2013年9月29日日曜日

エリオットの詩への異論? (Objection to a Line of T. S. Eliot's Poem?)

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可愛らしい小さな花だが、名を知らない。教えていただければ幸いである。
2013 年 9 月 24 日、堺市・鈴の宮公園で撮影。
Please tell me the name of this plant. The photo was taken in Suzunomiya Park, Sakai,
on September 24, 2013.

エリオットの詩への異論?

 『図書』2013 年 10 月号 p. 29 の大江健三郎さんのエッセイ「本質的な詩集(二)」に、同氏が 70 歳になって書いた長編小説『さようなら、私の本よ!』のしめくくりに引用したという、エリオット著、西脇順三郎訳『四つの四重奏曲』からの次の 3 行が紹介されている。
老人は探検者になるべきだ
現世の場所は問題ではない
われわれは静かに静かに動き始めなければならない
そして、大江さんは、
 この三行目の原詩 We must be still and still moving については、専門家の異論を見たこともあるけれど、いま老年もさらに深まっている私の、生き方の指標をなしている……
と記している。

 原詩についての異論とはどういうことだろうか。詩そのものは、論文などと異なって、異論を唱える対象になるものではない。詩の解釈について、相異なる論があるということではないだろうか。そう思って、3 行目の原詩とその西脇訳を比べてみると、英文学の専門家でないながら、別の訳が出来そうな気がする。しかし、念のため、インターネットで、原詩のこの行の前後や、その行の意味についての記述を調べてみた。問題の行は、詩集 Four Quartets の中の詩 "East Coker" の最終章 V の、以下のような最後の節、人びとが高齢化したときのことを詠んだところにある。大江さんが引用している西脇訳に対応する部分を太字で示す。
Home is where one starts from. As we grow older
The world becomes stranger, the pattern more complicated
Of dead and living. Not the intense moment
Isolated, with no before and after
But a lifetime burning in every moment
And not the lifetime of one man only
But of old stones that cannot be deciphered
There is a time for the evening under starlight
A time for the evening under lamplight
(The evening with the photograph album)
Love is most nearly itself
When here and now cease to matter
Old men ought to be explorers
Here or there does not matter
We must be still and still moving

Into another intensity
For a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation
The wave cry, the wind cry, the vast waters
Of the petrel and the porpoise. In my end is my beginning

 問題の行の意味・解釈を記したものとしては、次の三つが見つかった(下線はいずれも筆者による)。
"We must be still and still moving," that is, we must be full of that inner, non-active, silence. (Terry L. Fairchild, Time, Eternity, and Immortality in T. S. Eliot's Four Quartets)

"The Cloud of Unknowing teaches that we can achieve communion with God only through the Grace of divine Love. To prepare ourselves to receive this gift, we must enter a state of quiet stillness, suspended between heaven and earth. Above -- between us and God -- lies a mysterious "cloud of unknowing", which our understanding can never penetrate. Between us and the world, we must create a "cloud of forgetting", leaving conscious thought and desire below. In this timeless place of forgetting and unknowing, we may begin to hear that for which we are listening. T.S. Eliot said it this way:
'We must be still and still moving
Into another intensity for a further union, a deeper communion
Through the dark cold and the empty desolation...' "
(John Luther Adams, Clouds of Forgetting, Clouds of Unknowing)

Oliver Barratt’s still moving takes its cue from TS Eliot’s Four Quarters:
'Here and there does not matter
We must be still and still moving.'
Motionless yet seemingly alive, inert yet bristling with energy, the sculptures explore the paradox at the heart of Eliot’s poem. The opposition between stillness and movement is just one of a series which dominates the show. (Chris Greenhalgh, Oliver Barratt: Still moving)

 これらの解釈のどれもが、下線をつけた部分に、西脇訳の「静かに」に相当する言葉があり、私が想像した次のような「異論」は見当たらない。——"Still" が「静か」という意味を表すときは形容詞であり、問題の行の中では、"be" に直結し、"We" の補語になる。そうすると、"be" は "moving" とは結ばれない。"And still" のあとにコンマはないものの、"We must be still and still, moving ..." のように理解しなければならない。しかし、"still" は「いまなお」という意味の副詞でもあり得る。この意味と考えれば、コンマはないままでよい。"Still" がくり返されているのがいささか不思議だが、「年をとってから、なおも、なおも」という意味の、副詞の強調だとはとれないだろうか。——

 私の想像は当たっていないかどうか、この行の「異論」をご存じの方があれば、お教えいただけるとありがたい。

2013年9月27日金曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」6 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -6-)

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アヒル。堺市・中の池公園で、2013 年 9 月 14 日撮影。
Domestic ducks. The photo was taken in Nakanoike Park, Sakai, on September 14, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」6

 本シリーズの第 5 回では、漱石の『草枕』の第六章で展開されている、「非人情」の境地で得た興趣を絵にすることは難しいが、詩にはなりそうだ、という主人公の考察と、第七、八章の粗筋を紹介した。

 第九章では、主人公が部屋で英語で書かれた小説を読んでいるところへ、宿の女、那美が話に来る。話は小説の読み方から惚れ方へと進む。那美が「すると不人情な惚れ方をするのが画工(えかき)なんですね」といい、主人公は「不人情じゃありません。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」という。「なるほど面白そうね。じゃ、今あなたが読んでいらっしゃる所を、少し話してちょうだい。どんな面白い事が出てくるか伺いたいから」「話しちゃ駄目です。画(え)だって話にしちゃ一文の価値(ねうち)もなくなるじゃありませんか」「ホホホそれじゃ読んで下さい」「英語でですか」「いいえ日本語で」「英語を日本語で読むのはつらいな」「いいじゃありませんか、非人情で」。地の文が、「もし世界に非人情な読み方があるとすればまさにこれである。聴く女ももとより非人情で聴いている」と説明する。——という具合に、ここには非人情が多く出る。

