2005年6月3日金曜日

代用教科書のことなど


 大連嶺前小学校同窓会会報「嶺前」第21号に掲載の文と挿絵を引用する。挿絵は旧電車道の方から見た嶺前小学校。T・I さん(同小学校昭和21年卒)が、1987年5月に撮影された写真を参考に描いたもの。




 先日、高校生時代の日記を見ていたところ、嶺前小学校の頃の思い出に触れたところがあった。終戦後の国語の代用教科書のことや、戦争中に「軍人勅諭」を暗記しなければならなかったことなどが書いてある。小学校5年生用に徳富蘆花の『自然と人生』の一節があったとは、ずいぶん高尚な代用教科書を与えられたものだ。「軍人勅諭」暗記の思い出は、いま憲法を変えようとする動きのある中で、そのような教育が再びなされてはならないとの思いを強くさせる。

 以下に、その日記をそのまま引用して紹介する。高校2年生になったばかりの日のものである。

1952年4月1日(火)曇り時どき雨

 「木の下は落花と紅蕚と点々として影と共に地に貼せり。白き鶏一羽身に斑々たる若葉の影を帯びつゝ落花を啄ばむ。」と読んできて、ふっと、どこかで読んだ文章だ!と思った。読み返してみた。そして、これを最初に読んだ本――薄っぺらな印刷物という方がよいほどのものだったが、終戦後(1946年、5年生になってからだと思う)嶺前小学校で習った国語の教科書だ――をかなりの明りょうさで思い出すことが出来た。

 あれが徳富蘆花の『自然と人生』の中の「湘南雑筆」中にある「新樹」の一節だったのかと、もう一度読み返すと、妙に強く印象に残っている白くてよい紙質だった代用教科書の一ページが、そして一冊全部が、またそれにまつわる思い出が、懐かしく湧いてくる。あの教科書の最初の課は、少年野球大会の観戦記的な文章だった。そこを習ったのは、南部地区代表の嶺前小チームが優勝校霜藤に2対1で敗れ、全能の神と信じていたものが全能でなかったことを知ったときのように、がっかりもし、残念にも思ったすぐあとだった。しかし、その代用教科書の文中で優勝する学校に嶺前小そっくりのところがあったのは愉快だった。

 代用教科書にはほかにどんな文があっただろうか。「リズム」というのがあったようだ。難しい漢字のたくさんあったのはアムンゼンの探検の物語だったと覚えている。この課は、嶺前小の南側の校舎を中国の保安隊に接収され、北側の寒い教室で2クラスが一緒になってひしめいていたことや、運動場の旋回壕の底に厚い氷がはっていたことなどの思い出とともに記憶に浮上する。

 思い出は戦争中にさかのぼる。5項目からなる「軍人勅諭」の、各項目に付属する長い文を覚えなければならなかったものだ。どうとかすれば、でくのぼうである、とか、烏合の衆である、というようなところがあったことだけを覚えている。その頃のある日、日の出と日の入りの時間を調べるという算数の宿題を出され、早起きして旗山の見えるところへ行った。周囲は白っぽく、日が昇るまでいくらか時間があった。

 あたりが少しずつ黄ばんで活気づいてくる新鮮な空気の中で待つ間、ポケットから「軍人勅諭」の小冊子を取り出し、その暗記に努めた。日の出が近づくとともに、読んでいるページの文字が、赤くなったり、緑になったりした。明るさの激しい変化に対する目の反応のせいだっただろう。旗山の国旗掲揚台の竿と並んで輝く太陽を目にしたとき、軍国主義教育を受けつつあった頭で、それをまさに「躍進日本の勇姿」を象徴する光景と思ったのだった。その何カ月かあとに「玉音放送」を聞き、そのイメージがしぼむことなどまったく予想しないで。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

