2005年1月31日月曜日

精神生活の遊離


高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月31日(木)晴れ

 むやみに感動詞を発したくなる。雲間を抜け、野原に遊び、地に潜り…、さまよう、さまよう。しまいにはさまよい場所が分からなくなる。――精神生活だけが、全体の生活から遊離しようとしているのかも知れない。

 アセンブリーは、金大の村上教授の講演。昨年の渡米視察に基づいた「アメリカのハイスクール」という話。話のあらゆるところから、日光を満面に受けて飛び回っている感じの、活動的、積極的、実際的なアメリカの学生の姿がうかがわれた。Sam のホームルーム・アドバイザーが昨年11月19日に話したという事柄 [1] についての話題も出たが、アメリカのそれは、じつにはっきりしている [2]。

 掃除をして帰ったら、4時。反省と思索をしていたら5時になる。目は樺色の雲に、心は届くかぎりの世界へ。もう1時間このままにしている、というのも一つの魅力だが、机上には、広げられるのを待っている本とノートがある。ああ、バカだった。動詞で比較級を作ったバカ。このバカに誰が…。おう、無能力者よ、慎め。

 KJ君が、trade という語を誤って解釈していたと、AS・X子さんとか(彼の兄さんが家庭教師に行っていた旅館の人だ)に葉書を書いていたが、…たとえ先方が気づいていなくても、過失を謝ることは不必要ではない。とすると…。しかし、その前に、『新樹』の原稿に書いた最後の文章が実行出来ていなければならない。[3] …「歌の花暦」[4] が始まった。

(Sam)

 Grammar and Composition は、先生が「大学入試問題にあったのだが」といって、participial construction の問題を三題出される。例を一つ書けば、"Having finished my work, I went out for a walk."(新潟大)というのを、"After I had finished my work, I went ..." とすればよいのである。訳は書かなくてもよかったから、そんなに難しいことはなかった。誰よりも先に持って行ったら、黒鉛筆で三つ丸をつけたあと、「誰にも見せてはいけません」といわれたが、席に帰ってから二分ほどで時間が終ってしまった。何だ、四十分もかかったのかって。違う違う。三十分ばかり授業があったあとで出題されたのだ。
 解析はきょうから指数関数のところだ。


 引用時の注

  1. 生徒の男女交際。

  2. 開放的である、の意か。

  3. 「とすると…」というのは、何か些細なことで、ある相手に謝らなければ、ということだったようだ。続く文には、その相手が『新樹』誌への投稿原稿の主題に関係のある女生徒であることが示唆されている。「先方が気づいていなくても」彼女に謝りたいと思っていた理由は、前年の5月頃に送った手紙に誤字か間違った記述があった、ぐらいのことだろうが、何かの口実で会いたい気もあったのだろう。

  4. NHK ラジオ番組の名前。午後8時台の番組だったとすれば、最後のパラグラフだけは、夕食後に書き加えたことになる。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

poroko 02/01/2005 00:16
 写真は朝ですか、夕方ですか? 美しいですね。最近、朝焼けも夕焼けもあまり見ていないです。

Ted 02/01/2005 07:41
 引用した高校時代の日記に「…5時になる。目は樺色の雲に、…」とありましたので、同じ午後5時頃に、たまたま見られた夕焼けを撮りました。

作家を鼓舞する終末論:川西政明著『小説の終焉』

 先月、他の岩波新書2冊を買ったついでに、「120年の歴史が積みあげてきた豊饒な小説世界を語る」という帯の言葉に惹かれて、同じ新書の表記の本 [1] を買った。まず、目次を見ると驚く。本書は、I から III までの3部に分けられており、各部はそれぞれ四つ、五つ、および六つの章からなるが、これらの15章すべての題名に「終焉」がついている。以前読んだ科学の終焉に関する本 [2] を思い出した。科学の終焉は、その本の著者 J. ホーガンが予想するほど早期に到来するものではない、と多くの反論があったし、私もそう思った。

 『小説の終焉』中のいくつかの章題を、「終焉」を略して記せば、次のようなものである。第 I 部に「私」、「性」、第 II 部に「芥川竜之介」、「大江健三郎」、「村上春樹」、第 III 部に「戦争」、「存在」など。

 作家が同時代の社会的あるいは政治的テーマを扱い、それが時代の変遷によって、今日的なテーマでなくなったという意味では、終焉もあるであろう。しかし、同様な問題が現在なお多少形を変えて存在している場合がきわめて多い。また、一人の作家が死亡すれば、その人の新たな作品がもう世に出ることはないという意味では、その作家の終焉ではある。しかし、彼または彼女が提起した文学的課題、あるいはその作風の与える影響が生き続けているならば、その作家について終焉といってしまってよいだろうか。

 疑問はそれだけではない。著者・川西は、現存の作家についても終焉を迎えたとし、また、「性」、「戦争」、「存在」など、永続的なテーマにも終焉を宣言する。読者は、これはいったいどういうことか、終末論者には将来への展望はないのではないかなど、いぶかりながら読まされる。

 川西は本書において、多くの小説家の人生とその作品をより合わせて巧みに紹介しており、読者は、たくさんの小説の血の通ったあらすじを楽しむことが出来る。著者はそうした紹介を通じて、それらの作品に共通して扱われたテーマ、あるいは一つのテーマを追求した一小説家の役割が、狭い意味では、確かに終焉に至ったと見てよいことを示している。

 大岡昇平の『俘虜記』を紹介したあと、川西は

この昇平の指摘どおり日本は五十九年間、戦争を放棄しつづけた。それは日本人が世界にむかって誇っていいことである。

と記す。また、原爆文学の語り部・林京子の『長い時間をかけた人間の経験』の紹介に続いて、

「私」とともに被爆で死んだ友人、被爆直後に死んでいった友人、戦後に死んでいった友人、今なお原爆症をかかえて生きつづける友人が同じ道をあるいているのだ。そんな道が日本にはある。

と述べる。これらの言葉は重く受け止めなければならない [3]。しかし、次いで同じく林京子による『トリニティからトリニティへ』を紹介したあと、

林がここまで到達したことで、日本の原爆文学は終った。

としているのは、狭い意味でも「終焉」といえるかどうか疑問であり、「終焉」のつじつま合わせのように響く。

 「存在の終焉」の章では、埴谷雄高の『死霊』が長ながと紹介される。本文全210ページ中の20ページ、約1割を割いているのである。これは、バランス上問題ではないか。しかも、私は『死霊』のあらすじからは、この小説を読んでみたいという気は少しも起こらなかった。川西はこの一作の行き過ぎた紹介から、

この『死霊』をもって存在だけを考えつづけた小説の系譜は終焉したのである。

と、強引に結論している。

 しかしながら、「おわりに」の章を読むと、読者は著者の終末論の意図を知り、ようやく安堵する。そこには次のように書かれている。

小説が存続するためには、この次の百年にこれまでの百二十年の小説の歴史を大きく凌駕する豊饒な世界が創作されなければならない。その判断の土台になるものを提示するために、僕はこの『小説の終焉』を書いた。

――これは、二葉亭四迷の『浮雲』に始まる日本の近代小説の歴史を多数の小説のあらすじを通して紹介し、忙しい読者を楽しませる本である以上に、今後小説を書く人びとを鼓舞する本なのである。

 「おわりに」を読んだあとで、「はじめに」を再読すると、そこにも同様なことが記されていたことに気づく。

小説はつねに歴史とともに歩いてきた。…(中略)…今、その歴史が跡形もなく崩れている。これまでの歴史の上に立つ小説はもう書いてはいけない。

問題意識を持ち続けたあとにこそ、言葉はよく理解できる。

 後日の追記

 この記事を短縮したものを、アマゾンのカスタマー・レビューとして投稿した。そこでは、私は別のニックネームを使っている。


  1. 川西政明,『小説の終焉』(岩波, 2004).

  2. John Horgan, "End of Science: Facing the Limits of Knowledge in the Twilight of the Scientific Age" (Little Brown, 1997).

  3. けさの新聞にも、原爆症訴訟原告・東数男さん(79歳)の訃報が掲載されている。東さんは長崎で被爆。東京地裁で2004年、原爆症不認定処分の取り消し訴訟で勝訴。国側が控訴し、今年3月に東京高裁で控訴審判決が予定されていた(朝日新聞による)。

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/31/2005 14:35
 なるほど、そういう趣旨の本でしたか。それでも、小説の過去の歴史を壊す論を書く必要はないように思われますね。それに、作家と小説が密接に関連している場合もあると思うのですが(たとえば「大江健三郎ならさすが、なのだろう」「村上春樹作品なら新作は読みたい」などの一般大衆意識)、一旦小説が書かれれば、それは作家の手を離れて作品として生き残るか、また生き残らなくても、その時代、その時勢にあたえた重要な影響が何かあれば、それでよいのだと思いますし、そもそも小説をもっと「味わい愉しむ」ことに重点をおいて捉えるなら、純文学に限っても、小説の使命、などと意気込まなくてもよいように思います。
 しかし、戦争や原爆などについて書ける作家が今後日本において減っていくであろうことは、確かではないでしょうかね。日本での戦争体験がないのですから。SF、ファンタジーの領域では大いにあるのですが、「現実性」の問題意識が違いますものね。しかし、「戦争」の対義語が「平和」ではないと私としては、思うので、「平和」について今の時代風に新しく書ける作家が出てほしいとは思いますね。
 小説のテーマは、本書で大きく挙げられているものの他に、もっと沢山あると思いますよ。

Ted 01/31/2005 15:04
 私の紹介の仕方が悪かったかも知れませんが、川西さんは、「小説の過去の歴史を壊す論」として、終焉を唱えているのではなく、現在の作家たちの書くものに物足りなさを覚え、彼らに過去の作家たちを乗り越えて新しい取り組みへの努力を求めるため、あえて過去(ごく近いものも含めて)の課題はすべて終った、という言い方をしているのだと思います。
 「小説のテーマは、本書で大きく挙げられているものの他に、もっと沢山ある」には同感です。ただ、本書では、新書サイズにまとめるため、テーマを十分に網羅できなかったということもあるでしょう。

2005年1月30日日曜日

そらごとの多き世なり

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月30日(水)曇り一時雨

 体操は、バスケットボールを使って、毎時間同じことの繰り返し(パス、ドリブル、ランニングパス、ランニングシュート)。不平の声も出ているが、これでたくさんだ。
 I・S 先生[英語]は、徒然草の「とにもかくにも、そらごとの多き世なり。たゞ常にある、めづらしからぬことのまゝに心得たらむ、よろづ違ふべからず」というところを習わなくても、「そらごと」としか思えない話をされる。この小柄な先生の頭脳には何がつまっているのだろうと考えさせられた。
 S・T 先生[国語]は時間の後半に、霊魂不滅がどうとかの話から二百三高地だのと、筒音の聞こえるような話に入って行かれた。それで、アルバイト(その授業以外のことをこそこそとやることを、先生はこう呼ばれる)をしてもよいだろうと思い、TJ君に「次の単語の中の文字を取り出して、出来るだけ単語を作れ。immediately」と書いた紙片を渡した。ところが、彼は ill、in などと、i で始まるもの、m で始まるもの、e で、d で、…と、第2字以下へは immediately の中にない字もくっつけて、initials ゲームのなり損ねのようなことをしていた。
 Y・S 先生[解析I]が出て来られた。

(Sam)

 保健体育はきょうから跳び箱も加わる。長い間しなかったので、始めは出来そうもないと思ったが、二回ばかりするうちに、完全にとまではいかないが、一応出来るようになる。
 √(x2 - 1) > |x| を解こうとするのだが、「左辺より右辺の絶対値が小であるから、平方しても不等号の向きは変わらない」というのは正しいかね。


(Ted) それは理由にならない。「両辺ともに正だから」が、正しい理由だ。

Semboku Route 2 (泉北2号線)


 陽射しはあったが、寒波の影響で、昨日より寒い。ウォーキングには、珍しく東へ行き、泉北2号線沿いに少し南下。歩道橋上で北側の写真を撮る。右手に泉北下水処理場が見える。それより北、わが家の比較的近くにあった電器店・八千代ムセンが、いつの間にか K's デンキに変わっており、驚く。

It was fair and sometimes cloudy. A cold wave is hitting Japan, so that it was colder than yesterday. Went for a walk to the east side of my house. There runs Semboku Route 2. The photo shown here was taken on a footbridge over the route looking northward. On the right, Semboku Sewerage Disposal Center is seen.

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

すう 01/31/2005 00:08
へぇ~あそこも、K'sデンキになりましたか。関西家電は、上新だけになりましたね。

Ted 01/31/2005 07:42
 折しも、けさの朝日新聞に、関西系の電器店が関東系に食われている、という記事が載っていました。

2005年1月29日土曜日

「反省点綴」を反省

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月29日(火)曇り一時雨

 Y・S先生の代理で来られたT・K先生に質問したが、y=3 − √(8 − 2x + x2) がどんな形を取るかということぐらいで行き詰まっていた自分がばからしくなった。T・K先生の説明はよかった。
 国語の時間、塚本勝義編『体系的現代文学選』が配付される。内容については、これからの折おりに書くだろう。
 ホームルーム時は卓球大会。講堂でトーナメント式個人戦を行う。1回戦で負けて、ホームで早飯をしたので、誰が優勝したか知らない。対校戦出場経験のあるIK君も負けていたから、TK君あたりだろうか。
 図画、よくならない。重量感が乏しい。
 生物、Vicky ばかりが手を上げて、AS先生の信頼を得ている。日光をさえぎらなければならないことぐらい分かっていたが、水銀槽へ入っていない方の管に栓をしてないという図の欠点に気をとられて、手を上げ遅れた。
 『新樹』誌への原稿「反省点綴」が、同誌編集委員長YS君(3年生)から、パラグラフ毎に字数を記入するようにと、一旦返却された。——おう、くだらない。下水道を流れる水のような色しか感じられない。「M君。」と書き出してあるが、Samに読んで貰う気はさらにない。せっかく載せてくれるのに、こんなものを書いてしまって! 14枚、読んでいて退屈する。数カ所に引用させてもらったM君、すなわち Sam のことばだけが光を放っている。しかし、それらにも、ぼくのまずい脈絡と暗くて単調な文章が錆をかぶせてしまいそうだ。——

(Sam)

 明日試験なのだからといって、生物は自習にして貰った。しかし、何もすることがなく、あくびばかりしていた。先生の講義をノートしている方が、手が動いていて、退屈しない。
 "He went to sleep, thinking of his mother back home." の訳だが、Ted だったら、「家にいる彼の母を想って」とするかい、それとも「彼の母が帰宅するだろうと思って」とするかい。


[引用時の注]

 私が触れている『新樹』は、菫台高校生徒会発行の雑誌で、3年生の卒業を記念する意味もあり、各年度末に1回発行されていた。私の文「反省点綴」は第3号に掲載された。高校生になったばかりの4、5月頃の心境を日記をもとにまとめたものである。手元には私が3年生のときの第5号しか残っていない。粗末な紙で、184ページ。その号には、私が書いた創作「夏空に輝く星」(2年生の夏休みに国語の宿題として提出したもの)と「ヘンリー・ライクロフトの手記」(ジョージ・ギッシング著の同書の紹介)が掲載されている。

 「夏空に輝く星」といえば、われわれの学校の女生徒たちが、「恋愛小説?」「モデルは?」などと、そのうわさをしているのを、私の伯母が病院の待合室で、たまたま耳にしたそうだ。それは、『新樹』5号の発行前だったから、この作品が掲載されることをあらかじめ知っていた生徒は、『新樹』編集委員会のメンバーということになる。5号の編集委員長は同期のNKさんという女生徒だったが、彼女は体育祭の実行委員長もした頑丈な身体の持ち主だったし、家がその病院からは遠い区域だったから、そこへ来ていたとは考えにくい。うわさをしていたのは誰だれか? その謎を何十年ぶりかで、ふと思い出した。

Narcissuses in Full Bloom (スイセンが満開)

 小春日和になった土曜の午後、大阪の長居公園植物園へスイセンを見に行った。長居競技場の周囲では、明日の大阪国際女子マラソン大会の準備がなされていた。梅も咲き始めている。

It was fine and warm today. Taking lunch a little earlier, I went to the botanical garden of Nagai Park, Osaka, to look at narcissuses in full bloom. Around Nagai Stadium, preparation was being made for Osaka International Women's Marathon Race to be held tomorrow. Plum blossoms were also coming to bloom.

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

poroko 01/29/2005 21:26
It rained in Sapporo today. Unbelievable! Narcissuses are really beautiful, arn't they? I can't wait for spring !!

Ted 01/29/2005 22:03
You have to wait spring until May in Hokkaido, haven't you?

テディ 01/30/2005 00:33
Yesterday, it was like spring in Osaka. However, it seems that it gets cold again from today.

Ted 01/30/2005 08:23:41
Yes; please take care of yourself not to catch a cold.

