。私も『クロイツェル・ソナタ』でトルストイが意図したメッセージは行き過ぎていて、同意出来ないので、読後にはそういう「理想」が述べられていたことなど、記憶に残らなかったほどである。再読を始めたときには、ポズドヌイシェフの語る「恋愛・結婚・生殖など」の論が初読において記憶に残らなかったのは、それらがまだ理解出来ない年齢だったからかと思ったが、必ずしもそうではないであろう。そうした論が説得性を欠いている反面、終盤での劇的場面の告白からきわめて激しい印象を受けたことが原因だろう。

 「嫉妬にかられて妻を殺害」するというテーマはウィリアム・シェイクスピアの『オセロ』でも扱われているが、これは奸悪なイアーゴウという人物の企みによって生じた嫉妬がもとになっている。他方、『クロイツェル・ソナタ』での嫉妬は、ヴァイオリンの上手な友人トルハチェフスキーと妻の親密さを見て、自らの心情に発したものであり、ポズドヌイシェフが裁判で無罪になったといっている点に疑問が湧かなくもない。文献 [3] によれば、俳優アンドレーエフ・ブルラークがかつて汽車の中で見知らぬ客から妻に裏切られた夫の苦しみについての告白を聞いたと、トルストイに話したことが執筆の動機になったということである。ともあれ、『オセロ』と『クロイツェル・ソナタ』は嫉妬に基づく悲劇を描いた文学の双璧であろう。

 この作品の中で実に効果的に使われているベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番を私が最初に聞いたのは、学生時代に同じ下宿にいた二、三歳年長の N さん(いまは亡き彼もヴァイオリンが好きだったようだ)にレコードで聞かせて貰ったときである。彼は楽譜を広げて、「いまは、ここ、…ここ…、…ここ…」と親切に譜面を指差しながら聞かせてくれた。私は楽譜は読めないのだが、音の相対的な流れを目で同時に追いながらの鑑賞も面白いものだと思った。その感激とともに、トルストイの『クロイツェル・ソナタ』も想起していたに違いない。この小説の初読の記憶では、悲劇の直前の場面でこの曲が演奏されていたことになっていた。しかし、それは年月を経るうちに私の頭の中で改作されたものであった。

文 献

  1. 原卓也 訳, クロイツェル・ソナタ, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 643 (新潮社, 1971).
  2. トルストイ/米川正夫 訳 クロイツェル・ソナタ, 岩波文庫解説総目録(中), 岩波文庫編集部編, p. 881 (1997).
  3. 木村浩, トルストイの作品, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 879 (新潮社, 1971).
  4. The Kreutzer Sonata, Wikipedia: The Free Encyclopedia (26 January 2012 at 00:44).

2012年2月11日土曜日

『生きる』と『イワン・イリイチの死』(To Live and The Death of Ivan Ilyich)


『新潮世界文学』トルストイの巻の一部。
Part of Tolstoy volumes of "Shinchō Sekai Bungaku."

Abstract: A comparison is made between the Japanese film Ikiru (To Live) (1952) directed by Akira Kurosawa and Leo Tolstoy's novel The Death of Ivan Ilyich (1886). The conclusion is as follows: Getting a hint from The Death of Ivan Ilyich, the theme of which was the fear of death, Ikiru was made an entirely different work, the main theme of which is how to live a short, remaining life meaningfully. (Main text is given in Japanese only.)

 先日 TV で見た1952年の黒澤明監督による映画『生きる』について、「脚本はレフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』が下敷きにされており、作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている」とあったので、そのトルストイの作品 [1] を読んでみた。まず、それぞれのごく簡単なあらすじを文献から引用しておくことが、両者の比較についての私見の客観的裏付けになるであろう。

 生きる:市役所の市民課長、渡辺は、自分が余命いくばくもないことを知りがく然とする。自暴自棄になった彼だったが、希望に燃える若い女性事務員の姿に、自分も生きがいを見つけようと模索。悪疫の源となっていた地区に清潔で新しい児童公園を作ろうと全力で奔走する [2]。

