2011年5月31日火曜日

5月半ばの花々-2 (Flowers in Mid-May - 2)


 写真上:シャクヤク(芍薬、ボタン科)、わが家の庭で。下:オランダカイウ(サトイモ科、別名アエティオピカ、カラー)、ウォーキング途中で。どちらも2011年5月16日撮影。

The upper photo, Chinese peony (botanical name, Paeonia lactiflora; family, Paeoniaceae), taken in our yard on May 16, 2011; the lower, Lily of the Nile, calla lily, or Easter lily, (botanical name, Zantedeschia aethiopica; family, Araceae), taken on my way of walking exercise, also on May 16.

2011年5月30日月曜日

5月半ばの花々-1 (Flowers in Mid-May - 1)


 写真上:オオツルボ(大蔓穂、ユリ科、別名シラー・ペルビアナ)。下:コバノズイナ(小葉の髄菜 、ユキノシタ科、別名ヒメリョウブ、アメリカズイナ、紅葉木)。どちらもわが家の庭で、2011年5月14日撮影。

The upper photo, Portuguese squill (botanical name Scilla peruviana, family Liliaceae); the lower, Virginia sweetspire or Virginia willow (botanical name Itea virginica, family Saxifragaceae); both taken in our yard on May 14, 2011.

2011年5月29日日曜日

イロハモミジの翼果 (The Samaras of Japanese Maple)


 イロハモミジ(カエデ科)。2011年5月8日、鈴の宮公園で。

 2009年に同じく鈴の宮公園で撮影したこの植物の翼果の写真を掲載した少しあとに、オランダとアメリカの科学者たちが、カエデとシデの種子が飛ぶ様子を風洞実験で観測した(厳密にいえば、種子は翼果の中心部分に収まっており、翼果の模型と実物を使って実験したのである)ことについての論文を Sience 誌に発表した [1]。そこで、「後日の追記」として、その結論を、「種子の落下中にその各翼の上部に空気の安定な渦ができ、それが浮力を生じて種子を長い時間空気中に浮かせる原因になっていることを見出した」と、簡単に紹介した。今回は、その論文のアブストラクトを英文のまま注欄に引用しておく。

Japanese maple; botanical name Acer palmatum; family, Aceraceae. The photo was taken in Suzunomiya Park, on May 8, 2011.

A little after I posted a similar photo of the samaras of this plant in 2009, scientists of the Netherlands and USA published a paper on the wind-tunnel observation of flying maple and hornbeam seeds in Science [1]. So, I added a note briefly to introduce their conclusion that the seeds attain high lift by generating a stable leading-edge vortex as they descend. This time, I quote the abstract of their paper below.


  1. D. Lentink1, W. B. Dickson, J. L. van Leeuwen and M. H. Dickinson, "Leading-edge vortices elevate lift of autorotating plant seeds." Science Vol. 324, No. 5933 pp. 1438–1440 (2009) (DOI: 10.1126/science.1174196).
    Abstract: As they descend, the autorotating seeds of maples and some other trees generate unexpectedly high lift, but how they attain this elevated performance is unknown. To elucidate the mechanisms responsible, we measured the three-dimensional flow around dynamically scaled models of maple and hornbeam seeds. Our results indicate that these seeds attain high lift by generating a stable leading-edge vortex (LEV) as they descend. The compact LEV, which we verified on real specimens, allows maple seeds to remain in the air more effectively than do a variety of nonautorotating seeds. LEVs also explain the high lift generated by hovering insects, bats, and possibly birds, suggesting that the use of LEVs represents a convergent aerodynamic solution in the evolution of flight performance in both animals and plants.

2011年5月28日土曜日

ミノガメ (The Turtle with a Straw Raincoat)

Abstracrt in English: A childhood friend of mine once draw a picture of a turtle with a broad, brown, wooly tail. Wondering what species of turtle it had been, I made search on the Internet today and found a picture similar to his drawing, i.e., the right side one of two pictures on a Web page of Gyochūfu (a picture book of fish and worms published in Edo period) Vol. 2. The turtle drawn there is called minogame, which means a turtle with a straw raincoat. According to Wikipedia Japanese Edition, minogame is a turtle to which green algae is attached. I have learned the identity of the turtle with a wooly tail only nearly seventy years after seeing the friend's drawing. (The main text is given only in Japanese.)

 消滅した別サイトのブログ記事を本サイトのアーカイブヘ回復させる作業を続けている。昨日回復させた記事の一つは、高校2年の初めの日記を引用したもので、そこには、七尾の小学校(当時は国民学校と呼ばれた)で隣のクラスの級長だった HZ 君が金沢の高師付属高校(のちに金沢大付高)へ通っていて、私を訪ねて来た話が記されていた。その日記への引用時の注として、小学校時代の彼の思い出を二つ書いていたが、もう一つあることに気づいた。

 運動会(いまの体育祭)か何かで頭につけるためにカメの面を作って行く宿題があったとき、私は面というものは顔の部分だけを大きく描かなければならないものと思い込んでいて、大いに困った。持っていた本を見てもそのような絵の参考になる絵や写真がなかったからである。母の入れ知恵でしぶしぶ、背側から見た略画風の全身像にしたと思う。翌日学校へ行ってみると、HZ 君は大型のカメのずいぶん立派な全身像を描いて来ていた。いまでも、その絵が微かに目に浮かぶが、ふさふさとした茶色の尾状のものがついていたようだった。

