2018年10月20日土曜日

チコちゃんが「鏡の謎」を取り上げる (Chiko picks up the "mirror puzzle")

[The main text of this post is in Japanese only.]


吉村浩一著『鏡の中の左利き』。
Left-Handers in Mirrors: The Mirror-Reversal Puzzle written by H. Yoshimura.

 NHK 総合テレビで土曜日午前 8 時 15 分から 45 分間放映されている番組『チコちゃんに叱られる!』が、2018 年 10 月 20 日の放映で、チコちゃんの質問の一つに、人類が悩み続けてきた難問「鏡の謎」を取り上げた。「鏡は左右を逆にするが、上下を逆にしないのはなぜか」という疑問である。答えは「分からない」だった。解説に登場する学者あるいは研究者は誰かと思ったら、この問題について私と共著論文を書いたことのある法政大学の心理学教授・吉村浩一氏で、分からない理由として心理も絡む複雑さを説明した。彼や私は、実はこの問題はほとんど解決できたと思っているのだが、国内に別の論を唱える学者がいることなどに配慮して、「まだ分かっていない」という解説をしたのかと思う。

 この問題に興味を持たれた方には、先のブログ記事「『鏡映反転』に一言」中でも紹介したが、吉村浩一著『鏡の中の左利き』(2004 年、ナカニシヤ出版、税抜き 2200 円)の一読をお勧めする。巻末に「一物理屋のコメント」と題して、不肖私も解説を記している(その解説はこちらでもご覧になれる)。なお、本ブログ・サイトのラベル "mirror puzzle" をクリックすると、本記事と「鏡の謎」についての他の 8 編の記事をまとめてご覧になれる。

 さらに、学問的なレベルで関心のある方は、『認知科学』Vol. 15, No. 3 (2008) pp. 496–558 掲載の『小特集——鏡映反転:「鏡の中では左右が反対に見える」のは何故か?』の各論文を個別にダウンロードしてご覧になることが出来る。各論文には英文で発表された原論文なども引用されている。その中の「第2部:多幡説 鏡像の左右逆転・非逆転:物理的局面からの解明」は、私が Tabata–Okuda 論文(同一専門誌に同時掲載された Corballis 論文と基本的に同じ説を述べている。両論文は当該専門誌の正規論文より短い形式のもので、「報文」と呼ぶ場合もある)とYoshimura–Tabata 論文 を基にして論じたものである。相異なる説としては、小亀説と高野説が展開されていて(小亀氏はその後故人となった)、各説について別の説の主張者たちからの批判が述べられ、それへの回答も付されている。読者の方々はどの説に軍配を挙げられるだろうか。


 (2018 年 10 月 21 日一部加筆・修正)

後日の追記

 吉村氏にメールを送って、このブログを読んで貰った。彼からの返信に、「研究室を訪れたチコちゃん担当ディレクターには、われわれの論文の考え方を最後まで説明しましたが、結局、固有座標系と共有座標系という考え方は理解して貰えなかったようです。今後は、解説にさらなる工夫が必要と、改めて思いました。しかし、定説がないという意味では、番組通りの流れでよかったとも思います。先生のブログでもそのように理解して頂いているようなので、安心しました」という旨のことが記されていた。

 固有座標系は、鏡像では左右がいつも逆になるという見方に対応し、共有座標系は、「鏡は前後を逆にするだけ」という見方や、立っている自分の前の床に置いてある鏡に映った像について「上下が逆」とする見方(この場合でも左右が逆ともいえるのである)に対応している、というだけのことなのだが...。

 吉村氏の著書の題名『鏡の中の左利き』は、右利きの人が利き手に関係のある何かをしている状態の鏡像を見れば、誰だって鏡像は左利きになっていると思うだろうことを意味している。これは、その鏡像を見ている自分の左右ではなく、鏡像自体の体で左右を判断しているからである。これが、鏡像に固有の座標系を使っているということ、つまり固有座標系の適用である。共有座標系の適用では、実物側と鏡像側に、同じ基準(座標系)を当てはめることになる。このように相異なる見方が存在することに気づかないで、「鏡像では左右が逆になる」「いや、鏡像では前後が逆になるだけである」といい合うのはナンセンスなのである。
(2018 年 10 月 22 日)

2018年9月20日木曜日

水彩画『燕岳』 (My Watercolor "Mt. Tsubakuro")

[The main text of this post is in Japanese only.]


 来たる 2018 年 10 月 18 日(木)から 23 日(火)まで、堺市東区北野田の東文化会館で開催される『第32回・美交会展』(主催・堺の文化をすすめる市民の会)に出品する予定の水彩画を、9 月 18 日に完成した。ホルベイン不透明水彩絵具とホルベイン紙 F6 を使用した。文献 1 の表紙写真を写真に撮り、その下部をカットした形でパソコン画面に大きく表示したものを参考にして描いた。文献 1 の目次上部にある説明によれば、その表紙写真は、白籏史朗氏の撮影による、燕山荘北方から見た燕岳(つばくろだけ;長野県にあり、標高 2,763 m)である。文献 1 内の鳥瞰図と比較すると、左手前から右奥へかけて、斜面にそれぞれ多くの残雪を抱いてそびえる大きめの頂は、燕岳、北燕岳、奥北燕と分かる。

 パソコン上の写真では、元の写真より色彩が全体に明るくなっており、絵では前者、つまり複製写真の色調を採用した。写真説明から分かる方角と元の写真の色合いから推定すると、日が西に傾いた夕方近い光景と思われるが、そうと気づいたのは、明るめの着彩をかなり進めてからだった。そのため、絵中の空と遠景の山々には、夕方らしさが失われている。雪面の半影的な部分がわずかに赤味を帯びているのは、元の写真が夕景である影響かもしれない。

 同じ複製写真を参考にして、妻が知人・友人へ送る賀状の挿絵にするための簡単な水彩画(F1 サイズのスケッチブックにペンと透明水彩絵の具を使用)を昨年末に短時間で描いた(元日のブログ記事に掲載)。形が不正確で粗雑ながら、勢いのよさではそれも捨てたものではないと思うのは、独りよがりだろうか。

 追記:妻がグループ登山でこの山に赴いたのは 2004 年 10 月 22 日から 24 日にかけてで、23 日には燕山荘に宿泊した。その夕方、新潟県中越地震が発生し、大きな山荘ながらも、激しく揺れて怖かったそうだ。なお、上掲の写真を撮った後で絵を点検すると、デッサンにありながら着彩を忘れた 3 カ所の細部に気づき、その修正をして仕上げとした。(2018 年 9 月 26 日)

 文献
  1. 『週刊 続日本百名山』No. 2(朝日新聞社、2002)。

2018年8月5日日曜日

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 3 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 10 to July 18, 2018 -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭で夏の花たちの共演、その 2。2018 年 8 月 2 日撮影。
Co-starring of summer flowers in my yard (2); taken on August 2, 2018.

