2017年7月19日水曜日

金沢での墓参 2017 -1- (Graves Visit in Kanazawa, 2017 -1-)

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ホテル日航金沢の 18 階の部屋から見下ろした JR 金沢駅周辺のスケッチ。
Sketch around JR Kanazawa station looked down from an 18th-floor room of Hotel Nikko Kanazawa.

 例年は妻と二人で行く金沢での墓参に、今年は長女夫妻が同行してくれた。金沢へ着いてまず訪れるのは、妻の先祖代々の墓のある野田山である。駅前のホテルに荷物を預けたあと、タクシーで向かうのも例年通りならば、野田山墓地の入り口は 2 カ所あるので、運転手に「自衛隊(正確には陸上自衛隊金沢駐屯地)の前を通って行く方」と説明するのも、いつものことである。それで分かる運転手もいれば、分からない運転手もいる。今回、その入り口に掲示されている地図を注意して見ると、そこは「野田口」という覚えやすい名称だった。しかし、その名称で運転手が分かるとも限らない。

 金沢では旧暦にちなんで 7 月 15 日を中心とした期間に盆の行事が行われるので、その期間内には、入り口から野田山墓地内を巡回する無料の小型バスを利用でき、墓地事務所前まではそれで行ける。しかし、そこから妻の先祖代々の墓までは約 140 段の石段を登る必要がある。2 年前に膝痛を起こして以来、そこを登るのが不安になった私だが、今年も無事に参拝できた。

 続いて、私の両親の墓のある寺町の寺を訪れると、住職が今年 3 月に亡くなったことを、その長男である新住職から聞かされた。前住職は私より少し若いのだろうと思っていたが、やはりそうで、新住職に聞くと、昭和 15 年生まれだったという。最後に野町の寺に私の母方の先祖の墓 2 基に参って、ホテルへ戻った。例年宿泊する金沢都ホテルが建て替えのため営業休止中で、ホテル日航金沢を初めて利用した。JR 金沢駅東側出口前右手に立つ高層ビルがそのホテルである。翌朝、その 18 階の部屋から見下ろした JR 金沢駅周辺の眺めをスケッチした(上掲のイメージ)。(つづく)

2017年7月18日火曜日

高校時代の日記から (From the Diary of Senior High School Days)

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高校 2 年生の時、物理のレッスンクラス一同で変電所を見学した際、山村先生が撮影。中央の列左から 3 人目が筆者。前列右端は変電所の方。
Lesson class of physics, the second year at Kanazawa Kindai Senior High School; taken by the teacher, Mr. Yamamura, on the occasion of visiting the transformer substation near the school, 1952. The third boy from left in the middle row is the author.

 私が卒業した金沢菫台高校は、それ以前には金沢商業という名の旧制中等学校だった。そして、菫台高校として 10 年間続いたのち、金沢商業高校に変わった。そこで、同窓会は「金商菫台同窓会」と名付けられている。その関西支部は約 10 年前に解散の危機に陥ったが、再建して、今年、再建 10 周年を迎えた。これを機会に、同支部では『金商菫台同窓会関西支部再建 10 周年記念誌(2007〜2017)』という冊子をさる 6 月の総会に合わせて発行した。表紙には関西 6 都府県の各名所のカラー写真を載せた、B5 版・本文 46 ページの立派な冊子である。作成に当たって、「母校・友そして故郷 懐かしき想い出」という範疇での寄稿が全会員に求められ、10 余名の有志が寄稿した。そこに上掲の写真とともに掲載された私の文を以下に引用する。



 高校時代の思い出を書こうとしたが、卒業から 63 年も経ったいま、何らかの思い出を活写することは難しいと気づいた。そこで、高校時代の日記から、2 年生の初めの数日分を、若干手直しして紹介することにする。

 1952 年 4 月 14 日(月)雨
 20 名中 18 名が男生徒である物理の時間には、山村先生から 1 年間に 10 回テストをするという予告や、ギリシャ文字の説明があった。宮本先生の世界史では、自らに相づちを打つようにしばしば発せられる「えゝ」や、歴史という字の話(史という字を、交差した二本の足に巻物が支えられているように黒板に書かれた)を聞いた。国語甲では、桑山先生が昨年度より荘重な雰囲気だった。三野・山上両君他、集まる面々を見ると、これは最も優秀なレッスン・クラスといえそうだ。英語も昨年度に続き、正村先生に習うことになる。この時間、物理や国語甲とは逆に女生徒が多数で、男生徒は隅に押しやられている。