 そのようなカメは何という種類のものかと、「カメ」と「毛」をキーワードにして、いまインターネットで調べたところ、「亀毛兎角」という熟語が出た。その意味は、「この世にあり得ないもの、実在するはずがない物事のたとえ。もとは戦争の起こる兆しをいった。かめに毛が生え、うさぎに角が生える意から」と説明されている。そうすると、HZ 君の描いたカメはあり得ないことになる。

 しかし、粘ってさらに調べると、「魚蟲譜 第二巻 『(左)緑毛亀(右)緑毛亀 ミノガメ』」というウェブページが見つかった。そのページの右の絵は、後部全体から全部で4束の、ふさふさとした、こげ茶色の尾状のものが出ている。彼が描いたのはこの種のものだったのだ。『ウィキペディア』には「蓑亀」のページがあり、それによれば、ミノガメとは緑藻類が付着したカメのことで、古くからさまざまな文学作品や芸術作品に記述が見られるという。HZ 君の絵を見てから、70年近く経って、私はようやくその正体を知った。

 HZ 君と私が再会出来たきっかけも、絵に関係がある。中学3年のとき、私の絵が金賞になった水彩画展を金沢のデパートへ見に行くと、七尾の中学から出品した彼の絵も入選していたのである。彼は阪大理学部へ進み、ガラス製造で有名な A 社へ入ったと聞いたが、その後の消息を知らない。

5月初めの花々-5 (Flowers in Early May - 5)


 写真は上から、ヒラドツツジ(堺市・笠池公園で、2011年5月7日撮影)、シャリンバイ(ウォーキング途中で、5月7日)、フジ(ノダフジ)(同じくウォーキング途中で、5月8日)。

The photos show, from the top to bottom: Lovely azalea (Rhododendron pulchrum, taken in Kasaike Park, Sakai, on May 7, 2011), Rhaphiolepis indica var. umbellata (no common English name; on my way of walking exercise, May 7) and Wisteria floribunda (also on my way of exercise, May 8).

2011年5月27日金曜日

5月初めの花々-4 (Flowers in Early May - 4)


 写真は上から、ベニカナメモチ(ウォーキング途中で、2011年5月5日撮影)、アッツザクラ(わが家の庭で、5月7日)、タツナミソウ(同)。

The photos show, from the top to bottom: red robin (Photinia × fraseri, taken on my way of walking exercise, May 5, 2011), red star or spring starflower (Rhodohypoxis baurii, in our yard, May 7) and Scutellaria indica (no English common name; also in our yard, May 7).

2011年5月26日木曜日

2011年4月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on the Posts of April 2011)

[In Japanese only]

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2011年4月分への感想を2011年5月23日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。




1. 福島原発の事故に関して望むこと

 最近私が世話人の一人に依頼された「堺市民懇」の事務局から、さる4月23日開催の同会の総会で福島原発の事故についての声明を出すか決議をするかしたいので、その原案を作成して欲しいということだった。

との理由で書いた文案が紹介されています。原子力安全・保安院が遅まきながら、この事故が「国際原子力事象評価尺度」で最も重大な「レベル7(深刻な事故)」に当たるとの暫定評価を発表し、また、政府の初期対応に大幅な遅れのあったことが事故拡大のもとになったと国会でも指摘されている、との状況下で、政府、東電、その他関係機関に対して、次のような要請を記しています。

 1.東電による事故情報や生データの速やかな公表、政府の的確な評価による遅滞ない住民等への指示
 2.東電による原子炉の破壊状況の詳細な把握と、国内専門家ならびに海外専門家の英知と経験を広く活用した政府の事故解決の基本方針と長期見通の打ち出し
 3.東電と国による周辺住民および原発内作業員の安全を最優先した迅速な対応と住民等への被害補償
 4.原子力の推進と規制を分離した強力な権限を持つ規制機関の設定
 5.電力供給を原発に頼る国の方針を自然エネルギー利用の拡大へと転換するための根本的な議論を、国民的な規模で行なうこと

 これらは、事故の厳しさの的確な見通しに立つ、重要課題を網羅した要請だと思います。すでに長期化した事故収束の中、2、3、5についは、ようやく一定の進展の兆しが見え始めたようです[引用者付記:が、まだ問題は山積しています]。1については、わが国のみならず、海外からも不信感がもたれています。5月22日の朝日紙に、米軍が3月17日、技術支援や物資の提供、放射性物質の拡散対策などを詳細に列挙した「支援リスト」を日本政府に提出していたことが政府の内部資料で分かり、米側は危機感を抱いて原発対応への全面関与を打診していたことがスクープされました。

2. 文学者の原発責任に言及した文芸時評

 朝日紙の文化欄は、加藤周一の「夕陽妄語」が終わって以来、魅力が薄い。しかし、きょう、2011年4月27日の同欄は別である。「勇気を試される表現者:原子力村と文学村」と題して、文芸評論家・斎藤美奈子が書いている「文芸時評」は、大いに注目に値する。

とし、斎藤美奈子が、「文学の人は文学だけを追求してりゃいいんだよ、という態度」は「文学村」の内部の言語であり、「原子力村」と同質ではないかと指摘するに至る内容が簡潔に要約して紹介されている。そして、