2005年1月28日金曜日

名を聞くより、やがて面影は

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月28日(月)曇り

 体操で駆け足をしていて、転び、膝を打つ。
 何かの注射をした後で感じるような、柔らかいあいまいさと痛みとが精神に襲いかかる。四本だけを除いた両手の指と足の裏にまでもできている霜焼けも、いくらかこれに加勢する。歯医者へも行かなければならない。
 金融業の種類を挙げる問題で、「公益質屋」を単に「質屋」と書いたが、間違いではないだろう。解析は自習。したことはといえばゼロ。KJ君たちは早飯を、KS君たちは映画よもやま話をしていた。
 教科目の登録票を明後日までに書いて出さなければならない。ぼくの選択するものは、次の通り。
 世界史、解析II(昨年中は幾何と考えていたのだが)、物理、英語、国語乙、漢文、英語乙――必修の国語甲と保健体育を入れれば、計32単位(今年度までは30単位でよかったのだが、来年度から2単位多く履修しなければならなくなった)。

 徒然草71段の心理描写はまったく気に入った。「名を聞くより、やがて面影は推し量らるる心地するを、見る時は、又かねて思ひつるままの顔したるこそなけれ。」――全文を書き写したいのだが。Sam が読みたければ本を見て貰うことにしよう。

(Sam)

 体重測定がある。ぼくの体重は5ばかり三つ並んでいる。ホームルーム時は、単位登録または雪合戦の予定だったが、どちらもできなかったので、自由ということにした。


[引用時の注]高校時代の Sam の体重がこのときで 55.5 kg だったのに対し、私はやせていて、48 kg ぐらいだった。女生徒たちが陰で「青白きインテリ」と呼んでいたことを、のちに知った。いまは [身長 (cm) − 102] kg のほどよい体重、毎日のウォーキングで適当に褐色がかった顔をしている。

2005年1月27日木曜日

神よ、あわれな動物を嘲り給え

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月27日()曇り

 ●[引用時の注:黒丸は精神的に不安定な日だった記号]
 時を司る神よ。人間の意志を司る神(というものがあるとして)よ。われわれがそれを見て、ある時は感動し、ある時は美しい文につづり、またあるときは何も感じない森羅万象を創造する神よ。一つの方向を見ている時には、他の方角を顧みることを忘れるような、また、一心に見つめている一つの方向でさえ、十数センチも先になればもう見ることの出来ないような、そして三百六十度を覆う滑らかな円を描いたつもりでも、顕微鏡で見れば実にガタガタなものしか描けない、あわれな動物を嘲り給え。


(Sam)

 「当たって砕けろ。」これが "Go for broke." の訳になるらしい。だぶだぶの服を着た背の低い二世が新任のこちこちの少尉に会って、どうしたのだと尋問され、"They made me the pants too long." と答えた時などが面白かった。始めのうち、ジャップというのを誰かの名前かと思っていたが、あにはからんや日本人二世の蔑称だと知ってゲッソリした。半記録映画としては大したことはない。しかし、人種的偏見に対する抗戦には、見るべきものがあった。

 父の十五年の報恩講をする。きょうからやっと起き上がれるようになった母も一緒に参った。一時間ばかり読経が続いた。足がしびれかかった。時どき祖母が「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」を唱える。ぼくの頭の中には、午前中見に行った映画の戦傷した二世の兵士が、手首に数珠をかけて念仏を唱え、牧師に「私は仏教徒ですから…」といっていたところが、何度も出て来た。


[引用時の注:私がしばしば、読んでいる本の題名を示さないで、それを暗示するような書き方をしたのを真似て、Sam がこの日に見た映画の題名を書いていないのが惜しまれる。題名を推定できた方があれば、教えて下さい。]

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Nadja 01/27/2005 13:52
タイトルそのままの「Go for broke」、邦題は「二世部隊」1951年の映画ではないでしょうか。

Ted 01/27/2005 15:19
 "Go for broke" が原題名でしたか。Samは邦題を書かなくても、原題名を書いていたのですね。いわれてみれば、「二世部隊」という題名は、なぜか覚えています。ありがとうございました。しかし、Nadja さんはどうして、そんな古い映画をご存知なのでしょう。

2005年1月26日水曜日

談話は耳の遠い人たちの方便

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月26日(土)曇り時どき雪

………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………(これらの点々も感情をこめて―con mote―書いているのだから、読んでくれなくてはいけない)………………………………。自分の心に沿った、完全に近い行動を一日でも取ることは、何と難しいことか。明日の新聞の春場所星取り表で見る羽黒山の15の星のような毎日を送るように努めるのだ!

 「二十の扉」の解答者に、マケドニヤ王フィリップの子で、ギリシャ、ペルシャ、エジプトを征服し、インドに入ってバビロンに凱旋した大王が出て来たのかと思ったら、有木山太という人だった。源氏啓太がゲーテをもじっている類いだ。おやおや、Samのお母さんのような「動物の状態」に、危ないところで正解が出た。[引用時の注:「盲腸炎」が問題だったのである。]

(Sam)

1952年1月26日(土)雪

 一つの部屋に五人五様の人間がいる。そのうちの四人は、おのおの火鉢の一辺を占領して、思い思いの身体の部分を暖めながら仕事をしている。一人は『ポケット英和辞典』を出して、一生懸命に覚えようとしている。もう一人は世界史の本を見ている。他の一人は雑談の発電所をやっている。以上は三年生だ。ぼくは生物のノートを出して、忙しくページをめくっている。五人目は、他の誰からも無視された状態で、部屋の隅の椅子に腰かけて外を見ている。彼はとても勉強家だということだ。火鉢のまわりにいる人種にいわせると、泣いているのだそうだが、その理由はないらしい。皆がばらばらで、別のことを考えているが、とにかく無事に部屋の中にいる。――ブランクの時間のことだ。

 「礼儀作法の規則を定めなければならなかったのは、普通あまりにも安っぽすぎる世間の社交のひんぱんな会合を我慢ができるようにし、おおっぴらにけんかをしないようにするためだ」「他人とつきあっていては、最善の人と交わるにしても、やがて飽きがくるものだ」といった Henry David Thoreau のことばには、たしかに一面の真理がある。
 さらに、「まして私たちは、めいめいの心の奥に、ことばなどでは表現できない深いものを秘めているのだ。そういうものと親しく触れあいたいと思うなら、私たちは沈黙するだけでなく、とても声が聞こえないくらいに、からだとからだとが遠く離れていなければならないのだ。これを標準とすれば、談話というものは、要するに耳の遠い人たちのための方便なのである」とあるのを読むにいたっては、ほとほと恥ずかしくなった。Ted にもっとしゃべるようにといったことが、いかにもぼくの無思慮を暴露したみたいだ。
 だが、なかなか難しいよ。ぼくはまだまだ方便に頼らなければならない。


[引用時の注]

 私が触れている羽黒山(1914–1969)は、新潟県出身、立浪部屋の力士で、このとき東張出横綱として全勝し、3度目の優勝を果たした。1942年から1953年まで、12年間横綱に在位した。私が七尾市に住んでいた小学生時代、巡業で直接目にして覚えていた力士だったので、当時、私は彼のファンだった。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/26/2005 20:23
 本当に Ted さんの文章、思考は、将来の物理学者さんを予想させるような、すっきりとした意思が感じられて好いですね。
 Sam さんはよい本を読んでおられますね。私は、友人は限定版でしか付き合いをしていなくて、その場限りのおしゃべりには、私も高校時代に飽きてしまったので、ネットでもいろいろ模索した末、たどり着いたエコー!も実は基本的にそのような方針なのですよ。
 遠く離れていることの意味…、大切な人と、遠く離れて容易に連絡も取りづらくなると、よくわかることがありますね。ただ、多分、四方館さんだったら、めいめいの心の奥に秘められている大切なものは、むしろ「身体論」の領域に持っていかれるのではないかな、と思います。もちろん「身体」というものの境界を、皮膚境界などに置いていてはいけないのですが。身体さえ、あれば(向き合えれば)よい、方便のための談話は要らない、といったことが、離れている個人どうしにも、それこそ心の奥の大切なものを尊重する仕方として、…つまり、その人の存在そのものを「身体」と表現するということですね…適用されるといいんですが。いささか哲学の話になりすぎてしまいました…。

Ted 01/26/2005 21:57
 ソローの言葉を字義通りに捉えようとすると難しい面がありますが、本当に理解し合える間柄では冗舌は不要とか、思いは真心のない言葉だけでは伝わらないという例を考えれば、納得できそうに思われます。なお、Sam は意外に読書をすることが少なく、Thoreau のことばを知ったのは、独自の読書からでなく、教科書からだと思います。彼と私は高校が別で、多くの科目の教科書も異なっていました。

プラス人生の本へマイナス批評

 最近の Nature 誌にノーベル賞物理学者ファインマンの笑顔の写真(ノーベル賞受賞の記者会見時のものかと思われる)が入っている書評 [1] があったので読んでみた。K. R. ジャミソンの "Exuberance: The Passion for Life" という本 [2] を評したものである。

 セオドア・ルーズベルト(アメリカの第26代大統領、ノーベル平和賞受賞)、リチャード・ファインマン、ハンフリー・デイヴィ(イギリスの化学者、電気分解で化合物を構成要素に分解できることを発見)、ジェームズ・ワトソン(アメリカの遺伝学者、DNAの分子構造を共同発見)など、各方面の優れた人物に共通の性格を、ジャミソンは 'exuberance'(活力横溢)と呼ぶ。そして、それは、限りない楽観性、精力、他人を捉える能力、陽気さ、子どもの頃からの驚きと遊び心を大人になっても持ち続けること、などのいろいろな性質の重ね合わせであると見る。

 評者 D. ネトルは、ジャミソンが感情を否定的・消極的なものと肯定的・積極的なものに2分する古い考え方に頼っているとして、本書に批判的である。詩的な描写は生き生きとしているが、期待していた真面目な仮説または実験による裏付けが見られない旨も述べている。

 学術・研究の報告書と見るならば、仮説または実験が必要だろうが、研究の一つの方向を示唆する本と見れば、そこまで要求することもないのではないか。[2] の書名をクリックするとアマゾン書店の同書情報ページにつながり、Publishers Weekly と The Washington Post's Book World に掲載されたもっと肯定的な書評(英文)を読むことができる。

 ジャミソンは、自ら双極性障害(躁うつ病)を持ちながら、その治療者でもあるという境遇を、愛と勇気に支えられて生き抜いてきた女性精神医学者である [3]。評者ネトルは、ニューカッスル大の心理学科所属。


  1. Daniel Nettle, Nature Vol. 433, p. 108 (2005).

  2. Kay Redfield Jamison, "Exuberance: The Passion for Life" (Knopf, 2004).

  3. K.ジャミソン著、田中啓子訳『躁うつ病を生きる:わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?』 (1998, 新曜社) (原題 "An Unquiet Mind: A Memoir of Moods and Madness," Knopf 1995).

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/26/2005 12:26
 ノーベル賞受賞者の方々の性格分析に、心理学の実験や調査まで持ち込む必要はないと思いますね。それこそ、おひとりおひとりのたぐいまれな個性が数値化などによって抑えられてしまって、もったいないと思います。むしろ、ファインマンの文章や発言や表情などから、この女性精神医学者のように分析するのがよいでしょう。
 「活力横溢」ですか。それはあると思いますが、そういえば精神医学には病跡学という分野があって、精神疾患を持った著名な歴史上の人物の史料を緻密に追って、その病と彼らの業績や生き方との関係などを分析するものですが、果たして「過去の記録、史料」からその人の本当の精神構造、疾患構造がどれだけ浮き彫りになるか、と問題視される向きもあります。
 私自身の体験で言うと、感情は否定的・消極的なものと肯定的・積極的なものとに二分されることが多いと言ってもいいのではないかと思います。ジャミソンは躁鬱病ですから、余計にこの両極を重視する傾向があるのかもしれませんね。私も、否定的な感情・感性に侵され始めると、どんどん病状が悪い方に行くので、それはあながち古い二分法だとは言えないと思うのです。

Y 01/26/2005 12:30
 訂正。ノーベル賞受賞者だけでなく、ルーズベルト、ワトソンなど、歴史上・世界での著名な人々の精神構造の分析についてなのですね。

Ted 01/26/2005 15:10
 著名な歴史上の人物の史料を追う病跡学というものがあるとは、よいことを教えていただきました。それにしても、それは何らかの病気のある人物の研究で、健全で著名な歴史上の人物の精神は、研究の対象にされることがあまりなかったようですね。The Washington Post's Book World に掲載の Nancy Schoenberger の書評は、ジャミソンが「Exuberance は、これまで心理学研究の中心になることがなかった。不幸あるいは鬱状態の研究論文100に対し、幸福状態の研究は1報しかない」と書いていることを紹介し、問題のない状態を研究する理由がないことを思えば、この状況は理解できるが、ジャミソンにとっては創造性の源という問題は長らく研究の目標であったのであり、この本によって彼女はそれを含めるところまで研究分野を拡大した、と評価しています。ネトルの書評は、彼自身の好みが強く出過ぎているきらいがあるようです。
 訂正コメントで、引用の人名に簡単な説明をつけたほうが親切と気づき、そのようにしました。

Y 01/26/2005 15:27
 臨床心理学は、病や悩める状態に対しての必要性に応える学ですから、不幸や鬱研究が求められてくるのですが、心理学全般に関していえば、ジャミソンが研究の目標としたような、「創造性の源」が何であるか、というテーマは、大いに心理学の研究テーマとなってよいと思います。ただ、そういった「健全な人の心理学」は今まで、ほとんど実験心理学や統計心理学に拠ってきた部分が大きく、それで本当に人の創造性の源を発掘できるのか、…となると、ジャミソンのように、創造性を発揮した著名人について綿密な個別研究をするという手法が、このテーマについてもっと用いられてよいように思います。
 どうしても、研究者としての生き残りの話でいうと、臨床病理などの「必要性・実践性の学」に研究テーマが集まりやすいというのは、多分 Ted さんのような理科系の分野でもそうだと思うのですが…。純粋な理論物理学で生き残るのは、きっと本当に大変なことですよね?

Ted 01/26/2005 19:35
 コメント後半について、全くその通りです。実用から遠い研究は、行政の予算配分において軽視されがちですが、そういうところにこそ予算を十分つぎ込まなければ、将来の実用研究も枯渇してしまうことを、政治家は理解していないようです。

poroko 01/27/2005 00:00
 私は、ファインマンがなぜトゥバに傾倒したのかが気になっています。何が彼をひきつけたのか? 心理的なものがあるのか?

Ted 01/27/2005 08:11
 ファインマンは『ファインマン物理学』の本をまとめた一人であるレイトンの息子ラルフとも親しくしていました。ラルフから、トゥヴァという国は首都の名に母音が含まれず、アジアの地図のほぼ重心に位置しているとか、三角形の珍しい切手を発行しているということを聞いたファインマンは、何にでも興味を持つ性格だったので、ぜひ行ってみたいと思ったのです。詳しくは、ラルフ・レイトン著『ファインマンさん最後の冒険』(岩波文庫、2004) (英語版 Ralph Leighton, "Tuva or Bust!: Feynmna's Last Journey," Norton, 2000) をご覧下さい。

2005年1月25日火曜日

時の走る音

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年1月25日(金)雪

 やはり開く[引用時の注:目的語は日記帳]。カエル先生が出て来られたかと思うと、Y・S 先生[引用時の注:解析Iの先生、女性]がまた休まれる。左手をポケットに突っ込み、右手でたくさんの○を描き(動物の卵と精子形成の図だ)、耳では風とあられの音を聞き、目を薄暗い光の中にさらしながらの生物の時間には、こうしていることがとても非文明的な状態のように思われてならなかった。
 図画は静物の写生。暗いものが出来上がりそうだ。
 英語の Grammar & Composition は進みが遅く、いま習っているのは11月頃に予習したところだ。ノートのそこのところを広げておき、時どき見るだけにして、次のような文を考えていた。
 A believer can defend evil.
 Autumn brings cool days eternally.
 A black clothing depresses emotion.
 A bad comrade didn't enter.

 予習の必要も、読むべき本もない晩には、「時間」の観念がとくに強くなる。「時間」を長く感じたり、もったいなく感じたり、あるいは、自分の前を駆けて行く時の動きがいまさらのように意識にのぼったりするからかも知れない。電灯の作る影は、太陽のそれのように動いて行くことはなく、周囲のものも自分とともに停滞しているようにしか見えないが、……時の走る音が耳へ入ってくる。勝てないことは分かっているが、それと競争しなければならない!
 雄々しい敗北者になることが、最も人間らしい人間であることではないだろうか。――と書いてみたが、この考え方を解説できない。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 01/25/2005 22:00
Atomic Bomb Can Destroy Everything
なんてのは…?

Ted 01/26/2005 07:55
Oh, it's wonderful!


哲也 01/26/2005 00:43
 「雄々しい敗北者になることが、最も人間らしい人間であることではないだろうか」、そうかもしれません。己の足るを知る、と言いますものね。なかなか到達できない境地です。

Ted 01/26/2005 08:07:41
 私はこの時どういうことを考えていたのか覚えていません。いくつかの目標を達成しても、次々に新しい目標に挑戦し続ければ、どこかで目標達成前に(敗北して)人生を終えることになり、そのように、最後まで挑戦し続ける人間でありたい、ということだったかも知れません。

2005年1月24日月曜日

悩みとは白壁になされる落書き

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月24日(木)曇り

 あんな問題ばかりだったのなら、出るのじゃなかった。アセンブリー時のクイズ・コンテスト。司会は新文化委員長のSM君だった。A、B各チーム7名で、交互に出題され、問題によって1分あるいは30秒で、分からなければ相手チームが、それも分からなければ場内から答えるという形式だったが、SM君は何度も「では、こちらで答を申し上げます」といわなければならなかった。
 どこの都市が好きかというヒントで「ウイーンの森の物語」、宿題はできたかというヒントで「未完成交響曲」のレコードが鳴らされるという具合だ。KZ君のようにレコードのコレクションでもしていないと分かりっこない。薬品名をいわれ、何に効くかを答える問題は一つも正答が出なかったようだ。得点が何対何だったのか、聞いてもいなかった。
 後半の2年生の部では、曲を聴いて、その作曲者のイニシャルをつなぎ、BCG とか bird とか答えるのや、米国の映画会社名を五つ答えるのや、ヒントからこの学校は何学校かを当てるのがあった。ジイドの「女の学校」、「足利学校」(この時廊下へ出ていなかったら、壇上に腰掛けていただけで貰ったノートの他にもう一冊貰えるのだった)、「やまびこ学校」などだった。2年生出場チーム同士の得点は3対0だった。

 KJ君が早速眼鏡をかけて来た。不慣れなための、少しばかり当惑的な彼の心理状態が理解できる。

 どう表現したらよいか分からない何ものかが、あらゆる面から、そうだ、いまや存在する限りの圧迫が自分の周囲を取り巻いて、ひしひしと押し迫って来る。――「悩み」は白壁になされる落書きのようなもの。閉じよ!

[引用時の注]

 レコード曲をヒントにした多くのクイズ問題は、音楽クラブ所属の上級生の出題ででもあったのだろう。引き揚げからまだ5年後、音楽に親しむ手段としてラジオしか持たなかった私にとって、それは腹立たしい出題であった。最後の「閉じよ!」は、日記帳のことをいっている。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 01/24/2005 12:28
 思春期の頃は、自分の心を、白い壁や無地のキャンバスに喩えられるのがいいですよね。今はもう、シミだらけの得体の知れないダークトーンです。

Ted 01/24/2005 16:11
 人生百年と考えれば、四方館さんには、まだ無地のキャンバスがたくさん残っていますよ。
 高校時代に「悩みは白壁への落書き」と書いたのは、白壁に落書きがない状態では、落書きをし難いけれども、一旦誰かが落書きをすれば、後はどんどん落書きが増えるように、悩みについて日記に書き始めると、悩みが増幅作用を起こして、どんどん肥大しそうだ、という意味です。

Y 01/24/2005 22:38
 最後の三行なんか、高校時代の Ted さん、すでにして本当に素敵な文章を書かれる繊細で明晰な方だったんですね。さすがですね。高校時代の日記、どんどん紹介してください。
 四方館さん、そんなこと言われないで、今がかろやかな可能性のある頃まっさかりじゃありませんか。
 それにしても実に難しい音楽クイズの問題だったのですね。私はクイズは苦手です。センター試験も苦手でした。

Ted 01/25/2005 13:12
 高校時代の私は内向的な性格で、そのことが大きな悩みの一つでした。しかし、その悩みを日記につづればつづるほど、悩みが膨らんだようでした。私が Y さんに、ご病気のことをあまり書かれない方がよいのでは、といつか書いたのは、この頃の自分の経験を思い出してのことでした。

万物の理論 (The Theory of Everything)

 アインシュタインが三つのテーマについて5編の重要論文を発表した「奇跡の年」から100年目であり、また、世界物理年に指定されたこの年にちなんで、Nature 誌は最近号に50ページの特集を組んでいる [1]。その最後に、アインシュタインが後半生追い続けて達成できなかった「万物の理論」についての、著名な物理学者11名各人の展望が掲載されている。

 オランダ・ユトレヒト大学の Gerald 't Hooft(ノーベル賞受賞者)は、アインシュタインと同様、万物の理論は確率的要素を持たないものであろう、と考えている。アインシュタインが後半生を過ごしたプリンストン高等研究所の Edward Witten は弦理論(string theory)を万物の理論の有力な候補とみなしている。東大宇宙線研究所の Masataka Fukugita は、宇宙論は不幸にして万物の理論を構築するには有用ではなく、傍観し期待している、と記している。

 カナダ・ペリメータ研究所の Lee Smolin は、「万物の理論」ということばは好まないが、空間が原子と同様に非連続的な構造であることを予言するループ量子重力理論(loop quantum gravity)が、より統一的な理解を与えるものとなろう、と述べている。テキサス大の Steven Weinberg(ノーベル賞受賞者)は、「万物の理論」ということばは、科学のすべての問題を解決するような理論の存在を示唆するので好まないが、われわれに出来る限りの説明を与える単一の単純な理論という意味での「最終の理論」を見出すことは出来るだろう、とのみ述べている。オックスフォード大の Roger Penrose は、量子力学の観測のパラドックス(シュレーディンガーのネコのパラドックス)が解決されなければ、万物の理論が存在するにせよしないにせよ、われわれはそれに近づいているとはいえない、としている。等々。

 まさに、11人11色の回答であり、アインシュタインの死後50年目でもあるいま、彼が追求した万物の理論の像は、まだ、霧の彼方にある。


  1. "Year of physics: A celebration," Nature, Vol. 433, p. 213 (2005).

