2005年8月12日金曜日

団地の庭園(写真)/ Jack が生徒会議員に



団地の庭園

 1枚目の写真は、団地内の庭園を半ば逆光の条件で撮ったもの(堺市の津久野南団地で、2005年8月9日)。絵になりそうな風景なので、画像処理ソフト Adobe Photoshop (Ver. 5.0) で加工して、絵を模した2枚目のイメージを作成してみた。加工法と条件は、メニュー Filter > Brush strokes > Accented edges で、 Edge width 1, Edge brightness 35, Smoothness 3 に設定。

Jackが生徒会議員に

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月18日(土)晴れ

 人気者の Jack が生徒会議員に当選した! わずか数名の者が彼の名を書くか書かないかで決まることだが、今度の彼の当選は、何ものをも恐れなくなった(英語の試験だけは例外かも知れないが)彼にとって十分に相応なものだった。彼が荘重な空気の19番教室 [1] で、大きな口で何かを発言する図はピンと来ないが…。

 SN 君のホームでは、前期に議員だった YMG 君がホーム委員になり、陸上の KN、サッカーの KB と、スポーツクラブの2君が議会に進出することになったそうだ。

 数学の試験で始めて歯の立たない問題に出くわした、と思ったら、何のことはない、lim (x➝1) [1−(n+1)xn+nxn+1]/(1−x)2 とは、すなわち 1+2+3+...+n ではないか。3年生の1人が出来たそうだ。* [2]

*(欄外注記)後で聞いたところでは、彼は自然数1からnまでの和と気づきながら、それを n(n−1)/2 としてしまったそうだ。

 引用時の注

  1. 化学のための階段教室で、生徒議会はそこで行われていた。
  2.   1+2x+3x2+ ... +nx(n−1) = (d/dx)(x+x2+x3+ ... +xn)
                 = (d/dx)[x(1−xn)/(1−x)]
    を思い浮かべて、2行目の式の微分が問題の分数式に一致することを確かめれば、1行目左辺から n(n+1)/2 という答が出せるが、ヒントなしにこれに気づくことは難しい。「何のことはない」と書いたのは、先生の解説を聞いてのことだったか。分母が極限値で0になるとき、分子分母を微分して極限値を求められることを使うならば易しいが、当時は、それをまだ習っていなかったはずである。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y 08/12/2005 10:34
 写真は印象派マネの「草上の昼食」のようですね。真夏の陽光で、目にする風景も溶けそうに暑い毎日ですよね。水彩画も自由度が高いですから、この風景もいろいろな表現方法があるでしょうね。
 私も今、高校『数学1+A』から復習し始めています。特別なニーズの家庭教師をするためですが。

Ted 08/12/2005 11:56
 絵の題材は、本当はどこにでもあるのですが、腕が伴わないので、つい題材選びに苦労します。大連嶺前小学校「美嶺展」出品の題材が、まだ決まりません。
 私たちの頃の高校数学の課目は、解析 I、解析 II、幾何という呼び方でした。

Y 08/13/2005 02:31
 今の高校数学は、「数学1+A」「数学2+B」「数学3+C」に分かれていて、「数学3」が理系数学のようですね。
 私の時代は、「数学1」「代数・幾何」「微分・積分」、そして理系数学の微分・積分でした。今は6分野(科目)に分かれているようです。この年齢になると、数学以外についても、各教科の面白さや意義が一段とわかってきます。

Ted 08/13/2005 08:26
 私たちの頃は上記3課目の他に、文系へ進学する、あるいは進学しない、生徒たちが履修する一般数学とかいう課目もありました。
 私も時折、高校で習ったことを復習する必要を感じますが、当時の教科書や参考書は処分してしまったので、近年、世界史や日本文学史の高校生向け参考書を買ったりしました。村田喜代子著『名文を書かない文章講座』(葦書房)に推奨してあった『高校生のための文章読本』と『高校生のための小説案内』(筑摩書房)(どちらかが推奨してあり、他方はアマゾンで注文する際に見つけて合わせて買ったのかも知れません)も、教科書のようなアンソロジーですが、面白いです。

2005年8月11日木曜日

『こころ』再読

 漱石の『こころ』を再読した。最初に読んだのは高校 2 年のときだったから、実に 53 年ぶりである。再読のきっかけは、次のようなことだった。ブログに連載中の高校時代の交換日記に、私が
 もしも、『夏空に輝く星』のテーマが君の思ったようなものだったら、…(略)…稔や敏夫はどのような考察をしただろうか。彼らの生みの親は、その解答にちょっと迷う。それは、身をもってする芸術であるとするか、『こころ』(まだ、読み終わっていない)の中で「先生」がいった言葉は真実であるとするか。

と書いたところがあった [1]。それに対して、ブログの友人 Y さんから

 『こころ』の先生の台詞とはどんなものを指しているでしょうか。「恋とは罪悪でございますよ」ではないですよね…。
というコメントを貰った。そこで、私は「先生」の台詞を確認する必要にせまられたという次第である。

