ラベル Sōseki の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル Sōseki の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年2月29日土曜日

長谷川櫂氏の『こころ』評 (Kai Hasegawa Reviews Soseki's "Kokoro")

[The main text of this post is in Japanese only.]


長谷川櫂「『こころ』の深層」掲載ページ。
A page of K. Hasegawa's review on Soseki's Kokoro.

 岩波書店の PR 誌『図書』に若松英輔氏による漱石『こころ』を分析した文が連載されていたのは、もう一昨々年から一昨年にかけてのことになるだろうか。その連載が単行本「『こころ』異聞: 書かれなかった遺言」として昨 2019 年 6 月に岩波から発行されている。アマゾンの同書のページに引用されている「BOOK」データベースの内容紹介には、「漱石がテキストの中にちりばめた様々なイメージを丹念に拾ってゆくと、思いもかけなかった謎が浮かび上がってくる。これまで誰も気がつかなかった、全く新しいテキストの読み解き」とある。連載として少しずつ読んだせいか、あるいは私の読みが浅かったせいか、記憶力が衰えたせいか、どういう新しい読み解きがなされていたのかについて、残念ながら覚えがない。かつて読んだ(2 回ぐらいは読んでいる)『こころ』の記憶を蘇らせながら、ただ楽しんで読んだように記憶している。

 『図書』の2020 年 2 月号 pp. 54–57 にも『こころ』の短い批評が載っている。俳人・長谷川櫂氏による連載『隣は何をする人ぞ』の第 5 回「『こころ』の深層」がそれである。漱石ファンの私としては、こういう批評もあるということを忘れないように、ここにその要点を書き留めておきたい。

 『こころ』といえば、私などは恋にまつわる惑いとか、良心の呵責とかいう言葉を思い浮かべるのだが、長谷川氏が述べる評は、『こころ』という作品の衣服をはぎとって丸裸にする(と私が感じる)ところから始まる。氏はあらかじめ文学の本質について、「欲望に翻弄され、互いに争い、その言い訳に終始する人間、その滑稽な姿を描くのが文学」と述べ、その永遠のテーマは「人間の根源にあって人間を突き動かす二つの欲望、お金と性」であるとする。そして、「この文学の基本的な性格がぴたりと当てはまるのが夏目漱石の『こころ』なのである」と断じ、その観点から半ページ強にわたってあらすじを紹介している。文学の永遠のテーマを、そろえて巧みに扱ったとすれば、名作である理由がいかにも明らかである。

 次いで長谷川氏は、漱石の小説にはしばしば「高等遊民」が登場し、『こころ』の先生もそうであることを述べる。「高等遊民」については、「仕事をせず、親の財産で遊んで暮らすインテリのことである」と説明している。先のあらすじの部分によれば、「先生は資産家の息子だったが、学生時代に両親を同時に疫病でなくし、後見人となった叔父に財産の大半を騙し取られる」。しかし、「親の財産の一部が残っていたので」、高等遊民でいられたのである。長谷川氏は、「国家のためではなく自分のために生きる、新しい生き方にもっとも近いところにいたのが高等遊民」だったはずだが、「自由の光に目の眩んだ動物が檻へ後退りするように、先生は明治の国家主義へ逆戻りしてしまう」と、先生の自殺のあり方を批判する。そして、「明治の国家主義の亡霊にひれ伏す先生の最期は、やがて訪れる国粋主義時代の大衆の姿を予見しているかのようである」と結んでいる。私は、漱石は実際に予見したのだと思いたいが、ファンの身贔屓(みびいき)だろうか。

——————————
 「人気ブログランキング」へ一票を!

2019年10月20日日曜日

N・T 氏へのメール -2-:漱石記念館など (Email Messages to N. T. -2-: Soseki Museum, etc.)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に今年初めて咲いたシュウメイギクの花。2019 年 10 月 11 日撮影。
The first flower this year of Japanese anemone in my yard; taken on October 11, 2019.

N・T 氏へのメール -2-:漱石記念館など

2019 年 8 月 24 日
N・T 様

 拙文「オランダとロンドンで」をお読みの上、ご感想をいただき、恐縮です。

 貴殿の「英蘭紀行」中、漱石記念館の名が出たあと、漱石の話がいろいろ続いていた[注 1]ので、記念館をご覧になったものと思い込んでいましたが、今日お知らせいただいた熊本新聞のウェブページによれば、先生のご旅行時には閉館されていて、今年 5 月に場所を変えて新記念館として開館されたということですね[注 2]。漱石についてまたお便りされるかもしれないとのこと、大歓迎です。

 ローザとはロザリンド・フランクリンのことですね。彼女について別の機会に書かれましたら、またぜひ読ませて下さい。

 なお、私の「ゆっくり人の時空漫歩」は、その後ホームページでは継続していなくて、ブログをそのような目的に使っています。"Ted's Coffeehouse 2" というタイトルのブログサイトで、和英両文で書いていた時もありますが、最近は概ね表題と写真説明のみが英文付き、本文は和文のみとなっています。記事の投稿も、論文集編集に力を入れ始めてから、ガクンと減り、月に 1 ないし 3 回程度になっています。ホームページに英文で書いていた短いエッセイも、ブログ "IDEA & ISAAC: Femto-Essays" と "IDEA & ISAAC: Surely I'm Joking!" で続けてはいますが、このところ、何年かに 1 記事を書く程度になっています。このように、寂しい執筆状況ですが、お暇の折にご笑覧・ご高評いただければ幸いです。

 T・T


2019 年 8 月 25 日
N・T 様

 漱石記念館の件では、貴殿の紀行文中、「[漱石の留学時の下宿]の向かいの建物には以前、多くの日本人が訪れた漱石記念館があり」のところの「以前」の語が頭に残らない雑駁な読み方をしていました。私の方こそ、申し訳ありません。メール中のエピソード[注 3]、楽しく拝読しました。

 なお、私のブログ中、漱石について書いた文は、"Sōseki" というラベルをつけてあり、下記の URL でまとめてご覧になれます。
  https://ideaisaac2.blogspot.com/search/label/Sōseki

2013 年に書いていた "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」" と題するシリーズは、もう少しで終わるところで未完のままになっていますが。

 T・T

 追伸。漱石に触れながら "Sōseki" のラベルを入れ忘れたブログ記事がいくつもあることに気づきましたので、これから追加修正します。上記の URLは、その修正が完了したことをお知らせしたあとにでもご覧いただければ幸いです[注 4]。

 T・T


 [注]
  1. N・T 氏は近くにある赤い郵便ポストを見て、「僕ハモーダメニナッテシマッタ」と書いてきた子規に、漱石が少しでも苦しみを忘れさせようと、ユーモア溢れる書簡を投函したポストかもしれない、と思っている。また、ラベンダーヒルへの坂道やクラッパム公園は、漱石が転倒し乳母車にぶつかりながらも、下宿の主人ミス・リール婆さんから勧められた自転車の練習に励んだところ、ということも記している。
  2. 新・ロンドン漱石記念館のホームページがこちらにある。研究家向けに私宅で再開館したとのことで、見学には予約が必要である。
  3. N・T 氏夫妻が地下鉄を降りて漱石の下宿跡へと向かっていると、すれ違った婦人から、「今日は休日ですので,ミュージアムはお休みですよ」教えられたが、その瞬間には、ミュージアムとは漱石記念館だということが分からなかった、などの話が書かれていた。
  4. その後、修正は完了している。

——————————
 「人気ブログランキング」へ一票を!

2017年2月23日木曜日

続々・漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams: Continued Again)

[The main text of this post is in Japanese only.]


近藤ようこ・漫画、夏目漱石・原作『夢十夜』。
Ten Nights' Dreams comicized by Kondo Yoko, originally written by Natsume Soseki.