しゅりんく 06/10/2005
 はじめまして。新着で「異常に多いアクセス」(Ted 後日の注:この記事は復元の際に省略した)を見つけてこちらに来て、記事を幾つか見させていただきましたが、大変感銘を受けました。いつか、自分もこのようなブログを書けるほど成長できればと思います。

Ted 06/10/2005
 年齢を重ねた分だけ、若い方がたにもご参考になるようなことを書かなければと思って、頑張っています。時どきコメントをいただければ幸いです。

御影大橋の渡り初め



 写真は彦根市の玄宮園で、2005年5月24日写す。

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年8月23日(土)曇りのち雨

 竣工成った御影大橋の渡り初めを見に行く。泥のような雲が空にかかっていて、時どきそぼ降って来た。それでも沢山の人だった。ぼくが見たのは、十数個の風船が空に舞い上がって行ったのと、カメラマンが三夫婦の前に橋に足を踏み入れてシャッターを切っていたのと、それから、日本独特の竹製の古めかしい楽器を吹奏しながら木沓をはいて、のそのそと歩んで行く神主に続いて、味気なく足を運んでいる三夫婦と、それに続く、胸に赤いリボンをつけた井村市長、その後にぞろぞろついて行く市議や多額寄付者や町の有力者の顔々だった。この行列をぼくは、橋の人道で、土下座することなく、ざわざわと見ていた。他の物珍しげな人たちとともに。
 折から明るくなってきた空に、鉄柱や鉄骨はすべて銀色に輝き、六千万円の巨費と二ヵ月の長年月を費やして作られた百米余の大橋は、見事なものである。これで金沢駅と松任、小松などとを結ぶ道路がぐんと短縮され、郷土の発展に大きな役割を果たすだろうとのことだが、ぼく自身にとれば、夕食後の散歩と夕涼みか、あるいは競馬場へ行くときくらいしかその恩恵を感ずることはないであろう。が、あくまでこれは、ぼくだけについていったことであって、多くの人たちがこの橋の完成によって恩恵をこうむるに違いなく、そして、そこにこの橋を作った意義がある。

 午後からの寄合い相撲は見に行かなかったが、夜のアマチュア歌謡コンクールは最後まで見ていた。今夜の花火は、一発一発が見ごたえのあるものだった。アマコンの方は、出場者に森永キャラメル一箱があたるというも。OG 君は出場申込をしたが、遅かったので出られなかったというほど、盛大だった。これを司会したのは、NK 君とかいう二十歳くらいの青年だったが、彼は腹話術というのを心得ていて、彼と人形(この人形は口が動くように作られており、人並みのおしゃべりをするのだが、実をいうと、彼が口を動かすか動かさないかの程度で人形の分もしゃべっているのである)の会話には舌を巻かずにはいられなかった。彼はこの前の「ほろ酔いクイズ」の公開録音のときにも来ておしゃべりをした。そのときは、人形のセリフは先に録音してあるのだろうと考えていたのだが、きょうは本当のことを知って驚いた。

2005年6月2日木曜日

根拠のない噂



 写真はタイリンキンシバイ(大輪金糸梅)の花。
2005年5月31日、堺市・笠池公園で。

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年8月22日(金)晴れ

 昨夜は「ほろ酔いクイズ」の公開録音に行ったのだが、それは今夜八時から聞いて貰うことにして――、三番目の出場者がぼくだ。迷答ばかりし続け、司会者のヒントでようやく進んだものだから、第三問題で照れくさくなって止めてしまった。福正宗一升の処分にはだいぶん頭を悩ましたが、中央下に「大日本帝国印刷局製造」と印刷してある紙幣八枚で、父に買い上げて貰った。

