2013年11月30日土曜日

2013年10月分記事へのエム・ワイ君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts of October 2013)

[The main text of this post is in Japanese only.]


シュウメイギク。2013 年 11 月 13 日、わが家の庭で。秋の午後の
低い太陽が背後から照らしていた。
Japanese anemone. Taken in my yard on November 13, 2013. The sun, low in the sky
of the autumn afternoon, was giving light from behind.

2013年10月分記事へのエム・ワイ君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 10 月分への感想を 2013 年 11 月 27 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



1. 漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」1

 「私が夏目漱石の『草枕』を初めて読んだのは高校 1 年生のときだった。そのときに次のような読後感を記している」から始まり、以下のように続く前置きをしています。
高校時代の日記につないで、芸術の「非人情」に疑問を呈したのでは、日記中で「非人情」を「あくまで芸術の中だけのことであろう」と述べて、「芸術中」では一応よしとしていることと矛盾するようである。ただし、日記中の「芸術の中だけ」が「小説中の主人公がそのように考えるだけ」を意味すると取れば、必ずしも矛盾はしない。こう考えると、『草枕』の主人公が唱える「非人情」は、作品の中だけでよしとされているのか、漱石自身が追い求めた境地なのかということを知りたくなる。『漱石全集第四巻』(岩波書店、1956)で再読した『草枕』のページをぱらぱらとめくってみた。ぱらぱらとめくってみても、答が求まる問題ではないが、巻末にある小宮豊隆の「解説」が助けてくれた。小宮は、漱石が『草枕』を書いている間に知人に当てた手紙に、「是とても全部の漱石の趣味意見と申す訳に無之」と記していることを引きながらも、次のように記している。
勿論『草枕』の画工によって唱導された「非人情」説の境地は、後の漱石にも断えずあがこれの目標になっていた。[…中略…]漱石の晩年のモットオであった「則天去私」も亦『草枕』の「非人情」と重要な繋がりを持っている。しかし、この「則天去私」になるまでには、『草枕』の「非人情」説は、幾度もアンティテーゼを置かれて、十分鍛錬されなければならなかったのである。
これによれば、「非人情」は、『草枕』執筆当時の漱石としてはまだ到達し切れていなかったが、晩年に到達した境地である、ということになる。そうとなれば、「小説中の主人公がそのように考えるだけ」は、成り立たなくて、私は、『草枕』初読および再読の結果としての、「漱石の非人情説」への感想をどうまとめるか、という課題を自らに課さなければならない。
このあと、筆者のこの課題解決への挑戦が始まります。全 13 章中、第 11 章まで主人公の唱える「非人情」に関する要所を余すところなく取り上げ、論評した優れた読み物となっています。各回に前回までの復習がなされているのも連載シリーズを読みやすくしています。

 主人公がどのような境地で絵を描くべきか、どのような絵を好ましく思っているかについての例としてあげている、ターナーの絵とミレーのオフエリアの絵について小説に書かれている個所をたどり、参考までに補足説明をします。ターナーの絵については、中学 1 年の国語教科書にあった『坊ちゃん』にも書かれていましたので、当時ターナーの絵自体をまだ見ていなかった私にも、知識だけが植えつけられました。筆者は第 3 回に、次のように述べています。
第三章で、主人公は静かな宿に泊まり、不思議な一夜を経験する。その途中で、「非人情」を目指しながらも修行が足りないという思いが、次のように述べられている。
どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探りを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪さが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。
ここにある引用文の前に、小説では次の文があります。
この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無上の宝璐(ほうろ)を知る。俗にこれを名なづけて美化と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛たる彩光は、炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。ただ一翳(えい)眼に在って空花乱墜(くうげらんつい)するが故に、俗累の覊絏(きせつ)牢として絶たちがたきが故に、栄辱得喪のわれに逼る事、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
上記の引用中、「ただ一翳眼に在って~切なるが故に」は、一般人が芸術家の目を通さなければ現象世界の美に気づかない理由について、難解な文学的表現で述べたものであり、漢和辞典を引くなどでして意訳すると、「ただ、迷いや煩脳があれば正しく認識することができない故に、世間的な関係の束縛は牢固で断ちがたい故に、名誉や恥辱を得たり失ったりすることがわが身にせまることをひたすら思い続けている故に」となるでしょう。