 主人公は那美に本を読み聞かせながら、「非人情だから、いい加減ですよ。ところどころ脱けるかも知れません」「普通の小説はみんな探偵が発明したものですよ。非人情なところがないから、ちっとも趣がない」などといえば、那美も「じゃ非人情の続きを伺いましょう。それから?」という。主人公が「男は女の手を把(と)る。鳴りやまぬ弦(ゆづる)を握った心地である。……」と読むと、「あんまり非人情でもないようですね」「なにこれが非人情的に聞けるのですよ。しかし厭(いや)なら少々略しましょうか」。

 そこへ地震が起こり、一羽の雉子(きじ)が藪の中から飛び出す。主人公「雉子が」。「どこに」と那美がすり寄る。二人の顔が触れんばかりに近づく。「非人情ですよ」と那美。「無論」と主人公。——主人公は、非人情の芸術製作を離れて、非人情の体験を盛んに積んでおる。(引用文中の非人情への下線は引用者による。)(つづく)

2013年9月23日月曜日

「鏡の謎」をめぐって:M・K 先生へ (About "Mirror Puzzle": To Prof. M. K.)

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黄色のヒガンバナ。2013 年 9 月 21 日、ウォーキング途中で撮影。
Yellow spider lily. The photo was taken on my way of walking
exercise on September 21, 2013.

「鏡の謎」をめぐって

 「鏡の謎」とは、古来いわれている「鏡はなぜ左右を逆にし、上下を逆にしないか」という疑問である。最近、名古屋工業大学名誉教授の M・K 先生(ご専門は化学)が、日本科学者会議大阪支部の哲学研究会で「『右と左』—対称、鏡、旋光性、らせん—」と題する講演をされることを知り、私も鏡においての「右と左」に興味を持っている(詳しくはこちら参照)ことをお知らせし、メールで若干の意見交換をして来た。以下は、きょう M・K 先生へ送ったメールである(ここへの引用に当たって、多少手を加えた)。

K 先生

 8 月 28 日付けメール、ありがとうございました。「特にレスポンス等、お相手していただかなくて結構です」とありましたのに甘えて、返信を差し上げることを遅らせているうちに、1ヵ月近くも経ちました。さる 20 日のご講演は好評だったことと拝察致します。

 先生のメールに対して、いくつかのコメントをさせていただきます。

 (1)「資料が残っているという点では、M. ガードナー氏が最初なのでしょうが…」
 Gardner の説は確かに、かなり進んだ説の最初ではありますが、古くは Plato、Lucretius から Kant などの考察の記録も、Richard Gregory 著 "Mirrors in Mind" (W. H. Freeman, 1996) に紹介されています。前二者の記述は、Gregory も、理解困難、意味不明瞭と述べているように、問題にならないようなものですが、Kant は enantiomorph に言及しています。

 (2)「鏡の反転の話題を扱って、1冊の本になったり、学術論文になったりすることが、私にとっては不思議」
 私も、Gardner の "The New Ambidextrous Universe (The third revised edition)" (W. H. Freeman, 1990) 中に、同書初版に Gardner が書いた「鏡の謎」についての説が 3 編の学術論文に取り上げられたとあるのを読んだときは、不思議に思いました。しかし、その後、複雑な説明をしている高野説が出て、私自身、これは放っておけないと思い、それに反論する学術論文を書くに至りました。論文『鏡像認知の論理』に特別賞が出たことへの感想は、それが「鏡の謎」について何らの進展をさせた論文でもないと思っていることによるもので、先生のお感じとは共通でないと思います。

 (3)「ペプチド化学者がペプチドの構造を示す時…左右が優先」
 このお話は、大変興味深く思いました。その場合でも、最後に決まる向きが鏡映で逆転するという点では、Tabata-Okuda 説の通りですが、左右が最後に決まることを「一般的」とは見ないで、「人体の場合やそれに擬して、上下・前後・左右軸を決める場合」とでも断る必要があることになりますね。

 (4)「立体化学の解説や軽い話題としてのコラムやエッセー、スピーチの妻程度がふさわしいんじゃないかなあ」、「私の思いでは、断定を避けて、…」
 これらのご感想は、「鏡の謎」を、従来いわれている曖昧な表現のままに受け止めれば、それでもよいかと思います。ただし、私が吉村氏の著書へのコメントに書きましたように「鏡の謎」の問題を定義し直しますと、「万人が納得する唯一の解があるべき!」と書かれた(認知科学といわないまでも)科学の問題になると思います。
 Gregory は上記の本に、いみじくも、"If one asks 'silly' questions, one generally gets back 'silly' answers. This has happened for many philosophers and also scientists reflecting on mirrors. It shows how important it is for science and philosophy to ask the right questions. But of course we can hardly know what are good questions until we know the answer. Isn't asking good questions the art of science?" と書いています。しかし、彼自身、「鏡の謎」を good question に書き換えることが出来ていませんでした。(故 J・K 先生は、私の再定義について、「初めに左右逆転ありき」だと非難されましたが、そもそも「鏡の謎」は「左右逆転」の理由を問うているのですから、なぜそういう問いが可能かを見出そうとしないで、同先生のように終始「左右逆転なかりき」の姿勢では、謎に正面からぶつかっていることにはなりません。)

 (5)「ベッドに仰向きに寝たきりの生活を余儀なくされている人物の…その人にとっての上下の定義」
 そういう状態の人物に限らず、「上下」をいうときには、当然(あるいは、厳密にいえば)、何についての、さらにはどういう状態での「上下」かを明確にする必要があります。ただ、鏡像問題での「上下」を英語でいうときは、"up–down" でなく "top–bottom" という表現を使い、また「前後」として "front–back" を使いますので、人体についての場合、状態までをいわなくても、"top–bottom" は自然に「頭の方と足の方」に対応します。人体以外の物体については、人体の立ち姿に準じて、その物体が通常置かれる状態での "top–bottom" を指すものという理解になります。

