2019年10月12日土曜日

N・T 氏へのメール -1-:海外訪問記など (Email Messages to N. T. -1-: Writings on Overseas Visits, etc.)

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に咲いたモミジアオイの花。2019 年 9 月 1 日撮影。
The flower of scarlet rosemallow in my yard; taken on September 1, 2019.

N・T 氏へのメール -1-:海外訪問記など

 さる 6 月以来、かつて数年間同僚だったことのある東北大名誉教授 N・T 氏との間でメールの交換が続いている。私から彼へのメールを適宜修正して、本ブログの記事として連載する。



2019 年 6 月 21 日
N・T 様

 お便りと添付のお原稿「ラザフォードの指導を受けた日本人若手研究者~S. Oba とは誰か~」を興味深く拝読しました。古い Physics Today 誌の写真から、ラザーフォードのもとで研究した S. Oba 氏の正体を突き止められた経過は、探偵小説のように面白く、また原子核物理学を専攻した私としても、はなはだ参考になるお話でした。ゆったりとして有益だったという蘭英旅行についても書かかれましたら、拝読出来れば幸いです。

 私は 2 年ほど前から、英文で専門誌に発表した論文をデジタル論文集にまとめて ResearchGate サイトに掲載する仕事を続けていましたが、先般ようやく全 94 編を 20 の分冊(Volume と称していますが、1 Volume は高々数十ページ程度のものです)にまとめ終えたところです。これ以後なお、所内誌・学内誌に掲載した論文や技報などの中のめぼしいものを Supplements としてまとめておきたいと思っています。

 とりあえず、お礼まで。ご壮健で過ごされますよう、祈っております。

 T・T


2019 年 8 月 23 日
N・T 様

 奥様のご要望で昨秋エアコンを設置されたとのこと、東北地方も 35 度くらいの最高気温が頻発するようになったようで、エアコンは必需品でしょう。

 「英蘭紀行」、掲載版「ラザフォードの指導を受けた日本人若手研究者——S. Oba とは誰か」と、そのサプルメンタルマテリアルをお送りいただき、ありがとうございました。「英蘭紀行」は短文ながら、豊かな内容になっていて、感服しました。ケンブリッジ訪問に関連して、奥様とラマヌジャンの映画をご覧になったことに触れてありますが、奇しくも、私も数年前に妻とともにその映画を見ています(原作となった本の原書も、かつて読みました)。また、私は漱石の大ファンですが、かつてロンドンを訪れながら漱石記念館を見て来なかったことが悔やまれます。貴殿の漱石に関するご知識の豊かなことにも驚かされました。

 なお、私がロンドンを訪れたのは、大放研時代の終わり頃に、国際会議でオランダ(ライデンの国際会議場で開催)へ行ったついででしたので、その旅について、「英蘭紀行」に題名だけ似て、あまり学問的でない、拙いエッセイ「オランダとロンドンで」を『大放研だより』に書き、それを私のウエブサイト(以前使用していた OCN 提供のサイトが数年前にサービス中止となり、移転してのち、あまり手を入れていませんが)に転載してあります。ご興味がありましたら、下記の URL でご覧下さい。
  http://ideaisaac.web.fc2.com/slow2b.html#sec2-14

 なお残暑が続きます。くれぐれもご自愛下さい。

 T・T

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2019年9月27日金曜日

『追悼「M 子先生」』 (The Book Entitled In Memory of "M-ko Sensei (Doctor M-ko)")

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わが家の庭に咲いたハナトラノオの花。2019 年 9 月 21 日撮影。
Flowers of obedient plant in my yard; taken September 21, 2019.

『追悼「M 子先生」』

 2007 年に「にっぽん丸」という船で日本の周りを一周しながら途中の各地を見物する旅で、埼玉県在住の女医さん夫妻と一緒になった。その夫妻とは、妻とともに交流が続くことになったが、夫君は早くも 2008 年に亡くなられた。女医さんとはその後も何回かお目にかかったり、メール交換をしたりしたが、昨年 9 月に 89 歳で突然亡くなられたとの知らせが、年末に娘さんの一人からあった。

 女医さんは亡くなる少し前に、朝日新聞社の「朝日自分史」という企画で自分史を作成する気になって、資料をまとめておられたそうだ。3 人の娘さんたちがその遺志を継いで、『追悼「M 子先生」』という本にまとめたといって、今月初めに恵贈を受けた。

 「M 子先生」は、高知県の漁業の町で製材所の四女として生まれ、高知師範学校 1 年に在学中、高知の大空襲に会い、間もなく父親をがんで亡くした。翌年には音楽と体育が苦手(私に似ている)の自分には小学校の先生は無理と悟り、師範学校を退学し、学費のめどがたたないまま、高知県立女子医専に入った。ところが、戦後すぐに行われた GHQ による女子医専の見直しで、高知県立女子医専は廃校になり、大阪女子高等医専へ入り直したそうである。

