2017年5月15日月曜日

ラジオに親しんで (Listening to Radio Programs)

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キショウブ、わが家の庭で、2017 年 5 月 15 日撮影。
Iris pseudacorus (yellow iris); taken on May 15, 2017 in my yard.

ラジオに親しんで

 白内障手術の退院時に貰った「退院後の生活について」というリーフレットに、「テレビ・読書・パソコン:目が疲れない程度にしてください」とあったので、最近は読書・パソコンを控えめにしている(テレビは普段からあまり多く見ないほうである)。特に、まず左目だけの手術が終わって右目の手術を待っていた 2 週間は、左目は焦点距離 50 cm の人工レンズを入れたため、裸眼で読書・パソコンに適した状態になったものの、右目はメガネがなくてはよく見えない強度近視のままという、いわば独眼状態で、読書・パソコンは不便だったこともあり、もっぱらラジオを聞いて過ごした。

 格別親しんだ番組は、いずれも NHK 第 2 の、『高校講座』のうち「国語総合」、「現代文」、「古典」、そして、『カルチャーラジオ 科学と人間』であった。これらの番組は、インターネットでも随時聞けるようになっていて便利である(前記の『』付き題名のリンクからアクセス出来る)。「古典」の講座で心が引かれたのは、『古今著聞集』の「小式部内侍が大江山の歌の事」と『徒然草』の「相模守時頼の母は」という話だった。

 「小式部内侍…」の概略は、次の通りである。和泉式部が藤原保昌の妻として丹後の国に下っていた時、京で歌合せがあり、その娘、小式部内侍が歌合せの詠み手として選ばれて歌を詠むことになった。藤原定頼・中納言が小式部内侍をからかって、「母上の和泉式部の助けがなくてお困りでしょう」と声をかけた。すると、小式部内侍は、「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立」(大江山を越え、生野という所を通って行く、丹後への道のりは遠いので、まだ天橋立を訪れたことはなく、母のいる丹後からの便りもございません)と詠んだので、定頼は驚いて逃げてしまった。

 「相模守時頼の母は」は、相模守時頼の母、松下禅尼が障子を全部新しく張り替えないで、破損しているところだけを修繕し、物はこのようにして使うものだと時頼に気づかせようとしたという内容である。(以上の概略は、インターネット上にある講座の「学習メモ」を参考にした。)

 私はこれらの話を幼い頃に母から聞かされたことを思い出した。私が小学校 3 年生だった春に父が死亡し、その秋から母と大連へ移って、母の両親である祖父母、母の姉である伯母、そして、その娘である従姉と一緒に暮らすようになった(従兄もいたが、まもなく海軍飛行予科練習生に召集された)。そして、私は伯母のほうがこのような話を若い頃からよく知っている「文学少女」だと思って来た。しかし、上記の話を母が聞かせてくれたことを思えば、母も結構「文学少女」だったというか、伯母と同じ女学校で習った教材の話をよく覚えていたのである。

 大連へ移って以後、私が母から文学的な話をほとんど聞くことがなかった理由として、次のようなことが考えられる。一つには、母が伯母の知識に遠慮して、文学的な話を私にしなくなったということである。引き揚げ後は、伯母たちと私たち母子は別々の家に間借りしたが、互いに近くに住んで、しょっちゅう行き来し、伯母は私によく話しかけてくれていた。二つには、母は生活に忙しくて、私にそういう話をして聞かせる余裕がなくなったということである。伯母は病弱だったので、大連では母が家事などの大部分をしていた。また、祖母は引き揚げを目前にして大連で亡くなったが、一緒に引き揚げた祖父は「寝たきり」状態に近く、短期間を除いて、私たち母子と同居し、母は学校に勤めながらその世話をしていたのだった。


 (2017 年 5 月 16 日、一部修正追加)

2017年5月13日土曜日

T・K 君へ、2017 年 5 月 (To T. K., May 2017)

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上:アリウム・ロゼウム、下:バイカウツギ、どちらもわが家の庭で、2017 年 5 月 6 日撮影。
Upper, Alliumu roseum (rosy garlic); Lower, Philadelphus satsumi (mock orange); both photos taken in my yard on May 6, 2017.

T・K 君へ、2017 年 5 月

T・K 君

 いつのまにか「新緑の候」と書くのも遅いような季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。

 近年は 4 月に貴君にお目にかかる計画をして来ましたが、今年の 4 月は気候不順だったこと、私が東京での菫台高校同期・関東在住者会に 2 泊 3 日で行って来たこと、そして 4 月 18 日と 5 月 2 日にそれぞれ 1 泊入院で両眼の白内障手術をしたことなどで、それが出来ませんでした。

 白内障手術では、従来強度近視(焦点距離 1 cm)だったため、極端な相違が出ないようにと、50 cm という近焦点の人工レンズを勧められました。家の中の暮らしにはメガネは不要になりましたが(中学 3 年の初め以来のことです)、外出にはこれまでよりもずっと度の弱いものでしょうが、近視用メガネが必要になります。術後 1〜2ヵ月経過して、視力が安定してからメガネを作るようにということなので、それまでは遠くへの外出が出来ません。