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 3

7.「花鳥風月」ではなくて「九条」:故・加藤周一氏の言葉(7月4日)

 「九条の会」発足当時の 9 名の呼びかけ人の 1 人で、その会で中心的な役割を果たした加藤周一さんの没後 5 周年に記念出版された『加藤周一最終講義』(かもがわ出版、2013 年)を、筆者がそろそろ処分しようかと書棚から取り出したところ、1 カ所にポストイットを添付してあることに気づきました。
 そこには、加藤さんが「九条の会」にかかわった理由が次のように述べられている。
前の戦争のとき、[...]どうして止められなかったのか。[...]はたして東京は焼け野原になった。もういっぺん焼け野原になるのを黙って待っているのですか。あるいは、できるだけの力をふるって、また戦争できるように日本の経済と制度を変えていこうという動きに対抗しようとするのか。それ[引用者注:対抗しようとする運動]が「九条の会」です。[...]書くだけではなくて、もう一歩踏みだした組織に初めてコミットしました。
 そして、昨今の「いよいよ憲法九条を変えて、軍備を大々的に強めようという考え方が前面に出て来て」いる情勢を憂えた老・加藤さんは、次のように力強く宣言している。
私はいま、少なくとも歩行できる程度の力が残っていれば、呼応したいと思います。私は時々新聞に書きますから、書く時は「花鳥風月」ではなくて、「九条」に触れる。そこには一種の倫理的な意味があると思います。
と、筆者は加藤さんの「九条」を守る強い意志を引用し、
安倍9条改憲への指向が、2005 年当時よりもさらに前のめりになっている現在、私たちにも、いまは「花鳥風月」ではなくて「九条」、の心構えが必要であろう。
と警告しています。

8. G・オーウェルの「絞首刑」など(7月7日)

 オウムの死刑囚 7 名が処刑されたというニュースが流れた翌日、筆者は十数年前に買った本の中で、たまたま、G・オーウェルの「絞首刑」を読みました。そこには、処刑される囚人を絞首台へ連れて行くのに立ち会った「わたし」が、その囚人が「途中の水たまりを軽く脇へよけた」のを見て、「まだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とありました。このことから、『今回の 7 名の処刑について、EU 加盟 28 カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」という共同声明を発表したそうだ。人が人を殺すことの肯定は、戦争の肯定につながる。わが国も死刑制度の廃止を真剣に検討すべきである』と、早々と論評された手腕に感心しました。

9. 金沢、2018 年夏 -1-同 -2-同 -3-(7月16日~18日)

 筆者の例年の行事であるお盆の金沢での墓参に、昨年と同じく長女ご夫妻同伴で行かれた旅の様子が、辻家庭園(前田家家老横山家迎賓館)観賞を中心に述べられています。同迎賓館本館の群青の間は四周の壁が絢爛豪華なコバルトブルー(群青)仕上げ。群青色は、現在再現の困難な青金石(ラズライト)を主成分とする石(ラピスラズリ)を色素とし、色鮮やかで、たいへん美しいものです。金沢のホテル 13 階テラスで撮った写真には、金沢駅へ出入りする列車の線路や駅西口近くに広がる市街が見え、端の 2 本のレールは 2015 年 3 月に開業した北陸新幹線用とのことで、東京方面から金沢に出かけるのも便利になったものだと感じました。筆者が元気に金沢の旅を楽しまれた様子を興味深く拝読しました。
(完)

2018年8月3日金曜日

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 10 to July 18, 2018 -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭で夏の花たちの共演。2 階から、2018 年 7 月 30 日撮影。
Co-starring of summer flowers in my yard; taken from the second floor on July 30, 2018.

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 2

4. 東京、2018年 春(5月21日)
 さる 5 月 17 日に東京で開催された金沢菫台高校第5期生の集まりに参加するため、16 日に上京した。その晩、私の定宿・学士会館へ同期会の幹事君が会いに来てくれ、同会館の和食堂「二色」でコース料理を楽しみながら話し合った。[…略…]
 翌朝、学士会館においてあった冊子『ふらっと おさんぽ神保町:神保町レトロ建築さんぽ特集号』の地図を参考に、さくら通り付近を少し散策してから、同期会の会場へ向かった。会場は昨年と同じく、銀座 1 丁目「キラリト銀座」6 階にある「銀座の金沢」で、11名(うち女性 4 名)が集まった。遠路参加の私が乾杯の発声をさせられた。[…略…]参加者が昨年よりも 4 名増加したのは、高齢者の同窓会にしては珍しく喜ばしいことだった。[…略…]12 時から 15 時 20 分頃まで、郷土料理を食しながらたっぷり楽しみ、幹事ほか一同も記念写真の撮影を忘れてしまったまま解散した。
と高齢者の同窓会について、同窓生の近況や活動など(上掲の引用では省略)もよくまとめられた記録であり、興味深く拝見しました。最後は校歌(同窓会誌『金商菫台プレス』近着号に載っていたので、筆者がそのインターネット版のコピーを幹事君に送っておき、当日、ハードコピーを参加者分だけ用意して貰ったとのこと)の斉唱で閉めくくられました。歌詞が準備されていたので、皆が元気よく歌えて盛り上がったことと思います。

5. 気になる外来語カタカナ表記(6月13日)
 先日、NHK ニュースで中央アメリカ北部にある国の名を「グ・ア・テ・マ・ラ」のように発音し、字幕でも「グアテマラ」と表記していた。私の記憶では、この国は「グァテマラ」である。いつから「グアテマラ」になったのかと思ったが、先日買ったばかりの『広辞苑 第七版』の付録を眺めていると、内閣告示第 2 号による「外来語の表記」の項が目に入った。その中に
「グァ」は、外来音グァに対する仮名である。
として、まさに「グァテマラ」が例として挙げられている。そして、
一般的には、「グア」は「ガ」と書くことができる。
という注がある。「グアテマラ」化は、この内閣告示(1991 年に出されている)の注書きに由来するようだ。結構古いことなのだ。しかし、この注書きやこれに類似の注書きは、外来語を本来の外国語の発音から遠ざけ、日本人の英語発音を外国人に分かりにくくし、わが国の非国際性を増大させるものではないだろうか。「グア」と書いてもその音は「グァ」だと理解すればよいようなものの、先の NHK アナウンサーの例のように、「グ・ア」という型の発音が定着して来ているのである。
 [他の例、略]
 まだまだ書きたいが([その例の短い記述、略])、長くなるので、これくらいにしておく。
 外来語カタカナ表記について根気よく調べ、内閣告示第 2 号による「外来語の表記」に、気になる点の原因を見つけられました。「この注書きやこれに類似の注書きは、外来語を本来の外国語の発音から遠ざけ、日本人の英語発音を外国人に分かりにくくし、云々」は注目すべき見解でありましょう。例えば英語については、発音のみならず、アクセントも重要なことです。これらを総合して native の人にも何とかわかる方便であればよいと思います。

 最近、近所にお住まいの某・都立大学名誉教授から、『あとらす (ATLAS)』No. 38 (2018) を貰いました。同氏は「言葉雑記帳 第12:外国語のカタカナ表記をめぐって」を同誌に投稿していました。本記事と同種の表題でしたので、興味深く読みました。「表題をご覧になって、(またかよ、もういい加減にしてくれないか)と、うんざりされる向きもあろうかとは存じますが、このところまたしても気になっている外国語の名詞・固有名詞のカタカナ表記について、いくつかのことを書きとめさせていただくことにします」と前置きして、いろいろの例をあげ、自説を書いていました。例えば、市議選で「鎌倉駅にホームドアを」という主張が理解できなかったという話。「ホームドア」と聞けば、住家の入口・玄関が思い浮かぶ。「乗り場ドア」ではどうか。カタカナ表記ならば、「ホーム」でなく「フォーム」とすべきだ、と。[引用者の注:より正確には「プラットフォーム」]

6.「『鏡映反転』に一言」(6月23日)

 筆者は先般、表記の題名で『大阪民主新報』紙に投稿文を送ったが、掲載されなかったとして、下記のようなその投稿文をブログ上で紹介したものです。
 6 月 3 日付本紙「今週の一冊」欄に、高野陽太郎著『鏡映反転』が絶賛されていましたが、これには異議があります。私はその本の中で批判されている「左右軸劣後説」の提唱者の 1 人です。高野氏の最初の論文に対する反論として提唱されたこの説に、国際的な専門誌上では軍配が上がり、これに対する高野氏の再反論は却下されたという経過があります。
 「左右軸劣後説」は鏡像の左右逆転を単一の原理で説明する明快なものですが、高野氏の批判は誤解に基づいます。氏がその後、別の専門誌に発表した実験も、被験者が何を基準として左右を判断しているかが曖昧で、受け入れられない面があります。
 [以下略]
 私は市図書室に『鏡映反転』を借りる予約をしました。第 6 章に「他説を反証する」として、「鏡像と重なる」という説明、物理的回転説、左右軸劣後説の 3 説についての批判が述べられているそうです。(つづく)

2018年8月2日木曜日

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 10 to July 18, 2018 -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の植木鉢に花咲いたパイナップルリリー。2018 年 7 月 3 日撮影。
Pineapple lilies blossoming in the flowerpot of my house; taken on July 3, 2018.