この文芸時評は、文芸評論村からのナイス・シュートである。文学村で勇気が伝染すればまことに結構であるが、そこまで行かなくても、一人でも多くの作家が勇気ある発言をすることを期待したい。ちなみに、大江健三郎は文学村を超越した存在であろうが、『ニューヨーカー』誌への寄稿「歴史は繰り返す」(20011年3月28日付け)において、「原子力発電所を建設し、人の命を軽視するという過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する、最悪の裏切り行為」「福島の原発事故がきっかけとなり、いま再び日本人が広島や長崎の犠牲者とのつながりを復活させ、原子力の危険性を認識し、核保有国が提唱する抑止力の有効性という幻想を終わらせることを願う」と述べている。

と補足説明し、核廃絶への意識をも喚起しています。原子力村については、5月20日付け朝日紙の耕論欄が、「『閉鎖的な村社会』といわれる原子力産業界。住人たちは何を考え、行動してきたのか。村のしがらみや掟は、福島第一原発の事故にどう影響したのか」との観点で、この問題を取り上げました。元東京電力副社長・自民党参院議員・加納時男氏、前原子力委員長代理・田中俊一氏、立命館大名誉教授・安斎育郎氏が各界から、「『使い走り』とは失礼千万」、「実は縦割り 異論許さず」「『村八分』にされ助教授のまま」の表題のもとで、それぞれの思いを語っています。

 [引用者追記:加納氏は「原子力村」という言葉を否定しながらも、「事故は国と東電、業界全体の共同責任」と述べ、田中氏は自らを含む原子力専門家16人の緊急提言にもかかわらず状況が改善されていないことに言及し、「原子力村の問題は、日本社会全体の問題」と結び、安斎氏は「村の閉鎖性が事故を悪化させた一因」と指摘しています。]

5月初めの花々-3 (Flowers in Early May - 3)


 写真は上から、ツルニチニチソウ(ウォーキング途中で)、カタバミ(同)、ベニバナトチノキ(鳳公園で)、いずれも2011年5月5日撮影。

The photos show, from the top to bottom: large periwinkle (Vinca major, taken on my way of walking exercise), creeping woodsorrel (Oxalis corniculata, also on my way of walking exercise) and red horse chestnut (Aesculus x carnea, in Ōtotri Park); May 5, 2011.

2011年5月25日水曜日

5月初めの花々-2 (Flowers in Early May - 2)


 写真は上から、ニオイバンマツリ(2011年5月2日、わが家の庭で)、ゲラニウム(5月3日、わが家の庭で)、コデマリ(5月5日、鳳公園で)。

The photos show, from the top to bottom: Brunfelsia latifolia or better known as Yesterday Today and Tomorrow (taken on May 2, 2011, in our yard), cranesbills (Geranium - genus -; May 3, in our yard) and reeves' spirea (Spiraea cantoniensis; May 5, in Ōtori Park).

2011年5月24日火曜日

5月初めの花々-1 (Flowers in Early May - 1)


 ドイツアヤメ、テッセン、モッコウバラ。2011年5月2日、わが家の前と庭で。

German iris (Iris germanica), Asian clematis (Clematis florida) and banksia rose (Rosa banksiae). The photos were taken in front of our home and in our yard, on May 2, 2011.

2011年5月23日月曜日

ザイラー ピアノデュオ コンサート (Seiler Piano Duo Concert)


 昨日、妻と堺市西文化会館ウェスティホールへ「ザイラー ピアノデュオ コンサート」を聞きに行った。演奏者の「ザイラー ピアノデュオ」とは、エルンスト・ザイラー、カズコ・ザイラー夫妻のことで、夫妻は京都府の胡麻の里に「かやぶき音楽堂」を設立して初夏と秋にコンサートやデュオコンクールを開催している。

 私たちは昨秋「秋のかやぶき音楽堂コンサート」というバス旅行でその演奏を聞いて来たばかりだが、近くのホールでまた聞けると3月頃に知り、早速前売り券を買い、昨日の演奏会を楽しみにしていた。ピアノ好きの長女のためにも券を買っておいたが、あいにく、京都で下宿している彼女の長男が高熱を出したため、前夜からそちらへ赴いたとのことで、その券は無駄になった。

 曲目は、第1部で中田喜直の「日本の四季(全6曲)」とブラームスの「愛の歌」ワルツ集 Op. 52a、第2部でリストの交響詩「ハムレット」と「タッソー」、そしてドヴォルザークの「スラブ舞曲集」から2曲、であった。プログラムの印刷物によれば、故中田喜直はカズコ・ザイラーの母と東京音楽学校(現東京芸大)の同級生で、カズコはことあるごとに彼の京都まで出向いての指導にあずかったそうである。

 第2部の2番目に演奏された曲の名にあるタッソー(トルクァート、1544–1595)は、イタリアのルネサンス期の叙事詩人で、「解放されたエルサレム」( 第1回十字軍に場面をおく、主に創作された物語の叙事詩)で知られる。曲はこの詩人の悲劇と勝利の運命を描いたもので、リストによるこの曲の序文をエルンスト・ザイラーが各国語版を参考に和訳し、プログラムに挟んであった。この曲の解説は、『ウィキペディア』にも掲載されている。

 プログラムには「2011年初夏のかやぶきコンサート」申し込み用の葉書も挟んであった。その案内文によれば、今年は、かやぶきコンサートが通算300回を迎え、エルンストが来日50周年と喜寿を、カズコが還暦を迎える祝いの年だそうである。

Yesterday afternoon, my wife and I attended "Seiler Piano Duo Concert" held at Nishi Cultural Hall, Sakai. The performers, "Seiler Piano Duo," were Ernst Seiler and his wife Kazuko, who had made "Kayabuki (Thatched-Roof) Music Hall" in Gomanosato, Kyoto. There, they have concerts and duo competitions in every early summer and fall.