 以上、多少なりともご参考になれば幸いです。

 T. T.

2013年9月21日土曜日

第56回新象展 大阪展 (The 56th Shinsho Exhibition in Osaka)

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 快晴の一昨日、大阪市立美術館で開催中の「第 56 回新象展 大阪展」を見に行った。大連の小学校での私の同期生、S・Y さんが新象作家協会の会員で、毎年、招待葉書(東京、京都、大阪の各地での展覧会に共通)を貰うのである。

 天王寺公園内の大阪市立美術館に通じる道は「フェルメールの小径」と名づけられている。その道の傍らに、今年初めて、ヒガンバナの花を見た(1 枚目の写真)。美術館入り口には、ハイビスカスも咲いていた(2 枚目の写真)。

 新象展は、看板(3 枚目の写真)に「未来アート 実験」とあるように、抽象絵画を中心に、抽象造形作品も含む展覧会である。作品の題名が、なるほどそういうものをイメージして描いたのかと思わせるものもあれば、これがなぜそういう題名になるのだろうかと思わせる作品もある。題名と作品を無理に結びつけて鑑賞する必要はなく、各人それぞれの思いをもって眺めればよいのであろう。

 S・Y さんの作品は "DAIREN - (FUKUSHIMA) 2013" と題されている(彼女のブログ記事「新象展都美術館」に作品の写真がある)。"DAIREN" は彼女の出生の地への思いを込めて、毎年の作品の題名に含まれている。そこへ、東日本大震災のあと、"(FUKUSHIMA)" が加わるようになった。彼女は震災の直接の災害には会わなかったが、原発事故で屋内退避勧告の出た相馬市に住む。絵のモチーフは毎回、円や長円の組み合わせで、以前は暖色系が多く使われていたが、近年寒色系が多くなったり、赤や黒が鋭く混じったりしていた。

 今回は、寒色も混じるものの、比較的穏やかな色合いという感じがした。中心付近の小円は深く沈み込んでいる趣きがあり、そこから左上にかけて尖った先端部を持つ曲線が、飛翔しているかのように描かれていた。そこで、中央の円形が溶融炉心を連想させ、左上へ延びる曲線は、溶融した炉心からの放射性物質というよりは、原子炉事故の失敗を補う、わが国のロケット技術を象徴するかのように思われたということと、私の思いは勝手なものかも知れないが、いろいろな想像を楽しくめぐらせて貰える作品と見受けたことを感想としてメールで書き送った。合わせて、目下、漱石の『草枕』を再々読して、抽象絵画のまだ現れていなかった時代に漱石の描いた主人公が、「抽象的な興趣」を絵にしたいと望んだことを興味深く思っていることを記した。S・Y さんからの返信には、そういう意図で描いたものではないが、そういう思いを抱いたことはある旨のことが書かれていた。

 美術館の地階出口を出ると、天王寺公園と「フェルメールの小径」との間にある道へ導かれる。妙なことに、その道はすでに公園外であって、帰途に美術館裏にある慶沢園を散策したいと思っても、再入園しない限り、それが出来ないことになる(4 枚目の写真は、その道から見た「あべのハルカス」のビル)。慶沢園散策のためには、入館した地階展示室への入口の方へ戻るべきであることを覚えておかなければならない。

2013年9月19日木曜日

中秋の名月 (Harvest moon)


東後ろの家の屋根から昇ったばかりの中秋の名月。
2013 年 9 月 19 日 18 時 59 分撮影。
Harvest moon just rising from the roof of the house located in the east of my house.
Taken at 18:19, September 19, 2013.



見る場所を変えると、南隣の家のテレビ用アンテナの素子と
垂直、水平の支柱の間にちょうど挟まる状態になった。
When I looked at the moon from a different position, it was just surrounded by one of elements and the vertical and horizontal support rods of the TV antenna
of the house in the south of my house.

2013年9月16日月曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」5 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -5-)

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ケイトウ。笠池公園で、2013 年 9 月 14 日撮影。
Plumed cockscomb. Taken in Kasaike Park on September 14, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」5

 本シリーズの第 4 回では、漱石の『草枕』の第六章に、「非人情」の語は使われていないものの、「非人情」にかかわる芸術論が展開されているとして、主人公の考察の前半を見た。そこでは、主人公は「非人情」の境地で得た興趣を絵にしたいと思いながらも、それは難しいと考えた。

 次いで主人公は、その興趣を表す手段として音楽が適していると思うが、彼にはその素養がなく、詩にすることを試みる。そのとき、ふと、「振袖姿のすらりとした女」が「暮れんとする春の色」の中で、「粛然として、焦(せ)きもせず、狼狽(うろたえ)もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊しているらしい」のが目にとまる。

 第七章では、主人公が風呂へ入っていると、「漲(みな)ぎり渡る湯煙りの、やわらかな光線を一分子ごとに含んで、薄紅の暖かに見える奥に、漾(ただよ)わす黒髪を雲とながして、あらん限りの背丈を、すらりと伸(の)した女の姿」が現れ、主人公は絵描きらしい思索をめぐらす。

 「輪廓は次第に白く浮きあが」り、「今一歩を踏み出せば、せっかくの嫦娥(じょうが)が、あわれ、俗界に堕落するよと思う刹那に」、「渦捲く煙りを劈(つんざ)いて、白い姿は階段を飛び上がる。ホホホホと鋭どく笑う女の声が、廊下に響いて、静かなる風呂場を次第に向へ遠退く。」——私が高校 1 年生でこの作品を読んだときに、最も印象に残った場面である(日記には、そうとは書いてないが)。

 第八章で、主人公は宿の老人(那美の父)の部屋で、お茶のご馳走になる。相客に、観海寺の和尚(大徹)と、二十四五の若い男、久一(きゅういち。老人の甥で、那美の従弟)がいる。老人は主人公に、久一が「満洲の野(や)に日ならず出征すべき」運命であることをつげる。(つづく)

2013年9月15日日曜日

2013年8月分記事へのエム・ワイ君の感想 2 (M.Y's Comments on My Blog Posts of August 2013 -2-)

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ヤブラン。2013 年 9 月 13 日、わが家の庭で撮影。
Liriope. The photo was taken in my yard on September 13, 2013.

