2011年2月28日月曜日

前立腺がんシンポジウム (Symposium on Prostate Cancer)

Abstract: Yesterday, I attended the symposium "All of prostate cancer" held in Osaka. The sponsor of the symposium was NPO J-Cap (Japan Study Group of Prostate Cancer). They recently opened the Web site "The point of contact for patients." This site can be reached from the home page of J-Cap. I strongly recommend the patients of prostate cancer in Japan (or their families) to become members of this site. (The main text of this blog post is given in Japanese only; Related News, in English.)

 昨27日午後、ホテルモントレグラミアス大阪で行なわれたシンポジウム「前立腺がんのすべて」を聞きに行った。主催は NPO 法人 J-Cap 研究会。まず、「前立腺がんとはどんな病気ですか?」「前立腺がんの検診とはどんなものですか?」「前立腺がんの治療にはどんなものがありますか?」と題する講演があった。これらについては、すでにこの病気の放射線治療を受けた私にとって、とくに目新しいことはなかった。続いて、放送タレントで自らも前立腺がんを治療中の永六輔氏による「がん 3分の1」という講演があった。

 永氏は、前立腺がんから離れて、「よい患者であるための10カ条」などをユーモアたっぷりに話した。氏はパーキンソン病も患っており、また、最近交通事故にもあったという。そのどちらのためだったか忘れたが、病院でリハビリをする折に、うつむき加減になって歩いていると、外国人看護師が「上ヲ向イテ歩キマショウ。患者サンハ『上ヲ向イテ歩コウ』ノ歌ヲ知ッテイマスカ。知ッテイタラ、ソレヲ歌イナガラ歩イテ下サイ」といったそうである(永氏はその歌の作詞者ですぞ)。

 その後の永氏と J-Cap 研究会理事長・赤座英之教授の対談(司会は TBS ニュースキャスター・膳場貴子さん。シンポジウム全体の司会も同じ)も面白く、最後の「Q&A セッション」はいくらか参考になった。なお、J-Cap 研究会は「患者様のための健康窓口サイト」を開設している。前立腺がん患者あるいはその家族の方々には、同研究会のホームページからアクセス出来る同サイトを、メンバー登録して利用されることをお勧めする。

関連情報:将来の前立腺がん治療法開発への明るいニュースなど (Related News)

"Genes that mutate in prostate cancer identified." The Telegraph (November 15, 2010): A major discovery of a cause of prostate cancer could pave the way for new treatments, scientists claim.

"Scientists find protein that may help control prostate cancer." Cancer News published online by CancerCompass (December 3, 2010): A protein that regulates prostate stem cell self-renewal and also plays a role in the transformation of healthy cells into prostate cancer cells has been identified by U.S. scientists.

"Genetic map of prostate cancer cracked." The Telegraph (February 9, 2011): The genetic code of one of the most deadly cancers has been mapped by scientists for the first time in a breakthrough that could "transform" our understanding of the disease.

"Prostate guideline causes many needless biopsies, study says." New York Times (February 28, 2011): Current guidelines for the early detection of prostate cancer recommend a biopsy for men whose P.S.A. rises rapidly, no matter what the initial level. But a new study says that the practice does not help patients find aggressive cancers and results in many unnecessary biopsies.

2011年2月27日日曜日

シューベルトの墓 (Schubert's Grave)


 ウィーン中央墓地にあるフランツ・ペーター・シューベルトの墓。[オーストリア旅行の写真 2; 2004年6月17日]

Franz Peter Schubert's grave in the Central Cemetery in Vienna. [Photo 2 of Austria tour; June 17, 2004]

2011年2月26日土曜日

ベートーヴェンの墓 (Beethoven's Grave)


 先に2004年1月のニュージーランド旅行の写真を連載したのに続いて、同年6月のオーストリア旅行の写真を連載する。旅行は JTB による「世界の旅情:大自然 オーストリア周遊」という企画のもので、関西空港を10時10分にOS 056便で出発した。ウィーンへは時差の関係で同日の15時25分に到着し、早速、ウィーン中央墓地を見学した。ここは、オーストリア=ハンガリー帝国崩壊前に人口400万を想定して建設された巨大な墓地で、著名な作曲家の墓が一カ所に集められている [1]。写真はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの墓。[オーストリア旅行の写真 1; 2004年6月17日]

Finishing the photo series of the New Zealand tour (January 2004), I start to post another photo series of the Austria tour in June 2004. The trip was organized by JTB under the name of "Travel with Heart: Excursions of Austrian Great Nature." We left Kansai Airport at 10:10 by the flight OS 056, and arrived in Vienna at 15:25 of the same day because of the time difference. Then, we immediately visited the Central Cemetery in Vienna. This is a huge cemetery built before the collapse of Austria-Hungary by assuming 400 million population, and the graves of famous composers are collected in one place [1]. The above photo shows Ludwig van Beethoven's grave. [Photo 1 of Austria tour; June 17, 2004]

  1. 「ウィーン」, フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』[2011年2月5日 (土) 06:52].

