2019年9月27日金曜日

『追悼「M 子先生」』 (The Book Entitled In Memory of "M-ko Sensei (Doctor M-ko)")

[The main text of this post is in Japanese only.]


わが家の庭に咲いたハナトラノオの花。2019 年 9 月 21 日撮影。
Flowers of obedient plant in my yard; taken September 21, 2019.

『追悼「M 子先生」』

 2007 年に「にっぽん丸」という船で日本の周りを一周しながら途中の各地を見物する旅で、埼玉県在住の女医さん夫妻と一緒になった。その夫妻とは、妻とともに交流が続くことになったが、夫君は早くも 2008 年に亡くなられた。女医さんとはその後も何回かお目にかかったり、メール交換をしたりしたが、昨年 9 月に 89 歳で突然亡くなられたとの知らせが、年末に娘さんの一人からあった。

 女医さんは亡くなる少し前に、朝日新聞社の「朝日自分史」という企画で自分史を作成する気になって、資料をまとめておられたそうだ。3 人の娘さんたちがその遺志を継いで、『追悼「M 子先生」』という本にまとめたといって、今月初めに恵贈を受けた。

 「M 子先生」は、高知県の漁業の町で製材所の四女として生まれ、高知師範学校 1 年に在学中、高知の大空襲に会い、間もなく父親をがんで亡くした。翌年には音楽と体育が苦手(私に似ている)の自分には小学校の先生は無理と悟り、師範学校を退学し、学費のめどがたたないまま、高知県立女子医専に入った。ところが、戦後すぐに行われた GHQ による女子医専の見直しで、高知県立女子医専は廃校になり、大阪女子高等医専へ入り直したそうである。

 「M 子先生」は最後まで現役の女医さんだった。晩年の休暇中の彼女だけを知る私には、女医さんというより、ごく普通のおばさんといった感じの、人懐っこい方と思われたが、『追悼「M 子先生」』を読んで、なかなか苦労して勉強されたのだと知った。

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2019年9月18日水曜日

水彩画『幌尻岳』 (My Watercolor "Mt. Poroshiri")

[The main text of this post is in Japanese only.]


 来たる 2019 年 10 月 21 日(月)から 25 日(金)まで、堺市役所本館エントランスホールで開催される『美交会展・33』(主催・堺の文化をすすめる市民の会)に出品する予定の水彩画を、9 月 16 日に完成した(上掲の写真。色調が実際の絵より、いささか鮮やかすぎるようだ)。ホルベイン不透明水彩絵具とホルベイン紙 F6 を使用した。文献 1 の表紙写真を撮影して、その左右をカットした形でパソコン画面に表示したものを参考にして描いた。

 文献 1 の目次上部にある説明によれば、その写真は、伊藤健次氏の撮影による『戸蔦別岳から望む盛夏の幌尻岳』と題するものである。そこに添えられている元の写真の小さなコピーを見ると、表紙写真では元の写真の下部がいくらかカットされており、長い稜線は実は手前左寄りまで、まだ続いているのである。その稜線が上縁をなすカール(圏谷)を、深田久弥は「全く円戯場と呼ぶにふさわしい」と形容している(文献 2)。幌尻岳(ぽろしりだけ)は北海道日高振興局の沙流郡平取町と新冠郡新冠町にまたがる標高 2,052 m の山で、日高山脈の主峰である。山名はアイヌ語で「大きい(ポロ)山(シリ)」を意味するそうだ(文献 3)。

 パソコン上のコピー写真では、元の写真より色彩が全体にやや茶色味がかっており、初めのうち、特に山頂近くの向かって左側の斜面辺りを、その色合いで描いていた。途中で、元の写真はもっと盛夏らしく緑色が強いと気づき、緑がかった色に修正した。しかし、修正は不十分で、出来上がりの頂上付近は、パソコン上のコピー写真と元の写真との中間のような色合いとなった。手前の傾斜の黄緑色は黄色味が強すぎたようだ。微妙に異なる緑色を塗り分けるのは難しいものである。また、表紙写真は中央下部に「幌尻岳」の文字が白抜きで縦に大きく入って風景の一部を隠しており、その辺りを描くには、目次ページの小さな写真の拡大コピー(あまり大きく拡大してもぼやけるだけで、それほど大きくはできなかった)も参考にした。

 なお、妻はこの山に 2009 年 8 月、朝日旅行のグループで登っている。

 文献
  1. 『週刊 日本百名山』No. 35(朝日新聞社、2001)。
  2. 深田久弥『日本百名山』(新潮社、1964)。文献 1 に「幌尻岳」の章が朝日文庫版から再録されている。
  3. 三宅修「"北海道の背骨" 日高山脈の盟主」、文献 1 所収。

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