2009年5月31日日曜日

ハマユウ

 ハマユウ(浜木綿): 学名 Crinum asiaticum、ヒガンバナ科(クロンキスト体系ではユリ科)の多年草。花の様子が木綿(ゆふ)を垂らしたようであることが和名の由来。木綿とはコウゾなどの樹皮を細く裂いて作った繊維から作った布で、古代から神事などに用いられてきたもの。肉厚で長い葉がオモト(万年青)に似ることから、ハマオモトの別名がある。以上、文献1を参考にした。写真は2009年5月18日、わが家の庭で。

文献

  1. 「ハマユウ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月26日 (火) 07:10].

2009年5月30日土曜日

ユリ (2):変形して、けなげに咲く

 昨日の記事「ユリ」を、後で「ユリ (1)」に改題し、「この他にも、植木鉢で育てているユリがあるが、まだつぼみの状態である」という最後の文の中に「一つの例外を除いて」を挿入した。植木鉢で例外的に早く咲いていたその花の写真が上掲のものである。6枚のはずの花弁が7枚あり、そのうちの2枚は部分的に葉のような緑色をしていて、また、他の2枚は先が曲がっている。一種の奇形なので、紹介するつもりはなかったのだが、そのような姿でも、けなげに咲いているところが、困難な状況下でがんばろうとしている方々の勇気づけになればと思い直して、ここに載せることにした。

2009年5月29日金曜日

ユリ (1)

 ユリ(百合)は、ユリ目ユリ科のうち主としてユリ属(学名 Lilium)の多年草の総称である。球根から茎を高く伸ばし、夏、ろうと状の花を咲かせる。幕末にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが日本のユリの球根をドイツへ持ち帰った。それが復活祭に用いられるイースター・リリーとして大流行した影響で、ユリの球根は近代日本で絹に次ぐ二番目の主要輸出品となった。そして、いわば逆輸入される形で、明治末に鑑賞花として流行した。夏目漱石の「それから」[1909(明治42)年]に、「代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩ふ強い香の中に、残りなく自己を放擲した」(14章7節)とある。(以上、文献1を参考にした。)写真は2009年5月17、23の両日、わが家の庭で。この他にも、植木鉢で育てているユリがあるが、一つの例外を除いて、まだつぼみの状態である。

文献

  1. 「ユリ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月22日 (金) 22:10].

2009年5月28日木曜日

アルストロメリア

 アルストロメリア (Alstroemeria) は、単子葉植物の一つの属の名。別名ユリズイセン属。所属する科は、新エングラー体系ではヒガンバナ科、クロンキスト体系ではユリ科、APG分類体系ではユリズイセン科(アルストロメリア科)。本属は南アメリカ原産で、約50種が知られている。いずれもアンデス山脈の寒冷地に自生する。1753年、南米を旅行中だったカール・フォン・リンネ自らが種を採集し、親友のスウェーデンの男爵の名をこの花に残した。以上、文献1を参考にした。写真は2009年5月16日、わが家の植木鉢に咲いた花を撮ったもの。

文献

  1. 「アルストロメリア属」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月8日 (金) 13:24].

2009年5月27日水曜日

木々の緑

 写真は2枚とも、2009年5月13日、堺市・津久野南団地で撮影したもの。1枚目は、団地北端東側にある庭園。ウォーキングの途中で、ここへよく寄る。2、3年前に、多くの木々を伐採する形で整備し直されたことを残念に思ったが、この位置と方角では、まだ緑豊かに見える。2枚目は、団地の南端東側の小高くなっているところを下って、北側を望んだ風景。

2009年5月26日火曜日

ブラシノキ、スイレン属

 ブラシノキ: 学名 Callistemon speciosus。別名カリステモン(これは本来、属名のラテン名)、ハナマキ(花槙)、キンポウジュ(金宝樹)。フトモモ科ブラシノキ属の常緑小高木。オーストラリア原産で、観賞用に栽培される。5、6月頃に開花し、花弁は緑で小さくて目立たないが、赤(ときに白)の長い花糸が目立つ。穂状花序をなし、花序全体がブラシのように見える。花序の先から枝が伸びるという珍しい特徴を持つ(文献1)。写真は2009年5月13日、堺市・津久野南団地で。

 スイレン属: 学名 Nymphaea、スイレン科の属の一つで、水生多年草。単にスイレン(睡蓮)と呼ぶことが多い。日本にはヒツジグサ(未草、N. tetragona)の1種類のみ自生する。日本全国の池や沼に広く分布している。白い花を午後、未の刻ごろに咲かせることからその名がついたといわれる(文献2)。写真は5月13日、堺市・中の池公園で。

文献

  1. 「ブラシノキ」, ウィキペディア日本語版 [2009年1月9日 (金) 14:15].
  2. 「スイレン属」, ibid. [2009年4月28日 (火) 02:12].