 このシリーズの初回と続編で、ともに「夢十夜」の第一夜の女が、男の顔が見えるかとの問いに対して、「そこに、写ってるじゃありませんか」と謎めいた答えをしたことを取り上げた。今日ふと、主として読んでしまった本を収めてある本箱をのぞいてみて、20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』(1994、青土社)に目がとまった。何が書いてあったか全く覚えていないが、「夢十夜」の第一夜の女についても書いてあったに違いないと思って、開いてみた。案の定、第 1 章、第 1 節「神秘的な老人とアニマの美女たち」に、神話の女神を思わせる女性として(吉田氏は神話学が専門である)、真っ先に、第一夜の女について書いてある。

 「そこに、写ってるじゃありませんか」について吉田氏が感想を述べている段落を引用する。第一夜中の「自分」を吉田氏は「漱石」と書いていることに注意されたい。
 漱石が「私の顔が見えるかい」と一心に聞くと、美女は「見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんか」と言って、にっこり笑って見せる。そのことからこの美女が、じつは漱石の内部にある存在であることが、明らかになる。なぜなら彼女は、漱石の内から外に投射された自分の臨終の姿を眺め、その外の自分の眸に映る映像をはっきり見ている。そしてそれをまるで教えさとすような口調で、漱石に優しく指摘してやっているからだ。つまりこの美女は、漱石の心の深層の無意識内にあって、今やまさに生けるがごとき艶麗さを保ったまま、死んで埋没しようとしている、理想の女性像であり、ユング派の分析心理学の用語を借りれば、彼のアニマにほかならないと思えるのだ。
なるほど。答えているのは漱石の内部にいる女で、その女が、漱石の外部に投射された女自身の姿の中にある眸を意味して、「そこ」といっているという解釈である。参った! 内なる女と外(といっても、これも漱石の心の中であることに変わりはない)なる女を考えることによって、「そこ」という代名詞が生きてくるのである。

 後日の注:当初の文には、次の最終段落があったが、読み返してみると、なぜそれを書いたのかが分からない。「投射」とはフィルムの映像をスクリーンに映し出すようなことで、音声を伴う必要はないからである。そこで、その段落を本文からカットすることにした。(2019 年 8 月 27 日)
 内なる女は言葉を発するが、姿がなく、外なる女には姿だけがあって、言葉を発しないのかも知れない。そうすると、吉田氏の「投射」という表現は、いささか不適切なようにも思えるが、姿のないものに姿を想像する過程と解釈すればよいだろう。

2017年2月9日木曜日

続・漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams: Continued)

[The main text of this post is in Japanese only.]


「夢十夜」が含まれる新書サイズ『夏目漱石全集 第十六巻』(岩波書店、1956)。
Natsume Soseki 's Complete Works Vol. 16 (Iwanami, 1956),
in which the work Ten Nights' Dreams is included.

 きょう、2017 年 2 月 9 日は漱石の生誕 150 周年にあたるそうだ。『朝日新聞』の「天声人語」欄には、東京の二松学舎大学でアンドロイドの夏目漱石先生に会ったところ、低い声で『夢十夜』と『吾輩は猫である』の一節を読み上げてくれた、という話が書いてある。『しんぶん赤旗』の「潮流」欄には、漱石が亡くなる直前まで書いていた作品『明暗』に、主人公が購入した「比較的大きな洋書」である「経済学の独逸(ドイツ)書」が出てくるが、これは『資本論』ではないかという仮説を東北大学名誉教授・故服部文男さんが立てていたという話がある。漱石ファンの私としても何か書かないわけにはいかない。

 先の記事「漱石『夢十夜』の読み」を掲載した翌々日、『朝日新聞』で「グーグルが日本語版の検索結果を表示する基準を変更した」という記事を読んだ。そこで、「夢十夜」の言葉を検索してみると、私の先日のブログ記事が、その変更の好影響を受けたのかどうかは分からないが、2 番目か 3 番目に出た。そこで、さらに「夢十夜 第一夜」を検索してみた。その結果には、いろいろ興味深い記事が見つかったが、私が論じたのと同じ箇所を論じたものは、少なくともヒットの上部には見当たらなかった。ただ、『ぶっくらぼ』というサイトの「夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文」と題する記事に「『第一夜』問題と解説」という章があり、いくつかの問題と、それに対する答えが書いてあった。

 その 2 番目に、
Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
A.自分の瞳。
というのがある。この記事では、「女」と、彼女に相対している男を意味する「自分」を使い分けているので、この「自分」は、<ほら、そこに …>といった女自身という意味でなく、文中に「自分」とある男のことを指していることになる。男が女に尋ねたのは彼の顔が見えるかということである。この答えでは、その問いに対して、男の顔が男自身の瞳に映っているじゃないですか、と答えたことになり、私としては合点がいかない。女の言葉自体が、私の先の記事でも述べたように、謎めいているにもかかわらず、それについて一つの答えを求める問題を作るのもどうかと思われる。

 そもそも、しばしば多義的な解釈を可能にする文学作品を取り上げて、一義的な答えを求める質問を作ること自体に問題があるだろう。意味が一義的であるべき法律の条文でさえ、解釈が別れる場合がある。暗示や感覚を大切にする文学では、なおさらのことである。(ただし、安倍政権が憲法 9 条についての従来の内閣の解釈を変えて、集団的自衛権行使を容認したのは、解釈が別れる場合に当たらない。これはあくまでも、解釈のねじ曲げである。)

 私が高校生の頃、正確には 1948 年度から 54 年度まで、大学進学希望者に対して、全国一斉の進学適性検査というものが行われた(こちら参照)。制度としては、今の大学入試センター試験に似ているが、内容的には、予備学習を必要としないで、主に思考力・判断力を要する問題が、理系と文系に分けて出題された。その検査に慣れるための模擬検査が、私の高校でも、業者の作成した問題を使って、たびたび行われた。文系の問題では、文学作品の一部が示されていて、それについてのいくつかの質問があったりした。

 それらの質問の中には、上記の「第一夜」の問題と同様、一義的な解釈を選択肢から選ぶ質問もあった。そういう問いに対して、私は初めのうちしばしば、「問題作成者は、この選択肢を正解に近いものとして入れることにより、迷わせる意図かもしれないが、これを選ぶのは安易な考えだ」などと思って、自分の気に入る別の選択肢を採り、不正解になった。実は、迷わせる意図と思った選択肢が正解だったのである。そこで以後は、私自身の解釈を抑えて、虚心に答えを選ぶことにしたところ、模擬検査の結果は俄然よくなったのだった(文末の注参照)。

 話が、つい古い思い出にそれてしまったが、要は、漱石の生誕 150 周年に当たって、「夢十夜」の、そして、優れた文学作品の解釈には、前回紹介した『図書』誌の対談の題名にもあった通り、多様性があり得ることを強調したい、ということである。


 注:しかし、本番の検査では、文系の問題はやけに難しく、私は理系の点がよかったにもかかわらず、合計点が 100 点満点中の 70 点に届かなかった。県下の最高得点者というのが、私の住んでいた市の隣の市の高校にいて、彼は私と同じ大学の同じ学部・同じ学科に進んだ。彼自らが遠慮がちに私に聞かせてくれた点数も 80 点弱だったと思う。

 (2019 年 8 月 28 日修正)


 ["続々・漱石「夢十夜」の読み" へ]

2017年2月5日日曜日

漱石「夢十夜」の読み (Impressions of Soseki's Ten Nights' Dreams)

[The main text of this post is in Japanese only.]


近藤ようこ・漫画、夏目漱石・原作『夢十夜』。
Ten Nights' Dreams comicized by Kondo Yoko, originally written by Natsume Soseki.

 岩波書店の広告誌『図書』2月号に、夏目房之介と近藤ようこの対談が載っている。近藤が漱石の「夢十夜」をもとにした漫画『夢十夜』を岩波書店から出版した機会に、「多様な読みの可能性へ」と題して語り合っているのだ。この対談を読むと、《 確かに「夢十夜」は多様な読みを可能にする作品だ。私の読みは彼ら二人の読みとは異なるぞ 》と思われて来た。その相違を詳しく書くには、近藤の漫画も見ておく必要があろうかと、早速購入した。広告誌は、その役割をよく果たしたのである。

 漫画が届くとすぐに、「夢十夜」の原作と漫画を併読したが、私には、絵のない原作で読む方が味わい深いように思われた。これは、近藤の漫画がよくないということではなく、イメージが押し付けられる形になる漫画と、いやでも想像がふくらむ文学との相違であろう。また、対談記事の二人と読みが大きく異なるのは、第一夜の話だけのようにも思われた。そこで、ここでは第一夜だけを取り上げることにする。

 房之介は対談において、「漱石のあらゆる作品の中で、第一夜ほどロマンティックなものはないですよ。[...]第一夜は人気がある」と語っている。これは、いささか誇張のようにも思われるが、さほど異論はない。

 近藤が最初の場面を病院の一室として描いたのに対し、房之介は「畳の部屋に女が寝ていて、縁から男が庭に出るというイメージを持っていた」と述べる。すると近藤は、男が庭へ出てからの場面から「すごく西洋的な話」だと思ったといい、房之介は「言われてみればその通り」と答える。しかし、第一夜冒頭の原文には、「腕組をして枕元に坐(すわ)っている」とあり、病院のベッドから少し離れた横の位置で男が椅子にかけているという漫画の場面は、私にはどうしても思い浮かばない。さらに、女が死ぬと、男は「それから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘っ」ている。病院ではそうはいかないだろう(漫画では、「それから庭へ下りて」の文は省略され、男は病院の広い庭らしいところへ足を運んでいる)。庭へ出てからの小道具が西洋的であるとはいえ、他の九夜との調和からいっても、最初の場面には畳の部屋がふさわしく、第一夜全体として和風の話だと思う。

