2005年2月12日土曜日

ブッシュ対アインシュタイン

 [英文ブログ記事 "Bush vs. Einstein" の要約]ブッシュ米大統領は 2005 年 2 月 2 日、上下両院合同会議で一般教書演説を行った。自由や民主主義という言葉を多数使っているが、その内容はこれらの言葉や最近の事実とも矛盾している。アインシュタインが 1947 年に行った演説中の「戦争目的への順応は人間の心を堕落させるものである」という言葉が、ブッシュ大統領の歪んだ方針を予言していたかのようである。

2005年2月7日月曜日

てんやわんやの一日

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 2 月 11 日(月)曇り

 獅子文六が、犬丸順吉を主人公とする小説の題名として作り出した副詞 [1] は、Sam が運動会で拾った情景を記事 [2] にした時の見出しとしてもぴったりしていたが、きょうのぼくにも、ぴったりだ。
 6 限の英語の試験、"Complete the following sentences:" の1題目、"Smallpox would be prevalent, __________" のところへ "if we did not enforce vaccination." と書いた。と、この通りならば、それでよいのだが、教科書の Activities にあったのは、上記のように "be prevalent" だったけれども、その部分が試験問題では、"be prevented" となっているではないか。"prev" までが同じだから、Activities の通りだと思い込みやすい。しかし、"be prevented" ならば、意味は完全に反対だ。そこで、"be prevented" であることを確かめて、答を "if we enforced vaccination." と直した。だが、現在は "Vaccination is enforced." という状況であるから、このような答を求める問題を作るのは、少しおかしい。Uncivilized countries のことと考えればよいのかも知れないが。
 また、別の問題中の drawn の語が、ちょっと見たところ drown でなければならないような気がしたので、a を o に直す書き込みをしたまま提出した。これはぼくの思い違いだったと、あとで気づいた。採点には関係がないが、I・S 先生をいぶからせるようなことをしてしまった。
 土曜日の解析の試験の解答が3限にあった。x2/9 + y2/4 > 1 の範囲を示すのに、原点の座標を代入して成立するか否かによって、楕円の中か外かを見るという操作をした覚えがなく、「あっ、勘で書いて合うた。」と叫んだが、いま考え直すと、x2/9 を右辺へ移行して、両辺の平方根を取ったもので考えるというややこしいことをして、正答を出していたようである。——以上が、てんやわんやの中身である。
 朝出がけにカラーの左襟の方の先が折れたことは、迷信的解釈で、てんやわんやの原因とするのには都合のよいことだ。しかし、われわれは、accidental accordance [3] だと、科学的に考えなければならない。

 あすのホームルーム時の討論会のテーマを考えて提出したのは、ぼくだけだった。「こんなものでテーマになるだろうか」と思いながら書いた二題を、UE 君がショート・ホームの時間に読み上げ、これらについて討論出来るように考えを練って来ることを一同に要求した。「ほほぅ、誰が考えたい」「あとの方が面白そうや」「前のがもいいぞ」などという声が聞かれたが、自分では少しも新しくも奇抜でもないものを書いたつもりだ。
 放課後、HN 君の家へ教えに行く。単元 3 の III 全体の試験が金曜日にあるのだ。「解析の」と書かなければならなかったかい? そうだ。KZ 君から3限後の休み時間に、先週その教室でぼくが「分かった!」と、いきなりいったと同じ突然さで、「147 ページの 1 の(5)を教えてくれんか」といわれて、「国語か英語か」と聞き返してやったのだが、手はちゃんと解析の教科書を鞄から出していた。

(Sam)

 ホームルームのレクリエーションはけっきょく二ヒントまでの「私は誰でしょう」をすることになった。出題は芸能関係が約半数を占めた。原節子や何とかいうバレリーナなど。源氏鶏太についての第一ヒントの復唱で、司会者が「三等毎日にサンデー重役というのを…」と、いい間違えた時、この時間で最もよく笑った。アイゼンハワーの問題はよく作られていた。あっけなく当てられたのは、福沢諭吉、中谷宇吉郎、エイブラハム・リンカーンなどだ。ぼくの出題は、「その日はちょうど豆まきをすませたあとでしたので、『夕刊!』といったお父さんにそれを投げて上げたら、はげ頭に当たってカンカンに怒られましたが、お母さんが弁解してくました」というのが第一ヒントの架空の人物だったが、第二ヒントで説明しすぎたので、簡単に分かってしまった。
[4]