また、筆者の引用部分にある「好題目」について、、
余が今見た影法師も、ただそれきりの現象とすれば、誰が見ても、誰に聞かしても饒(ゆたか)に詩趣を帯びている。――孤村の温泉、――春宵の花影、――月前の低誦、――朧夜の姿――どれもこれも芸術家の好題目である。
と、四つの出来事が具体的に書いてあります。さらに、次のように続きます。
昔し以太利亜の画家サルヴァトル・ロザは泥棒が研究して見たい一心から、おのれの危険を賭けにして、山賊の群に這入り込んだと聞いた事がある。飄然と画帖を懐(ふところ)にして家を出(い)でたからには、余にもそのくらいの覚悟がなくては恥ずかしい事だ。こんな時にどうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据つけて、その感じから一歩退いて有体(ありてい)に落ち付いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである。詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有している。その方便は色々あるが一番手近なのは何でも蚊でも手当り次第十七字にまとめて見るのが一番いい。

 徳富蘆花は明治 33 年に『自然と人生』を出版しています。短篇の小説や無韻の詩というべきもの、あるいは水彩画ともいうべきもの、およそ百篇を一巻にまとめたものです。同書は「風景画家コロオ」の章で結ばれています。そこには、「余は真にコロオの画を愛す、更に画家その人を絶愛す。[…]彼が世に遺しし名画幾幅は、今も猶自然の美を歌ひ、上帝の愛を歌ふて、斯の辛き世に於いて限りなき平和怡楽の一源泉となり、見るものをして清からしむ」とあり、蘆花が画家としてのコロオに傾倒し、創作に大いに影響を受けていることがうかがわれます。また、「彼は或点に於いて実に、印象派の第一先登なりき。[…]彼は詩情満身、自然の風景をとって、自家の詩腸詩眼によって洗練して出す詩人的画家にして、また自から知り、信ずる所を守って更に動ぜざる豪傑の士なり」と讃えています(文献 1)。

 現在 95 歳の日本画家・堀文子は、「肩書を求めず、ただ一度の一生を美にひれ伏す、何者でないものとして送ることを志して来た」、「私は画工です。アーティストと言うと何か得体の知れぬもの」と述べています。そして、様々な国を旅し、イタリアのトスカーナに滞在し、「風景は民族の思想…風景は自然を取捨選択しその国が作り上げた作品」と考えるに至ったとのことです(文献 2)。フランスのコローや堀文子のイタリアでの生き方には、上記の漱石の説く心境と一脈通じるところがあると感じました。

 第 7 回は、第九章についてまとめられ、
会話の終りに「鏡の池」の話が出て、那美は「私が身を投げて浮いているところを――苦しんで浮いてるところじゃないんです――やすやすと往生して浮いているところを――奇麗な画にかいて下さい」という。
と書かれています。この前に小説の第七章に伏線が敷かれています。主人公が湯槽につかり、「身体を出来るだけ抵抗力なきあたりへ漂」わせ、「流れるもの程生きるに苦は入らぬ。成るほど土左衛門は風流である」との実感を得て、次のように考えています。
[…]ミレーのオフェリヤも、こう観察すると大分美しくなる。何であんな不愉快な所を択んだものかと今まで不審に思っていたが、あれはやはり画になるのだ。水に浮んだまま、あるいは水に沈んだまま、あるいは沈んだり浮んだりしたまま、流れる有様は美的に相違ない。それで両岸に色々な草花をあしらって、水の色と流れて行く人の顔の色と、衣服の色に、落ちついた調和をとったなら、きっと画になるに相違ない。しかし流れて行く人の表情が[…]全然色気のない平気な顔では人情が写らない。どんな顔をかいたら成功するだろう。ミレーのオフェリヤは成功かもしれないが、彼の精神は余と同じ所に存するか疑わしい。ミレーはミレー、余は余であるから、余は余の興味を以て、一つ風流な土左衛門をかいて見たい。しかし思うような顔はそうたやすく心に浮かんで来そうもない。湯のなかに浮いたまま、今度は土左衛門の賛を作って見る。