 次に私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である。房之介は近藤の漫画について、「印象に残ったのは死にゆく女の瞳です。真っ黒にしたのはなぜ?」と問いかける。近藤は「流し読みをしている時には気づかなくって、いざ絵にしようと思ったら一面に黒目と書いてあって」といい、房之介は「僕も前から気になっていたんです、白目がないという表現が。黒目がちということの文学的表現なのかどうかがわからない」と答えている。しかし原作では、「一面に黒目」や「白目がない」という通りの言葉はなく、「大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった」とある。私は、房之介が匂わせている通り、「ただ一面に真黒」は美人を表す「黒目がち」の誇張的な表現と取りたい。

 原作では、「その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる」と続く。『大辞泉』を基にしたインターネットの『goo 辞書』によれば、「ひとみ」とは「目の虹彩、あるいは虹彩と瞳孔 (どうこう) のこと。黒目」である。周囲に白目が全くないという設定であれば、白目の存在を意識したような「真黒な眸」という表現は出て来なくて、「真黒な眼」とでもなるだろう(漫画では、白目の部分も黒くしてあるが、完全な「一面に真黒」ではなく、男の姿などが映っている様子を白抜きで表す工夫がなされている)。

 虹彩と瞳孔が出て来たついでにいえば、死ぬと瞳孔が開くといわれる。詳しくいえば、瞳孔の周囲でカメラのシャッターのような役をしている虹彩(多くの日本人では褐色の部分)が形作る穴である瞳孔が広がり、そこから覗く水晶体の露出部分が広くなるのである。漱石は「ただ一面に真黒」によって、女の死が極めて近いことをも表現したのかもしれない。私のこの読みは、科学的過ぎるだろうか。だが、物理学者・寺田寅彦を門下生とした漱石は、その影響でしばしば科学力を発揮している。

 房之介は上に引用した「黒目がちということの文学的表現なのかどうかがわからない」に続いて、「一番変なのは、[男が『私の顔が見えるかい』と聞いたのに対し]女が『[見えるかいって、そら、]そこに、写ってるじゃありませんか』と言うところです」と述べている。近藤はそれに対して、「自分の目に映っているのに……」と応じる。確かに像が結ばれているのは女の目の中である。しかし、その像を作る光線の元をたどれば、「そこ」にいる男に行き着く。女の言葉を「そこの、あなたからの光線が私の目に入って像を結んでますから、あなたが見えてるとおわかりになるじゃありませんか」を簡略化した文学的表現と取れば、科学性さえ感じられる。ただし、男が女の水晶体上に見得るのは自分の虚像であって、女が網膜上の実像をその奥の神経細胞で認識できているかどうかまではわからない。女のいう「そこに、写ってるじゃありませんか」を筋の通った言葉と取るのは、やはり無理なようだ。謎や矛盾の多いのが夢というものであろう。

 ["続・漱石「夢十夜」の読み" へ]

2015年1月25日日曜日

夢の中での細かい思考 (Careful Thinking in Dream)

[The main text of this post is in Japanese only.]


夏目漱石著『夢十夜』の古書。
An old book of Natsume Soseki's Yume Juya (Ten Nights' Dreams).

 上司の O 氏が「研究所の建て替えに当たって、必要な設備を考えてくれ。図書館や時間…」という。私は、〈図書館はいいが、時間とは…。開館時間を考えることは、設備を考えることにはならないだろう。あっ、O 氏は附置館といったのか。古い装置等がたまってきたから、博物館的な陳列をする付属の建物が必要だ〉と考える。〈しかし、研究所の建て替えは私の在職中に完成するだろうか。私は今、五十…。いや、今は 2015 年だから、1935 年生まれの私は 80 歳!〉

 ——ここで目が覚めた。朝方の夢だった。「80 歳」ということばが、われながらいかにも高齢に響き、驚いて目覚めたのである。現実の満 80 歳までには、あと 2 カ月半余りである。それでも、目覚めているときには、それほど高齢という意識はないのだが…。

 古いテクニカル・リポートの PDF ファイルを作ったりしていたせいで見た夢だろう。先日 PDF ファイルにした大放研技報 No. 3 は、上司だった故 O 氏が福井大へ転勤してのち、還暦を迎えた折に、献辞を書き込んで作ったものだった。それにしても、「時間」と聞こえたのが「附置館」だろうとか、年齢の計算をするなど、夢の中にしては細かい思考をしたものである。

 夢といえば、夏目漱石の「夢十夜」は、高校生時代に読んで、好んだ作品の一つである。そして、大学院生になったばかりの時、再び、この作品に出会った。研究室で私に割り当てられた、どっしりとした机の引き出しに、文庫本サイズに近い(文庫本と比べると、縦が 1 cm 長く、横が 1 cm 短いので、一見、新書版のような感じである)古本の『夢十夜』が入っていたのだ。一代あるいは何代か前にその机を使った人が残していったのだろう。

 下宿へ持ち帰って少しずつ読み、私ほど漱石好きの後輩がこの机を使うことはなかろうという理由付けをして、修士課程修了時に、そのまま記念として、ありがたく頂戴してきた。表紙の次の白紙ページには、なんとか舟という姓の蔵書印があり、裏表紙の内部には「大阪 道頓堀東 昭和書院」(古書店だろう)の貼り紙、そして、その内側のページには「拾圓」の判が押してある。発行は大正 4 (1915) 年、東京日本橋・春陽堂で、発行時の値段は「六拾六銭」。「文鳥」、「夢十夜」、「永日小品」の三作が収められていて、全200ページ。

 これは、私が持っている最も古い本である。目次と本文第 1 ページの間のところで分裂してしまい、そのままになっている。背部も、ところどころ剥がれ落ちたり、めくれたりしており、裏表紙には何カ所も水分がにじんだような跡がある。この機会に、分裂、めくれなどの部分をのりで修理しておこうと思う。

2014年10月29日水曜日

J・M 君へ:返信への返信、そして漱石の『門』のこと (To J.M: Reply to Your Reply and about Sōseki's Mon)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ギンモクセイ。堺市が高石市へ少し入り込んでいる道路で、2014年10月25日撮影。
Sweet Osmanthus; taken on the road of Sakai City that penetrates a little
into Takaishi City, on October 25, 2014.

J・M 君へ:返信への返信、そして漱石の『門』のこと

October 18, 2014

M 君

 「貴君が反対意見を述べられたとしても、[彼は]結局は思い通りにことを運ばれたでしょう」にいたる、ご感想「●KJ 君」、まことに適切です。

 「●貴下宿」の二つの話題のご記憶には驚きました。話した当人は全く覚えていませんでしたので。光速を超えて飛行(実際には不可能)しながら過去を見るという想像を、私は中学時代に知り、そういう作文——超光速ロケットで地球から遠ざかりながら、戦国時代の武将の戦いをかいま見る——を書いたことがありました。学校においてではなく、自分で雑誌風のものを作って、その中に書いたと思います。群論の話は、大学 3 年生のときに、試験を受けて単位を取る気まではないながら、有名教授・秋月康夫先生の講義を数学教室へ聞きに行ったことにふれたものでしょう。同先生の講義でいま覚えているのは、参考書として先生が鈴木道夫氏との共著になる『高等代数学 I』(岩波全書)を挙げて、「鈴木道夫は私の娘婿です」といわれたことぐらいです。

 「●阪急ファン来訪」——KS 君もクライマックス・シリーズ first stage でのオリックス敗退は、きわめて残念に思われたことでしょう。貴君は彼と、西宮、西京極、神戸グリーン・スタジアムまで付き合われたとのこと、道理で、阪急の歴代選手の名を記憶されているのですね。私も機会があれば、KS 君にお目にかかりたいものです。

 […中略…]

 先般、『学士會会報』(誌名には、この通り、2 種の「会」の字が使われています)2014 年 9 月号に掲載の、山折哲雄氏著「『門』の内と外」というエッセイに、わが国の文学作品には「男女の三角関係を描く作品が極端に少ない」とあるのを読み、興味を引かれました。氏は、「例外中の例外ともいうべき作品」として『源氏物語』にふれ、「[その]作者によって発見されたはずの世界が、それ以後受けつがれたような形跡がまったくみられない」と述べています。そして、「ようやく近代になってから、このテーマに重い腰をあげてとりくもうとしたのが、わずかに夏目漱石だった」として、『それから』と『門』における人間関係の分析に入っています。

 分析の結果は、『それから』では、「三角関係の輪郭がしだいにぼやけて」、「気がつくと、三千代と代助の二極の関係だけがひそかにつづけられている」というものです。山折氏は『門』についても、「『それから』の場合とおなじように、いつのまにか宗助と御米という二極の関係、すなわち対の関係へとすりかわっている」とみて、さらに、「最後の場面で主人公の宗助が自分一人で鎌倉の寺に行って参禅しようと思う」ことから、「対の関係のなかからさえも、唯一のこされた大切な相手の項を差し引こうとしていたのではないだろうか」と述べています。