2011年2月24日木曜日

幼友だちが逝く (A Childhood Friend of Mine Dies)

Abstract: Ms. Y. A. was a good friend of mine from our childhood in Dalian. I heard from a common friend of ours that she died on January 11. This blog post is dedicated to her. (Main text is given in Japanese only; Note Added Later, in English.)

写真は昨日、Aさんを偲んで「故郷を離るる歌」を口ずさみながら歩いた、鳳神社前へ北から通じる道。この辺りの昔の写真が最近ツイッターの友人 yakuruma 氏のブログに掲載された。

The photo shows the street where I walked yesterday singing "The song of leaving home" as a tribute to Ms. Y. A. This road leads to the entrance of Otori Shrine from the north. An old photo of this area was recently posted by a Twitter friend of mine, yakuruma, on his blog site.

 日本の敗戦後、私が小学校5年生で大連にいたとき、中国が支配することになった同市の政府は、日本人住居の半数を中国人向けに明け渡すことを求めた。その一環として、近所のAさん一家が、わが家の2階に引揚げ前の3ヵ月間ほど同居することになった。お陰で、私と同学年(クラスは異なっていた)だったA家の三女Y子と私は親しい友だちになった。日本への互いの引揚げ先も近く、彼女が独身を通したこともあって、その友人関係はずっと続いていた。

 昨年9月半ばにたまたま金沢在住の彼女に電話したところ、かなり進行した肺がんを治療するため、翌日から入院すると聞いた。私は驚いて慰めただけで、病院名を聞き忘れた。すぐに、彼女と私の共通の友人K・Tさん(以下、Tさんと書く。彼女は、Y・Aさん—以下、Aさんと記す—と高校・大学が同じで、私と中学が同じ)に電話して、そのことを伝えた。Tさんは、それを受けて、その日のうちに何度かAさんに電話したが、応答がなかったという。そして、Tさんからの年賀状に、Aさんの様子が分かれば教えて欲しいとの書き込みがあった。Aさんからは珍しく年賀状も来なかったので、2月になってから2日にわたって電話してみたが、誰も出なかった。

 私は約20年前にAさんの長姉の住所を聞き、それを住所録に書き留めておいたことを思い出し、鎌倉のその住所へAさんの近況を尋ねる葉書を出した。だが、その葉書は「あて所に尋ねあたりません」の判を押されて、戻って来た。私はこれらのことをTさんに葉書で知らせた。

 それに対するTさんからの返信で、Aさんが1月11日に亡くなっていたことを昨日知った。Tさんは、Aさんの家の近くに住む高校時代の友人から葬儀のことを聞きながらも、あいにくその前夜、雪道で滑って転び、腰を痛めていたので、参列出来なかったそうだ。以下にTさんからの知らせに対する礼状を書き写して、Aさん追悼の一端とする。




 Aさんが亡くなられたとのご丁寧なお返事をいただき、ありがとうございました。彼女から私には年賀状も来なかったので、相当よくない状態だろうとは思っていました。入院の前日、たまたま電話で話すことが出来たのは不幸中の幸いといわなければなりません。私にとって、兄妹のように心おきなく話し合える人でした。若い頃に格別元気だった友人たちは、みな人生を急いで駆け抜けて行くかのようです。

 昨秋、近くの会館で「うた声喫茶」の催しに参加しました。その折に知った歌集の中に、Aさん姉妹が大連での同居時代によく歌っていたドイツ民謡「故郷を離るる歌」の日本語歌詞を見つけました。最近それを覚えて、ウォーキングの際に歌っています。きょうも哀悼の意を込めて歌って歩きました。