 「M 子先生」は最後まで現役の女医さんだった。晩年の休暇中の彼女だけを知る私には、女医さんというより、ごく普通のおばさんといった感じの、人懐っこい方と思われたが、『追悼「M 子先生」』を読んで、なかなか苦労して勉強されたのだと知った。

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2019年9月18日水曜日

水彩画『幌尻岳』 (My Watercolor "Mt. Poroshiri")

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 来たる 2019 年 10 月 21 日(月)から 25 日(金)まで、堺市役所本館エントランスホールで開催される『美交会展・33』(主催・堺の文化をすすめる市民の会)に出品する予定の水彩画を、9 月 16 日に完成した(上掲の写真。色調が実際の絵より、いささか鮮やかすぎるようだ)。ホルベイン不透明水彩絵具とホルベイン紙 F6 を使用した。文献 1 の表紙写真を撮影して、その左右をカットした形でパソコン画面に表示したものを参考にして描いた。

 文献 1 の目次上部にある説明によれば、その写真は、伊藤健次氏の撮影による『戸蔦別岳から望む盛夏の幌尻岳』と題するものである。そこに添えられている元の写真の小さなコピーを見ると、表紙写真では元の写真の下部がいくらかカットされており、長い稜線は実は手前左寄りまで、まだ続いているのである。その稜線が上縁をなすカール(圏谷)を、深田久弥は「全く円戯場と呼ぶにふさわしい」と形容している(文献 2)。幌尻岳(ぽろしりだけ)は北海道日高振興局の沙流郡平取町と新冠郡新冠町にまたがる標高 2,052 m の山で、日高山脈の主峰である。山名はアイヌ語で「大きい(ポロ)山(シリ)」を意味するそうだ(文献 3)。

 パソコン上のコピー写真では、元の写真より色彩が全体にやや茶色味がかっており、初めのうち、特に山頂近くの向かって左側の斜面辺りを、その色合いで描いていた。途中で、元の写真はもっと盛夏らしく緑色が強いと気づき、緑がかった色に修正した。しかし、修正は不十分で、出来上がりの頂上付近は、パソコン上のコピー写真と元の写真との中間のような色合いとなった。手前の傾斜の黄緑色は黄色味が強すぎたようだ。微妙に異なる緑色を塗り分けるのは難しいものである。また、表紙写真は中央下部に「幌尻岳」の文字が白抜きで縦に大きく入って風景の一部を隠しており、その辺りを描くには、目次ページの小さな写真の拡大コピー(あまり大きく拡大してもぼやけるだけで、それほど大きくはできなかった)も参考にした。

 なお、妻はこの山に 2009 年 8 月、朝日旅行のグループで登っている。

 文献
  1. 『週刊 日本百名山』No. 35(朝日新聞社、2001)。
  2. 深田久弥『日本百名山』(新潮社、1964)。文献 1 に「幌尻岳」の章が朝日文庫版から再録されている。
  3. 三宅修「"北海道の背骨" 日高山脈の盟主」、文献 1 所収。

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2019年8月1日木曜日

N 君への手紙 (The Letter to N)

[The main text of this post is in Japanese only.]



上:小学校 6 年生時の写生「天徳院の鐘楼堂」。下左:鐘楼堂の写真 1。下右:鐘楼堂の写真 2。
Upper: Watercolor, "Bell Tower of Tentokuin Temple," made in my 6th grade of elementary school.
Lower left: Bell Tower Photo 1. Lower right: Bell Tower Photo 2.

 昨年秋に M・N 君から、今後年賀状をやめるが、貴君とはお付き合いを続けたい、ということを記したハガキが届いた。それに対して、私の一番新しい水彩画をプリントした手紙を送ったところ、彼から絵について微に入り細をうがった感想を述べた手紙が届き、それ以来、彼との頻繁な手紙交換が続いている。彼は書道を趣味にしており、「學」という文字を記した色紙を贈ってもくれた。その色紙は、歳を取っても学ぶことを忘れてはいけないという戒めのように、私の書斎を飾っている。以下に引用するのは、私から彼への 14 通目の手紙である。私の 2 通目以降の手紙には、近年描いた水彩画の写真を同封して来たが、今回は例外的な形となった。



 M・N 君

 7月6日付けのお葉書、ありがとうございました。

 昨年も中学同期会が開催されたとは、羨ましい限りです。紫中の同期会は 5 年前をもって終了となりました。[…略…]旧四高博物館は私も何年か前に訪れました。お葉書には M 君の質問へのお返事がなかったので、あるいは貴君から彼へ直接お便りをされたのかと思っていました。案の定、彼は貴君からお便りがあったと、メールで知らせてくれました。