3.「集団的自衛権」の問題
 […冒頭のパラグラフ省略…]
 「集団的自衛権」は、1945 年に署名・発効した国際連合(国連)憲章の第 51 条において初めて明文化された権利である。国連は、第 1 次世界大戦後にできた国際連盟の「集団安全保障」の仕組みの不徹底を改め、本格的な「集団安全保障」体制を確立することを目指して、第 2 次世界大戦後に発足した。具体的には、国連憲章で個々の加盟国に対して武力による威嚇・武力の行使を禁止し、侵略発生時には、安全保障理事会が制裁措置を決定し、そのもとに各国が行動することになっている。
 ところが、戦後、世界の覇権を狙っていた米国は、国連の統制を受けないで軍事行動をとることができるように、「集団的自衛権」を発案し、ソ連(当時)も賛成して、国連憲章に上記の第 51 条が盛り込まれた。その結果、戦前をはるかに上回る規模で、軍事同盟の網の目が世界に張りめぐらされ、多くの国が「集団的自衛権」を口実に、米ソ両国が引き起こした侵略的戦争に動員されることになった。これは国連がめざす「集団安全保障」に真っ向から反する状況である。
 安倍政権は、国連の正しいあり方よりも、米国との軍事同盟である日米安全保障条約を尊重して、米国の求めるままに、日本の軍隊が海外で戦争できるようにすることを目指しているのである。なんと浅はかな考えではないか。
 […以下略…]
 わが国で「集団的自衛権」を考えるとき、国際連合は、国際連盟の「集団安全保障」の仕組みの不徹底を改め、本格な「集団安全保障」体制を確立することを目指して発足したという認識を広めることが大切です。筆者は本ブログに 7 月 19 日付けで「改憲論に抗して思う」と題した記事の、「トルストイの作品に見る憲法9条の精神」の項に「外交によって解決されぬ問題が、火薬と血で解決される可能性はさらに少ない。これはまさに、憲法9条の精神である。先哲の教えを重んじることなく、集団的自衛権の行使を認め、憲法9条を変えて、軍事対抗主義に走ろうとする政治家たちがいることは、実に情けない状況といわなければならない」とも述べていました。

 私は最近、半藤一利氏が集団的自衛の行使に反対して、外交交渉の重要さを説き、わが国は国際連盟脱退以降、外交交渉をすることがなくなったことを指摘している NHK テレビ番組を見ました(8 月 15 日 pm 7:30~、NHK シリーズ 日本新生:戦後68年 "いまニッポンの平和を考える")。

4. 敗戦の日:堀越二郎の敗戦当日の日記
 宮崎駿監督の映画『風立ちぬ』は、堀辰雄の小説『風立ちぬ』からの着想も盛り込みながら、航空技術者・堀越二郎(1903–1982)をモデルに、その半生を描いている。その堀越の敗戦当日の日記が、永六輔さん監修の本『八月十五日の日記』にあるとして、8月13日付け『しんぶん赤旗』の「まど」欄が紹介していた。日記は次の通り。
 日本が、否日本の軍部とそれと結ぶ政治家が、外交で平和的に打開することをせず、武力に訴える所まで短気をおこしたのが、戦争の原因ではなかったか。日本に壊滅をもたらした政策を指導して来た者が全部去らなければ、腐敗の種は残る。「誠実にして叡智ある、愛国の政治家出でよ」これが願いである。
 […略…]いま安倍政権が、集団的自衛権の行使を可能にして、日本を、アメリカとともに海外で戦争の出来る国にしようとしているのは、再び「外交で平和的に打開することをせず、武力に訴える所まで短気をおこ」そうとしているとしか思えない。私たちは、そのような政治の流れを、うかうかと見過ごしていてはいけない。
5. オリバー・ストーン監督「日本は道徳的な大国になっていない」と語る
 最近[別のブログに]、表記のオリバー・ストーン監督の言葉と、それに関連する日本政府の姿勢について述べている、作家・赤川次郎さんのエッセイと田上市長の「長崎平和宣言」を、それぞれ紹介した三つの記事を書いた。ここに、その三編をまとめて再録する。

「日本は道徳的な大国になっていない」
 米映画監督のオリバー・ストーン氏とアメリカン大学教授のピーター・カズニック氏は、8 月 6 日、原水爆禁止世界大会・ヒロシマデー集会で、「米国という帝国に、みんなが立ち上がる力になるプロジェクトを進めている」、「戦争を起こさせないために強くなり、たたかおう」と訴え、会場内から共感と連帯の拍手がわきあがった。8 月 7 日付け『しんぶん赤旗』が「原水爆禁止世界大会・広島:ストーン監督、被爆者と語る 戦争させない たたかいを」と題する記事で伝えている。
 […略…]ストーン氏が「(戦後)ドイツは反省と謝罪の下で平和を守る国に変わったが、日本は米国の従属国のままで、経済大国だとしても道徳的な大国になっていない」と指摘したことなども、上記の記事は述べている。
 いま、国際政治の上での日本の道徳性を、かろうじて細い糸でつなぎ止めているものがあるとすれば、それは憲法9条の存在である。憲法9条を変えてしまえば、日本の道徳性は壊滅することになるだろう。そのような事態を招かないように、私たちは憲法9条をぜひ守り活かさなければならない。