 痛められた腰はその後よくなられましたか。お大事になさって下さい。




 なお、高校時代の友人で母校の教員をしていたU君の年賀状に、例年になく、私についての思い出などいろいろと手書きしてあったので、1月末頃に、彼に礼の電話をした。そのとき、Aさんも彼と同じ頃に私の母校に勤めていたらしいことに気づき、U君がAさんを知っているか聞いてみた。彼は、「Aさんは、正義感の強い人で頭もよく、近寄り難かった。君の幼友だちと知っておれば、話をするきっかけにもなったのに」と話してくれた。Aさんは、石川県高教組の役員として活躍し、その後、住基ネット訴訟の原告団に参加した。2年半ほど前に会ったときには、同人誌に短編を書いたり、憲法九条を守るための「九条の会・石川ネット」の仕事をしたりしていると聞いた。

Note Added Later: On my Facebook wall, where this blog post is linked, I got a message from Mary Ellen Goree, "I am very sorry for your loss." In reply to this, I wrote, "Thanks, Mary Ellen, for your kind words. Ms. Y. A. worked as a high school teacher at my home town, was active in a local labors union of teachers and was recently writing short novels in a literary coterie magazine and working for the group to keep Article 9 of the Japanese Constitution that declared the renunciation of wars. She didn't get married and kept a good relationship with me like a sister and a brother. She lived her life like the road in the photo linked here, not so broad but straight."

2011年2月23日水曜日

「うがった」の用法 (The Use of the Japanese Word "Ugatta")

Abstract: In the Wednesday issue of the Asahi Shimbun, I have found that the Japanese word "ugatta" is used to mean "wrong," and regard this as erroneous. The correct use of the word is discussed by quoting explanations from three dictionaries.

 きょう、2月23日付け朝日新聞の金融情報面「経済気象台」欄に次のような文があった。

[…]イギリス病と同様、日本病は二大政党制にも責任ありといえるのではないか。
 でも、それはうがった評価だろう。このところの日本では[…]。[…]過去のイギリスのような、ある意味で高いレベルの対立とは全く次元を異にする。

ここでは、「うがった評価」という言葉が「核心を見ない間違った評価」というような、否定的な意味で使われている。続くパラグラフが、前のパラグラフの内容に対する異論であることから、そう判断される。

 しかし、辞書を見ると「うがつ」には、ここで使われているニュアンスでの否定的な意味は見当たらない。『大辞泉』(増補・新装版、1998)には、

人情の機微に巧みに触れる、物事の本質をうまく的確に言い表す。「うがった見方」「彼の指摘は真相をうがっている」

とあり、『新明解国語辞典』(第4版、1997)には、

人情の機微や事の真相などを的確に指摘する。「穿った事を言う」

とある。どちらも、推察が正しい方向であることを意味する肯定的な使い方を例示している。『広辞苑』(私の持っているのは少し古く、第3版、1983 であるが、インターネット上にある引用から、第5版でも同じ説明が採用されていることを確認した)には、

せんさくする。普通には知られていない所をあばく。微妙な点を言い表わす。浮世床「人情のありさまをくはしくうがちて」。「うがったことを言う」

とある。「せんさく」や「あばく」には、行為としてよくない面(否定的な面)があるが、うがった結果として得た内容が間違っていることを意味するというような説明は、ここにもない。したがって、「経済気象台」欄の「うがった」の使い方は間違いといえよう。

 「経済気象台」欄の執筆者は「第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者」とのことだが、このような誤用には新聞社の編集部にも責任があるだろう。

2011年2月22日火曜日

クライストチャーチの地震 (Christchurch Earthquake)


 きょう、2011年2月22日、ニュージーランド第2の都市クライストチャーチで、マグニチュード6.3の地震が発生し、同国で最大規模の自然災害となった (The Telegraph)。市のシンボルであったゴシック様式、高さ63メートルの大聖堂の上半分が崩壊した。上の写真は、私が2004年1月に訪れたときに撮影した崩壊前の大聖堂である。内部には134段の階段があり、それを登ると、市内と周辺の山々を眺めることが出来た。被災者の速やかな救出と早い復興を望む。

New Zealand suffered one of its worst natural disasters on Tuesday, February 22, 2011, when a 6.3-magnitude earthquake hit its second-biggest city of Christchurch (The Telegraph). The upper half of the Gothic-style Cathedral, which was 63-meter high and the symbol of the city, collapsed. The above photo, which I took in January 2004, shows the Cathedral before the collapse. There were stairs of 134 total steps inside, and climbing it, one could see the city and surrounding mountains. I wish the quickest rescue of the victims and an early reconstruction of the city.

