2005年6月1日水曜日

氏か育ちか



 近隣の堺市・笠池公園で、まだ小さい木ながら咲いているいろいろなアジサイ。
2005年5月31日撮影(記事に無関係)。

 先日、"The Long Shadow of Temperament" [1] という本に対するScience 誌掲載の批評 [2] を読んだところ、その導入部分に人格の形成に関する nature 対 nurture 論争のことに触れてあった。Nature 対 nurture という言葉は、これまでにも何度か目にしたし、この書評にも、"temperaments or biologically based inherited influences (nature) against environmental influences from parenting, peers, and culture (nurture)" と説明づきで登場するので、その意味は分かる。

 しかし、nature 対 nurture は、日本語で何といい習わされているのだろうかと気になった。手っ取り早く調べるには、最近はなんといってもウェブの検索がよい。Nature と nurture をキーワードにして、Google で日本語のページを検索したところ、「遺伝か環境か論争」という言葉が見つかり、一応納得したのであった。

 ところが、それから間もなく、朝日新聞の読書欄において、「心を生みだす遺伝子」[3] という本の批評 [4] の見出しに、「氏(うじ)か育ちか」ということばがあるのに目が留まった。「遺伝か環境か」よりも、こちらの方が私には好ましい。「氏」という語は古めかしいが、英語の nature と nurture が同じ語尾で終っているのに似せて、氏も育ちもイ列の音で終っているからである。詩の用語でいえば、韻を踏んでいるのである。

 といっても、これはどちらを選ばなければならないというほどの問題ではない。むしろ、「氏か育ちか論争」自体は、現在どういう状況になっているのかが気になるところである。私は、生物学や心理学には素人ながら、この論争はどちらに軍配が上がるという形で決着のつくものではなかろう、とかねがね思っていた。自分の歩みを振り返ってみても、氏と育ちの双方が絡み合っているような気がする。

 そこで、「心を生みだす遺伝子」の書評中に、『「ヒトの心を決めるのは、氏か育ちか」なる論争はもはや成立しない。遺伝は当然介在するが、遺伝だけで決まるはずもないのだ』とあるのを見て、わが意を得たりと思ったのであった。

 ちなみに、「氏より育ち」という諺がある。英語で同意義のものも "Birth is much, but breeding is more." "Not where one is bred but where he is fed." "Nurture and good manners maketh man." "Nurture is above nature." などと、多くある [5]。これは氏に恵まれない人びとを勇気づけるための古来の知恵といえよう。


  1. J. Kagan and N. Snidman, The Long Shadow of Temperament (Harvard University Press, Cambridge, MA, 2004).

  2. P. T. Costa Jr., Fleeting Infant Types to Enduring Traits, Science Vol. 308, p. 500 (2005).

  3. ゲアリー・マーカス、心を生みだす遺伝子、大隅典子訳(岩波書店, 2005)[Gary Marcus, The Birth of the Mind: How a Tiny Number of Genes Creates the Complexities of Human Thought (Basic Books, New York, 2004)].

  4. 渡辺政隆、「氏か育ちか」の議論を超える地平へ、朝日新聞 (2005年5月29日).

  5. 池田弥三郎、ドナルド・キーン(監修)、日英故事ことわざ辞典 Proverbs (朝日イブニングニュース社, 1982).


 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 06/01/2005
 私としては、遺伝子か自然か、或は氏か育ちかについて五分五分とはあまり考えたくないですね。もはや、なべて「存在が意識を決定する」と言い切る訳にはいかないでしょうが、いくら遺伝子解明が進もうとも決定論に傾斜を強めたくはないですね。氏は二分か三分、育ちが七分か八分といったあたりで踏みとどまっていたいですね。

Ted 06/01/2005
 私も、両方が寄与しているといっても、五分五分という考えではなく、環境からの摂取の努力如何では、育ちが七分か八分にも成し得るし、努力を怠れば、逆に三分か二分止まりにも堕し得るのではないかと思います。

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