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 01/24/2005 21:59
 ずぶの素人の浅はかな考えですが、やはり万物の理論は存在するがそれは確率論を含むのではないかと思います。天体の運動は正確に予言できますが、箱の中に入れた猫の生死はやはり開けてみるまでわからないのでは?その生死を正確に予測しようとするには無限大の要素を考慮に入れなければならず、結果として確率論になるのでは?…と思うのですが。

Ted 01/24/2005 22:08
 私も 't Hooft がなぜ万物の理論は確率的要素を持たないだろうというのか、不思議に思います。

2005年1月23日日曜日

自己においての二律背反

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952年1月23日(水)曇り

 編集室が静かだ。それもそのはず、彼らが二人集まると、存在することすなわちしゃべることとなるKJ君とSN君が、KJ君のいう「白い部屋」へ行くために休んだからだ。一昨年、ぼくは伯母に連れられて同じところへ行き、その結果、世界が繊細な輝きと歴然として明瞭な物体に満ちていることを認識したのだった。

 まったく同一の自己は、その一瞬以外には見出せない。他方、自己の中には永続的無変化の要素が流れている。この相反する二つの事実が自己を形成している。――まだ言い尽くせない。

(Sam)

1952年1月24日(木)晴れ

 昼休み前、委員会室でタイプを打っていると、「金大教育学部のものですが、生徒会役員の方はおいでになりませんか」といって、大学生が入って来た。「あなたは何か役員でも…」と聞くので、「執行委員です」と答える。「私も本校の第2期の卒業生なので…」といいながら、風呂敷包みをほどき、かくかくしかじか、といって数枚のポスターを見せる。講演会の演題が謄写版の赤で刷られている。「新しい論理」というのと、もう一つが並んでいる。講師はK.Y.とか。本来なら金大の講師になられるはずだったのだが、ある事情でうんぬん、と丁寧な説明がある。「近ごろはどこも極右の傾向が強くなってね。それに対抗する意味でも、といっても左のほうでもないんだ。そらね、ユネスコなんかも協力してくれてるんだ。何しろこんな会を催すには、相当な金がいるだろう。だから、たびたび開くわけにはいかないんだ。で、こんな機会に一人でも多くの方がたに聞いていただこうと、高校にも来たんだ」など、巧みに説得しようとする。「指導課の許可がいる」というと、そそくさと出ていった。

 昼食後、第1体育館で篭球をした。20人ほどだったので、ごたごたに入り乱れて、なかなか球を取れなかった。


[引用時の注]

 私の日記に書いてあるKJ君の休暇の理由は、眼鏡をかけ始める検査のために、SN君に付き添われて大学病院の眼科へ行ったということである。私は中学3年の春からすでに眼鏡のご厄介になっていた。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/24/2005 11:51
 やはり、タイトルに惹かれて来た甲斐がありました。Ted さん、高校生時にすでに「自己」について重要なことを見出されていましたね。これは私の専門的テーマ?でもありました。つまり、永続無変化の自己が、底辺にたえず流れていて、普段は特に意識することもないわけですが、それと、「その時一瞬一瞬」の、二度と同じ形・内容はもちえない自己とが、関係性を持っている、その「関係性の全体」こそが本来の「自己」なんですね。
 だから、その時一瞬一瞬の自己も、永続不変化の自己と無関係に発生するわけではないのです。自己とは、それらの関係性の全体、なのだから。いわゆる、「自己が自己にかかわっている、そのことが自己である」といったような西田幾多郎的な言い方になりますね。これが哲学的な解釈のひとつですが、物理学だとどうなるんでしょうね?

Ted 01/24/2005 15:57
 「自己」は、「意識」にかかわる問題ですが、残念ながら物理学は「意識」について発言できるにはほど遠い状態です。
 24日付けで二つ掲載した私のブログの一つ「万物の理論」の中で、同理論に対するオックスフォード大教授ロジャー・ペンローズの展望を簡単に紹介していますが、彼は、物理学的な「万物の理論」は少なくとも意識という現象についての説明の種となるものを含んでいなければならない、とも述べています。しかし、宇宙創成直後の現象や各種物理定数の値などを説明できる物理理論がまだ模索されている状況ですから、「自己」の解釈は、まだまだ、哲学や生理学に頼らなければならないと思います。

2005年1月22日土曜日

本当に愛するということは…

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年1月22日(火)雨

 Grammar の時間、'however" の例として、先生が "However ugly she may be, I love her dearly." と黒板に書き、ぼくにその訳をさせられた。ぼくは無感情に(自分ではそう思っていた)答えたが、聞いていた生徒たちがワァーとか何とかいって、しばらく静まらなかった。まだみんながガヤガヤいっていたが、先生は、「本当に愛するということは、そんなものですよ。顔のみにくさなんかは問題になりません。本当です」と繰り返された。
 昨日は大寒だというのに、あまり寒くない。
 何! 何だって? 母が! 盲腸炎とは! 午後3時頃から。そして、手術した。重態である。オゝ、どうしよう。

1952年1月23日(水)曇り

 母を見舞いに行く。そんなに悪くはないという。昨日はこんなものは読めなかったといって、表題に「婦」という文字の入っている雑誌を読んでいた。


(Ted)

1952年1月22日(火)曇り一時雨

 きょうの一番の楽しみは、ホームルーム時だった。AK君の司会で「私は誰でしょう」が行われた。彼の司会ぶりはいささか無味乾燥でなくもなかったが、ヒントの読み方には難がなかった。一つだけ、外科医を「がいかい」と読むということがあったけれども。制限時間の30秒を知らせるベルの使用はよかった。「二十の扉」をした時と同じく、座席の1列ずつが一つの班となって解答した。
 まず、最右列が掴み取った問題は、「ある春の日暮れに唐の都洛陽の西の門の下にぼんやり空を仰いで立っていました。」を第1ヒントとする、ぼくの出題した「架空の人物」。何人かは物語を知っていて、「ははーん、トラなんかが出て来ても黙っとるがや。」などとつぶやいたりしていたが、第5ヒントを読み終わっても、正解は出なかった。
 次のぼくの班への問題は新井白石で、ぼくが第2ヒントで答えた。最左列の班は、国語の教科書に自叙伝のあった(というのはヒントではないが)フランクリンを1ヒントで当てた。われわれの班の第2回目は、ぼくがドッジかシャウプかと迷っているうちに、AZ君がドッジと答えてくれ、やはり第1ヒントの記録を作った。
 それから、光源氏、北里柴三郎、ヘルマン・ヘッセ、森鴎外、ドストエフスキー、塙保己一などが続いた。ぼくが作ったあと二つの問題は、バイニング夫人と西郷隆盛。後者はTKG君が第1ヒントで答えた。
 京都生まれで名は守信、15歳で日光陽明門などの天井絵を描いたりした江戸時代の画家を、他の班が答えられなかった時、ぼくだけが手を上げた。それは、国民学校の頃、あるいはもっと前から、おもちゃにしていた6cmx4cmくらいの「百偉人カード」のお陰だ。そのおもちゃは、ぼくより6歳上で、小学校3年の時に死んだ兄のお下がりだった。
 きょうの活躍の結果として、次のアセンブリー時に行われる「クイズ・コンテスト」の出場者に選ばれた。

[引用時の注]

 「私は誰でしょう」や「二十の扉」は当時のNHKラジオの人気クイズ番組であった。前者は聴取者が解答者として出場するもので、出題は「時の人」、「スポーツ」、「芸能」、「架空の人物」、「ノンセクション」等に分類されていた。

 「二十の扉」の解答者はレギュラー・メンバーからなり、動物、植物、鉱物の範疇で出される問題(もの、あるいはものの状態)をイエスまたはノーで答えられる質問20以内で答えるものであった。このゲームは、終戦前の女学校の英語の教科書にも "twenty questions" の名前で紹介されていた。それで、私は従姉の使った教科書と、戦後の小学校時代に通った英語教室の教材プリントで、「二十の扉」を聞く前から、この遊びを知っていた。

 「百偉人カード」は、日本人50人、外国人50人からなっていた。時代順に、日本人には1から50、外国人には51から100の番号が付けられており、表に肖像画、裏に説明があった。人物の選び方は、作られた当時の軍国主義を多分に反映していて、武将や軍人が多く含まれていた。私が兄から受け継いだ頃、すでに何枚かは紛失しており、それらが誰であったかを想像してみたりもしたものだった。お陰で、私は歴史上の人物についての知識が子どもの頃からかなりあった。しかし、戦後の小、中学校では歴史上の人物について教えることがなくなり、その知識を宝の持ち腐れのように感じていた。

 偉人といえば、子どもの頃に読んだ笑い話の小さな本(『幼年倶楽部』の付録か)に次のようなのがあった。

先生「日本の偉人を50人挙げなさい。」
生徒「ハイ。西郷隆盛、乃木希典、東郷平八郎、四十七士。」

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/22/2005 14:34
 空手のSさんのことが思い浮かびますねえ。彼は元は女性たちから次々と一目惚れされるような大変にかっこいい人だったそうですが(琉球空手でファンクラブまで出来ていたそうです)、病気と薬で大幅に太って、前の容姿は私にはわかりません。今でも顔は素敵ですが、体格は確かに大柄で太っている、けれど男の中の男、といった感じの人なので、太っているもやせているも愛したのに関係ないですね。
 でも、本当に愛すると、その人の顔や全体像が好きでたまらなくなるものなのですよ。それが不完全な人間どうしで愛し合うということではないかしら、と思って。私だってそうでなければ、人から愛されるはずがないですから。
 Ted さんの日記のほうは、高校生にしてはすごく高度な話ですね。私の高校はすごい進学校でしたが、ほとんど誰もそんな質問に答えられる人はいなかったでしょう。もちろん私も、文学系の人物を除いては。

Ted 01/22/2005 16:12
 「蓼食う虫も好きずき」とは、よくいったものです。しかし、Yさんが、「私だってそうでなければ、…」とおっしゃる必要はありません。

テディ 01/23/2005 00:27
 私は誰でしょう?
 1. 私はドイツ人で、貧しい牧師の息子として生まれました。
 2. 七歳の時に読んだ○○○戦争のことを書いた歴史の絵本を読んで、○○○は実在していたことを信じました。
 3. その発掘をするために実業家とした成功し、発掘の資金を貯めました。
…てな感じだったのでしょうか?

Ted 01/23/2005 08:34
 そうです。ただし、第1ヒントだけでも、シュリーマンと特定することが可能なように、もう少し何か述べて欲しいところです。また、ヒントに伏せ字○○○があるのもよくありません。改善した例を示します。
 1. 私は貧しい牧師の息子として生まれ、7歳の時にある戦争のことを書いた歴史の絵本を読んだことが将来の大きな仕事につながりました。
 2. 私はその仕事をするために、まず実業家として成功することにより、資金を貯めました。
 3. 私はその資金をもとに、考古学者になりました。
 4. 私が7歳の時に読んだのはトロイ戦争のことを書いた本で、トロイは実在していたことを信じたのでした。
 5. 私はトロイを始め、ミュケナイやティリンスなどのギリシア遺跡を発掘したドイツ人です。

テディ
01/23/2005 11:19
 なるほど。勘のいい人は第一ヒントだけでも正解できるというわけですね。

Ted 01/23/2005 13:59
 その通り。職場かご家庭で「私は誰でしょう?」で遊んでみて下さい。

キキ 01/26/2005 16:25
 はじめておじゃましました!「偉人といえば…。」仕事中に読んででいたので大声で笑えませんでしたが、めっちゃ笑えました!

Ted 01/26/2005 16:43
 初ご来訪でコメントをいただき、ありがとう。大抵は難しい話を書いていますが、ときには「めっちゃ笑え」ることも書いています。ときどき遊びに来て下さい。仕事中でないほうがよいですぞ。

2005年1月21日金曜日

「しづかならでは道は行じがたし」

 Sam の日記は、ホームルーム時に映画をテーマにした話し合いが行われたことを記している。彼はずいぶんいろいろな洋画を見ていたようだ。彼の家が、当時映画館の集中していた香林坊裏に近かったせいもあるだろうか。私は高校時代には、ほんの少数の映画しか見なかった。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年1月20日()雨

 KJ君とも話し合ったことだが、面白いラジオがかかっていると、解析のグラフを描くとか、写字をするとかの半機械的なことしか出来ない。英語の辞書を引くのも出来るが、リーダーの方は最後まで調べてしまったので、ラジオを聞きながら出来る仕事が欠乏している。
 読むべき本のある日は9時(早ければ8時半)から寝床へ入って読むのだが、読書はラジオを聞くこととは両立させられないから、9時15分からの番組は面白くないものであって欲しい。日曜は全然読書が出来ない。他の曜日のこの時間は、ラジオを切ってしまうことも可能なのだが。

1952年1月21日(月)曇りときどき雨

 徒然草58段に「心は縁に引かれて移るものなれば、しづかならでは道は行じがたし」とあり、昨日書いたことが思い合わされる。したいことと、しなければならないこととが、十分にできるように、自分の行動を調節するように心がければよいのだ。

(Sam)

1952年1月21日(月)雨、風が強い

 ホームルーム時の運営はオニュー君にまかせたが、ぼくよりはましにやってくれた。クラシックとかスケールとか、盛んに英語を使っていた。彼には、ホームルームの誰もがあまり発言しないという先入観があるらしい。もう少し何かいってやろうと思っているうちに終わりにしてしまった。ぼくは、「洋画ではスケールが大きくストーリーが単純で、正邪の判然としている西部劇が中でも一番親しみやすいのではないか。英国でも製作費に困っているようだが、内容に従ってテクニカラーとそうでないものに巧みに分けている。米画は俳優によって、例えばクーパーとか、ボッブ・ホープとか、アボットとコステロの凸凹とか、そういったもので見に行くのだが、英仏の映画は、監督を中心に考えて見に行くようだ」などといっておいた。
 今学期になって初めてホームルームで昼食を食べた。人数の1/3ほどはホームルームで食べないらしい。

2005年1月20日木曜日

学生服

 ここに引用する Sam の日記には、学生服を買いに行ったことが述べられている。私たちの高校時代、通学は学生服と決まっていた。頭は丸刈り。卒業近くになって、ようやく長髪にする準備をしたものだ。私の同じ日の日記は、翌日のものと関係が深いので、次回に両日分をまとめて掲載する。

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年1月20日()雨

 二十日正月の雑煮を昼に食べてから、母と祖母と一緒に、ぼくの学生服を買いに出かけた。まず片町の自由市場。せまい路の両側に、一坪ばかりの露天市が並んでいる。あちらから、こちらから、声がかかる。二着ほどの服を見せてくれる。算盤に一珠三つと隣に五珠一つを置いた。そのあとで、これだけにしましょうといって、五珠をはじいて一珠を三つ置いた。母が祖母に「いま、お金持っておいでんがやネ(と肯定させて)。ではまたよろしく。あとで…。」このようにして二、三の店を素見して歩いた。さも買うように思わせて、店の人にあれこれと出させ、さっと肩すかしをしてバイバイする母は、なかなかの外交官だ。尾山商店街で、最初の値を七百円値下げさせて買った。

 大和デパートのアマチュア展を見に行く。ひじょうに沢山の出品物に驚いた。人に押され押され、呆けつつ、目に入るものを見つめていた。作品と職業の間に、いかにもつながりを感じさせるものがある。

2005年1月19日水曜日

『蛍雪時代』:Vicky のうわさも

 以下に引用する日記中の「高師附属」というのは、旧制金沢高等師範学校の附属高校で、附属中学校もあった。旧制金沢女子師範学校の附属中学校も別にあり、のちに両者は金沢大学附属として統合されたが、女子師範附属中学校の方が当時すでに金沢大学附属中学校(金大附中)を名乗っていたようである。地区の菫台高校へ行っていた私は、東大への合格者を多く出していた高師附属での勉強ぶりを知りたいと思い、小学校の同級生で、金大附中を経て高師附属へ進んでいたHY君の家へ、この日、いわば偵察に行ったのである。『蛍雪時代』は、いまも続いている、旺文社発行の大学受験生向け月刊誌。HY君がすでに購読していることを知り、私も早速購読を始めたと思う。

 「象の花子さんの旧名があだ名であった」女生徒とあるのは、HY君と同じく小学校の同級生で高師附属へ行っていた H・I さんのことである(当時、高師附属には女生徒が1学年10名前後しかいなかったとか)。彼女の父親が金沢市文化賞を受賞したことを記しているが、朝日賞、学士院賞受賞者でもある。なお、2004年12月10日付け記事「A先生の計らい」に登場するH子が H・I さんである。

 末尾の数行中にある「編集室」は、新聞クラブの部室。家庭科の実習用の小部屋を利用させて貰っていた。新聞クラブは、部室を持つ数少ないクラブの一つだったかと思う。イデオロギーについての友人たちの議論のことを書いてあるが、私はこのような議論は苦手で、まったく聞いているばかりだった。いまでも、その傾向に変わりはない。文に書くのなら別だが。