2018 年 2 月 10 日〜7 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2018 年 8 月 1 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. 孔子の政治観と現日本の政治(20018 年 2 月 10 日)
 昨 2 月 9 日に放送された「NHK 高校講座・国語総合」の講義は、「論語:政治を考える」というテーマだった(講師:東京都立戸山高等学校教諭・渡辺恭子)。『論語』中の「子貢問政。子曰『足食、足兵、民信之矣。』...」という章を学び、「孔子が重視した為政者の心構え」について考えるものである。
と述べ、「学習メモ」にある『論語』のこの章の現代語訳を少し書き直して、その内容を簡潔に分りやすく紹介しています。そして最後に、
いま、日本の政権は、防衛費の極端な増大を行い、平和憲法を変えようとし、疑惑にはまともに答えようともしない。まさに、孔子の考えの逆を行っているといわなければならない。
と時宜を得た警告を発しています。筆者の見識と文章力はさすがだと感心しました。

2. サクラのわが標本木、開花 1 日後(3 月 21 日)

 個人的に標準木を決めて、毎年近所のサクラの開花を観察し、春の訪れを感じられるとは、優雅なことと思っています。昨年の貴ブログによると昨年のサクラ開花は 3 月 30 日頃で、今年は 3 月 20 日と、かなり早かったようです。いまの猛暑と考え合わせると、地球の温暖化が確実に進んでいるといえそうです。

3. 政池氏へ:著書恵贈に対する礼状(4 月 5 日)

 政池さんから著書を貰ったことに対する下記のような礼状を紹介し、脚注 1 に荒勝文策博士の業績を中心とするその著書の要点をまとめ、また、脚注 2 に筆者の提供した資料に言及しています。
政池明様
 本日、ご著書『荒勝文策と原子核物理学の黎明』[注 1]が届きました。ご恵贈に感謝いたしますとともに、膨大な資料を読みこなして整然とした 400 ページを超える立派な正史にまとめ上げられたご力量に敬服いたします。ご序文中に不肖私にまで謝辞を述べて頂き[注 2]、恐縮しています。まだ部分的にしか拝読していませんが、どこを開いても興味深い内容が読みやすい文で綴られていると思いました。[…略…]本書が広く普及・活用されることを願っています。[…略…]なんらかの機会を利用して、またお目にかかることができれば幸いです。
 以上、とりあえず、余談を含めて、お礼をしたためました。
 T・T
[以下、脚注を省略]
(つづく)

2018年7月18日水曜日

金沢、2018 年夏 -3- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -3-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


金沢のホテル 13 階テラスで撮った写真。金沢駅へ出入りする列車の線路や駅西口近くに広がる市街が見える。1 枚目の写真中、左端の 2 本のレール(3 枚目では右端に見える)は、2015 年 3 月 14 日に開業した北陸新幹線のもの。
Photos taken on the 13th floor terrace of the hotel in Kanazawa. Railways to and from the Kanazawa station and part of the city near the west entrance of the station are seen.

 私たちが宿泊したのは、JR 金沢駅東口の左手、JR 線路の近くに新しくできたホテルである。長女が上京時に東京で利用しているビジネスホテルと同系列のもので、その会員である彼女が予約してくれた。いまはオープン記念の割引価格も利用できる。金沢駅のシンボル「鼓門」を設計した建築家・白江龍三氏がデザインを監修したそうだ。間口の狭い 13 階建てで、フロントが最上階にあるのが珍しい。フロント脇にレストランがあり、そこでの朝食は「北陸づくし 釜めし御膳」だった。レストラン脇にテラスがあり、上掲の写真のような眺望が得られる。

 妻と私が泊まった 8 階の部屋の窓からは、2 枚目の写真に近い光景が見え、旅の際にいつも使っている F0 サイズのスケッチブックに写生を試みた。しかし、今回の旅に備えて購入したステッドラー・ウォーターブラシ(中筆タイプ)という、スポイト式に水を吸い込んで軸に溜めておく絵筆が使い慣れていないことや、同時に購入したウィンザー&ニュートンの 12 色固形水彩絵の具に黒色が入っていないことに着彩を進めて初めて気づいたことのため、思うような仕上がりにならず、ここでその成果を紹介できないのは残念である。(完)

2018年7月17日火曜日

金沢、2018 年夏 -2- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


金沢の「辻家庭園」での写真。
1 枚目:大滝。
2 枚目:高低差のある散策路と池泉。
3 枚目:灯篭。
4 枚目:錦松と遠景。
5 枚目:姿を整えた木々の背後にそびえる巨木たち。
Photos taken at Tsujike-teien (Tsuji Family Garden) in Kanazawa:
1st; Large waterfall.
2nd; Walk road with steps and pond.
3rd; Stone lantern.
4th; "Nishiki" pine tree and background scenery.
5th; Huge trees rising behind the trees of fixed figures.

 「辻家庭園」の英国風自然庭園は、本館の離れの手前へ戻った場所から出て、散策することができる。散策中に撮った写真を上に掲載する。

 庭園は台地上から犀川べりまでの斜面に作られており、その高低差を利用して大滝、小滝、渓流、池泉が構成されている。大滝(1 枚目の写真)は、富士山の溶岩(黒朴石)が大量に使用され、また、当時最先端の土木工事だった鉄筋コンクリート工法も使われているという。

 写真 3 枚目の灯篭は、戸室石で作られていて、作庭当時に装飾の一つとして購入されたが、左上の十字架の意匠が隠れキリシタンを表しており、加賀藩のキリスト文化を伝える貴重なものとなっていることが興味深い。(つづく)

2018年7月16日月曜日

金沢、2018 年夏 -1- (Visit to Kanazawa in the Summer of 2018 -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


金沢の「辻家庭園」での写真。
1 枚目:本館内の群青の間。四周の壁が絢爛豪華なコバルトブルー(群青)仕上げ。群青色は、現在再現の困難な青金石(ラズライト)を主成分とする石(ラピスラズリ)を色素としたもの。
2 枚目:本館内のゲストルームの一つ。
3 枚目:本館内の離れから見た庭園の一部。
4 枚目:同上の場所から見た別館への通路(左端から前方へ延びて右へ折れる屋根の部分。スカイブリッジと呼ばれる箇所とその前後のエスカレーターを含む)と、その向こうに広がる風景。犀川を隔てて、金沢の市街と遠方の山々も見える。
Photos taken at Tsujike-teien (Tsuji Family Garden) in Kanazawa:
1st; Gunjō-no-ma (ultramarine room) in the main building.
2nd; One of guest rooms in the main building.
3rd; Part of the garden seen from a detached room in the main building.
4th; The passage to an annex and the scenery beyond of the Sai-gawa River, the city area, and mountains.

 わが家の例年の行事である金沢での墓参に、今年はさる 7 月 13、14 日に出かけた。昨年と同じく、長女夫妻が同行してくれた。いつもは、初日に野田山墓地と、寺町と野町の寺での墓参を済ませるのだが、今回は、二つの寺を訪れるのを二日目に回して、野田山墓地での参拝の後、寺町 1 丁目にある辻家庭園(前田家家老横山家迎賓館)の鑑賞に赴いた。同庭園は、平日は正午から、土・日曜日と祝日は午前 10 時から見学できると書いたウェブページがあり、二日目は土曜日だったので、その午前に鑑賞することも考え、金沢へ到着後電話で確認した。すると、 14 日(土)は付属の結婚式場使用のため見学はお断りとのことだったので、このような計画になった。しかし、私たちの行動の順路からしても、この日程は良好だった。

 辻家庭園(結婚式場としての役割を中心にしたホームページはこちら)は、昨年の墓参時に見学した玉泉園(西田家庭園)と同じく、その所有者が私と高校同期の才媛 S・T さんの親戚に当たり、ここが公開されていることは、昨年彼女から教えて貰った。見学者用のリーフレットによると、2004 年に庭園が金沢市指定文化財に、また同年に母屋、表門と塀が国指定登録有形文化財に指定されており、公開は 2013 年 12 月に開始されている。庭園の設計は、京都南禅寺界隈に多くの別荘などの庭園を手掛けた七代目・小川治兵衛による。「北陸の鉱山王」として知られた横山家が大正中期に尾小屋鉱山の経営の行き詰まりから庭園を分売したため、現在はその中心部しか残されていないとのことである。見学中に撮影した写真の一部を上に掲載した。残りは次回の記事で紹介する。(つづく)

2018年7月7日土曜日

G・オーウェルの「絞首刑」など (George Orwell's A Hanging and Other Things)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭のハマユウ。2018 年 7 月 3 日撮影。
Spider lily in my yard; taken on July 3, 2018.