2011年1月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on the Posts of January 2011)

In Japanese only

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2011年1月分への感想を2011年2月19日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。




1. クォラでの最初の仕事 (My First Activity on Quora)

 海外のツイッター友だちが、英文での質問サイト Quora への登録を誘ってくれた。[…]私の得意とする一つの問題は「鏡のナゾ」である。Quora 中の既存トピックスを検索したところ、まさにそれに該当する質問があり、三つの回答が寄せられていたが、それらは満足出来るものではない。そこで早速、私の回答を記入した。

とのことです。英文ブログ記事 "The mirror puzzle: Reversal is attributed to the direction defined last" に回答の内容が記載されています。その要点は、次の通りです。

質問:「鏡はなぜ左右を逆にし、上下を逆にしないか」
解答:
 (1) 質問の現象=物体またはその鏡像のそれぞれに固有の座標系から見ると、左右の非対称性が逆転している。
 (2) この理由=鏡にうつすと、鏡面に垂直な一つの向きが逆転する。したがって、非対称な物体の鏡像は、その対掌体(一例:左手の対掌体は、その対である右手)と呼ばれるものになる。非対称体をどの一方向について逆転させても、対掌体が得られる(あるいは、対掌体はそのようにして得られたものと考えてよい)。また、物体(または鏡像)の左右方向は、上下と前後の方向をその物体(または鏡像)の外観から決めた後で初めて決めることができる。したがって、対掌体(鏡像)の上と前は、常に外観上、もとの物体(実物)の上と前と、それぞれ同じ側にあるとみなされ、対掌体で逆転する方向は、最後に決まる方向、すなわち、左右方向に押しつけられてしまうのである。大切な点は、左右の決め方の特性にある。Richard Feynman、Martin Gardner その他の多くの人の説明は、この点を見落としている。

 筆者の Quora への初めての投稿が、造詣深く、しかも筆者独自の見解であったことは同慶の至りです。鏡像問題については、このブログに過去にも多く書かれています。2007年12月9日付け「またまた鏡像問題」(目下リンク切れ)、最近取捨選択して復元された2004年11月27日付け「鏡の世界」、同29日付け「鏡の世界:解答偏」など。「鏡の世界」には筆者が「鏡像の謎」に取り組むことになった訳が述べられています。「同:解答偏」には解答が噛み砕いて書かれており、上記の英文を読むのに大変参考になりました。

2. 「この道」("This Road")

 「今月の NHK テレビのハイビジョンチャンネルでは、イタリア関係の再放送特集があり、その国でかつて学んだ人たちや、いまそこで活躍している人たちの番組をいくつか見た。その中に、以前よくテレビで拝見した声楽家・五十嵐喜芳氏が、恩師の家や墓、遺族を訪ね、旧友に再会もする番組、『いつまでも歌い続けたい旅人』があった(2001年11月25日のものの再放送)。[…]
 氏がオペラ座を訪れて、私が最近愛唱している歌の一つ、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道」を歌う場面があった。客席には、同じく声楽家の娘さんだけがいるという状況のもとでのことだ。「お母さまと馬車でいったよ」の歌詞のある3番は歌われなかった。氏はお母さん子で、母堂が亡くなったあと1年ほど、歌う声が出なかったと番組の中で語っていたことから、3番の歌詞は彼には涙なしに歌えなくて飛ばしたのであろうと想像した。

 私は途中から、この番組を見ました。氏がイタリア留学中、よいイタリア語の指導者、よい師、よい友を得て、イタリア社会に順応し、音楽の才能に磨きをかけられたことを、この番組は存分に表現しており、感銘を受けました。氏は歌手としてより、プロデューサーとして日本のオペラ界に尽くされたとのことです。オペラは他の音楽と異なり、言葉(物語り)、立派な舞台や劇場と聴衆が一体となった、その国の文化そのものです。TVで、ミラノスカラザなどで上演されるオペラを見ていると、この感を強くします。他のジャンルの音楽では、世界を股にかけて活躍するわが国の世界一流の音楽家が多い中、オペラはこれからだと思います。その地の歌劇団に入り込み、そこで活躍する必要がありましょう。このような番組が若いオペラ志望者に、その地に馴染み将来を切り開く道を教示する一助となればよいと思います。