 さて、今回は近年の私の絵の写真を同封する代わりに、墓参で金沢を訪れた際に見学して来た天徳院の一部の写真と、そこを私が小学校6年生の初め頃の図画の時間に写生した拙い絵の写真を手紙中にプリントすることにしました[引用時の注:上掲の 3 イメージ]。

 金沢へは[7 月]12 日に妻と長女を伴って出掛け、長女が予約してくれた「D ホテル金沢」(金沢駅東口から徒歩 2 分のところに新しく建ちました)に宿泊しました。D デパートと関係のあるホテルかと思いましたが、経営しているのは D ハウス・グループの会社で、最近全国各地に系列ホテルを作っています。12 日は幸い涼しい曇り日で、野田山、寺町、野町の 3 カ所での墓参を無事に済ませ、翌 13 日午前にバスで天徳院へ赴きました。その日は時折薄日の射す観光日和でした。

 私は中学 1 年の 12 月から高校 2 年の 12 月の間、天徳院のごく近くの 2 軒の家に(途中での引越しを挟んで)住んでいましたが、当時、この寺院は観光対象にはなっていなくて、由来もよくは知りませんでした。ところが、最近は「珠姫の寺」という形容の言葉をつけて、観光客を誘致しており、一度訪れたいと思っていました。天徳院を訪れてみたい理由がもう一つありました。それは、私が今なお何枚か保存している子供時代の絵の中に、上述の天徳院の一部を写生した水彩画があり、その場所をぜひまた見たいと思ったということです。何年か前に同窓会で金沢へ一人で行った際に、天徳院へ寄ったのですが、山門の前に受付が出来ていて、山門内へ入るのも有料になったと知り、ゆっくり時間のある別の機会にしようと引き返したのでした。

 その後、ブログに子供時代の絵を順次載せて、それぞれの絵に若干の説明を付けました。天徳院の絵については、描いた部分の名称が分からなくて、インターネットで天徳院を検索し、楼門という言葉を見つけ、それだろうと思い、その絵を「天徳院の楼門」と名付けました。しかし、それが間違いだったことが今度の見学で分かりました。

 このたび訪れてみると、山門の前の受付は閉鎖され(城下町周遊バスのルートから遠く外れているので、思ったほど観光客が来ないせいでしょうか)、山門から右横手に続く、屋根と壁のある回廊を通って、寺院内で受付をすることになっていました。その途中に、「霊鐘」を収めた場所、鐘楼堂があります。「霊鐘」とは、加賀藩十二代藩主前田斉広の夢に現れて、「天徳院に行くを望む」と言ったため、御殿から移されて来たという由来のある鐘です。その鐘楼堂が私の写生した建物でした。なお、間違えて書いていた「楼門」というのは、天徳院の山門のタイプを示す言葉でした。

 鐘楼堂付近の境内には木々が大きく育って茂り(寺院裏の境内にあった前田家の墓地が野田山へ移転され、跡地に小立野小学校が建てられました。その際に何本かの木々が移植されたのかも知れません)、私が写生した向かって左寄りの位置からは堂の正面、特に朱塗りの上部とその部分にある窓が見えにくいほどになっていました(鐘楼堂の写真1)。そこで、右寄りの位置からの写真も撮って来ました(同写真2)。地面に苔がびっしりと生えている点でも、昔とは様子が異なっていました。[引用時の注:鐘楼堂の左右に連なる回廊の壁も、その後修復されたようである。]

 私は 6 年生の初め頃のこの鐘楼堂の写生が、水彩画の最初の経験のように記憶していました。戦後の大連では満足な授業を受けられなかったので、5 年生で習い始めるはずの水彩画を、5 年生末に金沢へ引き揚げて来るまで経験していなかったのです。しかし、机上に置いた「やかん」を水彩で写生した絵があり、その裏には、学年と組を「五ノ二」と書きかけて、「二」の上部の短い線だけを書き、上から線を引いて消し、「六ノ二」と修正してあります。このことから、「やかん」の方が 6 年生になったばかりのもので、「天徳院」より先だったと推測されます。