 J・M 君も私と一緒に貴君に会うことを楽しみにしていると思い、まだしばらくはその予定が立てられないことをメールで伝えました。すると、彼も「近々黄斑上膜と白内障の手術をする予定で、阪大病院の予約待ちをしているところです」と書いて来ました。

 東京での同期会は、このところ R・M、A・S(旧姓・K)の両君が幹事になって続いて来て、私が欠席した昨年で終わりということになったのでしたが、今年は R・M 君の世話で、4 月 5 日、レストラン「銀座の金沢」において、特別に開催されました。そして、出来れば明年以後も同じ場所で「昼食会」という気軽な名称で続けようということになりました。7 名が参加しましたが、男性 1 名と女性 2 名が間近になって体調の関係で出席出来なくなったということでした。

 私は視力の安定するまで、目を疲れさせないように努めています。そのため、これまではパソコンに向かっている時間がいかにも多過ぎたことに気づき、よい反省の機会を得たと思っています。来たる 16 日には、近くの西文化会館で「歌声ひろば」(従来は「うたごえ喫茶」という名でした。リーダー役の女性——若く見える元気な人でしたが、2〜3 年前に還暦を迎えたといっていました——が引退したのか、今年から、ピアノ伴奏を主にしていた若手の男性だけが来演することになり、名称が変わりました)を楽しんで来る予定です。

 貴君も高齢化に負けないで、元気な日々をお過ごしください。いずれお目にかかる日を楽しみにしています。

 2017 年 5 月 11 日

 T・T

2017年4月16日日曜日

2017 年 4 月、東京で (In Tokyo, April 2017)

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上:東京・北の丸公園で。下:千鳥ヶ淵の桜。この日は七分咲き。どちらも、4 月 5 日撮影。
Upper: Kitanomaru Park, Tokyo. Lower: Cherry blossoms in Chidori-ga-fuchi Moat. Blossoms were open about 70% on that day. Both the photos were taken on April 5.

 金沢菫台高校第 5 期生関東在住者の同窓会が、昨 2017 年 4 月まで毎年東京で開催され、一旦終了となった。しかし、昨年は、さまざまな理由で出席できなかった者が多かったことや、夫君の介護で長年出席できなかった女性(S・T さん)が夫君の他界で出席可能な条件が整ったこともあって、金沢のおいしい料理をつつきながら懇親をしたいと、今年も開催された。場所は銀座 1 丁目の「Dining Gallery 銀座の金沢」

 私は前日の 4 月 4 日に上京し、宿泊する学士会館で、夕方から大時代の友人 M・Y、A・M 両君と歓談した。A・M 君はわれわれの恩師の先代、荒勝文策教授の業績を本にまとめることになった経緯や、準備中の原稿について話してくれた。われわれの学生時代の実験や旧友たちの話も出て、楽しいひと時だった。

 高校同窓会当日は、北の丸公園や千鳥ヶ淵緑道を散策してから会場へ向かった。散策中に、方角を勘違いしたりして、学士会館を出てから会場へ行くための地下鉄に乗るまで、久しぶりに履いた先の細い革靴で、1時間半も歩いた。地下鉄を降りてからも、会場のあるビルを探すのに、南北へ少しばかり行き過ぎを繰り返し、結構歩きいたが、到着は幹事君に次いで 2 番目だった。出席予定の女性 2 名が健康上の緊急事態でドタキャンとなり、7 名の参加(うち女性 2 名)だったが、参加者たちはみな大変元気で、賑やかに語り合った。明年以降も、同じ会場で「昼食会」として続けようということになった。

 6 日の午前中、大連嶺前小学校の同期生、H・O 君が学士会館へ会いに来てくれた。喫茶室でミルクティーを飲みながら小一時間の会話を楽しんだ。彼は、嶺前同期会で何年も前に伊豆へ旅行した頃と変わりないほど、私が元気そうだといってくれた。彼が関わって昨年 12 月に横浜で開催された『マチュピチュの出会いと古代アンデス展』について、彼の知人が『さきたま新聞』に書いた記事のコピーを貰った。ノンフィクション作家である O 君の「私はこんどの裏方としての仕事こそ我がライフワークだったのだと思い返したのである」という言葉などが引用されている。

 追記:例年このブログサイトに掲載しているわが家の庭や近隣の公園の春の植物の写真は、今年はフェイスブックに掲載した。下記のリンク先をご覧いただければ幸いである。

2017年3月30日木曜日

わが標本木のサクラも開花 (My Cherry Specimen Tree Also Has Bloomed)

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 大阪での最高気温が 19.5 度と高くなったきょう、大阪や和歌山でサクラの開花が発表された。堺市西区の日部神社境内にある私の個人的標本木でも、上掲の写真の通り、開花が見られた。しかし、付近の公園では、まだ、1、2 日後の開花になりそうな気配だった。

2017年3月28日火曜日

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts from December 9, 2016 to February 23, 2017 -2-)

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上:石光寺の寒ボケ、下:石光寺の寒咲アヤメ。2017 年 3 月 13 日、日帰りバス旅行で撮影。
Upper, Japanese quince blossoms in Sekko-ji garden; lower, Winter irises in Sekko-ji garden;
taken during one-day trip by bus on March, 2017.

