2020年8月6日木曜日

亀淵氏のハイゼンベルクと湯川に関するエッセイを読んで -6- (On Reading Kamefuchi's Essay about Heisenberg and Yukawa -6-)

[The main text of this post is in Japanese only.]

本記事の文献 [25–28]
References [25–28] of this article.

4 理論物理学研究の相異なる方式

 亀淵氏はハイゼンベルクや湯川の晩年の研究が未完のままに終わった理由を説明するために、理論物理学研究の方式を "上昇的" と "下降的" に分けている。"上昇的" 方式は、「理論を基礎から積み上げてゆく」もの、"下降的" 方式は「既存の理論体系を遥かに越える高所に原理的な仮説を措定し、そこから下降して諸々の物理法則を演繹しようと試みる遣り方」で、「直感とか類推に頼る他はなく、客観性・必然性を欠き失敗する場合が多い」と説明している。そして、ハイゼンベルクも湯川も、研究経歴の前半は "上昇的" によって成果を挙げたが、後半には "下降的" に転じたと見る。

 理論物理学研究方式の同様な分類は南部陽一郎も述べている [25, 26]。亀淵氏が一人の研究者に対しても前半と後半で方式が変わり得るという見方であるのに対し、南部の場合は各方式が研究者に固有であるかのように、方式名に研究者の固有名詞が当てられている。ただし、これは各研究者の代表的成功研究の方式という意味と解釈すべきであろう。南部の分類は [25] においては "Yukawa mode" と "Dirac mode" であった。その説明としては、この分類を紹介しているミチオ・カクとジェニファー・トンプソンによる本 [27] の、簡潔な表現を紹介する。
The Yukawa mode is deeply rooted in experimental data. Yukawa was led to his seminal idea of the meson as the carrier of the nuclear force by closely analyzing the data available to him. The Dirac mode, however, is the wild, speculative leap in mathematical logic that led to astonishing discoveries, such as Dirac's theory of antimatter or his theory of the monopole [...]. Einstein's theory of general relativity would fit into the Dirac mode. ([27] p. 85)

 のちに南部はこれを修正して、三つの型に分けた [26]。それぞれについての説明は次の通りである。
  1. アインシュタイン型(上から下へ、top down):「自然はこういう原理に従う筈だ」と仮定して理論を創る。例:アインシュタインの重力理論(一般相対性理論)「一般に空間は曲がっていてもよい」と仮定。
  2. 湯川型(下から上へ、bottom up):「新しい現象の背後には、深い理由は別にして、何か新しい場や粒子がある」という作業仮定から出発する。例:湯川の中間子論、パウリのニュートリノ仮説。
  3. ディラック型(天下り型):数学的に美しい理論は真であるとする。例:ディラックのモノポール理論、現在探究されている超対称性理論や超弦理論。
文献 [25] の段階ではディラック型の一例だったアインシュタインの一般相対性理論が、独立の型に昇格した。その結果、アインシュタイン型(top down)と湯川型(bottom up)は、亀淵氏の "下降的" と "上昇的" に符号することになった。ディラック型の例について、南部はモノポールの存在は場の量子論の自然な帰結であることが分かったが、まだ実証されていないと述べ、また、超対称性理論や超弦理論の研究が目下盛んであることから、「現在はまさにディラック・モードの全盛期」といっている。しかし、その成否もまだ不明であり、素粒子・高エネルギー物理学理論の将来はどうなるのか、なかなか目が離せない。

 ところで、アインシュタインの一般相対性理論が完全に top down 型といえるかどうか、私は疑問に思う。彼が一般相対性理論を創ることを思いつく出発点には、「例えば屋根から、自由落下する観察者を考えれば、彼にとっては、少なくともその近傍には、落下中、重力場は存在しない」という思考実験のあったことが知られている ([28], p. 78) からである。亀淵氏も、研究経歴の「後半に至って下降的に転ずる」ことについて、「アインシュタインも同様であった」として、重力場と電磁場の統一を目標に晩年の 30 年を浪費したことを述べてはいるが、一般相対性理論の時から下降的であったと記してはいない。

 ちなみに、カクとトンプソンの本 [27] には、南部による最初の 2 分類を合わせた型が、南部の 65 歳の誕生日(1985 年)を記念して、仲間たちから「南部モード」と名づけられたという話がある。その説明の一部を引用しておく。
 [...] This mode combines the best features of both modes of thinking and tries carefully to interprete the experimental data by proposing imaginative, brilliant, and even wild mathematics. The superstring theory owes much of its origin to the Nambu mode of thinking.
 Perhaps some of Nambu's style can be traced to the clash of Eastern and Western influences represented by his grandfather and father. [...] ([27] p. 85)

