2018年4月5日木曜日

政池氏へ:著書恵贈に対する礼状 (To Masaike: Message of Thanks to His Book)

[The main text of this post is in Japanese only.]


『荒勝文策と原子核物理学の黎明』のダストカバー。
Jacket of the book Bunsaku Arakatsu and the Dawn of Nuclear Physics.

2018 年 4 月 4 日

政池明様

 本日、ご著書『荒勝文策と原子核物理学の黎明』[注 1]が届きました。ご恵贈に感謝いたしますとともに、膨大な資料を読みこなして整然とした 400 ページを超える立派な正史にまとめ上げられたご力量に敬服いたします。なお、ご序文中に不肖私にまで謝辞を述べて頂き[注 2]、恐縮しています。まだ部分的にしか拝読していませんが、どこを開いても興味深い内容が読みやすい文で綴られていると思いました。「補論」中の木村磐根先生の文[注 3]は、大放研[注 4]についても触れられていて、私には格別興味深いものです。本書が広く普及・活用されることを願っています。

 例年、4 月初めに高校同期関東在住者会が東京で開催されていましたので、今年もその機会に貴君および M・Y 君にお目にかかりたいと思っていましたが、今年はその会の連絡がありませんでした。幹事の夫人の体調がよくないと以前から聞いていましたので、その関係で開催が困難になったのかと思っています。なんらかの機会を利用して、またお目にかかることができれば幸いです。

 ご序文中には N・T さんにも謝辞が述べられていますが、彼女のメールアドレスをご存知でしたら教えてください。物理学会講演会では同じ放射線物理分科会で発表していた間柄でしたが(ある時には、講演会を二人で抜け出して、彼女が希望する上野公園動物園のパンダを一緒に見に行きました)、定年退職後は形式的な年賀状を交換するだけになっているのが残念です。かといって、手紙や葉書をお送りするのは面倒かつ大げさなので、メールをお送りできれば、と思っていたところです。

 以上、とりあえず、余談を含めて、お礼をしたためました。

 T・T


 [ブログへの掲載時の注]
  1. 京都大学学術出版会、2018 年 4 月発行。アマゾンの同書情報ページはこちら。荒勝文策は台北帝大時代に人工原子核変換の実験にアジアで初めて成功し、太平洋戦争中は海軍から原爆の研究を要請された。広島、長崎への原爆投下直後には、荒勝研究室からその調査隊を派遣し、「原爆」だったことを明らかにしたが、広島での第3次調査の際、台風による山津波で犠牲者を出している。戦後、荒勝は占領軍から日本の原爆研究について取り調べを受けたり、純粋研究のために建設中だったサイクロトロンを原爆研究に関するものと間違えられて破壊されるなどの仕打ちを受けた。後者の扱いについては間もなく米国の陸軍長官が謝罪している。本書は、これらの史実を膨大な資料から丁寧に整理して詳述し、科学と社会の結びつきについて注意を喚起している。
  2. 政池氏からの返信によれば、荒勝研究室による第 3 次広島原爆調査時の、大野浦における山津波に関する西川喜良の回想記が、私が彼に上げた冊子からの引用だということである。その冊子とは、『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難—「記念碑建立・慰霊の集い」の歩み』(紫蘭会広島支部・京都大学発行、1993)で、私は政池氏にこそ役立つ冊子だと思い、 彼がまだ『荒勝文策と...』の執筆に取り掛かっていなかった頃に、彼に手渡したのだった。
  3. 「木村毅一に関する証言と回想」。故・木村毅一博士は荒勝文策の弟子で、京大の原子核実験講座を彼から引き継いだ。政池氏や私の恩師である。木村磐根氏はその令息。
  4. 大阪府立放射線中央研究所。木村毅一が設立に尽力し、初代所長を務めた。筆者の最初の勤務先である。
 (2018 年 4 月 7 日、注 1 を拡張。)

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