2016 年 12 月 9 日〜2017 年 2 月 23 日分記事への M・Y 君の感想 2

3. J. M. W. ターナーの作品 140 余点など:Artsy サイト

 "Artsy" の職員は、J. M. W. ターナーの作品について有力な検索エンジンでサーベイしたことと思いますが、連絡が来るきっかけとなった貴ブログ記事には、内容をよく表した美しい写真と簡潔明解な英文もあるので、その職員の容易に知ることとなったと思います。また同職員は、貴ブログがターナーのページへのリンクを設けて、アクセスを広げられたことを感謝することでしょう。紹介されているターナーのページは、なかなか見ごえがありました。"Artsy" の「美術収集と教育」への筆者の協力を評価します。

4. 漱石「夢十夜」の読み続・漱石「夢十夜」の読み続々・漱石「夢十夜」の読み

 筆者は 3 回にわたり、漱石の「夢十夜」につて独自の見解を述べています。初回の冒頭で、
 岩波書店の広告誌『図書』2 月号に、夏目房之介と近藤ようこの対談が載っている。近藤が漱石の「夢十夜」をもとにした漫画『夢十夜』を岩波書店から出版した機会に、「多様な読みの可能性へ」と題して語り合っているのだ。この対談を読むと、《 確かに「夢十夜」は多様な読みを可能にする作品だ。私の読みは彼ら二人の読みとは異なるぞ 》と思われて来た。[…中略…]また、対談記事の二人と読みが大きく異なるのは、第一夜の話だけのようにも思われた。そこで、ここでは第一夜だけを取り上げることにする。
と述べる。そして、近藤と房之介の対話の中で、筆者と読みが異なる第 1 点として、「すごく西洋的な話」だということについて、筆者は他の九夜との調和からいっても、最初の場面には畳の部屋がふさわしく、第一夜全体として和風の話だと思う、と読みます。

 次に、「私が二人の読みと異なる読みをするところは、女の目についての描写である」として、近藤が「一面に黒目と書いてあって」といっているのに対し、筆者は、
しかし原作では、「一面に黒目」や「白目がない」という通りの言葉はなく、「大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった」とある。私は、房之介が匂わせている通り、「ただ一面に真黒」は美人を表す「黒目がち」の誇張的な表現と取りたい。
と述べています。また、
房之介は続いて、「一番変なのは、[男が『私の顔が見えるかい』と聞いたのに対し]女が『[見えるかいって、そら、]そこに、写ってるじゃありませんか』と言うところです」と述べている。
ことを取り上げています。筆者はこれに関して、
女のいう「そこに、写ってるじゃありませんか」を筋の通った言葉と取るのは、やはり無理なようだ。謎や矛盾の多いのが夢というものであろう。
と自説を述べ、続編の議論へつなぎます。

 続編では、次のような指摘がなされています。
 「夢十夜」の言葉を検索してみると、『ぶっくらぼ』というサイトの「夏目漱石『夢十夜』問題と解説と読書感想文」と題する記事に「『第一夜』問題と解説」という章があり、いくつかの問題と、それに対する答えが書いてあった。
 その 2 番目に、
 Q.<ほら、そこに、写ってるじゃありませんか>の「そこ」とは、どこをさすか?
 A.自分の瞳。
というのがある。この記事では、「女」と、彼女に相対している男を意味する「自分」を使い分けているので、この「自分」は、<ほら、そこに …>といった女自身という意味でなく、文中に「自分」とある男のことを指していることになる。男が女に尋ねたのは彼の顔が見えるかということである。この答えでは、その問いに対して、男の顔が男自身の瞳に映っているじゃないですか、と答えたことになり、私としては合点がいかない。女の言葉自体が、私の先の記事でも述べたように、謎めいているにもかかわらず、それについて一つの答えを求める問題を作るのもどうかと思われる。
 そもそも、しばしば多義的な解釈を可能にする文学作品を取り上げて、一義的な答えを求める質問を作ること自体に問題があるだろう。
これに関連して、1948 年度から 54 年度まで、大学進学希望者に対して、全国一斉の進学適性検査というものが行われたという歴史的なことが述べられているのは興味深いことです。補足しますと、私立大学は入試に進学適性検査の結果は利用されませんでした。国立大学では、足切りに利用され、かつ入学試験の点数にも加えられました。例えば学科試験 1000 点に対して進学適性検査が 100 点くらいの割合で。

 最終的には続々編において、筆者が 20 数年前に読んだ吉田敦彦著『漱石の夢の女』に書かれている、「そこに、写ってるじゃありませんか」についての段落を引用し、
内なる女と外なる女を考えることによって、「そこ」という代名詞が生きてくるのである。
と結んでいます。私も吉田氏の解釈を、なるほどと思いました。(完)