 引用時の注
  1. てんやわんや。第 4 節の終わりにこの言葉を出してある。
  2. Sam と私が共に通っていた紫錦台中学の学校新聞に掲載の記事。
  3. Sam が英単語暗記用の本の A から覚え始めて、accicental と accordance を早くに覚えたので、「偶然の一致」をこのように表現したことがあり、ここでは、それを真似たのだが、coincidence あるいは synchronicity というのが普通であろうか。
  4. 第一ヒントでも分かりそうなものだ。漫画『サザエさん』に登場するサザエさんの弟、カツオであろう。

道徳的とは

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 10 日(日)雨と雪

 午前九時から十分間のうちに行くから、六枚町の踏み切りのところで待っていてくれ、といい渡しておいたのに、ちょっと遅刻して来て、こんなつもりじゃなかったと、弁解みたいなことをいった。広岡町の鉄道官舎が KD 君の家だ。同じような構造の家ばかり並んでいるので、一人で行ったら探すのに時間がかかるだろうと思った。テーブルかけのかかっている机と、Ted の家にあるのと同じ火鉢がおかれている前に座った。ラジオのスイッチが入れてあって、ちょうど「光を掲げた人びと」のテーマ・ミュージックが流れて来た。きょうは、Ted が昨年の夏休みに研究していた作家
[1] についてだ。
 初めは、彼らの通信文だけ見せて貰うつもりだったが、サイン帳やアルバムや切手の収集まで見せて貰うことになった。サイン帳には「成せば成る成さねば成らぬ何事も」という言葉がたくさん書いてあったようだ。何かの花や教会の鐘の絵を描いて、そこに詩を書いたものもあった。「あまり書け書けといわれるから仕方なしに書く」とか「ご建康を祈る」というような、味気ないものも中にはあった。切手収集では、諸外国のものや、名古屋のあるデパートで買ったという四枚八十円也のものや、珍品がたくさんあった。その点数も相当なものだ。
 まだ、その他、敦賀中時代の学校新聞『若竹』というのを見せてくれたり、『級苑』という八十数ページにのぼる学級雑誌を見せてくれたりもした。
 彼の家で、まだ顔を見たこともなく話をしたこともない、しかし、地球上の、いや、敦賀市のどこかにいるはずの一人の人物に宛てて葉書を書き、帰りの道で投函した。


(Ted)

 ヒースクリッフの、月世界の夜のような性格と感情は、ただ作者によってあまりにも巧みに一人の人間に結集した形で表されているだけで、われわれも彼がエミリ・ブロンテによって与えられた凄惨さと執念深さを持ち合わせているのだ。

 ヤースナヤポリャーナで始まり、リャザンウラ線の中間の一寒駅アスターボタに終った生命。確かに「光を掲げた人」だ [2]。道徳的とはどういうことだろう。それは、人間が光――といっても、その前に立てば、反対側に影ができるような物理的な光とは異なって、光源が一つでも、湯につかるように、あらゆる方角から囲まれることの出来る精神的な光――に全身をさらすことではないか。

 われわれを存在させている一点一点が…。
 単なる思弁上の結論を書くだけで、「生き方」を知ったとはいえまい。もっと実際の苦闘の薮に飛び込んでからのことだ。

 「メンデルの瞳」とは、参ったね。「話の泉」の最中に、この番組のテーマ音楽がなり、Minerva を答とする問題となって終った。この番組を聞いていると、番組へ送る問題の製作意欲が湧いてくる。氷の問題は、いつか「子どもの時間」にあった「科学の散歩」の話から、そっくりそのまま拾ったものだ。ぼくが解答者だったら、鐘をならさせはしなかったのに。

 欄外への書き込み
(Sam) "Minerva【ローマ神話】才芸を司る神" とはいったいどんな意味なんだい。
(Ted) ぼくが「とんち教室」を聞き漏らすよりもこれを聞き漏らす方がガマンの出来ないほど気に入っている番組を聞かなかったのかい? 音楽をかけて、それに関係のあるギリシャ・ローマ神話の神の名を答えさせる問題だったのだ。Minerva は知恵の女神ともいわれる。

 引用時の注
  1. トルストイ。
  2. Sam が KD 君の家で耳にしていたのと同じ、トルストイについてのラジオ番組を聞いたのである。

Vicky のまごつきに安心感

高校時代の交換日記から。

Sam が日記帳に描き込んでいた KD 君の
「似ても似つかない」似顔絵の原寸大コピー。

(Sam)