「国連勧告を無視する日本、戦争への道をひた走った姿そのまま」赤川次郎氏
 『図書』誌 2013 年 8 月号 の「人生の誤植」と題するエッセイで、赤川次郎さんは、若い頃に校正の仕事をしていたため、誤植を見つけるのが得意だという話から書き始めている。その中で注目すべきは、「本の誤植は訂正すれば済むが、『国家の誤植』は一旦誤れば莫大な犠牲を払わない限り訂正することはできない」とまとめている本論の部分である。
 その本論は、まず、「公の場での責任ある立場の人間の発言は、訂正して済むものではない」として、[…中略…]「驚くのは、そのいずれも『反省』したり『撤回』したりすれば『なかったことになる』という日本でしか通用しない『常識』が、ジャーナリズムにまかり通っていることである」と指摘している。
 このエッセイが書かれたあとで出現した、麻生太郎副総理の「ナチスの手口に学べ」発言も、いま、その非常識な「常識」によって、なかったことにされようとしている。赤川さんは、さらに、次のように述べている。
 国連は日本に冤罪の温床となる代用監獄の廃止などを何度も勧告して来た。…日本はそのすべてを無視して来た。さらに国連は橋下市長の[慰安婦問題への]発言に対し、日本政府が反論することも求めたが、それにも「法的拘束力はない」から「従う義務はない」と決定した。[…]世界がどう言おうが、日本は日本のやり方を押し通すのだ、という姿勢は、戦前の国際連盟を一人脱退して戦争への道をひた走った軍国日本の姿そのままである。
これは、決して誇張でも、やぶにらみの意見でもなく、全くその通りの、危険な状況を直視した言葉だと思う。ここに述べられている日本の姿勢は、先に紹介した米映画監督、オリバー・ストーン氏の「日本は道徳的な大国になっていない」という言葉を裏書きする事実の一端でもある。

田上長崎市長「日本政府は被爆国の原点に返れ」
 長崎が被爆から 68 年の原爆の日を迎えた 8 月 9 日、長崎市主催の平和式典が爆心地に近い平和公園で開かれ、田上富久長崎市長が「平和宣言」を発表した。その中で次のように、日本政府に対して被爆国としての原点に返るよう求めたことが注目される。
 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
 インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
 […略…]
 日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
 非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。
 ここに指摘された日本政府の最近の姿勢も、まさに、オリバー・ストーン監督の言葉にある「日本は道徳的な大国になっていない」という事実の一端である。
 私もテレビの実況放送を聞いていて、田上市長の「核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります」という分りやすい非難は、時宜と場所柄を得た発言であると感銘を受けました。[完]

2013年9月14日土曜日

2013年8月分記事へのエム・ワイ君の感想 1 (M.Y's Comments on My Blog Posts of August 2013 -1-)

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ハナトラノオ。2013 年 9 月 12 日、わが家の庭で撮影。
Obedient plant. The photo was taken in my yard on September 12, 2013.

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" 2013 年 8 月分への感想を 2013 年 9 月 11 日付けで貰った。同君の了承を得て、ここに紹介する。



 このところブログ『平和の浜辺:福泉・鳳地域「憲法9条の会」』に力を入れているので、本ブログに記事を書く時間がない。今回も、『平和の浜辺…』に先に掲載したものに少しばかり手を加えて転載する。[2. に紹介するブログ記事の冒頭]
として、最近見かけられた記事や論文を援用し、趣向を凝らして、筆者の主張を述べています。啓蒙的であり、説得力があります。これらを要約して紹介するとともに、若干のコメントをいたします。

1. キャロル・グラックさん「軍備に軍備で対抗するのは、ばかげています」

朝日紙の不適切な中見出し

 2013年8月20日付け朝日紙「オピニオン」欄に「安倍政権と戦争の記憶」と題して、キャロル・グラックさんへのインタビュー記事が掲載されていた。キャロル・グラックさんは、米コロンビア大学教授で、同大学東アジア研究所に所属し、米国における日本近現代史、思想史研究の第一人者である。
 この記事には大きな活字で、中見出しが二つあり、それぞれ 3 行におよんでいる。最初の一つは次の通りである。
  右傾化報道は極端
  米国が支えた戦後
  「脱却」は本意か
 この中見出しには問題がある。忙しい読者は見出しだけを見て内容を知ろうとするだろう。その場合、「右傾化報道は極端」とあれば、グラックさんは「日本のメディアが、安倍政権は右傾化していると報道しているのは極端です」と発言した、と捉えてしまうだろう。しかし、記事中のグラックさんの言葉は「日本に関する海外メディアの報道は極端で、しかも浅い」というものである。[…中略…]グラックさんの「海外メディアの報道は極端」という言葉の中の「報道」には、「右傾化報道」も含まれてはいるだろう。しかし、中見出しには、どこの報道かが表現されていないので、まず、一つの誤解のもとになる。さらに、次のような意味でも、誤解に導く見出しといわなければならない。

「日本の政治は以前から右傾化している」

 グラックさんはこのあと、「憲法改正を目指すことは、自民党政権として別に新しいことではありません」とか「[『戦後レジームからの脱却』ということと]同種のことを言い始めたのも、別に安倍首相が最初ではありません」と発言している。これを考えれば、グラックさんは日本の政治が以前から右傾化していることを認めていて、「参院選でも大勝した」結果、「急に右傾化した」と見るのが極端で浅い見方だと指摘していることになる。
 右傾化の道を長年進めば、極右ないしは極々右状態にたどりつく。その時点で人々が驚き、あわてても間に合わない。日本のメディアは安倍政権の右傾路線を大いに批判すべきである。

「米国は日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」

 上記の中見出し 2 行目の「米国が支えた戦後」にも問題がある。この表現では、グラックさんは「米国は日本に対してよいことをしてきた」といったように取れるが、記事中で中見出しのこの部分に相当するグラックさんの言葉には「支えた」という言葉はなく、「[戦後]米国が、日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」といっている。これは、むしろ、悪影響を及ぼしてきたといっていると取るべき表現である。
 中見出しの 3 行目は、意味としては 2 行目から続いていて、2 行を合わせて、安倍首相のいう「戦後レジームからの脱却」は本意かということを表している。これは、グラックさんの「安倍首相は『普通の国』になるために9条を変えることを欲するけれど、戦後体制の『ある部分』は変えたくない。それは日米関係です。[…]安倍首相は、本当に戦後を変えたいのでしょうか」という発言を伝えるものである。グラックさんの指摘がなくても、「戦後レジームからの脱却」という言葉の矛盾は明らかである。