 イワン・イリイチの死:一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながら諦観に達するまでを描く [3]。


 これらのあらすじでいえば、『生きる』の「自暴自棄になった」までは、『イワン…』の「死の恐怖と孤独にさいなまれ」までに、よく対応している。そして、強いていえば、『生きる』の後半、「希望に燃える…全力で奔走する」は、『イワン…』の「諦観に達する」に対応している。

 しかし、『生きる』の主題はその題名が示しているように、主人公が短い余命をどのような生きがいを見つけて生きたかを描いた後半にあるのに対し、『イワン…』の主題は「死の恐怖」にあると思われる。『イワン…』の主人公が「諦観に達する」といっても、それは死の一、二時間前のことで、作品の長さにすれば95%以上終わったところにおいてである。つまり、両作品の主題は、それぞれ生と死という対極を扱っているといえるであろう。したがって、『生きる』の脚本が『イワン…』を下敷きにしているといっても、それは、『安城家の舞踏会』が『桜の園』を下敷きにしている([4] 参照)のとは大いに異なり、むしろ「『生きる』は『イワン…』にヒントを得ながら、趣きの全く異なる作品に仕上げたもの」というべきかと思う。

 なお、[5] によれば、『イワン…』はチャイコフスキー、モーパッサン、ロマン・ロランらが激賞した作品だとのことである。

 余談ながら、『イワン…』を読みながら、私は自分が高校2年のときに書いた拙い創作「夏空に輝く星」[6] を思い出した。「夏空…」において主人公の悩みを記した文章が、『イワン…』においての主人公の苦しみの記述に、それとなく似ているように思われたのである。自分の文を文豪のものと比較することは大それてはいるが、当時私はトルストイと漱石の相当な愛読者だったので、私の書くものが彼らの作品から影響を受けていたことは、十分にあり得ることなのだ。

文 献

  1. レフ・トルストイ, イワン・イリイチの死, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 455 (新潮社, 1971).
  2. BS シネマ:山田洋次監督が選んだ日本の名作100本~家族編~アンコール「生きる」1952年・日本, NHK BS オンライン、映画カレンダー (2012年2月).
  3. トルストイ/米川正夫 訳 イワン・イリッチの死, 岩波文庫解説総目録(中), 岩波文庫編集部編, p. 880 (1997).
  4. 『安城家の舞踏会』と『桜の園』の比較 (Comparison between A Ball at the Anjō House and The Cherry Orchard) Ted's Coffeehouse (2012年2月7日).
  5. 木村浩, トルストイの作品, 新潮世界文学 20:トルストイ V, p. 879 (新潮社, 1971).
  6. 「夏空に輝く星」(初出, 新樹, No. 5, p. 106 (石川県立金沢菫台高校生徒会, 1954); PDF 版, 2011).

2012年2月9日木曜日

映画『生きる』と『おかあさん』(Japanese Films To Live and Mother)


『生きる』に主演の志村喬
Takashi Shimura in the film To Live
By Robert8528 (Own work) [Public domain],
via Wikimedia Commons.

 このところテレビの NHK BS プレミアムで古い邦画を見るのに忙しい。さる2月6日には1952年の黒澤明監督 (1910–1998) による『生きる』を、2月7日には同じく1952年の成瀬巳喜男監督 (1905–1969) による『おかあさん』を見た。

 『生きる』は私の母が封切りのときに見て、主演の志村喬 (1905–1982) がブランコをこぎながら「ゴンドラの唄」[1] を歌う場面を聞かせてくれたことを記憶している。母が50歳、私が高校2年生のときのことになる。ブランコの場面以外にも、あら筋を聞いたのかもしれないが、全く覚えていなかった。母の死去の年齢を過ぎて、いまこの映画の全貌を知った次第である。『ウィキペディア』の説明 [2] に、「脚本はレフ・トルストイの『イワン・イリイチの死』が下敷きにされており、作中にそれを暗示するせりふも盛り込まれている」とあり、『イワン・イリイチの死』を読み始めている。