2009年5月25日月曜日

ブルンフェルシア、アッツザクラ

 ブルンフェルシアといえば、日本では通常、ブルンフェルシア・アウストラリス (Brunfelsia australis) を指し、ブルンフェルシアの青花品種のことになる。和名ニオイバンマツリ(匂い蕃茉莉)。匂い=芳香、蕃=外国、茉莉=マツリカ(=ジャスミン)の合成語からつけられた名である。ナス科ブルンフェルシア属の半耐寒性常緑低木。初夏に、ジャスミンに似た芳香の、基部がつながった五弁花を咲かせる。花は咲き始めに紫色で、時間の経過とともに、淡紫、白と変わので、同じ株に紫花と白花が混在した2色花のようにも見える。英名 Yesterday-today-and-tomorrow、Morning-noon-and-night、Kiss-me-quick。 原産地はブラジル,アルゼンチン、西インド諸島。(以上、文献1を参考にした。)写真は2009年5月12日、わが家の植木鉢で育てているものを写す。

 アッツザクラ(アッツ桜): 学名Rhodohypoxis baurii、ユリ科(新エングラー体系ではキンバイザサ科)、一属一種。別名ロードヒポキシス (Rhodohypoxis)。原産地は南アフリカの高原(アッツ島が原産地ではない)。球根植物で開花期は春。和名の由来は、はっきりしないが、次のような説がある。 (1) 太平洋戦争中にアッツ島で日本軍が玉砕したことを悼んで(この説が多いようである)。(2) 太平洋戦争中にアッツ島を日本軍が占領したことを記念して。(以上、文献2による。)写真は5月12日、わが家のプランターで育てているものを撮影。

文献

  1. ブルンフェルシア (Brunfelsia australis), 科学技術研究所ウェブページ.
  2. 「アッツザクラ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月10日 (日) 13:13].

2009年5月24日日曜日

シャクヤク

 シャクヤク(芍薬): ボタン科の多年草、学名 Paeonia lactiflora。高さ約60cm。葉は複葉。初夏、大形の紅・白色などのボタン(牡丹)に似た花を開く。アジア大陸北東部の原産。ボタンが「花王」と呼ばれるのに対し、芍薬は花の宰相、「花相」と呼ばれる。また、ボタンが樹木であるのに対し、シャクヤクは草であり、冬には地上部が枯れて休眠する(文献1)。

 写真はどちらも2009年5月12日、わが家の庭で。昨年はいくつものつぼみが開かないままで終わったが、今年はよく咲いた。全部で八つぐらいだっただろうか。

文献

  1. 「シャクヤク」, ウィキペディア日本語版 [2009年2月5日 (木) 15:39].

2009年5月23日土曜日

鈴の宮公園の新緑、キンギョソウ

 堺市・鈴の宮公園の新緑。2009年5月11日写す。

 キンギョソウ(金魚草): 学名 Antirrhinum majus、ゴマノハグサ科(APG分類体系ではオオバコ科)キンギョソウ属。南ヨーロッパと北アフリカの地中海沿岸部を産地とする。その名の通り金魚のようなかわいらしいたくさんの花を穂状に咲かせる。花の色は赤・桃 ・白 ・橙 ・黄 ・複色。金魚の養殖で有名な愛知県弥富市の市の花になっている。(文献1による。)写真は鈴の宮公園からの帰り道で撮ったもの。

文献

  1. 「キンギョソウ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月13日 (水) 17:17].

2009年5月22日金曜日

Recent Visitors by Country(国別訪問者数)

 [概要]私が blogger.com を利用して書いている3シリーズのブログには、それぞれ sitemeter.com のカウンターをつけてある。同社のサイトでは、自分のサイトへの最新99名の訪問者の国別割合を知ることができる。英語で書いている二つのシリーズについて、きょう見た結果では、アメリカが断然多く、次いでイギリス、カナダなどであった(日本は、私自身のチェックや修正のための訪問を多数含むので除外)。 本文(英文)へ

シロツメクサ、ナガミヒナゲシ

 シロツメクサ(白詰草): 別名クローバー、学名 Trifolium repens、マメ科シャジクソウ属の多年草。原産地はヨーロッパ。(文献1による。)

 ナガミヒナゲシ(長実雛罌粟): 学名 Papaver dubium、ケシ科の一年草。地中海沿岸から中欧にかけての原産。日本では帰化植物として知られる。1961年に東京都世田谷区で初めて確認され、以後群馬県、福岡県などにも分布が広がり、現在では温暖な地方の都市周辺を中心に繁殖している。(文献2による。)

 写真はどちらも2009年5月11日、堺市・鈴の宮公園で。

文献

  1. 「シロツメクサ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月18日 (月) 17:25].
  2. 「ナガミヒナゲシ」, ibid. [2008年11月30日 (日) 03:59].

2009年5月21日木曜日

ヘビサボテン、キリ

 ヘビサボテン。わが家のプランターに咲いたもの。2009年5月9日撮影。

 キリ(桐): 学名 Paulownia tomentosa、ゴマノハグサ科(あるいはノウゼンカズラ科、独立のキリ科 Paulowniaceae とする意見もある)キリ属の落葉広葉樹。原産地は中国とされ、日本では北海道南部以南において植栽される。中でも福島県の会津桐、岩手県の南部桐が有名。古くから良質の木材として重宝されており、下駄や箪笥、箏(こと)、神楽面の材料となる。(文献1による。)写真は堺市・蜂田神社と鈴の宮公園の間に面する道路脇で、2009年5月11日撮影。

文献

  1. 「キリ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月11日 (月) 13:04].