Last fall, we just joined the bus tour to that hall and listened their playing piano. So, we were much pleased to learn around March that they would have a concert at the nearby hall, and immediately bought tickets in advance. I bought a ticket also for our elder daughter, who liked playing piano. Unfortunately, however, it happened that she had to go to her elder son's boarding house in Kyoto the night before, because he got a high fever, and she was unable to join us.

The program was as follows: Part 1, Yoshinao Nakada's "Four Seasons of Japan," Johannes Brahms's "Love Song" Waltzes Op. 52a; Part 2, Franz Liszt's Symphonic Poems "Hamlet" and "Tasso," and two pieces of Antonín Dvořák's "Slavic Dances." According to the program leaflet, the late Yoshinao Nakada and Kazuko Seiler's mother were classmates at the Tokyo Music School (now the Tokyo University of the Arts), and he came to teach Kazuko on every occasion when it was needed.

Tasso (Torquato, 1544-1595), from whom the name of one of the songs played in Part 2 came, was an Italian epic poet in the Renaissance period and was known for Jerusalem Delivered (La Gerusalemme liberate), which told a largely mystified version of the First Crusade. The Symphonic Poem "Tasso" describes the fate of tragedy and triumph of the poet Tasso. Ernst Seiler made a Japanese translation of Liszt's preface to this song by consulting versions of different languages, and inserted in the program leaflet. We can also learn about "Tasso(, Lament and Triumph)" from Wikipedia.

An application postcard of "Kayabuki Concert in Early Summer, 2011" was also being inserted in the leaflet. According to the facts stated there, this year, Kayabuki Concert celebrates its 300th career; Ernst, the 50th anniversary of coming to Japan and kiju (his 77th birthday); and Kazuko, kanreki (her 60th birthday).

2011年5月22日日曜日

映画『ブラック・スワン』 (The Film "Black Swan")


 さる19日、近くのシネマコンプレックスで、ダーレン・アロノフスキー監督による2010年のアメリカ映画『ブラック・スワン』を見た。美しい芸術映画かと思って見る気になったのだが、鬼気迫る感がした。見終わって浮んだ感想は、「壮絶」という言葉だった。上掲のチラシの裏面を読み直すと、そこにもこの言葉が「崇高」とペアにして、どちらが当てはまるかという意味の疑問の助詞つきで記してあった。

 『『ウィキペディア』の説明には、「サイコスリラー」の言葉があり、そうだったのかと、ようやく納得した。主役のバレリーナを演じたナタリー・ポートマンは、アカデミー主演女優賞を始めとする多くの賞を受賞したが、その後、ダンス・シーンは代役使用ではなかったかとの論争があったとも、その説明は記している。

Last Thursday (May 19), I went to a nearby cinema theater to see the 2010 American film "Black Swan" directed by Darren Aronofsky. Though I expected a beautiful art film, it was a pretty dreadful one. The words I thought of to express my impression was "tragical sublime." Rereading the backside of the flyer, the image of which is shown above, I have found the same words there. Those are paired with the words "noble beauty" and are accompanied by the words of the meaning: "Which is the case?"

The description of this film in Wikipedia uses the words "psychological thriller," which finally makes me understand the nature of the film. Natalie Portman played the heroine of a ballerina and won the Academy Award for Best Actress for the film, as well as many other Best Actress awards. However, the Wikipedia article describes that there was the controversy of "dance double" about her dancing scene.

2011年5月21日土曜日

4月末の花々 (Flowers near the End of April)


 フレンチ・ラベンダー、エニシダ、アマドコロ、シャガ。いずれも2011年4月29日、わが家の庭で撮影。

French lavender (Lavandula stoechas), common broom (Cytisus scoparius), angular Solomon's-seal (Polygonatum odoratum) and Iris japonica. All the photos were taken on April 29, 2011, in our yard.