 西洋の文学における三角関係の記述は、確かにもっと強烈です。たとえば、トルストイの『アンナ・カレーニナ』、スタンダールの『赤と黒』、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』など。それでもやはり、三角関係の頂点の人物がみな同じ強度の印象を与えることはない(上記 3 作におけるカレーニン氏やレナール氏やアルベルトの印象は薄い)ことを見れば、漱石が三角関係を取り上げながらも二極の関係に移行しているというのは、必ずしも漱石の作品の弱点ではないのではないかという気が、私にはします。

 私は『門』をテレビ・ドラマで見ましたが、原作はまだ読んでいなかったので、このたび読みました。インターネット検索をしてみると、『門』のテレビドラマは、TBS系「金曜ドラマ」第 1 期第 3 シリーズとして、『わが愛』の題名で、1973 年に放映されたと分りました。出演は加藤剛、星由里子ら。加藤剛が出演していたことは覚えていましたが、その他はほとんど忘れていました。

 そのドラマの解説に「友を裏切って駆け落ちした男女二人のささやかな生活と心のさびしさを描く」とあるのを見て、確かに、ささやかな暮らしと夫婦愛が印象的なドラマになっていたとは思いましたが、「友を裏切って駆け落ち」という三角関係部分の記憶は全くありませんでした。逆に、テレビドラマでわずかに記憶に残る、宗助が妻・御米を「足弱さん」と呼ぶ場面に、原作では出会わず、キツネにつままれた感じがしました。「足弱さん」は、原作にない脚色だったのでしょうか(他のドラマと勘違いしているとは思えませんが)。

 朝日紙に目下連載中の『三四郎』の昨 17 日分、第十二回「二の四」、大学の池のほとりで美穪子を初めて見る場面は、高校の国語の教科書にあった懐かしい部分です。貴君の高校とは教科書が違っていたでしょうか。

 爽快な秋晴れの日々です。貴君は戸外活動をお楽しみでしょうか。

 T・T

2014年6月2日月曜日

加藤周一の日本語文法解釈 (Shuichi Kato’s Analysis of Japanese Grammar)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に咲いたユリの花。
A lily flower in my yard.

 加藤周一はその著書(文献 1)において、過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴を説明するため、夏目漱石の文を引用し、その特徴が日本語の時制にも現れていることを述べている(同文献 59~62 ページ)。具体的には、漱石が過去の出来事を記していながら、多かれ少なかれ持続する現象(フランス語の半過去の使用対象)には現在形を、過去の特定の時点で起こった出来事(フランス語の単純過去形の使用対象)には過去形を使っていることを指摘しているのである。そして加藤は、「しかしフランス語から漱石が深い直接の影響を受けたとは考えにくい」として、漱石によるこのような述部の用法の源はどこにあるかについての答を保留している。

 ところで、私たちは英文法で、進行形に出来る動詞と出来ない動詞として、状態動詞 (stative verb) と動作動詞 (dynamic verb) という区別を習う。漱石が過去のことでありながら現在形を使った述部と過去形を使った述部の間には、状態動詞と動作動詞の相違に対応する相違がある。加藤が引用している漱石の『夢十夜』の一節では、前者に対応する述部として、「点(とも)っている」、「蕪村の筆である」、「懸っている」、「[人気(ひとけ)が]ない」があり、これらはすべて現在形になっている。他方、後者に相当する述部として、「夢を見た」、「落ちた」、「(同時に…)明かるくなった」、「(仰向く途端に…)見えた」があり、これらはすべて過去形になっている。状態動詞と動作動詞の区別は、多くの言語に見られるという(文献 2 が、文献 3 を引いてそう述べている)。加藤はフランス語に堪能なあまり、日本語にも時制の適用について状態動詞と動作動詞に相当する区別が古来あるとか、あるいは、少なくとも明治時代にはあったという可能性を考えることなく、漱石の場合にどういう外国語の影響があったのだろうかという考察に突き進んでしまったようである。

 加藤は漱石の『夢十夜』からの引用をする前に、森鴎外の『寒山拾得』からの一節も引用している(文献 1 の 58~59 ページ)。その節には、「連れ込んだ」、「できぬくらいである」、「燃えている」、「見えてきた」という述部が並んでいる。加藤はこの過去(または完了)、現在、現在、過去(または完了)という並び方について、日本語の文法が許す過去の出来事への現在形の使用を鴎外が利用し、単調さを破る工夫をした、と解釈している。しかし、この場合も、現在形の述部は二つとも状態を表し、過去(または完了)形の述部は二つとも動作を表しており、漱石の場合と同じ使い分けになっている。鴎外が単調さを破る工夫をしたとすれば、単に活用形を変えたのではなく、叙述の内容の配置に工夫をしたと見ることが出来るのではないだろうか。

 また、加藤は鴎外と漱石の文を引用するよりも先に、『源氏物語』、『平家物語』、そして上田秋成の『雨月物語』からの引用文を使って、「過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法」が、「厳密な時制を要求しない日本語の文法が前提条件であった」と論じている(文献 1 の 54~58 ページ)。そして、このことは『雨月物語』のフランス語への訳文と比較すればあきらかになるだろう、としている。しかしながら、過去の出来事に臨場感を与える表現として現在形を使用する「歴史的現在」は、各国語で用いられているようであり、加藤の論は、いささか強引であるように思われる。ただ、フランス語ならば半過去形を用いる過去の出来事に対して、日本語では抵抗なく現在形を用いることが出来るという時制の緩やかさが、「過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴」の一例である、という加藤の主張には間違いがないであろう。

文 献
  1. 加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波、2007).
  2. 『ウィキペディア』英語版 “static verb” の項、http://en.wikipedia.org/wiki/Stative_verb (23 March 2014 at 15:40).
  3. Laura A. Michaelis, “Stative by Construction.” Linguistics Vol. 49, pp. 1359–1400 (2011).

2014年2月22日土曜日

バス旅行「ターナー展と淡路ラン展」1 (Bus Trip "Turner Exhibition and Awaji Orchid Exhibition" -1-)


  2 月 20 日、朝日旅行社催行の日帰りツアー「英国の巨匠『ターナー展』と淡路ラン展」に妻と参加した。17名の参加者の中で、男性は私一人だった。週日でも参加できる高齢者の中では女性のほうが一般に、より元気なことや、男性は概して花などにあまり興味がないことのためだろうか。

 『ターナー展(神戸)』は 1 月 11 日に始まり、 4 月 6 日まで神戸市立博物館で開催中である。 ロンドンのテート美術館が所蔵するイギリスの国民的画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー (1775–1851) の油彩画 30 点ほか計 110 余点が出品されていて、見応えがあった。始めに学芸員から、スライドを使用しての 30 分間の説明が聞けたのもよかった。

 学芸員さんはターナーの生涯の作品を表す四つのキーワードを挙げていた。その 1、2、4 番目は、それぞれ、「絵になる (picturesque) 風景」を探し出して描いていたこと、大自然の「崇高」な (sublime) かたちを描き出そうとしたこと、晩年の作品には現代の抽象画の趣さえあること (moderenity)、だったが、3 番目が何だったか忘れた。「TURNER その風景画には物語がある」という言葉が展覧会のチラシにあるのを見れば、劇性 (theatricality) というようなことだったかと思われる。絵に現れている具体的な特徴からは、光あるいは海(水)も挙げたいところだが。

 上掲の会場前の写真にある看板において、左は『チャイルド・ハロルドの巡礼—イタリア』、右は『ヴェネツィア、嘆きの橋』と題するターナーの絵のそれぞれ一部分が使われている。夏目漱石の小説『坊ちゃん』の中で、主人公とともに釣りに出かけた教頭の赤シャツと野だいこが、瀬戸内海に浮かぶ島の松を見て「ターナー島」と名付けている。このことから、松を描いたターナーのいくつかの作品中のどれかを漱石がロンドンで見た可能性があるとして、その有力な候補になっているのが前者である。

 なお、"Joseph Mallord William Turner paintings" という BBC のウェブサイトでは、ターナーの作品 392 点をスライドショーとして見ることが出来る。(つづく)

On February 20, my wife and I joined a one-day trip "Turner Exhibition and Awaji Orchid Exhibition" held by Asahi Sun Tours. Among the participants of 17 people, I was a single male. This might have happened possibly because of the following two reasons: Women are generally more active than men among elderly people who can join the trip on a weekday, and men are usually not so much interested in seeing flowers compared with women.