『日本語で読むということ』、『日本語で書くということ』(2)

 前報 (1) では、水村美苗の新刊書 [1, 2] のうち、主に [1] についての感想を述べた。今回は [2] への感想を記す。

 [2] には、「I 日本語で書くことへの希望」「II 日本近代文学について」「III アレゴリーとしての文学」の3章があり、16編の著作を集めてある。[1] が軽く読めるのに反し、[2] の各著作は論文調で重い。中でも [2] の第 II 章中の「見合いか恋愛か——夏目漱石『行人』論」(1991) と「『男と男』と『男と女』——藤尾の死」(1992、漱石の『虞美人草』を論じたもの)、そして、第 III 章の2編 (ともに1986) は、格別重い。この重さは、著者が執筆時にまだ若かったため、文に気取りがあることにもよるだろう。その意味で、ここに初出年を書いてみた。ちなみに、水村の小説第一作『續明暗』の単行本としての発行は1990年である([1] の「自作再訪——『續明暗』」中に、同書が絶版になった「衝撃」が記されている)。

 [2] の著作が重いというのは、著者の意図を理解するために格段の注意力を要するとともに、場合によっては、理解できないままに読み終えなければならないという意味である。たとえば、「見合いか恋愛か…」の末尾近くで、著者は『行人』の主人公・一郎と日本の近代知識人とのアナロジーについて、「〈自然〉 と 〈法〉 という二項対立にとらわれることこそ、日本の近代知識人の典型であった」としながら、「それだけではない。自分の立っている足もとも見ずに、〈自然〉 や『主体』という観念にとらわれるということこそ、もっとも典型的だったのである」と、二重の提示をしている。また、そこにつけた注において、「実際は一郎は二つの自然にとらわれている。…(以下略)…」と論じ、提示を三重にさえしている。さらに、続く最終パラグラフでは、「しかし、一郎と日本の近代知識人とのアナロジーはここで終わらざるをえない」ということが論じられている。これでは、アナロジーの本質と意義をどう理解すればよいのか、著者の最も主張したかったことは何なのか、読者は戸惑わざるをえない。

 余談であるが、筆者が身をおいて来た自然科学分野においては、繰り返して読まなければ趣旨が把握出来ないような文を含む論文は落第である。チャールズ・パーシー・スノーが「二つの文化」についての講義 [3] をしてから50年になる [4]。文学分野と自然科学分野の論文の書き方がもっと接近することが望まれる。

 「『男と男』と…」についても一言するならば、「たとえば藤尾[筆者注:『虞美人草』のヒロイン]の罪を説明しようとする試みは失敗せざるをえない」という文に続く議論は、必ずしも納得できない。作中の説明が論理性を欠くことが、作品の欠陥のように述べられている。しかし、アルベール・カミュは文学作品において不条理そのものを描いた。実社会にも不条理が多く生起する。これを見れば、小説に論理を求めても仕方がないのではないだろうか。漱石自身、この作品は失敗作だといっているとのことではあるが。——科学の方法は論理的でなければならないが、文学作品が論理的でなくてよいということは、スノーが歎いた二つの分野の隔絶には当たらない。彼が指摘したのは、両分野相互間の無理解である。——

 第 III 章の最初の「読むことのアレゴリー」は、ポール・ド・マンの同題名の著作についての評論であり、次の「リナンシエイション(拒絶)」も、同じくポール・ド・マンの文学論全般についての評論である。ド・マン (Paul de Man, 1919−1983) は、水村の評論からもうすうす分かるのだが、インターネット調べてみると、デリダの影響を受け、脱構築批評を確立したイェール学派の代表的存在である [5]。また、彼は水村のイェール大学大学院修士課程での恩師で、彼が死去したのは水村の在学中だったようである。彼女は彼の死後間もなく、「リナンシエイション(拒絶)」のもとになった英文の論文を書いている。したがって、これは彼女の著作の中で最も若いときのものであり、文章のいたるところに才気が感じられはするものの、筆者としては「もっと分かりやすい文で書いてはどうだろう」と思わずにいられない。

 以上、いささか手厳しい感想になったが、全体としては、一読していろいろ考えさせられるよい本だと思う。(完)

文献

  1. 水村美苗, 日本語で読むということ (筑摩書房, 2009).
  2. 水村美苗, 日本語で書くということ (筑摩書房, 2009).
  3. C. P. Snow, Two Cultures and A Second Look (Cambridge University Press, Cambridge, Part I first published 1959, Part II added 1964).
  4. Doing good, 50 years on (Edtorial), Nature Vol. 459, p. 10 (2009).
  5. 「ポール・ド・マン」, ウィキペディア日本語版 [2009年2月9日 (月) 18:58].

2009年5月20日水曜日

セキチク

 セキチク(石竹): 英名 China pink、学名 Dianthus chinensis、ナデシコ科ナデシコ属の多年草。 原産は中国で、ヨーロッパで品種改良された。日本には平安時代に渡来した。5月から6月にピンクや赤の花を咲かせる。葉が竹に似ていることからこの名がついたといわれている。以上、文献1による。写真は2009年5月2日、ウォーキング途中で。

文献

  1. 「セキチク」, ウィキペディア日本語版 [2009年4月23日 (木) 14:52].

『日本語で読むということ』、『日本語で書くということ』(1)

 水村美苗の新刊書 [1, 2] を読んだ。彼女は寡作のため、著作を買って読むファンとしては、時間的、経済的両面でありがたかった。しかし今回、前作 [3] からあまり日をおかないで、しかも一度に2册合わせて発行されたことはファン泣かせである。どちらから先に読むかに少し迷うのだが、「読み書き」という言葉があり、また、水村自身、「読むということから、書くということが生まれる」とよく述べている(どことどこで読んだか覚えていないが、少なくとも [2] の「あとがき」にはこの言葉がある)。そこで、自然に [1] をまず読むことになる。

 [1] には、「I 本を読む日々」「II 深まる記憶」「III 私の本、母の本」「IV 人と仕事のめぐりあわせ」の4章に分けて、合計56編の随筆を収めてある。小説家になるには自己を白日の下にさらす気構えが必要だと、ある女性の作家がいっているとか友人から聞いたことがあるように思う。水村の作品や随筆を読んでいると、彼女自身の体験、特に中学生時代に家族と渡米して学校や友人たちになじめず、下校後は家で日本文学に読み耽っていたという体験がしばしば登場する。それで、彼女の生い立ちが手に取るように分かり、頭のよい知人の女性の話を聞くかのような思いでページを繰ることが出来る。