文 献
  1. 『自然と人生』(ワイド版岩波文庫、2005年)。
  2. ヒューマンドキュメンタリー『画家・堀文子93歳の決意』NHK テレビ総合 2011 年 12 月 23 日放送

2. 海外旅行から帰ってみると

 「当地でまだキンモクセイの咲いていなかった 18 日朝のルフトハンザ機でドナウの船旅に向かった。今年はキンモクセイの花を見ないことになるかと思っていたが、28 日午前、わが家へ戻ると、庭のキンモクセイがちょうど満開だった」とのこと。海外旅行から帰られた時、庭の花が咲いて迎えてくれたことが前にも記されていました。この度は予期せぬ満開の花が迎えてくれてよかったですね。当地関東では 10 月 7 日ころが満開でした。御地と比べ 20 日も早いのですね。

2013年11月28日木曜日

ドナウ川クルーズ 18 (Cruise on the Danube -18-)

 旅の 4 日目(10 月 21 日)午前、ブラチスラヴァ市内の観光(続き)。

The morning of the fourth day (October 21) of the trip: sightseeing in Bratislava (continuation).


木々の黄葉が美しい街の広場。
The square beautiful with yellow leaves of trees.


日本大使館の入っている建物。
The building that contains the Japanese Embassy.


旧市庁舎
Old Town Hall.


チュミル像(Cumil、「のぞく人」の意)。この辺りには、
他にもユーモラスな像がいくつもある。
Cumil bronze statue. In this neighborhood, there are also some other humorous statues.


旧スロバキア国立劇場。
The old Slovak National Theatre building.

(続く)
(To be continued)

2013年11月26日火曜日

ドナウ川クルーズ 17 (Cruise on the Danube -17-)

 旅の 4 日目(10 月 21 日)午前、ブラチスラヴァ市内の観光(続き)。

The morning of the fourth day (October 21) of the trip: sightseeing in Bratislava (continuation).


ブラチスラヴァ旧市街へ。
We go into the Old Town of Bratislava.


聖マルチン大聖堂
St. Martin's Cathedral, Bratislava.


ミハエル門への街路。
The street leading to Michael's Gate.


小路の先にブラチスラヴァ城が見える。
Bratislava Castle is seen beyond the alley.


リストが 9 歳まで過ごした家。いまは大学の図書館。
The house where Franz Liszt lived up to 9 years old. It is the university library now.


ミハエル門、かつて旧市街の入口だった門の一つ。現在、内部は武器博物館になっている。
Michael's Gate. It is the only city gate that has been preserved of the medieval fortifications and houses the Exhibition of Weapons of Bratislava City Museum now.

(続く)
(To be continued)

2013年11月25日月曜日

ドナウ川クルーズ 16 (Cruise on the Danube -16-)

 旅の 4 日目(10 月 21 日)午前は、スロバキアの首都で同国最大の都市、ブラチスラヴァの市内を観光。

In the morning of the fourth day (October 21) of the trip, we went for the sightseeing of Bratislava.


朝、ブラチスラヴァの港に停泊していたセレナーデ II 号の船室から見た風景。
右手に SNP 橋。橋を支える塔の上に円形の「UFO レストラン」がある。
The landscape as seen from our cabin of the Serenade II in the early morning. At the right, Most Slovenského národného povstania (English: Bridge of the Slovak National Uprising), commonly referred to as Most SNP, is seen with UFO restaurant at the top of the tower.