 謝辞
 豊田直樹・東北大名誉教授から、2.5 節で引用した、パウリの講演に対してボーアが批判した話が文献 [10] にあることの教示を得たほか、本稿の話題についてのメール交換で、いろいろ有益な示唆を受けた。ここに記して感謝申し上げる。

 文献
  1. Y. Nambu, "Direction of particle physics," in Proc. Kyoto Int. Symp.: The Jubilee of the Meson Theory, Kyoto, Aug. 15–17, 1985, edited by M. Bando, R. Kawabe, and N. Nakanishi; Prog. Theor. Phys. Suppl. No. 85, 104 (1985).
  2. 南部陽一郎, 素粒子物理学の 100 年 (国際高等研, 京都府相楽郡, 2000).
  3. M. Kaku and J. Thompson, Beyond Einstein: The Cosmic Quest for the Theory of the Universe (Oxford University Press, Oxford, N. Y., 1997; first edition, Bantam, 1987).
  4. G. Holton, "What, precisely, is "thinking"? ...Einstein's answer," in Einstein, History, and Other Passions (AIP Press, Woodbury, 1995) p. 74. [See also "On trying to understand scientific genius," in Thematic Origins of Scientific Thought: Kepler to Einstein, Revised edition (Harvard University Press, Cambridge, Mass., 1988) p. 371.]
(完)

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2020年8月1日土曜日

亀淵氏のハイゼンベルクと湯川に関するエッセイを読んで -5- (On Reading Kamefuchi's Essay about Heisenberg and Yukawa -5-)

[The main text of this post is in Japanese only.]

本記事の文献 [15, 18, 22]
References [15, 18, 22] of this article.

3 湯川の悲劇

3.1 湯川の当時の研究

 亀淵氏は「[…] 講演が進み、湯川が研究協力者 K との共著論文 "素粒子の時空的描像" 発表のため、 K の名前を呼び上げた」と書いている。K とは湯川の晩年の研究を知る人ならばよく知っている片山泰久 (1926–1978) である。会議録に掲載された論文の書誌情報は本記事の第 1 回に文献 [3] として載せた。この研究は湯川らが晩年に取り組んだ素領域理論の仕事に属し、湯川は文献 [15] の「まえがき」で「片山泰久氏の大きな努力によって、1967 年には一応の理論を作り上げることができた」と記しているものである。湯川はこれに続けて、「そして翌年には片山氏との共著論文、それにさらに梅村氏も加わった論文を発表できるまでに至った」と、やや誇らしげに記している。それらの論文は文献 [16]、[17] である。

 その 3 年後に、湯川は文献 [18] の監修者として、その序文を記し、また、「第 V 部 素粒子の統一理論」を自ら執筆している。それらの中では、素領域理論に対する学界の反応や自らの思いが、次のように率直に述べられている。
[...]第 V 部では、統一理論へ向かってのひとつの道を辿ることにした。それは唯一の道ではないであろうし、また必ず目的に到達することが保証された道でもない。それどころか、正当的な道から、最も大きく逸脱していると、多くの研究者に思われている道である。([18] 序文、p. vii)
 このような方向に進んでゆくと、結局は何らかの意味における時空自身の量子化という問題に突きあたらざるを得ないかも知れない。素領域という概念自体も、背後に 4 次元連続体としての Minkowski 空間を想定している点で、まだ不徹底であるのかも知れない。しかし、その解明はすべて今後に残されている。([18] 第 V 部、p. 608–609)

3.2 湯川の当時の研究の影響・評価

 湯川らの論文 [16]、[17] の被引用数を Google Scholar で調べると、[17] についてのみ 46 と出て来る。Google Scholar の統計はかなり不正確であることは、私自身の論文の被引用数からも気づいている。例えば類似の題名のものがあると、同じもののように扱われていることがある。そこで、[16]、[17] については、掲載誌 Progress of Theoretical Physics のサイトにある同誌での被引用数と、そこにリンクされている Crossref サイトで表示される被引用数(両者の間に重複はない)の和を利用すると、39 と 28 である。湯川のノーベル賞受賞対象となった論文 [19] の被引用数 2400 余り(Google Scholar による)と比べれば、いかにも少ないことが分かる。しかし、将来の理論の発展において、新たな寄与が生じる可能性はないのだろうか。この点について、専門家の見解に当たってみたい。