Turner Exhibition (Kobe) began on January 11 and is going to be held until April 6 at Kobe City Museum. A total of over 110 works of the representative painter of Britain, Joseph Mallord William Turner (1775-1851), including 30 oil paintings, came from the Tate in London, and the show was quite impressive. It was also good that, at the beginning, a curator gave us a talk of 30 minutes about Turner's works using slides.

The curator mentioned four keywords that represented Turner's works through his lifetime. Three of them were as follows: "picturesque" (Turner chose picturesque landscapes to paint), "sublime" (he wanted to express sublime form of nature) and "modernity" (his works in later years show abstractness in modern paintings). I forgot what was the remaining one key word. It was possibly something like "theatricality" as suggested by the words on the flyer of the show, "TURNER; his landscape paintings include stories," though I would also like to add the key word of "light" or "sea (water)," considering from the particular features that concretely appear in his pictures.

In the photo above of the exhibition site, the sign board on the left uses part of Turner's painting entitled Childe Harold's Pilgrimage – Italy, and the right side one, part of Venice, the Bridge of Sighs. In Natsume Sōseki's novel "Botchan", the main character went out fishing, together with the assistant principal "Red Shirt" and Nodaiko, and saw an island with a pine tree in the Seto Inland Sea to name it "Turner Island." So, Sōseki possibly saw one of Turner's paintings with a pine tree, and Childe Harold's Pilgrimage – Italy is the leading candidate for it.

By the way, we can view Turner's 392 works as a slide show at the BBC Website "Joseph Mallord William Turner paintings." (To be continued)

2013年10月9日水曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」7 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -7-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ウキツリボク(アオイ科)、別名アブチロン・チロリアンランプ。
ウォーキング途中で、2013 年 9 月 25 日撮影。
Trailing Abutilon. The photo was taken on my way of walking exercise on September 25, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」7

 本シリーズの第 6 回では、夏目漱石の『草枕』の第九章で、主人公と、彼の部屋へ話しに来た宿の女、那美の間で「非人情」の言葉が何度も交わされるとともに、主人公が非人情の芸術製作を離れて、非人情の体験を積んでいることを述べた。

 第九章はなお続く。地震の影響で、「岩の凹みに湛えた春の水が、驚ろいて、のたりのたりと鈍(ぬる)く揺(うご)いている」ところへ、「落ちついて影をひたしていた山桜が、水と共に、延びたり縮んだり、曲がったり、くねったりする」のを主人公は面白いという。那美が「人間もそう云う風にさえ動いていれば、いくら動いても大丈夫ですね」といい、「非人情でなくっちゃ、こうは動けませんよ」「ホホホホ大変非人情が御好きだこと」と会話が展開する。会話の終りに「鏡の池」の話が出て、那美は「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」という。

 第十章で、主人公は絵の具箱を持って鏡の池へ行ってみる。そこで、前にも会った馬子の源兵衛に出会い、志保田の昔の嬢様がこの池に身を投げたこと、志保田の家には代々精神病者が出ることなどを聞く。源兵衛が去ったあと、主人公は絵を描こうとし、水の中の影を描くことを考える。「影だけ眺めていてはいっこう画にならん。実物と見比べて工夫がして見たくなる。余は水面から眸を転じて、そろりそろりと上の方へ視線を移して行く。」そのとき、「緑りの枝を通す夕日を背に、暮れんとする晩春の蒼黒く巌頭を彩どる中に、楚然(そぜん)として織り出されたる女の顔」があって驚く。主人公が思わず飛び上がると、「女はひらりと身をひねる。帯の間に椿の花の如く赤いものが、ちらついたと思ったら、すでに向うへ飛び下りた。」

 第十一章で、主人公は観海寺の石段を上って、和尚を訪ねる。修業の話題から、和尚は、「志保田の御那美さんも、嫁に入(い)って帰ってきてから、どうもいろいろな事が気になってならん、ならんと云うてしまいにとうとう、わしの所へ法を問いに来たじゃて。ところが近頃はだいぶ出来てきて、そら、御覧。あのような訳のわかった女になったじゃて」と聞かせてくれる。(つづく予定)

2013年9月27日金曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」6 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -6-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


アヒル。堺市・中の池公園で、2013 年 9 月 14 日撮影。
Domestic ducks. The photo was taken in Nakanoike Park, Sakai, on September 14, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」6

 本シリーズの第 5 回では、漱石の『草枕』の第六章で展開されている、「非人情」の境地で得た興趣を絵にすることは難しいが、詩にはなりそうだ、という主人公の考察と、第七、八章の粗筋を紹介した。

 第九章では、主人公が部屋で英語で書かれた小説を読んでいるところへ、宿の女、那美が話に来る。話は小説の読み方から惚れ方へと進む。那美が「すると不人情な惚れ方をするのが画工(えかき)なんですね」といい、主人公は「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」という。「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」「話しちゃ駄目です。画(え)だって話にしちゃ一文の価値(ねうち)もなくなるじゃありませんか」「ホホホそれじゃ読んで下さい」「英語でですか」「いいえ日本語で」「英語を日本語で読むのはつらいな」「いいじゃありませんか、非人情で」。地の文が、「もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴く女ももとより非人情で聴いている」と説明する。——という具合に、ここには非人情が多く出る。

 主人公は那美に本を読み聞かせながら、「非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」などといえば、那美も「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」という。主人公が「男は女の手を把(と)る。鳴りやまぬ弦(ゆづる)を握った心地である。……」と読むと、「あんまり非人情でもないようですね」「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭(いや)なら少々略しましょうか」。

 そこへ地震が起こり、一羽の雉子(きじ)が藪の中から飛び出す。主人公「雉子が」。「どこに」と那美がすり寄る。二人の顔が触れんばかりに近づく。「非人情ですよ」と那美。「無論」と主人公。——主人公は、非人情の芸術製作を離れて、非人情の体験を盛んに積んでおる。(引用文中の非人情への下線は引用者による。)(つづく)

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」7" へ

2013年9月21日土曜日

第56回新象展 大阪展 (The 56th Shinsho Exhibition in Osaka)

[This post is in Japanese only.]


 快晴の一昨日、大阪市立美術館で開催中の「第 56 回新象展 大阪展」を見に行った。大連の小学校での私の同期生、S・Y さんが新象作家協会の会員で、毎年、招待葉書(東京、京都、大阪の各地での展覧会に共通)を貰うのである。

 天王寺公園内の大阪市立美術館に通じる道は「フェルメールの小径」と名づけられている。その道の傍らに、今年初めて、ヒガンバナの花を見た(1 枚目の写真)。美術館入り口には、ハイビスカスも咲いていた(2 枚目の写真)。

 新象展は、看板(3 枚目の写真)に「未来アート 実験」とあるように、抽象絵画を中心に、抽象造形作品も含む展覧会である。作品の題名が、なるほどそういうものをイメージして描いたのかと思わせるものもあれば、これがなぜそういう題名になるのだろうかと思わせる作品もある。題名と作品を無理に結びつけて鑑賞する必要はなく、各人それぞれの思いをもって眺めればよいのであろう。

 S・Y さんの作品は "DAIREN - (FUKUSHIMA) 2013" と題されている(彼女のブログ記事「新象展都美術館」に作品の写真がある)。"DAIREN" は彼女の出生の地への思いを込めて、毎年の作品の題名に含まれている。そこへ、東日本大震災のあと、"(FUKUSHIMA)" が加わるようになった。彼女は震災の直接の災害には会わなかったが、原発事故で屋内退避勧告の出た相馬市に住む。絵のモチーフは毎回、円や長円の組み合わせで、以前は暖色系が多く使われていたが、近年寒色系が多くなったり、赤や黒が鋭く混じったりしていた。

 今回は、寒色も混じるものの、比較的穏やかな色合いという感じがした。中心付近の小円は深く沈み込んでいる趣きがあり、そこから左上にかけて尖った先端部を持つ曲線が、飛翔しているかのように描かれていた。そこで、中央の円形が溶融炉心を連想させ、左上へ延びる曲線は、溶融した炉心からの放射性物質というよりは、原子炉事故の失敗を補う、わが国のロケット技術を象徴するかのように思われたということと、私の思いは勝手なものかも知れないが、いろいろな想像を楽しくめぐらせて貰える作品と見受けたことを感想としてメールで書き送った。合わせて、目下、漱石の『草枕』を再々読して、抽象絵画のまだ現れていなかった時代に漱石の描いた主人公が、「抽象的な興趣」を絵にしたいと望んだことを興味深く思っていることを記した。S・Y さんからの返信には、そういう意図で描いたものではないが、そういう思いを抱いたことはある旨のことが書かれていた。