観光には、まず、ブラチスラヴァ城へ。この古城は、ドナウ川を見下ろす高台にあり、
かつてマリア・テレジアの居ともなっていた。写真は城の正面入り口。
The first spot for sightseeing here was Bratislava Castle. The castle stands on a hill, which looks down the Danube, and was once a home of Maria Theresa.


ブラチスラヴァ城の立つ高台からのドナウ川の眺め。
View of the Danube from the castle hill.


同上。
The same as above.


同上。われわれの船、セレナーデ II 号が見えないだろうかと、ドナウ川の方ばかりを撮影していて、川のこちら側左手に広がる美しい旧市街の風景を撮り忘れた。
この写真には、スケッチした SNP 橋が写っている。
The same as above. I wanted to take a picture of our ship, the Serenade II, on the Danube and forgot to take a shot of a view of the beautiful old town at the left of this side of the river. In this photo, SNP Bridge, which I sketched in the cabin, is caught.


市街から見上げたブラチスラヴァ城。城の四隅にある塔をテーブルの脚に見立てて、
しばしば「ひっくり返したテーブル」と呼ばれる。
Bratislava Castle as seen from the town. Because of its rectangular building with four corner towers, the castle is often referred to as an upside-down table.

(続く)
(To be continued)

2013年11月23日土曜日

ドナウ川クルーズ 15 (Cruise on the Danube -15-)

 旅の 3 日目(10 月 20 日)午前の「ドナウの曲がり角」地方、エステルゴムの観光(続き)。

Sightseeing of Esztergom, the Danube Bend region, in the morning of the third day (October 20) of the trip (continuation).


エステルゴム大聖堂の裏から見たドナウ川。前方が南。
橋は「マーリア・ヴァレーリア橋」。
The River Danube as seen from the back of the Esztergom Basilica. The camera is looking in the direction of south. The bridge in the picture is the "Mária Valéria Bridge."


対岸はスロバキア。マーリア・ヴァレーリア橋の中央上部に
国境を示す標識があるとのこと。
The opposite bank belongs to Slovakia. There is a sign indicating the border
on the middle of the Mária Valéria Bridge.


パプリカの肉詰めなどの昼食をとったレストラン。
日本語ユーモラスに話す中年のウエイターがいた。
The restaurant where we had dishes of paprika stuffed with meat, etc., for lunch.
There was a middle-aged waiter who spoke Japanese humorously.


昼食後、バスでハンガリー・スロバキア間の国境を越え、セレナーデ号が待つブラチスラヴァに向かう。写真は途中でバスから見た発電用風車の並ぶ風景。
After lunch, we crossed the border between Hungary and Slovakia by bus and went to Bratislava, where our ship, the Serenade II was waiting. The photo shows a landscape lined
with wind power generators as seen from the bus.


17:00 頃、セレナーデ号船室に落ち着く。船室をかざる絵は、前回乗船したときの船室のものとは異なるが、明らかに同じ画家によるもの。
Around 17:00, we settled down in the cabin of the Serenade II. The painting decorating the cabin was different from the one in the cabin we previously stayed but was evident
to have been drawn by the same painter.

(続く)
(To be continued)

2013年11月22日金曜日

ドナウ川クルーズ 14 (Cruise on the Danube -14-)

 旅の 3 日目(10 月 20 日)午前の「ドナウの曲がり角」地方、エステルゴムの観光。

Sightseeing of Esztergom, the Danube Bend region, in the morning of the third day (October 20) of the trip.


エステルゴム大聖堂。高さ 100 m で、ハンガリー最大の建物である。
Esztergom Basilica. It is 100m high and is the biggest building in Hungary.


