2005年8月16日火曜日

四天王寺(写真)/ 揺らいでいる


四天王寺

 さる14日、盆だからではなく、曇っていて、五重の塔の写真が綺麗に撮れそうだったので、大阪の四天王寺を訪れた。地下鉄の夕陽ケ丘で降りたとき、小雨が降り出したが、4枚目の写真を撮る頃には止んだ。これは2枚目。

揺らいでいる

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月24日(金)晴れ

 昨日は1字も読むことなく、また1字も書かなかったが、Jack と SN 君の顔だけは見た。昼食後の休憩時間に見舞いに来てくれたのだ。全身に汗し、身体のやり場に困り、目を閉じ、時の移りを遅く感じ、無益な考察を、それも考察とはいえないほど不完全に行った1日だった。

1952年10月25日(土)曇り一時雨

 アセンブリーの時間は、前期生徒会の経過報告と新役員の挨拶と校歌の練習。会長と副会長の挨拶は至極短いもの。2年生からの分科委員長は財政の SM 君と情報の Jack だけ。新進議員の Jack が委員長に起用されたとは愉快だ。

 不安定になって来た。揺らいでいる。

 何か新規な運営方法はないものだろうか。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

RIN 08/16/2005 23:42
 「揺らいでいる」というタイトルが今日11:46の地震を予言しているようです。記事を投稿されてから約4時間後に地震が発生したことになりますでしょうか。

Ted 08/17/2005 07:38
 ご指摘を受けるまで、自分では気づきませんでした。タイトルは、高校生時代の日記中の心理状態を表現した言葉を抜き出したものでしたので。偶然の一致ですね。

2005年8月15日月曜日

サン・ピエトロ大聖堂:外観(写真)/ 全校一斉の国語テスト


サン・ピエトロ大聖堂:外観

 写真はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂。カトリック教会の総本山。315年から120年の歳月を費やして完成し、規模、装飾ともにイタリア随一の宗教建築を誇る。(2003年5月15日撮影。説明は旅行者に配付された JTB の案内書による。)

全校一斉の国語テスト

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月22日(水)雨

 HRH に全校一斉同一問題での国語のテストがある。問題は半紙1枚半あって、初めの2題が文と詩を読んで後の設問に答えるもので、その他は、漢字に仮名を振って意味を書くもの、漢字の書き取り、品詞・活用形の見分け、仮名遣いの訂正だった。「…でも」の品詞には助詞か副詞かと迷い、英語で even は副詞だということを考えて副詞にしたが、とんでもない誤りだった。英語的に考えれば、連体詞「あらゆる」が形容詞になったりもする。
 芥川竜之介の文の題を選ぶ最初の問題では、「山間の町で」に○をつけた。昼食時の編集室では、SN 君とTKS 君の「微笑」派と、Jackと HN 君の「ある日の追憶」派との激論が見られたが、「山間の町で」を支持するものは他にいなかった。「微笑」は、主題の表現を引き立てる役割こそしているが、題には出来ないと思う。「ある日の追憶」は、最後の文の中に、いまでもその少女の容姿が頭によみがえって来ることがある、ということが書かれているところから、一応考えられる題ではあるが、全体を「追憶」としてしまうには文の調子が懐旧的でなさ過ぎるような気がした。しかし、残念なことに、確固とした自信はない。――Sam は「背水の陣」の由来と意味を知っているかい。――

 KW 君と比べて、より多くのユーモアと、より少しの豪傑ぶりを持っている NS 君は、きょうから生徒会室に泰然とおさまっている。放課後、『菫台時報』次号の「論説」を書いて貰うための原稿用紙を渡して来た。原稿用紙印刷代を印刷屋へ払って貰うために、財政委員長も早く決まってくれないと困る。SM 君がなりそうだという情報がある。そして、Jack が情報委員長に?

2005年8月14日日曜日

サン・ピエトロ大聖堂:その2(写真)/ スポーツ色の生徒議会


サン・ピエトロ大聖堂:その2

 写真はヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂内部。7月20日に掲載の写真よりも入口近くから撮ったものである(2003年5月15日)。

スポーツ色の生徒議会

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月20日(月)晴れ

 第1回臨時生徒議会は流会になった。SM 君は会長の席を占めようと懸命に運動していた。生徒会活動に対する熱心さで彼の右に出るものはいないから、彼は楽らくと当選するかも知れない。しかし、3年生は運動クラブに属する大量の議員を送っているから、彼らが、何かこれに対抗する動きをすることも考えられる。

