2005年2月6日日曜日

Remington のタイプライター

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 7 日(木)、8日(金)

 社会のテストは(一)、(二)のうちの一つと、(三)のイ、ロ、ハのうちの二つをすればよかったので、いわゆる問題選択の自由が与えられたわけだ。
 アセンブリーは音楽部によるもので、音楽を中心にした「話の泉」 [1] であった。例えば、「♪ 草津よいとこ/一度はおいでー/ドッコイショ」というような節をピアノで弾くと、まず、草津節であることを答え、それから司会者の質問に答えなければならない。どこにありますか、どんな病に効きますか、といった具合だ。パリ祭の曲を弾いたあとで、パリはだいたい緯度何度、経何度にあるか、パリを流れている河は?である。マイクがなかったので、解答者の答がよく分からなくて困った。
 新しい Remington のタイプライターが購入された [2]。順じゅんに打ち初めをする。「キーが軽い」とか「外観がスマートだ」とか「防音装置がよい」とか、各人各様の批評をいい合う。


 引用時の注
  1. 当時 NHK ラジオで放送されていたレギュラー解答者出演によるクイズ番組。ここでは、それを模した行事。
  2. Sam はタイプ・クラブに属していた。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

テディ 02/06/2005 21:47
 Remington のタイプライター…とありますが、これはやはりあの銃器メーカーの Remington[後日の注:リンク切れ]と同じようですね。そういえば、ホッチキス (Hotchkiss) も機関銃を作っていました。同じ機械の製作会社から知的生産物を造り出すものと、人の命を奪うものの、両者が生産されていたというのも興味深い現象でありますが…。

Ted 02/06/2005 22:00
 私は Remington が銃を作っていたことを初めて知りました。面白いウエブサイトを教えていただき、ありがとうございました。

「秘められた」思い出

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 8 日(金)曇り

 簡単なことをややこしく聞かされる Frog 先生の時間に、 TKN 君のポケットからスズメが逃げ出して、一騒ぎとなった。この薄暗い教室で、体育館のトタン屋根からもうもうと湯気が立ち昇るのを見て笑ったり、きょうのように、ごみ箱の陰でふるえているスズメを見て哀れんだりするという経験。それは、古ぼけた装丁の本の中にも探れば多く秘められている興味深い事柄と同様に、時間の経過とそれ以外の何かの作用を経て、いずれ「秘められた」思い出になる代物かも知れない。[1]
 自分で新鮮だと感じられる自分でなければならない。倦怠があってはならない。

 引用時の注
  1. 確かに、この日の授業中に TKN 君のポケットからスズメが逃げ出したという事件は、きょうまで忘却の彼方に秘められていた。

2005年2月5日土曜日

二尺もあるツララが

 高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 5 日(火)雪

 二尺もまだもあると思われるツララがあちこちの屋根からぶら下がっている。学校では朝、掃除をする時こぼされた水が凍っていた。
 おや! 校内放送が何か伝達しているぞ。——「ワァ! ブラボー!」


(Ted)

 われわれは知識の反芻動物でなければならない。[1] ——「板門店会談」の時の KZ 君が、「その日に習ったことは、その日で頭へ入れてしまうのか。その日暮らしってやつやな。ハッハッハ」といったのを思い出して、ちょっと考えてみた言葉だ。
 「感動的で深い決意のこもった英文手紙ではあったけれども、完全に意がくみとれず、残念である。われわれの間で何か空想的なことが始まりそうな気がする。少なくとも私は何らかを君に期待するだろう。」
この何気なく書いた数行を、ここに挟んである TJ 君からの手紙 [2] の返事とする。(彼の英語はややこしい。すらりと書けているのは "Thank you very much." の one sentence ぐらいだ。)
 これを受け取った時間にはテストがあった。Y・S 先生はテスト中にもかかわらず、x + 1 < √(25 - x2) において、x + 1 < 0 と x + 1 > 0 だけを考えて、x + 1 = 0 を抜かしている人が多いようですが、入れなければいけませんよ、と全体に注意された。答に影響はなかったけれども、途中の過程において = を抜かしていた一人にぼくがいたとは、何ごとぞ。
 ホームルーム時は、M・T 先生が休まれたが、UE 君の努力で、どうにかレコード鑑賞が行われた。音楽クラブの YM 君と、名前は書かなかったけれども、これまでに 2、3 回われわれの日記帳に登場している KW さんが担当者だった。何を聞かされたか、覚えがない。
 Sam がそれを買ったとき、「これによって新しい希望がわくかも知れない」と書いていたのに類似の 1 冊 [3] を、KJ 君も買った。Noun の部、adjective の部、verb の部、…と別れている。