大聖堂の内部。正面の祭壇画はミケランジェロ・グレゴレッティ作「聖母マリアの被昇天」。一枚のキャンバスに描かれた絵としては世界最大級。
The inside of Esztergom Basilica. The altarpiece at the front is Michelangelo Grigoletti's Assumption of the Virgin Mary. It is one of the world's largest as the picture painted on a piece of canvas.


大聖堂のパイプオルガン。リストが演奏した時代のものからのストップ(音色選択機構)が、いくつも現在のオルガンに保存されている。
The organ in Esztergom Basilica. The present organ preserves several stops
from the instrument Liszt played.


大聖堂の脇に立つ旧神学校。2006年に改修された。
"Old seminary" standing near Esztergom Basilica. It was renovated in 2006.

(続く)
(To be continued)

2013年11月21日木曜日

ドナウ川クルーズ 13 (Cruise on the Danube -13-)

 旅の 3 日目(10 月 20 日)午前の「ドナウの曲がり角」地方、ヴィシェグラードの観光。

Sightseeing of Visegrád, the Danube Bend region, in the morning of the third day (October 20) of the trip.


マティアス・コルヴィヌス(マーチャーシュ1世)の王宮跡。
Remains of Palace of Matthias Corvinus.


丘の上にヴィシェグラード城が見える。
Visegrád Castle is seen on the hill.


黒山に建つホテル・シルヴァヌスで、「ドナウの曲がり角」の絶景を
楽しみながらのティータイム。このあと、エステルゴムへ。
We had tea time at Hotel Silvanus on Fekete-hegy with a fine view
of the Danube-bend. Then, we moved to Esztergom.

(続く)
(To be continued)

2013年11月20日水曜日

ドナウ川クルーズ 12 (Cruise on the Danube -12-)

 旅の 3 日目(10 月 20 日)朝。

The morning of the third day (October 20) of the trip.


見慣れたブダ城と…
Saying goodbye to the dear views of Buda Castle, ...


鎖橋とマーチャーシュ聖堂と…
... Chain Bridge and Matthias Church, ...


対岸の街並や…
... as well as the urban and ...


のどかな風景にも別れを告げ、…
... idyllic landscapes on the opposite bank, ...


3 台のバスに分乗して、「ドナウ大曲(おおまがり)」(「ドナウの曲がり角」とも。
本シリーズ初回の地図参照)の観光に向かう。
... we rode separately on three buses and went for the sightseeing of
"Danube Bend (Hungarian Dunakanyar)."

(続く)
(To be continued)

2013年11月18日月曜日

ドナウ川クルーズ 11 (Cruise on the Danube -11-)

 旅の 2 日目(10 月 19 日)午後、自由時間散策の続き。

Continuation of walking during the free time in the afternoon, the second day (October 19) of the trip.


自由橋から見たドナウ川上流のブダ地区。左から右へ、ブダ城、マーチャーシュ聖堂の高い尖塔、漁夫の砦(低い尖塔がいくつも並んでいる所)が見える。(あとの二つの場所は、われわれ旅の一行中の二つのグループが午前中に訪れたが、
私たちのグループは訪れなかった。)
Part of Buda District in the direction of the upper stream of the Danube as seen from the Liberty Bridge. From left to right, Buda Castle, the high spire of Matthias Church and Fishermen's Bastion (some low spires lined up) are seen. (Other two groups of our tourist party visited the last two places in the morning, but our group did not.)


自由橋を渡ると、午前中にバスから見た中央市場(ナジサルノク)がすぐ近くにある。
Crossing the Liberty Bridge, we come close to Great Market Hall (Nagycsarnok),
which we saw from the bus in the morning.


ペスト地区の街並。
View of a street in Pest District.


石畳の街路にテーブルを並べたレストランが賑わっている。
A restaurant with tables on the street paved with stone is well crowded.


鎖橋近くのホテルへ戻りついたのは、15:30 頃。約 1 時間 20 分の散策だった。
We came back to the hotel near Chain Bridge, around 15:30. It was a walk
of about one hour and twenty minutes.