 1952 年 4 月 17 日(木)晴れ
 秋山校長の講義は分かりやすかったが、最初の課の最初の一文で 1 時間の大部分をかけて教えられた文法事項は、よく知っていることばかりだった。体操は、使い込まれたバットのような印象を受ける稲垣先生に習うことになった。解析 II の時間、三野君との間で先日来問題になっていた整数の 4 乗和を求める式に違いが生じた原因を調べる内職と、「あるいは」を「あるひは」と発音される分校先生の講義に耳を貸すのとを、半々にした。
 選挙規則第四条違反があったため、昨日、選挙管理員の再選挙があったが、またも、ぼくが選ばれてしまい、きょうはその役目をした。言葉遣いと態度がわれながら不愉快なものになったが、両隣のホームルームより数分早く済ませるという手際でやってのけた。

 1952 年 4 月 21 日(月)晴れ
 放課後、今年度初の新聞クラブの会合がある。新入部した 6 名の 1 年生は、同じような背格好で、同じようにきちんとした黒い学生服を着ている。全員、兼六中出身だそうだ。――たいへんなことだ。どうしても、しっかりやらなければならない。[注=私が編集長に選ばれたのだ。翌年度、私たち 3 年になったメンバーの一同が別々のクラブへ移ったため、人数不足でクラブ不成立となり、生徒会紙発行には新聞委員会が作られた。したがって、私はクラブ時代最後の編集長だった。]

 1952 年 4 月 22 日(火)晴れ
 漢文は、あだ名がエノケンの瀬川先生だ。「村田春海、和文ヲ結構スルニ、法ヲ漢文ニ取ル」を読まされた村田君が、自分と同姓の国学者名を「そんでんしゅんかい」と読んだのには笑わされた。

 [日記に書いた時点からすれば時効でもあろうが、登場した方がたに失礼があったとすれば、お許し願いたい。]

2017年7月13日木曜日

2017 年 2 月 24 日〜6 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 24 to June 18, 2017 -2-)

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わが家で 5 年ぶりに咲いたブッソウゲ(ハイビスカスともいう)の花。2017 年 6 月 25 日撮影。
A flower of Chinese hibiscus which bloomed for the first time in five years at our home;
taken on June 25, 2017.

2017 年 2 月 24 日〜6 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 2

3. ラジオに親しんで
 白内障手術の退院時に貰った「退院後の生活について」というリーフレットに「テレビ・読書・パソコン:目が疲れない程度にしてください」とあったので、最近は[...]もっぱらラジオを聞いて過ごした。
 格別親しんだ番組は、いずれも NHK 第 2 の、『高校講座』のうち「国語総合」、「現代文」、「古典」、そして、『カルチャーラジオ 科学と人間』であった。「古典」の講座で心が引かれたのは、『古今著聞集』の「小式部内侍が大江山の歌の事」と『徒然草』の「相模守時頼の母は」という話だった。私はこれらの話を幼い頃に母から聞かされたことを思い出した。[...]私は伯母のほうがこのような話を若い頃からよく知っている「文学少女」だと思って来た。しかし、上記の話を母が聞かせてくれたことを思えば、母も結構「文学少女」だった、というか、伯母と同じ女学校で習った教材の話をよく覚えていたのである。
 以上のように述べられ、小学校 3 年生の時に大連へ移って以後、筆者が母上よりも伯母上から文学的な話をよく聞いた理由の推測もされています。幼少時代に母上・伯母上からそのような話が聞かれるよい環境に恵まれていましたね。ラジオは勉強にも大変役立ちます。私は定年後、ドイツ語とフランス語の講座を各一年間聞きました。

4. T・K君へ:白内障手術のこと

 加齢白内障手術の経験を、
  1. 医者を訪ね、当初は片目の白内障の進行ながら、両眼手術を勧められる。
  2. 眼内レンズは多焦点(保険の適用なし)と単焦点(保険の適用あり)、また、後者には遠、中、近焦点があり、医者と話し合い生活様式に適したものを選定。
  3. 手術の様子、所要時間。
  4. 術後の視力の向上と色の見え方(殊に白、黄、青)、および眼鏡の選定時期。
と簡潔にまとめ、参考に「モネの絵のタッチが年とともに変化してきた原因は…」という説明を引用しています。