「加害責任否定は『地政学的無神経』」

 二番目の中見出しは次の通りである。
  過去の行為の謝罪
  世界の新常識に
  国内問題視は誤り
この中見出しは、グラックさんの「それ[戦争の記憶に対処する『謝罪ポリティクス』]は世界的な『新しい常識』です。自民党が国内政治として扱おうとしても、それとは別種の国際環境が存在している」という発言からきていて、問題はない。これに先立って、グラックさんは「安倍首相を含む自民党の右派政治家たち」が「加害責任を否定することで、国内の支持をえようとして」きて、その姿勢がすぐに海外に流れることに気づいていないのは、「一種の『地政学的無神経』」と、強く批判している。

「ヘイト・ナショナリズムは安倍首相よりも危険」
「日本は他国がしない隙間の役割を」

 グラックさんは、「在日コリアンへの悪意に満ちたデモなど、ヘイト・ナショナリズムには懸念を持っています。これは安倍首相よりもはるかに危険です」という発言もしている。さらに、日本は「非核国で、兵器も売らず、かつ世界有数の経済大国という稀有な国」という特徴を生かして、「他国がしない隙間の役割を見つけるべき」と説き、「それは、台頭する中国にどう対処するか、という問いへの答えでもあります。軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」と結んでいる。これらは、小見出しにでもして、ぜひ強調してほしかったところである。
 筆者はグラックさんの「軍備に軍備で対抗するのは、ばかげていますから」という言葉を表題に取り入れ、「日本の政治は以前から右傾化している」「米国は日本の記憶とシステムを『冷凍』していた」、「加害責任否定は『地政学的無神経』」、「ヘイト・ナショナリズムは安倍首相よりも危険」、「日本は他国がしない隙間の役割を」などの言葉あるいは意味する内容を中見出しにして、グラックさんがこの対談で言わんとしたことを、見やすくまとめるとともに、分りやすく解説しています。

2.「戦争」についての二つの基本的な理解

 敗戦の日を前にした 8 月 11 日の朝日紙「ニュースの本棚」欄に、ノンフィクション作家の保阪正康さんの「戦争観と戦後史:老・壮・青はどう見てきたか」と題する文が掲載されていた。
 保阪さんは「戦争」についての基本的な理解は二つの点にしぼられるとして、カール・フォン・クラウゼヴィッツの有名な言葉「戦争は政治の延長」をかみくだいた、戦争は「政治の失敗」に起因するということと、戦争は「非日常の倫理・道徳が支配する空間」ということを、まず述べている。この理解の上に立って、「まっとうな戦争観を真摯に確認するために今読むべき書」として、「老壮青という三つの世代が読んできた書」を紹介している。
 […中略…]
 「三つの世代がそれぞれの世代の書にふれる」のは、ある程度自然な成り行きだろうが、三つの世代がそれぞれの世代を超えた書にふれるように努めることも重要であろう。
 […中略…]
 保阪さんの「非日常の倫理・道徳が支配する空間」という言葉をいい換えれば、「狂った空間」ということにもなるであろう。そして、保阪さんの「戦争についての二つの基本的理解」をもとにして考えれば、軍備の増強・拡張を進める政権は、自らの失敗を予想して、「狂った空間」を作り出すことに精を出しているものといえる。いまの安倍政権は、集団的自衛権の容認や、憲法改悪によって、まさにそういう愚かな政策を進めようとしているのではないか。私たちは、これに対して No! をつきつけなければならない。
[つづく]

2013年9月11日水曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -4-)

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ランタナ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Lantana. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」4

 本シリーズの第 3 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第四章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見るとともに、第九章までの粗筋をたどり始めた。そして第六章には、「非人情」の語は使われていないものの、「非人情」の芸術論が展開されており、少し詳しく見ておく必要があると述べた。

 第一章で「非人情」の語が初登場したときには、「淵明、王維の詩境」をその手本に挙げていたが、第六章では、主人公が専門とする絵画から考察が始まり、三種類の絵が述べられる。第一種は、「ただ眼前の人事風光をありのままなる姿として」描いたもので、「感じはなくても物さえあれば出来る」。第二種は、「[人事風光]をわが審美眼に漉過して」描いたもので、「物と感じと両立すれば出来る」。そして、第三種は、主人公がいま描きたいと思っている種類の絵で、「あるものはただ心持ちで」、この心持ちを「具体を藉(か)りて、人の合点するように髣髴(ほうふつ)せしめ」ようとするものである。

 「心持ちを絵にする」といえば、「非人情」の正反対のようであるが、この分類の前に述べられている主人公の心持ちのあり方が「非人情」なのである。すなわち、「わが、唐木(からき)の机に憑(よ)りてぽかんとした心裡の状態」、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している。淡しとは単に捕え難しと云う意味で、弱きに過ぎる虞(おそれ)を含んではおらぬ」という境地である。

 主人公にとって、この境地を絵として実現することは難しく、「こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である」、「多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう」と考える。これは抽象絵画を指しているかのようである。

 『草枕』の発表されたのは 1906 年であり、狭義の抽象絵画はカンディンスキーによって、1910 年代前半に始められたとされ、また、広義には、ピカソのキュビスムから始まったと見られ、その出発点は、1907 年秋に描き上げられた『アビニヨンの娘たち』である。これを考えると、ここには漱石の芸術に対する炯眼ぶりが現れているといえそうである。ただし、主人公が「何らの手段かで」と考えたのは、次のパラグラフを見ると、絵画以外の手段と分り、炯眼ぶりといっても、抽象絵画出現の予想までには至っていなくて、「抽象的な興趣を画にしようとする」欲求の段階にとどまっている。(つづく)