 なお、[ ]内は引用時の注。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年1月19日(土)曇り

 おう。(いま読んでいる本の中のキャシィやネリィがよく発する感動詞が思わず飛び出る。)何を得たか? すばらしい刺激を得た。さすがに高師附属へ行っているだけのことはある。少なくとも、HY君が座右に据えていた参考書類は、ぼくを刺激するに十分だった。家を出たのは2時過ぎだった。一度はちゅうちょして通り過ぎた。帰宅しているかどうか、はなはだ疑問だったが、帰っていて、「おー、何や」といって出て来た時のことも心配だった。戻って、再び彼の家の前に立った。雨が降り続いている。
 「HY君!」と玄関前で声をかける。あまり力を入れないで、ちょうどよい声が出せた。次の瞬間のことを考える暇もなく、中から人が出て来た。小学生時代よりいくらか落ち着きを持ち始めたような彼だった。いま何をしていたかと聞き、遊びに来た、といったら「入らんか」といわれた。靴、手袋、帽子を脱いで、衝立をよけてズカズカと前進しようとすると、すぐそこに彼の机があったので驚いた。他方の隅に老人が座っていた。立ったままでは悪いと知りながら、そのままの姿勢で礼をする他なかった。
 椅子にかけて向かい合うと、彼は「菫台、面白いけ?」と尋ねた。「面白い」とそっけなく答えた。彼は、クラブ活動では馬術ともう一つ何かをやっているといった。小学校の時の野球のフォームがぼくよりずっとさまになっていなかった彼が、体操の時間が面白いというから、何をするかと聞けば、雪合戦と答えた。KZ君が髪を伸ばしつつあることを彼に伝えた。彼は、われわれの学校の2学期始めのスタンダード・テストの結果をなぜか知っていて、Vicky は金大附中でもよく出来たとか、「SNは、かじっとるやろ」[よく勉強しているだろう、の意]などといった[Vicky もSN君も金大附中から菫台高校へ来たのである]。
 英語の教科書はわれわれのよりずっと面白そうだった。赤インクでたくさん書き込んであった。トム・ソーヤーの「土曜日の朝になった。至る処に夏が来て輝かしく生々と、活気に充ち溢れていた。すべての人の胸の中に歌が湧き、その胸が若い胸である時には、その歌は唇を衝いて迸り出た。…」(岩波文庫版による)というところがあったのを、読んですらすらと分かったので、「翻訳で読んだのといっしょやな」と、つまらないことをいってみた。しかし、その他のページには多くの未知の単語がぎっしりつまっていた。彼の机の上には、独日辞典と英英辞典、左横の本棚には、『英文法綜合的研究』、『蛍雪時代』等が積まれていた。彼は英英辞典を手に取り「Paraphrase を見るがに便利やわな」と、paraphrase の語をきれいに発音しながらいって、見せてくれた。
 What is "revolution?" It is "to love ruin". こういう英単語解体再生の冗談が彼の『英語ハンドブック』にあったのを覚えて来た。A bad cat died entirely. という文を作ったり、また、たとえば "English" と一つ出された単語の中の文字を拾って、he、she、shine、…と出来るだけ多くの単語を作る遊びも書いてあった。
 「学生日記」という厚いノートが本を並べた上にのせてあったので、指さして、日記をつけているのかと聞いたら、彼は「見んといてくれ」といって机の中へ入れてしまった。小学校6年の冬休み、クラス内のクリスマス演芸会を前にした日曜の午後、学校の横の大学病院前の通りで二人っきりで雪合戦をしたことのある女生徒(上野動物園の象の花子さんの旧名があだ名であった。彼女の父親は昨年、がんの研究で金沢市文化賞を受けている)のことを聞こうと思ったが、気が引けてやめた。
 HY君の弟らしい人(たくさんの家族がいる家なのではっきりしない)の勉強を見ていた彼の母親に、ぼくはあまりよい印象を与えなかったかも知れない。印象は、どこへ行ったあとでも気になる。

 学校で放課後、SN君、TKS君、MRK君らが編集室において、社会主義と資本主義について、かなりうがった議論をはなばなしく戦わせていたことも、記しておくに足るだろう。議論が白熱しても、SN君が顔色一つ変えないで平然として言い放つことばの鋭さと巧みさに、彼の相手たちは、少なからず辟易していた。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Nadja 01/19/2005 15:15
 ↑…あ? 訂正したはずなのに消えていない箇所が…うわ。すいません、この際、発言ごと消しておいてくださいませm(_)m

Ted 01/19/2005 19:50
Your were right in your first comment. Sure, I was reading "Wuthering Heights" at that time. Don't mind about a minor error. But I follow your request to delete your first comment. The second one is retained to appreciate your good guess.

M☆ 01/19/2005 19:19
周囲に議論を交わすような環境がなかった学生時代(T▽T)。ちょっと羨ましい・・・(笑)

Ted 01/19/2005 19:54
Let's enjoy discussion at this blog site!

2005年1月18日火曜日

再軍備

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年1月18日(金)雪

 ME君と英単語の尻取りをした結果、彼はXから始まる単語を二つしか知らないことが分かった。Window - wax - Xmas - sex - Xtian(彼はXchanと誤って綴った)- nix これでお終いである。
 保健体育の講義は、先生が目が痛むからといわれて、正午を過ぎて間もなく終わった。お菜の醤油が凍っていた。寒くてたまらぬ。
 TR君が黒板に平仮名で3行書いた。みんな三字のものであり、しかも誰にとっても好ましくなく、むしろ真っ向から嫌われるものである、というのだ。これに対し、ぼくはこう書いた。

    再軍備
  てっぽうかたに
  らっぱをならし
  にっこりわらって
  しんでった
    落第生
  てんとりむしだが
  らくだいぼうず
  にっちもさっちも
  しょうがない

 アセンブリーは、「紅葉の原因」についてという化学部の発表である。この寒いのに秋の話とは何と変なことよ。難しいことばばかりで、あとに何も残らなかった。

[引用時の注]

 TR君と Sam が黒板に書いたのは、相手の姓を行頭に折り込んでの嫌みの言い合いである(ここで「TR君」の本名と、友人たちの姓の略し方が図らずも明らかになる)。その頃のNHKラジオ番組「とんち教室」に、折り込み都々逸というゲームがあった。この番組の愛聴者で、言葉の感覚にも優れていた Sam と、こういう争いをしたのでは、誰もかなわない。
 「再軍備」という言葉は、1950年7月8日、日本を占領統治していた連合軍の最高司令官マッカーサーが、日本政府に警察予備隊7万5千人の新設を命じた頃から使われるようになっていたものである。この日記よりも後の1952年7月31日、警察予備隊は保安隊に改組された。保安隊が自衛隊になったのは、1954年1月。「再軍備」の名称と内容は、この当時あわただしく変化したのであった。(「再軍備」の歴史については [1] を参考にした。)

  1. 加藤文三他『日本の歴史 下 改訂版』(新日本出版社、1978)

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 01/18/2005 11:19
 この後、保守合同が続き、55年体制なる戦後の政治的配置が固定化。米ソの冷戦構造の崩壊とともに55年体制も終焉が叫ばれ、新しい政治布置が生まれたかに見えるものの、55年体制の本質はその内部に生きつづけているように見受けられますね。

Ted 01/18/2005 17:25
 与党の自由民主党と野党の社会党が二大政党として存在するという意味での55年体制は、1993年の衆議院議員選挙における自民党の過半数割れと社会党の惨敗、それに続く反自民党連立政権の成立で崩壊したとされています。しかし、その後再び自民党が政権の中心に居続けることとなり、与党と野党がひっくり返ることのない政治が続いているという意味で、また、公共事業優先、福祉削減、アメリカ追随という相変わらずの政治の内容において、おっしゃる通り、55年体制は生き続けているようです。そして、野党筆頭の民主党が自民党から別れていった人びとによて担われているという点から考えて、近い将来における政治内容の大幅な改善がほとんど期待できず、現在は、55年体制発足当時よりも、国民にとってより不幸な状況になっているのではないでしょうか。

Nadja 01/19/2005 00:51
 私もたまに折句で遊びます。なかなか楽しいものです(^^)
 そういえば祖母は自衛隊のことをずっと予備隊と言っていました。名前の歴史は知っていても、予備隊という名称が2年ほどであったことは知りませんでした。

Ted 01/19/2005 07:41
 わが青春時代は、いまや歴史時代。

2005年1月17日月曜日

いかがわしい動きの根本

 犯罪の捜査に当たって、警察は容疑者の動機を重視する。同様に、いかがわしいものをかぎ分けるには動機を知ることが大いに役立つ。『日本の科学者』誌で2005年2月号から始まった「改憲問題の焦点」と題するシリーズの第1回において、金子勝(立正大学)は、改憲の動きの根本にある動機を明らかにしている [1]。彼はそれを、「グローバリゼーション」と「1996年日米安全保障条約」体制という二つのものを確立させようという衝動だと見る。

 金子は、「グローバリゼーション」は「経済の地球規模化」と訳されているが、その本質はアメリカの「多国籍企業」中心主義であり、「ネオリベラリズム」(新自由主義)とそれを保証するための「グローバル・スタンダード」(世界標準)という二つの要素で構成されている、と説明する。さらに、「ネオリベラリズム」の内容は、「多国籍企業」の活動を阻害するものをすべて緩和・撤廃して行くものであり、「グローバル・スタンダード」の内容は、アメリカの「国家」や「多国籍企業」の基準・規則・体制を世界各国が受け入れるべきであるとするもの、と述べる。

 金子はまた、「1996年日米安全保障条約」体制とは、「多国籍企業の横行を保証するため」の、それに反対する者を恣意的に攻撃する米国至上主義型日米核軍事同盟体制と見る。そして、対米従属的であっても、日本の「多国籍企業」、その安全と繁栄を実現しようとしている財界やその政治的代理人にとっては、アメリカに寄生して金もうけができるこの体制は、死活的に重要である、と説明する。

 この見方によって、政府、そして、自民党から民主党にいたるまでが、第9条を焦点とした改憲に意欲的である理由がはっきりする。それは、けっして日本の大衆を幸せにするものではない。アメリカが国連の支持を得ないでイラクを攻撃した理由も、「グローバリゼーション」の本質から見えてくる。


  1. 金子勝『日本の科学者』Vol. 40, No. 2, p. 30 (2005).

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 01/17/2005 23:32
 しかし、現時点においてもグローバリゼーションは限界に来ていると思われます。彼らは短期的視点しか持たないため、永劫未来、経済の拡張は可能であると思っている(資源の枯渇、環境問題に対しても新しい技術=テクノロジーで対処できるという楽観的な見方をベースとして)ようですが、新たなテクノロジーは副産物として新たな(資源、環境あるいは全く未知の)問題を生み出すのは、原子力の時にも経験してることではないですか。最も簡単で効果的な人間の生き残る道は「成長」をやめることではないのでしょうか。それをなぜ彼らは恐れるのでしょうか?

Ted 01/18/2005 07:55
 そうです。テディさんが紹介され、また訳された1月1日付け New York Times 紙の Opinion 欄 "The Ends of the World as We Know Them" で James Diamond も "In this fresh year, with the United States seemingly at the height of its power" という言葉を使っています。これは、アメリカはこのままでは下り坂を滑っていく他ないことを意味しています。グローバリゼーションをもっと進めようとしている人たちには、その事実が分かっていないのです。彼らは自然と調和した、つましい生き方を学ばなければなりません。

2005年1月16日日曜日

マドンナ的存在:Vicky

 以下に引用する日記に登場する Vicky というのは、美貌、長身で、成績優秀な、学年のマドンナ的女生徒に私が日記の中で勝手につけていたあだ名である。彼女と友人になりたいと思いながら、なれない悩みを記している。(2004年12月12日付け記事「卒業30周年記念のうた」に、彼女の近況についてひとこと触れた。)

 また、「巨頭会談」というのは、当時、新聞紙上でよく使われていた国際政治用語である。世界史上有名になっているのは、1955年7月のジュネーヴ4巨頭会談(アメリカ・アイゼンハウアー、イギリス・イーデン、フランス・フォール、ソ連・ブルガーニン)である。これはポツダム会談(1945)以来の首脳会談であり、米ソ両国首脳が第二次世界大戦後、初めて直接話し合いを行った場であったそうである。「巨頭会談」の語が1952年頃によく使われていたのは、1955年へ向けての準備が行われていたためだろうか。KZ君が Vicky と私を指して「両巨頭」といっているのは、夏休み後の総合テストで、Vicky が女生徒で一番(男女合わせても一番)、私が男生徒で一番の成績を取ったことによる。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年1月16日(水)雨

 波状になって動く自己侮蔑が、また高まって来た。いまは、その山かも知れない。
 誰かと何かの話題について、半日ほどとっくりと話してみたい。ゲームなどを媒介としないで、「人」そのもののみに相対しての半日。
 HY君が最近のぼくの頭を占領し始めている。最近の彼がいくらよく勉強しているといっても、小学校の時の性格がごっそり変わってでもいなければ、彼に相対しても圧力は感じないだろう。しかし、それだけに、半日は難しいかも知れない。いや、誰とだってそれは難しいのだ。この望みをKZ君に知られたら、A先生の家の二階へ上がってからも、「ここへ来ることにした動機は?」と聞いた彼のことだから、「またしても分からぬこと」と、頭をかかえるに違いない。
 HY君はぼくの頭の中で、ともすれば Vicky に転化する。KZ君は、ぼくと一緒になる唯一の科目である生物の時間について、「恐ろしいな。両巨頭が集まって来るからな」といった。実は、Vicky とぼくはその時間だけでなく、ほとんどの時間割が同じなのだが、一度も巨頭会談、――いや、内省に打ち沈んでいるいま、巨頭と小人の会談といいたい――を持ったことがない。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 01/16/2005 21
 高校生の一日の心の動き、さざなみ…、これもまた、Ted さんらしい日記で、貴重な記録をよくこれだけたくさん残しておられますね。
 自己軽蔑、誰かと半日とっくりと話してみたい、Vicky というマドンナ的女性と巨頭と小人の会談をすら、まだ持てたことがない…。実に誠実に綴られた日記だと、旧い記録文章の良さを思います。
 Vicky は、Ted さんにとってどんな存在だったのでしょう? 私もこうして人生を経てくると、Ted さんが彼女に対してほのかに抱いていたような思いとは、本当にかけ離れた愛に悩み、これからの人生をどうしていこうと重たく悩む日々なのですが…。

Ted 01/17/2005 07:50
 「Vickyは、Ted さんにとってどんな存在だったのでしょう?」への答については、"Vicky: A Novella" または「英文小説 "Vicky" の解説」を、お暇の折にご覧いただければ、と思います。読まれましたら、ぜひご感想をお寄せ下さい。

2005年1月15日土曜日

虚言の動機

 1月12日付け朝日新聞は、NHKが2001年1月に放送した ETV シリーズ「戦争をどう裁くか」の第2回「裁かれた戦時性暴力」の内容が放送直前に大幅に変更されていた問題を報じた。番組放送前日の同年1月29日、自民党の2人の国会議員が放送総局長らNHK幹部を議員会館などに呼び出し、内容の変更や放送中止さえも求める発言をしたというものである。

 この問題について、番組のチーフ・プロデューサーは、内部告発への窓口にもなるNHKのコンプライアンス(法令順守)推進委員会に「政治介入を許した」と調査を求めており、1月13日には記者会見を行い、知りえた事実を証言している。他方、自民党の2人の政治家は12日、当時NHK関係者に説明を求め、自分の考えを伝えていたことを認めたと報道されたが、その後の発言はこれとは異なっている。

 身の不利を承知の上で正義を重んじることを選んだチーフ・プロデューサーの発言と、身の潔白に関わる事態での政治家の発言の、どちらが虚言であるか。動機を考えれば、明らかではないだろうか。1月14日、NHKは事実に反する報道をしたとして、朝日新聞社に謝罪要求を出したが、同社はこれを受け入れていない。

 後日の追記:この問題について、1月25日、日本科学者会議の片平洌彦・事務局長は、「日本国憲法と放送法に厳格に基づく公共放送の確立を強く求める」談話を発表した。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 01/15/2005 13:12
 あの二人の政治家、当初の発言が自分の信念であるならなんらそれを変えることなく貫き通したらいいのですよ。それを修正するというのは有権者に対する「ソフトなイメージ」を気にしてのことは明白ですね。しかし、最初に出てきた「自由な言論に対する弾圧者」が真の彼らの「顔」であることは間違いない!

Ted 01/15/2005 13:47
 同感です。

2005年1月14日金曜日

芥川賞作家の日本語知識

 2000年に芥川賞を受賞した作家で、ミュージシャン、俳優もしている町田康が、最近の随筆 [1] の冒頭に「待ちに待った一月元旦」と書いている。辞書を引いてみるまでもないが、念のため『広辞苑』を見れば、「元旦」とは「元日の朝。元朝。また、元日」であり、「元日」とは「年の初めの日。正月の第一日」である。したがって、「一月元旦」というのは「馬から落馬」というに等しい。私が貰った賀状を見ても、2005年元旦や平成17年元旦はあるが、一月元旦となっているものは一つもない。

 ノーベル賞物理学者の Murray Gell-Mann が、読んでいる書物の一部に間違いがあれば、残りも信用できないので、読む気がしなくなる、というようなことを書いていた。私もそうである。しかし、町田の随筆は短いので、我慢して読み通してみた。終り近くに、「私は一月元旦に早くも挫折した」と、再度「一月元旦」が出てくる。「ここらで私もそろそろエビの殻を自分で剥けるようになろうかな」と思ったが「エビはぼろぼろになってしま」ったという、それだけの話である。彼の文筆にも挫折が見られるといわなければならない。


  1. 町田康「不器用者の正月」しんぶん赤旗 p. 9 (2005年1月12日).