5. 大阪・能勢町へ

 私は 1990 年に大阪へ転勤し、2 年間ほど能勢町光風台に住んでいました。時々能勢町を北に向かって京都府の園部方面にドライブしていました。田舎風景をそれほど美しいと思わず、狭い道路の途中には獅子鍋屋などがあり、急ぎ通り過ぎていました。この際インターネットで「庭の千草」のバックグランド・ミュージックで流される、大きく変わった美しい風景の動画を見て楽しみました。「天王寺都ホテル」でのバイキング昼食、ほほえましく拝読いたしました。(完)

2017年7月12日水曜日

2017 年 2 月 24 日〜6 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 24 to June 18, 2017 -1-)

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レッド・カサブランカ。わが家の庭で、2017 年 6 月 18 日撮影。
Lily 'red Casa Blanca'; taken in my yard on June 18, 2017.

2017 年 2 月 24 日〜6 月 18 日分記事への M・Y 君の感想 1

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2017 年 7 月 2 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。(M・Y 君の感想には「筆者」の語が多く出てくる。この語は文を書いている自分自身を指す場合にも用いられるが、ここでは感想の対象になっているブログの筆者 T・T を指していることに留意されたい。)



1. 2017 年 4 月、東京で
 金沢菫台高校第 5 期生関東在住者の同窓会が、昨 2016 年 4 月まで毎年東京で開催され、一旦終了となった。しかし、昨年は、さまざまな理由で出席できなった者が多かったことや、夫君の介護で長年出席できなかった女性が夫君の他界で出席可能になったこともあって、金沢のおいしい料理をつつきながら懇親をしたいと、今年も開催された。[…]
 私は前日の 4 月 4 日に上京し、宿泊する学士会館で、夕方から大学時代の友人 M・Y、A・M 両君と歓談した。A・M 君はわれわれの恩師の先代、荒勝文策教授の業績を本にまとめることになった経緯や、準備中の原稿について話してくれた。われわれの学生時代の実験や旧友たちの話も出て、楽しいひと時だった。
 高校同窓会当日は、北の丸公園や千鳥ヶ淵緑道を散策してから会場へ向かった。[…]出席予定の女性 2 名が健康上の緊急事態でドタキャンとなり、7 名の参加(うち女性 2 名)だったが、参加者たちはみな大変元気で、賑やかに語り合った。[…]
 6 日の午前中、大連嶺前小学校の同期生、H・O 君が学士会館へ会いに来てくれた。喫茶室でミルクティーを飲みながら小一時間の会話を楽しんだ。[…]彼が関わって昨年 12 月横浜で開催された『マチュピチュの出会いと古代アンデス展』について、彼の知人が『さきたま新聞』に書いた記事のコピーを貰った。ノンフィクション作家である O 君の「私はこんどの裏方としての仕事こそ我がライフワークだったのだと思い返したのである」という言葉などが引用されている。
以上のように述べられています。A・M 君は任務で米国ワシントンに滞在中、米国公文書館に保管されている戦前と戦中におけるわが国の原子核研究資料を調査し、また、荒勝家から預かり受けた資料をも基に、荒勝研究室の業績をすでに論文として公開しています。彼は荒勝先生の業績について、それを支えた私たちの恩師の業績も含め、情熱を注いで一冊の本にまとめることと期待しています。

 『マチュピチュの出会いと古代アンデス展』についてインターネットを見ました。主催、共催者がしっかりしており、展示も大量で珍しいものばかりで、O 君の上記の言葉を重く受け止めました。近くで開催されたのに、見に行かなかったことが大変残念でした。