 第 III 章は、内容からいえば [2] に収めるべきもののように思われるが、文の調子からいえば [1] に収めるのがよいことが、[2] を読むと分かる。 IV 章の初めの2編、「作家を知るということ」と「『個』の死と、『種』の絶滅——加藤周一を悼んで」は、どちらも評論家・加藤周一(1919−2008)への賛辞である。彼の評論を好み、彼を尊敬して来た私にとっては嬉しい文章である。(つづく)

文献

  1. 水村美苗, 日本語で読むということ (筑摩書房, 2009).
  2. 水村美苗, 日本語で書くということ (筑摩書房, 2009).
  3. 水村美苗, 日本語が亡びるとき (筑摩書房, 2008).

2009年5月19日火曜日

テンジクアオイ属

 テンジクアオイ属(Pelargonium): フウロソウ科に属する植物の属。多年草、多肉植物、低木など約200種がある。テンジクアオイ属の種の大部分は亜熱帯、熱帯に生息して、霜には耐性がない。葉は普通互生で、掌状または羽状である。花は直立した茎の先につき、5枚の花弁がある。花の色や形は様々なものがある。一般的な園芸植物で、約20の種から数百の品種が作られている。普通、園芸植物として栽培されるものはゼラニウムと総称される(以上、文献1)。テンジクアオイは、漢字では天竺葵と書く。天竺とは、わが国および中国で、インドの古称;また、ヨーロッパ人が渡来して以後、ある語にそえて外国・遠隔地・舶来の意に用いた語(文献2)である。最初に栽培されたテンジクアオイ属の植物は南アフリカ原産の Pelargonium triste (文献1)というから、テンジクアオイの天竺は後者の意であろう。

 ウォーキング途中で見かけたテンジクアオイ属の一種。2009年5月2日撮影。

 テンジクアオイ属の一種、モミジバゼラニウム。5月5日、わが家のプランターで育てているものを撮影。

文献

  1. 「テンジクアオイ属」, ウィキペディア日本語版 [2008年7月26日 (土) 15:06].
  2. 新村出編, 広辞苑, 第3版 (岩波書店, 1983).

M.Y. 君からの感想(2009年4月分)

 M.Y. 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2009年4月分への感想を5月18日づけで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。青色の文字をクリックすると、言及されている記事が別ウインドウに開く。

×     ×     ×

1. 『北風と太陽』「オバマ大統領の核廃絶演説」

 北朝鮮の最近のミサイルテストに対する国をあげての不安と騒動に関して、「北風と太陽」という寓話を引用して「北朝鮮がミサイルらしいものをテストして、日本の上空を飛ばせたからといって、わが国は同国の発射施設を攻撃することも必要との論をぶった政治家がいた。彼は、この寓話を知らないばかりでなく、日本国憲法9条とそのよさも知らないようである」と結んでいます。

 朝日新聞4月22日づけ朝刊のオピニオン欄「北朝鮮と向き合う」で、一貫して北朝鮮への太陽政策を主張してきた金 大中・元韓国大統領が、インタビューに答え、「大事なのは、北が安心して生きる道を開きながら懐柔していくこと。北ではたとえ人民が飢え死にしても体制維持には代えられない。残忍なようだが本当なのです。そして体面を病的に重んじ、冷戦時代にはソ連とも中国とも対決した。それをよくわきまえないといけない」と。

 ――韓国は北に巨額の資金も送りました。見返りが乏しいという批判も、との質問が続きます。そして、

 ――あくまで楽観的なのですね――という質問に答え、「共産国家を封鎖して成功した例は歴史にはない。ソ連や東欧もヘルシンキ宣言で領土を保証されたが、文化や人の交流を許したことで動揺がおきた。それで、やがてゴルバチョフが出てきて改革開放、さらに民主主義へと進んだのです。北朝鮮も国民が外を見れば変わる。衣食住を全部政府に依存し、政府の言うことだけずっと聞いてきた社会ですよ、封鎖しても絶対に変わらない。国交を開けば、大使館も商社や文化施設も入る。もちろん非常に扱いにくく難しい国ですが、だから、忍耐が必要なのです」と。

 ――日本には拉致問題がありますし、ミサイルにも敏感です、との質問に、「日本にミサイルを撃ち込めば米国も黙っていないし、北は廃墟になります」と述べています。このような内容が寓話「北風と太陽」方策の現実的な成功への道の例でしょう。

 「オバマ大統領の核廃絶演説」について筆者は、「歴代政権が広島・長崎への原爆投下を正当化し、核兵器の使用も辞さない政策をとり続けてきたアメリカでさえ、このように国の政策を変えようとしているときに、日本がもしも憲法9条を変えて、海外で戦争をする国になるならば、それは歴史の歯車を逆転させる、まことに愚かな行為といわなければならない」という感想を述べています。同感です。核兵器を使用した唯一の国である米国が、核軍縮を率先する道義的責任を持つと明言し、自由な社会は、人々の弛まぬ意志と不屈の精神があってこそ実現すると語りかけました。画期的で優れた歴史観を表明した演説だと思います。

2. 「レッドクリフ Part I」、「同 Part II」「スラムドッグ&ミリオネア」

 レッドクリフ Part I の感想(2008年11月19日)に「わが家から10分ほどのところにできたシネマコンプレックスで、大いに楽しむことができた」とありました。映画を身近に楽しめてよいですね。