2013年9月9日月曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -3-)

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タマスダレ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Fairy lily. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」3

 本シリーズの第 2 回では、漱石の『草枕』の主人公が作品の第二章までの中で、「非人情」の概念とどのように関わっているかを見た。今回も、「非人情」の言葉を作中で検索しながら、第三章以下での関わりを見て行きたい。

 第三章で、主人公は静かな宿に泊まり、不思議な一夜を経験する。その途中で、「非人情」を目指しながらも修行が足りないという思いが、次のように述べられている。
どれもこれも芸術家の好題目である。この好題目が眼前にありながら、余は入らざる詮義立てをして、余計な探ぐりを投げ込んでいる。せっかくの雅境に理窟の筋が立って、願ってもない風流を、気味の悪るさが踏みつけにしてしまった。こんな事なら、非人情も標榜する価値がない。もう少し修行をしなければ詩人とも画家とも人に向って吹聴する資格はつかぬ。

 第四章では、主人公が翌日目覚めて宿の造作を観察する場面で、「非人情」が出て来る。
家は随分広いが、[…]。客は、余をのぞくのほかほとんど皆無なのだろう。〆た部屋は昼も雨戸をあけず、あけた以上は夜も閉(た)てぬらしい。これでは表の戸締りさえ、するかしないか解らん。非人情の旅にはもって来いと云う屈強な場所だ。

 次に「非人情」が登場するのは、章が少し飛んで、第九章なので、途中の章の概要を記しておく必要があるだろう。第四章で、髪を銀杏返しに結った「ただの女とは違う」宿の若い奥さん(ヒロインの那美)が登場し、主人公と語り合う。第五章で、主人公は床屋へ出かけ、そこの親方から那美についての情報を仕入れる。

 第六章で主人公は、「常よりは淡きわが心の、今の状態には、わが烈しき力の銷磨しはせぬかとの憂を離れたるのみならず、常の心の可もなく不可もなき凡境をも脱却している」という境地になっていて、その境地を絵に出来ないかという考察をする。「非人情」の語は使われていないものの、ここは「非人情」の芸術論であり、少し詳しく見ておく必要がある。(つづく)

2013年9月7日土曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」2 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -2-)

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キキョウ。わが家の庭で、2013 年 9 月 7 日撮影。
Balloon flowers. Taken in my yard on September 7, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」2

 本シリーズの初回では、小宮豊隆の「解説」から、『草枕』の「非人情」は、これを執筆した当時の漱石としてはまだ到達し切れていなかったが、晩年に到達した境地である、と知ったことを述べた。また、そうとなれば、私は、『草枕』初読および再読の結果としての、「漱石の非人情説」への感想をどうまとめるか、という課題を自らに課さなければならない、とも述べた。その課題へ入る前に、今回は、『草枕』の中で、「非人情」の境地に主人公の達する道筋が、どのように描かれているかを見ておきたい。

 『草枕』の第一章において、主人公は「山路を登りながら」次のように考える。
[…]自身がその局に当れば利害の旋風(つむじ)に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩くらんでしまう。したがってどこに詩があるか自身には解げしかねる。
 これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。
ここに「非人情」の本質がすでに述べられており、その少しあとで、「非人情」の語が早くも登場する。すなわち、次の箇所である。
こうやって、ただ一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全くこれがためである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。
そして、「もちろん人間の一分子だから、いくら好きでも、非人情はそう長く続く訳には行かぬ」と思いながらも、「まるで人情を棄てる訳には行くまいが、根が詩的に出来た旅だから、非人情のやりついでに、なるべく節倹してそこまでは漕ぎつけたいものだ」と決心する。

 第二章では宿へ着くまでの旅中の出会いが描かれ、主人公は「非人情」を味わい始める。
[…]自分の見世を明け放しても苦にならないと見えるところが、少し都とは違っている。返事がないのに床几に腰をかけて、いつまでも待ってるのも少し二十世紀とは受け取れない。ここらが非人情で面白い。その上出て来た婆さんの顔が気に入った。
その婆さんは、「源兵衛が覊絏(はづな)を牽」く「青馬(あお)」に乗って「城下へ御輿入」した「志保田の嬢様」の話をして、その嬢様は「今でも御覧になれます。湯治場へ御越しなされば、きっと出て御挨拶をなされましょう」という。主人公は「非人情の旅にはこんなのが出なくては面白くない」と思う。この嬢様が第三章以下に本作品のヒロインとして登場し、主人公の「非人情」が鍛えられる場面が展開することになる。——このように「非人情」の語をたどってみると、漱石の作品構成の巧みさがしみじみと分る。

 (『草枕』からの引用は、青空文庫版によった。)(つづく)

2013年9月5日木曜日

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」1 ("Detachment" Advocated for Arts by the Hero in Soseki's Kusamakura -1-)

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秋雨の合間に咲いたカンナ。2013 年 9 月 3 日、わが家の庭で。
A flower of canna that bloomed in the lull of the autumn rain.
Taken in my yard on September 3, 2013.

漱石『草枕』の主人公が唱える芸術の「非人情」

 私が夏目漱石の『草枕』を初めて読んだのは高校 1 年生のときだった。そのときに次のような読後感を記している(1951 年 9 月 14 日付け)。
芸術の客観性ということが強く出ている。しかし、何もかもが第三者的立場のみから感受され、考察され、判断されたらどうだろう。それは、あくまで芸術の中だけのことであろう。躍動する生命を持っているわれわれは、何事にも直接ぶつかる場合が多い。そこでは自分を一つにして力闘することが必要だ。(何だか、よく分っていない。)
ここでいう「芸術の客観性」は、『草枕』では「非人情」という言葉で表されていて、芸術家が観察対象とする自然にはもちろん、人物にも情を交わさないで、傍観的態度で接することを意味している。