1952年10月21日(火)晴れ

 昼食時に臨時議会。NS 君が会長になる。副会長は野球部で右翼手だった3年生の SG 君。完全にスポーツ色の生徒議会だ。

 3回にわたった英文法の試験が終った。英作の問題では、教科書にあった英文 "He ruined his health." を和文にして問題としたのが1題あった。Ruin という動詞を使ってあったことに気づかなくて、ちょっと困ったが、G & C にあった to lose one's health を思い出して使った。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/15/2005 12:21
 システィナ礼拝堂の壁画の修復が成ったのは94年でしたか。私が行ったのは2000年でしたが、明るい色あざやかさにかえって違和をおぼえるほどでした。

Ted 08/15/2005 16:14
 ヴァチカン美術館、システィナ礼拝堂も半ば駆け足で観なければならなかったのは、グループ旅行の残念なところです。

2005年8月13日土曜日

ケイトウ(写真)/ なまじ訪問し合う間柄ゆえ…


ケイトウ

 甲子園では球児らの熱闘が続くが、近隣の公園にはケイトウの花が咲き、秋の気配が忍び寄る(写真は堺市・笠池公園で、2005年8月9日)。

なまじ訪問し合う間柄ゆえ…

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年10月19日()晴れ

 26ホームでは選挙管理委員の NS 君をリコールでやめさせ、生徒会議員にしてしまったということを Jack から聞いた。2年生から会長が出るとすれば、授業中に先生の質問に答えるときでも「これはー、ですね」などと、妙にもったいぶったいい方をする SM 君よりも、明朗で意気の強い NS 君の方が望ましい。

 3校の野球リーグ戦は、見ていて少しも熱の入らないものだった。対二水戦は4回辺りから見たが、菫台は毎回走者を出しながら、得点できないで破れた。吉田投手は加賀谷投手をリリーフして登板していた頃より、ずっと安定感が出て来ている。けれども、甲子園のマウンドを踏む投手として期待するには、まだまだ球威が足りない。対桜丘戦は1回の表裏がヤマだった。そして得点も、両校ともその回にのみしか上げ得なかった。何回だったかに、上井君を二塁において、捕手の中井君が左前安打したが、そのとき三塁までしか走れなかった上井君が還っていれば面白かっただろうと、惜しまれる。

 また HZ 君に会った。(彼の名を書くたびに「また」と書かなければならない。)彼は「学校は?」と聞いたようだった。質問としては、あまりにも漠然としていたので、何とも答えられなかった。黙ったまま相手の顔を見つめているわけにもいかないので、視線を全然意味のない方向へ向けた。なまじ家を訪問し合うほどの間柄ゆえに、道で会う毎に一礼しただけで行き過ぎられないのは面倒なことだ。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 08/15/2005 12:26
 ケイトウの花、いいですね。幼い頃の家の二軒隣の角が小さな医院でしたが、そこの庭に並んで咲いていた光景が想い出されました。

Ted 08/15/2005 16:32
 この写真のケイトウは大小いろいろですが、紅い房状の花の丈が揃っていると、私はロンドンやオタワで見た衛兵交替の儀式を思い出します。

2005年8月12日金曜日

アヒルの身づくろい(写真)/ 母校創立105周年の集い


アヒルの身づくろい

 中の池公園のアヒルたちが、水浴びをした後であろうか、狭い岸辺に並んで身づくろいをしていた(2005年8月1日撮影)。

母校創立105周年の集い

 先日、金沢商業高校(私の在学前後の計10年間は金沢菫台高校、それ以前は金沢商業学校)創立105周年「友情の集い」の案内が、同窓会長と「集い」実行委員長の名で届いた(同窓会の名は、金商菫台同窓会という)。「集い」は2005年10月8日午後4時から、金沢全日空ホテルで行われ、松井さえ子氏(金商高9回卒)の記念講演があることになっている。

 松井さえ子氏とはニューヨーク・ヤンキース松井秀喜選手の母堂である。彼女がわれわれの14年後輩だったことを、この「集い」の案内状で始めて知った。何年か前の夏、星稜高校の一塁手・四番打者として甲子園へ出場し、敬遠の四球ぜめにあいながら、淡々として一塁へ歩き続けた松井選手をテレビで見た。彼は当時から大物になりそうな風貌を備えていた。その彼の母堂の講演は興味深いと思われる。

 しかし、10月17、18日には、菫台高校新聞部の同窓会があり、そちらへは、すでに5月に出席予定の返事を出した。その9日前にも金沢へ行くのは忙し過ぎるので、創立105周年の方は残念ながら不参加の返信を出すことにした。

 後日の追記:8月16日付け朝日新聞の全国高校野球選手権大会関連インタービュー記事「あのときアルプスにいた」によれば、松井秀喜選手が5連続敬遠を受け、星稜が明徳義塾(高知)に3対2で惜敗したのは、13年前の1992年8月16日、第74回大会2回戦であった。この記事で松井選手の後輩・山本英一氏は「あの試合についてこのごろ、むしろ、明徳の選手たちは嫌な思いをしなかったかな、と気になるようになってきました」と語っている。