 美術館の地階出口を出ると、天王寺公園と「フェルメールの小径」との間にある道へ導かれる。妙なことに、その道はすでに公園外であって、帰途に美術館裏にある慶沢園を散策したいと思っても、再入園しない限り、それが出来ないことになる(4 枚目の写真は、その道から見た「あべのハルカス」のビル)。慶沢園散策のためには、入館した地階展示室への入口の方へ戻るべきであることを覚えておかなければならない。

2013年9月16日月曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」5 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -5-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ケイトウ。笠池公園で、2013 年 9 月 14 日撮影。
Plumed cockscomb. Taken in Kasaike Park on September 14, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」5

 本シリーズの第 4 回では、漱石の『草枕』の第六章に、「非人情」の語は使われていないものの、「非人情」にかかわる芸術論が展開されているとして、主人公の考察の前半を見た。そこでは、主人公は「非人情」の境地で得た興趣を絵にしたいと思いながらも、それは難しいと考えた。

 次いで主人公は、その興趣を表す手段として音楽が適していると思うが、彼にはその素養がなく、詩にすることを試みる。そのとき、ふと、「振袖姿のすらりとした女」が「暮れんとする春の色」の中で、「粛然として、焦(せ)きもせず、狼狽(うろたえ)もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊しているらしい」のが目にとまる。

 第七章では、主人公が風呂へ入っていると、「漲(みな)ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾(ただよ)わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸(の)した女の姿」が現れ、主人公は絵描きらしい思索をめぐらす。

 「輪廓は次第に白く浮きあが」り、「今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に」、「渦捲く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ遠退く。」——私が高校 1 年生でこの作品を読んだときに、最も印象に残った場面である(日記には、そうとは書いてないが)。

 第八章で、主人公は宿の老人(那美の父)の部屋で、お茶のご馳走になる。相客に、観海寺の和尚(大徹)と、二十四五の若い男、久一(きゅういち。老人の甥で、那美の従弟)がいる。老人は主人公に、久一が「満洲の野(や)に日ならず出征すべき」運命であることをつげる。(つづく)

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」6" へ

2013年9月11日水曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -4-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


ランタナ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Lantana. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4

 本シリーズの第 3 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第四章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見るとともに、第九章までの粗筋をたどり始めた。そして第六章には、「非人情」の語は使われていないものの、「非人情」の芸術論が展開されており、少し詳しく見ておく必要があると述べた。

 第一章で「非人情」の語が初登場したときには、「淵明、王維の詩境」をその手本に挙げていたが、第六章では、主人公が専門とする絵画から考察が始まり、三種類の絵が述べられる。第一種は、「ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として」描いたもので、「感じはなくても物さえあれば出来る」。第二種は、「[人事風光]をわが審美眼に漉過して」描いたもので、「物と感じと両立すれば出来る」。そして、第三種は、主人公がいま描きたいと思っている種類の絵で、「あるものはただ心持ちで」、この心持ちを「具体を藉(か)りて、人の合点するように髣髴(ほうふつ)せしめ」ようとするものである。

 「心持ちを絵にする」といえば、「非人情」の正反対のようであるが、この分類の前に述べられている主人公の心持ちのあり方が「非人情」なのである。すなわち、「わが、唐木(からき)の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡の状態」、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞(おそれ)を含んではおらぬ」という境地である。

 主人公にとって、この境地を絵として実現することは難しく、「こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である」、「多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう」と考える。これは抽象絵画を指しているかのようである。

 『草枕』の発表されたのは 1906 年であり、狭義の抽象絵画はカンディンスキーによって、1910 年代前半に始められたとされ、また、広義には、ピカソのキュビスムから始まったと見られ、その出発点は、1907 年秋に描き上げられた『アビニヨンの娘たち』である。これを考えると、ここには漱石の芸術に対する炯眼ぶりが現れているといえそうである。ただし、主人公が「何らの手段かで」と考えたのは、次のパラグラフを見ると、絵画以外の手段と分り、炯眼ぶりといっても、抽象絵画出現の予想までには至っていなくて、「抽象的な興趣を画にしようとする」欲求の段階にとどまっている。(つづく)

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」5" へ

2013年9月9日月曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


タマスダレ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Fairy lily. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3

 本シリーズの第 2 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第二章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見た。今回も、「非人情」の言葉を作中で検索しながら、第三章以下での関わりを見て行きたい。

 第三章で、主人公は静かな宿に泊まり、不思議な一夜を経験する。その途中で、「非人情」を目指しながらも修行が足りないという思いが、次のように述べられている。
どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。

 第四章では、主人公が翌日目覚めて宿の造作を観察する場面で、「非人情」が出て来る。
家は随分広いが、[…]。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。〆た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉(た)てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。

 次に「非人情」が登場するのは、章が少し飛んで、第九章なので、途中の章の概要を記しておく必要があるだろう。第四章で、髪を銀杏返しに結った「ただの女とは違う」宿の若い奥さん(ヒロインの那美)が登場し、主人公と語り合う。第五章で、主人公は床屋へ出かけ、そこの親方から那美についての情報を仕入れる。

 第六章で主人公は、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している」という境地になっていて、その境地を絵に出来ないかという考察をする。「非人情」の語は使われていないものの、ここは「非人情」の芸術論であり、少し詳しく見ておく必要がある。(つづく)

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4" へ

2013年9月7日土曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」2 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


キキョウ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Balloon flowers. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」2

 本シリーズの初回では、小宮豊隆の「解説」から、『草枕』の「非人情」は、これを執筆した当時の漱石としてはまだ到達し切れていなかったが、晩年に到達した境地である、と知ったことを述べた。また、そうとなれば、私は、『草枕』初読および再読の結果としての、「漱石の非人情説」への感想をどうまとめるか、という課題を自らに課さなければならない、とも述べた。その課題へ入る前に、今回は、『草枕』の中で、「非人情」の境地に主人公の達する道筋が、どのように描かれているかを見ておきたい。

 『草枕』の第一章において、主人公は「山路を登りながら」次のように考える。
[…]自身がその局に当れば利害の旋風(つむじ)に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩くらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解げしかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。
ここに「非人情」の本質がすでに述べられており、その少しあとで、「非人情」の語が早くも登場する。すなわち、次の箇所である。
こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。
そして、「もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ」と思いながらも、「まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ」と決心する。

 第二章では宿へ着くまでの旅中の出会いが描かれ、主人公は「非人情」を味わい始める。
[…]自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
その婆さんは、「源兵衛が覊絏(はづな)を牽」く「青馬(あお)」に乗って「城下へ御輿入」した「志保田の嬢様」の話をして、その嬢様は「今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」という。主人公は「非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない」と思う。この嬢様が第三章以下に本作品のヒロインとして登場し、主人公の「非人情」が鍛えられる場面が展開することになる。——このように「非人情」の語をたどってみると、漱石の作品構成の巧みさがしみじみと分る。

 (『草枕』からの引用は、青空文庫版によった。)(つづく)

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3" へ

2013年9月5日木曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」1 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


秋雨の合間に咲いたカンナ。2013 年 9 月 3 日、わが家の庭で。
A flower of canna that bloomed in the lull of the autumn rain.
Taken in my yard on September 3, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」

 私が夏目漱石の『草枕』を初めて読んだのは高校 1 年生のときだった。そのときに次のような読後感を記している(1951 年 9 月 14 日付け)。
芸術の客観性ということが強く出ている。しかし、何もかもが第三者的立場のみから感受され、考察され、判断されたらどうだろう。それは、あくまで芸術の中だけのことであろう。躍動する生命を持っているわれわれは、何事にも直接ぶつかる場合が多い。そこでは自分を一つにして力闘することが必要だ。(何だか、よく分っていない。)
ここでいう「芸術の客観性」は、『草枕』では「非人情」という言葉で表されていて、芸術家が観察対象とする自然にはもちろん、人物にも情を交わさないで、傍観的態度で接することを意味している。

 私が上記の日記を最近、ブログ "Ted's Archives" に掲載したとき、「(何だか、よく分っていない。)」の箇所について、「引用時の注」として次のように記した。
自分の論旨がうまく閉じていないことを気にしたのだろう。「その力闘は、第三者的立場とは異なる。それゆえ、実人生にも関わる芸術に、客観性だけが強調されるのはどうかと思う」とでも続ければ、このときの考えが一応まとまるだろう。
しかし、この注の「」内を、この通りに高校時代の日記につないで、芸術の「非人情」に疑問を呈したのでは、日記中で「非人情」を「あくまで芸術の中だけのことであろう」と述べて、「芸術中」では一応よしとしていることと矛盾するようである。ただし、日記中の「芸術の中だけ」が「小説中の主人公がそのように考えるだけ」を意味すると取れば、必ずしも矛盾はしない。