旧大放研職員たちの原発に対する考え (Former RCOP Workers' Thoughts about Nuclear Power Plants)

 昨日、私の最初の職場だった旧大阪府立放射線中央研究所(大放研)の「同窓会」が、KKR ホテル大阪で開催された。参加者は私を含めて21名だった。私は、福島第一原子力発電所の事故にもかかわらず、参加者の中に原子力発電が今後も重要であると主張する人がいないだろうかと懸念した。大放研の設立目的が原子力平和利用に資するというものだったからである(大放研の場合、原子力利用といっても原子力発電ではなく、電離放射線や量子ビームの利用を意味したのだが)。

 しかし、原発の事故について実際に述べられたすべての考えは、従来の日本のエネルギー政策が間違っていたという傾向のものであった。この傾向は、私が日本科学者会議(JSA)のメンバーとして長年学び,また自ら保持して来た「地震の多いわが国に、未完成な技術に基づく原発を多く作るのは危険である」という考え方(たとえば、「原子力発電の安全性の確保を求める決議」 [2007.5.27] や「原子力・エネルギー政策の抜本的再検討を求める決議 」[1979.5.27] に反映されている)と一致するものであり、喜ばしく思った。私は自分のこの思いを述べ、そのような考えの人たちが JSA に参加されるなら、もっと嬉しいとつけ加えた。

Yesterday, the reunion of the former Radiation Center of Osaka Prefecture (RCOP), which had been my first work place, was held at KKR Hotel Osaka, and 21 people including myself attended it. I was afraid that some of participants might insist that nuclear power plants would be important in spite of the disasters at Fukushima Daiichi plants, because the purpose of the RCOP had been "the peaceful use of nuclear power" (though these words here did not mean nuclear power generation but the use of ionizing radiation and beams of quantum particles).

In fact, however, all the thoughts expressed about the nuclear disasters were of the trend that Japan's energy policy had been wrong. I was glad that this trend was in agreement with the principle that I had learned and held myself as a member of the Japan Scientists' Association (JSA) for many years, namely, it was dangerous to build many nuclear power plants, based on uncompleted technology, in this country having frequent earthquakes (this principle is reflected, for example, in the followings: "Decision to call for ensuring the safety of nuclear power plants" [May 27, 2007] and "Decision to call for a fundamental review of the nuclear energy policy" [May 27, 1979]). I told them about this feeling of mine and added that I should be much more pleased if those who had such thoughts joined the JSA.

2011年5月20日金曜日

郷里・金沢へ 6 (Visit to My Hometown Kanazawa 6)


 最後に、金沢の風景のスケッチを掲載して、このシリーズを終わりとする。これは、3日目(5月12日)の朝、宿泊した金沢都ホテル6階客室で、卯辰山を望む方面を描いたものである。

Posting the sketch of the landscape of Kanazawa concludes this series. I drew this in the morning of the 3rd day (May 12) in the room, on the sixth floor, of the Kanazawa Miyako Hotel by looking in the direction of Mt. Utatsu.

2011年5月19日木曜日

郷里・金沢へ 5 (Visit to My Hometown Kanazawa 5)


 上掲の写真は、金沢での4日目の昼頃、香林坊の大和デパート上部から撮ったものである。1枚目は、8階レストランから見た中央公園と金沢城址方面。2枚目は、屋上からカメラのズーム機能を働かせて撮った、中央公園の向こうの広坂緑地方面(左の建物は、石川県広坂庁舎。右の建物は、しいのき迎賓館)。3枚目は、同じく屋上から撮った香林坊の三叉路から片町方面へ至る眺め。(続く)

Around the noon of the fourth day in Kanazawa, I took the above pictures from the upper part of Daiwa Department Store, Korinbo. The top one shows Central Park and the Ruins of Kanazawa Castle viewed from a restaurant on the eighth floor; the middle, Hirosaka Garden beyond Central Park taken by the use of the zoom feature of the camera (the left building is Hirosaka Hall of Ishikawa Prefecture; and the right building, Shiinoki Cultural Complex); and the bottom, the view around the road from the three-way junction of Korinbo to Katamachi. The middle and the bottom photos were taken at the roof garden of the department sore. (To be continued)

2011年5月18日水曜日

郷里・金沢へ 4 (Visit to My Hometown Kanazawa 4)


 金沢での4日目の午前、旧・又五郎町付近を見たあと、浅野川べりを歩いて、バス停「橋場町(交番前)」へ戻った。先に下車したのは、周遊バスの一つ先の停留所「橋場町(金城楼前)」であり、どちらから再乗車したかは、記憶が不確かになりがちのところだが、途中で撮った写真が記憶を助けてくれる。1枚目の写真は、浅野川にかかる天神橋をその下流から撮ったもの、2枚目は、同じ辺りから、一つ下流にかかる木造の橋、梅ノ橋を撮ったもの、3枚目は、川べりの遊歩道からの梅ノ橋への入り口付近を撮ったものである。もう一つ下流の浅野川大橋のたもとまで行くと、距離的にはあまり異ならないかもしれないが、橋の反対側に見えている「橋場町(交番前)」から乗車しようという気になる。(続く)

After seeing the street where I lived in my childhood, I walked along Asano River and took pictures. The top photo shows Tenjin Bridge viewed from the downstream side; the middle, Ume Bridge viewed from the upstream side; and the bottom, a nearby view of Ume Bridge, which is seen to be made of wood. (To be continued)

2011年5月17日火曜日

郷里・金沢へ 3 (Visit to My Hometown Kanazawa 3)


Abstract: In the afternoon of the third day in Kanazawa, I met a friend of mine, who had been a teacher of our senior high school after it had been changed to Kanazawa Commercial High School. In the morning of the fourth day, I visited the street where I lived in my childhood. The top photo shows the garden whose name reatians the old name of that street, Matagoro-cho; the middle, the garden of Jomyoji Temple near that street; and the bottom, the house that stands at the place where I lived. (The main text is given only in Japanese.)