2011年2月21日月曜日

紅梅・白梅 (Pink and White Ume Blossoms)


 先日この場所の紅梅を撮影したときには、白梅はまだ、つぼみも目立たなかった(2月7日掲載の写真)。最近、ようやく、紅白そろい踏みとなった。そろそろ、少し足を延ばして、荒山公園へ観梅に行かなければ…。上の写真は、堺市中区の小さな梅林で、2011年2月19日撮影。

When I took the picture (posted on February 7) of the ume tree with pink blossoms at this place, the ume trees to bloom in white did not yet show even small buds. Now, we finally see pink and white blossoms together. Perhaps, it is now an appropriate time for us to go, with a little of long-distance walk, to Kozen Park to see gorgeous ume blossoms there. The above photo was taken at a small ume grove in Naka-ku, Sakai, on February 19, 2011.

2011年2月20日日曜日

枝垂白梅 (Weeping White Ume Tree)


 近くの笠池公園で枝垂白梅が三分咲き。2011年2月15日撮影。

One-third of the blossoms of the weeping ume tree are opening in Kasaike Park near here. Taken on February 15, 2011.

2011年2月19日土曜日

ニュージーランドでのスケッチ 10 (Sketches in New Zealand 10)


 スタンフォードプラザ・ホテルから見たオークランドの街筋。2004年1月15日の午後描く。(「ニュージーランドでのスケッチ」はこれで終わり)

Streets of Auckland viewed from the Stanford Plaza. Drawn in the afternoon of January 15, 2004. (This is the last of "Sketches in New Zealand.")

2011年2月18日金曜日

ニュージーランドでのスケッチ 9 (Sketches in New Zealand 9)


 ロトルアのガバメント・ガーデン。前方の建物はロトルア美術歴史博物館。2004年1月14日の午後描く。

Government Gardens, Rotorua. The building ahead is the Rotorua Museum of Art and History. Drawn in the afternoon of January 14, 2004.

2011年2月17日木曜日

ニュージーランドでのスケッチ 8 (Sketches in New Zealand 8)


 クライストチャーチからロトルアへのプロペラ機から見た北島の南端。2004年1月14日の午前描く。

The southern end of the North Island (Māori: Te Ika-a-Māui) seen from the propeller plane from Christchurch to Rotorua. Drawn in the morning of January 14, 2004.

2011年2月16日水曜日

ニュージーランドでのスケッチ 7 (Sketches in New Zealand 7)


 モエラキの宿、ウィルダネス・ロッジの庭。左端の背の高い樹はカヒカテア(マオリ語の名)。2004年1月11日の午後描く。

The garden of the Wilderness Lodge, Moeraki. The tall tree on the left is Dacrycarpus dacrydioides or kahikatea (from its name in the Māori language). Drawn in the afternoon of January 11, 2004.

2011年2月15日火曜日

ニュージーランドでのスケッチ 6 (Sketches in New Zealand 6)


 旅の7日目に宿泊したノボテル・ガーデンズ・クィーンズタウンから見たワカティプ湖。2004年1月10日の午後描く。

Lake Wakatipu viewed from the Novotel Gardens Queenstown, where we stayed at the seventh night of our travel. Drawn in the afternoon of January 10, 2004.

2011年2月14日月曜日

ニュージーランドでのスケッチ 5 (Sketches in New Zealand 5)


 観光船ミルフォード・マリナーから見たミルフォード・サウンド。2004年1月10日の朝描く。

Milford Sound viewed from the sightseeing boat "Milford Mariner." Drawn in the morning of January 10, 2004.

 お知らせ (Notice) 消滅した別サイトの記事を取捨選択して、アーカイブに復元中。2004年11月分が完成。 (Selected posts at the site that disappeared are now under recovery in the archive of this site. The archive of November 2004 is now complete. Most of the posts there are in Japanese.)

2011年2月13日日曜日

ニュージーランドでのスケッチ 4 (Sketches in New Zealand 4)


 エッジウォーター・リゾート・ホテルから見たワナカ湖。2004年1月8日午後描く。

Lake Wanaka viewed from the Edgewater Resort Hotel. Drawn in the afternoon of January 8, 2004.

2011年2月12日土曜日

ニュージーランドでのスケッチ 3 (Sketches in New Zealand 3)


 ハーミテージ・ホテルから見たセフトン山。2004年1月7日午後描く。

Mt. Sefton viewed from the Hermitage Hotel. Drawn in the afternoon of January 7, 2004.