 
[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を以下に転載。]

*maho 01/14/2005 12:08
 なるほど。「後で後悔する」っておかしいな、と思うのですが一般的に使われていますよね。おかしくないのかしら。

Ted 01/14/2005 15:20
 「後で後悔」や「一番最初」は、強調の意味での重複用法でもあり、口語表現としては慣用的になっているようですが、文を書くときは使わない方がよいのではないかと思います。

Y 01/14/2005 21:39
 町田康じゃだめですよ、もちろん毒と面白みの強い作家で、その個性で芥川賞を取りましたが、彼なら余裕でその程度の日本語間違いをするだろうということは予測がつきます。
 芥川賞作家といっても語彙からして、様々ですね。やはり、大江健三郎になると素晴らしいし、私は小説を書いていた頃、辞書を引きまくって彼の語彙を勉強していましたが、もっとさかのぼって、たとえば東大系の作家でも、一番読みやすく、辞書など引く必要ひとつもなく、それでいて本当に上質で深く、胸にくる作品を書く作家は太宰治ですね。他の東大系となると、川端康成、三島由紀夫、皆、読みやすくはないですね。京大からはあまり出なくて、井上靖、だったかなあ? (確認していません)
 ところが作家は大学中退や学校中退の人が大勢いる世界です。日本語を正しく使える人と思ってはいけませんね。その意味では、昨今の新人賞レベルをはるかに超えた文学の基礎をもっていて、「介護入門」での芥川賞受賞作家、モブ・ノリオは自由な乱暴な作品を書いているようで、新潮など各社の編集者が奈良の彼にまで会いに行ったところ、その文学の基礎はすごいそうですよ。ホント、色いろが通用する(しない)世界です、作家は。私はもっと着実なことがしたいと気づきましたね。

Ted 01/15/2005 09:17
 井上靖は、略年譜によれば、金沢の第四高等学校理科甲類、九州帝大法学部英文科(中退)を経て、1936年に29歳で京都帝大を卒業(文学部哲学科で美学専攻)、となっています。
 私から見れば、文学は色いろが通用し過ぎる世界のようです。

Ted 01/15/2005 11:26
 平野啓一郎も京大卒!

poroko 01/14/2005 22:43
 山田悠介氏にはかないますまい。町田康さんは昔面識があったので(数回会ったことがある程度ですが)その当時のことを思い出して懐かしい気持ちになります。
 「一月元旦」というのは、小学生の頃やった間違いのように思います。年賀状に書いたことがあるような気がします

Ted 01/15/2005 09:27
 山田悠介氏、スピードとスリルのホラー小説作家ですか。私は町田も山田も読みません。
 年賀はがきの制度が始まったのは、私が中学生のときですから、私はその頃、雑誌「少年クラブ」あたりで、「一月元旦」が間違いということを知ったと思います。

poroko 01/15/2005 22:19
 山田悠介氏は読んだ人の感想が物凄いので興味を引かれて、学校図書館で借りてみました。(Ted さんがお読みになるには及びません。)

2005年1月13日木曜日

アインシュタインの社会的業績と坂東昌子教授

 愛知大教授、日本物理学会世界物理年委員会委員の坂東昌子さんは、市民向けの講演会で一市民から「原爆を作った物理は嫌いです」といわれ、「原爆と物理が連動されてとらえられていることを改めて思い知らされ」たという話を、世界物理年に寄せる文の始めに記している [1]。

 その文の中で坂東さんは、哲学者バートランド・ラッセルと物理学者アルバート・アインシュタインが共同で出したラッセル・アインシュタイン宣言が、科学の成果の悪用をとめるため、「科学者も社会の一員である以上、組織として発言し行動することが必要」[2] と呼びかけたことを紹介している。続いて、世界物理年の企画には、アインシュタインのこの意図を引き継ぐものが少ないと感じていること、そして、核兵器だけでなく生命科学の分野でも科学と社会の関係やそれに対する科学者の関わり方が焦眉の課題であることを、坂東さんは述べる。

 私も、ラッセル・アインシュタイン宣言はアインシュタインの大きな社会的業績の一つともいえるものと思い、科学者はこの宣言の精神を尊重し、積極的に社会的発言をしなければならないという考えを持つ。

 私が大学院修士課程の学生だったとき、理学部構内の道を歌を口ずさみながら歩いていたりするのをよく見かけた愛くるしい後輩女子学生がいた。彼女はある日、ノートを手にして、私がいたコックロフト・ウォルトン型加速器の実験室へ現れた。そして、「T 先生、原子核物理学の歴史について教えて下さい。J. J. トムソンが…」といった。大学文化祭の展示用資料作りのためだったのだろう。その頃まだ物理学の歴史について不勉強だった私は、彼女の言葉をそこでさえぎって、「ぼくは歴史はよく知らないので、FさんかTKさんに聞いて下さい」と1年先輩の人たちを紹介した。

 思えばその愛くるしい後輩が、後に結婚して坂東姓となった中山昌子さんだったのだ。私は先輩を紹介しなければならなかったことが残念で、「J. J. トムソンが…」という言葉とその時の中山さんの顔が、いまでも脳裏に焼き付いている。彼女の言葉は、「J. J. トムソンが電子を発見した頃の話から、お願いします」とでも続くはずだったのだろう。

 それからかなり後に、ある雑誌の女性科学者紹介の連載記事でだったと思うが、大学院博士課程で素粒子論を専攻した中山さんが、同じ物理学研究科で原子核理論を学んでいた彼女の小学生時代からの同期生・坂東弘治氏と結婚していたことを知った [3]。東大核研教授だった夫君の訃報を新聞で見たのは、15年ほど前になる。その悲しみを乗り越えて、意欲的な活躍を続ける彼女に拍手を送りたい。

 後日の追記

 坂東さんの文をここに紹介したことを、彼女にメールで知らせたところ、「そんなことがあったのか、と昔を懐かしく思い出します」という旨の返事を貰った。


  1. 坂東昌子「科学者と社会的責任:2005年世界物理年によせて」しんぶん赤旗 p. 9 (2005年1月11日).

  2. これは、ラッセル・アインシュタイン宣言(The Russell-Einstein Manifesto, 1955)の必ずしも忠実な訳ではなく、その意図をくんだ言い換えと思われる。同宣言原文は、例えば、http://www.pugwash.org/about/manifesto.htm に掲載されている。

  3. 記憶の不確かなところは、坂東さんのホームページの記事から補った。

2005年1月12日水曜日

「憲法9条はいまこそ旬」

 昨1月11日午後6時30分から、堺市長曽根町・じばしん南大阪で、「1・11憲法9条を守りいかす講演の夕べ」が、同実行委員会の主催で開催された。講演は小田実氏による「今、この時代に、このごろ考えること」。立ち見も出る850名の聴衆が会場を埋め尽くした。演題には、いやに同義語が多い気がするが、講演の題名は、随筆や論文の題名とは異なって、響きのよさが問題なのだろう。

 小田氏の話は、阪神・淡路大震災の際に氏が知ったわが国の地方および中央の行政における災害対策の欠如の話から始まり、氏が大阪で受けた空襲の体験談、終戦直前にニューヨーク・タイムズ紙が報じている連合軍は天皇の命をおびやかさないとの決定と、それがわが国ではほとんど知られていないという事実、と続き、憲法9条の話はいつ出るのかと、やきもきさせた。しかし、終盤約1/3の時間で9条に触れ、津波難民の救済などにこそ、憲法が生かされなければならない、「憲法9条はいまこそ旬」である、と力強くいわれた。

 講演に先だって、ESPERANZAグループ(奥田良子、奥田勝彦夫妻)によるフルート演奏があったが、私は呼びかけ人の一人として楽屋裏に待機していて、モニター・テレビを通しての鑑賞だったのは残念だった。開会挨拶は呼びかけ人を代表して、大阪いずみ市民生協理事長・榎彰徳氏と私が5分程度ずつということだったが、榎氏が10分程使ってしまったので、私はごく短く、物理屋としての憲法9条への思いを述べるにとどめた。せっかく、5分ほどの話の要点をメモして行ったのだったが。

 「たとえば、宇宙物理学では宇宙の出来始めであるビッグバンという現象の起こったのが、137億年前だったということが、わずか2%の誤差で推定されるに至っており、これは人類のすばらしい英知の一端を示すものである。しかし、この狭い地球上での紛争の解決に人間同士が殺し合う野蛮な戦争をしていたのでは、このような英知と全くバランスが取れない。戦争放棄をうたった憲法9条こそは、人類の英知のバランスを保つものであると感じている」と。

 講演会のあと、会場近くの居酒屋で、実行委員・呼びかけ人の有志が小田氏を囲んで懇談会を持った。小田氏は得意の毒舌を大いにふるい、その中で次のようにいわれた。「君たちは『通販生活』を読んでいるか。いま広く読まれているこの雑誌の読者層を捕まえないでは、9条を守る運動などできないぞ。福岡県のパート社員、42歳の女性が、私の本 [1] について立派な書評を投稿している。『冬ソナ』のビデオ全巻と本書のどちらかをもらえるとしたら、選ぶのは後者でしょう。ヨン様許して! 比べる対象が違うよと、怒るかもしれない小田実さん、ゴメンナサイ、と書いてある。」帰宅して『通販生活』最新号を見ると、一言一句違いのない書き出しの書評 [2] が載っていた。


  1. 小田実『随論 日本人の精神』(筑摩書房, 2004).

  2. 上田奈々子、読者のおすすめ本:随論 日本人の精神、『通販生活』春号、p. 242 (2005).

 
[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を以下に転載。]

四方館 01/12/2005 13:10
 私としては、国家概念などに拘りなく、地球上のある地域の一市民としてのアイデンティティーを有するのみでよいと思っているのですが。然りながら、世界がなお国民国家体制の枠組みのなかにある限り、日本もまた国家としての形が要請されるのはやむを得ず、そのなかで、戦後60年の間、憲法の一語一句も不変のまま、解釈の変容のみで国として国際関係を維持し、体裁を繕ってきたことは異常の極みではないかと思わざるを得ないのです。9条論議も、個別的自衛権、集団的自衛権など立法府も行政府もずいぶんと時宜に応じて勝手な解釈をしてきたこと、そのこと自体が大変問題であって、すでに9条の条文自体が空文化されてしまっている状況で、9条を守ろうというのは運動としてどうして成り立つのかが不明だと思うのですが…。

S 01/12/2005 14:04
 Ted さんがおっしゃりたいことは、特措法の名のもとに、憲法を骨抜きにしている動きを合法化させないように、憲法改悪を許してはならないということだと思います。

Ted 01/12/2005 15:44
 まさに、四方館さんのおっしゃる「勝手な」解釈で、憲法違反の疑いのある現実を作りだしておきながら、憲法が現実に合わないとの歪んだ論理で「改正」をしようというころに問題があります。「改正」をしてしまえば、これまでのような歯止めは全くなくなり、戦争をする国へまっしぐらに突進するでしょう。
 1999年にオランダで開かれた世界市民会議では「あらゆる議会は、日本国憲法第9条のような、政府が戦争を行うことを禁止する決議を採択すべきである」というよびかけが行われました。また、2000年に出された国連のミレニアム・フォーラム報告書も、「各国は、日本の憲法第9条のような戦争放棄条項を、憲法に盛り込むべきである」と述べています。このように、世界が手本にしようとしているものを、日本の国民が自ら葬り去れば、大きな愚行として世界史に残ることになるでしょう。
 紛争の解決もテロの防止も、武力ではなく、対話によってこそなされなければなりません。

Ted 01/12/2005 16:16
 私の先の返信は、四方館さんのご意見とうまくかみ合っていなかったかも知れません。四方館さんのご意見が、9条を守る運動より、勝手な解釈を正すことが先決だという意味ならば、筋道としては、その通りだと思います。
 しかし、政治に関わる運動は、過去の流れやその時の状況も、考慮すべき重要な要素です。過去5件ほどの自衛隊違憲にかかわる裁判が、地裁で一旦違憲判決の出たものも、すべて上級審では、憲法判断見送りというような結果となり、勝手な解釈を正すことが残念ながら、たいへん困難な状況にあります。また、目下、自民党を始め、野党・民主党までが改憲を検討している現在、改憲が本当に必要なものかどうかをこそ、国民一同が考えなければならないと思います。

Ted 01/12/2005 16:29:04
 講演会用チラシのプロフィル欄で読みながら忘れていましたが、小田実さんはイラク派兵違憲訴訟にも関わっておられ、わが国の平和運動全体を見渡すならば、「勝手な解釈を正す」運動も、なおいくつか粘り強く行われているようです。

Y 01/12/2005 17:12
 四方館さん、S さん、Ted さんの書かれていること、それぞれに適切で、難しい問題だと思うし、政治・法律音痴の私はただ勉強させていただくだけなものですから、まったく自由に一市民としてコメントさせて頂きますね。
 とりあえず Ted さんが記事の4行目で大笑いさせてくださった、いやに同義語の多い演題、何とかなりませんかね。850名も真面目な聴衆が集まっているのに、演題のひとつぐらいもっといいものを考え付かないでどうしますかね…。
 それから、私にとっては憲法9条や憲法の前文を読む心地よさ(雑な表現ですみません)は、哲学者カントの素晴らしく誠実な文章を読む時の心地よさとかなり似たようなもので、やはりまだまだ、私たち国民は憲法を大事に尊重していってよい可能性があるように感じます。
 「冬のソナタ」は大好きな韓国ドラマだったんですが、『通販生活』と筑摩書房から出てる(悪いけれど、私、まず出版社で良い悪いがだいたい判りますので)小田氏の著書とが直結されてるあたり、とてもよいと思います。この次の市民レベルとの結びつきを、Ted さんの言われる「対話」で強化し、9条問題に対応していく道筋を作っていくのは、もう小田氏や Ted さんなどの役割で、ご発言や行動の力量が期待されます。『通販生活』の彼女は、もうその投稿で、十分頑張っているんですよ。

Ted 01/12/2005 19:40
 元気づけられるコメント、ありがとうございます。

四方館 01/13/2005 09:49
 Ted さん仰るような、国際的レベルにおいて、一部、日本の憲法9条が評価されていることや、度重なる違憲訴訟における最高裁の姿勢など、を含めて申し上げている心算です。憲法改定へのハードルが高すぎることもあって、この60年間というもの解釈論議だけでやってきた。これはいつかガラガラポンとやらなきゃならないと思うのですがね。平和を恒久の念願として戦争放棄をする憲法精神が、条文としてでなく、慣習法のようにあるのならともかく、条文化されている限り、実態と矛盾乖離することなく時宜に応じてその細部は明確に変更されてしかるべきだと。
 私などはずっと自衛隊の存在自体、最初から憲法を逸脱した存在であると思っている訳で、そう受け止めている大衆は結構多い筈で、それなのに日本の立法府や行政府は、解釈議論だけですり抜けていくという泥縄をやる。そういう政治感覚を許容する国家というものに、国民としての権利と義務を云々すること自体がリアリティーをもって迫ってこない。そんな感覚を蔓延させるから、国としての意識も希薄な、国民意識も育たない、浮遊するような大衆が多数派になってしまうのだと。
 だから、いま、改定論議が喧しいけれど、それを本気でやってごらんなさい、ちゃんと国民の前に出してきてごらんなさい、それで国民投票が断を下すことになっているのだから、逃げ回ってばかりいないで、やれるものならほんとにやってごらんよ、って言いたいですね。

Ted 01/13/2005 17:50
 「やれるものならほんとにやってごらんよ」とおっしゃるのは、日本の立法府や行政府のいままでの行き方からすれば、実現出来ないだろう、ということかと思いますが、まさに「浮遊するような大衆が多数派になって」いるとおっしゃる現状からは、実現してしまう恐れがあり、9条を守る運動は、それを阻止したいということです。

2005年1月10日月曜日

「就職試験には保健体育を重視すべき」

高校時代の交換日記から。

1952年1月11日(金)雪

(Sam)

 宮本武蔵の『五輪書』と道元の『正法眼蔵』を優れたものとして引用したり、ある生徒から先生への手紙を示したりして「体育の目標」を論じようとした K 先生の授業は、みごとなものだった。就職試験には保健体育を重要視すべきである、と決然としていい放ち、保健体育が必修科目でなければならないことを堂々と述べ、この評価だけですべての評価を代表できると豪語した。通知簿は、A 理解、B 習慣、C 能力、D 参加、について評価するそうだ。


(Ted)

 英語の時間に習った次の文は舌先を痛くするのに十分だ。"I'm sure that that 'that' that that man used in that sentence is incorrect." ちょっと見ただけでは分かりにくいだろうから、説明を少し書いておこう。最初の that は接続詞、次に形容詞、指示代名詞、関係代名詞、形容詞と並んでいる。訳して見たまえ。That の中の a の発音が、e の逆さの発音記号になる場合と、a と e をくっつけた発音記号になる場合を読み分ける練習もしたらよいだろう。

2005年1月9日日曜日

フラメンコ衣装のモデル

 先週半ば、私と金沢の小学校で同級だった女性 M・A さんからの手紙が妻宛に届き、不思議に思った。同時に発送された私宛のが、なぜか遅れて翌日着となったのだ。私宛の手紙には彼女が4年前にフラメンコ衣装でモデルになった油絵の写真が同封されていた。「ご迷惑でなければ、小学校の同級生の女の子の写真と思って、もらって下さいますか」と。No, I don't mind at all.

[後日の注:私の親友の一人で M・A さんの幼友だちでもあった T・K 君が先に亡くなったので、彼からの最後のメールや、彼の死を知らせる彼の夫人からのメールのコピーを少し前に彼女に送った。写真はそれにに対する礼だった。上記の文は、それに続いて英語で書いたものの概要ないしは導入文であり、本文は "The Model in Flamenco Costume" の題名で英文ブログサイト "Surely I'm Joking!" に転載したので、この復活記事では略する。]

♪あなたのくれた帯留めの…

高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年1月9日(水)曇り

 町の青年部の総会と新年会が某うどん店の二階である。総会は停年に達した会長の後任を決めるだけだったが、その方法がなかなか決まらなかった。結局、会長が数名を候補者として挙げ、抽選によって決定するということになる。
 そのあと、新年会。カルタをするのでもなく、クイズをするのでもなく、くみつかわしつ飲んで、酔って、歌うのである。ぼくがまさか、♪あなたのくれた帯留めの…
[注1]、とも、♪あなたがその気でいうのなら思い切ります…[注2]、とも歌えないし、黙って聞いているより仕方がなかった。

引用時の注(貰ったコメントを参考にした)

  1. 「トンコ節」。

  2. 「炭坑節」。「トンコ節」とともに、当時よく歌われた。これらについての、より詳細はコメント参照。

 
[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を以下に転載。]

テディ 01/09/2005 22:45
 かすかに記憶のある歌詞でしたが、検索したらすぐに見つかりました。ネットって本当に便利ですね。その歌は「トンコ節」ですね。青年部の会長の定年って何歳だったのでしょうか?

