高校生時代に読んだのを、還暦も過ぎてから必要があって読み返した。明治も終りに近い1908年の作品であり、福岡の田舎に生まれ熊本の高等学校を卒業して東京の大学に入った青年、三四郎の恋は、現代からみれば、あまりにも淡泊と感じられなくもないが、その生き方のすがすがしさには、読者の年齢と時代を越えてひかれるものがある。
三四郎に似た気の小さい青年の恋には、いまでも、この作品に描かれているような側面があるのではないかとも思われる。その意味で、これは、まさに古典のひとつであろう。ヒロインの美禰子が三四郎と交わす会話は、いかにも簡潔であるが、彼女の因習にとらわれない性格と知性をよく表わしており、いまなおモダンさを失わない。彼女が三四郎に与える「ストレイシープ」という謎めいた語は、この物語を幻想的に貫いている。
また、作者が登場人物の口を借りて展開する社会批評は、現代にも通じる鋭さを持っている。たとえば、広田先生が、これからの日本についていう「亡びるね」という言葉。また、同先生が述べる昔の青年と現代の青年との比較、「近頃の青年は我々の時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない」など。高校生から中高年まで、年齢に応じた楽しみ方のできる好作品といえよう。
(この記事は、アマゾンへの投稿を後日、その投稿年月日のところへ転載したもので、ブログ開始以前のものである。)
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