2011年2月11日金曜日

2冊の本とCD・DVDセット (Two Books and a Set of CDs with DVDs)

 インターネットで注文した小さな本2冊と、CD5枚・DVD1枚のセット1組が一昨日届いた。本の一冊は山口仲美著『日本語の古典』(岩波新書)。言葉との関わり合いという観点から、奈良時代から江戸時代までの代表的な古典文学を取り上げて解説しているところが、私の趣味に大いに合いそうだと思って買った。「プロローグ」に「古典を読むと、物事を相対的に捉える目が養われます。[…]古典は私たちの生きている現代とはかなり違った価値観や習慣を示してくれます」という言葉があったのも気に入った。ツイッターで和文と私の英訳との両方で紹介したところ、英訳の方は南米コロンビアの理論物理学者に気に入って貰えたようで、彼は再ツイートをしていた。

 もう一冊の本は『NHKテレビテキスト こだわり人物伝 2011年2-3月』。3月放送分で益川敏英氏が湯川秀樹について語る内容が記されており、湯川会会員の一人が会のグループメールで知らせてくれたものである。益川調の語りで、他の人が言い難いようなことを言ってのけている。最後に「ああ、今回も言いたいことを言った。えりゃあこと言ってしまった。きっとまた、叩かれるんだろう。ほんとに口は災いのもとだ。反省」と述べている。最も辛辣な湯川批判は、湯川の非核の活動が、周囲の情熱的な弟子たちの担ぎ上げに上手に乗っかった「樽神輿」であるとの見方である。しかし、私は確かにそういう面もあったと思い、それほど驚かなかった。

 CD・DVDのセットは『鮫島有美子がうたう 日本のうた・世界のうた 100』。私の愛唱歌のレパートリーを広げようと思って求めた。

I had ordered two small books and a set of four CDs with two DVDs on the Internet, and a package of them arrived the day before yesterday. One of the books is entitled Nihongo no Koten (Classic Literature Written in Japanese) (Iwanami, 2011) and written by Nakami Yamaguchi. This book explains representative works of classic literature in periods of Nara to Edo from the viewpoint of the relationship to Japanese language. I thought that such treatment of the subject fitted to my taste, and this is the reason for my buying this book. I also liked the following words in "Prologue" of the book: "Reading classic literature makes our eyes catch things in an objective way. [...] It shows us values and habits significantly different from contemporary ones." I tweeted these words both in original Japanese and in my English translation. A theoretical physicist in Colombia liked the English version and re-tweeted it.

Another book is The Text of NHK TV Program 'Kodawari Jimbutsuden, February and March, 2011" ("Kodawari Jimbutsuden" means something like "Biography from a Unique Viewpoint"). The TV program is scheduled to broadcast Toshihide Maskawa's talk about Hideki Yukawa in March. So, a member of our Yukawa group informed us of this book by a group e-mail message. With the narrative tone peculiar to him, Maskawa says such things as no other people dare to say, and his last words are: "Oh, this time I also talked as I liked and said extremely rude things. I'm sure I'll be reproached. Better the foot slip than the tongue, really. I must reflect." Maskawa's severest criticism of Yukawa is about the latter's anti-nuke activities: "Those were smart ride on a 'barrel shrine' carried by his passionate disciples." Feeling that this view refers to part of truth, however, I was not surprised so much to read it.

The set of CDs and DVDs is entitled Yumiko Sameshima sings 100 songs of Japan and the World. I bought this to broaden the repertoire of my favorite songs to sing.

当地では珍しい雪景色 (Snow Scenery Rare Here)


 けさ起きると、雪がわずかながら積もっていた。午前中まだ降り続く模様である。

Waking up this morning, I saw the snow piled up slightly. It seems to continue to snow until about noon.

2011年2月10日木曜日

ニュージーランドでのスケッチ 2 (Sketches in New Zealand 2)


 ハーミテージ・ホテルから見たアオラキ(マウント・クック、標高3,754m)。2004年1月6日午後描く。

Aoraki (Mt. Cook, 3,754 m) viewed from the Hermitage Hotel. Drawn in the late afternoon of January 6, 2004.

2011年2月9日水曜日

ニュージーランドでのスケッチ 1 (Sketches in New Zealand 1)


 クラウンプラザ・ホテルから見たクライストチャーチのダウンタウン。2004年1月5日午後描く。

Downtown of Christchurch viewed from the Crowne Plaza Hotel. Drawn in the afternoon of January 5, 2004.