G・オーウェルの「絞首刑」など

 オウムの死刑囚 7 名が処刑されたというニュースが流れた昨日、十数年前に買って先日来読んでいる梅田卓夫他編『高校生のための小説案内』(筑摩書房、1988)で偶然読む順番になった一つの作品は、G・オーウェルの「絞首刑」(岩波文庫『オーウェル評論集』中の「絞首刑」全文が引用されている)だった。処刑される囚人を絞首台へ連れて行くのに立ち会った「わたし」は、その囚人が「途中の水たまりを軽く脇へよけた」のを見た。そのことによって、「わたし」は「まだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついた」とある。

 今回の 7 名の処刑について、EU 加盟 28 カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスが、「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」という共同声明を発表したそうだ。人が人を殺すことの肯定は、戦争の肯定につながる。わが国も死刑制度の廃止を真剣に検討すべきである。

 そして、『図書』誌 7 月号で読み残してあった中の一編、文芸ジャーナリスト・佐久間文子の「ディストピア小説の現在」を読むと、G・オーウェルの名をまた目にした。ディストピアとは、ユートピア(理想郷)の正反対の社会のことで、 ディストピア小説は空想的な未来の形をとって、政治的・社会的な課題を描くものである。オーウェルの『1984』はそのジャンルの代表的な作品で、アメリカではトランプ大統領の就任以後、アメリカの現状もディストピアそのものではないかという思いのため、この作品がアマゾンのベストセラー・リストのトップに躍り出たそうだ。

 佐久間は開高健の「あまりにもそこにある——ディストピア文学管見」という 1976 年の評論(『岩波講座 文学 5』所収)を高く評価している。しかし、佐久間は彼の「ウェルズに始まるディストピア小説の系譜はオーウェルまでの約一世紀で終わるのではないか」との予想には、「権力者が発言したことに即して、公的な文書そのものが書き換えられる、というのはいま国民が目にしている日本の現実そのもの」であることから、「その点は当たっていない」と論じる。

 佐久間は続いて、桐野夏生が『世界』に連載中の新しいディストピア小説、「日没」を紹介している。そこには、「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(ブンリン)」なる組織があり、作家が読者から「提訴」を受けると、ブンリンからの召喚状によって「療養所」と呼ばれる閉鎖施設に収容され、講習を受けなければならなくなるという。言論・出版の自由を侵す、これに近い状況は、わが国ですでに始まりかけていないだろうか。

2018年7月4日水曜日

「花鳥風月」ではなくて「九条」:故・加藤周一氏の言葉 ("Article 9" rather than "Beauties of Nature": Late Shuichi Kato's Words)

[The main text of this post is in Japanese only.]


本『加藤周一最終講義』。
The book "ShuichiKato's Last Lecture".

 (注:本記事は、ブログサイト『平和の浜辺:福泉・鳳地域「憲法9条の会」』に同日付けで掲載したものとほとんど同じである。)

 加藤周一さんは「九条の会」発足当時の 9 名の呼びかけ人の 1 人で、その会で中心的な役割を果たされたが、2008 年に亡くなられた。彼の没後 5 周年に、『加藤周一最終講義』(かもがわ出版、2013 年)という本が記念出版された。筆者が他の何冊かの読了した本と一緒に、その本をそろそろ処分しようかと書棚から取り出したところ、1 カ所にポストイットを添付してあることに気づいた。加藤さんが北京の清華大学で 2005 年 3 月 30 日に行った講義「私の歩み、人生の歩み」の、末尾にある「九条の会」と題する 20 行足らずの 1 章である。

 そこには、加藤さんが「九条の会」にかかわった理由が次のように述べられている。
前の戦争のとき、[...中略...]どうして止められなかったのか。[...]はたして東京は焼け野原になった。もういっぺん焼け野原になるのを黙って待っているのですか。あるいは、できるだけの力をふるって、また戦争できるように日本の経済と制度を変えていこうという動きに対抗しようとするのか。それ[引用者注:対抗しようとする運動]が「九条の会」です。[...]書くだけではなくて、もう一歩踏みだした組織に初めてコミットしました。

 そして、昨今の「いよいよ憲法九条を変えて、軍備を大々的に強めようという考え方が前面に出て来て」いる情勢を憂えた老・加藤さんは、次のように力強く宣言している。
私はいま、少なくとも歩行できる程度の力が残っていれば、程呼応したいと思います。私は時々新聞に書きますから、書く時は「花鳥風月」ではなくて、「九条」に触れる。そこには一種の倫理的な意味があると思います。

 安倍9条改憲への指向が、2005 年当時よりもさらに前のめりになっている現在、私たちにも、いまは「花鳥風月」ではなくて「九条」、の心構えが必要であろう。

2018年6月23日土曜日

「『鏡映反転』に一言」 [Comment on a Review of "Kyōei Hanten (Mirror Reversal)"]

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のカンナ。2018 年 6 月 21 日撮影。
Canna flowers in my yard, taken on June 21, 2018.

「『鏡映反転』に一言」

 先日、表記の題名で『大阪民主新報』紙に投稿文を送ったが、掲載されなかった。同紙の投書欄は、主に政治に対する批判を掲載する場所なので、ボツになるのは無理もないとは思うが、まことに残念である。そこで、投稿文を以下に掲載することにした。「一言」の対象は、書籍『鏡映反転』そのものではなく、上記紙上でそれを紹介した記事だが、紹介書の題名が記事の題名を兼ねる形になっていたので、投稿文の題名がこのようになった。



『鏡映反転』に一言

 6 月 3 日付本紙「今週の一冊」欄に、高野陽太郎著『鏡映反転』が絶賛されていましたが、これには異議があります。私はその本の中で批判されている「左右軸劣後説」の提唱者の 1 人です。高野氏の最初の論文に対する反論として提唱されたこの説に、国際的な専門誌上では軍配が上がり、これに対する高野氏の再反論は却下されたという経過があります。
 「左右軸劣後説」は鏡像の左右逆転を単一の原理で説明する明快なものですが、高野氏の批判は誤解に基づいます。氏がその後、別の専門誌に発表した実験も、被験者が何を基準として左右を判断しているかが曖昧で、受け入れられない面があります。
 鏡像の左右逆転に興味を持たれた方は、左右軸劣後説の立場から書かれた、吉村浩一著『鏡の中の左利き』(2004年、ナカニシヤ出版、税抜き2200円)を併読されることをお勧めします。


 注:投稿文では字数制限のため簡略化あるいは省略した若干の点を、ここでは分かりやすくするために修正した。

2018年6月13日水曜日

気になる外来語カタカナ表記 (Doubtful Katakana Expressions of Foreign Words)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のデイリリー。
Daylily in my yard.

