わが家の庭に咲いたユリの花。
A lily flower in my yard.
加藤周一はその著書(文献 1)において、過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴を説明するため、夏目漱石の文を引用し、その特徴が日本語の時制にも現れていることを述べている(同文献 59~62 ページ)。具体的には、漱石が過去の出来事を記していながら、多かれ少なかれ持続する現象(フランス語の半過去の使用対象)には現在形を、過去の特定の時点で起こった出来事(フランス語の単純過去形の使用対象)には過去形を使っていることを指摘しているのである。そして加藤は、「しかしフランス語から漱石が深い直接の影響を受けたとは考えにくい」として、漱石によるこのような述部の用法の源はどこにあるかについての答を保留している。
ところで、私たちは英文法で、進行形に出来る動詞と出来ない動詞として、状態動詞 (stative verb) と動作動詞 (dynamic verb) という区別を習う。漱石が過去のことでありながら現在形を使った述部と過去形を使った述部の間には、状態動詞と動作動詞の相違に対応する相違がある。加藤が引用している漱石の『夢十夜』の一節では、前者に対応する述部として、「点(とも)っている」、「蕪村の筆である」、「懸っている」、「[人気(ひとけ)が]ない」があり、これらはすべて現在形になっている。他方、後者に相当する述部として、「夢を見た」、「落ちた」、「(同時に…)明かるくなった」、「(仰向く途端に…)見えた」があり、これらはすべて過去形になっている。状態動詞と動作動詞の区別は、多くの言語に見られるという(文献 2 が、文献 3 を引いてそう述べている)。加藤はフランス語に堪能なあまり、日本語にも時制の適用について状態動詞と動作動詞に相当する区別が古来あるとか、あるいは、少なくとも明治時代にはあったという可能性を考えることなく、漱石の場合にどういう外国語の影響があったのだろうかという考察に突き進んでしまったようである。
加藤は漱石の『夢十夜』からの引用をする前に、森鴎外の『寒山拾得』からの一節も引用している(文献 1 の 58~59 ページ)。その節には、「連れ込んだ」、「できぬくらいである」、「燃えている」、「見えてきた」という述部が並んでいる。加藤はこの過去(または完了)、現在、現在、過去(または完了)という並び方について、日本語の文法が許す過去の出来事への現在形の使用を鴎外が利用し、単調さを破る工夫をした、と解釈している。しかし、この場合も、現在形の述部は二つとも状態を表し、過去(または完了)形の述部は二つとも動作を表しており、漱石の場合と同じ使い分けになっている。鴎外が単調さを破る工夫をしたとすれば、単に活用形を変えたのではなく、叙述の内容の配置に工夫をしたと見ることが出来るのではないだろうか。
また、加藤は鴎外と漱石の文を引用するよりも先に、『源氏物語』、『平家物語』、そして上田秋成の『雨月物語』からの引用文を使って、「過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法」が、「厳密な時制を要求しない日本語の文法が前提条件であった」と論じている(文献 1 の 54~58 ページ)。そして、このことは『雨月物語』のフランス語への訳文と比較すればあきらかになるだろう、としている。しかしながら、過去の出来事に臨場感を与える表現として現在形を使用する「歴史的現在」は、各国語で用いられているようであり、加藤の論は、いささか強引であるように思われる。ただ、フランス語ならば半過去形を用いる過去の出来事に対して、日本語では抵抗なく現在形を用いることが出来るという時制の緩やかさが、「過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴」の一例である、という加藤の主張には間違いがないであろう。
文 献
ところで、私たちは英文法で、進行形に出来る動詞と出来ない動詞として、状態動詞 (stative verb) と動作動詞 (dynamic verb) という区別を習う。漱石が過去のことでありながら現在形を使った述部と過去形を使った述部の間には、状態動詞と動作動詞の相違に対応する相違がある。加藤が引用している漱石の『夢十夜』の一節では、前者に対応する述部として、「点(とも)っている」、「蕪村の筆である」、「懸っている」、「[人気(ひとけ)が]ない」があり、これらはすべて現在形になっている。他方、後者に相当する述部として、「夢を見た」、「落ちた」、「(同時に…)明かるくなった」、「(仰向く途端に…)見えた」があり、これらはすべて過去形になっている。状態動詞と動作動詞の区別は、多くの言語に見られるという(文献 2 が、文献 3 を引いてそう述べている)。加藤はフランス語に堪能なあまり、日本語にも時制の適用について状態動詞と動作動詞に相当する区別が古来あるとか、あるいは、少なくとも明治時代にはあったという可能性を考えることなく、漱石の場合にどういう外国語の影響があったのだろうかという考察に突き進んでしまったようである。
加藤は漱石の『夢十夜』からの引用をする前に、森鴎外の『寒山拾得』からの一節も引用している(文献 1 の 58~59 ページ)。その節には、「連れ込んだ」、「できぬくらいである」、「燃えている」、「見えてきた」という述部が並んでいる。加藤はこの過去(または完了)、現在、現在、過去(または完了)という並び方について、日本語の文法が許す過去の出来事への現在形の使用を鴎外が利用し、単調さを破る工夫をした、と解釈している。しかし、この場合も、現在形の述部は二つとも状態を表し、過去(または完了)形の述部は二つとも動作を表しており、漱石の場合と同じ使い分けになっている。鴎外が単調さを破る工夫をしたとすれば、単に活用形を変えたのではなく、叙述の内容の配置に工夫をしたと見ることが出来るのではないだろうか。
また、加藤は鴎外と漱石の文を引用するよりも先に、『源氏物語』、『平家物語』、そして上田秋成の『雨月物語』からの引用文を使って、「過ぎ去った出来事を語りながら、現在形の文を混入させて臨場感を作り出す技法」が、「厳密な時制を要求しない日本語の文法が前提条件であった」と論じている(文献 1 の 54~58 ページ)。そして、このことは『雨月物語』のフランス語への訳文と比較すればあきらかになるだろう、としている。しかしながら、過去の出来事に臨場感を与える表現として現在形を使用する「歴史的現在」は、各国語で用いられているようであり、加藤の論は、いささか強引であるように思われる。ただ、フランス語ならば半過去形を用いる過去の出来事に対して、日本語では抵抗なく現在形を用いることが出来るという時制の緩やかさが、「過去・現在・未来を鋭く区別しようとしない日本文化の特徴」の一例である、という加藤の主張には間違いがないであろう。
文 献
- 加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波、2007).
- 『ウィキペディア』英語版 “static verb” の項、http://en.wikipedia.org/wiki/Stative_verb (23 March 2014 at 15:40).
- Laura A. Michaelis, “Stative by Construction.” Linguistics Vol. 49, pp. 1359–1400 (2011).