 三国志の舞台となった各地を訪ね、悠久の歴史に思いを馳せつつ、そのドラマにまつわる名詩の数々を味わうというTV放送[テキストは、『漢詩紀行(三)』(NHK出版, 1994年7月)]がありました。赤壁については、蘇軾は、赤壁懐古で人の世は夢のごとし、と赤壁・英雄の戦いを詠み、杜甫は、蜀相で遥かに思う老臣の心と、諸葛孔明に思いを馳せ、李白は赤壁歌 送別で、周瑜が曹操を破った戦いを詠み、君も去って大江のほとりでその碧く澄む水を眺め、その遺跡を認めるだろう、その思いを手紙に書いて知らせて欲しいと、送別の詩を書いています。

 中国人の手で作制すれば、中国ならではのよさがだせると思いますが、筆者がいうように「こうした国際性が、つぎ込んだ金額は別として、多くの観客を動員し得る出来栄えの支えになっているであろう」ということでしょうか。

 最近の新聞に「『スラムドッグ』の子役たち家撤去で路上生活に」との記事がありました。中心人物で子役時代を演じたアザルディン・イスマイル君 (10) は「行く場所がなくなり、暑い中、路上にいるしかない。今日は食事も食べられるかどうか分からない」と沈んだ様子で話した、とありました。

2009年5月18日月曜日

浜寺公園の「ばら庭園」で (4)

 「ばら庭園」で撮った花の写真のつづき。品種名などは名札にあった通りを書き写した。バラについての最後の言葉は私の感想。

 ラブ (Love) 1980, Warriner, W. A. 清純な白色を濃いピンクが囲んでいるところが、名前にぴったりである。

 オーナー (Honour) 1980, Warriner, W.A. 栄誉ある高齢の紳士の風情—私のことではない—。

 お終いにバラでなく、ジギタリス (digitalis)。別名キツネノテブクロ。 ゴマノハグサ科の2年草、多年草。全体にジギトキシン、ジゴキシンなどの強心配糖体を含み、これらはジギタリスの葉を温風乾燥したものを原料としていたが、いまでは化学的に合成される。(文献1による。)なお、ジギタリスは指の花の意(文献2)。

 (完)

  1. 「ジギタリス」, ウィキペディア日本語版 [2009年4月8日 (水) 06:38].
  2. 湯浅浩史・文, 矢野勇, 平野隆久, 茂木透・写真, 愛蔵版・花おりおり その三 (朝日新聞社, 2004) p. 26.

ブログ プロバイダーの障害

 2009年2月8日に障害が発生して以来、投稿できない状態が続いていたNTTデータ社のブログサービス「Doblog」(ドブログ)が、5月30日で終了となる旨のニュースをインターネットで見つけた [1]。私がブログ "Ted's Coffeehouse"[本サイト "Ted's Coffeehouse (2)" の前身]に使っていた yubitoma.or.jp も5月2日以来、ソーシャル ネットワーキング サービスを停止したままである。こちらもサービス終了になる公算が大きいようだ。Doblog は2003年11月にスタートし、アクティブ ユーザー数は約2000~3000だったという。

  1. 「Doblog」5月に終了 障害で3カ月投稿不能、一部データ復旧できず (IT media News, 2009年04月24日).

2009年5月17日日曜日

浜寺公園の「ばら庭園」で (3)

 「ばら庭園」で撮った花の写真のつづき。品種名などは名札にあった通りを書き写した。各花についての最後の言葉は私の感想。

 金閣 (Kinkaku) 1975, 岡本勘治郎。金箔張りさながらのきらびやかさ。

 レディ ローズ (Lady Rose) 1979, Kordes. 華麗なあでやかさ。

 ブルームーン (Blue Moon) 1965, Tantau, Math. 落ち着いた優雅さ。いささか寂しげ。

 (つづく)

2009年5月16日土曜日

浜寺公園の「ばら庭園」で (2)

 「ばら庭園」では、大輪のバラのいろいろな品種が、「湖沼・水路の景」の北側と、さらにその北に塀を隔てて広がる「まちの景」ゾーンで楽しめる。各群に添えられた名札には、品種名(カッコ内に英名)、創出年、創出者氏名などが記されている。花の写真とともにそれらの名札も撮って来たが、うっかり創出者名のところまで写し込んでなかったものもあれば、そもそも名札の記載が不十分と思われるものもある。

 ピース (Peace) 1945, Maillan. よい名前である。この品種の写真は、日本国憲法第9条が守られ、また、生かされることを祈って、毎年撮影する。

 パスカリ (Pascali) 1963, Lens, L. 清楚な花である。

 ロイヤル ハイネス (Royal Highness) 1963. 名にふさわしい優雅な色をしている。

 (つづく)

2009年5月15日金曜日

浜寺公園の「ばら庭園」で (1)

 爽やかな五月晴れに恵まれた昨14日の午前、浜寺公園の「ばら庭園」を訪れた。この季節に同庭園を訪問することは、このところ、私の年中行事の一つのようになっている。到着すると、ちょうど開園の10時だった(入園無料、火曜日は休園)。少し枯れ始めた花もあったが、おおむね見頃だった。

 庭園の南側の門を入ると、すぐに「湖沼・水路の景」が広がる。毎年ここで、まずスイレンとカキツバタの写真を撮る。ところが今回は、ここでは緊張感を欠いたシャッター操作をして、これらの花については出来のあまりよくない写真になったので、掲載を控える。


 上の写真は、「湖沼・水路の景」の南側に広がる「里の景」から「山間の景」にかけて、数多くのバラの園芸品種が段々畑をなして続く光景。そこを登った奥には高山をイメージした「山の景」があり、高地に咲くバラが見られる。下の写真1枚目のタカネバラ、2枚目のサンショウバラなどである。