2011年2月8日火曜日

セイロンベンケイの花の生長 (Growing Up of Air Plant Flowers)



 先にも、1月7日付けでセイロンベンケイの花の写真を掲載した。インターネットの写真では、花の根元(上部)が赤く、先から朱色の花弁らしいものが出ているのも見た。他方、わが家の花は、先の写真を撮影したときすでに、つぼみが出来初めてから何日も経っていたのに、黄緑色だけの姿だった。したがって、わが家の植物はそういう地味な種類のものかと思っていた。

 ところが、嬉しいことに、最近になって、最も早く大きくなって来ていたつぼみの先端から朱色のものが出て来た(1枚目の写真の中央)。また、日光によく当たっていた側の各つぼみの上部も赤みを帯びて来た(2枚目の写真;このときは、反対側に日が当たるように植木鉢を回転してある)。この植物の花が生長するためには、ずいぶん多くの日数が必要なようだ。[写真はどちらも2011年2月8日、わが家で撮影。]

 [掲載後の注記]インターネットで調べたところ、筒状の部分はガクで、先から出る朱色のものが花弁と分かった。

I posted a picture of air plant flowers once on January 7. On the Internet, I saw that the base (at the top side) of some flowers had red color and that there were vermilion things, perhaps petals, at the tip. On the other hand, the flowers in our house had only yellow-green color, although the previous photo was taken several days or more after the start of budding. Thus, I thought that our plant was of such a modest kind.

However, to our joy, vermilion things recently came out from the tip of the bud that had grown earliest (at the middle of the first photo). Further, the upper portion of the side of each bud that had significantly gotten sunlight became tinged red (the second photo; now the flower pot has been rotated for the other side to be exposed to sunshine). It seems that the flower of this plant requires a lot of days to grow up. [Both the pictures were taken on February 8, 2011, at our home.]

[Note after posting] By Internet search, I have learned that the cylinder-like portion is a calyx and the vermilion things at the tip are petals.

2011年2月7日月曜日

ウメの花が咲き始める (Ume blossoms began to bloom)


 写真は堺市中区の小さな梅林で、2011年2月2日撮影。

The above photo was taken at a small ume grove in Naka-ku, Sakai, on February 2, 2011.

お知らせ:私が2009年に自費出版した本 "Passage through Spacetime" のフェイスブック・ページを作りました。

Notice: I made the Facebook page of "Passage through Spacetime," the book I published at my own expense in 2009.

2011年2月6日日曜日

オークランド 10 (Auckland 10)

 旅の13日目(最終日)の7時15分、オークランド国際空港へ到着。ニュージーランド航空の NZ97 便で帰途につく。関西空港着16時5分。写真は、昨日掲載の者と同じく、バスの前方の窓から見たオークランドの街。郊外にさしかかる所のようである。[ニュージーランド旅行の写真 166(最後); 2004年1月16日]

なお、添乗員さんが作成した旅行記によれば、12日目の夕食後、一同が私のスケッチで旅を振り返ったとある。その少数枚のスケッチは、以前 IDEA & ISAAC のウエブサイトに掲載していたが、いまは載せていないので、このあと連載する予定である。

At 7:15 am of the thirteenth day (the last day) of the trip, we arrived at Auckland International Airport and took Air New Zealand flight NZ97 to go back to Japan, arriving at Kansai Airport at 4:05 pm. The photo above, similarly to the one posted yesterday, shows the city of Oakland, perhaps close to the outskirts, viewed from the front window of the bus. [Photo 166 (the last) of travel in New Zealand; January 16, 2004]

According to the tour conductor's travelogue, we looked back on the travel seeing my sketches after the dinner of the twelfth day. Those sketches, once posted at the Web site of IDEA & ISAAC but deleted afterward, will be made the next short series at this blog site.