夕食前の 18:10 頃、ホテル前から見たブダ城。空はまだ明るいが、
ライトアップが始まっている。
Buda Castle as seen from the front of the hotel, around 18:10 before dinner.
The sky was still bright, but lighting-up had already begun.


先の写真の右に続く光景。鎖橋の向こうに、マーチャーシュ聖堂と
漁夫の砦もライトアップされている。
Landscape at the right of the one in the previous photo. Beyond the Chain Bridge,
Fisherman's Bastion and Matthias Church are also lit up.

(続く)
(To be continued)

2013年11月17日日曜日

ドナウ川クルーズ 10 (Cruise on the Danube -10-)

 旅の 2 日目(10 月 19 日)の続き。ゲッレールト山から市街地へ戻り、レストランでハンガリーの名物スープ「グヤーシュ」などの昼食をとる。午後は自由行動で、妻と私は、セーチェーニ鎖橋から下流へ二つ目の橋までの間の、ドナウ川の両岸を散策した。出発は 14: 30 頃。

Continuation of the second day (October 19) of the trip: Coming back from Gellért Hill to the urban area, we took a lunch of Hungarian specialty soup "goulash (Hungarian: gulyás)" etc. in a restaurant. During the free time in the afternoon, my wife and I went for a walk along both sides of the Danube between Széchenyi Chain Bridge and the second bridge downstream. The time of departure was about 14:30.


セーチェーニ鎖橋をブダ側へ…
We passed Széchenyi Chain Bridge to the Buda side ...


…渡って、ペスト側を振り返る。
... and looked towards the Pest side.


ドナウ川右岸(ブダ側)電車通りの並木。
Rows of trees along the street-car road on the right bank of the Danube (Buda side).


次の橋「エルジェーベト橋」付近からの対岸(ペスト側)の眺め。
View of the opposite bank (Pest side) from the vicinity of the next bridge, "Elisabeth Bridge."


対岸の鎖橋の方を振り返ると、国会議事堂のドームが見える。
Looking the opposite bank in the direction of the Chain Bridge, we saw the dome of the Hungarian Parliament Building.


ブダ側、ゲッレールト山の麓を走る電車。
A Train running at the foot of Gellért Hill, in the Buda region.


下流二つ目の橋「自由橋」に近づく。
We came near the second bridge downstream, "Liberty Bridge."

(続く)
(To be continued)

2013年11月16日土曜日

ドナウ川クルーズ 9 (Cruise on the Danube -9-)

 旅の 2 日目(10 月 19 日)午前中のブダペスト市内観光で撮った写真の続き。国立歌劇場前からバスでゲッレールト山へ行く。以下の写真は、いずれもその山の上で撮影。

Continuation of the photos taken during the sightseeing in the morning of the second day (October 19) of the trip: We went to Gellért Hill from the State Opera House by bus. All the photos below were taken on the hill.


ドナウ川とブダペストの市街。
The Danube and the urban area of Budapest.


ブダ城。
Buda Castle.


ペスト地区。中央の黒っぽい建物は、われわれの宿泊した
インターコンチネンタル・ホテル。
Pest region. The building of dark color in the middle is the Intercontinental Hotel where we stayed.


手前の橋はセーチェーニ鎖橋。向こうの橋はマルギット橋。その向こうにマルギット島
中央右寄りに見えるドームは国会議事堂のもの。
The bridge in the foreground is Szechenyi Chain Bridge, and the one in the distance is Margaret Bridge. Margaret Island lies at its back. The dome seen at the center right belongs to
the Hungarian Parliament Building.


カメラを先の写真よりさらに右に向ける。中程の二つの尖塔とドームは
聖イシュトバーン大聖堂
Turning the camera further to the right than the previous shot, we see the dome and two spires of
St. Stephen's Basilica (at the middle of the photo).

(続く)
(To be continued)