 3日目に S 君宅からホテルへ帰ると、M・U 君との約束の時間の午後2時より少し遅くなり、彼はすでに来て待っていた。ロビーで1時間ほど話しただろうか。われわれの出身高校関係の資料(創立85周年に発行された絵はがき、同90周年記念に作られた校歌などのカセットテープと楽譜入り歌集、など)の他に、森八の銘菓まで貰った。彼は金沢商業高校に変ったわれわれの母校で、私の幼友だちの故 A さんと2年間一緒に教鞭をとったことがある。

 先に M・U 君と電話で話した時、彼は A さんを「正義感の強い人で、近寄り難かった」と評した。今回も、彼女について、「植物でいえばカシの木、鉱物でいえば鋼鉄のような人。トップ(校長のことか)になれる人だったが、損をしていた」といった。権力に抗するのが彼女の生き方であり、彼女自身は決して損をしているとは思っていなかったはずである。彼が話してくれた最近の学校の様子も、彼女のような奇特な生き方をする教員の必要性・重要性を物語るものに思えた。

 金沢へ来た初日から電話を繰り返しながら、ようやく Y 君を捕まえられたのはこの日の朝だった。彼はまだ北陸放送に勤めており、目下決算期で忙しく、残念ながら会う時間がないという。そこで、4日目午前に誰とも会う予定を作れなかった私は、「城下まち金沢周遊バス」1日フリー乗車券を利用して、幼時(3、4歳頃)に住んでいた町をまず訪れた。町は材木町に併合されたが、昔の町名が「又五郎町やすらぎ緑地」の名に残され、その緑地の石に刻まれている(1枚目の写真。インターネットの地図で見ると、「やすらぎ緑地」の名は最近「ふれあい緑地」に変ったようである)。

 この緑地から浅野川の方へ少し行くと、静明寺(じょうみょうじ)という寺がある(2枚目の写真はその境内。小説家・徳田秋声の墓がある)。私の幼時の住まいは、静明寺前の通りへ出るまでの小路の、角から2軒目にあった。角の建物は銭湯だったが、いまは駐車場になっていて、かつての私の住所に建つ家の側面が見える(3枚目の写真)。手前に見える、道路から奥まった部分は、外壁や窓が変っているものの、昔の家の形をとどめているように思われる。(続く)

(To be continued)

2011年5月16日月曜日

郷里・金沢へ 2 (Visit to My Hometown Kanazawa 2)


Abstract: After the newspaper club reunion, I had a mini-reunion of our junior high school with two lady friends of mine. On the third day in Kanazawa, I visited S-kun's home, especially to meet his mother (98 years old). The photo above shows the view from the veranda of his home. The small mountain seen in the picture is Mt. Daijoji. (The main text is given in Japanese only.)

 新聞部同窓会に続いて、私は T さん、M さんと全日空ホテルの喫茶室で、中学のミニ同窓会をした。この会合は従来、M さんの代わりに A さんが参加して、私の金沢訪問時に2回持ったものの変形した延長である。さる1月に A さんが亡くなり、今回は M さんをピンチヒッターのように引っ張り込んだのである。

 M さんの父君は、私の出身高校の数学の先生で(私は彼女の父君から、数学の普通の教科でなく、受験用の問題集をテキストにした授業を受けた)、私の父を知る人でもあった。彼女は、父君の勤めている学校へ通うのは嫌だったと、前にも同窓会の折に聞いた話をした。

 T さんは、私の高校時代の創作中のヒロインのモデルだと、K 君がいいふらした人である。それを高校時代に聞いた Y 君が、その創作のコピーを T さんに上げた(大学生時代のことだろうか)という話を昨秋になって、 Y 君自身の口から聞いた(「お礼に花束を貰ったが、その扱いに困った」と、彼はつけ加えた)。そのことを私が話題にしたところ、T さんは、「ヒロインは私に少しも似ていなかったわよ」といった。それもそのはず、その頃の私は T さんについてまだよくは知らなかったし(中学校は同じでも、クラスが一緒になったことはなかった)、モデルにしたのは、作中のほんの一場面の、しかも部分的状況に過ぎなかった。ヒロインは当時の私の理想の女性像を具象化したものだったのである。

 この日の晩、N 君に電話してみたところ、彼は私をホテルへ迎えに来て、主計町(かぞえまち)の飲み屋へ連れて行ってくれた。ホテルへ帰ったのは午後11時半過ぎだった。

 金沢での3日目、12日の午前に、S 君の住まいを訪れた。彼も新聞部同窓会に来ていて、母堂が98歳で健在であり、会いに来て欲しいと乞われたのである。それは、私の望むところでもあった。彼の住む市営住宅は、ベランダから大乗寺山が望める静かな住宅街にある(上掲の写真は、そのベランダからの眺め)。母堂は、耳が少し遠くなっているものの、他に不自由なところはなく、週刊誌を読んで、クイズにも応募しておられるとか。私の母より11年あとの1913(大正2)年生まれで、高校生時代には、ずいぶん若いお母さんだと思ったものである。60年ぶりの再会だった。

 私が訪れたことのなかった A さんの家は、番地から見て、S 君の住まいのごく近くと知ったので、S 君にバス停留所まで送って貰う途中、いまは住む人のない A さんの家を見た。A 家の表札がまだ残っており、前庭には木々が繁り放題であった。同じく金沢市内に住む A さんの姉は認知症になっていると聞いていたので、他家のことながらその家の後始末はどうなるのかと気になった。(続く)

(To be continued)

2011年5月14日土曜日

郷里・金沢へ 1 (The Visit to My Hometown Kanazawa 1)


KKR ホテル金沢の前にある金沢城の大手堀。
Ōtebori Moat in front of KKR Hotel Kanazawa.