 説明板によれば、タカネバラはタカネイバラの別名もあり、夏山で登山者を喜ばせる高嶺(たかね)のバラで、日本の高山の岩場に分布する品種である。サンショウバラは、葉が「山椒(さんしょう)」に似ていて、富士箱根地域の山地にだけ分布し、バラとしては珍しい小高木で、樹高は5mにもなるという。(つづく)

2009年5月14日木曜日

シャリンバイ

 シャリンバイ(車輪梅)、学名 Rhaphiolepis indica var. umbellata、 シノニム R. umbellata、バラ科の常緑低木。東北地方南部以南から韓国、台湾までの海岸近くに野生する。また、栽培されることも多い。5月頃、白または淡紅色の5弁の花をつける。果実は黒紫色の液果で秋から冬にかけて熟す。和名は枝の分岐する様子(葉の配列の様子とも)が車輪のスポークのようで、花が梅に似ることから。以上、文献1を参考にした。

 写真は2009年5月2日、ウォーキング途中で。小さな木々が狭い間隔で何本も植えられていて、このように沢山の花をつけていた。花の形から、シャリンバイと推定した。昨日のウォーキング途中でも、別の場所で高さ1mぐらいの生け垣にこの花が咲いているのを見た。先に見た小さな木々も、これくらいに育てて生け垣にするのかと思われる。

文献

  1. 「シャリンバイ」, ウィキペディア日本語版 [2008年8月9日 (土) 01:13].

2009年5月13日水曜日

トチノキ

 トチノキ(栃、橡、栃の木;写真1枚目)、学名 Aesculus turbinata、トチノキ科(APG植物分類体系ではムクロジ科)トチノキ属の落葉広葉樹。近縁種でヨーロッパ産のセイヨウトチノキ (Aesculus hippocastanum) が、フランス語名「マロニエ:marronnier」としてよく知られている。小学校の国語の教科書にも採用されている斎藤隆介著の児童文学『モチモチの木』に登場する木は、このトチノキである。マロニエと米国産のアカバナトチノキ (Aesculus pavia) を交配したベニバナトチノキ (Aesculus x carnea; 写真2枚目) も街路樹として使用される。以上、文献1を参考にした。写真はどちらも、2009年5月1日、堺市・鳳公園で撮影。

文献

  1. 「トチノキ」, ウィキペディア日本語版 [2009年3月6日 (金) 06:03].

2009年5月12日火曜日

フレンチ・ラベンダー

 フレンチ・ラベンダー、英名 French Lavender、学名 Lavandula stoechas。シソ科の背丈の低い常緑樹。写真は2009年4月30日、わが家の庭で。

Plural or Singular(複数、単数)

 [概要]W・パウリがニュートリノ仮説を提唱した公開書簡は "Dear radioactive ladies and gentlemen," と始まる。朝永振一郎博士は、この手紙を引用した後、「ついでながら、"radioactive lady" とはリーゼ・マイトナーのこと」と述べているが、この言い方は変である。本文(英文)へ

2009年5月11日月曜日

オオツルボ

 オオツルボ(大蔓穂)、学名Scilla peruviana、ユリ科ツルボ属(シラー属またはスキラ属ともよぶ)の多年草。学名からシラー・ペルビアナと呼ばれることも多い。原産地は地中海沿岸の南ヨーロッパ、北アフリカなど。草丈20~40cmほど。5~6月ごろ、花茎の先に径2cmぐらいの星型の小花を数十個傘状につける。花色は濃い紫が多いが、白色のものもある。蕾は個々の蕾が集まった楕円形をしており、下のほうより咲き始め、沢山の花が釣り鐘状になる。以上 [1] による。写真は2009年4月30日、わが家の庭で。

文献

  1. 「オオツルボ」, ウィキペディア日本語版 [2008年3月23日 (日) 00:17].

2009年5月10日日曜日

キショウブ

 キショウブ(黄菖蒲)、学名 Iris pseudacorus、アヤメ科アヤメ属の多年草。ヨーロッパから西アジア原産の帰化植物で、明治頃から栽培されていたものが日本全国の水辺や湿地、水田脇に野生化している。アヤメやノハナショウブと同じ形の、黄色の花を咲かせる。外花被の中央に茶色がかった模様がある。以上 [1] による。

 写真1枚目は2009年4月30日、堺市・中の池公園で。2枚目は5月9日、わが家の庭で。1枚目の写真にチョウが写っていたことに、撮影中は気づかなかった。チョウを目立たせるため、周囲を大きくトリミングした。

文献

  1. 「キショウブ」, ウィキペディア日本語版 [2009年2月24日 (火) 19:12].

