団地の夏
写真は団地の夏景色。春には、この辺りへサクラを見によく来たが、いまはサルスベリが咲いている(堺市の津久野南団地で、2005年8月9日撮影。Photoshop で修飾)。
国体選手の壮行会
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年10月16日(木)晴れ、17日(金)曇り
先生の言っておられることが違うと知りながら、先生の考え方からすれば正しいことになる答を書いてしまった。とにかく、明日は先生の間違いを正して来なければならない。
MY 君を始め5名の国体出場選手の壮行会が昼食時にある。3年生の猛者連が贈った激励の言葉は、言葉というより、馬鹿力のこもった肩の振動と口の開閉とそれが揺すぶる空気の発する音響であった。昨日で生徒会の前期は終ったのだから、厳密に言えば前生徒会会長ということになる OK 君が小声で朗読した激励の辞は、よくこれだけの文を作れたと思うほど長くて、中腰に座っていたわれわれの脚を痛くするものだったが、内容が聞き取れたのは選手たちだけだっただろう。しかし、意気のこもった、選手たちを感激させるに足る会だったといえる。
体操の時間、準備体操を班毎にした後で、トラックを2周した。Jack の後について走ったら、自分の足が身体を速く運び過ぎた結果となって、胃から少量の食物が逆流した。
登校の途中、IT 先生と一緒になった。前を歩いておられた先生から「お早う」と声をかけられたのだ。歩きながら、学校までが長く感じられた。「新聞部やめますか」と聞かれた [1]。それに答えようと考えたが、学校へ入るまで、ついに答は出なかった。もちろん、それだけの時間で出るとも思わなかったし、考えていることも、先生に聞いて貰うには少し突飛な、そして複雑なことだったので、話そうとはしなかった。
引用時の注
- この日すでに2年生の後期に入っていたので、3年生になってからの予定を聞かれたのだったか。それにしては、早過ぎる質問のようでもある。いずれにしても、私は2年生の後期には引き続き新聞部に在籍して編集長を勤め、3年生の前期から化学部に移ったのだった。
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