 引用時の注
  1. 取り込んだ知識は、すぐに取り出して活用できなければならない、また、記憶を確実にするためにも、知識を時どき取り出すことが必要だ、というような意味で書いたかと思う。
  2. 手を加えて読みやすくすると、下記のようになる。終りから 2 番目の文のあたりが、もう少し長く、特に意味が取りにくかったが、最後の文に照らして、こういうことだろうと、いま理解できる。
    My true friend,
    I'm always respectful to you for your kindness and diligence. When I was going to buy a book of English words yesterday, you gave me a kind advice. Thank you very much.
    Now I've read the book "Under the Wheel," and deeply thought about these: "Having good friends is important. I hate "a bad person" in my own mind. I have to become pure-minded."
  3. 英単語暗記用の小本。

2005年2月4日金曜日

雪の日

写真は 2 月 1 日朝、大阪・堺の雪景色。

高校時代の交換日記から

(Sam)

1952 年 2 月 4 日(月)雪

 Oh! It is very cold. I got up very late.
 保健体育は乃木式何とか法だといわれて、折から降りしきる雪の中、素足で学校の回りを一周させられた。目に雪が入って、とめどなく涙が流れ落ち、腹側は雪で真っ白になった。一周して校内に入ると、へとへとになったが、上着を着るころからぼつぼつ暑くなってきた。しかし、指がぽんぽんにふくれ上がる。
 ホームルーム時には、単位の登録をした。S、G、L、P、Hの順に人数が少なくなっている。ME 君は、いつでも funny だ [1]。S コースにしたのだが、世界史が選択出来ない、と第六限の時、ぼくにいう。S コースは理科系統なんだとさ、といってやったら、そんなところなら絶対いやだ、おれの希望は違う、という。お前は L コースへ行くのが本望なのだろう、というと、そうだそうだ、大きな望みがあるんだ、という。この時間がすんだら教務課へ行ってくるといっていたが、その見込みはなさそうだ。


(Ted)

 傘が壊れているから、仕方なくオーバーを着て登校した。こう書くからには、いままではもちろん、着て行かなかったのだ [2]。昨日は、まだ所どころに残っている雪のように、屋根が白く日光を射返したりしていて、日陰の空気がわずかにひんやりとしていたのを除けば、他は春と変わらず、南側の窓辺に腰掛けて外に向けた背に当たる赤外線の暖かさを満喫しながら読書しておれば、快適な世界がそこにあった。が、きょうは立春の前日だというのに …。
 放課後 KJ 君が、一度は雪の中へ逃げ出して行くなど、たいそう勿体ぶって渡してくれた紙片に書かれているものを手帳に写す。「東京都北区 ○○ 町 xxx ○○○東京病院附属看護学院寄宿舎 x 号室」[3]、もう一つは、「金沢市 ○○ 町 xx」。〈えっ?こんな名前知らないぞ。こちらは写さなくてもよいのだろう〉と、紙片を受け取った時には思ったのだが、何のことはない、旧姓 Y 先生 [4] じゃないか。頭の課題が一つ増えた。
 国語乙は、相変わらずテキスト外の講義が多い。解析は、土曜日に出された問題を黒板でさせられる。ぼくに当たったのは何でもない問題だったが、HN 君が当たったのは、負の方だけの半円になるものを正の半円だと、ぼくが彼に間違って教えていたものだった。Y・S 先生が直されるのを見ながら、三つ前の席にいる傘の件での一昨日の恩人に聞こえるように「すまん、すまん。」といい、授業が終った時にも頭を下げて謝らなければならなかった。Vicky でさえも、半円を円にして来るから、解析の時間は愉快だ。
 TJ 君が、彼の読んだヘッセの「車輪の下」について話してくれた。要するに、一少年が堕落するという筋で、友の選び方が大切だと教えられた、と彼はいっていた。そして、映画を見る時は、場面の情景・背景がはなはだしく限定されたものとなるが、小説を読む時は、各人の経験や思想、語感の相違などによってそれらを自在に頭に描き得るといわれた S・T 先生の言葉を繰り返して、その通りと思ったといった。
 「人の規模」について考える。…