2. T・K 君へ、2017 年 5 月
T・K 君
 いつのまにか「新緑の候」と書くのも遅いような季節となりました。[…]
 近年は 4 月に貴君にお目にかかる計画をして来ましたが、今年の 4 月は気候不順だったこと、私が東京での菫台高校同期・関東在住者会に 2 泊 3 日で行って来たこと、そして4月 18 日と5月2日にそれぞれ 1 泊入院で両眼の白内障手術をしたことなどで、それが出来ませんでした。
 […]
 J・M 君も私と一緒に貴君に会うことを楽しみにしていると思い、まだしばらくはその予定が立てられないことをメールで伝えました。すると、彼も「近々黄斑上膜と白内障の手術をする予定で、阪大病院の予約待ちをしているところです」と書いて来ました。
 東京での同期会は、[…]私が欠席した昨年で終わりということになったのでしたが、今年は R・M 君の世話で、4 月 5 日、レストラン「銀座の金沢」において、特別に開催されました。そして、出来れば明年以後も同じ場所で「昼食会」という気軽な名称で続けようということになりました。[…]
 私は視力の安定するまで、目を疲れさせないように努めています。そのため、これまではパソコンに向かっている時間がいかにも多過ぎたことに気づき、よい反省の機会を得たと思っています。[…]
2017 年 5 月 11 日
T・T
と述べられています。パソコンの使用についてよい反省の機会を得られたそうですが、早く視力が安定することを祈ります。末尾の省略部分中に「高齢化に負けないで、元気な日々をお過ごしください」とあります。私もそうありたいものです。私の種々な同期会も公式には全て解散になりましたが、有志での非公式の会として続いています。

 記事中、J・M 君の「黄斑上膜と白内障の手術」に触れてありますが、近年、加齢による目の手術をする人が多いように思われます。高齢で手術を受けることは、体力的にも手術の限界といわれることもあるようです。再発の可能性もありますので、ますますの高齢化社会に向かう今、若い人々はこのような事実を認識し、対応を真剣に考えることが重要でしょう。(つづく)

2017年6月18日日曜日

大阪・能勢町へ (Went to Nose-cho, Osaka)

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能勢町の宿でのスケッチ。
A sketch made at a hotel in Nose-cho.

 白内障手術後の保養のため、さる 6 月 15 日、大阪・能勢町にある旅館「能勢温泉」で一泊する旅に妻と出かけた。住んでいる所と同じ大阪府下の町ながら、能勢町を訪れたことは滅多になかったので、能勢電鉄の車両や同電鉄・山下駅からの宿の送迎バスの、窓からの眺めも珍しかった。

 夜、宿泊客を何組かに分けて、宿のバスで少し出かけ、ホタルを見る催しがあった。ホタル見物が早く終わったグループだろうか、星を観察する催しに出かけている人たちもあった。ニュージーランドへ旅行した際にも、同様の催しを経験した。ただし、ニュージーランドで見たのは日本のホタルと異なり、土ボタルとう昆虫で、幼虫が洞窟の中で青白く発光するのである。能勢のホタルは、川ぶちの茂みにたくさん飛び交いながら発光していた。私は白内障手術後これまでの強度近視用とは異なる弱近視用の眼鏡が必要となったが、それをまだ作っていない。したがって、裸眼で見たホタルの光は、他の人たちが見たよりもかなりぼやけて見えていたと思うが…。

 「能勢温泉」は「かんぽの宿」を引き継いで 10 周年になるということで、宿泊客に一人当たり約 300 g の地元産の米の土産がついた。そういえば、同旅館のホームページや宿泊・送迎などのシステムが「かんぽの宿」にそっくりだった。

 宿では例によって、窓からの風景をペンと色鉛筆で 1 号サイズのスケッチブックに描いた(上掲のイメージ)。白内障手術前と着彩がいくらか変わったとすれば、黄緑色が以前よりも明るく鮮やかに見え、色鉛筆の黄緑では不足で、黄色を多く重ねたことかと思った。しかし、帰宅後、以前のスケッチを見ると、それらでも結構黄色を重ねていたので、それほど大きな変化はないといってよさそうである。

 翌日の帰途、「天王寺都ホテル」で昼食をして来た。墓参の折に愛用していた「金沢都ホテル」が改築で 3 年間使えないので、ポイント・カードに溜まっているポイントが失効しないように、同じ系列のホテルを利用しておくためである。昼食のメニューはバイキングしかなく、妻も私もついスウィーツを多く取り過ぎて、家では当分スウィーツ類をなしにしなければ、と話し合っている。