 「やかん」の採点としては、渦巻き状に 3 重半のような丸が画用紙の表にありますが、「天徳院」には、裏面に同心円状の 4 重丸があり、後者の採点記入方法は、鉛筆描きデッサンの「大八車」の作品にあるものと同じです。「大八車」の裏面には「六ノ一」と、私がやはり組を間違えて記しており、これも 6 年生になりたての作品のようです。図画の先生が変わったという記憶はありませんが、「やかん」の時は、図画の先生が未赴任で、クラス担任の先生が図画も指導していたのかも知れません。これらのことを総合すると、「やかん」、「大八車」、「天徳院」の順で描いたという推定が出来ます。(「やかん」と「天徳院」のあと先については、先述のブログ記事を書いた際に推定したもので、「大八車」を加えての推定は、この手紙を書くに当たって、原画を再度引っ張り出して考えたものです。文を書き始めると、いろいろ調べて推定したくなるのは、研究を仕事にしていたために生じた性癖でしょうか。)

 「やかん」の写生時には、各自が家から自分の描きたい静物を持参したのだったと思います。その時、H 君(先の手紙にも高校時代に金大附高での勉強ぶりを偵察に行った話に登場しました)が、何かのオモチャを持参して、慣れた筆使いで着彩をしていました。聞くところによると、彼は水彩画を習いに行っているとのことでした。そこで、私は自分ももっと水彩画の練習をしなければと思い、同じ「やかん」の絵を家でも描き、間借りしていた二階の部屋から道路を隔てて見えた家の写生や、辞書とインク瓶を並べての写生もした記憶があります。それらの習作の中では「やかん」だけを保存してあり、学校での写生と比べると、蓋のつまみと本体の陰影などに工夫を加えたものの、学校でのものより筆勢が弱いように思われます。筆勢の弱さは最近の作品にもしばしば見られるところではないでしょうか。

 高校生時代には天徳院の参道の前、向かって左側に「不許葷酒入山門」[くんしゅさんもんにいるをゆるさず。清浄な寺門の中に修行を妨げ心を乱す不浄な葷酒(ねぎの類に属する植物と酒)を持ち込んだり、それらを口にしたものが入ることを許さない、の意]と刻んだ石柱(戒壇石)が立っていましたが、今はそれが右側へ移され、左側には比較的新しい大きな石柱が立っていました。「不許葷酒入山門」の読み方は、高校時代に漱石の小説中に同じ言葉がフリガナ付きで出て来たのを見て知り(難しいのは「葷」だけですが)、大いに嬉しく思ったものです。

 天徳院内では、徳川二代将軍秀忠の次女で、3 歳で加賀の国へ輿入れし、14 歳で加賀三代藩主前田利常の正室となったという珠姫の半生(と言っても 24 歳という若さで亡くなったのです)を、からくり人形で演じるドラマが見られるとのことです。しかし、到着したのが、午前中は 10 時から 1 回だけの上演時間の終了後でした。そこで、多分同様の上演を撮影したと思われる DVD の上映(11 時から)の方を見て来ました。上映が済んでスクリーンが巻き上げられると、その向こうに静止状態のからくり人形一式を見ることが出来ました。寺院内のいろいろな展示物にも興味深いものがありました。茶一服を注文しての、黙照禅庭と呼ばれる回遊式庭園の鑑賞も楽しめました。

 かつて同期生・A 君の家のあった天徳院参道入り口付近には、小立庵(しょうりゅうあん)という手打ち蕎麦店が出来ていて、車での来客がひっきりなしという繁盛ぶりでした。私たちもその店で「金沢じぶそば」(同店が発祥元とか)を注文して昼食としました。

 昼食後、母校の現・金沢商業高校の正門前から小立野小学校前(私が卒業した石引小は、崎浦小と合併してこの学校に変わったのですが、ここを見たのは初めてです)を散策して、天徳院前バス停へ戻りました。バスを待つ間に、このバス停付近までの小立野の街の(少なくともメインストリートの)電線が地下埋設式になっていて、そこから湯涌方面へ向かう先で、旧来の電柱式のままになっていることに気づきました。

 […略…]梅雨も明けて、いよいよ猛暑の候に入ります。くれぐれもお身体をお大切に。ご機嫌よう。

 2019年7月25日

 T・T

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2019年7月16日火曜日

7 月上旬の花々 (Flowers during the First Half of July)


 2019 年 7 月上旬にわが家の庭に咲いた花々の写真 7 枚をフェイスブックにまとめて掲載した。こちらをクリックして出る画面で、ポインターを写真上に置くと右端に出る ">" 印を次々にクリックすると、全 7 枚をご覧になれる。最初のクチナシの花は、咲き始めには白いが、最盛期になると、2 枚目の写真のように黄色味を帯びる種類である。3 枚目はキキョウ、4 枚目はヤノネボンテンカ、5 枚目はハマユウ、6 枚目はアガパンサス、7 枚目はパイナップルリリー。

On my Facebook page, I posted seven photos of Flowers that had bloomed in my yard during the first half of July. Click here to see all of them one by one.

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