2007年2月13日火曜日

三高生・小川秀樹の愛読書

 「湯川秀樹を研究する会」のメンバーの一人であるMさんは、湯川博士の自伝『旅人』に書かれている記述を参考に、博士が学生時代(結婚前の姓は小川)に学んだ本を収集する趣味を持っている。最近、一冊だけ未収集だったフリッツ・ライヘの『量子論』の英訳をも入手したそうである。そして、この本がいまや、ウエブサイト [1, 2] から無料でPDFとしてダウンロードできることを、メンバー宛グループメールで教えてくれた。

 この本について、『旅人』には次のように書かれている。

 「高等学校の物理の学力では、『量子論』を完全に理解することは困難であった。それにもかかわらず――というよりも、むしろわからないところがあればこそ――ライヘの書物は面白かった。それまでに読んだ、どの小説よりも面白かった。」

 「私の今日までの五十年を通じて、一冊の書物からこれほど大きな刺激、大きな激励を受けたことはなかった。」

 ウエブサイトからはイギリス・アメリカ両版をダウンロードできるが、アメリカ版の方が綺麗にスキャンされている(イギリス版には、ページを抑えている指までも写っていたりする)。全200ページ弱の細長い形の本である(上掲のイメージはアメリカ版PDFに含まれている表紙)。とりあえず、緒言のページなどを読んで、若い日の湯川博士に思いを馳せた。緒言は1ページだけの短いものだが、次のような興味深い文章で始まっている。

 "The old saying that small causes give rise to great effects has been confirmed more than once in the history of physics. For, very frequently, inconspicuous differences between theory and experiment (which did not, however, escape the vigilant eye of the investigator) have become starting- points of new and important researches."

そして、アインシュタインの相対性理論やプランクの量子論にふれる。

 湯川博士はこの本の巻末の一節を和訳して引用しているが、その原文は次の通りである。

 "Over all these problems there hovers at the present time a mysterious obscurity. In spite of the enormous empirical and theoretical material which lies before us, the flame of thought which shall illumine the obscurity is still wanting. Let us hope that the day is not far distant when the mighty labours of our generation will be brought to a successful conclusion."

湯川博士は、別の本を買うために、この本を売ってしまったそうだから、この一節は書き写してあったのだろう(コピー機のない時代である)。この文に感銘を受けた湯川博士自身が、"the mighty labours of our generation"(著者らの世代の大きな努力)の一つに挑み、成功したのである。

 なお上記の巻末の文は第126ページにあり、127ページ以後、この本の約1/3は "Mathematical Notes and References" に当てられている。読み方次第では、前期量子論の概略を知ることも、理論的に深く学ぶこともできるようになっているのである。

 [1] イギリス版: http://www.archive.org/details/quantumtheory004289mbp.
 [2] アメリカ版: http://www.archive.org/details/quantumtheory00reiciala.

2007年2月10日土曜日

湯川著『旅人』の外国語版

 以下は昨2月9日、私が「湯川秀樹を研究する市民の会」のメンバーへ送ったグループメールから(若干修正)。

*     *     *

皆さん

 私がかつて『旅人』の英・独語版 [1, 2] に多くの誤訳を見つけて訳者たちに知らせたという話を、定例会で時間があれば紹介したいと思っていましたが、定例会はいつも時間が足りないくらいで、その機会がありませんでした。私が訳者たちに送った手紙(英文、独訳者へも!)と正誤表のごく一部(誤りであることの説明を要するものだけ)が私のウエブサイト [3] にありますので、興味のある方はご覧下さい。

 英訳は日本からの留学生 R. Yoshida 氏が L. Brown 氏(もと素粒子論、その後物理学史、特に湯川・朝永あたりの研究者)個人のために訳してあったものに、小沼通二氏の勧めで Brown 氏が手を入れて出版したということですが、日本の地名や人名の誤読(ローマ字書きの間違い)がかなりありました。

 私が Brown 氏に手紙を送った時に、ちょうど彼のもとへ行っていた小沼氏を通じて、氏の帰国後に Brown 氏のお礼を伝える電話がありました(その件については和文でウエブページ [4] に、いくつかの誤読例とともに書いてあります)。しかし、その後も、私の指摘を参考にした英訳の改訂版が出ていないのは残念です。Brown 氏が物理学史の研究者であるにしては、物理学史用語の間違いと思われるものもあったのが不思議です。Yoshida 氏の下訳に十分注意深くは手を入れなかったということでしょうか。

 独語版の訳者からは何の音沙汰もなく、初版から13年後の1998年にペーパーバック版が出ていますが、アマゾンのデータで見たところ、こちらも改定されている様子はありません。記憶している滑稽な誤訳は、湯川博士が小学生の頃親友と肩を組んで雨天体操場(いまの言葉でいえば体育館)を駆け回ったというところの「雨天体操場を」が「雨の日に運動場を」となっていたことや、日露海戦の殊勲者とされる東郷元帥が陸軍の高官だったようになっていたことです。

 なお、私は京都国際会議場で開かれた中間子論50年国際シンポジウム(1985)の場で Brown 氏に会い、少しばかり話をしました。彼は『旅人』の仏訳が英訳から無断で再訳したものだといって、不興げな面持ちでした。

 T.T.