1952 年 2 月 9 日(土)曇り

 実物とは似ても似つかない顔になった。こんな顔でないことをくれぐれも断っておく。とにかく、一人のごく親しい友人ができていることを、いいかげんに紹介しておかなければならない。彼の名は AK・KD、どんなニックネームを持っているか知らない。ちょっと適当なそれがない。これまでにも数度、この名前は書いたはずだ。ぼくと同じホームルームに属する。昨年 11 月頃、タイプ・クラブに入部してから、ぐんと近しくなった。二学期中は、英語の時間に彼と隣り合っていた。この前、共栄館で Ted たちに会った時、ぼくの連れが二人いたろう。そのうちの一人だ。あの時紹介しておけば分かりやすかったのに、と思うが、そうできなかったのは残念。あす彼の家へ行くことになった。用件は一週間前に彼から貰った紙片の具体的な行動を起こすためだ。


(Ted)

 解析は時間の初めを普通の通りに使ったあとで、2 次、分数、無理、各関数の不等式の範囲をグラフで示して解答する問題 8 題が黒板に書かれた。ノートや教科書は見てもよいが、話をしてはいけないという形での試験だった。1題目の y < 3x2 − 2 の右辺を 3[x2 − (2/3)x + (1/3)2 − (1/3)2] などと間違って「変形」しているぼくを見た Y・S 先生は、海におぼれているわが子を発見した母親の絶望的な叫びを小さくしたような声で、「何してるの?! どこに x の項がある?!」といわれた。底知れないあわて者!
 5~8 題目はその中の 2 題をすればよかったのだが、全部するつもりで7までしか出来なかった。MRR 君や UE 君に「最後のはどうなった?」と聞かれても、いつものぼくのように答えることが出来ず、どこかに一人取り残されたような気持ちに襲われた。決められただけ出来たからよいだろうって? 先生に注意されなければ、最初の 1 題にもっと多くの時間をかけ、そして間違ったグラフを描いていたはずだ。Vicky が用紙を配られる時に急いで何かを TJ 君に尋ねていて、次の時間になっても無理関数のグラフを気にしたり、ぼくと同じく——いや、ぼくほど、はなはだしくではあるまい——まごついたような調子で「y = 3x2 − 2 のグラフは?」といったりしていたことが、妙な安心感を与えたが …。
 S・Y 先生は藤村の「千曲川旅情の歌」第 2 連の初めの 2 行 [1] を、どういう意味でか、口ずさんでおられた。

 昨晩ときょうの午後のぼくが何をしていたかを Sam が知ったならば、そのくだらなさに物もいえないだろう。●!

 やはりどうかなっていたのだ。盲学校へ持って行って、SK 先生に調べて貰ったラジオが、すっきりとした音を出すようになって戻って来る [2]。「嵐が丘」を読み終え、録音ニュースが終った時刻、ラジオを購入以来欠かさずに聞いている番組を、今晩はあきらめなければならないかと思っていた時、——おう、入った。3 日間扱わなかったものだから、1170 kc を1070 kc と勘違いしていた。

 引用時の注
  1. 「昨日またかくてありけり/今日もまたかくてありなむ」
  2. 母が盲学校の教員をしていたので、同校の理科の先生にラジオの故障を直して貰ったのだ。その頃の私は、まだ自分でラジオを修理するほどの理科人間ではなかった。盲学校は私の通っていた菫台高校の隣。どちらも、間借りしていた家のすぐ近くだった。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

テディ 02/07/2005 19:40
 その当時の石川県のラジオは、MRO が 1952 年 5 月の開局とありますから、この日記が書かれた時点では NHK のみだったのでしょうね。1170 kc は現在の MRO の1107 kHz に近いので、ひょっとしたら?と思ったのですが。

Ted 02/07/2005 20:21
 そうです。このときは、まだ NHK だけでした。MRO のことをよくご存知ですね。高校同期で放送クラブにいた一人の友人は、なまの声が当時のラジオの電波にのったような響きを持っていましたが、大学卒業後就職した商事会社が気に入らず、金沢へ戻り、MRO のアナウンサーを経て、同局の重役になっていました。私が大学院生の頃、休暇で郷里へ帰った折にラジオを MRO に合わせると、彼がニュースを放送していたりしたものです。