 その台詞は、すぐに分かった。第十二章の終りで「先生」は「私」に、こういっている。「然し……然し君、恋は罪悪ですよ。解ってゐますか。」まさに、Y さんの想像通りだった。

 『こころ』は 56 の章からなっているので、第十二章は、まだ、ごく始めの部分である。しかし、私は必要な答を見出して、そこで止めることをしなかった。途中で、竹西寛子の短編集 [2] を読んだりもしたが、きょう、『こころ』を読み終えた。読み終えて、巻末の小宮豊隆による解説を見ると、この作品は 1914(大正 3)年 4 月 20 日から 8 月 11 日まで、110 回にわたって東京・大阪の『朝日新聞』に連載された、とある。奇しくも、91 年前のきょう、連載が終ったのである。

 漱石がこれを書いたのは 47 歳のときだそうだ。改めて、その構成と表現の巧みさに感じ入る。欲をいえば、「先生」とその親友 K が競って好きになった「お嬢さん」の描写がいくらか弱い。同じ人物の、「先生」の夫人としての「奥さん」時代はよく描かれているのだが、「お嬢さん」と「奥さん」の間にはギャップが感じられる。そして、「お嬢さん」の母である「奥さん」と「先生」の夫人の「奥さん」が、母と娘であるにしても、似すぎているように思われる。

 なお、この作品は、2003 年の岩波書店創業90年記念「読者が選んだ〈私の好きな岩波文庫 100〉」で、圧倒的な投票を得て第 1 位だったという。『こころ』が誕生から約 90 年を経たいま、なお好まれるのは、その中に見られる愛の形式によってではなく、「先生」の目を通した形で示される K における自己の信念と感情との葛藤や、「先生」における良心の呵責の、鋭い描写によってであろう。

 ちなみに、私は『こころ』よりも、上記の読者投票で 15 位だった『三四郎』(漱石 41 歳の作品)の方を好む。その理由は、よりモダンで明るいというところにあるだろう。上記の投票で、『三四郎』は漱石の作品としては、『こころ』『坊っちゃん』『吾輩は猫である』に次いで、4 位だった。(『こころ』は [3] などで読めるが、私が今回読んだのは [4] である。)

文 献
  1. ハイビスカス / 漆黒の瞳…、"Ted's Coffeehouse" (2005 年 6 月 26 日).
  2. 竹西寛子編、蘭:竹西寛子自選短編集 (集英社文庫、2005).
  3. 夏目漱石、こころ (岩波文庫、1989).
  4. 夏目漱石、心、漱石全集(新書サイズ版)第 12 巻 (岩波書店、1956).

[最初の掲載サイトでのコメント欄からの転記]

Y 08/12/2005 01:14
 しばらくブログを休んでいましたが、『こころ』が記事タイトルにあがっていましたので楽しみに来ました。漱石作品は、私の今の状況でも本当なら日々、読みたいです。
 『こころ』の隠された焦点は、「私」が自発的に、同性の年上の人を「先生」と呼び続けて、その「先生」が倫理的な死を遂げたことの愛情関係ではないかと思います。というのは、私にとっての「先生」の論文でそのような内容のものがあったからですが。けれども同時に、「私」が直接には会いえなかった「K」に限って、その人格的な強靭さは鮮烈で、「先生」が「私」に語るべき唯一の事柄として「K」を「先生」の人生で生かしてきた…、といった構成が巧みだと思います。
 『三四郎』でも『こころ』でも、女性像はそれほど複雑ではないですね。ですが作家であっても、彼は男性か女性かどちらかである、という制約を外れないところが、かえって面白いかもしれません。すべて均斉の取れた芸術は、かえって貧弱になってしまいますからね。

Ted 08/12/2005 08:00
 Y さんのコメントを予めお断りすることなく引用して、失礼しました。ブログ執筆をお休みだったので、メールをお送りすることを遠慮した次第です。また、「8 月 11 日読了」に意味があったので、掲載を急ぎました。
 「私」が「先生」を尊敬し慕う、そして、「先生」が隠された過去を遺書の形で「私」にのみ打ち明ける、――これは確かに、同性の愛情関係という、一つのテーマをなしていますね。
 『三四郎』を高校生時代に読んだときは、美祢子に惹かれたものですが、数年前に再読して、彼女の発している言葉が意外に少ないのに驚きました。

ぱんだ 08/18/2005 15:55
 面白いですね。今年は「吾輩は猫である」発刊 100 年目だそうです。夏目漱石には心に残る名言が多いので好きです。私のブログでも記事にしたので、よかったらお越しください。コメントなんぞいただけると倍うれしいです♪

Ted 08/18/2005 16:25
 ぱんださん、コメント、ありがとうございます。「吾輩は猫」君が 100 歳になりましたか。ぱんださんの記事も読みに行かせていただきます。