気になる外来語カタカナ表記

 先日、NHK ニュースで中央アメリカ北部にある国の名を「グ・ア・テ・マ・ラ」のように発音し、字幕でも「グアテマラ」と表記していた。私の記憶では、この国は「グァテマラ」である。いつから「グアテマラ」になったのかと思ったが、先日買ったばかりの『広辞苑 第七版』[注 1]の付録を眺めていると、内閣告示第 2 号による「外来語の表記」の項が目に入った(この告示の全文はこちらで読める)。その中に
「グァ」は、外来音グァに対する仮名である。
として、まさに「グァテマラ」が例として挙げられている。そして、
一般的には、「グア」又は「ガ」と書くことができる。
という注がある。「グアテマラ」化は、この内閣告示(1991 年に出されている)の注書きに由来するようだ。結構古いことなのだ。しかし、この注書きやこれに類似の注書きは、外来語を本来の外国語の発音から遠ざけ、日本人の英語発音を外国人に分かりにくくし、わが国の非国際性を増大させるものではないだろうか。「グア」と書いてもその音は「グァ」だと理解すればよいようなものの、先の NHK アナウンサーの例のように、「グ・ア」という型の発音が定着して来ているのである。

 そのほかに私が気になる外来語カタカナ表記としては、ウエブ、グアム、クオーク、ツアー、ネイチャーなど、いくつもある。私と同様に疑問を呈している記事がインターネット上にないだろうかと検索してみたところ、『外来語(カタカナ)表記ガイドライン 第3版』(2015 年)という文書が見つかった。これは、一般財団法人テクニカルコミュニケーター協会のカタカナ表記検討ワーキンググループがまとめたものである。適用範囲は「一般の使用者が直接、見る、聞く商品上に表記される、カタカナで表記される外来語」と限定されているが、参考のため、その表記規定を見ると、下記のように、やはり「グアテマラ」方式を採用している。
 「ウイ/ウィ」「ウエ/ウェ」「ウオ/ウォ」は「ウイ」「ウエ」「ウオ」を充てる。ただし、原語が「‐ware」の場合は「ウェア」を充てる。
 「クア/クァ」「クイ/クィ」「クエ/クェ」「クオ/クォ」は、「クア」「クイ」「クエ」「クオ」を充てる。

 ただし、このガイドラインでは「ウイ/ウィ」等の項に次の例外を設けてあるのがよい。
以下は「ウェ」「ウォ」と表記する。
ゲートウェイ (gateway)
ウェブ (web)
ファイアウォール (firewall)
「ウェブ」については、『広辞苑 第七版』でもこの表記を採用している。

 また、「クア/クァ」等の項に一つだけ例外を記してあり、これには物理学が専門の私は大賛成である。
クォーク(quark、物質の基本粒子)
『広辞苑 第七版』では「クオーク」としていて、はなはだ気に食わない。

 なお、このガイドラインの、長音の表記についての規定の中に、次の記述がある。
英語の語尾の ‐re にあたるものは、原則として長音符号「ー」を付けない。
この例の末尾に「ワイヤ (wire)」があり、これも大賛成である。「ワイヤー」という表記をよく見かけ、また、『広辞苑 第七版』の「ワイヤ」の項にも「(ワイヤーとも)」とあるが、これでは「ヤー」にアクセントがつきがちで、英語発音から大きく離れるため、私の使いたくない表記法である。

 まだまだ書きたいが(原語の発音に近く書くとすれば、アナウンサーの「ナウ」の部分も英語では 1 音節であり、「ナゥ」がよいということにならないか、など)、長くなるので、これくらいにしておく。


 注 1:『広辞苑 第七版』は今月末まで完成記念特別価格だというので、このたび買うことにしたものである。初版(1955年発行)を学生時代にアルバイト代で購入し、その後、第三版(1983年発行)に買い替えたが、まだほとんど傷んでいなくて、どうしようか迷った。しかし、ブログにエッセイを書くときなどに「『広辞苑 第三版』によれば」としたのでは、いかにも参考文献として古すぎるので、決心した次第だ。

2018年5月21日月曜日

東京、2018 年春 (Tokyo; Spring 2018)

[The main text of this post is in Japanese only.]



上:私の定宿・学士会館の正面玄関。下:同会館北側にある「日本野球発祥の地」の記念碑。
Upper, the main entrance hall of my usual lodging, Bachelor Hall (Gakushi-kaikan); lower, the monument of "The birthplace of Japanese baseball" at the north side of the Hall.

 さる 5 月 17 日に東京で開催された金沢菫台高校第5期生の集まりに参加するため、16 日に上京した。その晩、私の定宿・学士会館へ同期会の幹事君が会いに来てくれ、同会館の和食堂「二色」でコース料理を楽しみながら話し合った。アメリカで働いていた彼の娘さん夫婦が、トランプ大統領のアメリカン・ファースト政策の影響で失職し帰国しているそうだ。トランプ政策がそこまで影響しているとは知らなかった。彼の奥さんが初期の認知症状態なのだが、自らはそうと認めないで彼とよく言い争うというのも気になることである。

 翌朝、学士会館においてあった冊子『ふらっと おさんぽ神保町:神保町レトロ建築さんぽ特集号』の地図を参考に、さくら通り付近を少し散策してから、同期会の会場へ向かった。会場は昨年と同じく、銀座 1 丁目「キラリト銀座」6 階にある「銀座の金沢」で、11名(うち女性 4 名)が集まった。遠路参加の私が乾杯の発声をさせられた。昨年末敷居につまずいて倒れ背骨を折って以来今回が初めての外出という女性や、お一人様になって女性向け体操教室に熱心に通っている女性や、医者の指示に抵抗して高血圧の薬を 2 日おきに服用している女性や、年に何回も海外旅行をしている男性や、頸動脈のコレステロール除去手術を勧められながらも海外旅行を目論んでいる男性や、1 年先輩である夫人が友人と南極旅行に行って来たという男性などがいて、なかなか愉快な集まりだった。——こう書くと、新しい参加者が多かったように聞こえるかもしれないが、参加者たちは皆この会の常連で、1 ないし 3 年ぶり程度に聞くそれぞれのニュースが興味深かったのである。参加者が昨年よりも 4 名増加したのは、高齢者の同窓会にしては珍しく喜ばしいことだった。

 旧制四高(現・金沢大学)のボート部員が琵琶湖で遭難水死した事故を歌にしたという、「琵琶湖周航の歌」と「真白き富士の根」の合いの子のような「琵琶湖哀歌」(奥野椰子夫・作詞、菊池博・作曲、東海林太郎と小笠原美都子が歌った;下の動画参照)の歌詞と楽譜を見つけてコピーして来た女性もあり、「頸動脈コレステロール」君はその歌を知っていて歌ってくれた。



一部分「琵琶湖周航の歌」にそっくりな節があると思ったが、『ウィキペディア』の同歌の説明にも、「メロディの半分ほどは琵琶湖周航の歌の借用である」と記されている。

 「海外旅行しばしば」君は、宝塚歌劇を東京でよく見るそうで、同歌劇の終演後に劇場に流される歌「さよなら皆様」(内海重典・作詞、河崎一朗・作曲;下の動画参照)を歌った。これは一同で校歌斉唱をする直前のことで、彼は校歌をあまり覚えていなかったため、校歌斉唱には無言でいる代わりとして歌ったもののようだった。



 校歌の歌詞は、最近送られて来た同窓会誌『金商菫台プレス』に載っていたので、そのインターネット版のコピーを私から幹事君に送っておき、当日、ハードコピーを参加者分だけ用意して貰った。私は校歌のメロディーをよく覚えている方だろうと自負していたが、他のほとんどの参加者たちもしっかりと歌っていた。

 以上のように、12 時から 15 時 20 分頃まで、郷土料理を食しながらたっぷり楽しみ、幹事ほか一同も記念写真の撮影を忘れてしまったまま解散した。

 その夕方、例年の私の上京時通り、先のブログ記事で紹介した『荒勝文策と原子核物理学の黎明』の著者・政池氏と M・Y 君に学士会館へ来て貰い、夕食も共にして、4 時間近く歓談した。政池氏から上記著書の執筆に関する裏話をいろいろ聞くことが出来た。私は最近自分のデジタル論文集作成に時間をかけていて、彼の著書をまだ十分には読んでなかった[注 1]。それで、詳しい感想を述べるべきせっかくの機会にそれが出来なかったのは悪かったと、いささか気がとがめ、帰宅翌日に彼へお詫びのメールを送った。

