2016年4月17日日曜日

引揚げ時に持ち帰った物の一つ (One of Things I Brought back with Me on Repatriation)

[The main text of this post is in Japanese only.]


子供向け図画手本書の一ページ、石井柏亭・画「明治神宮外苑」。
A page of a painting and drawing manual for children, showing the watercolor "The Gaien of Meiji Shrine" by Hakutei Ishii.

 敗戦後、大連から引き上げる際には、手に持てる程度の物しか日本へ持ち帰ることが出来なかった。大人たちは布団袋に布団やわずかの台所用品などをつめて、転がしながら運びもしたが。当時小学校5年生だった私自身が運ぶ荷物の中へ選んで入れた品物の中には、父の遺品の小型の国語辞書や英和辞書があった。ほかに、自分が描いた絵や子供向けの図画手本書(題名不詳)を分解して選んだ 6 枚もあった。これらを選んだのは、私が幼少の頃から絵を描くことが好きだったからである。

 図画手本書を分解して一部分だけを持ち帰った理由は、荷物を軽くするためでもあったが、軍国主義的な絵が混じっていると、埠頭での旧ソ連兵の検閲で没収される恐れがあったためでもある。実際、持ち帰った中の一ページには、持ち帰らなかった隣のページの絵の説明として、「 左のページ——りっぱな聯隊旗を捧げて、春の野を行く勇ましい兵隊。あかい聯隊旗と、みどりの草のとりあはせ[注:旧仮名づかいのまま]が、じつに美しいではありませんか」というのがある。

 父の遺品の 2 冊の辞書は 20 年近く前に処分してしまったが、自分の絵と絵の手本はまだ残してある。手本の絵の一枚は、「明治神宮外苑」と題する水彩画で、描いたのは石井柏亭(1882–1958)という画家である(上掲のイメージ。画家の没年からみて、著作権保護期限は切れており、このイメージを掲載した)。左下に「(自習画帖 5 より)」という引用記載があることから、亡き兄のお下がりとして私が持っていた本自体は、幼年向け雑誌の付録程度のものだっただろうと推測している。

 さる 3 月 10 日、芸能人らが俳句、生花、盛り付けなどの優劣を競う毎日テレビのバラエティ番組『プレバト!!』に、スケッチの課題があり、一人の芸能人の描いたのが「聖徳記念絵画館」だった。それをたまたま見ていた私は、この建物こそ、私が持ち帰った絵の手本中に描かれていて、長年どういう建物だろうかと思っていたものに違いないと思い、その手本を取り出してみた。「明治神宮外苑」という題名も石井柏亭という画家名も忘れていたが、その絵の左前方に見えるのは、まさに聖徳記念絵画館としてスケッチされたものと同じである。美術館風の建物だとは思っていたが、その通りで、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた歴史的・文化的に貴重な絵画を展示しているとのことである(『ウィキペディア』の「聖徳記念絵画館」による)。私が定年退職後の一つの趣味として水彩画に取り組み始めて、2番目に京都市美術館を描いたのも、この石井柏亭の絵が脳裏にあったことが影響している(下掲のイメージ)。


私が石井柏亭の「明治神宮外苑」を脳裏で参考にしながら描いた「京都市美術館」。
"Kyoto Municipal Museum of Art" I painted with the image of Hakutei Ishii's "The Gaien of Meiji Shrine" in mind.

 石井柏亭については、インターネット上にいくつも解説等があるが、『千葉の県立美術館デジタルミュージアム』サイトの石井柏亭のページでは、略歴のほか、収蔵作品として、油彩画 6 点・水彩画 7 点・木版画 3 点も解説付きで見ることが出来る。

 なお、大連の小学校同期生 S・Y さんは画家なので、石井柏亭を知っているに違いないと思い、私がこういうものを引揚げ時に持ち帰っていたという話をメールで伝えた。すると、彼女は石井柏亭を単に過去の著名な画家の一人として知っているどころでなく、次のような話が返ってきた。東京の跡見女学校[注:明治期に開校した東京で最も古い女子教育校で、女学生たちがハイカラだったことで知られる(『ウィキペディア』の「学校法人跡見学園」同法人のホームページを参考にした)]へ人力車で通っていた彼女の大叔母君が石井画伯のモデルとなり、その絵は婦人雑誌に掲載されたということである。また、その原画である夢二風の乙女像の額が大叔母君の家の座敷に飾られていたが、S・Y さん一家は引揚げ後しばらくその家で世話になったので、石井画伯の名は懐かしい思い出につながるそうである。

2016年4月11日月曜日

2016 年 2 月 13 日から 3 月 21 日までの記事への M・Y 君の感想 (M.Y's Comments on My Blog Posts from February 13 to March 21, 2016)

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わが家の花たち、2016 年 4 月 8 日から 11 日に撮影。
Flowers in my yard; taken from April 8 to 11, 2016.

2016 年 2 月 13 日から 3 月 21 日までの記事への M・Y 君の感想

 M・Y 君から "Ted's Coffeehouse 2" の表記期間の記事への感想を 2016 年 4 月 1 日付けで貰った。最近私の記事数が少ないにもかかわらず、同君は長文の感想を書き送って来たので、そのまま掲載したのではブログサイトとしての体裁がよくない。そこで前回と同様、今回も私が彼の感想の要点を紹介することにする。

1. 早春の花の便り
 「荒山公園のウメが見頃」から「わが標準木が開花」に至る花の記事について、「多くの種類の『わが家の花』たちは鮮明に美しく撮られています」、「レンテン・ローズは下を向いて咲く花ですが、いい角度で美しく撮られています」、「『わが標準木』では、タイムリーに堺市・日部神社のソメイヨシノの開花を観察し、付近の桜の開花を予測された行為に、桜の風景を愛でる心が感じられます」などの感想が述べられている。

2. 紀伊田辺への旅
 妻の傘寿への祝詞に続いて、この記事に今回のスケッチと写真、そして、10 年前に同じ宿に泊まった時のスケッチ 2 枚、合計 4 枚のイメージが添えてあることについて、「10 年前に描いた絵を探した思考過程を説明するためのものでありましょう」との推測が記され、「部屋が異なっていたので、今回と同じ絵は描いていないと思ったが、実は描いていたという、記憶の曖昧さに関して心すべき問題の提起でもありましよう」と結んである。

3. 数列の謎
 最近読了した本に記されていた "Conway sequence (look-and-say sequence)" について私がいろいろ調べたことに対し、「努力を多とします」と評してある。また、Y 君にとっても「このパズルは新鮮なものでした」と書いてある。

4. 113 番目の元素と私のささやかな関係
 「発見新元素の命名権を日本の研究チームが獲得したという、巨大先端科学の新年早々の話題をとらえ、ResearchGate サイトの論文自動収集の間違いが起こした恩恵とトラブルについて、軽妙な筆致で書かれており、興味深く読ませて頂きました」という趣旨の感想を貰った。末尾に、「蛇足とは思いますが、以下に[113 番元素の命名権獲得]記者会見の解説の一部を転記します」とあるが、その解説の全文はこちら(理研のウェブページ)で読めるので、興味のある方はご覧いただきたい。