 引用時の注
  1. ME 君のあだ名が Funny だった。彼も Sam と同様、早く他界した。
  2. この頃住んでいたのは、大連から引揚げ後、次つぎに間借りをさせて貰った 3 軒目の家で、菫台高校へ徒歩数分のところにあった。
  3. 中学 1 年のとき同級だった女生徒 MT さんの住所である。やや男っぽい子だったが、その頃から看護師(当時の言葉で看護婦)志望だった。国語の時間に、興味のあることについて数分間話すという課題を出されたとき、彼女は少女雑誌で読んだといって、宇宙が膨張していることを話した。私も知っている話ではあったが、女の子がそれに興味を持ったということが珍しく、感心したのだった。このとき住所を書き写したが、手紙を出した覚えはない。
  4. 中学 1 年のときの国語の先生。戦争未亡人だったのが、この頃再婚された。そのことを知ったときに KJ 君が私にいった言葉「やっぱり、本能やなぁ」が、面白くて忘れられない。


コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 02/04/2005 11:39
 仲の良かった友人の早世は哀しいですね。その死がまるでなにか宿命を帯びていたような感懐さえ湧いて、追憶の人として強く心に刻まれることがありますね。

Ted 02/04/2005 16:10
 仲よさで五指に入っていた友人のうち、三人が早く死んでしまいました。折に触れて彼らのことを思い出します。

為政者の言葉に頂門の一針

 2 年前に随筆集『哀愁の音色』を読んで以来、私は竹西寛子の文を好む([1] 参照)。昨日、彼女の一文を新聞紙上で読んだ [2]。

 竹西は、俳人飯田龍太の「自然を見ているつもりが、いつか自然から見られている自分に気づいてしまった」(無数の目)という言葉を引き、自分の見方の公平を保つことが文章の土台として重要であることから書き始める。そして、見方の公平を重んじるための謙虚さは、文筆の者だけに求められることではないだろうとして、話は近年の為政者の発言に及ぶ。

 「職業年齢を問わず、物言いに逃れようもなくあらわれてしまうのがその人の人間観であり、生き方である」という文が、「政治の基本は言葉」という警句につながり、「言葉数は多いのに、絞ってみたら水母(くらげ)のようでは困る」といってのける。

 最終節では、「為政者を選んだ一人一人が、自らの物言いをかえりみながら公平な目を強く育ててゆく、何よりもそれが先か …(略)…」と、謙虚に記す。

 一人一人が公平な目を強く育てることも確かに重要であるが、この随筆の中心部分で示されているような、為政者にとって頂門の一針となる物言いが、もっと多くのペンを持つ人びとによってなされるべきであろう。

  1. 専門家の「読み」, Ted's Coffeehouse(2005 年 1 月 4 日)。
  2. 竹西寛子、「見る」ことと「見られる」こと:公平な目への意志、しんぶん赤旗、学問文化欄(2005 年 2 月 3 日)。