テディ 02/07/2005 23:06
 私はラジオ好きな少年でした。遠い国や地方から飛んでくる雑音にまみれた電波を聞いて、その国その地方のことをあれこれ想像するのが好きだったのです…。ましてや、MRO は私の「生まれ故郷」の放送局。深夜になると雑音に邪魔され、フェージングがかかりながらどうにか大阪でも聞くことが出来ました。

Ted 02/08/2005 07:37
 へぇ、そうでしたか。

2005年2月6日日曜日

自分という車の運転手

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 2 月 6 日(水)雪

 上々のコンディションだ。昨日整えた用具を肩にかついで、八時五分に家を出る。九時半までに望湖台横に集合だ。市立図書館の手前で TKD 君に会った。頂上まで登るのはなかなかの運動だ。軽く汗をかいた。もうスキーをはいて滑っている連中がいる。出席をとってから、ずっと遠回りしてスキー場の下に降り(降りるまでに二回転んだ)、それから適当な高さまで登ってから、勇気をつけて滑降する。かなり下まで行って、どしゃんとしりもちをついた。ついたまま、数メートル滑った。回を重ねる毎に、だんだん早く転んでしまった。
 何回目かの時、予期しなかった箇所のバンドが切れて、再起不可能になった。しかし、どうにかバンドを求めて修理した。そうこうしているうちに昼になったので、スキーをはいたまま、立ち食いした。午後からはフリーになったので、スキーを持って来ないものは大半が帰ってしまった。ぼくたちは、もっと勾配のゆるい別の道路で滑った。登るときは、スキーをぬいで、肩にかついで行くのである。午後の方が存分に楽しめた。
 帰りに市立図書館に立ち寄って、国語の宿題のための本を借りて読む。


(Ted)

 獅子文六の『てんやわんや』を読む。自分という車の運転手は、車のエンジンに相当する自分自身の力、それも、くじけることを知らない意志を含んだ強い力を持たなければならないことを思う。
 アセンブリーは、ミレラが主人公である映画 [1] と同じ題名で、ドラマ風に行われた。何一つ感じ取ることが出来ない。ぼくが無感覚になって来たのか、ほんとうにわれわれに問題を一つも投げかけないつまらないものであったのか、どちらか分からないが、そのどちらであるかを考える必要もないと思う。
 放課後、TKN 君と KS 君が編集室へ入り込んで来て、大学入試のことについて議論をしていた。彼らは、感心出来るようなことはまったくいわなかったが、いかに真剣になって、口を忙しく動かしているかを見ているのは面白かった。TKN 君は最初、英語が難しいから、それで差がつくといい、KS 君はそれを否定した。ただし、これだけのことを彼らはじつに多くの例と、ことばじりをとらえるような反ばくとで、もっともらしくいい合ったのである。次いで、KS 君の「ある程度の勉強のあとは、試験の時の度胸」という考えと、TKN 君の「あくまで実力」という意見が戦わされた。この論争の引き合いに出されたのは、学校で 1 番だった生徒が入試に落ち、5 番だった生徒が合格したという実例だった。入試も学校での順位も、人間という複雑な存在の一つの物差しに過ぎないであろう。

 引用時の注
  1. 前週の土曜日に見た映画『明日では遅すぎる』のこと。
 
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 02/06/2005 11:56
 私は高校時代に気づいた時にはとっくに病気になっていたのだと思いますが、ずっと後年に至っても「あなたはエンジンが違うのだから」と母親にいつも言われましたね。それが病気に負けずに今まで生きてこられた自分の力のことかもしれませんね。くじけることを知らない意志の力も大事ですね。人生長いですから、これを保持さえできればと思います。私にも自信がないのですが。
 実例をあげて大学入試について議論しあうのは、なんだか滑稽ですよね。でも若い人だから親が薦めれば余計に夢中に真剣になるのでしょう。本当に人間はもっと複雑で、人生はどう転ぶかわかりませんものね。Ted さんは大事なことを早くに冷静に見抜かれる高校生だったんですね。

Ted 02/06/2005 14:53
 お母さんはそうおっしゃいましたか。実は「車のエンジンに相当する」という句は、引用に当たって、こっそり付け加えました。自分を車と見立てて、力について述べているということは、こういう句でつないだ方が分かりやすいだろうと思ったからです。最後の「人間という複雑な存在の一つの物差しに過ぎない」も、原文の「複雑な」だけを残して、分かりやすく言い換えました。