後日の追記:最初の掲載サイトの記事が、ぱんださんからのトラックバックを受け、同サイトのトラックバック掲載欄にぱんださんの記事のタイトルと文頭が自動引用されていた。それをここに手入力しておく。
 呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする(夏目漱石) 親鸞会講師のブログ
 夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」、「吾輩は猫である。名前はまだ無い」ではじまるユニークなこの小説には鋭いメッセージがたくさん散りばめられています。… (2005/08/18 16:14)
追記への注:ぱんださんのブログは、著者名を 2010 年 5 月 2 日付けで「親鸞会講師の筬島」に変更されたようであり、タイトルの後の「親鸞会講師のブログ」という記述は、現行のもので置き換えた。

団地の夏(写真)/ 国体選手の壮行会


団地の夏

 写真は団地の夏景色。春には、この辺りへサクラを見によく来たが、いまはサルスベリが咲いている(堺市の津久野南団地で、2005年8月9日撮影。Photoshop で修飾)。

国体選手の壮行会

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月16日(木)晴れ、17日(金)曇り

 先生の言っておられることが違うと知りながら、先生の考え方からすれば正しいことになる答を書いてしまった。とにかく、明日は先生の間違いを正して来なければならない。

 MY 君を始め5名の国体出場選手の壮行会が昼食時にある。3年生の猛者連が贈った激励の言葉は、言葉というより、馬鹿力のこもった肩の振動と口の開閉とそれが揺すぶる空気の発する音響であった。昨日で生徒会の前期は終ったのだから、厳密に言えば前生徒会会長ということになる OK 君が小声で朗読した激励の辞は、よくこれだけの文を作れたと思うほど長くて、中腰に座っていたわれわれの脚を痛くするものだったが、内容が聞き取れたのは選手たちだけだっただろう。しかし、意気のこもった、選手たちを感激させるに足る会だったといえる。

 体操の時間、準備体操を班毎にした後で、トラックを2周した。Jack の後について走ったら、自分の足が身体を速く運び過ぎた結果となって、胃から少量の食物が逆流した。

 登校の途中、IT 先生と一緒になった。前を歩いておられた先生から「お早う」と声をかけられたのだ。歩きながら、学校までが長く感じられた。「新聞部やめますか」と聞かれた [1]。それに答えようと考えたが、学校へ入るまで、ついに答は出なかった。もちろん、それだけの時間で出るとも思わなかったし、考えていることも、先生に聞いて貰うには少し突飛な、そして複雑なことだったので、話そうとはしなかった。

 引用時の注

  1. この日すでに2年生の後期に入っていたので、3年生になってからの予定を聞かれたのだったか。それにしては、早過ぎる質問のようでもある。いずれにしても、私は2年生の後期には引き続き新聞部に在籍して編集長を勤め、3年生の前期から化学部に移ったのだった。

2005年8月10日水曜日

アサガオ(写真)/ ロボットになりたい



アサガオ

 左は、わが家で育てたアサガオ。右は、中の池公園でツツジの茂みに咲いていたアサガオ(2005年8月9日写す)。(後日の注:後者はコヒルガオかも知れない。)

ロボットになりたい

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月15日(水)曇り

 書物を読み、文字を記し、計算をするだけの働きが出来るロボットがあれば、それになってしまいたくなるほどに、いろいろな煩わしい感情が湧いてくる。かつ、それを自ら求めもする。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/10/2005 12:19
 簡潔なだけにいろいろと想像がふくらみます。

Ted 08/10/2005 14:58
 自分でも、いかにも青春時代らしい日記だと思いました。

2005年8月9日火曜日

アヒルたち(写真)/ 「独立した日本の地で…」


アヒルたち

 写真は中の池公園のアヒルたち。全部で、この3羽である。両親とその子なのだろうか。このとき、そろって元気よく水浴びをしていたので、周囲に飛沫がたくさん写っている(2005年8月8日写す)。

「独立した日本の地で…」

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年10月14日(火)晴れ

 「天高く馬肥ゆる秋! ここに絶好の運動会日和を迎えて、若き次の世代をになうわれわれ若人は、ここに集い、独立した日本の地で、この場所で、活気に満ちた運動会をおこなわんとしている」とわれらの生徒会長が開会の言葉を述べた。その言葉はまだ続いた。弁論大会のような口調で、とうとうと、終るかと思うと続け、やめるかと思うと思い出したように始めて、そのたびに聞くものを笑わせて、型破りの開会の言葉だった。


[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/10/2005 12:17
 昔は、体育祭も文化祭も秋に集中していたのですが、近頃の高校ではいつの頃からか、運動会は一学期に、文化祭は二学期の早いうちにとなっているようですネ。受験体制にとってこのほうがよいということでしょうが…。

Ted 08/10/2005 14:52
 春の運動会は、昔人間にはなじめません。いろいろなことが受験シフトというのも、味気なく思われます。