 東京の地下鉄で半蔵門線を利用すると、乗り換えに階段も含めてずいぶん長距離を歩くことになる。目下工事中の箇所も多く、今後はもっと便利になるのだろうが、よい運動になった。——と思っていたのだが、帰宅すると体重がかなり増えていた。ご馳走を食べながら座っていた時間が、歩いた時間よりもはるかに多かったからだろうか。

 追記:後日、男性参加者中の一人が、彼の友人・飯田忠義氏による「琵琶湖周航の歌」についての新しい研究書、『琵琶湖周航の歌:小口太郎と吉田千秋の青春』(2007 年、京都新聞出版センター;「琵琶湖哀歌」への言及とその楽譜・歌詞の引用がある)について手紙で知らせてくれた。ウェブサイト『三文楽士の音楽室』にも「琵琶湖周航の歌」について考察したページがあり、その第 8 章「『琵琶湖周航の歌』研究史」末尾にも同書が紹介されている。(2018 年 6 月 12 日)


 注 1:『荒勝文策と...』をまだ十分に読んでいなかった理由としてはもう一つ、読書の時間があれば英書を読むことの方を好むという私の性癖もある。今回の旅に携行する小さな本として、未読の文庫版や新書版の和書があるにも関わらず、それらを選ばないで、Bernard Malamud の "The Magic Barrel" という短編集のペーパーバックを選んだ。2005 年 4〜7 月に NHK ラジオ第 2 放送『原書で読む世界の名作』のテキストとなっていた本である。本題からずれるが、ついでに記せば、定年退職後だったにもかかわらず、この短編集についての放送を十分に聞いた覚えはない。『原書で読む...』は、むしろ私の定年退職前の愛聴番組だったが、2007 年頃に終わってしまったのは残念でもある。終わり頃にあまり聞かなかったのは、著名な作家の作品が出尽くして、あまり知られていない(少なくとも私にとって)作家の作品を取り上げることが多くなったためのようだ。

2018年4月5日木曜日

政池氏へ:著書恵贈に対する礼状 (To Masaike: Message of Thanks to His Book)

[The main text of this post is in Japanese only.]


『荒勝文策と原子核物理学の黎明』のダストカバー。
Jacket of the book Bunsaku Arakatsu and the Dawn of Nuclear Physics.

2018 年 4 月 4 日

政池明様

 本日、ご著書『荒勝文策と原子核物理学の黎明』[注 1]が届きました。ご恵贈に感謝いたしますとともに、膨大な資料を読みこなして整然とした 400 ページを超える立派な正史にまとめ上げられたご力量に敬服いたします。なお、ご序文中に不肖私にまで謝辞を述べて頂き[注 2]、恐縮しています。まだ部分的にしか拝読していませんが、どこを開いても興味深い内容が読みやすい文で綴られていると思いました。「補論」中の木村磐根先生の文[注 3]は、大放研[注 4]についても触れられていて、私には格別興味深いものです。本書が広く普及・活用されることを願っています。

 例年、4 月初めに高校同期関東在住者会が東京で開催されていましたので、今年もその機会に貴君および M・Y 君にお目にかかりたいと思っていましたが、今年はその会の連絡がありませんでした。幹事の夫人の体調がよくないと以前から聞いていましたので、その関係で開催が困難になったのかと思っています。なんらかの機会を利用して、またお目にかかることができれば幸いです。

 ご序文中には N・T さんにも謝辞が述べられていますが、彼女のメールアドレスをご存知でしたら教えてください。物理学会講演会では同じ放射線物理分科会で発表していた間柄でしたが(ある時には、講演会を二人で抜け出して、彼女が希望する上野公園動物園のパンダを一緒に見に行きました)、定年退職後は形式的な年賀状を交換するだけになっているのが残念です。かといって、手紙や葉書をお送りするのは面倒かつ大げさなので、メールをお送りできれば、と思っていたところです。

 以上、とりあえず、余談を含めて、お礼をしたためました。

 T・T


 [ブログへの掲載時の注]
  1. 京都大学学術出版会、2018 年 4 月発行。アマゾンの同書情報ページはこちら。荒勝文策は台北帝大時代に人工原子核変換の実験にアジアで初めて成功し、太平洋戦争中は海軍から原爆の研究を要請された。広島、長崎への原爆投下直後には、荒勝研究室からその調査隊を派遣し、「原爆」だったことを明らかにしたが、広島での第3次調査の際、台風による山津波で犠牲者を出している。戦後、荒勝は占領軍から日本の原爆研究について取り調べを受けたり、純粋研究のために建設中だったサイクロトロンを原爆研究に関するものと間違えられて破壊されるなどの仕打ちを受けた。後者の扱いについては間もなく米国の陸軍長官が謝罪している。本書は、これらの史実を膨大な資料から丁寧に整理して詳述し、科学と社会の結びつきについて注意を喚起している。
  2. 政池氏からの返信によれば、荒勝研究室による第 3 次広島原爆調査時の、大野浦における山津波に関する西川喜良の回想記が、私が彼に上げた冊子からの引用だということである。その冊子とは、『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難—「記念碑建立・慰霊の集い」の歩み』(紫蘭会広島支部・京都大学発行、1993)で、私は政池氏にこそ役立つ冊子だと思い、 彼がまだ『荒勝文策と...』の執筆に取り掛かっていなかった頃に、彼に手渡したのだった。
  3. 「木村毅一に関する証言と回想」。故・木村毅一博士は荒勝文策の弟子で、京大の原子核実験講座を彼から引き継いだ。政池氏や私の恩師である。木村磐根氏はその令息。
  4. 大阪府立放射線中央研究所。木村毅一が設立に尽力し、初代所長を務めた。筆者の最初の勤務先である。
 (2018 年 4 月 7 日、注 1 を拡張。)

2018年3月21日水曜日

サクラのわが標本木、開花 1 日 後 (My Sample Tree of Cherry, One Day after the Beginning of Blooming)

[The main text of this post is in Japanese only.]


堺市・日部神社のサクラの古木、開花 1 日後の様子。
Old cherry tree of Kusabe Shrine, Sakai, one day after the beginning of blooming.

 昨 3 月 20 日午前に外出した帰途、小雨の中を回り道して、近くの日部神社(堺市西区草部)にあるサクラのわが標本木を見に行った。5輪あまり咲いていて、開花といえる状態だった。夕方のテレビニュースで、和歌山市と大阪市で開花の発表があったと聞いた。和歌山市で昨年より 10 日、平年より 6 日早く、大阪市で昨年より 10 日、平年より 8 日、いずれも早いそうだ。和歌山市と大阪市で開花したとあれば、堺市でも開花して当然だが、わが標本木以外に、近くの公園にあるサクラの木はまだ開花状態ではない。

 わが標本木の開花日に、今回のように天気が悪くて写真を撮らなかったことは、近年になかった。今日も朝から雨だったが、午後に晴れ間が出来たので、撮りに出かけた。その写真が上掲のものである。

2018年2月10日土曜日

孔子の政治観と現日本の政治 (Confucian Principle of Politics and Politics of Present Japan)

[The main text of this post is in Japanese only.]


さる 2 月 6 日午前、堺市でも雪がちらついた。
In the morning of February 6, 2018, it snowed a little in Sakai City.

孔子の政治観と現日本の政治

 昨 2 月 9 日に放送された「NHK 高校講座・国語総合」の講義は、「論語:政治を考える」というテーマだった(講師:東京都立戸山高等学校教諭・渡辺恭子)。『論語』中の「子貢問政。子曰『足食、足兵、民信之矣。』...」という章を学び、「孔子が重視した為政者の心構え」について考えるものである。この講座はインターネットで聞くことも出来(こちら)、「学習メモ」という教材を見ることも出来る。「学習メモ」にある『論語』のこの章の現代語訳を少し書き直して、その内容を紹介すれば、次の通りである。
 子貢が孔子に政治について尋ねると、孔子は「食糧を充分に満たし、軍備を十分に満たし、人民には信頼の心を持たせることだ」と答えた。子貢が「どれかをやむなく取り去る場合には、この三つの中で、どれを先にしますか」と尋ねると、孔子は「軍備を取り去れ」と答えた。子貢が「残り二つの中から、やむなくもう一つ取り去る場合には、どちらを先にしますか」と尋ねると、孔子は「食糧を取り去れ。昔から人は皆死ぬ定めにある。民は信義がなければ、国の存亡を問題にする前に、すでに人間として生きていけないからだ」と答えた。
 いま、日本の政権は、防衛費の極端な増大を行い、平和憲法を変えようとし、疑惑にはまともに答えようともしない。まさに、孔子の考えの逆を行っているといわなければならない。

2018年1月26日金曜日

2017 年 9 月 27 日〜 2018 年 1 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from September 27, 2017, to January 5, 2018 -2-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家のロウバイの花。2018 年 1 月 15 日撮影。
Blossoms of wintersweet in my home; taken on January 15, 2018.