Ted 01/10/2005 07:47
 「トンコ節」のウエブサイトを教えていただき、ありがとう。早速、見ました。
   トンコ節
        作詞 西条八十
        作曲 古賀政男
1.あなたのくれた 帯留めの
  だるまの模様が 
  チョイト気にかかる
  さんざ遊んで 転がして
  あとでアッサリ つぶす気か
  ネー トンコトンコ
往時がしのばれます。
 私は、自分の住んでいた町に青年部があったかどうかも知りませんので、青年部会長の定年年齢も、もちろん知りません。

Ted 01/10/2005 08:01
 ついでに「あなたがその気で」を検索し、福岡県民謡「炭鉱節」の一節と分かりました。
1.月が出た出た月が出た
  (アヨイヨイ)
  三池炭鉱の上に出た
  あんまり煙突が高いので
  さぞやお月さん煙たかろう
  (サノヨイヨイ)
2.一山 二山 三山 越え
  (アヨイヨイ)
  奥に咲いたる八重つばき
  なんぼ色よく咲いたとて
  様ちゃんが通わにゃ仇の花
  (サノヨイヨイ)
3.あなたがその気で言うのなら
  (アヨイヨイ)
  思い切ります別れます
  もとの娘の十八に
  かえしてくれたら別れます
  (サノヨイヨイ)
「炭鉱節」も当時よく歌われていましたが、私は上記の前半しか知りませんでした。
 [転載時の注:上記の二つの歌詞を掲載していたサイトは、その後リンク切れとなった。]

Y 01/10/2005 14:33
 あの…。事情で具合が相当悪く、一番読みやすくて、お忙しい中でその恐るべき速さで書き続けられる Ted さんブログのひとつでも来て、コメントしたいと思っても、開いただけで、一向読む気力が出ませんでした。やっと参りましたら…ずっこけました。四方館さんのブログでのご家族での初詣エコログほどに、ちょっとずっこけましたね。なんですか、歌(演歌ですか?)の歌詞だけって・・(笑)。Ted さんと四方館さんって、お二人高レベルですごいですね。
 私は、「あなたがその気で言うのなら 思い切ります別れます」の歌のほうに惹かれるんですが、どうして「その気で言うのなら」思い切ります別れます、なんでしょうか? ああ、もしや、別れの言葉を言われたということですか。しまった、私には言われた経験がたった1回しかないので、わからなかったかな…? あと全部、こちらからお別れ、あるいは逃げてまいりましたので。
 Sam さんはいい方ですよ。だって高校生だしこの通りでしょう。「ぼくは」とひらがなで書かれる男性は、素敵ですね。Ted さん、しゃれっ気でこのブログ書かれましたね、違うんですか?(^^)

Ted 01/10/2005 15:43
 高校時代の Sam との交換日記を、ネタのない日や、交換日記がそこそこうまく書けている日に引用し始めました。しゃれっ気というほどのものではありませんが、そう取って下さっても結構です。「炭坑節」の3番の歌詞は、お気づきのように、女性が別れの言葉をいわれた、というものですね。

Nadja 01/10/2005 15:51
 あなたがその気でいうのなら…以下の歌詞は、沖縄民謡の「十九の春」に似てますよね。[転載時の注:「十九の春」へのリンクも記してあったが、その後リンク先が消滅したようである。]

Ted 01/10/2005 16:24
 なるほど似ています。福岡県は沖縄に近いからでしょうか。

テディ 01/10/2005 21:20
「炭坑節」の二番三番など全然知りませんでした。私は今までこの歌は炭鉱夫(今ではこの言い方も差別用語とされるのでしょうか?)の労働歌だとばっかり思っていましたが、実は炭鉱婦の歌だったわけですね。それから考えると沖縄民謡の「十九の春」に似た歌詞があるというのも、沖縄から流れてきた炭鉱婦がその歌詞に手を加えたことが充分思慮されます。これは深く追求したら色々な事実が垣間見られるでしょうね。ひょっとしたら、研究した文書もあるかもしれませんよ。

テディ 01/11/2005 22:16
 「ラッパ節」ってかなりの反戦歌ですねえ…。
     ラッパ節
1.いま鳴る時計は 八時半
  あれに遲れりや 重營倉
  今度の休みが ないぢやなし
  放せ軍刀に 錆がつく
  トコトットット
2.大臣大將の 胸先に
  ピカピカ光は なんですえ
  金鵄勳章か 違ひます
  可愛い兵士の しやれかうべ
  トコトットット
3.名譽名譽と おだて上げ
  大事なせがれを むざむざと
  銃(つゝ)の餌食に 誰がした
  元のせがれに して返せ
  トコトットット
4.子供の玩具ぢや あるまいし
  金鵄勳章や 金平糖
  胸につるして 得意顏
  およし男が 下がります
  トコトットット
5.倒れし戰友 抱き起こし
  耳に口あて 名を呼べば
  につこり笑つて 目に涙
  萬歳となふも 口のうち
  トコトットット
 この「元のせがれにして返せ」が「炭鉱節」の「もとの娘の十八に/かえしてくれたら別れます」や「十九の春」の「今さら離縁と云うならば/元の十九にしておくれ」に通じるといえるかもしれません。いずれにしても、庶民のルサンチマン(怨念)の発露と言えるのかも…。しかし、この歌を公の場で歌えばかなりの弾圧を受けたと思われます。それだけに庶民の恨みが伝わってくる思いがするのですが。

Ted 01/12/2005 08:58
 「炭坑節」と「十九の春」で検索し、次のウエブサイトを見つけました。
[1] 九州沖縄の歌[十九の春]
[2] 小浜司、島唄コラム Vol. 5「十九の春」、歴史的に考察する
[3] 仲宗根幸市、黒潮の海を往来した歌たち
[4] Kyo Nobuko、2002東アジア文化論第5回、旅する唄:「路上」から「辺境」へ
[後日の注:上記サイトはいずれもその後リンク切れとなった。]
 [1] には

 この曲[「十九の春」]の原型は明治時代の終わり頃、本土で流行した「ラッパ節」が九州の炭坑労働者の間で歌われ、その後与論島に伝わり、「与論ラッパ節」「与論小唄」と進化し、それが沖縄に伝わったのではないかと言われている。戦前、沖縄では「ジュリグヮー小唄」として歌われた。それを1972年の日本復帰後、本竹裕助が歌詞を補作してレコード化、大ヒットした。

とあり、[2]、[3] にも同様な流れが記されています。しかし、「炭坑節」との直接の関係は記されていません。[2] には「与論小唄」の歌詞があるものの、問題の「炭坑節」と「十九の春」との間で類似している句に似たものは見当たりません。他方、[4] は唄の里としての炭坑、「炭坑節」の誕生、から始まって、ラッパ節までを論じていますが、ここでも、歌詞の類似性までは述べられていません。いずれにしても、九州の炭坑労働者から沖縄へという経路があったことから、歌詞の内容の類似性の裏に潜んでいた句の類似性がどこかで浮上した可能性はあると思います。

Ted 01/12/2005 09:27
 [4] にはラッパ節の1番しか載っていなかったので、テディさんが全歌詞と関連サイトを書いて下さったのは助かりました。また、句の類似性のご指摘も鋭いと思いました。
 軍隊を風刺する歌詞は、口から口へ伝えられ、私的な場でのみ大いに歌われていたのでしょう。私も、どこで覚えたのか、ラッパ節の1番の歌詞は、戦時中の子ども時代から知っていたような気がします。

テディ 01/12/2005 23:18
 Ted さんが子供時代からラッパ節を知っていたということは、大日本帝国憲法下においても庶民の厭戦的空気は表に出せないまでも、かなりある部分では存在していたということなのではないのでしょうか。今憲法の改正や戦前への回帰を主張する勢力が声高ですが、憲法の改正(悪?)や皇道的な教育への回帰を主張する者の見通しがいかに甘いか、自己撞着的であるか、ということでしょう。憲法を変えれば、教育を変えれば、国のために(本音では自分らのために)命を喜んで捨てる人間が増えると思っている。彼らはかのA国B大統領とほとんど同じレベルですよ。

Ted 01/13/2005 08:09
 全く同感です。

2005年1月8日土曜日

「一つ、図書館における態度の改善!」

 高校時代の交換日記から、友人 Sam の分を引用する。Sam と私は、中学校は同じだったが、高校では、それぞれの居住地に近い二水高校と菫台高校に別れた。中学と高校の学区は奇妙に交錯していたのである。

高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年1月8日(火)雪

 ショート・ホームルーム時のあと、大掃除をし、9時半から第1体育館で始業式を行う。校長が今学期の指針として、「一つ」「一つ」と箇条を設けられたので、「軍人勅諭」を思い出し、思わず不謹慎の笑いを発した。三つ目に「図書館における態度の改善」といわれたのには、外部の誰かが聞いていたら恥ずかしいことだと思った。こういうことを今学期の指針の一つに入れなければならないとは、悲しいことだ。これについて、校長は「アメリカでは、道徳教育とか生活訓練とかは家庭や教会の仕事であり、ハイスクールは、もっぱら進学と就職に力を注いでいるが、日本では…」という話もされた。
 短縮授業で午前中に3限、午後に2限がある。社会の時間に座席変更を行おうとしたが、なかなかまとまらなくて、もう少しで先生がかんしゃくを起こすところだった。ぼくが「左から3列と4列の間をy軸にし、前から4行と5行の間をx軸として、第1と第3、第2と第4象限をそのまま入れ替えたら」という意見を出したら、どうやらそれに多数が賛成してくれて、変更ができた。


[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載]

テディ 01/09/2005 13:01
その当時の校長先生は「ひとおつ、軍人は忠節を尽すを本分とすへし!…」の軍人勅諭のリズム?(私は本とか映画でしか知らないですよ…)が体の中から抜けていなかったのでしょうか。
 最近学校での道徳教育が云々されていますが、学校で教わることは所詮子供たちにとっては押し付けと受け取られるでしょう。やはり一番大切なのは家庭と地域による教育なのでは? しかし、その親たちが道徳皆無の状態である昨今では難しい話ですけどね。

Ted 01/09/2005 15:11
 「軍人勅諭」をよくご存知ですね。私たちは勅諭5項目のそれぞれに付属している文まで暗記させられましたが、いまは、テディさんが書かれたところぐらいしか覚えていません。当時の校長先生の体からは、当然抜けていなかったでしょう。
 おっしゃる通り、道徳教育には家庭と地域の役割が大切と思います。

2005年1月7日金曜日

横光利一『機械』の評を読む

 雑誌『図書』2005年1月号に掲載の佐藤正午の「書く読書」第13回は、横光利一の短編小説『機械』(1930)を扱っている。高校1年の教科書に、横光の『旅愁』の一部があったと思うが、その内容は覚えていない。いずれ『旅愁』の全体を読んでみたいと思った(現在まで実現していない)ことや、教師が横光のある作品から「沿線の小駅は…」という一文を繰り返し引き、これが新感覚派の「新感覚」を代表するものだ、といっていたことは覚えている。しかし、「小駅は」のあとの記憶が確かでない。

 「けし粒のやうに飛び去った」だったか、あるいは「小石のやうに飛び去った」だったかと思っていた。2、3年前に必要があって買った高校生用の日本文学史の参考書をいま調べてみると、「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。」(『頭ならびに腹』冒頭)とある。古い記憶は、しばしば当てにならない。が、教師が正しく引用していたかという疑いもぬぐえない。特急列車から見れば、小駅は飛び去るのであり(ガリレイの相対性原理)、そこに注目したのはまさに新しい感覚だ、と高校時代に感心したような記憶があるからだ。

 さて、佐藤は始めに、『機械』を読むと酔った気分になる、といって、その原因を探る形で評を展開する。まず、書き出しの二つの文を引用し、最初の文には「私」が2回、2番目の文には「彼」「嫌がる」「と云って」がそれぞれ2回ずつくり返されていることを指摘する。さらに、喧嘩の場面では、「殴る」という動詞の活用形が2ページの間に約30回使われていることも述べ、この「同語反復文体」の使用は、語り手「私」の信頼性を崩すためであると推定し、なぜそのようなまねをあえてするのかと問う。

 佐藤はここで、横光利一が『機械』の5年後に書いた評論『純粋小説論』から、「四人称の発明工夫」に触れているところを引用する。それは、「自分を見る自分」のことであり、『機械』の推敲時点で、すでに横光の頭にこれがあったとすれば、この小説の謎が解ける、と述べる。

 そして、新たに「私」が二つ出てくる2文を引き、それらは一人称の私と四人称の私と見ることが出来ること、また、書き出しの文の二つの私についても同様に考えられること、を説明する。このことから、この小説は「一人称と四人称とのあいだを、行きつ戻りつしながら」進むので、その往復運動が酔いの感じを与えると結論する。

 読後に奇妙な酩酊感を覚えるといわれたのでは、あまり読む気も起こらないが、どんな酩酊感か、自分で味わってみたいと思わされなくもない。引用されていた書き出しの文ですでに、多少味わわされた気もするが。

[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を若干編集して以下に転載する。]

M☆ 01/07/2005 23:33
You're reading so many books. How many books you read in a week? I can't read even one book in a month (T-T)

Ted 01/08/2005 08:02
I don't read so many books, but am subscribing to many magazines and journals: weekly scientific journals of Nature and Science, and monthly magazines and journals of Scientific American, MacWorld, Physics Today, Butsuri, Nihon no Kagakusha, and Tosho. As for books, I mostly read those on science written in English for general persons (about one per two months). My reading of Japanese books are quite irregular.

Y 01/08/2005 12:20
 面白いですねえ! だいたい『機械』『頭ならびに腹』といった横光利一の小説タイトルだけで、魅了されますよ。私はその手の酩酊気分なら大丈夫だと思うので(「殴る」があっても、最低限の品性や倫理性のない暴力や性描写は嫌なんですが)、ぜひ機会を作って読みたいです、『機械』が一番いいでしょうかね? 短編なら読めますね。
 私は自己論ですが、一人称「私」というものに小説の可能性のほとんどすべてを感じているんです。そのうえで、三人称小説も実に面白いし魅力的で、質の高いものが創れると思っています。
 ところがここで評されているのを受け取ると、横光の小説では四人称の発明工夫がなされていたと。横光自身がそう言ったわけではないのでしょう? ほんとの意味で、小説に四人称というものが誕生しうるかどうか、やはり一人称語りか、三人称語りであらゆる可能性を踏んでいけて、四人称もそれらのどちらか、あるいはそれらの深い関係性の中で出ている人称なのではないかなと、思ってみるんですが、読んでいないのでなんともいえないですね。もちろん「自分を見る自分」というだけでは、これは一人称の範囲に十分入りますしね。
 列車の駅にしろ、新感覚を小説で表現する、そして私たちがそれを新感覚で味わう、昔の小説であっても、…ということは、たのもしいことですね。よいブログ、ありがとうございます。

Y 01/08/2005 12:23
 最低限の倫理性がない小説は嫌、と書きましたが、もちろん倫理性というものに真っ向から挑戦していくような非倫理的な小説(たとえば有名なカミュ『異邦人』とか)なら、大歓迎、OKですよ。それこそ、学術論文ではなしえない仕事ですよね。

Y 01/08/2005 12:31
 「自分を見る自分」という説明だけで受け取れば、これは自己内客観性、というのか、自分を自分で見る特殊な主観性による目、といえばいいのか、難しいんですが、『図書』は大変よい雑誌ですが、Ted さんもお忙しい中、少しずつの時間ででも小説を新たにじかに読まれて、一人称的感想を書かれる機会ができることを期待しております。
 ちなみに小説は一人称「私」にほとんどすべての可能性がある、と言ったのは、現象学的精神病理学において、この一人称「私」を徹底的に追究していて、それに私はかかわってきたからゆえの発言です。コメント多くてすみません。

Ted 01/08/2005 16:24
 佐藤正午さんは、——横光利一の『純粋小説論』に「四人称」という見慣れない言葉が登場して目を引く。——と書いていますので、四人称という考えは横光自身のものであり、彼自身その発明を小説の中で使ったと思われます。佐藤さんが引用している『純粋小説論』の文において、横光は「自分を見る自分」に続いて、「この、人々の内面を支配している強力な自意識の表現の場合に、いくらかでも真実に近づけてリアリティを与えようとするなら、作家はも早や、いかなる方法かで、自身の操作に適合した四人称の発明工夫をしない限り、表現の方法はないのである」とまで書いています。佐藤さんが『機械』に四人称の使用を想定して分析しているところからは、形式上どちらにも「私」を使いながら、状況の中に泳ぐ私と、それを客観視する私を微妙に分けて描くとき、後者を四人称と呼ぶのだろうと思われます。
 小説あるいはその他の書物についての私自身の感想を書きたい気持ちは十分に持っていますが、感想をまとめるのは、少しずつ読んだのでは難しく、ある程度集中して読める時にしたいと思っています。当分、原研からの委託調査の取りまとめに、かなり時間を取られる状況ですので、いずれ、ということで、ご期待下さい。

M☆ 01/08/2005 14:57
I see (^__^) We have so many chances to have interesting magazines in book store. When I was 23 years old, I read "NEWS WEEK INTERNATIONAL," "AERA" and "NEWTON."
 英語で書くのは難しいんだけど、ニュートンで【宇宙旅行を数年したとしたら、その人は地球にいる人よりも数年年が若くなる】という記事にとても興味を覚えました。それは物理学なのかな? それとも量子力学なのでしょうか? 当時「今私が学生だったら、大学で学んでみたい分野を迷わず選べるのに!」と思ったのを覚えています。

Ted 01/08/2005 15:35
 「宇宙旅行を数年したとしたら、…地球にいる人よりも数年年が若くなる」というのは、アインシュタインの相対性理論によるものです。ただし、その宇宙船のスピードは光速に近くなければなりません。「物理学なのかな? それとも量子力学なのでしょうか?」と書かれましたが、量子力学は物理学の一部です。物理学の中で、20世紀始めに形成された新しい分野が、相対性理論と量子力学で、それ以前の物理学は古典物理学と呼ばれています。

M☆ 01/08/2005 23:49
 なるほど!物理学の中に全てそうした「学問」があるのですね! 面白いなぁ! 雑誌ニュートンはすごく面白くて、また育児から開放されて時間ができたら購読しようと思っている雑誌の1つです。物理学、とても興味深い面白い学問だと思いました。

2005年1月6日木曜日

亡き友 KZ 君を想う

 高校1年の冬休みの日記から2日分を引用する。英文で書いている日があるところなど、最近のブログと変わらない。三つ子の魂百まで。

 登場するKZ君は早熟の文学青年だった。高校2年の途中で東京へ引越し、学習院大を出て、H社に勤めたが、40歳台前半で死亡した。学会で東京出張の折、彼に会おうと思って電話したところ、夫人から数日前に亡くなったと告げられ、三鷹市の家へお悔やみに参上することになったのだった。病気だったのかと聞くと、いろいろありまして、ということだった。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年1月5日(土)雨

 「(…死、生命、永遠、さういった事柄も、それを理解しうるに足る大きな器官をもったものには、じつに簡単なことなのであらう)」という、『赤と黒』第44章におけるジュリアン・ソレルの考察や、その前に書いてある漁師と蟻の例え、ぼくもよくこういう考え方をする。


 北国書林へ行ってみたが、MR君は昨日でアルバイトをやめたのか、いなかった。歩き続けて、KZ君の家で、紺がすりを着た彼が「上がれ」といってくれたときは、靴下が湿っぽくなっていた。学課に関する話を少ししてから、彼は「さて、用件は?」と聞いた。しまった!と思った。KJ君やKB君を訪ねるようなわけに行かないことを忘れていた。火鉢の中で、火ばしを灰の中へ押し込みながら、短時間で答えを出さなければならなかった。そして、A先生を訪ねないか、といってみたが、なお、「それから?」と来た。年賀状に書いた言葉がたたったのだ。「君にいいたいことがたくさんあるようだ。君に習いたいことも…」と書いたはずだ。
 「それが、どういったらよいか分からないのだ。」
 「分からないというのなら、その対照としての分かる部分があるだろう。」
 「ぜんぜん分からんのだ。」
と、つまらない会話を続けた。急にKZ君は、
 「分からんといっていることが分からんぜ。」
と、目をとがらせていって、腕を組んで頭を伏せたりする。何も真剣に考えていなかったぼくは、笑いをこらえる工夫が必要だった。
 「板門店会談は不成功だな。」
と、KZ君は例えた。英会話のレコードを一枚聞かせてくれてから、
 「失礼かも知らんが、いまから寝る時間だから。」
といわれて、腰を上げた。おざなりにいい出したA先生訪問を実行しなければならなくなった。

1952年1月6日()雪

Called on Mr. A with KZ. Mr. A told us about effective methods of study and memorizing. KZ may have been interested in such a story, but I was not at all. KZ asked Mr. A who visited him often these days among our classmates of the elementary school. Mr. A mentioned H. I., R. F. and some other girls as well as HY's mother, and told us that HY, who entered Koshi-fuzoku senior high school, never went to bed before 12 o'clock at night to study hard.