 ロシア生まれで、スイス、イギリスで活躍した理論物理学者ニコラス・ケンマー(1911–1998)は、湯川の 1940 年代以後の研究について、文献 [20] で次のように述べている。
[...] Yukawa devoted the greater part of his subsequent life as a research worker to the quest for a better, deeper fundamental theory. He published over twenty papers spanning a period of twenty years developing various approaches to this goal. Central to his thinking was the belief that the association of any elementary particle with a single geometrical point in space was in some deep sense mistaken; the key concept in many of his publications is the 'non-local field'. [...] We cannot see into the future and say with confidence that all the ideas presented in these papers are lacking in any grains of deeper truth that we do not yet perceive. And we cannot measure the stimulation that readers of his papers on the way to developing ideas of their own may have received. Even so it is a fact that in present day work one would be hard put to find reference to or influence of his later publications.
これは控えめにながら、湯川の後半生の研究成果が不毛だったことを述べたものである。

 また、アメリカの理論物理学者で量子場の理論と素粒子物理学に関する歴史学者でもあるローリー・ブラウン名誉教授は、文献 [21] で次の通り述べている。
The idea of nonlocal fields (which is to be distinguished from the idea of local fields having nonlocal interaction) gradually became a theory of elementary particles with internal structure. By the late 1960’s it was superseded by Yukawa’s concept of "elementary domain", based upon the quantization of the classical continuously deformable body. These fundamental ideas do not play a major role in current theoretical physics but may well be vindicated in a future physics.
ここで、最後の文の but 以下の言葉は、湯川ファン(私もその一人である)に将来への期待を抱かせるものだが、ケンマーからの引用の終わりから 3 番目の文 "We cannot ..." とその次の文を合わせたものと同様、若い時に中間子論を発表し、また素粒子論の方法を確立した湯川への敬意のため、批判的表現を緩和する目的で挿入されたものと見るべきであろう。

 素粒子論が専門で京大名誉教授だった田中正(1928–2019)は、著書 [22] の中で、湯川の戦後の研究や素領域理論についての日本生まれの研究者たちによる評価を紹介し、自らの見解も述べている。ここではそれらの中から、最も歯に衣を着せない適切な批評と思われる南部陽一郎の、「湯川博士の戦後の研究活動」についての言葉を引用したい。
残念ながらこれはあまり実りをもたらさなかった。博士が素粒子を幾何学的に拡がったものとして捉えようとされた執拗な努力そのものは別として、その内容や方法は素朴すぎたようである。最近はゲージ場理論の発展によって幾何学的な見方が非常に重要になり、内部量子数を幾何学に帰着させる可能性も出てきたが、博士の考えが種になっているとはいえない。博士が中間子論以後日本の後進学者に与えた影響はもっと間接的なものであった。( [23]; [22] p. 311 から引用)
南部の言葉を引用している田中自身は、文献 [24] において、超弦理論の D0 ブレーンが湯川の素領域の考えに近いことを指摘している。しかし、これは南部が「博士の考えが種になっているとはいえない」といっている内容の一つであろう。

 次回は、亀淵氏がハイゼンベルクと湯川の「悲劇」の頃の研究が未完のままに終わった共通の理由として書いていることに関連して、理論物理学研究の相異なる方式ということについて考えたい。

 文献
  1. 湯川秀樹, 湯川秀樹自選集 2 (朝日新聞社, 1971).
  2. Y. Katayama and H. Yukawa, "Field theory of elementary domains and particles. I," Prog. Theor. Phys. Suppl., 41, 1 (1968).
  3. Y. Katayama, I. Umemura, and H. Yukawa, "Field theory of elementary domains and particles. II," Prog. Theor. Phys. Suppl., 41, 22 (1968).
  4. 湯川秀樹・監修, 岩波講座 現代物理学の基礎 11 素粒子論 (岩波書店, 東京, 1974).
  5. H. Yukawa, "On the interaction of elementary particles. I," Proc. Phys.–Math. Soc. Japan (3) 17, 48 (1935).
  6. N. Kemmer, "Hideki Yukawa. 23 January 1907–8 September 1981," Biographical Memoirs of Fellows of the Royal Society, 29, 661 (1983). JSTOR, https://www.jstor.org/stable/769816. Accessed July 30, 2020.
  7. L. M. Brown, "Yukawa, Hideki," in Complete Dictionary of Scientific Biography (Charles Scribner's Sons, New York, 2008); online version of this article available at
    https://www.encyclopedia.com/people/science-and-technology/physics-biographies/hideki-yukawa. Accessed July 31, 2020.
  8. 田中正, 湯川秀樹とアインシュタイン (岩波書店, 東京, 2008).
  9. 南部陽一郎, "湯川博士と日本の物理学," 科学 52, No. 2 (1982).
  10. S. Tanaka, "From Yukawa to M-theory," in Proc. Int. Symposium on Hadron Spectroscopy, Chiral Symmetry and Relativistic Description of Bound Systems, Nihon Daigaku Kaikan, Feb. 24-26, 2003; KEK Proceedings 2003-7, edited by S. Ishida et al. (KEK, Tsukuba, 2003) p. 3; also available as arXiv:hep-th/0306047.
(つづく)

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