金沢城公園の菱櫓(ひしやぐら)(写真は2枚とも2011年5月11日、
朝食後の晴れ間に撮影)。
Hishi-yagura building in Kanazawa Castle Park (both the photos were taken
while it stopped raining after the breakfast on May 11, 2011).


 旧・菫台高校新聞部の同窓会「菫台時報会」に参加するため、さる10日に郷里・金沢を訪れ、13日まで滞在した。「菫台時報会」の会合は1997年から毎年、金沢、関東、関西、名古屋に在住の会員が回り持ちで計画・主催して来たもので、今年、第15回を迎えた。しかし、会員の高齢化のため、今回で終わりにすることになった。今回の参加者は18名で、参加者に配布された会合の一覧表を見ると、最盛時には21名となっていて、それには及ばなかったが、最小だった昨年の9名の2倍の参加者で有終の美を飾った。私は第2回から参加し、合計11回の会合に出席したことになる。

 会合は10日夕方の宴会から始まり、翌11日の市内観光と昼食で解散となった。宴会は兼六園内の三芳庵、2次会と宿泊は大手町の KKR ホテル金沢。観光は、室生犀星記念館しいのき迎賓館(旧石川県庁舎本館に新装を加え、2010年4月開館)、金沢21世紀美術館(展示は見ないで、通り抜けのみ)。昼食は、広坂の石亭で。(10、11の両日とも、あいにく、かなり激しい雨が降り、移動にはタクシーを利用したが、訪れた場所の外観写真を撮ることが出来なかった。そこで、上記の文中にそれらの場所の様子が分かるウエブページへのリンクを設けた。)(続く)

On Tuesday, May 10, I visited my hometown Kanazawa to attend the reunion of the newspaper club of the former Kindai Senior High School and stayed there until Friday, May 13. We have had the meeting of this club every year since 1997 by rotating the secretaries' role among the members living in Kanazawa, Kanto Region, Kansai Region and Nagoya; and the meeting celebrated its 15th this time. Due to the aging of the members, however, we decided to make the meeting of this year the last one. The number of participants in the meeting was 18, which just doubled the minimum number in the last year, accomplishing the virtue of making the end well. I attended this series of meetings 11 times from the second one.

We started off the meeting by the evening banquet of Tuesday and ended it by sightseeing and lunch on Wednesday. We held the banquet at Miyoshi-an in Kenroku Park, and had the night party at KKR Hotel Kanazawa in Ōte-machi, where we stayed. The locations of sightseeing were Murō Saisei Kinenkan Museum, Shiinoki Cultural Complex (opened in April 2010 after the renewal of the former main building of the Ishikawa Prefectrue Hall) and the 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa (we passed through the free-access area without looking at the exhibition now in display). The place of lunch was Sekitei in Hirosaka. (On both Tuesday and Wednesday, we were unlucky to have heavy rain, and moved on taxi. Thus, I could not take photos of the places visited but provided links to the Web pages of those places in the text above.) (To be continued)

2011年5月9日月曜日

スパラキシス・トリカラー (Wandflower)


 スパラキシス・トリカラー(アヤメ科)。写真は2011年4月21日、堺市西区・笠池公園で。近年知ったばかりの花の名はなかなか覚えられない。この花もそうである。自分のブログ記事に昨年掲載した同じ花の写真を探して、ここにその名を書くことが出来た次第である。

Wandflower, harlequin flower or sparaxis; botanical name Sparaxis tricolor; family, Iridaceae. The photo was taken in Kasaike Park, Nishi-ku, Sakai, on April 21, 2011. I cannot easily recall the names of flowers that I just recently learned. It is also so about this plant. Looking for photos of the same plant in my blog posts of last year, I could manage to write its name here.

2011年5月8日日曜日

和気のフジへのバス旅行 6 (The Bus Trip for Viewing Wisteria Blossoms in Wake 6)


 藤公園のフジは、前回と前々回に掲載の写真のように、一部では咲いていたものの、全体ではまだ見頃にはほど遠い状態だった。したがって、団体入園料一人当たり250円が無料となり、帰途のバス中で返金された。

 上掲の写真はいずれもバスの車窓から撮ったもので、1枚目は和気富士(173 m)。ここから神ノ上山(こうのうえやま)へ至る山系は、170 ないし 370 m の低山からなる山脈だが、和気アルプスと呼ばれ、アルペン的な縦走が出来るという。妻も先般、そこを縦走して来たばかりである。

 帰路の高速道路は大部分の区間で視野が防音壁に遮られ、沿道の眺めを十分に楽しめなかった。行くときに通った道路では、よい眺めのところがしばしばあったが、そのときは早起きをしたせいで眠っていた時間が多く、写真を撮らなかったのが惜しまれる。

 ゴールデンウイーク中にもかかわらず、バスは交通渋滞に合うこともなく、スムーズに走り、天王寺帰着は予定より約40分も早い19時50分頃だった。天気予報では、15時頃まで雨ということだったが、わずかの雨に合うこともなく、よい旅だった。(完)

As shown by the photos in the previous posts, some wisteria trees in Fuji Park were blooming, but the scenery was far from that of the best time. Thus, the group entrance fee of 250 yen per person was refunded on the return bus.