Mr. A told us also about his middle school days at Kanazawa Shogyo. He said that it was a wild and violent life, that we must walk along the way that lied between an uncivilized age and a civilized one in our life and that our natural desire of becoming a cultivated man should be satisfied by the society. It was noon when Mr. A finished another story about scientific miracles, so that we said, "Pardon us that we disturbed you."

2005年1月5日水曜日

世界物理年

 国連が2005年を「世界物理年」(World Year of Physics 2005) と定めた(国連が採択・宣言した正式名称は「国際物理年」であるが、国際純粋・応用物理学連合の決めた「世界物理年」の名称が先行していた)。2005年は、アインシュタインが、従来の時間と空間の概念を改めた特殊相対論、量子力学の一つの先駆となった光電効果の理論、分子の存在をはっきりさせたブラウン運動の理論、という三つの偉大な論文を発表した「奇跡の年」から100年目に当たる。

 日本物理学会では「世界物理年日本委員会」を設け、岡山県立光量子科学研究所主催「物理チャレンジ2005」(8月)、物理学会年会においての「ジュニアセッション」の開催(東京理科大学、野田、3月)、物理学会誌への「日本の物理学100年とこれから」連載などを企画している。

 元旦の朝日新聞の「DO科学」と名付けた第3部も、「世界物理年」に触れている。「奇跡の年」の舞台ベルンを歩く、アインシュタイン年表、アインシュタインのひ孫チャーリーの談話、エベリット教授が率いる「時空のゆがみ」測定の人工衛星実験計画、身の回りのアインシュタイン、等の記事を掲載した努力を多としたい。

 前記「日本の物理学100年とこれから」の第1回は「量子力学:その基礎への日本の寄与」と題して、日立基礎研の外村彰が書いている [1]。その優れた解説は、「"科学技術創造立国" を目指す日本は、今こそ、長期的視点で日本の学術研究を進展させ、50年、100年後で良いが、自称でなく他の国からも "科学技術創造立国" と言われる国になってほしい」と結ばれている。これは、政府や文部科学省の人びとにぜひ読んで貰いたい言葉である。

 ただ、外村の解説の文頭近くにある「究極理論を作り上げたノーベル賞のS. ワインバーグ」という言葉は、気になる。ワインバーグは「究極理論」という言葉が題名に入った本を著してはいる [2]。しかし、その書名全体が示す通り、そのような理論は、まだ物理学者にとって夢なのである。ワインバーグとA. サラムが成し遂げたのは、電磁相互作用と弱相互作用の統一であり、「標準模型」と呼ばれているものの一部である。査読者もこの誤りを見落としたとは、お粗末だ。著者の業績が立派でも、解説文に単純ミスがないとは限らないのだから、念入りに精査すべきである。このシリーズの企画が、「物理学の尽きない興味とその魅力を社会に語りかける」[3] というものであるから、その正確さはいっそう重要である。

 翌日の追記

 上記のミスについて、著者にメールを送ったところ、早速、「確かにその表現は正しくありません。この文章は、編集委員会からも高校生向けにも理解できるようにというご指導を得て、大分訂正しましたので、編集委員とも相談して対応したいと思います。」という旨の返事を貰った。


  1. 外村彰、日本物理学会誌 Vol. 60, No. 1, p. 3 (2005).

  2. S. Weinberg, Dreams of a Final Theory (Pantheon, New York, 1992; paperbound, Vintage, 1994).

  3. 大橋隆哉、久保謙一、日本物理学会誌 Vol. 60, No. 1, p. 2 (2005).

 
[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を若干編集して以下に転載する。]

テディ 01/06/2005 00:18
 自然界に存在する4つの力、「強い力」「弱い力」「電磁気力」「重力」を全て一つの力として説明しようとする「大統一理論」のさきがけとなった「弱い力」と「電磁気力」を統一したのが、「ワインバーグ・サラム理論」でしたよね。それを「究極理論」と称するのはシロウトのわたしでも "?" ですねえ。

Ted 01/06/2005 08:08
 日本物理学会誌の論文の著者の所属にはメールアドレスも記されていることを思い出し、きょう(6日)、次号に訂正を掲載することを勧めるメールを外村さんへ送りました。

2005年1月4日火曜日

専門家の「読み」

 『図書』2005年1月号掲載の竹西寛子著「読みの行方」を読む。著者・竹西は1929年生まれの作家、評論家である。私が初めて彼女の作品に触れたのは、随筆集『哀愁の音色』(青土社、2001)であった(拙評 [1] 参照)。

 原稿用紙9.5枚程度の随筆「読みの行方」は、ほぼ同じ長さの三つの部分に分かれている。最初の部分では、ポリーニのピアノ演奏について、その特徴が、「ひたすら原曲の事実に近づこうとする」楽譜の「読み」から来る正確さであることが述べられる。これは本論への導入部をなす。

 第二の部分で本論が始まる。それは、著者が仕事の一つとしている和歌の評論においての「読み」に関するものである。まず大切なことは自分が「直観的に反応できるかどうか」である、という。次いで、「反応に客観性が与えられるかどうか」を問題にする。そして、「テキストへの反復接近」の重要性を述べる。反応の客観性は、評論をする専門家としての「読み」の厳しさに関わるものであり、一般読者には必ずしも求められるものではないであろう。

 最後の部分で、歌集の中での歌の位置が、その歌を単独で鑑賞したときには得られない「読み」を与えることに言及する。このことは、与謝野晶子の歌集『草の夢』の巻頭歌「劫初より作りいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」の鑑賞から、著者が最近自ら学んだのである。そして、それは「読み」の新たな領域であり、「読みに限りはない」と述べる。

 ピアノ演奏においての「原曲の事実」といい、和歌の評論における「反応の客観性」といい、芸術分野の専門家が対象に取り組む仕方は、科学者の自然への取り組みに共通するものがあることを悟らせてくれる一文である。そしてまた、「直観的に反応できるかどうか」も、科学研究の動機と異なるところはない。


  1. 日本の伝統をふまえた名随筆集:竹西寛子「哀愁の音色」 (2003).


[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を編集して以下に転載する。]

Y 01/04/2005 09:47
 和歌に対して「直観的に反応」できるかどうか、とありますが、「直感」なのか、哲学用語としての「直観」なのか、どちらだと Ted さんは判断されますか、竹西さんにきくわけにいかないので。私なら和歌という芸術にまずじかに接するなら、「直感的に反応」のほうだと思うんですが。
 「テキストへの反復接近の重要性」は、これは「オリジナルなもの(原典、原書)に繰り返し向き合うことの重要性」と言い換えられるでしょうね。もちろん重要なことです。科学研究で、オリジナルなデータに丁寧に向き合う重要性と、共通した部分があるかもしれませんね。たえず新しい発見があり、より真髄の部分があとでみえてくるかもしれませんし。
 では、最初の「直感的な反応」と、この「反復接近」の重要性、とは、何もプロセス的に関連づけられていないのですか。だとしたら、随筆としてその点に何か物足りなさを感じるというか、それ自体を読んでいないのでなんともいえませんが。
 歌集の中での歌の位置、は、それこそ歌集としての芸術を創るなら、当然重要になってくるわけです。なので、原文を読んでいないですし、Ted さんからご紹介いただくこの機会に、この随筆について再度、Ted さんの思われることを、上記を元に、付記していただければ。

Ted 01/04/2005 16:22
 竹西さんの随筆では、「直観的に反応できるかどうか」の言葉が出てくる前のパラグラフに、「先人の鑑賞は出来るだけ多く読んでおきたい。無知のための誤読と独断は出来るだけ避けたい」とあります。したがって、著者は、明言はしていないものの、評論家としての歌の読み方を問題にしており、直感より少し進んだ、哲学的直観に、誤植でなく言及していると思います。
 「直観的反応」は、「その歌を読んだときまでの自分の知識と経験、それに想像力のすべてがかかってい」て、「相対的なものでしかない」と著者は述べ、そこへ絶対性を付与する意味で、「客観性」と「反復接近」の重要性へと話を進めています。これが Y さんがお尋ねの「プロセス的関連」になっていると思います。
 私は竹西さんの随筆を、相当短くして紹介したので、Y さんがおっしゃるように「歌集の中での歌の位置、は、それこそ歌集としての芸術を創るなら、当然重要」で、なぜそれが「『読み』の新たな領域」か、と疑問に思われて当然です。
 紹介を略しましたが、与謝野晶子の歌についての話の前に、「さまざまのかたちで作られている和歌の集の中から、任意の一首を取り出して鑑賞するのは読者の自由である。本来ならば、…(略)…。しかし、…(略)…和歌一首、独立して読めないというものでもないので、読者の自由は大幅に行使される。それに、例外はあるものの、勅撰集、準勅撰集、私撰集、私家集など、基本の単位はおおむね独立した一首である」という記述があります。そして、問題の晶子の歌も「よく単独で引かれる一首」で、「汎く晶子の歌人としての自負と覚悟を詠んだものと見られ」ていたのです。しかし、竹西さんは、歌集の中での位置から、それが「晶子の歌作りの想像以上の苦しみと、詩を仰ぐ志の高さとの、孤独で苛酷なたたかいを具体的に示して切実」であることを知ったそうです。
 和歌の独立性が、いままでの多くの評論家から「歌集の中での歌の位置」を見るという基本的鑑賞態度を奪っていたのでしょう。このことに思いを致すならば、竹西さんの随筆は、研究において基本に立ち返ることの重要性を私たちに教えているものともいえましょう。

M☆ 01/04/2005 11:44
 「詠む」側と「読む」側の捉え方は必ずしも一致するわけではないだろうけど、やはり問題なのは「読む」側がどう感じ、どう取り組むかなのだろうなぁ…。学生時代国語の先生が、国語の問題に「答え」はないと言っていたのを思い出しました。「テキストへの反復接近」という表現は初めて聞きました。どういう意味なのかな?!

Ted 01/04/2005 16:43
 「国語の問題に『答え』はない」とおっしゃったのは、拡大して言えば、芸術はいろいろな鑑賞のされ方がある、ということになるでしょう。しかし、芸術の評論家は、自分に固有の見方をするのではなく、作品の背景や作者の意図を捉えたり、多くの人びとの受けとめ方の拡がりや平均値をも見極めたりする、というような難しい役割を負わされているといえるでしょう。
 「テキストへの反復接近」とは、和歌の場合については、「歌を繰り返して読む」ことと、竹西さんは書いています。その「過程で消えてしまうような反応」は客観性のないものであり、評論家としては「追う必要もない」のだそうです。

四方館 01/04/2005 11:55
 今日の毎日新聞で、利根川進氏が、「読解力」の大切さについて語っていましたね。昨年末に話題になった、到達度各国比較での低落傾向を受けての発言ですが。
 「読み」の問題は基本中の基本だし、基本とは生涯を通じて研鑽を求められることでもありますから、絶えざる問い直しのうちにあるともいえますね。
 Y さんの「直感」かそれとも「直観」かについては、著者は敢えて「直観」としていると思います。本質的なものへいかほどに肉薄しえているかでないと、その反応に客観性を担保できるかどうかを問うていくこと自体、どれほど必然的な価値があるかとなりますからね。
 「読み」の問題として「テキストへの反復接近」の重要性は、勿論そのとおりだと思いますが、私など門外漢からみれば、それこそ「読みの歴史」とでもいうべきような膨大な知識量、この蓄積の量がそれこそ問題で、いわゆる専門家である学者諸氏は何故にこうまで枝葉末節に拘っていらっしゃるかと、よくため息をつきたくなります。例えば、昨年亡くなった網野善彦さんの史学など、長い間、歴史学の本流からは無視されてきましたよね。学界という世界が魑魅魍魎化してしまいがちなのをなんとかして貰いたいですね。

Ted 01/04/2005 17:11
 利根川さんが到達度各国比較での低落傾向を受けて「読解力」をいわれたのは、算数や理科の力があったとしても、問題を正確に理解する国語の力がなければ、問題に正答できないので、国語の教育がたいへん重要、ということなのでしょう。
 「直感」か「直観」かについての私の解釈は、Y さんのコメントへの返事として書いておきました。
 文科系の学問に私は直接触れた経験がありませんが、枝葉末節への拘泥がありますか。たとえば、文学では、自然科学が素粒子、分子構造、DNAの塩基配列など、基本構成へ遡るのと同様に、作品の基本成分である単語の使い方まで細かく分析することは、ある程度必要であるように思えます。しかし、作品が総体として表出している思想の把握がより重要でしょう。「魑魅魍魎化」があるとすれば、改革されなければなりません。

Y 01/04/2005 18:54
 Ted さんのレスの前半部分のみについて述べますね。そもそも、彼女はなんでそんなに「哲学的」になって、短歌に「絶対性」まで生半可に付与するために、「客観性」を重要としているんですか。「その歌を読んだときまでの自分の知識と経験、それに想像力のすべてがかかってい」て、「相対的なものでしかない」、その通りでございます。(でもこうして彼女が言葉にすると大変うそくさいですね。)短歌を味わうって、そういうこと「以上」の何か「絶対性」「客観性」の中に「参入」せねばならないものなのでしょうか。
 M☆さんの書かれている、「国語の問題に『答え』はない」、これが広く文学というもののある意味「すべて」ですよ。もちろん相対的で、主観的で、体験的に理解するもので、体験を超えるものは自己内主観性において想像によって感じ、理解し、味わって考えていくものです。
 四方館さんはとっくにおわかりの上でのコメントだと思いますが、たとえば、TRちゃんの短歌を私が読む(鑑賞する)とき、「しびれるー」「おお、これは決まってる」、そういう主観的感想、感慨、感動、それを最も尊重しないで、門外漢で(もいいんですけどね)哲学の絶対性や客観性でもって価値を上昇させて安心して、どうするんですか。そんなの芸術論ですか。疑問でたまりません。
 先人の鑑賞を多く読むのはいいんですけど、芸術としての短歌に、「無知のための誤読と独断は避けたい」って、その態度、なんですか。誤読とか独断とか、「個人的体験」として(場合によっては普遍性もあたえられつつ)詠まれた短歌を読む際に、起こりうるんですか。読んで感じたもの、正直に思ったこと、それがすべてではないですか。そんなに芸術の「主観性」の「値打ち」に彼女は鑑賞者、批評者として「自信」がないんでしょうか。
 文学と文芸評論は全然違うって、だいたい知っていたんですが、短歌の世界でもこうだとは。いや、こういう役割を負わねばならない職種の方が必要かもしれませんが、芸術=芸術…1=1という自己同一性を維持する力のない芸術鑑賞者、批評者というのは、いったいどういう自己認識をもっていらっしゃるのか、まったく、哲学を甘くみるんじゃない! てことです。
 ★Tedさんに対して言っていることではないんで、一応私、哲学の大学院出てますので、このコメント、信頼してくださいね。

Ted 01/04/2005 20:25
 始めに私の返信による誤解を二つ、正させていただきます。
 第一に、「哲学的直観に、誤植でなく言及していると思います」は、この中に引用の括弧はありません。つまり、哲学で使われる直観の語を、竹西さんはあえてここで使っている、という私の解釈を、私自身が哲学的直観という言葉を使って述べたのであり、竹西さんが哲学的という言葉を使っているのではありません。
 第二に、絶対性という語も引用の括弧なしで書きました。これは、「相対性」と、これの対語ではない「客観性」を結ぶために私が挿入したものなのです。「相対性」を主観性と言い換えて、これを「客観性」に変えるプロセスを竹西さんは述べている、といった方がよかったかと思います。
 ということで、Y さんの第1パラグラフの竹西さん批判は、私の文が与えた誤解によるものです。そして、その誤解が、不幸にして、第3パラグラフの「哲学の絶対性や客観性でもって価値を上昇させて安心して、どうするんですか」というご意見や、最終パラグラフの「哲学を甘くみるんじゃない!」というご意見にも影響していると思います。
 次に、第6パラグラフの「芸術の『主観性』の『値打ち』に彼女は『自信』がないんでしょうか」というご意見について一言。この随筆からは、一般読者の主観的な読みの値打ちについて竹西さんは肯定するか否定するかは分かりません。しかし、評論家である彼女自身としては、主観的鑑賞から出発しても、客観性を与えなければ、その鑑賞結果を評論として発表する価値は生じないと考えているといえるでしょう。評論においてのこの態度は、私は少なくとも一つのあり方ではないかと思います。

Y 01/04/2005 21:03
 Tedさんが「哲学的」なものだと、竹西さんの文章をそのように解釈されていて、竹西さんご自身はそうは明記されていない、ということはわかっているんです。大切な事はこれです。四方館さんのブログ、あのほとんどは、演劇などの芸術に対して「芸術的な表現」でもって、受け止めた感触や考えを述べておられますよね。一般に評論として発表する際にも、その際こそ、芸術に対して芸術的に答える、その「魂のこもったわざ」が必要です。客観性、というもので一般に発表する価値があると考えるのは、非常に「客観性」を甘くみている、ということで、これは多くの心理学研究などにもいえます。
 主観的な世界を客観的に観る(この漢字ですよね)、というのは大事ではないとは言わないのですが、「芸術を味わうこと」を人に語り、伝える際の上位価値には来ない、ということです。
 これは、Ted さんの取り組まれている科学にも言えることだと思うのです。「現時点での科学的成果」の客観性、絶対性(哲学用語じゃなくていいですよ)を本当に、真に証明しきることはできない、いずれ次の時代の「科学的成果」にとってかわられる可能性があり、科学は常にその意味で、限界があり、客観性を証明しきれない、けれども「現時点での価値は認められるし社会的貢献もできる」…これ、相対的な世界そのものですよね。

Y 01/04/2005 21:16
 別の言い方しますと、芥川賞の審査員にも、パガニーニコンクールの審査員にも、その文学作品や音楽演奏に対して絶対性や客観性を付与して、審査しているわけではないんです。どれだけ多くの一般大衆にその芸術がうけいれられるかをはかっているわけでもない。だけれども審査してるし、評論も立派にしている。そのようなお仕事は私も必要だし、大変ですねと、認めているのです。
 客観性、絶対性とは何か、哲学の世界ではこれを究極の次元で考えつめていきますが、もう本当に厳しい思考の世界で、それですら、「真の」客観性、絶対性といったものは語りえないのです。(哲学に科学論というのは大いにあります。)
 私たち、人間なのだから、それでいいのです、ゆるされているんです。

