湯川研究室の修士課程を修了して一時私と同じ職場にいた H さんに、「湯川秀樹を研究する市民の会」(略称「湯川会」)で紹介するための湯川博士の思い出を尋ねていたところ、彼女自身の思い出の他に、同期生の思い出などもメールで問い合わせたりして、送って下さった。その中に、湯川博士の秘書をしておられたSさんがスミ夫人についての思い出を書かれたものもあった。上記の会のメンバーにそれを紹介した私からのグループ・メールをここに転載する。
湯川会の皆さん
湯川さんの秘書をしておられたSさんがスミ夫人についての思い出を書かれたメールを、このたび H さんが転送して下さいました。H さんは京大物理学科同期会で先般京都へ来られた折に、S さんにも会われ、H さんの学生時代に学生たちの間でスミ夫人が「京都の三大悪女の一人」といわれていたことを思い出して話されたようです。以下に S さんのメールから、思い出の部分をご紹介します。
スミ夫人のことは、悪妻といわれていらっしゃった時がありましたが、私はそんなふうには思いませんでした。その頃の「妻」のあり方の感覚が古風だっただけです。スミ夫人は「秀樹さん」のことだけを純粋に一番に考えていらしたと思います。だからスミ夫人の口から出ることばの中にどれだけ「秀樹さん」が出てきたことでしょう。そして尊敬していらしたから、湯川先生の亡き後も、核廃絶への取り組みに最後まで努力なさったのだと思います。
この後、もう少し率直なご感想が続きます。ただ、「あなた(H さん)だからいいますが」ということばがありますので、決してよくない話ではないのですが、引用は差し控えます。(2006年11月25日)
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