2017 年 9 月 27 日〜 2018 年 1 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 2

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2018 年 1 月 22 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



3. 京丹後へのバス旅行 -1-~-5-
 12 月 2 日(土)、妻と早朝に家を出て、「京丹後『和久傳の森』と ちりめん街道」と称する、日帰りバス旅行に参加した。帰途のバスは交通渋滞に会って、予定よりも 30 分ほど遅れて大阪に到着したが、充実した旅だった。
と書き出し、5 回にわたって旅行での見聞を詳しく書いてあります。「和久傳の森」から「ちりめん街道」までは少し距離があるようですが、一日でその両方を訪れる日帰りバス旅行は、大変効率的でよい旅行だと思います。

 私は京都の町を散策していて、御池通りから河原町通りへ出る時、堺町通りに入ってすぐ左側に、「室町和久傳」という大きな料亭を見て、「和久傳」を知りました。この料亭の所有者が、植物生態学者・宮脇昭氏の指導で、2007 年から手がけ 56 種類の木々 3 万本が育つ和久傳の森を造り、安藤忠雄氏が自然の光や風を取り込んで、独特かつシンプルな設計の「森の中の家 安野光雅館」を建てていることを知り、経営者として世の中によい物を残そうという心意気に感心しました。また、安野光雅館を写真で見て、その簡素の美に感銘を受けました。

 ちりめん街道についても、掲載された写真やリンクされた情報を併せて見ていくと、江戸から明治・大正・昭和初期にかけて、高級織物「丹後ちりめん」が隆盛を極めた場所であり、ちりめん産業によって町を近代化した建物の多くが現在も住宅として利用されながら残っており、2005 年に重要伝統建造物群保存地区に指定された貴重な遺産であることがよく分かります。


T・T のデジタル論文集第 1 巻表紙。
The cover of T. T.'s Collected Works (Digital) Volume 1.

4. K・F 氏へ:私の論文集第 1 巻
K・F 様
 先日の電話では、先のメールに書き忘れた ResearchGate (RG) の最近の問題についてお話ししたいと思い、ややこしいことを述べて、失礼しました。文にまとめると以下のようなことです。
 先般、私がこれまで RG サイトに置いてきた post-print のうち、Elsevier に著作権のあるものが全て非公開の private file に変更されていました。不思議に思っていたところ、間もなく Nature 誌のオンラインニュースで、Elsevier が RG 社を著作権侵害で訴える準備をしているということを知りました。私が置いている post-print は、公開しても大丈夫なはずなので、private file から公開の形に自分でいったん戻しましたが、考えてみると、コメントなどを付けている点で、post-print の掲載規定には反しています。そこで、それらをまた private file に戻しました。しかし、private file のままにしておくことや、コメントを消去してしまうことは惜しいので、この際、コメントを付けた体裁での掲載が可能な、自分のデジタル論文集にまとめようと思い立ちました。
 以上のような次第で、まず、修士課程時代の論文 5 編を第 1 巻としてまとめましたので、添付します。論文 1、2、4 に付けたやや長めの「歴史的」コメントは、貴殿にもご興味があろうかと思います。ご笑覧いただければ幸いです。
 T・T
 引用に当たって一部省略しましたが、以上のように述べられています。これについて、筆者から私にも論文集第1巻のファイルを添付して、以下のようなメールが届きました。
[…]「歴史的」コメントは、貴君にもご興味があろうかと思います。K・F 氏からは「コメントは論文本体のように無機質ではなく、研究されたその場の情景、雰囲気、人間関係など想像出来、ご自分の論文集には貴重なものだと思います。私は興味をもって読ませていただきました」という感想を貰いました。[…]目下第4巻の編集中です。論文集として集めるに当たっては、タイトル、氏名、所属機関、受理年月日、アブストラクトなど、各論文の冒頭の部分は体裁を揃えた方がよいだろうと思い、そのための編集変更をするほか、デジタル化した post-print に誤りを見つけて修正したり、新しくデジタル化の必要な論文があったり、編集時のコメントを追加したりで、結構時間のかかる仕事ですが、楽しんでやっています。
 私もこの論文集に眼を通しましたが、K・F 氏の感想は簡潔に全てのことを言い表わしているようで、全く同感です。多数の論文を楽しみながら年月をかけてデジタル化された、コンピュータ・ソフト活用技術と熱意に敬意を表します。

 [T・T の注記]Y 君からのメールには、論文集についてもう少し詳しい、次のような感想がありましたので、感謝して紹介します。「貴君の労作『論文集第一巻』は、論文そのものの素晴らしさは言うに及ばず、共同実験テーマにおける貴君の修論と、武藤二郎先生、岡野事行先輩の博士論文のすみわけの話、加速器と測定器の配置図、実験試料の造り方の詳しい記述などいろいろあり、興味深く読ませていただきました。この論文集が、必要とされる学生や若き研究者の眼に止まることを祈ります。」
(完)

2018年1月25日木曜日

2017 年 9 月 27 日〜 2018 年 1 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from September 27, 2017, to January 5, 2018 -1-)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に咲いたネリネ。今年、茎が 1 本増えて、2 本になった。
2018 年 1 月 3 日撮影。
Flowers of spider lily in our garden. This year, the second stem newly appeared.
Photograph taken on January 3, 2018.

2017 年 9 月 27 日〜 2018 年 1 月 5 日分記事への M・Y 君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2018 年 1 月 22 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. 母校の旧校舎が国重要文化財に
 郷里に住む中学同期生の K・T さんからの賀状に、「我らが紫中(旧二中)の三尖塔がなんとかかんとかの遺産に指定されました」という添え書きがあった。インターネット検索をしてみた結果、私たちが学んだ時代にはまだ現役の校舎の一部として使われていた「三尖塔校舎」が、「旧石川県第二中学校本館」として昨 2017 年 11 月 28 日に国重要文化財の指定を受けたのだということが、同校舎を現在利用している「金沢くらしの博物館」のウェブページ「三尖塔校舎」で分かった。
として、これにまつわる話が述べられています。リンクされているウェブページ中に金沢市立紫錦台中学校の変革などが書かれており、同校は由緒ある優れた学校で、下記のような戦後の学制改革の混乱時から新制中学校として勉学の場を提供する役割を果たしたことが分かり、感銘をうけました。

 戦後 1946 年に新学制(6・3・3・4制《小学・中学・高等学校・大学》)が施行されました(アメリカ教育使節団の報告に基づく改革)。一時私の住んでいた県では新制中学校として新しい学校が建設され、高校は旧制中学校と女学校が校舎として利用され、いずれも男女共学でした。私どもは新学制の 2 回生でしたので、中学創設後 2 年目に入学しました。新制中学校が創設されたものの、校舎はまだなく、間借りした小学校と廃止になった青年学校の校舎をとりあえず使用することで、新制中学校はスタートしました。新しい校舎が出来、講堂を含めた中学校学舎が完成したのは、卒業の直前で、辛うじて卒業式に間に合いました。