Y 01/04/2005 22:16
 そもそも芸術のオリジナルな形ではなく、芸術の素晴らしさの紹介や再配布、という役割を担う芸術評論家という職業は、その綴るもの(評論)が元の芸術を味わうのとまた違っていてよいんですが、とにかく「もう一度芸術的に味わわせてもらった」と評論の読者が感じるものを綴らなくてはならない職業だと思うのです。でなければ、元の芸術、たとえば短歌そのものを読者が自分で探し出して読んだほうがよい、と思われませんか。評論家はその「元を味わう機会がなかなかない」一般人のために、評論でその芸術をひろめているんですよね。
 人文系の学術研究の、概念の学術解釈の歴史、歴史…と果てしなく拘泥して、がちがちになってしまう世界は、四方館さんのおっしゃるとおり、どうにかしなければならないと思います。

Ted 01/05/2005 08:52
 「芸術評論家という職業は、…『もう一度芸術的に味わわせてもらった』と評論の読者が感じるものを綴らなくてはならない」と、Y さんがおっしゃったのに似たことを竹西さんも書いています。斎藤茂吉、折口信夫、窪田空穂ら先人の鑑賞について、「考証どまりならぬ、情緒の生気も瑞々しい鑑賞で、ともに創作への道が開けている」という表現で賞賛しているのです。
 そしてまた、客観性について述べる先に、「歌の鑑賞で私が何よりも大事にしたいのは、自分がまずその歌に直観的に反応できるかどうか」(下線は Ted)だと書いています。このことは、彼女は、自分が発表する評論において客観性の付与が必要と考えながらも、それを必ずしも第一義とはしていないことを示しています。
 さらに、竹西さんが文末近くで「読みに限りはない」といっていることから、彼女も客観性が「真の」客観性ではありえないことを十分承知していると思われます。
 私が元の記事を書いたのは、芸術の鑑賞においても客観性を必要と考える人がいることを面白く思い、そのことを紹介したいと思ったからでした。したがって、竹西さんの和歌評論についての考え方の全貌を正しく伝える文にはなっていなかったことをお許し下さい。

哲也 01/04/2005 23:06
 他の方のコメントが、私にとっては、非常に難しく、何度か読み返してみたのですが、
よくわかりません。(陳謝)で、とりあえず、のんきなコメントで
申し訳ないのですが、一言だけ(^^)
>芸術分野の専門家が対象に取り組む仕方は、科学者の自然への取り組みに共通するものがある
というのは、ふむふむと思いました。というか、逆に、科学者の取り組み方に、芸術分野の専門家の方の取り組み方が似ているのが問題なのではないでしょうか。それほどまでに、科学的方法論というのは、蔓延しているのかもしれません。
 ぜんぜん検討違いのコメントで、申し訳ありませんでした。

Ted 01/05/2005 09:02
 哲也さんこそは、私が元記事の中心としたことにコメントして下さいました。ただ、私は、「似ているのが問題」とは思いません。似た取り組み方が当然あってよい、と思います。芸術も科学も共に、美や真実を追求する人間の営みなのですから。

M☆ 01/05/2005 14:50
 色々な意見があり、論じ方もあり、それを捉える十人十色の感じ方があり…。専門家の意見を通じて(私のような)素人がそうした機会に触れられるのはありがたいことです(^_^)。わかりやすく説明してくれてありがとうございます! Y さんのコメント、四方館さんのコメント、それぞれにやはり私(素人)なりの感じ方があり、それらに触れられたことをこの場を借りて感謝致します(^_^)
 Ted さん、たくさんの返信ありがとうございます。また遊びに来ますね!

Ted 01/05/2005 17:40
 できるだけ幅広い方がたに、毎回何かを掴んで貰えるようなブログを書いて行きたいと思っています。コメントを再さい寄せて下さることを期待しています。

2005年1月3日月曜日

正月料理 (New Year Dishes)


Yesterday our daughters' families visited us. A total of nine persons noisily enjoyed playing cards and eating New Year dishes, as shown in the photo, and had much laughter good for health.

 昨2日は、近年わが家で恒例となっている娘たち家族の来訪日である。この日、いつもは2人だけの家の中の人口が4.5倍にふくれ上がる。妻は朝から夕食用正月料理の追加製造に忙しかった。その労をたたえて、ここにでき上がった品じなのイメージを掲載する。

 写真の上左端にある重箱中の左半分は、黒くて写りが悪いが、妻の母伝来の、ひき肉を中指大にノリで巻いて揚げたもの。下左端の重箱中の右半分に見える淡褐色のものは、寒天に卵をといて浮かせた、俗称「べろべろ」という石川県の郷土料理で、私の子ども時代からの大好物。卵の浮き具合が微妙な模様を作りだす。下右から2番目の黒い丸器の2/3を占めているのは、妻のアイデア試作品、バナナのベーコン巻。

 夕食の前後には、長女の息子2人を中心に、「大富豪」という名のトランプ遊びなどに興じ、大いに笑い合う。笑いは百薬の長。

[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を若干編集して以下に転載する。]


poroko 01/03/2005 11:20
 屠蘇器もありますね。さすがです。北海道ではその習慣がないのかどうか解りませんが夫の実家ではお屠蘇を飲まないみたいです。ワインとビールです。

Ted 01/03/2005 15:51
 北海道は本州の各地から渡って行った人たちの子孫が多いでしょうから、共通の伝統的習慣はないのかも知れませんね。

テディ 01/03/2005 14:06
 It is no good when there are not New Year dishes in the New Year in Japan as expected.
(汗)変ですかこの英文…。今年の抱負の一つに英語の再勉強を加えたいです。
 しかし、日本のお正月はやはりおせち料理とお屠蘇、皆でわいわいとやるゲーム、これに尽きますねえ。

Ted 01/03/2005 15:46
 テディさんの英文、間違いはありませんが、ちょっと持って回った感じがします。
 In Japan the New Year would not look like one without special dishes for it.
とでもいうのがベターかと思います。私の英語は、科学英語育ちといったようなもので、日常的話題には弱いのです。一緒に勉強しましょう。

未月 01/05/2005 10:50
 遅ればせながら、おめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 バナナのベーコン巻き、そそられます(笑)。組み合わせの妙で、酒の肴によいかもしれませんね。笑いは百楽の長。本当にそうですね。わが家もお正月、なぜか波田陽区のCDがブームとなり、末っ子はこれまたなぜかマツケンサンバに明け暮れ。1年のはじまりに、みんなでゲラゲラとすごくくだらないことで笑い合えるっていいな、と思っていたところです。

Ted 01/05/2005 12:00
 ベーコンで巻くのは、本当は野菜類の方がよいのでしょうが、いまは高値で。バナナはズルズル滑り出たりして、あまり評判がよくなかったです。「笑いは百楽の長」という言葉は、昔 "Reader's Digest" という雑誌の日本語版で、笑い話を集めた欄の題名だったと思います。

2005年1月2日日曜日

賀状種明かし

 私は今年の年賀状に佐伯裕子の短歌

「鶏も高きに居れば鳳凰とならん」おかしな末吉を抽く

を引用した(「」も短歌に含まれる)。これは朝日新聞に連載の大岡信「折々のうた」(1999年11月24日付け)に、佐伯の歌集『寂しい門』(1999)から紹介されていたものの孫引きである。私は「折々のうた」に干支の動物が登場する「うた」が紹介されたとき、切り抜いて将来の賀状への利用に備えている。「うた」は俳句をも含む。

 一回り前の酉年(1993年)には、

鶏ねむる村の東西南北にぼあーんぼあーんと桃の花見ゆ——小中英之

を引き、「このような桃源郷を大切にする世の中でありたいものです」というコメントをそえた。

 あいにく干支の動物を詠んだ「うた」のない場合には、斎藤茂吉の『万葉秀歌』あたりから、新年にふさわしい歌を取ったりする。何年か以前に

新(あらた)しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)——大伴家持(万葉集・巻20・4516)

を引用した。今年、同じ歌が雑誌『図書』1月号の編集後記「こぼればなし」欄の文頭に引かれている。そして、文末には、リービ英雄によるその英訳がある。

Let good fortune
accumulate even more
like the snow that falls this day
   this first day,
at the beginning of a new year.

さる11月に出版されたリービ英雄著『英語でよむ万葉集』(岩波新書)を、私は先日購入したが、これには未収録だそうである。未収録といいながら、岩波書店発行『図書』の編集後記子は、その宣伝を忘れない。

 干支に因んだ「うた」がないときの、さらに別の手段は、干支の文字を含んだ作家や作品の文を使うことである。寅年には、寺田寅彦が何回か登場した。芥川竜之介や、加藤周一著『羊の歌』も役立つ。1998年には寅彦の次の文を引用した。

 年賀はがきのあて名を一つ一つ書いてゆく間に、自分の過去の歴史がまるで絵巻物のように眼前に展べられる。

妻がかつて習った先生から、年末、妻と私二人宛に一枚のはがきが届いた。わが家では、妻独自の賀状も作っているが、妻の先生方の中のお二人からは、私が作る夫婦名義のバージョンの使用を要望されており、はがきはそのお一人からのものである。何ごとかと思えば、上記の寅彦の文の一部を詠み込んだ短歌を2005年の賀状に記したいので、孫引きをご了承ください、という丁重な依頼であった。

[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を若干編集して以下に転載する。]

いつを 01/09/2005 10:28
 「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」の句。私は昨年の12月13日鳥取県国府町の万葉記念館で、知りました。作者の大伴家持が赴任していた鳥取の国府で詠んだというもの。今年は、私の住んでいる水戸では、元旦に雪が降りましたのでぴったりです。もう一つあった、在原行平の「立ち別れ稲葉の山の峰に生ふる待つとし聞かばいま帰えりこむ」もよかったです。最近は年賀状も印刷が多く、一筆でも肉筆の言葉が欲しいですね。

Ted 01/09/2005 11:08
 コメントありがとうございました。『図書』の記事では、歌の引用から数行下ったところにようやく、大伴家持の名と彼がこの歌を作った状況の説明が記されていましたので、私の記事への引用に際して、家持の名を出し忘れていました。いまから挿入しておきます。私が賀状に引用したのは1984年でした。「立ち別れ…」の歌は百人一首に入っていますね。

2005年1月1日土曜日

「賀状来ぬ昔の恋はさりげなく」



 新年おめでとうございます。

 "Ted's Coffeehouse"へご来訪の皆様のご多幸をお祈り申し上げますとともに、本年もよろしくごひいき下さいますよう、お願いいたします。

 (写真は大みそかの午前、堺市で少しばかり積もった初雪)

高校時代の交換日記から

1952年1月1日(火)雨

(Ted)

 変わったことといっては何一つないのに、無理に変えようとするのだから、空虚な一日となってしまった。
 昨夕、KJ君の家へKB君と行って、生物の宿題を貸してあったのを返して貰い、帰宅して障子を開けると、「早いお帰りだね!」と母にどなられた。ぞうきんで身体をふきまわしているうちに、頭が痛くなり、それがけさまで続いた。ラジオで初めて聞いた除夜の鐘は、重く垂れ下がっては来るが閉じてしまわないまぶたを、妙な哀愁で執拗に揺すったに過ぎなかった。
 北国新聞の第10ページに載っている創作は、「もしこの短編に何か教訓じみたものを探す読者があったら、それは年始状といふ新年にドッサリ来る郵便物野中には…(略)…。ある人の句に、賀状来ぬ昔の恋はさりげなく(注1)」と結んである。この創作が題名としているものについて、少し書いておこう。[…(注2)]
 夜、「赤と黒(下)」の文字を拾い、頭に19世紀フランスの像を描くとともに、高邁な思想に触れる悦びを味わう。第32章の始めに引かれている「あゝ! 何故これでなければならないのだ。何故ほかのものではいけないのだ。 ボーマルシェ」という2行へ来たときは、それが踏み心地よい白雪ででもあるかのように、もう一度踏みしめてみた。

 引用時の注

 1:この句の中の「来ぬ」は「来ない」の意味ではなく、「来た」の意味であり、「こぬ」ではなく、「きぬ」と読むのである。このとき以来、この句は私の頭にこびりついていたが、「賀状の来ない昔の恋は」と解釈したので、「さりげなく」に、「はかないものだったのだなあ」という間違った意味をこじつけていた。それが、定年退職も近くなった頃、ふとしたきっかけで、「昔の恋人から賀状が来たが、(配偶者へ気づかってであろう)さりげない内容になっている。(それでも、嬉しいものだ)」と、おそらく正しい解釈ができたのであった。これについては、私の英文創作 [1] の中でも述べている。そこには、この句を読んだのは大学生時代だったと書いたが、高校1年のときだったのだ。まだ「昔の恋人」というような人のいなかった年で、この句が頭にこびりついたのは不思議だ。
 2:ここに友人たちからの年賀状(創作の題名は「年賀状」だったらしい)についての感想が記されているが、省略する。

[1] "Vicky (A Fiction)" (1997). [参考] M. Y. "英文小説「Vicky」の解説" (2003).


 後日の追記:M.Y.君からメールで下記の感想が寄せられた。

 【高校時代の日記、美しき青春です。「赤と黒」中のボーマルシェの啓蒙的な言葉に関する記述、高校時代に感銘を受けられたとは感心しました。実はボーマルシェについては、私は昨年12月オペラ「フィガロの結婚」をみるために、文庫版の同書を読んで、たいへん面白く思い、また、感銘を受けました。訳者の辰野隆の解説に「ボーマルシェはけた外れの変わり者でフランス革命前のごとき乱脈な世相からでなければ決して生まれぬ鬼才中の鬼才であった」とあり、スタンダールが『赤と黒』で引用するのもぴったりだと思った次第です。】

[最初の掲載サイトでのコメント欄の記載を若干編集して以下に転載する。]

RIN 01/01/2005 14:37
 明けましておめでとうございます。
 昔の日記を現代版日記ツール「ブログ」に掲載されるという試み、とても画期的な試みだと感じました。米国で流行していたブログ (Weblog) という新しいツールが、昨年頃から日本でも急速に流行し始めて、私の周囲でも日記を始めた友人が何人もいます。「手段」は変わっても昔から「人」はそれ程、変わっていないような気がしました。

Ted 01/01/2005 17:15
 私は、エコーとほとんど同時に、アメリカのブログの老舗、Blogger.comにもアカウントを取りました。そこでは、投稿の日付を1999年以降の任意の日に設定できます。Blogger.com の創業が多分1999年なのでしょう。もっと昔にさかのぼって日付を設定できるブログサイトがあれば、昔の日記のディジタル化にさらに便利なのですが。

*maho
01/01/2005 15:55
A HAPPY NEW YEAR!
How is your New year holiday? Hope you having good time. I ate mooch with daikon oroshi, yumyum.
I thought 来ぬ=kinu. You are bright with Japanese too, cool!

Ted 01/01/2005 17:34
Today I had my first visit of the year to a shrine. It was not to 大鳥大社 shrine, but to a smaller and nearer one, Kusabe-jinja.
You're right to think 来ぬ=kinu in this short poem (senryu or haiku). I had been wrongly thinking 来ぬ=konu for many years. So I'm not wise enough about Japanese, to say nothing of English.

poroko 01/01/2005 21:25
 「夏はきぬ」の来ぬですね。さりげなくでも匂わすような字句があれば細君は間違いなく気付いているでしょう。その奥様の態度もなにか「さりげなく」なのでしょうかね。
 何日分にでも書けるブログは複数存在するようですが、一旦投稿してから日付を変更する必要があったり、投稿時設定手順が増えたり少々面倒なようです。

Ted 01/02/2005 09:07
 そう、「さりげなく」なのでしょうね。などといって、わが家でもそうなのでしょうか。
 Echoo! で簡単に過去や未来の日付けを選べる機能を付加して貰えるとありがたいですね。未来というのは、Blogger.com で年末に新年の挨拶を1月1日づけのブログとして掲載して、親元へ帰った人がいたのを見ましたので、そのような目的に好都合か、ということです。

Nadja 01/01/2005 22:28
I wish this new year will be the happiest and best for you!
 昔の恋人から来る便りの子供の写真に、そっくりや~~ぎゃははは、と笑っているのは私です(笑)

Ted 01/02/2005 08:54
I wish the same to you!
 私のところへも、昔つきあっていた人や憧れていた人からの賀状はありますが(それで、「賀状こぬ」と詠んだと勘違いした句の作者に対して、誤りの優越感を持っていたのです!)、子供の写真がついていたことは、残念ながらありません(どちらも男の子しかいなかったなぁ)。

四方館 01/02/2005 01:20
 おもしろいもので、この記事のように、往年の日記など昔の文章に触れるほうが、現在の書かれたものを読むより、ずっとぬくもりを感じてしまうのはなぜでしょうね。これは Ted さんの記事にかかわらず、どなたの場合でもそうだと思うのですよ、きっと。その人の現在の姿—イメージ—がそれなりにあって、もちろんそれ自体、日頃の文章から此方が勝手に描いているに過ぎないものですが‥‥。時を隔てた、この場合50年以上も遡った過去の、その人の断片的なイメージがほのかに思い浮かんで、過去と現在が自然にオーバーラップしてくる。大袈裟にいえば、過去と現在が結ばれて、その人の来し方にまで想像がひろがってゆく…。その人の生そのものに触れてゆくような、あくまで想像のなかでのことですが、その生への感触がぬくもりの正体だと思いますが…。

Ted 01/02/2005 08:42
 「ぬくもりを感じて」いただき、恐縮です。高校生時代の日記は、未熟なところはあるものの、現在の私が書くものと、すでにかなり似ているようです。言い換えれば、その頃以来の私の進歩がそれほど大きくなかったということで、恥ずかしい次第です。

Y 01/02/2005 11:13
 四方館さん、その通りですね。Ted さんは昔の文章をそのまま残しておられて HP やブログに掲載されたり、また同窓生などのお話をブログでよくされるのですが、私は心地よいのです。私には子ども時代もなかった(空白)も同然なのですが、うらやましいと思わず、Ted さんの誠実さ(誠実な感性)がこのようにして長く人との関係でにじみでてきた人生を歩んでいらっしゃったのだなあと感じられるからです。
 私は空白、断絶、断絶、喪失…の人生ですので、Ted さんのぬくもりと対照的なのですよね。こんな人間なものですから、今更「築いていきたい」という言葉は使いません。「作っていきたい」という程度ですね。

四方館 01/02/2005 13:27
 Y さん、空白といえどもおそらくまったくなにもないということではない。断絶や喪失といっても、必ずそこにはなんらかの関係性があり、見えない糸もそこはかとなく感じられるものですよ。あなたの生も、私はきっと同じように築かれてきたものとして感じられる、と思っています。

Ted 01/02/2005 13:47
 四方館さんのコメントに私も同感です。Y さんの子ども時代には辛いことが多かったのでしょうが、そこには今の Y さんのよさを育んだ何かがあったはずと思います。

Y 01/02/2005 13:48
 四方館さん、ありがとうございます。温かいお言葉…。そうですね、断絶や喪失にも、また「続く関係性」があり、見えない糸もありますね。この人生をもちろん肯定していますし、30歳まで生きてやっとわかったことが余りに多い、ということは、やはり何かを築いてきたのでしょうか。四方館さんからみられて、そのように思われるのでしたら、そうなのでしょう、と思うことができます。