 『おかあさん』の主演は田中絹代 (1909–1977)。その長女役を演じた香川京子(1931–)が可愛らしい。折しも朝日紙夕刊に香川へのインタビュー記事が連載中である。2月7日の2回目の記事に、同じ成瀬巳喜男監督のもとで一つ前の『銀座化粧』で田中絹代の妹分役として出演した手応えについて尋ねられた香川は、「成瀬監督は、静かな方でしたけど、ご覧になる目が厳しかった」と語り、田中絹代については、「田中さんは、次の『おかあさん』などでもご一緒しましたが、役に向き合う姿勢がすばらしく、近づきたいと思いました」と述べている。

文 献

  1. 「ゴンドラの唄」, YouTube (歌・初音ミク、字幕に映画『生きる』の解説が出る。ただし、読みづらい).
  2. 「生きる (映画)」, ウィキペディア フリー百科事典 [2012年1月9日 (月) 14:19].

On Monday and Tuesday this week, I watched on TV the Japanese films To Live by Akira Kurosawa and Mother by Mikio Naruse, both released in 1952. As for the former film, I remember this: My mother saw it when it was released and told me about the scene of the leading actor Takashi Shimura singing "The song of the gondola" on a swing. I have understood all the story of the film at last. As for the leading actress Kinuyo Tanaka in the latter film, I happened to read Kyoko Kagawa's words about her, which appeared in the interview article in The Asahi Shimbun issued just on Tuesday. Kagawa played the role of the beautiful first daughter in Mother and is reported to have said that she wanted to act like Tanaka whose attitude of getting into the character of the play had been marvellous. (Abridged from the Japanese version.)

2012年2月7日火曜日

『安城家の舞踏会』と『桜の園』の比較 (Comparison between A Ball at the Anjō House and The Cherry Orchard)


Abstract: The other day, I watched the 1947 Japanese movie Anjō-ke no Butōkai (A Ball at the Anjō House) on TV. Then I learned that the film was based on Anton Chekhov's play The Cherry Orchard. So, I have read the play in a Japanese translation again and made a comparison between the film and the play. Atsuko in Anjō-keno Butōkai seems to hold a more significant role to strive for the new life in the future than Anya, who plays a similar role together with Trofimov in The Cherry Orchard. Some other noticeable differences are also described. (Main text is given in Japanese only.)

 先日テレビで見た1947年の日本映画『安城家の舞踏会』がアントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を下地とした作品と知り、学生時代に読んだ『桜の園(四幕のコメディ)』[1] を再読した。『桜の園』は没落した地主一家が過去の栄華に執着しながら、数かずの思い出を秘めた所有地「桜の園」を手放す様子を描いている。そして、これは当時の社会的変動(農奴解放)を一荘園の生活に縮写した戯曲とされている [2]。他方、『安城家の舞踏会』は、太平洋戦争終結直後の変革の中で没落する名門華族・安城家の人々を描いている。安城家は、これまで通りの生活をするために全てのものを手放し、いまや抵当に入れた家屋敷まで手放す時が来て、過去の暮らしが夢のように消えて行く最後を記念するために舞踏会を催すが、その裏に家族最後のいろいろなあがきがあった [3]。

 『桜の園』の主な登場人物は次の通り。「その」はいずれも「女地主の」を意味する。([1]、[4] による。カッコ内は筆者の付記。)

  • ラネーフスカヤ:女地主。
  • アーニャ   :その娘、17歳。(トロフィーモフを愛している。)
  • ワーリャ   :その養女、24歳。(ロパーヒンに気がある。)
  • ガーエフ   :その兄
  • ロパーヒン  :商人。(競売で「桜の園」を買うことになる。)
  • トロフィーモフ:大学生。
  • ピーシチク  :近郊の地主。
  • シャルロッタ :アーニャの家庭教師。
  • エピホードフ :事務員。
  • ドゥニャーシャ:小間使い。(エピホードフにプロポーズされていたが、ヤーシャに惚れてしまう。)
  • フィールス  :老僕、87歳。
  • ヤーシャ   :ラネーフスカヤの若い従僕。(女地主とともに、パリから帰る。)