The above photos were taken from the window of the bus. The top one shows Mt. Wake Fuji (173 m). The mountain range from Mt. Wake Fuji to Mt. Kōnoue, consisting of small mountains of heights from 370 to 170 m, is called Wake Alps, and it is said that we can enjoy walking through it like Alpine traversing. My wife just recently traversed this mountain range.

At many intervals of the highways in the return path, noise-prevention walls deprived us of the pleasure of looking at roadside views. In the outward course, we had marvellous views more often. At that time, however, I was sleeping most of the time, because I got up early, and missed taking pictures.

Though it was one of days in Golden Week, the bus ran smoothly without encountering a traffic jam, arriving at Ten'noji around 19:50, earlier than the schedule by about 40 minutes. The weather forecast was that it would be rainy until 15 o'clock, but we had quite a comfortable trip without being caught even in the slightest rain. (End)

2011年5月7日土曜日

和気のフジへのバス旅行 5 (The Bus Trip for Viewing Wisteria Blossoms in Wake 5)


 藤公園に隣接して和気神社がある。主神の鐸石別命(ぬでしわけのみこと)の他、和気清麻呂らを祀る。清麻呂(わけ の きよまろ、733–799)は、奈良時代の高級官僚で、道鏡が皇位を望んだのを阻止したことで知られる。道鏡は清麻呂を憎んで左遷したが、清麻呂が左遷先への道中でイノシシに助けられたという伝説があり、この神社には狛犬の代わりにイノシシの像がある。1枚目の写真は、和気神社の前にある清麻呂の像。2枚目は、神社本殿前のイノシシの像。3枚目は、神社の境内。

Adjacent to Fuji Park, there is Wake Shrine. In addition to the chief god, Nudeshiwake, Wake no Kiyomaro and others are enshrined there. Wake no Kiyomaro (733 -799) was a high-ranking Japanese official during the Nara period. He is known to have prevented Dokyo's ambition to become the emperor. A legend tells the following: Getting angry, Dokyo sent Kiyomaro to a far country. Kiyomaro had a difficulty along the way to the country but was helped by wild boars. Thus, this shrine has a pair of statues of boars instead of guardian dogs. The top photo shows the statue of Wake no Kiyomaro in front of the shrine; the middle, a statue of wild boar in front of the main building of the shrine; the bottom, the shrine grounds.

2011年5月6日金曜日

和気のフジへのバス旅行 4 (The Bus Trip for Viewing Wisteria Blossoms in Wake 4)


 和気町の藤公園で撮った写真、昨日からの続き。1枚目は、和気町と友好交流している中国上海市嘉定区・迎賓館のフジで、同区副区長・周麗玲女史から贈られたもの。嘉定区には、旧・上海科学技術大学(現・上海大学嘉定キャンパス)があり、私は数回訪れたことがある。上海の中心街から約 20 km 離れた、静かなところである。2枚目は、中国桂林市・七星公園のフジ。3枚目は、静岡県豊田町のフジ。

Photos taken in Fuji Park, Wake-cho, continued from yesterday's post: The top picture is of a wisteria tree from the guesthouse of Jiading District, Shanghai, China. The district is doing friendly exchanges with Wake-cho, and the tree is a gift from Ms. Zhou Liling, Deputy Mayor of Jiading District. In Jiading District, there is the former Shanghai University of Science and Technology (presently the Jiading Campus of Shanghai University), and I have visited there a few times. The district is located about 20 km away from downtown Shanghai and is a quiet place. The middle photo shows a wisteria tree from Seven Star Park, Guilin, China; and the bottom photo, a wisteria tree from Toyota-cho, Shizuoka Prefecture.

2011年5月5日木曜日

和気のフジへのバス旅行 3 (The Bus Trip for Viewing Wisteria Blossoms in Wake 3)


 昼食後、伊部の備前焼窯元を見学してから、和気の藤公園へ。今年は開花が遅れていて、見事に咲き競うという風景ではなかったが、いくつかの種類が、すでに美しい姿を見せていた。1枚目の写真は、伊那市のタマサキフジ。この花はチョウ形に開かないという、他に類例のないもの。2枚目は、宮崎市・宮崎神宮から来たオオシラフジで、この種のものとしてはわが国最大といわれている。3枚目は、オオシラフジ付近での公園の眺め。

After lunch, we visited a Bizen pottery in Ibe and Fuji (Wisteria) Park in Wake. This year, wisteria blossoms were late to start blooming, and the landscape of the Park were not yet beautiful enough. However, some kind of wisteria trees already had fair blossoms. The top photo shows tamasakifuji from Ina City; the flowers of this tree have the unique feature of not opening in the butterfly configuration. The middle photo shows ōshirafuji from Miyazaki Shrine, Miyazaki City; this tree is said to be the largest of this kind in Japan. The bottom photo shows the scenery of the park viewed near the ōshirafuji tree.