 後日の追記:英語版、独語版双方の正誤表全体をPDFとしてダウンロード出来るようにした(http://www.geocities.jp/tttabata/yfiles.html)。

  1. Hideki Yukawa "Tabibito", L. Brown and R. Yoshida, transl. (World Scientific, 1982).
  2. Hideki Yukawa: Tabibito - Ein Wanderer, E. Müller-Hartmann, ed; C. M. Fischer, transl. (Wissenschaftliche Verlagsgesellschaft, 1985).
  3. The English Edition of Yukawa's "Tabibito", 続いて The German Edition of Yukawa's "Tabibito" が掲載されている. "Surely I'm Joking!: A Physicist's Personal Essays" 所収 (IDEA Web site).
  4. 再び湯川さんを媒介に, 「ファインマンさんと私の無関係な関係」所収 (IDEA Web site).

2007年2月8日木曜日

湯川博士と源氏物語

 昨年4月に正式発足して勉強を続けてきた「湯川秀樹を研究する市民の会」の成果を発表する3月4日のシンポジウムまで、あと1カ月を切った。以前 Scientific American 誌に掲載された Laurie M. Brown、南部陽一郎両氏による「戦時中の日本の物理学」という記事を未読のまま、どこかに残してあった。同シンポジウムでの発表に参考になるようなことが書いてないか、読んでみたいと、一昨晩それを探した。

 ところが、どこを探しても、その記事は出て来ない。幸いオンラインで pdf の形で購入した Scientific American 誌の特集号の中に、その記事 [1] が再録されていて、読むことが出来、次のような記述を見つけた。

"Yukawa was doing war work one day a week; he never said what this entailed. (He did say that he would read The Tale of Genji while commuting to the military lab.)"
[湯川は一週間に一度戦争の仕事をしていた。彼はそれが何に関わるものだったかを決していわなかった。(彼は陸軍の研究所へ通いながら『源氏物語』を読んでいるといっていた。)—筆者和訳—]

湯川博士が陸軍の研究所で『源氏物語』を読んでいたというのは、原爆開発の参考になりそうな文献(「原子物語」)を講釈させられていたという意味と思われる(Scientific American 誌の英語圏の読者にはこの陰喩が分からないだろう)。

 私の恩師で湯川博士の京大同期生だった木村毅一博士の随筆集にも、「荒勝研究室の残留組は、戦争中、研究資材の不足する中で、ウランの核分裂に関する研究にたずさわっていた。その頃、湯川教授や坂田氏、谷川氏などの理論家と、荒勝研究室の実験グループが一緒に核分裂に関する文献を読み、ウラン235の濃縮法についての検討をしばしば行なった」[2] 旨の記述がある。湯川博士が核兵器廃絶に熱心だった背後には、戦時中のこのような事情への反省もあったかも知れないと思わされる。

文献

  1. L. M. Brown and Y. Nambu, "Physicists in Wartime Japan" Sci. Amer. (December 1998); also included in "The Science of War: Nuclear History" Sci. Amer. Special Online Issue (2002).
  2. 木村毅一, 原子力関係研究の思い出,『アトムのひとりごと』p. 37 所収 (丸善, 1982).

2007年2月1日木曜日

○×式採点

 以下は、私がけさ「湯川秀樹を研究する市民の会」のメンバーへ送ったグループメール(一部修正)。

*     *     *

 皆さん、お早うございます。

 昨1月31日付け朝日新聞夕刊にも湯川博士関連の記事がありました。「窓:論説委員室から」欄です。題名は「湯川さんは50点?」というもので、前半の文で、湯川博士のノーベル賞論文は、「強い力を説明する未知の新粒子によって、弱い力まで説明しようとしていた。見立ての半分は○、半分は×だった」旨を述べています。

 これは決して湯川博士をおとしめようとする文ではなく、「物理学者は、多彩な自然界をできるだけ単純な理論で描こうと試みる」と説明し、あの論文がいろいろな点で不完全だったにもかかわらず、世界中の学者がとびついて、その理論を完全なものに整えようとした理由は、「湯川構想の大きさにある。文字通り開拓型の論文だった」との、佐藤文隆さんの言葉を引いています。そして、「科学は、大胆な構想と絶えざる試行錯誤で進んでいく。湯川さんの『50点』は、そのことを物語る」と結んでいます。

 湯川博士は中性子と陽子が引き合う力の場として、U場のポテンシャル(湯川ポテンシャル)を導入しました。その符号が斥力に対応するものだった [1] ことを問題にすれば、中間子論文は、「○×式採点」では零点とさえいえます。○×式採点が科学論文の評価に不適当なことは勿論のこと、筆者の論説委員は述べていませんが、児童・生徒の能力評価においても大いに問題があることを、湯川論文は物語っているのではないでしょうか。

 T.T.

  1. 益川敏英, 中間子論:独自の素粒子像追う, 朝日新聞夕刊「波」欄 (2006年6月30日).

(2007年2月1日)