 『安城家の舞踏会』の登場人物を、『桜の園』にほぼ対応する順序に並べてみると、次の通りとなる(主な登場人物の数は同じであるが、『安城家の舞踏会』は家族の数を多くしてあるので、完全な対応は取れない)。登場人物名直後のカッコ内は演じた俳優。「その」はいずれも「安城家当主の」を意味する。(人物の説明は [5] により、カッコ内のみ筆者が付記した。)

  • 安城 忠彦(滝沢 修): 安城家当主。華族の生活を捨てられない。
  • 安城 敦子(原 節子): その次女。家の没落に現実的に対応しようとする。
  • 安城 昭子(逢初夢子): その長女。出戻り。気位が高い。
  • 安城 正彦(森 雅之): その長男。放蕩息子。
  • 春小路正子(岡村文子): その姉。
  • 由利 武彦(日守新一): その弟。忠彦に代わり借金の件で新川と交渉している。
  • 新川龍三郎(清水将夫): 闇会社の社長。借金の形に安城家の屋敷を手に入れようとしている。
  • 新川 曜子(津島恵子): 新川の娘。正彦の許嫁。
  • 遠山 庫吉(神田 隆): 運送会社社長。安城家の元運転手。昭子を愛している。(最終的に屋敷を手に入れる。)
  • 千代  (村田知英子): 忠彦の恋人。芸者。忠彦の妻となる。
  • 菊    (空あけみ): 安城家小間使。正彦と恋仲。
  • 吉田   (殿山泰司): 安城家家令。忠彦の幼い頃から屋敷で働いている。

 『桜の園』の若い娘アーニャは、恋人トロフィーモフとともに、新しい生活を積極的に求める役を果たしているが、『安城家の舞踏会』の敦子は、一人でその役を背負っており、存在感がはるかに強いように思われる。また、『桜の園』よりも『安城家の舞踏会』の方が、緊迫感という面での劇的要素を多く含んでいるようである。そのことは、例えば、どちらにもピストルが登場しながら、『桜の園』では第2幕でエピホードフが言葉に出すだけであるのに対し、『安城家の舞踏会』ではそれが危機的な場面を2度も作り出していることや、後者には正彦が曜子を手込めにしそうな場面があること、いったんは新川龍三郎の手に渡った屋敷が、さらに遠山の手に渡ることなどに見られる。

 他方、『桜の園』は作者自身が「四幕のコメディ」という副題をつけている通り、喜劇的要素を含んでいる。「ボードビル的な、あるいは衝撃的な登場人物…中略…。彼らをその上に乗せて展開する舞台の底流に、滅びゆく古い生活への哀愁がただよっていなかったならば、この戯曲は作者が呼んだとおり愉快な喜劇の舞台を繰りひろげたことだろう」との批評がある [6]。また、社会問題にふれる長広舌の見事さにおいては、『桜の園』が勝っているように思われる。たとえば、第2幕でトロフィーモフがインテリゲンチャの怠惰と労働者の条件の劣悪さについて語ったり、終末を迎えた農奴制を批判したりするくだりにそれが見られる。——ただ、戯曲の活字と映画の印象から両者の正確な比較をすることは、いわば土俵が異なっていて、はなはだ困難である。

文 献

  1. チェーホフ作, 湯浅芳子訳, 桜の園 (岩波, 1950).
  2. 「桜の園」, 岩波文庫解説目録 (中) 岩波文庫編集部編 (岩波, 1997) p. 891.
  3. 「安城家の舞踏会」, goo 映画.
  4. 「桜の園」, ウィキペディア フリー百科事典 [2011年10月19日 (水) 17:00].
  5. 「安城家の舞踏会」, ウィキペディア フリー百科事典 [2011年12月12日 (月) 10:36].
  6. 池田健太郎, 解説:チェーホフの生涯と作品, 『新潮世界文学23 チェーホフ』p. 747 所収 (新潮社, 1969).