2009年5月9日土曜日

新緑の木々

 わが家から南東へ2キロあまりのところに泉北スポーツ広場という運動場があり、その先の小さな公園には、木々を比較的豊かに抱いた丘がある。写真は2009年4月22日、ウォーキングでそこを訪れて撮ったもの。この丘の秋景色もなかなかよい。最近は6千歩あまり歩いているのだが、この日は若葉の木々の写真を撮ろうと歩き回り、珍しく1万歩ほどになった。

2009年5月8日金曜日

チャボハシドイ

 チャボハシドイ(矮鶏丁香花)、別名ヒメライラック、学名 Syringa microphylla Diels、モクセイ科ハシドイ属。普通のライラックより小さく、高さ1m程度の落葉低木。中国原産。2枚目の写真は、むしろアゲハチョウに注目して撮影した。2009年4月22日と5月2日、わが家の庭で。

「やけくその救済案」:パウリのニュートリノ説 (2)

 この記事の前回分 (1) の後半(「『スピンはめぐる』の英語版を見ると」以下)に相当する内容を私が湯川会会員宛のグループメールで流したところ、Mさんから、次のような情報が返って来た。

 新版『スピンはめぐる』[1] には、江沢洋氏の注と解説が付き、英語版からの鮮明な写真を用いたり、式で使用する単位系をCGSガウス単位系からSI単位系へ書き換えるなど、旧版に比べ読みやくなっている。第9話の、手紙が引用されている部分の江沢氏の注には、文献 [2] に全文が引用されていること、この公開書簡への反応としてはハンス・ガイガーが、マイトナーと議論し肯定的で、激励する手紙をくれたとパウリが書いていること、1931年のローマでの核物理国際会議でパウリが講演した時にはフェルミが活発な興味を示したが、ニールス・ボーアはまったく反対の立場をとったこと、などが記されている。パウリの書簡の冒頭にある radioactive lady とは、マイトナーのことだと『スピンはめぐる』に、朝永が書いている。——パウリは [2] の思い出話を書くためにマイトナーから逆にコピーを貰ったのかも知れない。

 そこで私は、[2] の話が載っている『物理と認識』の原書をインターネットで探してみた。「やけくその救済案」に相当する言葉が出て来る最も古い文献を知りたかったからである。その結果、文献 [3] が見つかった。1961年という発行年は、アブラハム・パイスが [4] にパウリ書簡を引用したとしている本 [5] や、前回引用したイェンゼンのノーベル講演 (1963) より古く、一応目的を達した。しかし、公開書簡の掲載されているページナンバーまでは分からなかった。

 インターネットの検索からは、別の、もっと新しい本の英語版 [6] にも、『物理と認識』中の「ニュートリノの新しい話、古い話」と同じ章、"On the earlier and more recent history of the neutrino" のあることが分かった。この章は、1957年1月、C-S・ウーによるパリティの破れの実験的検証の最初の報告の直後に行った講演をもとにしたもの、とある(同書 p. 194;公開書簡は p. 198 に掲載)。なお、この章の中身は思い出話というより、ニュートリノについての研究史の概説であり、講演の前年に発表されたライネスとコーワンとによるニュートリノ検出の成功にもふれてある (p. 208)。パウリは1958年12月に膵臓がんで死去しているので、そのわずか2年近く前の講演ということになる。といっても、彼は1900年生まれであり、まだ50代の若さで逝ったのである。死去した病室の部屋番号は、彼がその値の理由を気にしていた微細構造定数の逆数の近似値137と同じだったそうである [7]。

文献

  1. 朝永振一郎, 新版 スピンはめぐる―成熟期の量子力学 (みすず書房, 2008).
  2. W・パウリ, ニュートリノの新しい話、古い話, 『物理と認識』所収, 藤田純一訳, pp. 80−107 (講談社, 1975). パウリの公開書簡は p. 84.
  3. Wolfgang Pauli, "Aufsätze und Vorträge über Physik und Erkenntnistheorie" (Vieweg, Braunschweig, 1961).
  4. Abraham Pais, "Inward Bound" (Clarendon Press, Oxford, 1986).
  5. Wolfgang Pauli, "W. Pauli, Collected Scientific Papers," Eds. R. Kronig amd V. Weisskopf, Vol. 2, p. 1313 (Interscience, New York, 1964).
  6. Wolfgang Pauli, "Writings on physics and philosophy," Edited by Charles Paul Enz and Karl von Meyenn, Translated by Robert Schlapp (Springer, Berlin, 1994).
  7. "Wolfgang Pauli," Wikipedia, the free encyclopedia (28 April 2009, at 13:15).

2009年5月7日木曜日

ツツジの咲く道

 写真は2009年4月22日、ウォーキング途中で。といっても、いつもこの道を歩くわけではない。この日は天候がよく、いつもより少し足を延ばしたのである。

「やけくその救済案」:パウリのニュートリノ説 (1)

 私たちの「湯川秀樹を研究する市民の会」では、先に 湯川のノーベル賞論文の翻訳を試みた。その結果はシンポジウムの報告集 [1] にまとめたが、さらに、解説、訳注、その他学んだことを合わせて、本として出版しようという計画がある。訳注については、翻訳を試みる段階で、Sさんがある程度準備していた。その中で、「パウリがニュートリノを『クソッタレ粒子』とかいったが、出典を忘れた」との話があった。Mさんは、それに近い表現として、パウリがニュートリノの存在を提唱した手紙の中で "desperate remedy (やけくその救済案)" と呼んだことが朝永の『スピンはめぐる』[2] に書かれている旨を、会員宛のグループメールで紹介した。

 ヴォルフガンク・パウリは、原子核のベータ崩壊によって出て来る電子のエネルギー分布が、エネルギー保存則を破っているように思われたことから、これを救うために、エネルギーを持ち逃げしているはずの未発見の粒子の存在を、上記の手紙によって1930年に提唱した。当時の学界では新しい粒子を考えることなどご法度のような雰囲気があり、彼はこの提案を論文にはしなかった。(パウリは提唱した粒子を、電荷を持たない中性のもので、質量は陽子の0.01倍以下と考え、ニュートロンと呼んだが、間もなくジェームズ・チャドウィックが陽子と同程度の質量を持つ中性の粒子を見つけ、これをニュートロンと名づけた。そこで、パウリの提唱した粒子はエンリコ・フェルミによってニュートリノと改名された。)

 「クソッタレ粒子」という言葉の出て来る文献は見当たらないが、「やけくその救済案」が文献にあるということから、私は、準備中の本に入れる訳注では、「クソッタレ粒子」に代えて、「やけくその救済案」を採用してはどうかと思った。そこでMさんに、「やけくその救済案」という言葉は『スピンはめぐる』の第何ページに書かれているか教えて欲しい、とグループメールで頼んだ。私は『スピンはめぐる』の英語版 [3] は持っているが、それを見ても "desperate remedy" の和訳はないのである。

 Mさんの返事は、「朝永がそう呼んでいるのではなく、第12話にあるパウリの手紙の英訳抜粋中の "desperate remedy" を私が単に直訳しただけ」というものだった。「やけくその救済案」は名訳なので、私はてっきり朝永の訳と思っていた!