2011年2月5日土曜日

オークランド 9 (Auckland 9)

 旅の13日目の朝6時45分、the Stanford Plaza Auckland をバスで出発し、オークランド国際空港へ向う。いよいよ旅も終わりである。写真はバスの前方の窓から見たオークランドの街。[ニュージーランド旅行の写真 165; 2004年1月16日]

At 6:45 am on the thirteenth day, we departed the Stanford Plaza Auckland by bus and headed to Oakland International Airport. The trip is coming to an end at last. The above photo shows the street of Auckland seen from the front window of the bus. [Photo 165 of travel in New Zealand; January 16, 2004]

2011年2月4日金曜日

オークランド 8 (Auckland 8)

 旅の12日目の18時30分、その夜宿泊するホテル the Stanford Plaza Auckland へ到着。夕食は日本料理。写真はホテルの部屋から見たオークランドの街。[ニュージーランド旅行の写真 164; 2004年1月15日]

At 18:30 of the twelfth day of the trip, we arrived at the Stanford Plaza Auckland, and we stayed there. We had Japanese dishes for dinner. The photo shows the streets of Auckland seen from the hotel room. [Photo 164 of travel in New Zealand; January 15, 2004]

2011年2月3日木曜日

オークランド 7 (Auckland 7)

 スカイタワーを含むオークランド市街を再び望む。[ニュージーランド旅行の写真 163; 2004年1月15日]

We again looked at the central city of Auckland including the Sky Tower. [Photo 163 of travel in New Zealand; January 15, 2004]

2011年2月2日水曜日

僧侶の資格 (The Qualification for a Priest)

 さる1月27日、NHK HV で「プレミアム 8:玄侑宗久 なりゆきを生きる」を見た。玄侑宗久氏は小説家で、臨済宗の僧侶でもある。彼の若い頃の精神的苦闘の話も興味深かったが、作品のヒントをどこに見つけたかという話が愉快であった。

 宗久さんは、葬式に位牌を間違えて持って行ったことがあり、その二、三日後、故人の娘さんから連絡があった。このところ家で起こったことを見ると故人が成仏出来ていないのではないか、と尋ねられたのである。このとき、成仏とは何かについて考えさせられたことが、芥川賞作品「中陰の花」(2001) になったそうである。また、別の作品「アミターバ:無量光明」(2003) は、彼が、長く病床にあった義母から「そろそろお迎えが来るでしょうか」と問われて答えた言葉に後悔したことから生まれたということである。

 この問いについて、宗久さんは「あなたなら何と答えますか」とインタービューアーの渡邊あゆみアナウンサーに尋ねた。彼女の答えは宗久さんが実際にした答えと同様で、「そんな気弱なことを言わないで、もっとがんばって生きて下さい」というようなものだった。他方、私は、宗久さんがこう答えればよかったと後で思った答えに近いものを思っていた。すなわち、この世を去るのは決して不安なことではなく、むしろ光明・幸福であることを話して上げる、というものである。私がこう思ったのは、年の功であろう。私には、いまや僧侶の資格があるといえようか。

On January 27, I watched the TV program of NHK Hi channel, "Premium 8 – To live as it will go: Genyū Soukyū*." Genyū Soukyū is a novelist and priest of Rinzai school. The story of struggle in his young days was gripping, and stories about how he found the hints of his novels were also quite entertaining.

Soukyū once went to a funeral with a wrong mortuary tablet, and, a few days later, the daughter of the deceased told him that, considering from what had happened in her house those days, she wondered if the deceased had been able to go to heaven. This made him think about "going to heaven," and his thought grew into the Akutagawa-Prize winning work Chuin-no-Hana (2001). Another novel Amitābha: Muryō-kōmyō (2003) was born when he regretted his answer to his mother-in-law who had been ill for a long time. Her question was: Shall I be picked up to heaven soon?

As for this question, Soukyū said to the interviewing announcer Ayumi Watanabe, "What would you answer this?" Her response was essentially the same as the one Soukyū actually made, namely, "Do not be weak, but be passionate to live." On the other hand, I thought something close to the reply that Soukyū later thought to have said: Going to heaven is not a fearful thing, but rather a bright and happy thing. Perhaps I thought of this from the wisdom of age. Am I now qualified to be a priest?

* For the expression of his name, I follow the one on the cover of his book, Chuin-no-Hana. His family name is Genyū and pronounced like gen-yū.

2011年2月1日火曜日

スイセン (Daffodil)


 スイセン属は、ヒガンバナ科の属のひとつ。狭義には学名Narcissus tazettaや、その変種であるニホンズイセン(Narcissus tazetta var. chinensis)をスイセンということも多い。2011年1月29日、わが家の庭で撮影。

Daffodil; botanical name, Narcissus; a genus in the family Amaryllidaceae. The photo was taken at our yard on January 29, 2011.