 ちょうどよい時間だった。"The Well" [1] は、初めは教育映画のようなつまらない(教育映画をつまらないというのではない。場面や俳優の演技がそんな感じを与えるのだ)ものかなという気がした。だが、六十フィートもある狭い古井戸の底にいるキャロリンという幼い黒人娘を、彼女を誘拐したという嫌疑で逮捕されたことのある元坑夫・クロードが助け出すあたりは、人種的差別を越えた温かいものがあった。この場面では、古井戸の横にもう一つ穴を掘って、そこから助けることになるのだが、その穴を掘るために使う機械のすばらしいのに驚いた。あんなものは今までに見たことがない。
 それよりも、この映画でどうしても論じなければならないのは、人種問題である。とある噂から、白人対黒人の人種的対立となり、殺傷事件が相次ぎ、暴動にまで発展しかけるのである。それが寸前に、「彼女は古井戸の中に落っこちている」という真実が分かり、暴動に発展しなくて済み、クロードの無罪も明らかになるのだが、もしも、これが映画でないならば、本当に暴動化することもあり得るだろう。とすると、日本における青い目の子どもたちの問題や在日韓国人のデモも相似た事実として慎重に考えなければならない。そしてまた、根拠のない噂がいかに恐ろしいものであるかも、しみじみと考えさせられた。夏休みの英語宿題帳にある "Did these prejudices prevail only among the meanest and lowest of the people, perhaps they might be excused." という文には、いささか問題があるようだ。

 通信帳 [2] を今までの二倍の価値のあるものにしよう、という意見には賛成である。現在のぼくのような使い方では、ノートがきっと泣いているであろう。しかし、いかに実行すべきかについて規定することは、非常に難しい。さしあたって、ここ当分の間、この目的に沿うよう、いろいろな方式を試みてみようではないか。


 引用時の注

  1. 1951年製作、モノクロのアメリカ映画。下記レビュー参照:The Well (1951) (IMDb.com); Film Review "The Well" (TimeOut.com).

  2. われわれの交換日記のこと。私が「今までの二倍の価値のあるものにしよう」と提案したようである。

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

テディ 06/03/2005
 アラバマ物語 "TO KILL A MOCKINGBIRD" が1962年の作品であるので、その10年以上前に人種問題を題材としたアメリカ映画があったのですね。初めて知りました。

Ted 06/03/2005
 映画『アラバマ物語』と小説 "TO KILL A MOCKINGBIRD" のそれぞれの題名だけを別べつに知っていましたが、『アラバマ物語』は "TO KILL A MOCKINGBIRD" の映画化でしたか。

Y 06/04/2005
 Sam さんはおおらかで、文章を読むと独特のしっかりとおとなびた、安定した視点がいつもあるように感じますね。こういう高校生が今の時代にも沢山育ってくれればいいと思いますが、なかなかそうはいきません。

Ted 06/04/2005
 敗戦後まだ7年目、大人たちが日本の復興のために一生懸命に働いている姿が、当時の生徒たちをも、おおむね真面目な方向に導いたと思います。

2005年6月1日水曜日

氏か育ちか



 近隣の堺市・笠池公園で、まだ小さい木ながら咲いているいろいろなアジサイ。
2005年5月31日撮影(記事に無関係)。

 先日、"The Long Shadow of Temperament" [1] という本に対するScience 誌掲載の批評 [2] を読んだところ、その導入部分に人格の形成に関する nature 対 nurture 論争のことに触れてあった。Nature 対 nurture という言葉は、これまでにも何度か目にしたし、この書評にも、"temperaments or biologically based inherited influences (nature) against environmental influences from parenting, peers, and culture (nurture)" と説明づきで登場するので、その意味は分かる。

 しかし、nature 対 nurture は、日本語で何といい習わされているのだろうかと気になった。手っ取り早く調べるには、最近はなんといってもウェブの検索がよい。Nature と nurture をキーワードにして、Google で日本語のページを検索したところ、「遺伝か環境か論争」という言葉が見つかり、一応納得したのであった。