 『スピンはめぐる』の英語版 [3] を見ると、同書の ”Lecture 9"(第9話)の終わり近くにもパウリの同様な手紙の英訳が引用されている。朝永は、第9話に引用した手紙(もとは、J・イェンゼンがノーベル賞受賞講演 [4] で引用したもの)は、理論家向けのもので、第12話に引用した手紙(もとはアメリカの高校生用の物理学の補助教科書にあったという)は、そのような粒子(ニュートリノ)を見つけることを勧めているので、実験家向けのものだろうとしている。

 しかし、イェンゼンの引用はごく一部で、ドイツ語の原文を併記してはあるが、同じ手紙からの文を分かりやすく並べ替えた可能性もあるのではないかと私は思う。イェンゼンの英訳中では、 "desperate remedy" に対応する言葉が "desperate conclusion" となっているが、その部分のドイツ語は "einen verzweifelten Ausweg" で、朝永が第12話に引用しているものの原文と思われるドイツ語の手紙 [5] でも同じ言葉である。この言葉は、独和辞書にあるそれぞれの語の訳をつなげば、「すてばちの逃げ道」ということになり、「やけくその救済案」は、もとのドイツ語とパウリのおかれた状況から考えても名訳といえると思う。

 Pauli の手紙は、チュービンゲンで開催された放射能専門家の会議に出席していた物理学者たちへ宛てた公開書簡形式のものである。その手紙は、もとは手書きだったのか、文献 [5] が引用している写真コピー [6] は、1956年にパウリがリーゼ・マイトナーからタイプ打ちした形で得たものと記されている。マイトナーは、オーストリア-スウェーデンの女性物理学者で、ベータ崩壊で放出される電子が連続スペクトルを持つことを示し、パウリのニュートリノ仮説に手がかりを与えた人である。また、1956年といえば、フレデリック・ライネスとクライド・コーワンがニュートリノの検出に成功した年である。そこで私は、パウリはその機会に、かつての自分の提案をどこかに書くため、手紙の持ち主を探したのだろうかと想像した(これに関連した話は次回に記す)。

 なお、朝永は『スピンはめぐる』の第10話中でも、フェルミがベータ崩壊の説にニュートリノを考慮に入れて成功したことの記述に関係して、「パウリが "deseperate remedy" と呼んだものは実際には有望なものだった」と述べて、この言葉を出している。同書の英語版では、先に述べた第9話中の "desperate conclusion" の出てくるページと、上記の第10話中のページとを、索引の "Pauli" の項中の "desperete remedy" の項で挙げている。しかし、肝心の、パウリがニュートリノ説を提唱した手紙をより詳しく引用している第12話のページが索引に抜けている。

文献

  1. 市民による湯川秀樹生誕100年シンポジウム プロシーディングス (大阪科学振興協会, 2008).
  2. 朝永振一郎, スピンはめぐる―成熟期の量子力学 (中央公論社, 1974).
  3. S. Tomonaga, The Story of Spin, translated by T. Oka (Univ. Chicago Press, Chicago, 1997).
  4. J. Hans D. Jensen, Glimpses at the history of the nuclear structure theory, Nobel Lecture (1963).
  5. K. Riesselmann, Logbook: Neutrino invention.
  6. Photocopy of Pauli's letter, December 4, 1930.

2009年5月6日水曜日

モッコウバラ、ヤマブキ(八重)

 モッコウバラ(木香茨、木香薔薇)、バラ科バラ属、学名 Rosa banksiae、中国原産、常緑つる性低木。枝には棘がないため扱いやすい。花は白か淡い黄色で、それぞれ一重咲と八重咲があり、直径2-3cmの小さな花を咲かせる。開花期は初夏で一期性。黄花の一重や白花には芳香がある。一般的にモッコウバラといった場合には、黄色の八重咲を指す。([1] による。)写真1枚目のモッコウバラは、2009年4月22日、わが家の庭で。

 さる4月15日に掲載したヤマブキ(バラ科ヤマブキ属)の写真は一重のものだったが、上の2枚目の写真は、1枚目と同じ4月22日、ウォーキング途中で撮影した八重ヤマブキ。

文献

  1. 「モッコウバラ」, ウィキペディア日本語版 [2008年12月25日 (木) 14:14].

2009年5月5日火曜日

ドイツアヤメ

 ドイツアヤメ(学名 Iris germanica)はアヤメ科アヤメ属の一種。別名のジャーマンアイリスで呼ばれることが多い。アヤメ属の植物を交雑して作出されたもので野生のものはない。1800年代の初期にドイツ、フランスで品種改良され、その後、アメリカが多数の品種を出している。([1] による。)写真は2009年5月5日、わが家の庭で。

文献

  1. 「ドイツアヤメ」, ウィキペディア日本語版 [2009年5月1日 (金) 20:05].