2018年1月5日金曜日

母校の旧校舎が国重要文化財に (Old Building of My Alma Mater Became a National Important Cultural Property)

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旧石川県第二中学校本館の一部(1950年頃の撮影)。
Part of the main building of former Ishikawa Prefecture Second Middle School (taken around 1950).

 郷里に住む中学同期生の K・T さんからの賀状に、「我らが紫中(旧二中)の三尖塔がなんとかかんとかの遺産に指定されました」という添え書きがあった。どういう名称の遺産だろうかと、インターネット検索をしてみた。その結果、私たちが学んだ時代にはまだ現役の校舎の一部として使われていた「三尖塔校舎」が、「旧石川県第二中学校本館」として昨 2017 年 11 月 28 日に国重要文化財の指定を受けたのだということが、同校舎を現在利用している「金沢くらしの博物館」のウェブページ「三尖塔校舎」で分かった。

 同校舎は、明治 32 年(1899)に石川県第二中学校の校舎として建てられ、入り組んだ屋根、玄関の車寄せ、上げ下げ窓、胴蛇腹、ランプ吊りなど、明治時代の西洋風木造学校建築を今に残した貴重な建物だということである。同ページの略年表によれば、石川県第二中学校は明治 40 年(1907)3 月に石川県立金沢第二中学校と改称されたのである。私が母校の前身として知っていた名称は、この改称後のもの(略称「金沢二中」)である。そのページには、「三尖塔校舎」という呼び名は、左右両翼の尖塔に加え、正面玄関の上にある屋根も尖塔と見立てて、金沢二中時代から広く使われてきたものである旨の記述もある。尖塔は二つしか見当たらないのに、どうして「三尖塔校舎」かと、中学生時代から不思議に思っていた謎が、ようやく解けた。

 私は 2011 年に金沢を訪れた際、同校舎の一部の写真を撮っている(こちらに掲載)。その写真には、正面玄関上部の三角屋根と左翼上部の尖塔が写っている。卒業時の記念に学校で購入した校舎の写真はどうなっていただろうかと、古いアルバムを引っ張り出してコピーしたのが上掲の写真である。こちらには逆に、半ば木の陰になった右翼上部の尖塔と正面玄関上部の三角屋根とが写っている。「三尖塔」を揃えて写すことは、大きく成長した植木もあって、正面付近からでは困難なようだ。私たちの時代から現在に至る母校の正式名称は「金沢市立紫錦台中学校」で、そのウェブページの一つ、「紫錦写真館」上の航空写真の何枚かには「三尖塔」をまとめて見ることのできるものがある。

 この「国重要文化財指定」の件を、神戸に住む元同級生 T・K 君に携帯電話へのメールで知らせたところ、「中学の新聞のトップの挿し絵になっていた建物ですね。すごいですね」という返信が来た。そういえば、T・K 君も私も中学の新聞部に所属して、学校新聞『紫錦』の初期の号の編集にあたっていたのでる。題字とつり合いよく縦長の枠内に描かれていた、避雷針を伴った尖塔の一つの巧みな絵(図画の先生が描かれたのだろうか)は、いまでもおぼろげながら頭に残っている。

 なお、上掲の写真の当時には、中学の前の通りを市電が走っていたので、そのレールも写っているが、その後市電がなくなったのは残念である。

2018年1月1日月曜日

2018 年始めのごあいさつ (Greetings for the New Year of 2018)

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妻の年賀状の挿絵として、彼女が登った思い出の山の一つである燕岳を、私が『週刊 続 日本百名山』Vol.2(朝日新聞社、2002)の表紙写真(撮影・白旗史朗)を参考に描いたもの。
A picture I made for my wife's New Year card, showing Mt. Tsubakuro-dake,
one of the mountains she climbed.

新年おめでとうございます

を解きおのれを解くや大枯野
         ——萩原季葉『雁の頃』

 同じ句集に「元旦の袴の腰に万歩計」
 大岡信『折々のうた』の解説から推定すると
定年退官後に句集を出し始めた萩原氏が 4 冊目の
上記句集を出したのは 91 歳の時
 氏の元気さにあやかるとともに
わが国を戦争する国に逆戻りさせないよう
声を上げ続けたいものです

 皆様のご健康とご幸福をお祈りします

2017年12月8日金曜日

京丹後へのバス旅行 -5- (Bus Trip to Kyōtango -5-)

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旧川嶋酒造の酒蔵。
Sake cellar of old Kawashima Brewing Company.


井筒屋旅館。
Izutsuya Inn.


天神橋の欄干の模様。
Design of Tenjin Bridge railing.