2012年2月5日日曜日

映画『めし』(The film Repast)


原節子
Setsuko Hara. Source: Japanese actress photo album before World War 2
[Public domain], via Wikimedia Commons.

 一昨日もまた、NHK BS プレミアムで原節子が出演する映画を見た。1951年公開の成瀬巳喜男監督による『めし』である。原作は同年に『朝日新聞』に連載された林芙美子の長編小説。大恋愛の末に結ばれた岡本初之輔(上原謙が演じている)と三千代の夫婦が、結婚から五年を経て倦怠期に入っているという物語である。原節子は三千代の役を好演しているが、私はこの役は彼女に相応しくない感じがした。特に結末が保守的で気に入らないし、そのあたりの場面も彼女に似つかわしくない。しかし、原が演じたことで、この作品は明るいものになったと言えよう。

 上記の感想は私が原節子をひいきするあまりのものかと思ったが、『ウィキペディア』[1] の説明には、原作は連載中に林が急逝して、未完の絶筆となり、映画化にあたり成瀬らによって独自の結末が付与されたとある。そして、映画独自の結末には林文学のファンなどからは批判を受けることもあり、「この夫婦は別れるべきだった」という意見がある*、と記されている。林の文学をよく知らない私も、林のファンと同じ感想を持ったのである。——もう一つ感じるのは、大抵の感想は、インターネット上に同様のものが見つかる時代になったということである。

* 文献1には、「林自身はそのような想定をしていた」という引用文も記されているが、この中の「そのような」は、直前の「この夫婦は別れる」を指すのか、あるいは、もう少し前の「映画独自の結末」を指すのか、不明瞭である。その後に、「なお林自身がどのような結末を想定していたかは不明である」と記されていることを考えれば、この引用文は不要のものである。

文 献

  1. 「めし」, ウィキペディア フリー百科事典 [2011年5月16日 (月) 12:38]

The day before yesterday, I saw, on TV (the NHK BS premium channel), another film in which Setsuko Hara played. This 1951 film, directed by Mikio Naruse and entitled Meshi (Repast), is an adaptation from the novel of the same title written by Fumiko Hayashi and carried in a series in The Asahi Shimbun. The story is about the couple, Hatsunosuke Okamoto (played by Ken Uehara) and Michiyo, who became weary of their marriage after five years from the fulfilment of their passionate love. Setsuko Hara plays the role of Michiyo quite well, but I think the role is not suitable for her. Particularly, I do not like the end of a conservative approach and think that last scenes are unsuited to Hara. However, this film became a pleasant one because of Hara's performance.

I thought that the above impressions might be peculiar ones caused by my fondness for Hara. However, the Wikipedia page [1] of this film tells us the followings: the author Hayashi suddenly died without completing the novel "Meshi." So, in making the film, Naruse and his coworkers made the final scenes according to their own idea. Thus, fans of Hayashi's novels sometimes criticize the ending of the film by saying,* "The couple should have been divorced." This shows that I, who am not well acquainted with Hayashi's novels, had the same view as that of Hayashi fans. — Another thing I think is this: It is such an age that one often finds an opinion similar to one's own on the Internet.

Note

* In Ref. 1, another quote is given as follows: "Hayashi herself had such a plot in her mind." However, it is not clear which "such a plot" means, the couple's divorce or the ending employed in the film. Thereafter it is written that Hayasi's own plot for the ending is unknown. Considering this, the second quote is unnecessary.

Reference

  1. "Meshi," Wikipedia: Free Encyclopedia, Japanese edition (Monday, May 16, 2011, 12:38).

2012年2月3日金曜日

映画『安城家の舞踏会』(The film A Ball at the Anjo House)


『安城家の舞踏会』で演じている原節子
Actress Setsuko Hara (1920–) in the film A Ball at the Anjō House (1947).
By unknown (http://www.geocities.jp/yurikoariki/harasetuko)
[Public domain], via Wikimedia Commons.