 こう考えると、『草枕』の主人公が唱える「非人情」は、作品の中だけでよしとされているのか、漱石自身が追い求めた境地なのかということを知りたくなる。そこで、先般『漱石全集第四巻』(岩波書店、1956)で再読した『草枕』のページをぱらぱらとめくってみた。ぱらぱらとめくってみても、答が求まる問題ではないが、巻末にある小宮豊隆の「解説」が助けてくれた。小宮は、漱石が『草枕』を書いている間に知人に当てた手紙に、「是とても全部の漱石の趣味意見と申す訳に無之」と記していることを引きながらも、次のように記している。
勿論『草枕』の画工によって唱導された「非人情」説の境地は、後の漱石にも断えずあがこれの目標になっていた。[…中略…]漱石の晩年のモットオであった「則天去私」も亦『草枕』の「非人情」と重要な繋がりを持っている。しかし、この「則天去私」になるまでには、『草枕』の「非人情」説は、幾度もアンティテーゼを置かれて、十分鍛錬されなければならなかったのである。
 これによれば、「非人情」は、『草枕』執筆当時の漱石としてはまだ到達し切れていなかったが、晩年に到達した境地である、ということになる。そうとなれば、「小説中の主人公がそのように考えるだけ」は、成り立たなくて、私は、『草枕』初読および再読の結果としての、「漱石の非人情説」への感想をどうまとめるか、という課題を自らに課さなければならない。これについては、日を改めて記すことにしたい。

 "漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」2" へ

2013年8月25日日曜日

「初心忘るべからず」 ("Don't Forget Your First Experience")

[This post is in Japanese only.]


昨 8 月 24 日、各地で雨が降り、大阪市では 1942 年の 16 日連続の記録を
更新していた猛暑日が 17 日で止まった。25 日も雨。
On August 24, it rained in many places. In Osaka City, the record of continuation of "extremely hot days" on which the temperature rose above 35 degrees Celsius came to end at the 17th, just above the record of 16 consecutive days in 1942. It rained also on the 25th.

「初心忘るべからず」

 「初心忘るべからず」という言葉をよく聞く。父の観阿弥とともに猿楽(現在の能)を大成した世阿弥が著書『花鏡』(かきょう)の中に、芸の奥義として書いている言葉である。しかし、私は、この言葉のあとに、「時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」と続くことを、最近まで不勉強で知らなかった。

 「老後の初心忘るべからず」までを含めて引用してあったのは、夏目漱石の『道草』についての、小宮豊隆による解説(新書版『漱石全集』第 13 巻、1957)である。小宮は世阿弥のこの言葉を次のように説明している。
初心とは初めての自分の体験であり、時々の初心とは、例えば十歳の年、二十歳の年、三十歳の年などに始めて体験する自分の体験である。その初心を忘れてはいけない、その初心を忘れるということは、事実上後心をも忘れるということに外ならないから、初心を始め、時々の初心、老後の初心までも、全部忘れないようにするのでなければ、役者の芸は、決して上達するものではないというのである。(注:引用に当たって、原文の旧仮名遣いを新仮名遣いに、傍点を下線に替えた。)
 「初心忘るべからず」は、普通、「学び始めた当時の気持を忘れてはいけない」(たとえば『広辞苑』)と解釈されているが、小宮は「初心」を「初めての体験」と解釈している。「始めた当時の気持」では、「時々の初心」、そして「老後の初心」へとつながり発展する内容として不足であることを考えれば、「初心」はこのように解釈するのが妥当であろう。(そこで、『故事ことわざ辞典』の「初心忘るべからず」の項に "Don't forget your first resolution." という英訳があったが、本記事の英語題名では、resolution を experience に替えた。)

 漱石が自らの幼児、少年、青年、大人の各時代の体験をよく記憶していて、自伝的作品『道草』の中に細かに記していることを評して、小宮は「初心」の上記の解釈を次のように使っている。
これは世阿弥の時々の初心を忘れるなという忠告に、見事に沿うたものである。しかも漱石は、ただ時々の初心を忘れなかったというだけではなく、折にふれてそれらの初心をとり出して検討し、そのどれが正しく、そのどれが正しくなかったかを批判しつつ、自分の後心を訂正したり進展させたりして行っている。
 「初心」の「どれが正しく、そのどれが正しくなかったかを批判し」という小宮の使い方を見ると、「初めての体験」という解釈においての「体験」は、受動的な出来事としての体験ではなく、心構えを持って事に当たった能動的なものという解釈であることが分る。したがって、小宮の「初心」の解釈を詳しくいえば、「自らのそれに対する心構えを含めた、新しい体験」ということになるだろう。逆に、普通の解釈をもとにして、「新しく事に当たった気持に、そのとき会得した体験を加えたもの」ともいえよう。

 ところで、漱石ほど世阿弥の忠告に従うことが出来ていない私などの「初心」の記憶は、どの程度のものであろうか。友人たちから「昔のことをよく覚えているな」といわれたりする。しかし、その内容は教訓にもならない些事である場合が多い。つまり、私の記憶している体験の多くは、「自らのそれに対する心構え」が含まれていない、単なる思い出であり、「初心」に相当しない。

 最近、高校 1 年のときの親友との交換日記をブログ Ted's Archives に連載しているが、その中には「こんなことがあったのを、すっかり忘れていた」と思うような記述がぞくぞくと出て来る。漱石の体験の記憶も、記憶力のよさ以外に、日記に助けられていたところも多いのではないだろうか。いま、パソコンの普及によって、利用できる記憶媒体は、日記帳と頭だけの時代とは比べ物にならないほど便利になった。しかし、私たちはそれを「初心」を忘れないために、うまく利用出来ているだろうか。

 なお、『道草』の読後感を若干付言するならば、次のことが挙げられる。漱石の他の小説のように魅力的な女性が登場するのでもないにもかかわらず、文豪の自伝的作品ということで興味が尽きなかったし、自らの心境の分析が冷徹であることに感心した。そして、主人公が作家であっても、大学で教鞭を取っている時期が多く記されているので、その生活ぶりは、私のような理系の職業についていたものと意外によく似ていると思った。

2013年7月20日土曜日

改憲論に抗して思う (Thoughts against Proposals to Change Constitution)


わが家の植木鉢に咲いたユリの花。2013 年 7 月 17 日撮影。
(記事とは無関係)
A lily flower blooming on a pot in our yard. Taken July 17, 2013.
(Not related to the text of the post.)
[Abstract] Five short essays on my thoughts against proposals to change Japanese Constitution, originally posted at the blog site of Article 9 Association of Fukuizumi–Ōtori Area from June 21 to July 17, 2013, are collected here. (Main text is given in Japanese only.)

 私が別シリーズで書いているブログ「福泉・鳳地域『憲法9条の会』」は、同会の活動、大元の「九条の会」のメルマガの紹介、憲法9条や平和関連の集会・催しの案内、新聞・雑誌記事の紹介などが中心で、私自身の思いを述べた文は少ない。しかし、このブログ "Ted's Coffeehouse 2" とは読者層がかなり異なる可能性もあるので、最近前者のブログに載せた私自身の思いに関する短文をここに集めておく。(前者のブログでは対話体を使っているが、本ブログへの転載に当たっては、ここでの例に習って非対話体に変える。)


「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」(2013 年 6 月 21 日)

 私事ながら、1951年、私が高校1年生だったときの親友(中学が同じで、高校が別になった M 君、いまは故人)との交換日記を別のブログに連載している。先日掲載した 1951 年 10 月 11 日付けの私の日記の冒頭に、「『ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重』、何という理知的な解釈、何と整然とした解答だろう」とあった。何についての誰の言葉かを書いてない。
 しかし、少し前の日記に社会科の宿題として「明治憲法と日本国憲法の比較」という問題が出たことが書いてあったことから、その宿題の優れた解答(あるいはその要点)として先生が紹介したものだと思い出した。その解答を提出したのは、学年のマドンナ的存在で、私が日記中でヴィッキーというニックネームを与えていた女生徒だった(試験でいつも最高点をとることから、勝利の女神ヴィクトリーに因んで、また、美人でもあることから、美の女神ヴィーナスにも因んでつけたニックネームである)。
 何年か前の高校同期会の折に、私が近況報告として、「湯川秀樹を研究する市民の会」や、地域の「9条の会」に関わっていることを話した。「9条の会」といったとき、私の経歴から想像出来なかったという意味で、驚きの声を発した一人または複数の男性がいた。それに対して、すかさず、「湯川博士も憲法9条を大切と思ったでしょう」と助太刀してくれたのも、ヴィッキーだった。確かに、湯川秀樹は 1965 年に「日本国憲法と世界平和」というエッセイを書いて、憲法前文の平和に関わる文と第9条を讃えている。
 いま、自民党の改憲草案を読むと、それが明治憲法を彷彿させるものであることに気づく。自民党改憲草案と日本国憲法の相違、それもまさに、「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」ではないだろうか。ヒューマニズムの否定につながる憲法改悪は、断じて阻止しなければならない。
 上記の同期会のときには、ヴィッキーの「ヒューマニズムの否定、ヒューマニズムの尊重」を全く覚えていなかったが、次に彼女に会う機会があれば、その言葉を当時も感心し、いまも大いに感心していることをぜひ伝えたいと思っている。