 ところが、それから間もなく、朝日新聞の読書欄において、「心を生みだす遺伝子」[3] という本の批評 [4] の見出しに、「氏(うじ)か育ちか」ということばがあるのに目が留まった。「遺伝か環境か」よりも、こちらの方が私には好ましい。「氏」という語は古めかしいが、英語の nature と nurture が同じ語尾で終っているのに似せて、氏も育ちもイ列の音で終っているからである。詩の用語でいえば、韻を踏んでいるのである。

 といっても、これはどちらを選ばなければならないというほどの問題ではない。むしろ、「氏か育ちか論争」自体は、現在どういう状況になっているのかが気になるところである。私は、生物学や心理学には素人ながら、この論争はどちらに軍配が上がるという形で決着のつくものではなかろう、とかねがね思っていた。自分の歩みを振り返ってみても、氏と育ちの双方が絡み合っているような気がする。

 そこで、「心を生みだす遺伝子」の書評中に、『「ヒトの心を決めるのは、氏か育ちか」なる論争はもはや成立しない。遺伝は当然介在するが、遺伝だけで決まるはずもないのだ』とあるのを見て、わが意を得たりと思ったのであった。

 ちなみに、「氏より育ち」という諺がある。英語で同意義のものも "Birth is much, but breeding is more." "Not where one is bred but where he is fed." "Nurture and good manners maketh man." "Nurture is above nature." などと、多くある [5]。これは氏に恵まれない人びとを勇気づけるための古来の知恵といえよう。


  1. J. Kagan and N. Snidman, The Long Shadow of Temperament (Harvard University Press, Cambridge, MA, 2004).

  2. P. T. Costa Jr., Fleeting Infant Types to Enduring Traits, Science Vol. 308, p. 500 (2005).

  3. ゲアリー・マーカス、心を生みだす遺伝子、大隅典子訳(岩波書店, 2005)[Gary Marcus, The Birth of the Mind: How a Tiny Number of Genes Creates the Complexities of Human Thought (Basic Books, New York, 2004)].

  4. 渡辺政隆、「氏か育ちか」の議論を超える地平へ、朝日新聞 (2005年5月29日).

  5. 池田弥三郎、ドナルド・キーン(監修)、日英故事ことわざ辞典 Proverbs (朝日イブニングニュース社, 1982).


 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 06/01/2005
 私としては、遺伝子か自然か、或は氏か育ちかについて五分五分とはあまり考えたくないですね。もはや、なべて「存在が意識を決定する」と言い切る訳にはいかないでしょうが、いくら遺伝子解明が進もうとも決定論に傾斜を強めたくはないですね。氏は二分か三分、育ちが七分か八分といったあたりで踏みとどまっていたいですね。

Ted 06/01/2005
 私も、両方が寄与しているといっても、五分五分という考えではなく、環境からの摂取の努力如何では、育ちが七分か八分にも成し得るし、努力を怠れば、逆に三分か二分止まりにも堕し得るのではないかと思います。

宗安寺 / 予定の半分にしか達していない


宗安寺

 宗安寺は彦根の夢京橋キャッスルロードのほぼ中央に位置している。佐和山城大手門を拝領したという朱塗りの山門(写真)から、通称「赤門の寺」と呼ばれ、江戸時代には、幕府へ派遣された朝鮮通信使節高官の宿泊所となり、彦根の文人たちの交流の場となった。(JR 西日本「駅からはじまるハイキング MAP」による。写真は2005年5月24日撮影。)

予定の半分にしか達していない

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月22日(金)晴れ

 2限終了後、物理問題集の、岸壁上から船を引っ張る問題に「分速度を求めよ」というヒントが書いてあるが、Δt 時間の綱の動きを考えて比で求めるのとでは、答が異なってくることを質問に行った。O・Y 先生は、ヒントが間違っている、との返事の後、どこまでやったかと聞かれたので、「ちょうど100ページです」と答えた。問題集を手にしたときは、一通り目を通すつもりだったけれども、まだ習っていないところを理解するのは骨が折れて、予定の半分にしか達していない。それも、熱現象と熱理論のところは、読み流しただけである。