『日本物理学会誌』2007年5月号「談話室」欄に、法橋登氏の「世界でもっとも美しい科学実験とメソトロン実験」という投稿があった。私は著者宛に、「湯川秀樹を研究する市民の会」で湯川博士についていろいろ勉強したり調べたりしている関係で、特に興味深く思った旨の感想をメールで送った(ついでに、文中のちょっとした間違いを指摘して)。氏からは返信メールに添えて、『大学の物理教育』誌に最近書かれた湯川博士関連の随筆2編のPDFが届いた。法橋氏は私の出身大学物理学科の5年先輩にあたり、湯川博士に関する記憶をできるだけ書き残して置こうとしておられるそうだ。以下に法橋氏の3編の随筆を簡単に紹介する。
「世界でもっとも美しい科学実験とメソトロン実験」
法橋登, 日本物理学会誌 Vol. 62, p. 371 (2007)
"Physics World" 誌の読者投票で、世界でもっとも美しい科学実験の1位に外村(とのむら)彰さんの一電子干渉実験が選ばれ、また、1943年にローマ大学で行われたメソトロンの寿命測定実験が次点の一つになったことを、ロバート・P・クリース著、青木薫訳『世界でもっとも美しい10の科学実験』(日経BP、2006)で知った、と記している。そして、外村実験の25年も前の1964年に、湯川博士がギリシャ王立協会アテネ会議での招待講演において、一電子量子干渉実験の科学史的意義を説明したことを述べている。また、1938年4月12日付けの朝永博士の滞欧(ライプチッヒ)日記が、ハイゼンベルクによる湯川理論の講義にふれていることも紹介している。
紹介されている朝永博士の日記文には多少省略がある。私は省略された文、「ハイゼンベルクはおそろしく湯川の理論に興味を持っている」(『朝永振一郎著作集』別巻2、p. 8)にむしろ興味をひかれる。(次に紹介する随筆を読んで分かったのだが、省略は法橋氏によるものでなく、朝永博士自身のもののようだ。)
「ハイゼンベルグゼミでの朝永と湯川中間子論」
法橋登, 大学の物理教育 Vol. 12, p. 148 (2006)
題名に「湯川中間子論」の言葉があるが、この随筆は朝永博士の仕事と彼の滞欧日記を紹介したものである。上記「世界でもっとも…」に引用されているのと同じ1938年4月12日の日記が(同じ省略をされて)含まれている。そのため、題名に「湯川中間子論」が入ったまでのことで、法橋氏が湯川博士についても書いているのではない。法橋氏が滞欧日記を引いた元は、朝永博士の著書『量子力学I、II 』(学芸社、1951)の差し込み付録だとある。
日記文の前には
「まつい(松井巻之助)くんがなにか軽いものを書いてくれと言うが、一向うまくいかないので、古い日記帳から、いいかげんに引っぱり出してお茶をにごす。」
という朝永博士の文がついている(私はこの文をどこかで読んだような気がする)。この随筆と、引かれた朝永博士の文から判断すると、日記文の省略をしたのは、法橋氏でなく、朝永博士自身ということになる。
(題名中の「ハイゼンベルグ」は、普通ドイツ語読みで「ハイゼンベルク」と記すが、ここでは原著のまま記した。)
「湯川先生のラジオ放送と宗教対談」
法橋登, 大学の物理教育 Vol. 13, p. 63 (2007)
法橋氏は、小学生だった1940年代に、たまたま京都放送のラジオから聞こえた連続講話「目に見えないもの」で、湯川博士を初めて知ったそうだ。それから10年後、月の裏側の写真がテレビに映った年の翌年の正月番組で、湯川博士とSF作家・小松左京の対談があり、「宇宙旅行が自由にできるようになったら、ブラックホールを覗けるのではないか」という小松の質問に対して、湯川博士は「そこまで行かんでも、ここにいても分かるのが学問だ」と答えたという。宗教学者・久松真一との対談においては、悟りについての久松の説明をきいたあとの湯川博士の答えが、「私は悟らんでもよろしい」というものだったことも述べられている。湯川博士の鋭くまた達観した言葉が面白い。
Random writings of a retired physicist
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2007年6月7日木曜日
湯川博士関連の随筆を読む
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