 私が上記の日記を最近、ブログ "Ted's Archives" に掲載したとき、「(何だか、よく分っていない。)」の箇所について、「引用時の注」として次のように記した。
自分の論旨がうまく閉じていないことを気にしたのだろう。「その力闘は、第三者的立場とは異なる。それゆえ、実人生にも関わる芸術に、客観性だけが強調されるのはどうかと思う」とでも続ければ、このときの考えが一応まとまるだろう。
しかし、この注の「」内を、この通りに高校時代の日記につないで、芸術の「非人情」に疑問を呈したのでは、日記中で「非人情」を「あくまで芸術の中だけのことであろう」と述べて、「芸術中」では一応よしとしていることと矛盾するようである。ただし、日記中の「芸術の中だけ」が「小説中の主人公がそのように考えるだけ」を意味すると取れば、必ずしも矛盾はしない。

 こう考えると、『草枕』の主人公が唱える「非人情」は、作品の中だけでよしとされているのか、漱石自身が追い求めた境地なのかということを知りたくなる。そこで、先般『漱石全集第四巻』(岩波書店、1956)で再読した『草枕』のページをぱらぱらとめくってみた。ぱらぱらとめくってみても、答が求まる問題ではないが、巻末にある小宮豊隆の「解説」が助けてくれた。小宮は、漱石が『草枕』を書いている間に知人に当てた手紙に、「是とても全部の漱石の趣味意見と申す訳に無之」と記していることを引きながらも、次のように記している。
勿論『草枕』の画工によって唱導された「非人情」説の境地は、後の漱石にも断えずあがこれの目標になっていた。[…中略…]漱石の晩年のモットオであった「則天去私」も亦『草枕』の「非人情」と重要な繋がりを持っている。しかし、この「則天去私」になるまでには、『草枕』の「非人情」説は、幾度もアンティテーゼを置かれて、十分鍛錬されなければならなかったのである。
 これによれば、「非人情」は、『草枕』執筆当時の漱石としてはまだ到達し切れていなかったが、晩年に到達した境地である、ということになる。そうとなれば、「小説中の主人公がそのように考えるだけ」は、成り立たなくて、私は、『草枕』初読および再読の結果としての、「漱石の非人情説」への感想をどうまとめるか、という課題を自らに課さなければならない。これについては、日を改めて記すことにしたい。

2013年9月2日月曜日

再びエム君へ:読書のことなど (About Reading etc.: To a Friend of Mine M-kun Again)

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わが家のこの場所にモミジアオイの花が 1 日に最も多く咲いたのは 10 輪で、 2 回あった。写真は 2 回目の 8 月 23 日に撮影。(本文に無関係。)
This year, the largest number per day of the flowers of scarlet rose mallow that blossomed in this place of my yard was ten, and it happened twice. The photo was taken on the day of the second time, August 23. (Not related to the main text.)

 M 君

 貴君の「読んでおきたい本」のリストが、なかなか渋いものであることに感服しました。それでも、私の興味と重なるところがないではありません。王朝文学については、NHK ラジオで『枕草子』の朗読と解説のシリーズ番組があったときに、岩波文庫版を見ながら聞いていましたし、泉鏡花の作品は、高校時代に岩波文庫で少し読んだほか、比較的近年にも同文庫の『外科室・海域発電 他五篇』を読みました。また、"Good-bye, Mr. Chips" は私も大学で習い、かなり以前にテレビでその映画を見た影響で、新潮文庫の訳本も読みました。

 世界史は大学受験の必須科目だったので、高校で習いましたが、雑談の多い先生で、中世以前ぐらいまでしか進まず、大部分は味気ない受験参考書での独学でした。それで、以前から何か読みたいと思い、 The Penguin History of the World (J. M. Roberts) という本を買っていながらが、なかなか読むにいたっていません。シャーロック・ホームズは、大学院生のとき、東大原子核研究所へ実験に行って、宿舎で時間を過ごす間などに、和訳で一通り読みました。貴君のように英語でも読みたい気はしますが、手が回りません。探偵ものにやや近いジャンルの SF では、H. G. Wells、Isaac Asimov から最近の物理学者が書いたものまで、英語で何冊か読みました。

 ニーチェの『キリスト教は邪教です』の内容を紹介していただき、ありがとうございます。初耳の内容でした。『ツァラトゥストラ…』は、若い頃に新潮文庫版で読みましたが、ほとんど記憶に残っていません。

 晴夫君が Sam の日記に最初に登場するのは、「夏休み中の登校日」 の末尾と、同じ日の日記ながら、次の記事に分割した「町内の海水浴に合流」でした。彼が紫中にいたことは覚えていません。貴君は私の日記に Jun の名で、ごく簡単な記述ながら、4 回登場しています(検索で出ます)。その年の 8 月 19 日には、Jack とお宅へ始めてお邪魔したようです。

 K ・T さんなら The English Literature of Early 19th Century を持っているかも、とのことですが、年賀状ででも尋ねてご覧になってはいかがですか。彼女は同窓生には、なかなか親切です。[…略…]

 さて、きょうの貴君のメールへの返事に移ります。貴君も筆矢選手の派手な守備をご記憶でしたか。1951 年 7 月 31 日の私の日記の「引用時の注」にも筆矢選手などのことを書いています。松ヶ枝、石引両小の名投手は、O 君とU 君ですね。彼らの思い出を大学時代の友人・Y君宛の手紙に書いたのを、ブログ記事 でご覧になれます。彼らのことは、他にも何度か書いたはずですが、すぐには思い出せません。

 大乗寺といえば、昨年、故 Y・A さんの納骨の折にその門前に集合しました。A 家の墓はそこから少し、山へ登ったところでした。褐色で艶のある石に「A 家の墓」と横書きしたハイカラな墓で、Y さんは無神論者だったという理由で坊さんも呼ばず、姉君が準備した花束から少しずつを各人が分け取って墓前に供え、拝礼するだけの、簡素ながら心温まる納骨の儀でした。

 長いメールになりました。悪しからず。

 T. T.