 昨日、NHK BS プレミアムで1947年の吉村公三郎監督による映画『安城家の舞踏会』を見た。太平洋戦争で日本の敗戦によって名門華族一家が見舞われた悲劇を描いた作品である。出演者は、原節子、滝沢修、森雅之ら。安城家の次女敦子は、没落の中にあって父を支え、現実的な対応のために一家の采配を振るう。その役を喜びや悲しみの表情も豊かに演じる原節子の存在感が圧倒的である。

 場面の展開にはどこか外国の演劇を思わせるものがある。敗戦後わずか二年目に、このような優れた映画作品が生まれていたとは、いままで知らなかった。インターネットで調べると、「アントン・チェーホフの戯曲『桜の園』を下地とした作品」[1] ということや『キネマ旬報』1947年邦画ベスト・ワン作品* [2] ということが分かった。これらのことは、上記の私の感想をしっかり裏付けるものである。

 私は湯浅芳子訳の『桜の園』[3] を持っている。読んだのは大学生時代のことで、ストーリーをすっかり忘れてしまっているので、再読を始めた。私の若い頃、母は「外国の小説は登場人物の名前が覚え難くて、読みづらい」といっていた。当時の私は、そんなことがあるものかと思っていたが、いま『桜の園』を読み始めてみると、巻頭の登場人物一覧のページをしょっちゅう見る必要を感じる。

* この年の洋画ベスト・ワンはアルフレッド・ヒッチコック監督のロマンティック サイコスリラー映画『断崖 (Suspicion)』。また、その前年は、邦画が木下惠介監督の『大曾根家の朝』、洋画がレオ・マッケリー監督の『我が道を往く (Going My Way)』となっている。


文 献

  1. 「安城家の舞踏会」, ウィキペディア フリー百科事典 [2011年12月12日 (月) 10:36].
  2. 「キネマ旬報」, ウィキペディア フリー百科事典 [2012年1月18日 (水) 13:31].
  3. チェーホフ作, 湯浅芳子訳, 桜の園 (岩波, 1950). [現在の岩波文庫版は小野理子訳 (1998).]

Yesterday, I saw the 1947 film Anjō-ke no Butōkai (A Ball at the Anjō House) directed by Kōzaburō Yoshimura on TV (the NHK BS premium channel). This film depicts a noble family's misfortune caused by the defeat of Japan in World War II. Performers are Setsuko Hara, Osamu Takizawa, Masayuki Mori, et al. Supporting her father, the second daughter Atsuko Anjō leads the family for practical response to the situation. Setsuko Hara impressively plays the role of Atsuko with her rich facial expressions of joy and sadness.

The scene of the film progresses like something reminiscent of a foreign theater. I have learned for the first time that such a brilliant film was made only two years after Japan's defeat. On the Internet, I have found the statements that the film was made on the basis of Anton Chekhov's play The Cherry Orchard [1] and that it was the top of the best domestic films in 1947 chosen by Kinema Jumpō [2]. These facts strongly support my view written above.

I have a copy of the Japanese version of The Cherry Orchard translated by Yoshiko Yuasa [3]. I read it in my student days and have totally forgotten its plot. So, I have begun to read it again. When I was young, my mother said to me, "It is hard for me to read foreign novels, because I cannot remember the names of characters." At that time, I thought that it was nothing so hard. However, I now find myself quite often looking at the page of dramatis personae at the top of the book The Cherry Orchard.

References

  1. "Anjō-ke no Butōkai (A Ball at the Anjō House)," Wikipedia: Free Encyclopedia (Monday, December 12, 2011, 10:36) in Japanese.
  2. "Kinema Jumpō," Wikipedia: Free Encyclopedia (Wednesday, January 18, 2012, 13:31) in Japanese.
  3. A. Chekhov, Sakura no Sono (The Cherry Orchard), translated into Japanese by Yoshiko Yuasa (Iwanami, 1950). [At Iwanami, they now sell a new edition translated by Michiko Ono (1998).]

2012年2月1日水曜日

お知らせ (Notice)


 目に疲労の症状が少しばかり出ましたので、しばらくインターネットの使用を控えめにします。

Because of a slight symptom of eye fatigue, I'll use the Internet not so much for some days to come.