 この過渡期に生徒は A 小学校、B 小学校(A、B は中学校の通学区域の小学校)青年学校に学年毎に分散して通学していました。先生は自転車などで、時間割に応じて三つの学校を行ったり来たりして授業を担当していました。今からは考えられないのんびりしたものでした。家が農業の人も多かったので、春・秋の農繁期(田植え、稲刈り)には農繁休暇が 4~5 日ありました。農家でない生徒にはありがたい休暇でした。石川県では新学制移行期に立派な学舎があったことを初めて知りました。

 [T・T の注:私たちの学区の新制中学は、幸運にも旧制中学の校舎を転用することになりましたが、新しく校舎を建設する必要のあった学区も多く、そういうところでは一時的に他の新制中学へ分散して学んだり、仮校舎時代があったりして、石川県全体としては、Y 君の住まわれた県と事情は大差なかったと思います。]

2. 2018 年始めのごあいさつ

 奥様の年賀状の挿絵として、奥様が登った思い出の山の一つである燕岳を、筆者が『週刊 続 日本百名山』Vol. 2(朝日新聞社、2002)の表紙写真(撮影・白旗史朗)を参考に描いたという絵は、2017 年 9 月 11 日掲載の水彩画『鳳凰山・地蔵岳』の絵[『週刊 日本百名山』No. 05(朝日新聞社、2001)の表紙写真による]と比べると、前者は白、黒、空色の3色で日本画的な絵画であり、後者は色彩豊かな洋画風です。筆者の長年にわたる趣味の絵画がこのような域に達していることをこの二つの絵が如実に語っているようです。

 [T・T の注:前者の絵は、参考にした写真が冬景色だったことと、短時間で簡略化して描いたことのため、たまたま日本画風の雰囲気になりました。白、黒、空色の他に、薄茶色や紫色なども少し使っています。]
(つづく)

2018年1月22日月曜日

有馬温泉へ (Went to Arima-Onsen Hot Spring)

[The main text of this post is in Japanese only.]


「かんぽの宿有馬」の客室からの眺め。上の 2 枚が水彩絵具による今回のスケッチで、
3 枚目は色鉛筆による約 1 年前のもの。
Sketches at Kampo-no-yado Arima Hotel. The top two pieces are watercolor works of this time,
and the third piece was made with colored pencils about one year ago.

 2018 年 1 月 17 日から「かんぽの宿」を利用して、妻と有馬温泉へ一泊の旅をした。昨年も 1 月に「かんぽの宿有馬」に宿泊したが、その折には宿の温泉施設が工事中で、宿からバスで外湯へ連れて行かれた(その不便さの分だけ、宿泊費が割安だった)。今回は、会員向けの「ゆったりのんびりプラン」(昼食付き)というのがあったので、それを利用した。このプランでは、二日目の午前いっぱい部屋でゆっくりできるので、いつもの旅行に携行するスケッチ用具中の色鉛筆に替えて、水彩画用の道具を持参した。

 上掲のイメージのうち、上の 2 枚が今回のスケッチで、3 枚目は昨年のもの。いずれも部屋の窓からの風景を描いている。今回は 3 階の和室、前回は、階は記憶していないが、洋室だった。宿が斜面に建っているため、 3 階の和室の床と同じくらいの高さのところに、宿の側面にある庭園の地面があった。

 1 枚目と 3 枚目の左寄りに描かれている建物は、どちらも「かんぽの宿」の隣に立つ同じホテルの一部で、1 枚目では前を通る道路から見て奥の部分、3 枚目では前方の部分が見えている。水彩絵具によるスケッチでは、筆を洗ったり、別の紙に試し塗りをしたりする必要があるため、時間がかかりそうに思われたが、色鉛筆の場合よりも広い面積を一気に着彩出来るので、むしろ早く仕上がるようだった。

 2 枚目に描いた苔のむす古木は、何の木か分からないが、その立派な姿に見とれて描いた。見とれるあまり太く描き過ぎてはいけないと思い、手加減をした。その結果、帰宅後に写真と比較すると、太さが不十分だったと気づいた。

2018年1月5日金曜日

母校の旧校舎が国重要文化財に (Old Building of My Alma Mater Became a National Important Cultural Property)

[The main text of this post is in Japanese only.]


旧石川県第二中学校本館の一部(1950年頃の撮影)。
Part of the main building of former Ishikawa Prefecture Second Middle School (taken around 1950).

 郷里に住む中学同期生の K・T さんからの賀状に、「我らが紫中(旧二中)の三尖塔がなんとかかんとかの遺産に指定されました」という添え書きがあった。どういう名称の遺産だろうかと、インターネット検索をしてみた。その結果、私たちが学んだ時代にはまだ現役の校舎の一部として使われていた「三尖塔校舎」が、「旧石川県第二中学校本館」として昨 2017 年 11 月 28 日に国重要文化財の指定を受けたのだということが、同校舎を現在利用している「金沢くらしの博物館」のウェブページ「三尖塔校舎」で分かった。

 同校舎は、明治 32 年(1899)に石川県第二中学校の校舎として建てられ、入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓、胴蛇腹、ランプ吊りなど、明治時代の西洋風木造学校建築を今に残した貴重な建物だということである。同ページの略年表によれば、石川県第二中学校は明治 40 年(1907)3 月に石川県立金沢第二中学校と改称されたのである。私が母校の前身として知っていた名称は、この改称後のもの(略称「金沢二中」)である。そのページには、「三尖塔校舎」という呼び名は、左右両翼の尖塔に加え、正面玄関の上にある屋根も尖塔と見立てて、金沢二中時代から広く使われてきたものである旨の記述もある。尖塔は二つしか見当たらないのに、どうして「三尖塔校舎」かと、中学生時代から不思議に思っていた謎が、ようやく解けた。

 私は 2011 年に金沢を訪れた際、同校舎の一部の写真を撮っている(こちらに掲載)。その写真には、正面玄関上部の三角屋根と左翼上部の尖塔が写っている。卒業時の記念に学校で購入した校舎の写真はどうなっていただろうかと、古いアルバムを引っ張り出してコピーしたのが上掲の写真である。こちらには逆に、半ば木の陰になった右翼上部の尖塔と正面玄関上部の三角屋根とが写っている。「三尖塔」を揃えて写すことは、大きく成長した植木もあって、正面付近からでは困難なようだ。私たちの時代から現在に至る母校の正式名称は「金沢市立紫錦台中学校」で、そのウェブページの一つ、「紫錦写真館」上の航空写真の何枚かには「三尖塔」をまとめて見ることのできるものがある。

 この「国重要文化財指定」の件を、神戸に住む元同級生 T・K 君に携帯電話へのメールで知らせたところ、「中学の新聞のトップの挿し絵になっていた建物ですね。すごいですね」という返信が来た。そういえば、T・K 君も私も中学の新聞部に所属して、学校新聞『紫錦』の初期の号の編集にあたっていたのでる。題字とつり合いよく縦長の枠内に描かれていた、避雷針を伴った尖塔の一つの巧みな絵(図画の先生が描かれたのだろうか)は、いまでもおぼろげながら頭に残っている。

 なお、上掲の写真の当時には、中学の前の通りを市電が走っていたので、そのレールも写っているが、その後市電がなくなったのは残念である。

2018年1月1日月曜日

2018 年始めのごあいさつ (Greetings for the New Year of 2018)

[The main text of this post is in Japanese only.]


妻の年賀状の挿絵として、彼女が登った思い出の山の一つである燕岳を、私が『週刊 続 日本百名山』Vol. 2(朝日新聞社、2002)の表紙写真(撮影・白旗史朗)を参考に描いたもの。
A picture I made for my wife's New Year card, showing Mt. Tsubakuro-dake,
one of the mountains she climbed.

新年おめでとうございます

を解きおのれを解くや大枯野
         ——萩原季葉『雁の頃』

 同じ句集に「元旦の袴の腰に万歩計」
 大岡信『折々のうた』の解説から推定すると
定年退官後に句集を出し始めた萩原氏が 4 冊目の
上記句集を出したのは 91 歳の時
 氏の元気さにあやかるとともに
わが国を戦争する国に逆戻りさせないよう
声を上げ続けたいものです

 皆様のご健康とご幸福をお祈りします