旧加悦町役場庁舎。
Old Kaya Town Hall.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 旧尾藤家住宅の少し北、右手に、旧川嶋酒造の酒蔵が残っている(1 枚目の写真)。酒造という生業と生活空間を組み合わせた昭和初期の建築として注目されているという。写真右上に見えるのは、換気・煙または蒸気出しなどのための「越屋根」で、普通は屋根の上の簡略な小屋根だが、この酒蔵ではガラス窓入りで部屋風の立派な造りになっている。

 街道をさらに北上すると、左手に井筒屋旅館がある(2 枚目の写真)。明治 23 年(1890)創業の老舗旅館で、建物は昭和 8 年(1933)に再建された。玄関は堂々とした構えになっており、昔ながらの街道の雰囲気を残し、今も営業している。井筒屋旅館の近くを流れる小川に昭和 9 年(1934)に架けられた天神橋があり、その欄干には、今の若い旅行者たちが喜びそうな模様がある(3 枚目の写真)。45 度傾斜したハート型の集まりと見られるものである。

 街道の最北端には、道の西側に旧加悦町役場庁舎が残る。丹後大震災後の昭和 4 年(1929)に完成したもので、甲子園球場を設計した、当時大林組設計部長の今林彦太郎が設計を担当したそうだ。私たちはここへ最後に到達したが、現在は「ちりめん街道案内・休憩所」として使用されており、個人的に観光するには、ここを出発点とするのが便利だろう。

 語り部の説明を聞きながら、同行の旅行客の見学の邪魔にならないように、また、同旅行客が写真中に大きくは入らないようにしながらの写真撮影で、被写体に対して絶好のアングルで狙えなかった場合が多かった。しかし、「ちりめん街道観光マップ」と照らし合わせてみると、大部分の観光ポイントをなんとか撮影できていた。帰途のバスは交通渋滞に会って、予定よりも 30 分ほど遅れて大阪に到着したが、充実した旅だった。なお、「ちりめん街道」の各観光スポットの説明には、同街道ウェブサイトにある記述を参考にした。(完)

2017年12月7日木曜日

京丹後へのバス旅行 -4- (Bus Trip to Kyōtango -4-)

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下村家住宅の機屋窓(はたやまど)。
Weaver window of Simomura house.


ちりめん街道内の記念撮影スポットとして知られている場所。
The place known as a spot for taking a commemorative photo of the crape street.


実相寺。
Jissōji Temple.


旧尾藤家住宅。
Former Bitō house.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 吉祥寺の北の四つ角を西へ入ると、北側に、文化元年(1804)に建てられた街道筋で最も古い建物、下村家住宅がある。「機屋窓(はたやまど)」と呼ばれる格子付き中敷居窓がある(1 枚目の写真)。かつて、機屋は外から見えないよう、かつ外からの明かりがしっかりと取れるように設計されていて(写真の窓下の、斜め手前に突き出している板に注意)、機屋窓はその設計の名残である。

 この辺りは、ちりめん街道内の記念撮影スポットとして知られている(2 枚目の写真)。写真の右手に写っているのは、下村家住宅の続きで、その向こうの、私たちバス旅行客の一つの班が前で説明を聞いている土壁の建物は、下村家の一画に加悦郵便局舎として明治 20 年(1887)に建てられたものである。その電信事業は、価格の動きが激しい生糸相場の情報をいち早く知る手段として、多いに活用されたという。

 2 枚目の写真の奥、街道が右折して北上する角に、加悦谷で唯一の日蓮宗寺院、実相寺が風格ある石垣と山門を備えて建つ(3 枚目の写真)。北上する街道の左手に、江戸時代末期文久 3 年(1863)に建築された丹後ちりめん商家、旧尾藤家住宅がある(4 枚目の写真)。関西北部の大型農家を基本として、丹後ちりめん商家と昭和初期の洋風住宅建築の要素が付加されている貴重な建造物で、京都府指定有形文化財になっている。(つづく)

2017年12月6日水曜日

京丹後へのバス旅行 -3- (Bus Trip to Kyōtango -3-)

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「手米屋小右衛門(てごめやこえもん)」の本家・杉本家住宅。
The house of Sugimotos, the head family of "Tegomeyakoemon".


「縮緬発祥之地」の石碑。
Monument of "The birth place of crepe".


西山工場。
Nishiyama factory.


宝厳寺。
Hōgan-ji Temple.


天満神社。
Tenman Shrine.


吉祥寺。
Kisshōji Temple.

 [以下の記述は、 ウェブページ「ちりめん街道観光マップ」を同時に開いておいて、そちらと見比べながら読むと、分かりやすいであろう。そのマップでは、右側が北になっていることに注意されたい。]

 旧伊藤医院診療所の南隣には、丹後ちりめんの始祖「手米屋小右衛門(てごめやこえもん)」の本家・杉本家住宅があり(1 枚目の写真)、その正面には「縮緬発祥之地」の石碑が立っている(2 枚目の写真)。その南角を奥へ入ると、西山工場があり、第 1 工場から第 2 工場へ二階の廊下でつないでいた痕跡が見られる(3 枚目の写真)。

 向きを北へ変えて進むと、左手に宝厳寺(4 枚目の写真)、天満神社(5 枚目の写真)、吉祥寺(6 枚目の写真)とつづく。毎年春に行われる加悦谷祭では、天満神社参道の 137 段の石段を、大みこしを担いで登る人たちの勇壮な姿が見られるという。(つづく)