『草枕』に見る漱石の反戦思想(2013 年 6 月 23 日)

 高校 1 年生のときに読んだ夏目漱石の『草枕』を、ふと再読したくなり、読んでみた。先に読んだときに興味を持ったのは、誰もがこの作品の主題と認めると思われる、主人公の画家が主張する「非人情」について、それが、本当に芸術を創造するために不可欠な姿勢だろうか、ということだった。今回もその問題に関心がありはしたが、「改憲論」がやかましいいま、もう一つ、大いに興味を引かれたところがあった。
 それは、主人公やヒロインの「那美さん」らが、日露戦争のために応召する彼女の親戚の「久一(きゅういち)さん」を駅まで見送る最終章である。送る人たちの一人である「老人」は次のようにいっている。
「めでたく凱旋(がいせん)をして帰って来てくれ。死ぬばかりが国家のためではない。わしもまだ二三年は生きるつもりじゃ。まだ逢(あ)える。」
この言葉は、与謝野晶子の詩「君死にたまふことなかれ」に通じるものである。
 また、次のような記述もある。
 車輪が一つ廻れば久一さんはすでに吾らが世の人ではない。遠い、遠い世界へ行ってしまう。その世界では煙硝(えんしょう)の臭(にお)いの中で、人が働いている。そうして赤いものに滑(す)べって、むやみに転(ころ)ぶ。空では大きな音がどどんどどんと云う。これからそう云う所へ行く久一さんは車のなかに立って無言のまま、吾々を眺(なが)めている。吾々を山の中から引き出した久一さんと、引き出された吾々の因果(いんが)はここで切れる。
「赤いもの」とは血を指していて、ここには、若い人を戦場へ送る悲しみや、戦場のむなしくも殺伐な様子が描かれている。
 さらに、末尾近くには、
那美さんは茫然(ぼうぜん)として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかつて見た事のない「憐(あわ)れ」が一面に浮いている。
とある。主人公を那美さんに対して、「それだ! それだ! それが出れば画(え)になりますよ」と叫ばせた「憐れ」の表情は、先に彼女が久一さんにいった「死んで御出(おい)で」という言葉とは裏腹な、彼女の真情を吐露したものであろう。
 これらの記述に、軍国主義の盛んだった時代にもかかわらず、漱石が抱いていた反戦の精神がはっきり現れていると思う。彼がいま生きていたならば、「九条の会」の心強い味方だったに違いない。
 (『草枕』からの引用は「青空文庫」版によった。)


「朝令暮改」の戒め:憲法 96 条改悪案に思う(2013 年 6 月 26 日)

 「朝令暮改」という言葉がある。『広辞苑』には、「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。朝改暮変」と説明してある。この言葉の源はいくつかあるようだが、一つは、『漢書』24 巻「食貨志」第 4 上に記述されているものだということだ。
 それは、前漢時代に晁錯(ちょうそ)が文帝に出した奏上文中の、「勤苦如此 尚復被水旱之災 急政暴賦 賦斂不時 朝令而暮改」という箇所である。これは、「(農民たちは春夏秋冬、一年中休みなく働かなければならないほか、弔問や病気の見舞いでの行き来などもあり)このように苦しいものであるうえに、水害や干害にも見舞われ、必要以上の租税を臨時に取り立てられ、朝出された法令が、夜には改められているといった有様です」と伝えている文である。
 上奏文はさらに続いていて、役人や商人が思いのままに搾取するのを制限し、農民が零落するのを防ぐべきだとの意見が述べられているということだ。晁錯は、政策が変更し続け、一定せずにあてにならないような事態を戒めたのである(文献1、2)。
 命令や方針でさえしばしば改められるのは悪政であるとの戒めが古来あるにもかかわらず、国家存立の基本的条件を定めた根本法である憲法を、96 条を変えて、ときの政治勢力の都合によって容易に変更出来るようにするなどとは、もってのほかではないだろうか。

文 献
  1. 朝令暮改、『ウィキペディア:フリー百科事典』[2013年3月17日(日)10:42]。
  2. 朝令暮改、ウェブサイト『故事成語で見る中国史』。


トルストイの作品に見る憲法9条の精神(2013 年 6 月 27 日)

 若い頃に好きだったロシアの小説家、レフ・トルストイの作品を最近また読んでいる。目下読んでいるのは、『五月のセワストーポリ』。1853 年からロシアがオスマン帝国、そして、これと同盟を結んで参戦してきたイギリスとフランスを迎え撃って戦ったクリミア戦争の舞台となったセワストーポリの状況を描き、戦争の無意味さを訴えた 3 部作中の第 2 作で、1855 年、トルストイが 27 歳のときの作品である。
 冒頭近くに次の言葉があった
外交によって解決されぬ問題が、火薬と血で解決される可能性はさらに少ない。
これはまさに、憲法9条の精神である。先哲の教えを重んじることなく、集団的自衛権の行使を認め、憲法9条を変えて、軍事対抗主義に走ろうとする政治家たちがいることは、実に情けない状況といわなければならない。


「日本国憲法第9条について論ぜよ」にアクセス急増(2013 年 7 月 17 日)

 本ブログ[福泉・鳳地域「憲法9条の会」]と同じプロバイダーのところに、筆者は個人的なエッセイを書く "Ted's Coffeehouse 2" というサイトを持っている。その中の 2004 年 11 月 22 日付け記事「日本国憲法第9条について論ぜよ」へのアクセスがこのところ急増している。
 急増といっても、それほど厖大な数字ではなく、この 30 日間で 118 のアクセスがあり、プロバイダーが 2008 年 5 月に統計を提供し始めてから 30 日前までの 59 を加えて 177 となり、"Ted's Coffeehouse 2" の記事への全期間アクセス数第 6 位に顔を出したというだけのことである。それにしても、「改憲」論がやかましいいま、この記事が少しでも役立てば嬉しい。
 まだご覧でない方は、上記のリンクをクリックして一読していただければ幸いである。


2013年5月9日木曜日

湯川の「うつしえ」(Yukawa's Utushi-e)

【Read in English.】

 私はかつて湯川秀樹の自伝『旅人』の英訳に間違いが沢山あることに気づき、訳者の一人であるブラウンさんに正誤表を送った。その中には「うつしえ」の訳 "shadow pictures" を "transfer pictures" に直した一項を含めていた。旅人の中の「うつしえ」は、湯川が子どもの頃、祭りの店で売っていたものの一つとして書いてあり、"shadow pictures" といえば、売るというより実演するものだと思ったからである。また、私が子どもの頃には、「うつしえ」といえば、いろいろな絵を特殊な方法でプリントしてある紙を裏からこすって、絵を別の紙に転写する「移し絵」を意味した。しかし、湯川の子どもの頃には、幻灯で「写し絵」をして遊ぶための、セロファン紙に絵を描いたような、いまのスライドに相当するものが売られていたのかもしれないとも思い(このことも注記しておいた)、この修正には自信がなかった。

 この、湯川の「うつしえ」は「写し絵」か「移し絵」かという問題に答を与えるような記述を先般、夏目漱石の自伝的小説『道草』の中に見出した。漱石自身をモデルにした主人公・健三の子どもの頃について記した第四十章に次の文があったのである。
 「彼の望む玩具は無論彼の自由になった。其中には写し絵の道具も交っていた。」
この「写し絵」について、巻末の「注解」は次のように記している。
 「暗いところで、光線の作用によって、ガラスに描いた絵などを布や紙の幕に映し出すもの。幻灯。」
 漱石の子どもの頃には、「写し絵」の道具がやや高級な子どもの玩具だったのである。漱石の生年は 1967 年、湯川は 1907 年で、どちらも子ども時代は明治時代の中に入る。私は 1935 年生まれで、湯川との生年の隔たりは、漱石と湯川の隔たりより少ない。しかし、東京市内に電灯がほぼ完全普及したのが 1912 年であり(文献 1)、電灯の全国的普及が日本の文化環境を大きく変えたであろうことを考えると、漱石と湯川の子ども時代は、湯川と私の子ども時代より、共通点がはるかに多かったに違いない。(実際、私の子どもの頃には、幻灯に取って代わる 8 ミリフィルムの自家用映写機を使って、近所の家で映画を見せて貰ったことさえある。)以上のことから、『旅人』の英訳における "shadow pictures" は正しかったと認めなければならない。

文 献
  1. 大正から昭和へ:電気の歴史年表, 電気事業連合会ウェブサイト.